怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

考えてみると難民知人ばかりになっている・・・

2019年03月22日 | 奉仕活動
近所の難民一家の住まい。
いつもきれいにきちんと片付いている。そろえられている家具類も品がいい。

「なぜ義理の両親と住み続けているのですか?」
母国でさえ義両親と一緒に住むのは避けられているのに、金のある西欧州でそんな生活は信じられないのだろう。
「わたしたちは家賃が払えないほど低収入だからです。節約のためね」
と私が答えると彼女は言った。
「ドイツ人って、節約節約って、そればかり!私は我慢ばかりの生活なんて耐えられないです。」
なるほど。
難民といえども母国では豊かに暮していた人も多い。消費を贅沢に楽しんでいたのだろう。

先日、生活保護受給者のための食品配布場所を通りかかった。
私も同じような活動をしているが、対象は生活保護受給者でなく、一般の人々に配るものだ。外科医のドイツ人Sさん、教員のAさんなど、とても食費に困っていると思えない人々がやってくる。
ここは本格的な援助場所、とちらりと眼を向けながら通り過ぎようとすると、そこから一人の女性が私を追いかけて声をかけた。
一瞬のうちに「え?私って、生活保護受けている人に知人がいたかしら」とあせった。
自分の意識の根底に、そうした人々との交流があることを恥じているのか、とちょいと心が痛んだ。
彼女は去年のイスラム教断食中にモスクで知り合ったアフガニスタン人S子さんだった。
「ずっと連絡くれなかったけれど、元気?」
連絡くれないって・・・・私は何度もメッセージや手紙を送ったのに返事が無いから私が諦めたのに!
それを言いたかったけれど、母国では全く教育と受けていないと思われるS子さんだ。彼女らに返事を求めるのは難しい。
彼女のいまだにへたくそなドイツ語に少々付き合った。これまたへたくそな英語混じりなのでますます聞き取りにくかった。
「来週、娘の1歳の誕生日なの。来てもらえるかしら?」
再会のノリで、ついつい承諾してしまった。

ああ、面倒だ・・・・と彼女と別れたあと後悔した。
以前はこうしたお招きに喜んで行ったのに、だんだん出不精になってきているのを感じる。

彼女の家も、真新しい立派な家具とでっかいテレビがあった。旦那さんも奥さんも働いていない。こうして、食糧の援助をもらいに来ているのはそのせいだな。不思議な世の中だ。
崩壊しかけている家具と、予算精一杯で買った小さいテレビがあるりす部屋の貧しい光景と比較すると雲泥の差だ。


どちらかというと底辺生活をしている自覚がある私たち夫婦だ。
特にこの生活に不満は無いが、難民と呼ばれる人たちが見かけ華やかに暮しているのをみると驚かされる。
まあ、せいぜい節約とは縁なく暮してくれ。あなたたちはあなたたちの方法でやってくれ、という感覚になるドイツ。


S子さんと別れたあとに通りかかったレストランの看板。
え?日本語?

外から中を覗いている印象では、従業員たちは日本人でも中国人でもない印象だ。どうやって見分けるのか説明しにくいのけれど、なんとなくわかってくるものだ。
この「いただきます」の「き」の書き方が日本で育って教育を受けた人とは違うと感じた。

裏側はこんなふうだった。
「感謝」は中国語検定4級合格した私の知識によると中国語には確か無いはずだ。
また、この文字の印象も漢字を子供の頃から習っているものではない気がする。
そういうわけで、やはり、多くのベトナム人がやっている中国料理・日本料理の店と同様、この看板もベトナム人が書いたのかと予想した。
日本ファンなのだろうか。熱心に「君の名は。」などを観ているんじゃあないか、と想像すると微笑ましく思える。




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