こういう加害者に、「厳罰を」と願った場合、いったいどうするのが適正かつ過不足のない、きっぱりと納得性のある“厳”罰と言えるのでしょうか。
・・・・・今年4月19日の午後は出先の待ち時間で、共有スペースのテーブルで遅めの昼食をとる人、早めのおやつの人たちも混じって、なんとなく正面の40インチのテレビを見ていた記憶があります。
チャンネルは日テレ系の『ミヤネ屋』だったのかな?東池袋の現場レポート映像が流れていましたが、まだ事故の全貌がつかめていなくて、正味のところ何人怪我して搬送されて、死亡確認されたのは何人なのか、事故起こした張本人の運転手は何処の誰で生きているのか、自分も死亡したのか等々、人的な情報をまだ集めきれていなくて、引き取ったスタジオでもどうアンカリングしたらいいのか戸惑っているような放送だったと思います。
待ち時間のテーブルでながら視聴のこちらでは、「白昼で明るいし、いい天気っぽいしスリップとか有り得ないから、薬物でラリッたやつか?」「テロか?」なんて言っている人もいました。
当地は地方なもんで、東京の都心にほど近いところでの大きな事故映像が来ると、とかく、むやみに「テロ?」視しがち。それは認めます。当時は6月に大阪サミットなんてのも予定されていまして、そっちに注目が集まり保安警備資源も偏ってるタイミングを狙うなんてのもありそうだし。
だんだん捜査が進んできて、“張本人”が、八十八歳のご老体の運転する乗用車で、軽傷で搬送されたご本人の事情説明の言葉からしてどうもブレーキとアクセルの踏み間違いらしい・・とうすらぼんやり判明してきたときは、不謹慎ながら「またかよアチャー」と思いました。高齢者の運転問題、ここ何年もずっと通奏低音のように巷間問題視され続けているのに、いざ人身事故が起き、なまなましい映像が流布してからじゃないと焦点が合って来ない。この辺り、夏休み時期に俄かに多方面から火の手があがった“煽り運転”事案群と似ています。
昭和の耐久消費財3K、“Myカー”ブームから半世紀余り。クルマを持つということの敷居が下がり、誰もがハンドルを握り、街に海に山に繰り出して行けるようになった世の中にも、勤続疲労と耐用年数超過の季節がやって来たということでしょう。昭和30年代~40年代初期に、胸ときめかせて自前のキーを初めて持ち、恋人や友人をこぞって乗せて鼻高々だった若者たちも、すでに視力低下や動脈硬化や神経痛をかかえる認知症予備軍です。
この事故では痛ましくも3歳のいたいけない女の子と若いお母さんが犠牲となり、一度に二人の家族を失ったお父さんが中心になって「加害者に厳罰を」の署名が39万筆超を集めたと、9月にも報じられていて、被害者遺族の心情を思えばさもありなんですが、なにしろ加害者八十八歳、パーキンソン症候群とやらで両杖でも歩行おぼつかなく、カメラの前での受け答えも失礼ながら完全に的をはずれていて“空気が読めてない”の域ではなく、よくこんなボケボケで(詐病の疑いは拭えないものの)車運転してたよなア、させておいて同乗までしてた家族もどんだけ無神経だよという映像を見るにつけて「この人をどうすれば、『よっしゃ“厳罰”に処したった』と皆で溜飲が下がるのだろうか」と疑問に思ってしまいます。
亡くなられた方々には本当にお気の毒ですが、あらかじめ殺意を持っての計画殺人ではないから極刑にはならないでしょう。重大な過失致死、しかも危険運転という視点で考えれば、どう厳しく見積もっても懲役○○年とかいう“実刑”判決がせいぜいです。
しかし八十八歳、放っておいても数年から10年程度以内に自然死待ったなしな年齢で、すでにあの通りヨレヨレのボケボケです。刑務所に収容したってろくな役務なんかできるわけがない。むしろ所内での介護の手間と費用がかさむだけです。
しかも、この人の運転を許して黙認していた怠慢きわまりない家族が、この人の服役によって、将来から終身“介護免除(=刑務所にまる押っつけ)”されるのは返す返すもオモシロクない。
不注意か驕りか甘えか、とにかく途方もない不心得で罪なき母娘の命を奪い、ご家族の平和な日常及び将来を潰した重大な罪状を、この人に応分の痛みとして叩き込むには、どういう刑の与え方が“厳”罰と言えるのでしょう。
母娘にお父さんも加わった、事故前の日々の団欒の動画など見せられると、「加害者が残りの一生、楽しい事も心浮きたつ事もいっさい無しの真っ暗な日々で終わればいい」なんてこちらも真っ黒な、鬼の様な気分になるわけですが、鉄格子の独房に押し込んだところで、どのみちクルマが無く付き添いの奥さんなり付かなければ、シャバの自宅でもお出かけらしいお出かけもままならないに決まっているご老体です。結局はぬくぬくと三食介護付き、おそらくは散歩やリハビリ入浴付き、体調のいいときだけ軽作業・・の刑務所生活になるはずで、それで“厳”罰に処したと言えるのだろうか。理不尽に家族の命と団欒の幸せを永久に奪われたご遺族が納得できる結末になるのか。
・・月河家内では、まぁいろいろ差し障りがあろうかと、高齢組抜きで、非高齢家族とだけ会話して、結構まじめにあれこれ考えたのですが、どうでしょう、こんな刑法が日本には令和元年の現在無いだろう事は承知の、純粋な頭の体操として、“資産の没収”というのは。
報道によると中央官庁の要職にかつてあった人らしいし、現在の年齢に至るまでの間に、慣例に則って複数回の天下りと、その都度の退職金を受け取ってかなりな資産をお持ちのはずです。まるはだかのカラッケツにならない程度にこれらを削り取って国庫に納付せしめる。これは、加害者のいままでの数十年にわたる人生の職歴キャリアや、それに伴って営々と築いてきたであろう名声や人望の相当部分を、処罰としてメリメリと剥ぎ取ることですから、かけがえなき命と将来を理不尽に奪われた方々の痛みに、完全には釣り合わなくてもかなり比肩させ得るのではないでしょうか。
最低でも、実質“刑罰”の体をなさない有期懲役刑の実刑なんかよりは“痛み”を搭載していると思います。
すでに、こういう事態を想定していなくても普通の高齢者の相続対策として、配偶者や子女に贈与したりして本人名義の資産は圧縮済みかもしれませんが、そこはそれ、この人の運転を黙認という“不作為の罪”が家族にもしっかりあるのです。天網恢恢疎にして漏らさず。速攻動け法改正に。超党派で。『桜を見る会前夜祭』ごときでやんややんや盛り上がってる暇はないですよ。
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