先月30日放送の『ためしてガッテン』以来、トマトを湯剥きせず皮ごと、種もとらずにヘタだけとってミキサーにかけて、トロトロトロトロ気長に煮詰めるトマトソースにこっています。
欧米の皮の厚い調理用トマトと違って、ナマで食べて甘いように品種改良されている日本種のトマトは、種の周りに旨みのグルタミン酸が集中しているので、料理本で常識になっている“湯剥きして種をとる”下ごしらえは不要なばかりか、かえって旨みを殺いでしまうらしいです。
汚れたミキサーの後始末が例によって面倒くさいことを除けば、このトマトソース、手間もかからずアタマも使わない、トマトさえあれば本当にシンプルにいつでも作れる優れモノです。
パスタソースのベースや野菜炒めだけではなく、チャーハン、コンソメスープ、あるいはカレーの隠し味にも大活躍。
最近はオムレツの具作りに、ケチャップの代わりに使っていました。ジャガイモの角切りと玉ネギのみじん切りを炒めてこのソースで和えると、中に包み込む具にも、プレーンオムレツに添えるソースとしてもいけます。
しかし、昨日(25日)の『美味(デリシャス)學院』最終話を見ると、甘ーいケチャップたっぷりのお子さまオムライスが久しぶりにまた食べたくなってしまいました。
「これがオイラにとっての最高の激美味(ゲキウマ)なんだ」…そうだよなぁ。父ちゃんがチキンライスを作り、母ちゃんがオムレツを作って、ケチャップで書いてくれたハートマーク。子供にとって、この上ないご馳走ですよね。卵の黄色に、赤いケチャップ。子供にはあの色合いがたまらないんだな。子供狼馬の回想試食シーンで、BGMがドヴォルザーク『新世界より』になったのが、さりげなくジーンと来ちゃいました。
美味追求のために家庭を捨てたと思っていた父ちゃんも、ホントは母ちゃんが大好きで、狼馬よかったね。
父に去られ母は早世、悲しい身の上話を背後に残して狼馬がどこへともなく姿を消したときのデリ5メンバーのリアクション、なかんずく凛王子の「あ!話が悲しすぎて、つい」。
大将戦も選手が急病なら代役でいい、ならば校長とは狼馬に戦わせようと考えた南郷先輩の「あたーっ!急に下腹部に激痛がっ!」…普通にハライタでいいのに、なんで下腹部よ。しかも「何か、ナニか産まれるかも!」って、エイリアンの宿主じゃないんだから。「狼馬!」と起き上がったときに、ちゃんとホイッスル効果音ピィー。最終話まで音声さんに愛されてる先輩。
校長の最強オムライスを試食した瞬間、アニメになって雲を突き抜け昇天しちゃう徳平先生とか、デリ5の狼馬応援オムライス・ダンス、「学園内に心を通わせる改革」と称した四天王のムリヤリハンバーグ・ダンス(虎堂のやる気なさっぶり)など、イイ話の中にも笑いどころがてんこ盛り。
最終決戦で校長父ちゃんは激美味変身して髪が逆立ったけど、狼馬は変身せず「吹っ切れたみたいネ」(マシュー)とやさしい顔のままオムライス完成、校長「もうジャッジの必要はない。ここまで人の心を揺さぶる料理は、いまの俺には作れない」と脱帽…という流れも、ハチャメチャなりの整合性がありました。
マンガチックなコロモにくるんであっても、中身には少年の成長、父への反感と対抗意識、違う環境で育った仲間への共感と友情の芽生え。師匠たちが課す試練、友と協力しての克服。そして恩讐を越えて、息子は母へ、父は妻への愛の共有を確認して和解。ジュヴナイルのファンダメンタルズがきっちり詰まっていた。
もう来週からデリ5と四天王に会えないのが本当に残念。校長の座をかけたデリ5のチャレンジ戦もだけど、南郷先輩と女子部の大将アゲハさんとのその後の顛末も見たいな。
昨日25日は『プロポーズ大作戦』も最終話。なんだよー、タイムスリップしてさんざん小細工した挙句“未来を変える鍵は、現在にしか無い”って結論かい。でも礼が自分の意地っ張りさ、素直でなさを自覚した回想場面は、ぜんぶ健が過去に戻って、不器用なり間が悪いなりに精一杯変えたシーンばかりだったから、妖精も健もムダ足ではなかったってことになるのかな。
健ゾー、泣き過ぎなんだもの。スピーチの最後「幸せにならなかったら…××許さないからな」の“××”言えてないし。
コレ、11話やるには、話として尺が足りなかったんじゃないかな。ジャック・フイニイの小説だったら、『時に境界なし』(ハヤカワ文庫『ゲイルズバーグの春を愛す』所収)並みの、文庫二十数ページでキュッとまとまってる。ドラマ化するにしても、せいぜい45分枠3~4話で締めるところでしょう。
途中のウダウダは、長澤まさみさんのセーラー服姿、浴衣姿、ドレス姿に花嫁衣裳姿などが小出しに鑑賞できたからファンの人たちとしては満足なのかな。広い会場敷地内を、レースキャミの裾まる見えにドレスたくし上げて健の姿を捜し求め駆け回る礼は、ファンタジーのお姫さまみたいだったけど、こういう眼福はあくまで結果であって、目的じゃないと思うんですが。
健ゾー山下智久さんは、持ち前の死にかけた魚みたいな暗い瞳のまま、ときたま繰り出すローテンションギャグ演技もさることながら、ハレルヤチャンス時のフラッシュライトで、その暗い目をそばめて手で庇う仕草がよかった。“フラッシュ当てられたときのリアクション”限定で言えば、いま間違いなく日本一似合う、巧い俳優さんでしょう。あの眩しげな目と仕草に(リアル山下さんへの、たとえば写真週刊誌パパラッチ夜襲などを想像重ねて)毎週ときめいていたファンも多かったのではないかな。
こういう、俳優さんがらみのパーツパーツだけつかまえて「可愛いー!」「カッコいいー!」とウケていれば結構面白かったのかしら。なんか、分厚くて紙質高級で激重なわりに、記事部分より広告のほうが多くて豪華な、美容室に置いてある系女性ファッション誌みたいなドラマでした。
健がひとしきり咽び泣いたあと、ひとり式場をあとに乗ったタクシーが「どんだけー!」のガス欠になったところへ、妖精に「いまからでも間に合うと思わないか?」と背中を押された礼の「ケンゾーーー!」の声が聞こえて、振り向き微笑む健…で終わっちゃったけど、最後くらいチカラいっぱい抱き合ってキス、ぐらい見せて欲しかったですね。
健礼にあまり肩入れしていない視聴者月河でも、「ロマンチックが足りないよー!」と思ってしまいました。
“過程の一歩一歩が重すぎ、考え過ぎて結果が出せない”このカップルにふさわしいエンドかも知れないけど。やっぱりハッピーエンドに収斂する王道ラブストーリーは、もう流行らないのかな。
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