イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

韓国TV小説 その女の海 ~海を出し切る~

2018-09-30 14:37:43 | 海外ドラマ

 引っかかっても外れてもわりとあっさり終わってしまう我が国製のドラマに比べて、一度幕が開くと粘っこいのが韓国ドラマでして、いま食いついている一本が『その女の海』(BS日テレ月~金PM4:00~)。

 8月の最終週から、まるで日本ドラマの相次ぐ9月終わりを見越して「淋しくなるからいまのうちにこっちおいでホレホレ」と救済の手を差し伸べるかのようにスタートしました。

 これ、昨年から今春まで続けて見た『私の心は花の雨』『ウンヒの涙』と同じ、韓国KBS朝のイルイル(日々)ドラマ=TV小説シリーズで、『ウンヒ』が2013年、4作はさんで『花の雨』が2016年、1作はさんで本作『女の海』は2017年に、韓国では月~金の朝9:00~の枠で放送されたものです。

 やはりお国柄は違っても、朝のオビとなると“伝統芸”“様式美”の世界になる傾向は変わらないのでしょうかね。特に『ウンヒ』とは脇の俳優さんたちが大幅にかぶっているため、序盤だけでも、また仁川か!またクッパ店か!また殺人の濡れ衣か!また目撃者探しか!また食品工場の経理か!また嫉妬深社長令嬢か!と、まるで“間違い探し”のようで逆に見逃せなくなりました。「グウタラ叔父さんここも来た」「次は会社の金着服疑惑じゃないか」と、予想のちょっぴり斜め上行ったり下行ったりの幅をかたくななまでに堅守する、或る意味非常に見やすい作りとなっております。

 『ウンヒ』と大きく異なるポイントは、まず戦争(=朝鮮戦争)を跨ぐ設定でないこと。ヒロイン=スイン10歳でお話が始まる時点で1962年です。李承晩政権が署名しなかった無理くりの停戦協定から9年。すでに戦中戦後の混乱で家や土地を失った人、家族離散した人たちも、いま生きている場所で生き抜くことを受け入れなければならなくなっていたはずです。混乱をうまく乗り越え利して勝ち組にのしあがった者と、失地の大きさから立ち直れなくなった敗者との階層分化ももう固定化してきていたはず。

 スインの父ドンチョルも、元は大きな酒造所の跡取りだったのですが完全に潰れて(戦災のせい、という明確な描写はない)、いまでは仁川の市場でほそぼそと陶磁器店を開いています。ところがいまだに豪商の跡取り気分が抜けず、スインと二女ジョンインが誕生した後、「跡取りの男子を生めない嫁なんて」と妻スンオクを疎み、愛人ヨンソンを囲って、彼女との間の待望の男児ミンジェを溺愛してそちらで暮らしている。亡き父の周年祭祀(←韓国では“命日”とか“法要”とは言わないようです。でも仏像の鎮座するお寺にお参りはする)の日にしか妻と娘たちの待つ家には帰らず、当然、なけなしの店の売上収入も入れていません。スノクは心臓が悪いのですが、義妹ダルジャとともにクッパ店を営み、家の空き部屋の下宿収入とでなんとか娘たちを育てている。ドンチョルがたまに帰宅しても妻にも娘たちにも冷たく、スインは母を苦しめる父に許せない思いを抱いています。ちなみに今作は今のところ、まだスインに出生の秘密設定は浮上していません。

 もうひとつユニークなのは、愛人ヨンソンと本妻スノクとが、火宅の人ドンチョルを奪い合ったり互いの子供の権利を主張したりして、韓ドラ得意のビッチファイトでいがみ合うかと思いきや、気遣い合い庇い合って、義理の姉妹のような不思議な紐帯を築き上げていくことです。どちらも忍耐強く働き者で、我が子に愛情を注ぎつつも相手の子供へも分け隔てなく温かい視線を注ぐ。熱を出せばおんぶして病院にかつぎ込む。

 「そんなにキレイにいくかよ、聖人君子かマザーテレサか」とも思いますが、1962年の韓国北部、停戦ラインにも首都ソウルにもほど近い仁川という背景を思うと、“幼い子供を抱えた弱者同士、争い合ってても仕方がない”という気分に、特にメンツや体面に執着する男性より、食べて行く現実を優先できる女性ならば、自然となっていくものかもな・・とも思える。

 劇中、ドンチョルがヨンソンを見初めて不倫関係になり身ごもらせてしまう過程の描写はありませんが、ヨンソンはもとはソウルで韓服も洋服もできる腕のいい仕立屋として働いていました。市場の主婦から夫たちの服の注文を受けて出来上がりを届けた際に愛人らしいという噂が注文主の耳に入り、「愛人が仕立てた服なんか旦那に着せたら浮気する」と仕立賃をとぼけられて揉め、聞きつけたドンチョルが注文主の店先で大暴れ、警察に突き出されたところへスノクが「夫が壊したお店の物は妻の私が弁償します」と申し出て、「本妻と愛人の友情なんて、涙が出るわ」とあきれられる場面もありました。

 我が子のために一円、いや一ウォンでも多く相手の女からぶんどりたい財産がもともと無くてカラっけつに等しいのも、母親ふたりの悟りと割り切りを促した側面もありましょう。この状況だと子を持つ母親なら、とにかく子を飢えさせない、傷つけないこと以外、何も考えないし画策も打算もしなくなる。クズなドンチョルも、どちらの女にとっても“我が子の父親”には違いありませんから、貶めるより立てるところは立てて、母親同士子を守り合って一緒に日々を共闘するほうがいい。

 この辺り、女優さんたちの演技力もあずかってチカラ大です。スノク役の高橋かおりさん似パク・ヒョンスクさん、ヨンソン役伊藤蘭さん似イ・ヒョンギョンさん、韓国ドラマの女優さんにしては、激情にまかせた変顔芸の少ない抑え目演技の人で、なんとなく昭和の、まだ飛び道具とか出てこない時代の人妻昼ドラの匂いがある。

 小商売をこつこつ続ける性分のないドンチョルが一攫千金を狙ってインチキ投資話に騙され、店を借金のかたに取られて、ヨンソンとミンジェを伴いスノクと娘たちの(もともとは自分の)家に転がり込み、奇妙な二組の親子の同居が始まります。ヨンソンは表向き“スノクの義妹”“スインとジョンインの叔母”の立場で、台所を手伝ったり娘たちにも目を懸けてくれ、初めはやりきれなくも複雑な思いでいたスインも、「お姉ちゃん」となついてくれるミンジェを弟として可愛いと思うようになり、ひとまずかりそめの平穏が訪れたかに見えましたが、投資詐欺の張本人クォン社長が仁川に舞い戻ってきたところを、騙され憤懣やるかたないドンチョルが見とがめて追いかけたことから事件が起き、やはりこうなるか・・という殺人冤罪に続き、もっと痛ましいアクシデントが母違いの姉弟に起きます。・・・

 民放BS一時間枠に韓製イルイルドラマをぶっこんだ場合のつねで、一話33分超の二話分を一話正味43分に削り倒して押し込んであるので、シーンや台詞のカットが情け容赦なく、BGMが途中で切れたり、切れた尻尾がシーンのアタマにチラッと聞こえたりしてストレスが半端ないため、『ウンヒ』のときのように放送終了後結局ノーカット版を追いかけて見なおして、通算では倍近い視聴時間をとる羽目にまたまたなるかも。長くてゆるくて隙だらけなのが“逆に売り”の韓国イルイルドラマは、嵌まると本当に長患いの中毒性があるんです。

 ちなみに、伝統芸と様式美の元祖=日本のNHK朝ドラ『半分、青い。』は月河、本当に久々に“一話も見ないままで最終回のニュースだけ仄聞した”朝ドラでした。後枠『あさイチ』のメンバーと体裁がこの時期に変わったことはさほど関係がないと思う。“この人が出演するならそのエピだけでも見るか”となった俳優さんも居ないわけじゃなかったけど、実際見なかった、それがすべて。長期間多話数の放送でも、縁がないときはドラマってそういうものです。

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