(前項から続きます)
『ルビーの指輪』(BSトゥエルビ、12月26日放送終了)を見ていて、また終わってからいろいろ考えていて、だいぶ前に放送された『相棒』Season12の、カイトくん時代の或るエピソードを思い出しました。“整形手術で外観(こちらは全身ではありませんが)を変える”という事が重要な意味を持つ点で、『ルビー~』と隠しトンネルでつながっているような話です。
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・・・情報倉庫(クライアント企業の機密書類を保管)会社に勤める大野という青年が、アパートで首吊り自死に偽装した絞殺体で発見された。検視の結果、鼻や顎などにかなり巧緻な美容整形術が認められたが母親は心当たりがないという。学生時代から最近までの顔写真を借りて時系列で並べて見ても、杉下もカイトもさっぱりわからない。
一方、アパートで遺体の第一発見者となったキャバクラ嬢が一時大野をストーカーと思って元交際相手のチンピラに追い払わせたのがきっかけで、大野はチンピラに慰謝料の名目で再三、金をせびられていたことがわかる。恐喝から逃れるために顔を変えたいと望んだのか?
勤務先の会社の受付カウンターに上得意の有名美容クリニックのカレンダーがあったことから、特命係は写真を女性院長に見せる。院長は大野は患者ではないと言い、写真を見て整形と言えなくもない箇所を指摘はしたが「写真ですぐにわかる様な施術は患者は望まない、美容整形は他人のためではなく自分に自信を持てるようにするために行うもの」とすげなく退けた。
杉下は大野の靴箱に、一足だけ履き方のクセやソールの摩耗方向の違う革靴を見つける。明らかに大野のものではない。イタリアブランドの限定モデルだったため購入者リストがあり、自家経営のクリーニング取次店で働く真奈という若い女性が、近隣の幼なじみの青年・児玉に彼の母親とともにプレゼントしたと話してくれた。
真奈とともに児玉の実家を訪ね、若手バリスタとして青山のカフェからイタリア研修中だという彼の連絡先を訊くと、なぜか母親は言葉に詰まり顔を曇らせる。母親は傍らの真奈に謝り、「イタリア研修は実はウソ。三か月前に些細な事で口争いになったのがきっかけで、家を出て行ってしまった」と打ち明ける。
杉下は児玉の実家の仏間に、二年前に亡くなったという祖母の遺影はあるのに同じく二十年前に事故死したという児玉の父親のそれが無いことに注目していた。真奈に頼んで母親に内緒で昔の写真を探してもらい、生前の父親の顔を確かめると、杉下は得心が行く。
児玉の父親は日常的に、妻である児玉の母親にも、児玉自身にもひどい家庭内暴力をふるっていた。仏壇に遺影の一枚もないことが記憶の辛さを物語る。その父親の容貌に、近年の児玉は瓜二つになってきていた。三か月前に母親と言い争い中激昂して卓袱台を叩いたとき、児玉は母の表情に激しい恐怖を見た。自分が幼い頃、父に暴力を振るわれていた時の母と同じ表情。自分のこの顔が母を怯えさせている・・。そう思った児玉は家を出て整形を受け顔を変える決心をしたのだ。
カイトが母親から借り受けた児玉のヘアブラシから検出されたDNA鑑定結果が裏付けとなる。大野のアパートの絞殺体は大野ではなく、大野そっくりに整形した児玉だった。では本物の大野はどこにいる?また、児玉はなぜ顔を変えるにあたって大野の顔に似せたのか?
実は大野はチンピラからの度重なる恐喝に窮し、直属上司の炭谷に隠れて担当する倉庫から美容整形クリニックのカルテを盗み出してはマスコミ有名人のものを選んでゴシップ雑誌に売りつけ金を得ていた。
雑誌を見て女性院長が情報倉庫会社に漏洩の疑いを持ち、クレームを受けた炭谷は慌てて大野を問い詰める。揉み合っているうちに大野は庫内のスチール棚に後頭部を強打し息絶えてしまう。
ここからは悲喜劇的なコントになります。狼狽した炭谷は倉庫から逃げ出してドアは自動的に閉まるが、死体を放置するわけにはいかないと踵を返すと、なぜかもう開かない。情報倉庫の開閉は担当者の顔認証システムになっており、大野か上司の炭谷の顔をウインドウでスキャンさせないと開かない設定だった。盗み出している最中に炭谷に入ってこられないよう、大野が炭谷の顔登録を抹消していたため、ちょうど車のキイを車内に閉じ込めたように、開かずのドアになってしまった。
困り果てた炭谷は、女性院長に「先生の整形術が顔認証セキュリティをくぐれるか試してみませんか」と持ち掛ける。登録した顔そっくりに整形した別人の顔で、ドアが開けられるか。院長はかねてから腕を試したい欲望を持っており、そこへ来診したのが児玉だった。
児玉の顔の骨格は、大野と似ていた。顔認証システムで最も重要な“瞳の位置の完全一致”が可能な顔立ち、「元の顔とまったく別人の顔になれるなら、どんな顔でもいい」「この顔では母とは暮らせない」との児玉の懇願を利用し、院長は大野そっくりに児玉を整形する。そんな事情があるとは知らない児玉は、出来上がった新しい顔に満足した。
炭谷と院長は児玉を、大野がシーズンチケットを購入した遊園地の顔認証改札にまず連れて行く。見事に通った。次はいよいよ情報倉庫だ。
児玉が自分の顔をスキャンにかける。ドアが開く。すると目の前に自分の新しい顔と同じ顔の死体が。「どういうことですか!」振り向いた児玉の首にはロープが掛けられ、「もうお前は要らないんだよ!」と炭谷が締めようとする。しかしまたも皮肉な事に、抵抗する児玉の後頭部が壁面のスキャナーに当たり絶命。ドアは再び閉じてしまった。
「私は何も知らないからね」と女性院長は逃げ出し、炭谷にはまたもや開かなくなったドアと、同じ顔のもう一体の死体が残された。炭谷は大野のアパートに児玉の遺体を運び、自殺の偽装をして時間を稼いでとぼけるしかなかった。
炭谷が一課に連行され、女性院長も杉下に詰問されて「やってみたかったのよ」と医師として人として道を踏み外したことを渋々認めた。
児玉がなぜまったく違う顔になりたかったのか、すべてを知らされた母親は改めて棺の中の顔を見て泣き崩れる。そこにあるのは見知らぬ顔ではあるが、“父の暴力の辛い記憶を連れてこない顔”になって、大切な母親のもとに帰りたいと願った愛しい息子の顔にほかならなかった・・・
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・・・こちらも『ルビー~』と同じくらい、ドラマ的無茶のある話ではあります。まず普通に考えて鼻筋、目、顎のラインまで徹底的に別ものに変える大掛かりな整形費用が、若いバリスタの給料や貯金で賄えたのかどうか。無論保険医療じゃないだけに分割ローンとかもあるのかもしれませんが。
そして、いくら暴力父の面影のない顔になったところで、全然見知らぬ顔の人間がいきなり「母さん、ただいま」と帰ってきて、記憶やクセや趣味嗜好は元のままだったら、別の意味で気持ち悪くないか?と思うのですが、「とにかく父親に似ている顔でいたくない、違う顔でいられさえすれば!」と、それだけを切に願った児玉の思いは、「ルビーの外観になれれば!」のルナと、裏表、鏡像のようだと思ったのです。
児玉はルナとは違い、自分の人格や存在自体を変えたくはない。女性院長は杉下たちの最初の聞き込みの際「美容整形は顔だけ治すのではなく、コンプレックスを解消し自信を与え、心を治すもの」と嘯きますが、児玉は顔だけを変えることで自分の人格のまま、父のDVの記憶を払拭した心穏やかな生活が、母とともに送れると思った。この点で、“顔を変えれば自分の存在がリセットされ(姉ルビーという)別人格に乗り替われる”と信じたルナと、根本的に違う。
しかし結局児玉を追い詰め、やみくもな整形願望へと追い込んでいったのは、父の記憶を憎む自分の心の中の傷、屈折にほかなりませんでした。顔の問題ではない。少なくともそれだけではない。顔を変えても父の息子であることは一生変わらないのです。会話の端々、ふとした仕草が父に重なるたび、母の表情の変化に「やっぱり親父に似てるのか」と児玉の心は絶望に震えたことでしょう。むしろ父そっくりな顔のまま、父が見せなかった優しく慈愛に満ちた表情や言葉をかけてくれることを、母は喜んだのではないか。父が強いた、暴力に怯える生活とは違う、おだやかで温かい家庭を、たとえば幼なじみの真奈とともに築いてくれることを、母は息子に何より願ったのではないか。同じ顔を受け継いだのに、自分の力で父親とは違う人生を切りひらいた息子を、母は誇りに思いたかったのではないか・・。
生きてさえいれば可能性があった児玉の将来は、顔を“記号”“技術をプレゼンする人工物”としか扱わない犯罪者たちの所業で無残に断たれてしまいました。 ルナとは違う角度で、“顔を変える”事に人生の希望を傾け過ぎたために、人の顔に人生も希望も見ない奴らの道具にされてしまった。女性院長が心ある真の医師だったら、児玉の懇願から亡父への憎悪を読み取り、整形だけが本当の問題解決ではないと諭して、専門医への、できれば母親を伴ってのカウンセリングを指南したはずです。
ルナもまた、顔を変えれば自分も周囲も変わるに違いないという歪んだ思い込みの底なし沼に嵌まって足搔き、こちらは自作自演で、望んだ幸せからどんどん遠ざかって行きました。
・・・・“顔を変える”ということと、心=人格、性格、そこから始まって行く人生との間の相関そして乖離を描いて、この二つのドラマは通底し、いろいろな方向に考えさせてくれました。
「顔じゃないよ、心だよ」と昔から言われ、人を容姿で判断し評価するのは愚かで恥ずべきことだと教えられます。一方「人は見た目が9割」と題する本がベストセラーになったこともあり、なんだかんだ言っても見た目で判断されることは覚悟して生きて行かなきゃいけないのも現実。
ルナや児玉ほど切羽詰まっていなくても「この顔を変えたい」「この顔でさえなければ」と思うとき、悪いのは顔ではない。自分の心のどこかの屈曲が、自分の顔を実態以上に醜悪に思わせている・・そう思ったほうがいいのかもしれません。
・・・なお、『相棒』のこのエピソードで、児玉の母親に扮した芦川よしみさんは、12年ほど前に転倒事故で顔面を強打し頬骨を陥没骨折、かつ折れた骨がずれて顔面神経を圧迫するという、女優生命を危ぶまれる重傷から、ワイヤーで骨を固定しカテーテルで眼球を眼窩に戻す複数回の難手術とリハビリを経て復活された壮絶な経験を持っておられます。めでたく美貌と表情を取り戻し復帰がかなって間もなく『徹子の部屋』で、施術直後の痛々しい写真もみずから公開されて振り返っておられました。
『相棒』も同じテレビ朝日の番組ですから、このご経験も買われて(?)のこの役への起用だったのかなと、本放送当時ちょっと思いました。だとしたら、いや、そうでなくても、芦川さん、勇気があると思う。
“変える”より、“元通りにする”ほうがはるかに難しいでしょうから。
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