21日(月・祝)地上波初の映画『おくりびと』を、高齢家族の要望で録画し、昨日、ネットと洗濯の合い間に随伴視聴。
納棺師という職業を契機に、死や死体にまつわるお話ではあるけれど、陰惨さや悲傷は最小限に抑えられ、むしろ欧州の現代文学中篇を思わせる、素敵に寓話的なファンタジーでした。
←左柱←←←のオールタイムベストに2作掲げてある、ベルンハルト・シュリンクのよう…とはちょっと違うかな。『愛の続き』のほか『アムステルダム』『贖罪』などでも知られるイアン・マキューアンも、書きそうと言えば書きそう。とにかく画面の色調といい、東北地方雪国の地方都市でのロケシーンといい、まことに“新潮クレスト・ブックス”っぽい世界です。日本でなら単館公開で終わる匂いの作品なのに、アカデミー賞その他海外での高評価が先行したのもよくわかる気がする。
何たって怪社長役・山崎努さんの風采と、漂わす雰囲気がいい具合に浮き世離れして通奏低音をなしましたよね。棺桶サンプルが林立するNKエージェント社屋も、よくあんな坂道の古い商家をロケハンしたものだと思う。フジヤマもゲイシャも、ニンジャもハラキリもない、初めて見るニッポンの風景に、欧米の観客評論家たちはひと目で持って行かれたことでしょう。
現実には、遺体に直に触れて拭き清めたり化粧をほどこしたりする仕事は伝統的に禁忌の職業で、子々孫々特殊な家系の、地域社会でも特殊な一画に暮らす人々がエクスクルーシヴに継承してきたのではないでしょうか。いまは昔ほど閉鎖的ではないかもしれないけれど、この映画でのように不特定多数向けの媒体におおっぴらに求人広告出して公募するようなケースはレアでしょう(そこらへんのあり得なさは山崎さんの“怪社長”、余貴美子さんの“怪秘書”感がよく埋めた)。
まして、本木雅弘さん扮する主人公・大悟のような元・オーケストラ団員、たぶん音楽大学卒レベルの高学歴者が、志願して修業して、「迷ったけどやっぱりこの仕事続ける、この仕事で身を立て妻も養う、子供も育てる」と自ら選ぶことがあるかとなったら、限りなくファンタジー、お伽噺に近いと思う。
でも、リアルそっくりのまるごとなぞりではなく、ファンタジーだからこそ多くの人々の心を揺さぶる作品になることもある。様々なご遺体・ご遺族と関わることで少しずつやり甲斐や意義を見出して行く大悟の成長と、北国の季節のめぐる風景を重ね合わせる描写もよかった。合間合い間で、畦道でチェロを弾くモッくんには「『エアーウルフ』かコイツ」とツッコみもしましたけど。深刻な、シリアスなテーマの作品ほど“ツッコみどころを用意する”バランス感覚も大事。
この映画で、本木さんの納棺師役としての華麗な手技に「ワタシも死んだらあんな風にヤッてもらいたい」との観客の声が多かったとは聞いていました。たぶん納棺師さんのお世話になる日がウチでは最も近いであろう高齢組はしかし、「あそこまでプロっぽく、さくさくやられるのはちょっと…」とその点については引き気味。
「願わくば“自力”で、好みの化粧をして髪を整え、お気にの服に着替えて、なんなら前日から断食して内臓もきれいにして横たわり、“いっせーのせー”で死にたい」とほざいていました。
「どうせなら女性の、高橋惠子か木村佳乃みたいな納棺師がいい」とも。いねーよそんなの。
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・・・・それはともかく、この作品に出演後ほどなく“おくられびと”になってしまった名俳優さんの顔も見えました。山田辰夫さん、峰岸徹さん。
山田さんは亡妻を送り出す夫の役、峰岸さんは本木さん扮する大悟の幼時に、愛人をつくって家を出てしまった父親役で、孤独に死んで遺体となって大悟の手で納棺されるとき、やっと薄れていた笑顔の記憶がよみがえるという象徴的な役どころでした。これもクレスト・ブックスっぽい、寓話的な顛末です。
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