戦後ドイツにおける移民の多くはトルコ人であることは日本でもよく知られているだろう。
街中を歩くと、頭巾姿のトルコ人女性の他にさまざまな外国人がいることに気づく。
一見、ヨーロッパ人なのだが、連れている仲間同士で交わされている会話がどうがんばって聞いても理解できない言語のことが多い。
つまり、ドイツ語でないのだ。
そういう人々は昨今大抵東欧諸国出身のようである。
また、中国人も非常に多い。
わたしはちょっとだけ中国語をやったことがあるので(中国語検定4級レベルさ、あはは~)
韓国語とその他の似たような東アジアの言語を聞き分けることができる。
中国レストランが異様に多い。
在独20年の中国系シンガポール人女性に言わせると、ここ何年かで急に中国人が増えたのだそう。
人口10万人強のこの地域の中心街に4店舗、郊外になると私の思いつく限りでは6~7店ある。
ときどきそれらの店に食べにいき、愛想のよさそうなウエイトレスのお姉さんに尋ねると、
「上海出身です」
「香港です」
「長春からです」
などと答えが来るので、ほとんどがここで育った2,3世ではなく、数年前にやってきた移民らしい。
タイ人をお嫁さんに迎えるドイツ人男性も多く、彼女らの顔立ちは一定の傾向があるので、すぐにわかる。
日本在住のタイ人女性は色白の人が多いが、ここは浅黒い人が多い。
日焼けがステイタスのヨーロッパ人らしい選択だ~
いまの暖かい季節には、サリー姿のインド人女性の姿を見ることもできる。
エレガントだぞ~
アフリカ人も、欧州の他の地域ほど多くないが(フランス語圏に多いらしい)外に出れば必ず見かける。
もちろん、日本人も大都市ほどではないが、数十人の在住を確認(正確な統計でない~)している。
義父の先祖のように、ドイツ国籍を持ちながら欧州各国を移住している家系も多いだろう。
「彼女は△☆◎人です」
という言い方を義父は好まない。
その人が保有する国籍と、出身国が一致しない場合が多い欧州の傾向を考慮しなくてはならないのだそう。
日本人イコール、日本に住んで日本語を話す、
というイメージを払拭しなくてはならないのである。
ここは多民族国家かなぁ
ドイツ人も、こうした状況にある程度慣れているようだ。
どうして私がそう推測するのかというと、以下の経験からである。
街中で高校生くらいのお姉さんに尋ねられた。
「時計を持っていますか、いま何時ですか?」
服を見ていると、高年おばさんに尋ねられた。
「もしもし、あなた、サイズは34くらいかしらね、この服、どうかしらね、孫に買ってやろうと思ってね」
物乞いの男女。なにやら寄付を求めて、紙に書かれたものを差し出しながら
私が財布を開くのを待っていた。
ウチからさほど遠くないところを自転車で走行中、車の中からお兄さんに尋ねられた。
「◎△◆ギムナジウムはどこにあるかご存知ですか?」
以上、すべてドイツ語でなされている。
ドイツ語ができるかできないかの確認もなしでいきなり、である!
私の容姿はヨーロッパ人離れしている。
東洋人を極めている。
日本で金髪碧眼の見ず知らずの人に、日本語で
時間を尋ねたり、服の相談をしたり、寄付金を要求したり、高等学校の場所を尋ねたり、
する、かい???
今や、人種の違う人々をいちいち区別していられないくらい、
たくさんの異なった肌の色、顔立ちの人々が生息しているのだ。
そういった意味では日本は異人種に対し、いまだに構えて接しなくてはならない雰囲気がある。
夫なども日本在住時に大抵英語で話しかけられたそうな。
私がここでドイツ語だけで話しかけられるのとは大きな差である。
まあ、許してやろう。
夫はいつまでも日本の住民として受け入れられていなかったのかもしれないことを思うと、
在住2年にも満たない私をドイツ生活者として認めている寛大なドイツの人々に感謝しよう。
大手スーパーの週末のレジ周辺の様子。
黄色いシャツのスタッフは客の買った商品を袋詰めする、というドイツには極めて珍しいサービス担当。
普段有料の袋も無料!
ああ、このままずるずると日本風になってくれないかなって、ちょっと願ってしまう~
街中を歩くと、頭巾姿のトルコ人女性の他にさまざまな外国人がいることに気づく。
一見、ヨーロッパ人なのだが、連れている仲間同士で交わされている会話がどうがんばって聞いても理解できない言語のことが多い。
つまり、ドイツ語でないのだ。
そういう人々は昨今大抵東欧諸国出身のようである。
また、中国人も非常に多い。
わたしはちょっとだけ中国語をやったことがあるので(中国語検定4級レベルさ、あはは~)
韓国語とその他の似たような東アジアの言語を聞き分けることができる。
中国レストランが異様に多い。
在独20年の中国系シンガポール人女性に言わせると、ここ何年かで急に中国人が増えたのだそう。
人口10万人強のこの地域の中心街に4店舗、郊外になると私の思いつく限りでは6~7店ある。
ときどきそれらの店に食べにいき、愛想のよさそうなウエイトレスのお姉さんに尋ねると、
「上海出身です」
「香港です」
「長春からです」
などと答えが来るので、ほとんどがここで育った2,3世ではなく、数年前にやってきた移民らしい。
タイ人をお嫁さんに迎えるドイツ人男性も多く、彼女らの顔立ちは一定の傾向があるので、すぐにわかる。
日本在住のタイ人女性は色白の人が多いが、ここは浅黒い人が多い。
日焼けがステイタスのヨーロッパ人らしい選択だ~
いまの暖かい季節には、サリー姿のインド人女性の姿を見ることもできる。
エレガントだぞ~
アフリカ人も、欧州の他の地域ほど多くないが(フランス語圏に多いらしい)外に出れば必ず見かける。
もちろん、日本人も大都市ほどではないが、数十人の在住を確認(正確な統計でない~)している。
義父の先祖のように、ドイツ国籍を持ちながら欧州各国を移住している家系も多いだろう。
「彼女は△☆◎人です」
という言い方を義父は好まない。
その人が保有する国籍と、出身国が一致しない場合が多い欧州の傾向を考慮しなくてはならないのだそう。
日本人イコール、日本に住んで日本語を話す、
というイメージを払拭しなくてはならないのである。
ここは多民族国家かなぁ
ドイツ人も、こうした状況にある程度慣れているようだ。
どうして私がそう推測するのかというと、以下の経験からである。
街中で高校生くらいのお姉さんに尋ねられた。
「時計を持っていますか、いま何時ですか?」
服を見ていると、高年おばさんに尋ねられた。
「もしもし、あなた、サイズは34くらいかしらね、この服、どうかしらね、孫に買ってやろうと思ってね」
物乞いの男女。なにやら寄付を求めて、紙に書かれたものを差し出しながら
私が財布を開くのを待っていた。
ウチからさほど遠くないところを自転車で走行中、車の中からお兄さんに尋ねられた。
「◎△◆ギムナジウムはどこにあるかご存知ですか?」
以上、すべてドイツ語でなされている。
ドイツ語ができるかできないかの確認もなしでいきなり、である!
私の容姿はヨーロッパ人離れしている。
東洋人を極めている。
日本で金髪碧眼の見ず知らずの人に、日本語で
時間を尋ねたり、服の相談をしたり、寄付金を要求したり、高等学校の場所を尋ねたり、
する、かい???
今や、人種の違う人々をいちいち区別していられないくらい、
たくさんの異なった肌の色、顔立ちの人々が生息しているのだ。
そういった意味では日本は異人種に対し、いまだに構えて接しなくてはならない雰囲気がある。
夫なども日本在住時に大抵英語で話しかけられたそうな。
私がここでドイツ語だけで話しかけられるのとは大きな差である。
まあ、許してやろう。
夫はいつまでも日本の住民として受け入れられていなかったのかもしれないことを思うと、
在住2年にも満たない私をドイツ生活者として認めている寛大なドイツの人々に感謝しよう。
大手スーパーの週末のレジ周辺の様子。
黄色いシャツのスタッフは客の買った商品を袋詰めする、というドイツには極めて珍しいサービス担当。
普段有料の袋も無料!
ああ、このままずるずると日本風になってくれないかなって、ちょっと願ってしまう~
その他外国人は往々にして英語で話しかけてくる
「英語は話せん!」って言ってもだ…(笑)
英語が世界共通語ってな認識は日本にもあるが
「話せん!」というと「じゃコレを見ろ」っと
英語で描かれた地図を見せられる・・・・。
結局…「ストレート、2ブロック、レフト」
などと…とんでもない英語を話すことを強要される
英語。苦手なんだよな~~(笑)
でも、私が英語ペラペラじゃったら…「なんでこんな簡単な地図も読めん?」
「いったいお前は何人なんだ?」
「少しは調べて日本に遊びに来いよ」っと罵声を浴びせると思うがの…(ハハハハハ)
ものすごく綺麗なスーパーだの~~
ここだけ見れば…ドイツもエエかも~なんぞと思ってしまうだ~(笑)
海外ではその土地の言葉を強要され、
日本国内ではそれぞれの母語や英語を話すことを強要され~
なんとなく斜めに見てしまう「歩く日の丸りす」です。
私は日本では結構日本語で話しかけられましたね~
最後の記憶は新宿駅南口。
彼が去った後、数分後に夫がやってきて「セーフ」
あ、ナンパじゃあないです~
一生懸命日本語を話そうとするその姿に好感を持ちます。
って、私が外国語を話しそうに見えないから仕方なくがんばったのかな・・・
とほほ・・・
英語ぺらぺらに見える満天さんがうらやましく思えるくらいです。
この写真はスーパーのレジのシステムの違いを記事にするためにかなり前に撮影したものです。
スーパーの買い物は結構根性が要ります、
日本と比較するとね・・・
ドイツに住んでれば、
もうその土地の様子は解るんでは?
でなく、そこに人が居るから聞く感覚?でしょうね。
スーパーは 黄色の服の方々、アルバイトでは?
アメリカにもレジ袋入れの子達が居たような、
チップあげて、車まで運んでくれる、
違う?
かなり驚きました。
私も、ドイツ語で道を聞かれたり、それはどこで買ったのかと聞かれたりあります。何度もあって、日本でいた時より多いくらいです。とてもお話好きなんだなぁと思ってました(^^)。そういうことだったのですね。
中国の方達多いですねー。私の住んでる町には、日本人がとても少ないようで、間違われることもよくあります。ドイツ人にも、中国人にも、中国語で話しかけられたこともありますし(笑)。こちらは、ベトナム人も多いです。夫がベトナム語が多少分かるので言ってました。
そうだ、中国の人もいたわ。
あの頃、必死で勉強していた人達が(多分)、20年経って、定着しているんですなぁ。
良いとか悪いとかではなく、何か感慨深いものがあります。
日本も、だんだんレジ袋は有料化の方向にありますが、ここは田舎だからか、まだ、無料みたい♪
わたしもブカレストにいて、ルーマニア語で時間を尋ねられたり、場所を尋ねられたり、服を見ているときには「あなた、服のサイズ、これくらいよね。とっても可愛い服なんだけど、私には小さいのよ。あなたにぴったりだと思うけど。」などと話しかけられたりしたこともあります。
でも、マラソン遠征で出かける地方都市ではこのような経験無し。移動中の電車内で話しかけられることはあってもね。地方都市に行けば、私は旅行者に見えるのです、たしかに旅行中だし。でも、ブカレストでは、旅行者には見えないみたい、と自分では分析しているけれど。どんなものでしょう?
日本もようやくいろんな国の方々のお顔や衣装を見るようになりました。
山手線に乗ってると、駅や車内では必ず海外の方がいますし、他の路線でも以前と比べて多くなってきてます。
そういう意味では、ようやく日本も国際的になってきたのかな、って感じです。
でも、その人たちと話そうとすると、おっしゃるとおり未だに「英語」ですよね?!
で、思い出したのが、、、
あるとき、とある海外の方に試しに質問をしようとしたら、「外国人だからって何でも”英語で聞くことは”失礼な行為だ」とお叱りを受けたことがあり、日本にいながらカルチャーショックを受けました。
(ちなみにその方はドイツ出身!)
そして、英会話カフェのフランス人も、「未だに街中で英語で話しかけれられ戸惑う」と言ってます。
「外国人=英語」という短縮的な発想は改めないといけないですね。
というわけではないんですが、、、
最近、電車を降りるとき、海外の方がドアの前にいるときは、、、
「Pardon!」(パルドン!←フランス語)
「Perdon!」(ペルドン!←スペイン語)
わざと、英語じゃなしに言います。
相手は驚いた顔してどいてくれますよ。
・・・確かに我々日本人、未だに英語もろくに話せないんだろうけど、、、
ナメたらアカンで!(笑)
ウチは「英語以外でも」行きまっせっ!
(意義込みだけはイッちょ前だけどね・・・苦笑)
と歴史を見たような気がしました
ケルト人、ゲルマン人、ノルマン人最近はポーランドや東欧そしてトルコ、今は中国人ですか
そういう土地もあるだろうなとw
仕事で居る川崎市北部は中国人のほかに
目立つ人ではインド人も居ます(キャノンが技術者で呼んでるらしく、かなり数居るらしいですが)接客になったら日本語で押すしかないですw商売だと逃げたら負けなのでね、先に当たって日本語でしか話さないw実際はそれでこっちに居る外国人は大体大丈夫ですけどね。
勿論私生活ではそんな積極性は欠片もありませんがw
ドイツ、確かに道を聞かれたり、普通に話しかけられたりよくしますね。驚くけれど、嫌な気はしません^^ でも、こちらの人は一概にそういうちょっとした会話が好きなんだと思います。バス停やレストランで席が隣になっただけですぐに話しに花咲かせてますもん。レジで待たされてるときの文句も前後の人たちでやってるし(笑)
そういう点、私は好きですよ。
ですよね、やっぱ、多民族国家ですよね~
多少の人種への偏見はあっても、区別することなくやっていける能力に感謝しなくては~、
と思ってはいます。
黄色の人たち、土曜日にしかいないのですよ。
他の人のコメントによると、ドイツでも珍しいサービスのようです。
エコいドイツ人はチップを払って荷物を運ばせる、
という発想は無いようです~