『爆笑オンエアバトル』、新年度一回めはとりあえず観ようと思って録画予約。初めて気がついたのですが、金曜ではなく木曜深夜になったんですね。うーん。初っ端から難関。月~金帯の昼ドラと日曜朝のスーパーヒーロータイムがレギュラー録画枠なので、金曜夜なら、週のうち唯一ビデオデッキがフリーな土曜にゆっくり再生チェックすることができたのです。
木曜夜となると、録れてから金曜昼の録画用にもう一度テープをセットしなおさなければならず、結局観られるのは土曜の昼以降。一日繰り上がってもあんまり嬉しくない。
昨日はそれよりも『お笑い芸風改革 爆笑スタイルチェンジ』(日本テレビ系)を出会いがしら視聴してしまったので、“ネタのおもしろさ・笑え度合いを数値化して娯楽にする”ことにすでにおなかいっぱいになりました。もう終わるだろう終わるだろうでつけっ放しにしていたら23:00になんなんとしても終わらない。どうやらプロ野球中継が延長になった様子。もうそんな季節になったのね。
民放のネタ番組ちゃんと見たのは『お笑いダイナマイト』『ドリームマッチ』の年末年始特番以来か。やっぱりすごいな。“お笑い”“ネタ”の商品化ではなく、“芸人”の商品化。芸人を頭から焼却炉にぶち込んで生きたまままるごと燃やして、発する熱量を他局に誇り競うよう。
スロット式のチェンジジャンル決めでの各芸人たちのリアクション、得意のドコ分野、何芸を“封印”させるかを発表したときの客席の反応「えー(失望と不安)」かぶせ、収録の何日も前~当日控室ネタ合わせ中の真剣な表情、ネタ見せ中の審査員(なぜかこのポジションが定位置になっている渡辺正行さん、関根勤さん、本当になぜだ原沙知絵さん)の笑い顔抜き、チェンジ成功/失敗判定後の各組の表情など、ネタ見せに伴うあらゆるものを笑い取り・おもしろがらせのツール化、武器化する。
こんなものすごい燃費の番組に週2ぐらいのペースで半年も出てたら、どんなに才能豊かな芸人タレントでも、灰も残らずに燃え尽きるな。
いまのお笑い界を生きて行こうとするなら、芸人さん、みずからの持ち芸で笑わせる・笑い取る姿勢じゃダメそう。番組の企画に“燃やされ上手”“転がされ使われ上手”じゃないと。
レギュラー松本くん、西川くんはもうあらかた灰になったな。「灰ですよー」と見せて、「あー灰だわ」と興がる側と一種の蜜月関係が生じている。スピードワゴンもこれに負けじ(?)と一馬身差ぐらい。燃やし尽くされかかっているムーディ勝山に引きずられて、“不戦敗”みたいになっている梶がちょっと笑った。ザブングルは潰しのきかなさを堂々披露したぶん逆に延命したかも。友近は自分から見せて行くときも、転がされ見せ“させられて”行くときも同ペースで、つまらないけど磐石ですな。
まだスーパーイリュージョン以外、定番を消費され慣れていないハイキングウォーキングがいちばん汁っ気が多く、その意味では素直に笑えた。でもこのペースで切り売りしていったら秋までだろうな。やっぱりこうして見ると『オンバト』の土壌は節度があって、芸人さんを燃料化し消費するにしても小出しに、惜しみながら燃やしていたと思う。
やたら金色を増やして『笑いの金メダル』に似てしまった舞台セットが気に入らないけど、やっぱりお笑い見るなら『オンバト』がいちばん誠実かなぁ。新司会・小松宏司アナは春風亭小朝師匠の“勉強ができて大卒で固い会社に勤めた兄弟”のようですね。春から営業になって、担当が水商売サービス業多いもんでちょっと髪型とか軟派にしてみました、みたいな。
『花衣夢衣』第5話。こうして木曜深夜に録画必修科目がひとつ増えてみると、金曜昼の録画の“わざわざ感”、有難みが増して感じられる。ホント、録るのも手間だけど、30分枠、CM早送っても正味25分の番組なら、クズでもカスでも観るのに25分費やすわけですよ。人生の一日の、そのまた25分。たかが25分、されど25分。一応太鼓叩いて宣伝するんだから、それにこうして乗る視聴者もいるんだから、心して番組作ってほしいですけどね。
「今月はまだ(生理が)来ないの?私たちいつも一緒に来てたじゃない」と澪(尾崎由衣さん)。やはり双子のうち、才覚や機転や愛嬌など成功の資質に劣るほうが“二人一緒”“平等”“喜びも悲しみも分かち合い”にこだわるな。
しかし、敗戦直後昭和25年の設定、観ているとどうしても“大人”として戦争に直撃された親世代のほうに目が行ってしまいます。10代未婚の娘を二人きり、占領下の東京の、パンパンガールと共同の借家に残して留守番させ夫の転地療養に同行してしまう母・和美(萩尾みどりさん)。 年頃の娘というナマもの、危険物を持つ普通の母親なら、最低でも信頼できる同性の親戚か友人に、言伝てにであっても託すはず。
地方の老舗の出で、勘当されて駆け落ち上京した和美には、そういう人的セーフティネットがないのです。だから夫が生活能力を失って復員、お荷物となった後は、独身時代“女”としての自分に高値をつけてくれた万平(斉木しげるさん)にすがるしかなかった。
最愛の夫の身体回復を願って付き添う療養先でも、資金は万平から出ており、女としての半分は東京で万平に抱かれることを待望している。薄々不安を感じる夫は妻の帰京に「2~3日では長い、明日じゅうに戻って」と釘を刺す。
物質的資産も、人的係累コネもない者が焼け跡に放り出された場合、もし女性なら、既婚だろうと子持ちだろうと中年だろうと、最後に頼りになるツールは“女”しかないのだということが、レイプ妊娠しても堕胎失敗しても心配してくれる母親のいない双子から、逆にさかのぼって伝わってきます。双子の悲劇は、母の孤独・流離から端を発している。
その和美に高値をつけ自足にひたっている万平にしても、戦争を奇貨としてつかんだあぶく銭で、かつて圭二郎(長谷川初範さん)に味わわされた画才や男性的魅力に関する劣等感・挫折感を贖っているに過ぎない。カネを出しているから和美さんは自分をありがたがり抱かれてもくれるが、心は経済力のない、性的にも無力になった圭二郎から奪うことができないまま。
戦争によって、日本という国自体がレイプされ堕胎され、国の精神・国の魂を繁殖させることのできない身体になった。
双子姉妹の苦痛と悲しみは、親世代の、戦争で寸断され急場しのぎに継ぎ接ぎされ、そのまま瘢痕化してイビツに引き攣れた青春から生まれているのです。
望まぬ妊娠に我が身の運命を呪う真帆(尾崎亜衣さん)に「事情なんてみんな似たり寄ったりさ、迷うことなんかない、まだ17でしょ?人生は長いんだから」と肩を叩き、「(姉妹がいて)幸せねあんたたちは、おカネなら私がなんとかしてあげる」ともらい泣きするゆかり(西慶子さん)が、バッサバサな分さわやかに温かい。“遠い血縁(←傷心の姉妹が療養先を見舞って顔を見ても何事かあったと察しない、心ここにないオンナ=流離の母親)より近くの他人”って感じかな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます