最近、夜、帰宅後の時間帯、昼録の再生チェックに入る前に何となくTVをBS‐2に合わせています。他チャンネルがスポーツニュースしかやっていない時間だし、一時期イキのよかった深夜のバラエティも、面白いなと思えた番組は次々ゴールデンに引っ越して、いまは低調期のよう。
昨夜はNHKBS‐2『怪奇大作戦セカンド・ファイル』(24:00~24:45)を開始10分頃から出会いがしら視聴。
1968年(昭和43年)円谷プロ作品のリメイクであるこの番組、BSハイビジョンで先行放送されているのはNHKオンラインのサイトで知っていましたが、ウチのボロテレビは当然ハイビジョン契約してないし、それに、オリジナルをリアルタイム観てきた者(当時小学生坊主)から言わせてもらうと、いまいち心惹かれないタイトルなんですよ。“セカンド”も“ファイル”も余計なんだな。
リメイクも“ファースト”があったのかしら。それはともかく、“怪奇”に“ファイル”が付くと、どうしたって『銀狼怪奇ファイル』を連想してしまう。見てなかった月河でも連想するんだから、銀狼のコアなファンならもっと連想するんじゃないかな。
まぁ、そんなのは『富豪刑事』“デラックス”や『お荷物小荷物』“カムイ篇”ぐらいの些細な接尾辞だということで(喩えの年代が極端だが)、大目に見ましょう。
オリジナルで岸田森さんが扮した、この作品の看板ヒーローたるクールダンディ・牧史郎役は西島秀俊さん。うーむ。この時点でだいぶオリジナルのファンから駄目が出そうだなぁ。
勝呂誉さんが演じた、美女に弱いスポーツマン三沢が、なんとココリコ田中直樹さん。じゃあ車マニアでさおりちゃんLOVEの最年少・野村は遠藤…にしては背が高いぞ?と思ったら青山草太さんでした。どうなんでしょう。判断留保。その仮想お相手小川さおりちゃん役はまだ子役子役していた小橋玲子さんとは180°タイプの異なる、バタくさい大人顔の美波さん。
的矢所長役・岸部一徳さんだけが、この人にこの役ふってよかったなぁと心から思わせる独自の存在感を発揮していました。たぶん岸部さん、昭和43~44年頃はGSブーム真っ只中、ザ・タイガースのリーダーとしての活動に忙しくてオリジナルの放送を一度も観たことがなく(想像ですが)、それが逆にプラスに出ている感じ。
3夜連続の1話『ゼウスの銃爪』は、衛星マイクロウェーブ爆弾の応用で携帯電話を受信点にし、着衣のまま人間を焼き殺す…という犯罪がお話の本筋。さすがハイビジョン撮影だけにうちのボロテレビでもわかるくらいきれいな映像だし、特撮もスマートなんだけど、一言で言うなら『怪奇大作戦』ってタイトリングする意味ないだろ、これ。どっちかと言うと、『X‐file(ファイル)』のノリに近い。
確かに時代が現代に移しかえられているだけで、捜査主体はSRI。役名もキャラづけもオリジナルと一致してはいるんだけど、一番大切な「(SRIのイニシャル“S”にもかかげられている)Science(科学)を、“怪”にも“奇”にもするのは、人間の内なる悪意・欲望・妄執である」という物語の根幹思想の表現が、あまりにも弱い。
1話では死の電磁波をパソコンの音楽ソフトで操作する少女(『偽りの花園』ひかる役を好演した寉岡萌希さん。“昭和のひたむき努力家顔”で、演技力的にもここはナイスキャスティング)が犯人というショッキングな帰結でしたが、彼女が不条理に命を落とした人々に感情移入して「私も生きていない人と同じ」という心理になっていく過程の説明が、NHKですからCMなし正味放送時間45分もあるにもかかわらず超駆け足過ぎて、はっきり言ってワケわからないわけです。
少女が牧に思慕に近い信頼を寄せていたこと、牧の父の形見であるライターが少女の自爆を間一髪救う結末など、物語としての語り口もメロドラマチックで、オリジナルとは似て非なるどころか、似てすらいない。
アポロvs.スプートニクの宇宙競争のニュースに親しんだ昭和43年当時の小学生にとって、“科学”は奥深く、不可解の処女地を広く残し、無限の可能性を持つがゆえに、あらかじめ“怪奇”に限りなく近接したものでした。
『怪奇大作戦』はそこに“人間の負の感情”という火薬を投じて物語を発動させたからこそ、小学生だった視聴者が中年になっても語り継がれる名作になったのです。
40年後の現在、当時の科学の不可解領域はかなり開拓されましたが、その代わり、科学で人間の幸福と安楽のために作り出されたあらゆるツールが、あらゆる悪用の可能性を持ってしまった。
国威発揚ではなく、地球人類の福祉と平和のためでもなく、個人の日常の欲求充足、快楽のために“科学”を使うことがオッケーになった以上、「こっちの快楽はいいけど、あっちの快楽はダメ」と言うことはできない。その中に他人を傷つけ害する要素が含まれていても、“科学”は使われ、消費され、再生産され、より高度に進化させられ続けるのです。誰もそれを止めることはできません。
キャストの誰某が、オリジナルと似ているいない、イメージが違う等は瑣末な問題です。特撮がいかに高度で洗練されていても、それ単体ではもう全然新鮮ではない。それより“セカンド”と付けようが付けまいが、『怪奇大作戦』をタイトルに冠するなら、“科学“と人間精神の暗部との関係、組んずほぐれつ上になり下になってときに支配し支配される相克、葛藤をこそ正面切ってドラマにしてもらいたい。
思い返せば92年、マンションにBSアンテナが設置され、ボロテレビなりにBS視聴可能になって間もなく、同じBS‐2でオリジナルの『怪奇』が放映順時系列で深夜に放送されていた時期がありました。NHKBSスタッフの中に、この作品によほどシンパシーを持つ人が多いのでしょう。
人間の叡智、知性で発展して来たはずの科学が、同じ人間の、叡智と対極にあるものによって増幅されコントロールされる矛盾。民放のフジテレビさえ12年前に『沙粧妙子・最後の事件』をあれだけに作り上げました。NHKの底力はこんなものではないはず。
ひょっとすると、オリジナルが深夜再放送されてた頃からいままでの15年ほどの間にNHKの当該スタッフも総取っ替えされて、いま手がけているのは『X‐file』シンパ世代ばかりになっちゃったのかな。ま、2夜以降も観るつもりですけど。
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