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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

イトミミズみたいな血管

2007-05-16 21:51:43 | アニメ・コミック・ゲーム

昨夜はNTT東日本のフレッツ接続トラブルに全面的に巻き込まれてしまいました。17:00頃夕食の支度のために一時PCを眠らせ、19:30過ぎに再び起動させたら、IEが「ページを表示できません。」ばっかり。PCの不調なのか回線上の問題か、判断がつかないだけに本当に困りますね。

IE以外のプログラムには一応問題がないようなので、プロバイダOCNの会員向けテクニカルサポートにかけてみましたが、案の定「混み合っております後ほどおかけ直しください」のみ。そもそも、ここ21:00までしか受け付けていないのでした。トラブルってこういう時間帯を選んだように起こりがちですよね。

それでもしつこくかけ続けて、やっと20:43、「しばらくお待ちください」のあと、お待たせメロディ・『エリーゼのために』までこぎつけ、そのまま延々待っていたら、21:00を過ぎてしまいました。しかし、このエリーゼのためにが流れてる間は回線生きてるはず、絶対ひとこと聞くまで切らないぞ!頑張れエリーゼ!(?)と根性で保留しっ放しにしていたら、21:15、やっと女性サポートスタッフが応答してくれて、初めて北海道・東北・甲信越にわたる広範な障害が起きていることを知りました。

そこからまたひと騒動。スタッフさんが「地域からみて、接続障害の影響を受けている可能性が高いですが、それ以外の原因も考えられないではないから、接続状況を調べてみましょう」と〔ファイル〕→〔開く〕からネットアドレスで入るガイダンスをしてくれましたが、ルーターの接続パスワードを、月河、思いっきり忘れてるの(恥)。スタッフさんと電話越しに「どうしましょう」「どうしますかね」「どうしようかな」と花いちもんめ。

結局、「回線障害だと信じて、復旧を待ちましょう、明日の朝まだ復旧しないようなら、9:00以降もう一度この番号へお電話を(←また「混み合っております」になるに決まってる)」という結論で終了。あきらめてお風呂掃除と入浴を済ませ、23:00過ぎにダメもとでもう一度起動させてみたら、何事もなく復旧していました。

ちょうどこのブログの下書きの途中でPCを眠らせたところだったので、切るべきじゃない何かを切っちゃったかな?それともレンタル1年5ヶ月にしてルーターがいかれたか?等といろいろ取り越し苦労してしまいましたよ。

後でいろんな地元関係サイトや掲示板を渉猟すると、20:00頃にはTVでニュース速報テロップも流れたらしいですね。ネットの障害を調べるのにTVをつけてみることはまったく考えませんでした。テレフォンサポートにかけ続けながらも、ラジオはつけてたんだけどなぁ。FMだからかしら。AMだったら、何か速報アナウンスあったかな。

ともあれ、やはり、ネットの世界では、特に何かイレギュラーな操作をして惹起したものでない限り、「時間が解決してくれる」と考えるのがいちばんストレスの少ない対処法のよう。

昨日は“萌え(る)”という言葉の掴めなさについていろいろ考えてみましたが、古語の世界にはいろんな選択肢がありますね「をかし」(=普通の状態と異なるものに対して強く興味をひかれるさま、感覚的にすぐれていると判断して賞美するさま)、「床(ゆか)し」=対象に心が引かれるさま)、「あはれなり」=しみじみとした情趣がある、感にたえない、かわいい、いとしい、りっぱだ)………

「をかしき君達あまたありて」「山路来て何やらゆかしすみれ草」「よろづのあはれを思し捨てて、ひたみちにいで立ち給ふ」「この人は、何心なく若やかなるけはひも、いとあはれなれば」…古文の先生は、「“をかし”は知性や審美性に訴え“あはれ”は情動や官能を揺らめかせる感覚である」と説明してくれましたが、こういう多彩な語彙が、山本夏彦さんの言を借りれば“時代の変遷に耐えて生き残って”くることができず、美しい、愛おしい、はかない、妙なる…などあらゆる対象を「かわいー」「かっこいー」で片付けてしまうようになったことが「萌え(る)」という表現をここまで蔓延させた一因なのかもしれません。

古語が古語でなく、読み書きできる人なら普通に使う日本語であった時代には、をかしもゆかしもあはれも、そんなに難しい言葉、難しい概念ではなかったと思いますが、たぶん、人間は“何の実利にも快楽にも結びつかないのにむしょうに心惹かれる”ものに出会ったとき、それを表現すべく“既存の語彙を引っ張り出してきて適切なものを選び出す”という主知的な作業をする余裕がなくなるのではないでしょうか。

とことん架空で、虚構で、一般性も具体性も希薄で、それゆえに人の心をつかみかき乱してやまないものには、“長く使われ読まれ親しまれてきた、力のある言葉”はかえってふさわしくなかったのでしょう。

“萌え(る)”という言葉は、いまだに月河には未消化ですが、このこなれにくさこそが“萌え”の本質なのかもしれません。

麗わしき鬼』、悠子がお腹の子を失ったショックで、洵子の言葉の真意(=私たちは異母姉妹)を知らぬまま失踪し、CM明けて一気に12年経過。眉川の先代夫妻はすでに亡く、「お義母さんも晩年はすっかり打ち解けてくださって」なんつって啓子さん、ちゃっかり英矢の3人めの奥さんにおさまってるし、連れ子の太郎は医者にしてるし、女史メガネやめてコンタクトにしてるし、なんだかひとわたり見る限り状況は万事啓子の思うツボになってますよ。

みちる、洵子、啓子、太郎が喪服で揃った食卓で「我が家はまぁ他人の寄せ集まりのようなものだけど、こうして家族としてまとまって、おふくろの葬式を出し親父の法要を一緒にできたんだから、結構なことだと思わなくちゃな」と英矢。中島脚本はとかくトンデモ台詞の印象が先行しがちですが、昨年の『偽りの花園』でもそうだったように、“家族の食卓”シーンでいろんなことをチョコチョコ総括して先に進めていくのも得意だと思います。昨年ならここで、三味線お婆ちゃまの乱入が恒例だったけど、今年はまだそういう飛ばしはなし。

洵子も一人前の産婦人科医師に。悠子が消息を断った後、振り切るように勉強に打ち込んだのかな。小児科医師・水上が洵子に関心を持ってる様子。同僚とは言え院長令嬢で跡取り娘ですからね。狙わない手はないよね。『555』以後、動いて喋ってる唐橋充さんを『さんま御殿』以外では初めて見ました(懼)。『555』ではライダーズの敵怪人兼ズッコケ担当でもあったので、声のキイかなり上げてたのね。キャラとしてはオルフェノクより今作のほうがブラックそうです。

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変身…できない

2007-05-16 00:45:54 | アニメ・コミック・ゲーム

週刊新潮の写真コラムなどで知られるエッセイスト故・山本夏彦さんが、「言葉の選択に迷ったとき、古くからある言葉と昨日今日流行り出した言葉とだったら、私は必ず古くからあるほうを選ぶ。先人の時代から使われ読まれ親しまれて、時代の変遷に耐え生き残ってきた言葉のほうが力があるから」という意味のことを書いておられたことがあります。「生き残れずにすたれた言葉も、ときどき思いつきで復活させてみる」と付け加えていたことも。

「文に新しさを出そうとして、その時の流行りの語彙や言い回しを使うと、そこから文は古びる」という言もあったと思います。

月河は、ファッションや食べ物はともかく、読み物や言葉に関しては目新しいもの浮わっついたもの基本的には大好きなのですが、ときどき山本さんの、これら一連のフレーズを思い出すことがある。

いまいちばん切実な例をひとつ挙げると“萌え(る)”という言葉、耳にしたり活字で見かけたりし始めてからかれこれ10年近くになりますが、いまだに月河、この言葉を消化しきれずにいます。

他人が書いた文章の中にあれば、“大体こういうことを指しているんだろうな”と意味をとらえることはできる。しかし、自分で似たような意味合いのことを書く段になると、「ここは“萌え(る)”がピッタリだ」と思う場面がまず無いのです。

月河がいちばんコミック、アニメなど二次元世界に親しかった昭和40年代にはまだ成立していなかった概念、言葉だからかもしれません。

ある作中人物やキャラクターなり、複数のキャラクター同士の関係性なり、それを演じている役者さんなり、彼らの声やルックスなりに甘く危うく心揺らめくものを感じたとき、「惚れた」「ときめいた」ではいけないんでしょうか。「目がハートになる」とか。

やっぱり「萌える」でなければならないのかな。

生身の俳優やアーティストやアイドル、特に異性のそれに「ときめく」ときには、かすかにでも必ず「彼氏(彼女)にしてデートしてみたい」「同性の友人に見せつけて嫉妬させたい」「ハグ、キス…(以下略)その他親密な行為をしたい」…など、“彼(彼女)と接点を持つことで、自分のいま現在の生活を華々しく心湧き立つものに変えたい”という願望がひそんでいるものです。フィクションのキャラでも同様で、「○○のファンになっちゃった」と思いクチにするときには、たとえモンスターや無生物キャラであっても擬人化して「彼氏だったら」「夫だったら」の地平に翻訳して引き下ろす思想が一抹混じっています。

そこで月河は“萌え”=「“ときめき”から自分の実生活に結びつく要素を全排除した感情」ととらえることにして、“純粋鑑賞”モノを要さないフェチ(<フェティシズム)”などと言い換えることがあるのですが、違うかな。

たとえば、例がわかりやすいかわかりにくいかわかりませんが(ってこの時点ですでにわかりにくいが)、昨年の月河のメガヒットドラマ『美しい罠』で、沢木槐役を演じた高杉瑞穂さんにときめいた、というのは普通に“ファン”でしょう。以前の出演作を求めてネット検索しDVDやビデオを観て、「全然違う役を演じてもカッコいいし演技うまいわ」とさらにファン体温が高まっていく。「ナマで見たい」「イベントに参加して握手や記念撮影をしたい」「こっちを向いて声をかけてほしい」…こういう感情は“萌え”ではないと思います。

一方、高杉さんが他の作品でどんな役に扮していたかにはまったく関心がなく、ひたすら“沢木槐”という複雑な心理模様を持つキャラにはまるという角度の惚れ方もあり、こちらは若干“萌え”度が高い。

その中でも「類子になって槐の関心や視線を浴びてみたい」「類子でも澪でもない第三の女になって、槐を引っ叩いて諌め真っ当な人間に変えたい」あるいは「自分が槐になって素直に類子に真情を吐露したい」などと、自分と槐の生息空間を接続した空想をするのはあまり“萌え”でないような気がします。

槐に対する関心の寄せ方でもっとも“萌え”に近いのは、「類子や澪やその他あらゆる登場人物に向かう槐の感情すべてを忖度し逐一見守る」、そこから転じて「物語に描かれていない架空の状況(たとえば江戸時代、現代の男子校、大戦末期の日本陸軍など)に槐を放り込んで見て、どんな心理や言動をとるかを想像して、想像した光景や会話を鑑賞する」という態度ではないでしょうか。

さらには、『美罠』中の、槐より主役度が低く、あらかじめ“視聴者のときめき視線を得にくいように作られている”人物、たとえば川嶋さんや能瀬、女性キャラならば千津さんや編集者桑田などに上記のような関心を寄せたら、それはかなり高度で高密度な“萌え”ではありませんか。どうでしょう。

対象が架空であればあるほど、具体性や一般性が薄ければ薄いほど、かき立てられる情動の揺らめきが現実との接点を持っていなければ持っていないほど、萌え”度数は上がっていくらしい。…ならば“純粋鑑賞”でいいんじゃないかと思うんですが。

なんだか、“先人の時代から親しまれ生き残ってきた、力のある”既存の語彙でどうにかしようとして、かえって自分の表現の力なさを露呈してるだけのような気もしてきましたが、月河、“萌え(る)”と言う言葉の含むところは、好きか嫌いかで言えば圧倒的に好きなんです。「“萌え”なんて幼稚だ」「くだらん」てな方向に難癖つけようとはまったく思いません。

“萌え”の感情には何ら実用性がない、人が社会的生物学的に生存を続けていくことに全く資さない。だからこそ人間が持ち得る感情の中で最も尊いとも言える“無用の用”とでもいったニュアンスがありますから。

昼ドラと言えば『麗わしき鬼』、こちらは、主役も脇役もかなり“一般性ある催ときめき性”の低いキャラの集まりなので(←褒め言葉)、逆に“純粋鑑賞”の余地がたーっぷりあります。

明日33話からは一気に12年後に物語が飛び、ヒロイン2人も大人の女性に。今日の予告フラッシュからすると、貴重な“ときめき担当”?と思われる唐橋充さんが医師役で参入されるようですが、これで『仮面ライダー555(ファイズ)』のライダー側・オルフェノク側3人×3人はめでたく全員東海昼ドラ経験者となった…(半田健人さん>『愛のソレア』、溝呂木賢さん>『新・風のロンド』、芳賀優里亜さん>『美罠』、泉政行さん>『冬の輪舞』『偽りの花園』)と思ったら加藤美佳(よしか)さんが唯一まだ昼ドラバージンでした。年齢的にそろそろ昼の空気感になじむお年頃のはず。『555』での最期のシーンは悲しくも衝撃的でしたよねぇ。ぜひカモン。お待ちしています。

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えぇ根性四天王

2007-05-15 00:05:26 | アニメ・コミック・ゲーム

気がつけば4月スタートのTVドラマ、週一モノで録画視聴続いているのは『美味(デリシャス)學院』(月17:30~)だけになってました。

在宅できたとしてもこの時間だと夕食の支度で100%リアルタイム視聴は不可能なんですが、就寝前巻き戻して見るのにちょうどいい腹ごたえなんだな。深夜ドラマからエロ、グロ要素を引き算した味とでも言いますか。

スタート当初は学芸会チックだった生徒組も回を追うごとにキャラ立ってきたし。中でもメガネの先輩・南郷が最近おもしろくてしょうがない。演じる中村優一くん、『仮面ライダー響鬼』の桐矢京介役と同一人物とは思えないはじけっぷりです。桐矢はあらかじめ嫌われ役設定だった上、シロウトが見てても明らかな、企画迷走による急造キャラで、ただでさえ演技経験の少ない優一くん、「どういうキャラだよ?」「NG出ませんように」という手探り感、ビクビク感が画面からも伝わってきて気の毒なくらいだった。ビクビクやってる嫌われ役って、そりゃ切ないよね。

今作は一転、声は出てる、腕は振れてる、もう観てて気持ちいいくらい行き切ってます。5話の女子部交流会篇以降おしゃれ秀才くんメガネに変わっちゃったけど、お笑いビン底メガネも似合ってました。今日の7話をまとめると、要するに南郷先輩、三条アゲハと男子校妄想、両刀イケるヤツなのか。決めポーズで両手に鉄板焼きゴテ持ってるのはそういう意味なのか(なわけないか)。

昨夜は『NHKアーカイブス』で86年放送のNHK特集『手塚治虫・創作の秘密』を開始15分後頃から出会いがしら視聴。

86年と言えばプレ・バブル期、コミック雑誌の発行部数もまだ右肩上がりだったのではないでしょうか。パーティー出席中や移動の乗り物の中でも連載原稿書くようなすさまじい過密スケジュールで、「(書けた分だけ編集者に渡して)あとはアレ、あの…なんだっけ、コピーじゃなくて…」と“ファクシミリ”という単語が出てこないマンガの神様。

小学校4年ぐらいまでは結構マンガっ子だった月河ですが、手塚作品はあんまり絵柄が好みではなかったのか、『鉄腕アトム』ぐらいまでのお付き合いで自然に卒業、さほど熱入れて追いかけ読み込んだ記憶はないものの、手塚さん、28年(昭和3年)のお生まれで、この番組が放送されてから3年後の89年に60歳で亡くなっておられますから、ご存命ならば今年79歳。さすがに連載複数本バリバリとはいかないでしょうがじゅうぶん現役で描いておられてもおかしくない年代なだけでなく、月河にとってはドンズバ親世代。

同じ漫画の世界で言えば、96年に亡くなった『オバQ』『パーマン』の藤子F‐不二雄さんが33年(昭和8年)生まれ。04年にいかりや長介さんが72歳で亡くなったときにも思ったのですが、月河世代が幼児~小学生の頃に見聴きしておもしろいこと、楽しかったものを一生懸命に作ったり書いたり演ったりしてくれていた人たちは、みんな親世代なんですね。植木等さんも26年生まれ、ちょっと上になるけどほぼ同年代。伯父伯母世代かな。

しかも、こう言っちゃなんだけど、それぞれの世界のパイオニアとして人跡未踏の地を開墾した人、ひとつのフィールドにとどまらず多角的に、いい意味で欲張った活動をした人ほど早世したり、一線を早くに退いたりされているような気がする。

こう考えてくると、自分は自分の子世代に、何を与え、遺してやれるのだろうと、一瞬(一瞬かい!)複雑な気持ちになります。

気がつけば『美味學院』出演中の優一くん、AAA(トリプルエー)メンバーらは軒並み18~20歳、めいっぱい息子世代ですぜ。どうしてくれよう。親世代の月河が、コイツらのマンガドラマ録画して深夜ウケてる場合ではないではないか。

来週から、上から目線でダメ出しメールとか送ってやるか。「おもしろくない!」「もっと壊れろ!」なんつって。DVDも買って細かくチェックしてやるか(結局見たいんかい)。

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川上王女亡命す

2007-05-13 18:02:52 | テレビ番組

00年と01年の2回、当地で行われたNHK『BSマンガ夜話』の公開収録を観覧したことがあります。放送は収録から一ヶ月ほど後になるのですが、3夜~4夜連続の1夜めに地方公開収録の回が放送されると、続く2夜めからのいつものスタジオ生放送の空気が、微妙に違うんですよね。司会(当時。いまは?)の大月隆寛さん以下、レギュラーパネラーのいしかわじゅんさん、岡田斗司夫さん、夏目房之介さん…と平均年齢結構高いメンバーだったのですが、ギンギンにとまではいかないけど、ふわっとテンションが高いんですよ。声もいつもより出ていたような。ふだんスタジオにこもって、FAXやメールで視聴者からのリアクションを受け付けながらとは言え、やはり会場でお客さんのナマの声や表情に接しながら番組をやってみるという経験は心理的に大きな刺激になるんだなと思いました。

こちらはもう20年ぐらい前になりますが、月河、ローカル局の情報番組でTVショッピングコーナーを2回ほど担当したこともあるんです。「ハイッ今日ご紹介いたしますのは、当店の特選、これからのお出かけに最適な○○です(ニカッ笑い)」とか言うヤツね。

名前テロップ付きで顔出しでTV出演したのはあれが唯一にして最後だと思うんだけど、まぁそれはともかく、TVのスタジオって薄暗いがらんどうの空間の、一隅にだけお洒落なしつらえがほどこされ、ライトが煌々と当てられて、独特の虚飾感、人工的閉塞感がありますね。目の前にカメラはごっそりこっちを向いているのに、自分が話しかけている不特定多数のお客さんの顔はひとつも見えない。月河はいつもコーナー担当してる先輩のピンチヒッターだったから、見るものすべてが面白かったけど、ああいう空気の中に毎日居たら、自分が言ったことに目の前の人たちが反応してくれるというナマな空気が新鮮で、お祭りのように感じられるのはわかります。

低空飛行というか不時着寸前だった『着信御礼!ケータイ大喜利』(12日24:10~)にもそんな“お祭り効果”がありました。GW中に、渋谷のNHK本丸でファンイベントが行われたんですね。オオギリーガー認定の常連さん3人ともご対面ができて、ハンドルネーム○○さんはドコ勤務とか、男子とばかり思ったら女子だったとか、レギュラー陣にも愉快なサプライズだった模様。おかげで板尾創路さん、千原ジュニアともに、ネットに喩えれば“軽い”のなんの。目の輝きからして違うし、サクサクサクサク。よほど嬉しかったんだろうなぁ。スタジオ、ずっとどよーん、モヤモヤだったもんねぇ。唯一イベント出席してなかった今田耕治さんが「行きたかったなぁ」「夏のSP(←もう決定?)はバケモンさんも来てもらわな」などと持ち上げて、いやがうえにもテンション浮揚。

しかも今回、神風が吹きましたよ。阿藤快さん、ご本人降臨。「旅番組、“今日はやる気ないなぁ~”何を言った?」…メジャーリーグ戦とは言え、三本続出も道理。これ、設問がスマッシュヒットですもん。ものまねのホリの「○○さんが絶対言わないこと」→武田鉄矢「あーあ、みんな死ねばいいのに」中尾彬「お掃除終わりました」の発想でいける。こういうピリッとした問題作りができるなら、何でもっと早くやらなかったんだ。

しかも、阿藤さんの読みが抜群、て言うか神ワザの域。ネタに“(笑)”ってあったら、本当にヘラヘラ声出して脱力笑いしてくれる。いままで何度かフィーチャーされた声優さんたちも頑張ってはくれたけど、やっぱりナマ放送のカメラマイクを相手にすると、顔出し生身立ち回りで曝されてきた役者さんのほうが圧倒的に有利ですね。もう、頭の中で「自分が絶対言わないことを言うとしたら?」というイメージができて読んでる感じ。役者キャリア云々じゃなく、阿藤さんの人徳かもしれません。ネタに入る前の今田さんの「たまには(リアルに)“やる気出ぇへんな”いうことありませんか~?」に「ないですね!」とキッパリ答えてくれたから、その後読むネタがより光った。

最後の問題「10文字作文」でまた軽くどよーんとしかかったけど、阿藤効果の余波でなんとか盛況のうちにフィニッシュ。本当に、TV番組ってバケモン、いや生きモンなんですね。今回で、スタッフも相当インスパイアされたんじゃないかな。次回の生放送は6月16日とのこと。月河は携帯持ってないので、もちろん投稿参加はできませんが、こういう“ROM”の視聴者が観て面白い番組になるかどうか、こそが大事。神風も二度はないはず。次が正念場です。

今日の競馬はヴィクトリアマイル。この時期、個体差あるけど牝馬はフケまくりなんで、荒れることはわかっていたんですが。

アサヒライジングはやっぱりハナ切ってこそ絵になりますが、左回り、特に東京に強い柴田善臣大先生、もーちょっと粘らなきゃいかんだろう。若輩松岡ごときに差し切られてどうする。松岡くんは、来週オークスのマヤノトップガン産駒ハロースピードにツキをとっといてほしかったけど、GⅠジョッキーになって見えてくるものもあると思うので、ここからの覚醒に期待しましょうか。

スタート後手のカワカミプリンセスは、久々でマイルの流れに戸惑っていた感もありますが、幸四郎くんの手の内にまだおさまってない感じ。馬が、屋根舐めてるだろう。キングヘイロー産駒なので、一度福永祐一くんに乗ってみてほしいな。でも祐一っちゃんにはGⅠパートナー・フサイチパンドラがいるから牝馬限定戦で差し合ったら捨てられないだろうし。今度こそ繰り上がりでない1勝をプレゼントしなきゃいけないし。モテ男はつらいね祐一っちゃん。昼ドラみたい。

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オレ困ッテルゼ

2007-05-12 18:49:56 | テレビ番組

TV全国放送で披露する喋り芸において、“訛(なま)ってる”というのはどう考えてもマイナス要因であって、矯正すべき欠点であるはずなのに、“関西出身芸人の関西弁”に限って黙認され、むしろ“おもしろさを増す要素”として全国的にプラス視されてるのはどういうことなのだろうと、つねづね思っていました。

やはり“関西”ではなく“上方(かみがた)”と呼ばれていた時代からの、芸能文化の歴史と伝統の厚みなのか。

『爆笑オンエアバトル』(11日24:10~)のU字工事を見ていると、お笑いと訛りの関係をつい考えてしまいます。カントリーなフェイスに紅白のスーツ、記号的な“田舎っぺ”ぽさを全面に打ち出したヴィジュアルに「~だっぺよ」の栃木弁。面白いことは面白いんですけど、どうしても「栃木弁じゃなかったとしたら、この漫才、本当に面白いだろうか?」というところに思いが到ってしまうんだな。

たとえば、80年代後半の伸び盛りの頃のダウンタウンや、オンバトチャンプ時代のハリガネロックには、関西弁をぜんぶ取っ払ったとしても爆笑だろうという勢いがあった。U工、どのネタを何度見ても、“訛ってるがゆえの可笑しさ”にとどまってる感じがするんです。ご本人たち、これで満足してるんだろうか。

あと、“田舎”をギャグにするのはアリとしても、“農業”までやっちゃっていいものか。「ビニールハウスのビニール剥がすぞ」「イチゴの成長止まっちゃうべよ」で場内の笑いが聞こえたとき、自分や家族が汗水流してやってることを笑われてるような気がして、自分も笑いながらちょっとうそ寒くなってる農家の視聴者っていないかしら。…この時間なら、朝の早いビニールハウス農家はみんな就寝してるかな。

この日はチャンピオン大会以来のラバーガールの新ネタが目当てで観ましたが、ボケの長身大水が、身体的に結構動けることはわかったものの、ツッコミ飛永はいつもシラっと系の無表情なのが売りなので、こういうネタでは顔のリアクションがもうひとつ。大水ヒモ持って登場がつごう4回あり、飛永はその都度テンションを徐々に上げて、終盤の「もっとのけぞってー!」のノリノリ協調に到達したほうが盛り上がったと思うのですが、序盤一貫して同じ「え~」半笑いだったのがもったいなかった。案の定377kbと低調でしたが、それでも5位に食い込んでオンエアされてしまうのは、強運というより底力でしょう。次ネタに期待。

ダイアンは終盤の「何度でも来るよ、これが仕事だからね」のリフレインに入ってからは面白かったけど、2人とも表情が硬い、て言うか怖いせいもあって、その軌道に乗るまでがもたつく。チーモンチョーチュウは発声も、動きもまだもにょもにょしていて、学生のコンパ漫談のレベル。

そうなると、最高kbはやっぱりレム色でよかったということになるのかなぁ。回文ネタそのものよりも、こんなんでも回文として成立するか?という「借りろすごいゴスロリか」「サイたちまち大佐」などを強引に成立させてしまう小芝居部分が2人うまくなってきていますね。助走部分での青色唐沢の「プロテインか」「異種格闘技戦か」がタカアンドトシのパロみたいで笑えました。トレンドは取り入れてる、ってところか。月河は「寒天炎天下」への「固まらねぇよ」が軽くツボだったかな。「…ねぇよ」の後、無音でクチビルが「…バカ」と動いてましたね。

小芝居がほとんど無言のパントマイムで「何やってるんだろう?」と思わせて「碁石なし囲碁」を出し、それだったか!となる笑わせ方も結構好き。「嫁のタンメン頼めよ」の絵の、北斗晶をモデルにした(決定か)嫁、旦那が顔突っ込まれたドンブリから溢れた汁がしっかり醤油色に描いてあるのもよかった。この人たち、もうムリヤリな回文マンネリだろう、ネタ切れするだろうと見るたび思うのに、出てくるとオンエアされてほしいなと思ってしまう。その都度「ここがこう変わったな」と意識できるレベルでなくても、やはり、さりげなく進化しているんでしょうね。

本日の東京競馬場メインは京王杯スプリングカップ。ヤマニンゼファーが92年に3着に入って飛躍のきっかけをつかんで以来、月河にとって中央重賞で一二を争う思い出深いレースです。95年はビコーアルファーを追いかけて、それこそゴール前気絶しそうになって2着複勝1,010円なんてこともあったっけ。

しかし改めてじっくり見ると、東京芝千四百、いかにも直線が長い長い。千六百より長い気がする。贔屓のマヤノトップガン産駒で頑張る8歳・プリサイスマシーンを温かく見守ってみたものの、なんと初っ端から2番手付け。こういう馬にこういう乗り方されると、直線500メートルどころか、500万光年ぐらいあるような気がするね。坂下で撃沈。

昨年1着、一昨年2着、ここ得意なはずのオレハマッテルゼが3着止まり。勝ったエイシンドーバーがレコードだから仕方ないとは言え、2着は死守してほしかった。安田記念どうする?ってこの馬、昨年も一昨年もこの後の取捨悩んだような気がするなぁ。悩んで、結局来なかったんだけど。もう、いまから決めちゃうか。晴れ良なら切る。切るったら切る。

渋ったら…一応体重見てから決めるか。あと屋根と(→ここで記事タイトルへ)。

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