性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【地球と共存する「環境住宅」地域間対話】

2018年03月31日 06時24分14秒 | Weblog
きのうちょっと触れましたが、
わたし自身は定期購読していない他誌のことを
発売日から約10日遅れでようやくチェックすることができました。
(北海道では「本州誌」は発売から2日程度遅れて発売される)
たまたま2年前に新建築住宅特集さんが「環境住宅特集」を出されて
それに対してわたしがこのブログで意見を書いたところ、
思わぬほどに多くの「反響」になってしまった。
官学民オールとしての北海道の住宅づくりの取り組みの実態は、
日本民族がつい150年前まで取り組んでこなかった
亜寒帯地域という「環境」のなかで、どう安定的に暮らしていくか、
その格闘の連続だったとわたしとしては、認識していた。
主観的にも客観的にも「環境技術」とはそういう内容が中軸と理解していた。
このことは多くの北海道・寒冷地の共通認識だと思う視点から
その特集内容について違和感を述べさせていただいた次第です。
直接的には、住宅環境要素技術の「歴史年表」的記述に於いてすら
北海道での取り組みがほとんどまったく記載されていなかったことに、
深く驚かされたということだったのです。
その後、この特集に日本建築学会「地球の声」の活動が深く関与している、
そういう事実も知ったので、そういった「公的」スタンスであればなおのこと、
というように、あくまで自由な出版人として興味を抱き続けてきた。

その後、東京での建築学会会合でわたしのブログ発言が論議されたり
巻頭論文執筆の川島範久氏が来道されて
活発な「南北対話」を行ったり、わたしが東京の会合に呼ばれたり、
さらには、この年明けには大挙しての関係者の取材来道があったりした。
日本建築学会の活動という公的意味合いから住宅雑誌発行人として
そのことにも協力させていただきました。
・・・そういった経緯をよく知る立場として
今回の「特集/「環境住宅」その先へ」を読ませていただいた次第です。
特集の中で「論考」を書かれている執筆者の川島範久氏、能作文徳氏、
末光弘和氏、堀部安嗣氏、西方里見氏の各氏とは親疎はあっても
良く存じ上げているみなさんばかり。
もちろん、新建築住宅特集編集長の西牧厚子さんとも知遇を得た。
そしてこの間の経緯について、西牧さんの「編集後記」にも
書かれていて、印象深く読ませていただいた。
他誌であるのに、どうも深くそのプロセスに参入しているかのようで(笑)
相違点もありながら、しかし同じ経験を共有している気分もあります。
「編集後記」をちょっと引用させていただくと、
「・・・とくに印象的だったのが、筆者たちと今年1月に訪れた
北海道の住宅の見学会です。(中略)その環境性能を具体的に体感し、
住まい手と建築家と対話を重ねた経験はたいへん大きいものになりました。」
と書かれていて、メッセージとしてうれしく受け取りました。
日本の建築世論にとって重要な位置にあるメディアとの
内容面での「協働」はけっしてムダではなかったと思っています。
たいへん真摯に受け取っていただいて感謝しております。
各論考や住宅事例に対しての論評や意見を今後、当ブログやHPなどで
折に触れて、述べさせていただきたいと考えています。
<あ、表紙写真をWEBから引用させていただきました。悪しからず>
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【平常生活の「落ち着いて考える」基盤力】

2018年03月30日 06時43分50秒 | Weblog
きょうは3月30日。平日としての「年度末」ということになりますね。
きのう朝にも普段とはだいぶ違うクルマの混雑を感じていましたが、
やはり年度末という区切りでひとの動きがあるようです。

わたしのブログを見ていただいているみなさんはお分かりと思いますが、
ことしは、わたしの場合はまた格別な環境にいます。
1日24時間で過ごすふたつの大きな「環境」が
両方とも激変のまっただ中。
生活環境はカミさんの実家の1室に居候の仮住まいで
仕事環境までは片道クルマで30分程度掛かる。
この家も約20年前くらいに設計・建築にタッチしていた建物です。
それこそ「プロトタイプ」を意識して設計プランから建て方まで
合理性を徹底的に追究した住まい。
たいへん思い入れのある建物ですが、やはりそこは「仮住まい」。
一方で仕事環境の方の建物も、引っ越し作業をしていたら
建築当時の資料類などが全部「発掘」されてきた(笑)。
設計図とか、建築見積もりなど詳細に至るまで整理整頓された。
こうした建築をすべて作ってきたことに今更ながら気付く。
そしてその「原点」ともいえる建物の再建築のまっ最中。
「なんや、結局自分の作ってきた建物ばっかりだ・・・」
たぶん人生で住宅建築というモノと出会ってからの体験を、
もう一回追体験しているような気分がしております。
こういう「環境」に身を置いてみると、
おのずと、日常生活というものが自然に持っている力、
「平常」というものの価値感について思いが募っています。
よく「落ち着いて考える」というコトバがありますが、
このことは、たぶん日常というモノが人間にどのように作用するか
その偉大な力というモノを表現しているのでしょう。

というようなことで、
その企画についてなぜかアテンダーみたいなことまでもさせられた(笑)、
新建築住宅特集さんの4月号「環境住宅特集」も
きのうようやく入手できたというようなことであります(笑)。
たぶん川島範久さんはじめ多くのみなさんが
「どうして三木はなにも発言しないのか」と不審に感じているかも(笑)。
申し訳ありません、まったく日常がない状態でしたので、
落ち着いて「評論する」ような環境にいませんでした。
読んだ上でなお、なにも発言しないこともあると思いますが、
まずはじっくりと内容を確認させていただきます。
経緯から言って、やはり感想の一つくらいは述べる義務はあろうかと
そんな風に考えております。ですが、時間の猶予を。
さて、怒濤の3月でしたが来週からはクライマックスの4月です(笑)。
体調はしっかり整え、合理精神で対処していきたいと思います。
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【ホコリまみれの工事中でも芽吹く北の春】

2018年03月29日 05時36分21秒 | Weblog


こういう工事体験というのも一期一会だろうなと思います。
住んでいた建物からいったん全部の荷物を外に預けて
改造・改装工事を立案しながら、工事をチェック。
一方で仕事環境の方も、16年分の仕事量分の積層残滓やらを
丁寧に整理整頓して、それぞれに適材適所を按分していく。
まさに「取捨選択」をほぼ仕事人生分に対して行っていく。
個人としての生活、くらしと全仕事人生の両方の整理整頓ですね。
あんまり他の人は体験しないだろうことをやっていますので、
毎日が波瀾万丈と言いますか、まことに変化に富んだ日々であります(笑)。

そして最終的な着地点を明確にさだめていますので、
そこに向かって、まさに「動きながら考える」というところ。
・・・そんな毎日を過ごしていますが、
ふと事務所の庭先を見たら、いつも春を告げてくれるクロッカスが
ことしも同じ場所で芽吹いてくれていた。
関東以南地域ではサクラ満開、春爛漫のようで
まことにご同慶の至りですが、北の春はそれはそれなりで、
こういった万象がそれぞれにカラダいっぱいに陽を受けて
躍動に向かって準備を確実に進めてくれている。
この時期の北国人は年上の姉さんたちが次々に幸せをつかんでいく様子を
じっと見つめ続けている「末娘」のような心境になります。
大輪の美を見せている輝かしいお姉さんを見て
そっと唇を軽く噛んでいる、そんな心理が気分の底にある。
「いつかわたしにだって・・・」であります(笑)。
でもそれが、南北に長い日本列島で社会を営んでいるこの国の
独特の民族的共感世界を構成している、きわめて重要な
地域的「差異」であることに、みんな気付くと思う。
こういったグラデーション心理がだんだんとありがたいと思えてくる。
それぞれに個性があり、そこにあるメリットをもっている。
北海道は寒いけれど、だから住宅断熱の技術が先進できた。
そのことでお姉さんたちのくらしをもっと良く出来ることもある。
こういう季節感のグラデーションこそが大切な文化資産だろうと。

ということですが、工事では毎日いろんな困難が生起する(泣)。
一歩一歩、合理的に対処して解決策を見出しながら、
あらたな「環境」を作り出したいところであります。ふ〜、頑張るぞと。
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【ネコ特集じゃないけど(笑)Replan北海道最新号】

2018年03月28日 05時19分33秒 | Weblog


「家が好きって、どういうことかな?」
「やっぱり家族だけが作り出せる空気感、やさしさ」
「そのココロは、癒やしだよね」
「ネコだよ、ネコ」
「そだねー、ネコいいよね、ネコ」
っていうようなスタッフの会話から、こんな取材が出来たら良いね、
と話し合っていたら、ちょうどそんな住宅取材と遭遇できた!
あとは、ネコちゃんのご機嫌次第。
そこでスタッフ一同、ネコなで声を駆使しておだて上げたら
ごらんのように「木に登りはじめた」(笑)。
おお、やってみるもんだ! であります。

特集】 好き!を建てる
とにかく猫が好き、床座の生活が好き、バーベキューが好きなど、
暮らしの中で見つけた好きなモノに特化し、
それを最大限に楽しむためにプランした住宅を見てみると、
家づくりの楽しさはもちろんのこと、
暮らしはじめてからの自由さや充実ぶりがうかがえます。
気持ち全開で楽しむ「好き!を建てる」家づくりを参考にして、
自分たちらしい、心躍る暮らしを叶えてみませんか?
Case01.LOVE! CAT
全てのイキモノが心地よく暮らす ニャンニョロノイエ
Case02.LOVE! FLOOR
暮らし方から見つける家のカタチ 床座で芽生えるくつろぎと安堵感
Case03.LOVE! BBQ
住まいの内と外が自然につながる 空の下のダイニング

Contents
●巻頭特集/好き!を建てる
●特集連動企画/まだまだある! 「好き!」を建てた実例集
●連載 Q1.0住宅デザイン論 〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
●リノベーションで暮らし、広がる。
●リノベーションの基礎知識
●連載 いごこちの科学 NEXTハウス13 〈東京大学准教授・前 真之〉
●新築ルポー住まいのカタチー
●北の建築家
 「田園の家」 高橋 克己
 「掘立柱の家」 米花 智紀・米花 真弓

Replan北海道VOL.120
2018年3月28日発売・2018年春夏号・A4版
本体価格463円(税込:500円)
お買い求めは、北海道内の書店・コンビニで。
北海道外のみなさんはこちら、WEBからの直販で。
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【函館赤松街道、大好きです】

2018年03月27日 05時57分46秒 | Weblog
先日まで青森県ー道南函館地域に出掛けていましたが、
函館では、わたしはご覧のような「赤松街道」が大好きです。
この街道は、本州との玄関口である函館から、開拓当初には
「奥地」とみられていた「札幌本府」方面に向かって開かれた
北海道開拓にとってまことに歴史的な道です。
そしてそこにはほぼ北限といわれる「赤松」並木が植栽され、
アカシアやポプラ並木道が作られた亜寒帯都市サッポロではない、
日本民族に歴史的に馴染みの深い景観がデザインされた。

それから1世紀半を経過して、
いまは、メイン道路としての役割は高速道路の無料提供区間に
道を譲っているので、あまり大きな通行量はないようです。
函館という地域にとって、この赤松街道は
こうした歴史性を踏まえて、非常に重要な「資産」だろうと思います。
また、北海道全域にとってもこのスポットをどう活かしていくのかは
大きな知恵が要求されるだろうと思っています。
気候的に日本「内地」とはまったく違う亜寒帯気候の北海道と
本州「内地」とを繋ぐシンボルとしての要素がある。
はじめて仙台を訪れたときに、
函館の街に似ている空気感を感じていたことがある。
北海道サッポロは本州「内地」とはまったく違う空気を持っていて
それは民族としてのグラデーションで明確な位置を占めている。
対して「中間」というような雰囲気が仙台や函館に感じられるのでしょうね。
こういった感覚はたぶん、奥地・北海道ネイティブの人間の感覚でしょう。
そういった「中間的グラデーション」の表徴として
この赤松街道には民族文化的機能を果たせる部分があると思う。
とくに最近は高速道路の降り口周辺、ちょうどTSUTAYAのあたりが、
新しい函館の中心街区として注目が集まっても来ている。
土地価格上昇でもそういった傾向が顕著になってきているとされる。
そうなってくると、西部地区・五稜郭周辺に続いて
この赤松街道地域を活かしていくことがテーマになるのではと、
そんなふうに「都市計画」的に注目している次第。

今回訪れたのは真夜中、午前4時頃だったので、
こんな「月と赤松街道」みたいな、日本民族的なカットを撮れた。
わたし自身は、こういう「和」な景観にも強いシンパシーをもつ。
この場所が強い磁場力を大いに発揮していって欲しいと
強く願っているものです。
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【家は3回建てないとわからない、か?】

2018年03月26日 05時28分01秒 | Weblog
わが家の工事現場、きのうは休日。
着手から2週間が経過して、玄関ドアの新設も完了しておりました。
知人から、今回の工事で「3回目」の大きな変身ということを指摘された。
渦中にいると人間、そのように冷静な見方、自然な見方ができないもの。
指摘されてはじめて「家は3回建てなければわからない」という
建築の世界の「格言」が突然、胸に去来した。
1991年の新築から、1996年の増改築と2度の経緯があって
2018年今回のリニューアルと3度の「用途変更」となってきた。
そう考えれば、この建物を通して3度目の建築的体験をしている。
それで「わかる」のかどうかは定かではないけれど、
家を考える機会として3度目という認識は定まった。

やはり家は基本的には容器、イレモノだと思う。
物理としてはそうだけれど、その入れる対象が「人間が生きる」そのものという
不定形極まる「もの」、もしくはむしろ「こと」であるわけですね。
まずはこのことの「整理整頓」が基盤であるのだけれど、
常人には、これはむしろ地獄の責め苦にも近いかも知れない(笑)。
家を建てるということは、人生に明確にイメージを持つことになる。
そうでなければ、物理が成立しない。
「ここに住み、こういう暮らしをしたい」ということの決定が基盤。
ただこのこと自体、未来予断の部分が大きく含まれていて
ホントのところは誰にも見通せることなどあり得ない。
そうすると、こうした行為は「投企」ということになる。
未来を可能な限り見通して、ある確実性を自分で見定め信じるしかない。
たぶん、「3回建てなければ」というコトバは、この「投企と現実」の関係を
人生寓意的に表現したもののように思われます。
わたしの場合、仕事では「独立開業」してきた人間で
選び取った業界もほぼひと筋と言ってもいい。
そういう風に「自分である程度選べる」環境にあってなお、3度は
その環境について適応形態が変わって行かざるを得ないのかも。

工事が進捗してきて感じているのは、
やはりコンクリートブロック、石の建築の力感のすばらしさ。
日本では石の建築はそれほど文化として根付いてはいないけれど、
亜寒帯の北海道に至って、人類にむしろ普遍的な石の建築と日本人は
はじめて正面から出会うことができたのではないかと思えます。
よくヨーロッパの石の建築に於いては
その内装を随意に変えながら長きにわたって暮らしを営んできたと言われる。
そういうことに通じる部分をこのわが家の工事で感じさせられている。
大きな「用途変容」に対して基本構造のコンクリートブロックが
柔軟に力強く受け止めている、という印象が強い。
いかにも「北海道らしい」空間がどんな変容を見せるか、
自分自身でもワクワクしながら、変化に富んだ日々を楽しんでいます(笑)。
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【引越しシーズン 公設ゴミ処理場大行列】

2018年03月25日 06時44分58秒 | Weblog
もう3カ月近く延々と続く事務所と自宅の移転作業。
いまは工事進捗が活発で、だんだんとその姿が見えて来つつある。
やはりコンクリートブロックの素地は背景として力がある。
さまざまな仕上げ変化を柔軟に受け止めてくれている。

で、わたしの方は、貴重な整理整頓時間の土日であります。
いよいよわたしの事務所デスク部分の整理整頓作業に着手。
16-17年分の仕事関連の整理作業であり、
なお、今現在にも大いに繋がっている基本資料類の整理なので、
やはり丹念に時間を掛けて行かなければならない。
もうひとつ大きなものはIT、DTP関連のソフト・ハードの資産管理関連。
こちらも膨大な資産・データの山でして、しかし、
いまは要・不要の見極めがそれぞれに必要になってくる。
IT活用、MacPCでの作業も20年以上になっているので、
連続しているとはいえ、断捨離処分相当のものも数多い。
生きていま、動いている基盤的な仕事環境について、
その将来展望も含めてそれぞれに判断していかなければならない。
延々とこうした「見極め」作業が続いていきます。
・・・結果、多くの処分ゴミが大量発生いたします。
そのゴミ類、きのうの持ち込みは320kg相当ということでしたが、
ここのところ、チョコチョコとお邪魔している札幌市公営の破砕工場。
自宅部分の持ち込みだけでも3−4回持ち込んでいましたが、
きのうはなんと受付から退場まで車列が繋がっていた。
普段の日とは比較にならないほどの混雑ぶり。

たぶんみなさん、引っ越し作業時期なのだろうと推測。
こちらでは、持ち込んできたクルマを「体重測定」して、
帰っていく前にも測定して、その差重量で処理費用を精算する。
その体重計のところが「申込場所」で書類記入するのですが、
そこから渋滞していたので、職員の方が待っているクルマまで
書類をもってきてくれておりました。
さらにクルマの登録ナンバーを正確に記載しなければならないのですが、
案外、下4桁以外のナンバーはほとんどの人が記憶していない。
その記載ポイントで時間がかかるので、プレートを見て
そのナンバーを教えるサービスまでしてくれていた。
杓子定規になりがちな公務ですが繁忙期対応ありがたいなぁと。
さて、きょうもまた、作業が続いていきます、頑張るぞと。
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【北海道長沼でひばりの春告げを聞く】

2018年03月24日 05時34分23秒 | Weblog
日本各地からさくらの便りが聞かれるようになってきた。
わたしも再来週、4月アタマ関西や関東出張での道筋の観桜が楽しみ。
なんですが、北海道はまだ残雪が残る景色の中。
寒さと暖気が行ったり来たり、季節が揺れている。

21日には家族で札幌近郊の長沼へ。
ときどき食事に訪れる野菜中心の農園レストラン。
行ってみたら長蛇の列で大人気。
席が取れるまで1時間近くかかるということで、
にぎやかに談笑する母娘をクルマに残して道沿いを散歩。
わたしは生まれてから3才になるまで、
いまは岩見沢市になっている北海道・栗沢町の農家の子どもでした。
この長沼ともほど近く、農地が基本である地域景観。
わたしには幼少期の記憶というのは、ほぼまったくない。
ただ、「野焼き」の匂いに強烈な郷愁を持っている。
その野焼きですら、収穫期を終えて畑の残存物を、
翌年のために野焼きして肥料とするものか、
今に至るも、ほとんどその意味すらわかっていないけれど、
そういう「野の記憶」のようなものだけがうすぼんやりとある。
ただ、こういう風景の場所に来ると、やはりなにか胸騒ぎがある。
そういえば、休日に都市の喧噪空間にいることは基本的に嫌い、
というのは三つ子の魂の部分なのか。
で、散歩していたら、ぴよぴよというさえずりが聞こえてくる。
あんまり生物活動の痕跡は少ないなかに、
はるかな同族の生きている証がつたわってくる。
残雪は残っているけれど、そこそこ緑のスペースは広がってきて、
その野の鼓動のように、さえずりが響き渡ってくる。
3才までの幼年期、こんな光景の中を歩いていたかも知れない。
ひばりの声に、コトバのようなコミュニケーションがつたわってくる。
ふしぎだけれど、明瞭に感じてしまっていた。
はじめは身近な同族へのコミュニケーションで、やがて
道を歩いているはるかな同族にもわかるようにさえずっている(と感じた)。
どこか近しい友人の語らいのような音の旋律をそこに感じていた。

もう北国でも、らしい春がそこまで来ているのですね。
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【子どもが自然に「家らしい」と認めた外観】

2018年03月23日 05時38分15秒 | Weblog
先日、新住協北海道支部大会in函館でのひとこま。
いま新住協で取り組まれている「Q1.0住宅プロトタイプ」への道程解説で
鎌田先生から新住協で作ってきた住宅について
それが基本的にはプロトタイプへの志向性であると
写真で紹介されていましたが、そのなかのフレーズに心が強く刺激された。
それは、この写真を見せながらこのなかの一つの住宅が、
その建っている地域周辺の小学生たちに
校区内で「家らしいと思う家を投票して」という「コンテスト」をやった結果、
むしろ住宅性能・高断熱高気密をテーマとする住宅であるのに、
こうした住宅が選ばれ、地域の「都市景観賞」にもなったという事実です。
講演のなかのワンフレーズだったので、この写真のなかのどの家であるか、
やや正確ではありませんが、鎌田先生の講演趣旨では
この写真のような真壁で柱が外側に現れたような「伝統的デザイン」が
いわゆる「日本人的美感」に訴求するのでは、
といった趣旨のなかでの指摘だったと思います。

わたしたち民族の「後継者」である子どもたちは
DNA的連続性を持ち、そして感受性において未来的であることは自明。
民族の中の優れた部分はごく自然にかれらに受け継がれ
ながく民族の「資産」になっていくこともまた当然。
そういう認識に立って「家らしい」というかれらに与えられた命題を考えてみる。
いま子どもたちが住んでいる家の現状は必ずしも
このような家であるのが主流かと言えば、そうとはいえない。
むしろ推測すれば外観記憶を持ちにくいマンションが多数派。
それにいまの住宅は基本的に大壁志向が明らかであって、
構造材が外側に見えるというような家も少数。
だから、現実風景としてかれらが見続けている家並みとは乖離がある。
たとえば都市郊外中流を代表する「サザエさん家」などの
仮想現実も含めた深層心理などもそこには加わるのでしょう。
言ってみれば、日本人的デザインコードとして、
住宅というモノにはこういった潜在認識があるのだといえる。

住宅デザインと言うことを考えていくときに、
こういった巨視的な抽象化というような志向性も
もっと探究されていく必要性があると強く気付かされる。
新奇性への探究ももちろん人間の基本的希求だろうし、
そういうものがあってはじめて、発展進化もあるのだと思うけれど、
例えれば「保守と革新」の民族動向のあるべき割合をも感じさせられる。
この民族的デザインコードをどう保守し発展させていくべきかということも
さらに巨大で非常に重要なテーマだと思った次第です。
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【採光・広さでの原初的「空間」デザイン】

2018年03月22日 05時57分39秒 | Weblog
写真は20日に函館で見学させていただいた
ミズタニテツヒロ建築設計さんの自邸。
シャープなデザインが特徴的な地元建築家。

空間性っていうコトバは人によって受け取り方、感じ方が違う。
では、空間というものはなにによって構成されているのか?
そう考え直してみると、空間ってある広さがあって、
それを認識するための「採光」もしくは「照明」などがあるもの、
というようなことになるのかもしれません。
物理的な寸法によって区切られたなかに、
その床・壁・天井をよって構成されたものを認識可能な光環境でみる。
それが「空間」というものの原初的ありようかと。
で、その「切り取り方」で人間がどのように感じるかが、建築の仕事。
たぶん、原初のころ人間が出会ってきた「空間」といえば、
洞窟などの乏しい光環境の中での認識だったのではと思われる。
そこでは「採光」「照明」がかなり決定的な要素だったでしょう。
このトイレでは、右側のスリット窓からの採光が
驚くほど効果的に壁を引き立て、
トイレのモノ本来の造形を引き絞って見せるように仕上げられている。
おお、トイレもずいぶんオシャレなモノだと再認識させられる。
そういえばトイレって、人間にとってかなり基本的な動作場面。
シンプルで個人的な体験にこういう初源を感じさせる「空間」は面白い。
この採光は時間の経過をも感じさせる。
朝には朝らしい光があり、日が落ちれば人工的照明が迎える。
そういう生活のグラデーションをともにする空間。
デザインっていうものが果たしうるなにものかを
この空間に立っていて感じていました。

さて、しばらく出張続きでしたが
本日から月末までは腰を落ち着けて札幌です。
工事の進捗管理をしながら、同時に引っ越し準備、今度は
事務所の方の進行が待ったなしであります。
まだまだわたし自身は、安住の空間性には至っておりません(泣)。
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