福田淳一財務事務次官、いや元・事務次官58歳。月河と限りなく近接年代なのですが、唐突ですけど、風間杜夫さんに似てませんかこの人。
いや、単純に“顔立ちがそっくりさん”というのではなく、目つき顔つき、囲まれてぶら下がられてムッとしたりイラっとしたり、開き直ったりキョドったりする表情の変遷が、「風間杜夫さんがドラマや芝居で得意とするキャラっぽい」。
週刊誌で表沙汰になってからの福田次官の一連の放送動画を集約して見せて、「この人の役を演じてください」とオファーしたら、四~五回リプレイすれば風間さん、完璧に演ってくれそうです。なんなら自宅ドアの中での奥さんとの会話とか、飼っている犬種や餌の与え方まで膨らませて演じてくれそう。偏差値エリートで東大法卒で主計局長で、リクルート文部事務次官の娘と見合い結婚で、入省同期に国税庁長官二人と女性参院議員、順当に事務次官に上り詰めたはいいが省に政治家もからむ重大不祥事が発覚して大騒ぎ、そこに左系テレビ局の女性記者が・・と、もう状況が完璧に風間さんの十八番ワールド。それもNHK土曜ドラマ風、TBS日曜劇場風、テレ朝深夜帯風、テレ東ドラマBiz風、民放全般二サス風と、枠に合わせて味付け調節してくれるはずです。風間杜夫さんの俳優界での位置づけ高いなぁ月河。我ながら。
批判に輪をかけた「そんなに苦痛なのか」発言の矢野康治官房長は田口トモロヲさんかな。二十年前なら大杉漣さんでもいけた。この人の場合、役者さんの誰某にというより、いしいひさいちさんの漫画によく出て来る官公庁役人まんまですな。七三分け長方形のメガネで目そのものが無いの。
・・・まぁキャスティングはともかく(キャスティングって)、「財務省のセクハラ認識センス、対応センスが現代の国民感情とも、グローバルスタンダードともズレすぎ」との批判が大勢を占めていますが、正直月河は思っています「財務省だけが突出して、大幅に、許しがたくズレていて、“ほかはいまどきそれほどでもない”と言えるだろうか?」と。
1980年代にSexual Harassment=直訳して「セイテキ イヤガラセ」という外来語が入ってきて、90年代初期には「いくら悪意がなくても、相手が不快感や恐怖感、嫌悪感を感じたと訴えたらハラスメントと認めなければならない」という解釈が常識となりました。
単なる「イヤがらせ」ではなく「性的」と付くところが果てしなく根深い問題で、性には男性と女性しかいないわけですが(細部において異論は認める)、こと“性的”“セクシュアル”事象に関しては男と女とでは感じ方、捉え方、触れる神経回路が根本的に違うのです。
男性は性行為、性的活動自体で命を落とすことは、よほど心臓や脳血管に予め爆弾を抱えているか、特殊な道具を用いるプレイでもしない限りありません。タネを撒いたことが原因で死ぬことはない。蟷螂のオスのように交尾のあとメスに頭から食われることはないわけです。
一方女性は畑にタネを撒かれれば妊娠します。胎児を孕み身体は重くなり、外敵が襲ってきても自力ですばやく退避できません。流産や早産で失血死するかもしれず、正常分娩を果たしても感染症や産後の肥立ちリスクもあり、半年から一年近く、授乳という昼夜問わない重労働を重ねます。栄養事情がととのい医療や防疫の進んだ文明国では、妊娠出産が原因で命を落とす女性の数は絶対的には減っていますが、哺乳動物の雌である限り、すべての女性のDNAに“セックスは命がけのリスクに繋がっている”という刷り込みが、徐々に深く潜在的になってきているとはいえ決して消滅することなく刻印されています。
セクハラという名を与えられて表沙汰にされずとも、女性は男性から“性的な、性を連想させる動作、発言”を示されると、脊髄反射で第一段階“恐怖”“嫌悪”“不快”を感じ、逃げたい、避けたいと思うように神経回路ができているのです。遠い延長線上に“生命の危機”が存在することを、DNAが知っているから。これだけは男性が男性である限り終生理解できないでしょう。「そんなことないよ、イヤらしい意味で言ったんじゃないし、彼女たちも笑って結構ウケていたよ」と、善男諸君は本気で当惑し真顔で反論するかもしれませんが、それは日本が平地集住稲作農耕民族で、近世のサムライ奉公社会になるまでは男女が協働し春夏秋冬労働分担し、女性側が男性のしょうもなさを熟知していて、スルースキルが懐深く発達しているからにほかなりません。
一方「男は外で狩り食糧財貨獲得、女は住居内で家事と子育て」の狩猟採集民族からなる欧米先進国では、イヴからアダムにリンゴをすすめたから楽園追放、てな信仰が二千年このかたまことしやかに流布したおかげで、いま“♯Me too”と身も蓋もない騒ぎになっています。こちらのほうが現代ではグローバル・スタンダードですから、「男は幾つになってもしょうもないもの」を前提として受容しツブシをきかせてきた日本女性伝統の寛容さより「後輩女子たちのためにもちゃんと声を上げよう、拒否しよう告発しよう」が完全に優勢になりました。
こういう環境で思春期、リクルート期を過ごした若い世代の女性には、母世代・祖母世代にはあったスルースキルがはなから備わっていない人も増えて来ていて、昔なら「しょうもない」で自他ともに通用した、58歳福田次官曰く“言葉遊びの様なこと”なんか断然通用しなくなっています。また、女性側のスルー能力が衰えるに歩調を合わせて、“匙加減”のわからない、農耕社会的男女協働を知らずサムライ封建社会の価値観を平成サラリーマン土壌に誤植したような男尊女卑オトコも逆に増えました。
矢野官房長55歳「本名伏せる女性弁護士が対応する秘密は守るっつってんのにどうして名乗り出れないの、これ以上の調査方法あんなら教えてよ(大意)」発言も、この人が異常にセクハラ認識が遅れてるから出たと必ずしも言えない。現にご本人が「(セクハラ認識は自分は)相当高いと思う」と豪語されています。「セクハラ被害に遭った」と、弁護士であれ上司であれ女友達であれ人に打ち明けること、自分が男性から性的な言葉や動作を向けられた女性であると知らしめること自体、人前で肌着一丁になるくらい恥ずかしい、身の毛がよだつ行為なんだということがどうしてもわからないのです。財務省だからではなく、身内庇いをしたいからではなく、男性だからです。
これはひとり財務省に限った事ではありません。識者が指摘するように財務省イコール女性採用数の極小なエリート男子校社会で、民間交流も少なく一般社会の価値観変遷を吸収しにくい純粋培養だからこんなんなっちゃった側面はある。しかし財務省以外の日本社会、他省庁や民間企業、特に今般当事者となったTV・マスコミ業界でも、ことセクハラに関しては「女の言い分・感じ受け止め方は男には終生わからない」現実は動きません。どんなに時計が進み文化文明が進歩発展して“女性活躍社会”とやらが実現したとしても、人間が哺乳動物のオスとメスからなる限り変わらないでしょう。
「わからないから」「わかってもらえないから」で両者匙を投げず、背を向け合ってボイスレコーダ回しながらギスギス働くのではなく、どうやって歩み寄り、互いに気分の良い協働を持続するのか。財務省だけ罵倒して終了、大臣辞めさせて終了にしない、むしろ財務省以外の社会全体のほうが鋭く問われていると思います。
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