2021年6月27日(日)
ムナグロツヤハムシ黒帯型かな? 4mmほど
20210511
習慣になった近所の山道散歩中にサクラの葉で見つけた。
いつものように調べてたら、モンキアシナガハムシに体色・体型がそっくりで
しかも、手元の図鑑に出てくるムナグロツヤハムシにこの模様のタイプはほとんど載ってなくて
茶色一色か黒一色、あるいはそのツートンばかり。
ネット上にもモンキアシナガハムシで載ってるものもそこそこあって
すっかり間違えてしまうところだった。
食草もいろいろだから間違いやすいハムシなんだろうね。
虫シロウトで、模様と形だけで判断しようとする自分の目を疑ってみてよかったよかった。
落ち葉とともに暗いケースに入れ、帰宅後にもう一度パチリ!
かのように上っ面だけ追うと、人は簡単に勘違いする生き物なんだろうな。
未だ、広島県行政はリバウンドに慎重な姿勢のもと外出自粛要請中。
その要請が正しいかどうかなんて論ずるのは、もう馬鹿らしくなっちゃった。
もちろん諸外国のことも日本の課題も逐次知識の更新をしたり
知人の科学者や医学者にも話を聞かせてもらったり(タダだよ、長いつきあいもあるから)
山のように出てる「本当は間違いだらけの~」とか「知られざる~」とかいった諸処自己都合的な啓発本も、それなりに目を通してるつもりなんだけどねえ。
「人間の赤ちゃんだけは生まれてすぐ大声で泣くんだよ、何故だかわかる?」と知人が言ってたことがある。
「それはね、人間だけが持つ社会性の表れと言われてるんだよ」
「赤ん坊を母親一人で育ててない証みたいなんだよ」
「外敵から集団で幼児を守ろうとする社会性が備わってることが、他の動物にはない人間の固有・特有の性質みたいなんだよ」
「だから安心して赤ちゃんが泣けるんだよ」なんだってさ。
実に納得のいく良い話に感動するなあ。
それでもな、話半分にして聞かないとね、知人だって間違うこともある。
お互い様だ、鵜呑みにはせず、自分でも必ず調べ直すんだよね。
ブログ上の私は、今、子どもたちでもお年寄りでもだれでも
要請に従いつつ気楽に楽しめる工夫だけを書きつづるよ。
昨春から要請中はずっと「そうする!」と書いてるじゃんね!
子どもの心のケアとかワクチン接種とか、よく誤引用されてる(きっと迷惑されてるだろうなあ)
長崎大の某教授も文科省が作成した学校教育マニュアルの中心人物になってるし
子どもへのワクチン接種についても極めてフレキシブルにリベラルに納得のいく見解を述べられてるし。
もちろん、細かなこと言えば国の政策にザルもある、課題もあるよ、そんなもん。
そこへの怒りや持論を発信されるのは大いに結構なことだけど
好き勝手ワーワー言うのを越えた行動も最新の知見とやらに基づけば、それが社会的な良い解決だとでも言うのかなあ?
しょっちゅう手を変え品を変え、コロコロ意見を変えてくる気がするしなあ?
私には、プロ野球の評論家が好き勝手言いつつ何らチームが強くならないのと似てる気がするけどなあ?
だから、私は私にもできる「子どもたちの心のケア」のちっぽけな提案を実行し続けるだけだ。
昨春からずっと書いてるように、「ご近所生き物探し」「俳句」「絵画」「兄貴の刺繍」・・・
子どもたちが家族で学校で楽しめるプランBもCも持たぬまま、実行できぬままの大人にはなりたくないから。
今大人として、子どもたちに背中を見せられることも提案・実行してこそ文句にも意味があると思うよ。
なぜなら、自然保護も環境も次世代に残していくべき財産であるとすれば、子どもたちこそが一番の宝だと思うから。
趣味のガサや魚とりならさておき、「水の生き物調査」を普通にしようとすると、大荷物積み込むのが当たり前。
んで、単独でやれるのはよほど力量のある稀有なお方、私らこわっぱは確からしさを求めるために複数人数での参加になるんだなあ。
どの調査地へ行くにしても、当然ながらどこの地域の行政も住民も今は当然ながら慎重だしね。
わたしは、大人としての沽券を淡々とふざけながら示し続けるだけだ。
ふざけないと、楽しそうと思ってくれんじゃんね、特に大人は。
以上、もううっとおしいので、今後これらの件は書かない。
真面目に心配して応じたつもりが、とても気に食わないらしく、咬みつかれたりもするからなあ。
もういいや、好きになさったらいいよ、あほらしくなった。
読んでくださってる読者のみなさん、さぞやうっとおしいでしょうね。
ごめんなさいね。
ムナグロツヤハムシ黒帯型かな? 4mmほど
20210511
習慣になった近所の山道散歩中にサクラの葉で見つけた。
いつものように調べてたら、モンキアシナガハムシに体色・体型がそっくりで
しかも、手元の図鑑に出てくるムナグロツヤハムシにこの模様のタイプはほとんど載ってなくて
茶色一色か黒一色、あるいはそのツートンばかり。
ネット上にもモンキアシナガハムシで載ってるものもそこそこあって
すっかり間違えてしまうところだった。
食草もいろいろだから間違いやすいハムシなんだろうね。
虫シロウトで、模様と形だけで判断しようとする自分の目を疑ってみてよかったよかった。
落ち葉とともに暗いケースに入れ、帰宅後にもう一度パチリ!
かのように上っ面だけ追うと、人は簡単に勘違いする生き物なんだろうな。
未だ、広島県行政はリバウンドに慎重な姿勢のもと外出自粛要請中。
その要請が正しいかどうかなんて論ずるのは、もう馬鹿らしくなっちゃった。
もちろん諸外国のことも日本の課題も逐次知識の更新をしたり
知人の科学者や医学者にも話を聞かせてもらったり(タダだよ、長いつきあいもあるから)
山のように出てる「本当は間違いだらけの~」とか「知られざる~」とかいった諸処自己都合的な啓発本も、それなりに目を通してるつもりなんだけどねえ。
「人間の赤ちゃんだけは生まれてすぐ大声で泣くんだよ、何故だかわかる?」と知人が言ってたことがある。
「それはね、人間だけが持つ社会性の表れと言われてるんだよ」
「赤ん坊を母親一人で育ててない証みたいなんだよ」
「外敵から集団で幼児を守ろうとする社会性が備わってることが、他の動物にはない人間の固有・特有の性質みたいなんだよ」
「だから安心して赤ちゃんが泣けるんだよ」なんだってさ。
実に納得のいく良い話に感動するなあ。
それでもな、話半分にして聞かないとね、知人だって間違うこともある。
お互い様だ、鵜呑みにはせず、自分でも必ず調べ直すんだよね。
ブログ上の私は、今、子どもたちでもお年寄りでもだれでも
要請に従いつつ気楽に楽しめる工夫だけを書きつづるよ。
昨春から要請中はずっと「そうする!」と書いてるじゃんね!
子どもの心のケアとかワクチン接種とか、よく誤引用されてる(きっと迷惑されてるだろうなあ)
長崎大の某教授も文科省が作成した学校教育マニュアルの中心人物になってるし
子どもへのワクチン接種についても極めてフレキシブルにリベラルに納得のいく見解を述べられてるし。
もちろん、細かなこと言えば国の政策にザルもある、課題もあるよ、そんなもん。
そこへの怒りや持論を発信されるのは大いに結構なことだけど
好き勝手ワーワー言うのを越えた行動も最新の知見とやらに基づけば、それが社会的な良い解決だとでも言うのかなあ?
しょっちゅう手を変え品を変え、コロコロ意見を変えてくる気がするしなあ?
私には、プロ野球の評論家が好き勝手言いつつ何らチームが強くならないのと似てる気がするけどなあ?
だから、私は私にもできる「子どもたちの心のケア」のちっぽけな提案を実行し続けるだけだ。
昨春からずっと書いてるように、「ご近所生き物探し」「俳句」「絵画」「兄貴の刺繍」・・・
子どもたちが家族で学校で楽しめるプランBもCも持たぬまま、実行できぬままの大人にはなりたくないから。
今大人として、子どもたちに背中を見せられることも提案・実行してこそ文句にも意味があると思うよ。
なぜなら、自然保護も環境も次世代に残していくべき財産であるとすれば、子どもたちこそが一番の宝だと思うから。
趣味のガサや魚とりならさておき、「水の生き物調査」を普通にしようとすると、大荷物積み込むのが当たり前。
んで、単独でやれるのはよほど力量のある稀有なお方、私らこわっぱは確からしさを求めるために複数人数での参加になるんだなあ。
どの調査地へ行くにしても、当然ながらどこの地域の行政も住民も今は当然ながら慎重だしね。
わたしは、大人としての沽券を淡々とふざけながら示し続けるだけだ。
ふざけないと、楽しそうと思ってくれんじゃんね、特に大人は。
以上、もううっとおしいので、今後これらの件は書かない。
真面目に心配して応じたつもりが、とても気に食わないらしく、咬みつかれたりもするからなあ。
もういいや、好きになさったらいいよ、あほらしくなった。
読んでくださってる読者のみなさん、さぞやうっとおしいでしょうね。
ごめんなさいね。