共和党大統領候補に指名されたサラ・ペイリンさん44歳、イラク出征兵士からダウン症の乳児まで5児の母、ミスコン賞金で大学進学、同性結婚や人工妊娠中絶には絶対反対のガチ保守派などいろんな情報が怒涛のように媒体を賑わしていますね。
無名の女性が一躍スポットライトを浴びると必ず1件は出てくる“若かりし日のそっくりさんヌード”も早くも流出したらしいですな。洗礼洗礼。出回っている情報と、指名受諾演説でのイキオイからすればもちろんこれぐらいのことでビビるタマじゃないんでしょうけど、当然今後“学生時代の元彼の赤裸々告白・サラはこんなプレイが好きだった”“ハメ撮り写真”なんてのも出てくることでしょう。
しかし、アメリカの大統領選挙というのは、民主・共和両党の候補指名から通算すると本選挙のまる1年前ぐらいから延々やってる気がするのですが、向こうの政治集会っての?スピーチする候補者なり指名受けた人が演壇で「なんとかかんとかチェンジン!」「なんちゃらかんちゃらスターティン!」とか拳振り上げたり指を突きたてたりするたびにスタンド客席からウォーッと唸り声のような喚声が上がり旗やプラカードが打ち振られる、あの風景は4年に一度ニュースで見るたびに、脱力とともに「…あーあ」と思いますね。
民主主義、デモクラシーってのは、封建主義や絶対主義の圧制から脱すべく先人が知恵と流血で獲得した輝かしい、万難を排して守るべき制度であるように社会科では教えられてきましたが、“世界における民主主義の学校”ヅラしている国の、元首を当該国民が一票で選ぼうとしている現場がこんなキッチュで騒々しい、演歌歌手の周年リサイタルみたいな場所だとしたら、デモクラシーなんてほとほとやりきれないもんだなという気がする。
第二次大戦敗戦後の日本は、好むと好まざるとにかかわらずアメリカ合衆国主導のもとに、アメリカをお手本として、「アメリカ、かっこいいな」「アメリカ進んでるな」とこよなく憧れ、アメリカに肩を並べることを目標に万事走ってきましたが、衣食住や映画・音楽などのエンタメ分野はともかく、少なくとも政治は真似しないほうがいいですね。理屈抜きに、カッコ悪いし、気持ちが悪いもの。
あの「なんちゃらかんちゃらスターティン!」「ウォーッ!」の旗振り応酬は、先月さんざん話題になった北京五輪のクチパク歌唱に相似な気色悪さがある。
そう遠くない昔、「日本も議院内閣制で、衆院議員の互選で元首を選ぶのをやめて、国民の直接選挙による大統領元首制にしてはどうか」という議論も一度ならずあったそうですが、立ち消えになったのも当然でしょうね。人口ベースが違うにしても、何千人も何万人も入るハコが一杯になって、短期的にせよあれくらいの熱気が充満しなければ、一国のトップを一般国民の一票で選ぶまではとてもできないだろうし、それは日本人に向いていない。
決して褒められた話ではないけれど、“働いてんだか働いてないんだかよくわからん代議士たちが議員会館や料亭なんかでごちゃごちゃ暗闘した結果の首班指名”“その代議士を選ぶ選挙の投票率は50%台”ってのが日本に似つかわしいデモクラシーなんだろうと思う。
全然話が違いますが、“デモクラシー”という言葉を文中に使うたびに、以前ここでも書きましたよね?長嶋茂雄さんが故・亜紀子夫人と婚約中、しつこく追いかけ回していたゴシップ記者に言った言葉「ボクにもデモクラシーがありますから」を思い出します。
ところで「ペイリン副大統領候補に」のニュースで月河がいちばんびっくりしたのは、彼女を指名した当のマケイン大統領候補が、この8月29日ですでに72歳だということでした。
いいのかUSA。かつて1911年2月生まれ、80年秋に69歳で大統領に選出されたロナルド・レーガンさんが「就任早々70代に突入する大統領なんて」とネガティヴな視点で見られ続け、二期め途中での腸ポリープ、前立腺癌など健康問題が公表されるたびに対立陣営やマスコミからはガバナビリティを疑問視する声も出たのを共和党、アメリカ国民、もうお忘れなのか。
レーガンさんは無事、二期8年を全うして満77歳でホワイトハウスを去りましたが、マケインさんがもし大統領になったら、なった年にいきなり73歳ですよ。娘世代のペイリンさんを副に選ぶのも、バランス感覚、人気取りとしてはもっともかもしれないけど、“若さ”“マッチョ”を称揚してやまなかったはずの我らがUSAどうしちゃったの。戦後生まれのクリントンさん、ジョージ・ブッシュさんで「若いとかえってロクなことがない」と身にしみてしまったのかしら。
対立候補バラク・オバマさん47歳の若さへのアンチってことかな。なんかUSAもいまイラクとかサブプライムとかハリケーングスタフとか「いろいろあってヤケクソ」って感じもします。道連れはごめんだよ。
『白と黒』第45話。全体的にはぶん投げたような展開や演出もなく手堅く進んでいると思うこのドラマですが、今日の放送分の終盤で、致命的かもしれない欠点が判明してしまいました。
章吾(小林且弥さん)が礼子入浴中に彼女の携帯着信記録をチェック、果たせるかな礼子ひとり東京泊まりの夜、電源を切っていたと言う時間帯直前に聖人からの着信が。「やはり」と章吾が衝撃を受けるそこへバスローブ洗い髪の礼子が戻ってくる、章吾慌てて携帯を元のベッド上に戻す…という場面。
自慢のロングヘアーをタオルドライしながら夫婦の寝室に入る礼子、あまりにも色気がありません。
衣装のバスローブが地味であるとか、寝室のしつらえが学者一族の私室らしく機能本意で質素だとか、そういう道具立ての問題ではない。札付きの実弟との間の関わりを、実直ひとすじの夫からひそかに疑われている人妻として、あるいは3年前に一度は心惹かれ、いまもその不道徳な挙動ゆえに気にかかっている男、何より死を覚悟した窮地から救ってくれた男への思いを秘める大人の女として、何と言うか、妖しくないのです。
この場面に先立つ昼間、章吾とは「深夜東京のマンションに電話したのに応答しなかった」「携帯も電源切っていた」「あなたこそ夜中にお父さんひとり置いて一葉に話を聞きに行った」で言い合いになり、礼子のほうから「私が迂闊だったわ」と一歩“損して得取った”ばかりです。互いに“言わせてもらえば…”をかなり腹ふくるる心地のまま、今度は章吾が先に着信記録という“濃灰色”の状況証拠を握って、握られていると礼子は知らないで、ひとつ部屋で夫婦の夜を迎えている。
身体を触れ合ったり、消灯した布団の下でモゾモゾ抱き合ったりする場面より、このドラマのような心理劇は、こういう“心の背反”シーンこそ色っぽく見えなければいけません。
いままでも何度か思ったのですが、西原さんの礼子はもっと直截的に、聖人と抱擁したり唇を奪われたりする場面でも、、流れとして“心ならずも”“強引になされるがまま”といった下敷きがあることを脇に置いても、いや、だからこそ内から滲み浸透圧を増して、柔肌を突き破って噴出せんばかりのエロスが感じられなければいけないのに、どうも、稀薄かつ低体温なんですな。良く言えば折り目正しく、色気も無い代わりに嫌味、エグ味もない。
もちろん演じる西原さんが21歳になったばかりで、ドラマ女優経験も5年程とこの枠のヒロインとしては破格の若さ、短キャリアであることも斟酌すべきかもしれませんが、“若いから色気が乏しいのは当たり前”ではドラマは成立も成功もしないのでありまして、現に24歳、演技経験ときたら実質05年から3年ほどの聖人役・佐藤さんは、青臭さに荒削りさにおバカさに背伸びに自己愛に屈折…いろんな要素の合間合間から、キスも抱擁もせずそこらをガン飛ばして、あるいはニヤニヤ歩いているだけで、氾濫するような、夢に出てきたらうなされるような色気でとんでもないことになっているわけです。
八方破れ本能任せに生きてきたという設定のキャラである聖人に比して、礼子は親に捨てられ辛酸をなめた出生から、自立目標に学究ひとすじに生きてきた優等生だという違いはありますが、恋愛や遊びに縁の薄い女性だったからこそ、制御しきれないエロスが随所に表出しなければドラマは動かないし、見る人の心を動かしません。ましていわんや、あまりこの点を強調したくはありませんが、ここは昼帯ドラマなのです。
かつて、子役から長い演技経験を持ち、中学生、高校生、大学生どの年代でも人気を保ち演技力も評価されてきた吉永小百合さんは、実は堂々たる大人の女優となった20代後半まで“ラブシーンだけがヘタ”とマイナスの定評がありました。そしてそれは(おもに“サユリスト”を自認する業界人・一般人によって)“(実生活での)経験がないからだ”と注釈されることで、女優としての評価ダウンには直結しませんでした。
女優・西原亜希さんの実生活には、月河は特段の興味はありませんが、エロスや色気に関係のない部分、たとえば親友への疑惑や、生き別れの母親への愛憎半ばする思いを表現する力量に比べ、色気あってこそのパートだけが格段に低調なのは情念ドラマヒロインとしてあまりに残念だと思う。
このドラマのヒロインは西原さんで良かった、西原さんだからこそ良かった、と心から思えるような場面が、残り4週でひとつは観られますよう心から願うものです。
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