オセロ中島こと中島知子さんのマンション家賃滞納提訴の話題で、意外にも大家さんとして本木雅弘さんのお顔がスチールで何度もTVに映ったので(しかし、あのモッくんがマンションオーナーになっているとは軽い驚きでした。“豪邸を建てて自分が住んでいる”じゃなく、“(一時にしろ)売れっ子の芸人が入居するようなマンションを所有して家賃収入を得ている”というのが)(だいぶ前、木村拓哉さんと工藤静香さんが結婚前写真誌に撮られたのが、武田鉄矢さん所有の種子島の別荘でだったと知った時に似た、“にわかに嚥下し辛い驚き”です)、否応なく、2ヶ月も前に終了した『坂の上の雲』第3部の失速を思い出してしまいました。
何だったんだろう、あの急激な色褪せ方は。2009年初冬、サラ・ブライトマンさんの澄明な歌声とともに始まった、主人公3人(秋山好古・真之兄弟と正岡子規)が紡ぎ出す“近代日本の青雲期”はどこへやら、なんだかえらく大掛かりな戦争史実再現ドラマに堕してしまった。昨年の第2部で、途中から横入りのように本木さん扮する真之の好敵手キャラとして参戦した広瀬中佐(藤本隆宏さん)が留学先ロシアで恋バナ咲かせたりし出した頃からちょっと空気がおかしくなってはいたのですが。
ドラマ、特に長期間多話数にわたる連続ドラマの場合、良いドラマには必ず、「人物と一緒に生きた」「人物と時間を共有した」という感慨があるものです。最終話の後は、たとえ死没エンドでなくても「もうこの人物に会えないと思うと淋しい」と思うもの。駆け足の接ぎ剥ぎ映像とナレーション説明で語られた秋山兄弟の最期には、本当に自分でも意外なほど名残惜しさを感じられませんでした。
第2部の前半で病没した子規(香川照之さん)には感じたけれど。香川さんのリアルな減量熱演もあって、名残惜しいよりも「もう見ていたくなかった」「逝ってくれてホッとした」ほうが大きかったかな。
いまさらですが、11ヶ月間隔が空いての4週連続放送を3年がかりで、という“リズムに乗れなさ”も、ドラマ的感動を呼び起こすについてはあなどれないマイナスでした。第2部・第3部開始前にはBS“記憶回復おさらい再放送”を設けるなどNHKなりに視聴者フレンドリーを心がけてくれてはいましたけれどね。ドラマとして“つれない”ですね。その場その場の映像の巧緻さやスペクタクル性にはある程度前のめりになれても、人物に惚れ込めない。喜怒哀楽をともにできない。
その点、19日に感動の最終話を迎えた『海賊戦隊ゴーカイジャー』は人物と一緒に生きさせてくれたなぁ。いやー生きさせてくれた。この1年、たぶんゴーカイジャー諸君諸姉も、ザンギャックの野郎どもも、たぶん地球時間に付き合ってこっちと一緒に1年を走ったのだろうと思いますが、ガレオンの背中(て言うか艫)が本当に名残惜しい。テープとか投げたくなる。ハカセ(清水一希さん)がヘンにたくましくなったり、鎧(池田純矢さん)がヘンにお行儀良い子ちゃんになったり、ルカ(市道真央さん)がヘンに母性にあふれたりしなかったのが気持ちよかったし、ゴーカイレッド=キャプテン・マーベラス(小澤亮太さん)は近年のスーパー戦隊でも屈指の“終始ブレないレッド”だったのではないでしょうか。
ドラマが、たとえ史実や実話に取材立脚したものであっても基本“作り話”である以上、観客にお話に入っていってもらうにはとにかく「人物に惚れてもらう」「“この人物・キャラをずっと見ていたい、時間をともにしたい”と思ってもらう」ことが第一です。やはりスーパー戦隊は、永遠にドラマ作りの教科書、スタンダード、規範であるなあと思う昨今です。
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