性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

総持寺祖院経蔵・柱の狛犬

2015年01月31日 08時04分50秒 | Weblog

休日に付き、本日は趣味生活ネタであります。
わたし、曹洞宗の本山、2つは見学しております。
というか、横浜鶴見の総持寺にはなぜか、
東京出張の時、ほかに理由がなければ鶴見に宿を取って
総持寺での毎朝の「勤行」を見学させてもらうのを密かな楽しみにしています。
ああいう宗教的イベントを毎日やっているというのは
それを伝統的なるもの、宗教文化として考えると
享受できる、たいへん得がたい機会なのではないかと思っている次第。
しかも無料なので、お賽銭を若干心付けすればいい。
曹洞宗に興味を持ったのは、福井県の永平寺を見学して
興味を覚えたことがきっかけではあります。
食べることにもそれを修行の大きな機会と考えるという教義は
日本人に、まことに大きな精神的影響を与えたのだと思われます。

で、曹洞宗にはもうひとつ大きな寺院があって、
それがこの能登の総持寺祖院であります。
なんども火災で焼け、また人口減少地域と言うことで
横浜鶴見に移転したけれど、
「祖院」という名称を付けて、古寺も存続させているのですね。
昨年、はじめて能登にいったときに訪問出来ず、
やや残念な思いをしたので、先日の出張時、足を伸ばして見ました。
横浜の本山ではそうは感じなかったのですが、
こちらでは、とにかく細かな彫刻の手業のみごとさに感心させられました。



金沢で取材していると、
こういった手業の細やかな職人文化というのが強く感じられます。
金沢城の城郭の木組みの様子の再現映像などを見ると
こういった精緻さは、この地域の伝統のように思われます。
その技術ルーツが、この能登の古寺を見ていて
まことにクッキリと印象に残されました。
柱と梁の接合点に飾り彫刻として狛犬が配されているというデザインは
初めて見た次第ですが、その上、
「これ、どうやって造形したのか」と疑われるような複雑な彫刻作品。
これを1本の木から造形したとすれば、その構想力の精緻さに
まったく驚嘆するしかないし、
そうではなく、組み合わせであったとしても、
これもまた、奥深い技術が強く感じられます。
北陸地方の奥行きの深い文化レベルに脱帽させられました。

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継続は力、地域工務店の本づくり

2015年01月30日 06時26分40秒 | Weblog


北海道を中心とする工務店グループ・アース21では
年に1回のペースで独自の情報発信としてオリジナル雑誌を発刊しています。
現在第7冊目の号を作業中。
その編集制作業務全般のサポートをわたしどもで行っています。
一昨日、その最後の編集会議が当社で行われました。
こうしたグループで単発的に雑誌が発行されることは、
全国的にも例はあるのですが、もう7年以上にわたって継続してきている
というような事例は、たぶん見当たらないだろうと思います。
なんと年を重ねるごとに販売率も向上してきていて、
昨年など、事実上ほとんどの本が売れてしまっています。
基本的に、地域に根ざした実態そのままに、気取ることなく
等身大の姿をお見せする、逃げも隠れもしない姿勢を表現してきています。
その土地で暮らしていくことを決めた建て主さんにとって
いずれは、こうした姿勢を貫く地域工務店という存在に目を向けていただけると
そういった信念にもとづいた活動だと思います。

わたしどもの発行するReplan誌は、
こうした姿勢を持つ工務店さんたちといっしょに、
地域における家づくりをユーザーに提案する存在でもあります。
大資本による画一的な選択基準での家づくりではなく、
それぞれの地域で、それぞれの建て主さんの暮らしへの希望に添った
ていねいな家づくりということが、
「その土地に住む」という家づくりの本質にも繋がることだと思っています。
編集会議では毎回、お互いにホンネと家づくりの臨場感が
ドンドンと湧き出てきて、その面白さにもまた惹かれます。
そんな交流の中から、わたしたちが関わっている地域の家づくりは
それぞれの地域の中でかけがえのない「生産活動」であるとも
強く思うようになりました。
当たり前ではあるのですが、地域で家を実際に建てるということは、
地域に「ものづくり」というパワーを灯し続けることでもあると思うのです。
そう考えると、丹念な家づくりこそが、
わたしたちの創造力を絶やさないということに繋がります。
そしてそこに、可能な限りの創意と工夫を生み出す努力をすることが
建て主さんの楽しい暮らし,という形で
未来を開いていくのだとも思います。
いずれにせよ、継続こそは力。
ひとつひとつの事業体は小さな中小零細工務店ではあるけれど、
アピールの声を上げ続けることは、重要なことだと考えます。
ようやく29日には入稿完了。
今年も2月下旬には、みなさんのお手元にお届けできます。
そんな思い、ぜひ手にとってご覧ください。




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えびせん専門店も。高速PAショップ戦争

2015年01月29日 05時04分46秒 | Weblog

出張や旅行に出ると、移動ではレンタカーなどを使うことが多い。
カーナビの普及と高速道路網が隅々まで整備されたことで
「移動の自由」は極限的に高まってきている。
わたしなど、札幌にいる以外では、ホテルでの滞在時間は別にすれば、
日本全国の高速道路上にいることの方が、
時間的にいちばん長いかもしれない。
歴史的に日本の「律令国家」が出来上がってすぐに取り組んできたことが
「移動手段の権力による掌握」だったことは明白な事実。
奈良に中央集権的な「都」が開かれてすぐに
日本全域を視野に入れた「道」の開発が取り組まれてきた。
それまでの日本社会が水上交通主体だったのに
中国出自の律令体制では完璧に陸上交通主体の考えで
ひたすら道路建設に取り組んできたそうです。
東海道や東山道など、交通手段の整備とともに
同時に国内での産地間交易が活発化して行ったのでしょう。
税の収奪や経済振興の基本作戦であったことも、当然でしょう。
道を整備することは、権力を広域化させることと同義だった。
で、こうした移動手段の変化につれて、「街」の形成が促進されていった。
都市・街が、「境界」に発生し、権力はその交易を管理する。
これは人間社会不変の法則だろうと思います。
そして現代、人の移動が、クルマが前提になって来て
高速道路は、もっとも「官」が管理する空間になり、
そこでの「利権」も、さまざまに権力が管理していることは疑いない。
顕著になってきたこの変化の結果、
PAショップの占める市場としての位置は
年々高まってきているに違いないだろうと思います。
全国の高速道路上のPAでのショップビジネス戦争が活発になっている。
ただ、この領域でも人口密集度で地域間格差が明瞭。
北海道では、かろうじて輪厚くらいしか活気が感じられない。
それに対し、首都圏や関西圏などの活況は本当にびっくりさせられる。
東名・海老名が一番ではないかと思っているのですが、
あそこなど、駐車場は数百台で満杯というケースも多い。
ああいった過激なショップ間競争環境の中から生み出されるヒット商品には
合理性と、時代の感覚が詰まっているに違いないだろうと思います。
そんな状況を見続けるのが好きであります。



先日の出張でもこんなおもしろショップを発見。
まぁメインの建物ではなかったのですが、
広大なショップタウンのはずれで、
手を変え,品を変えた、えびせんべいばっかり売っている店を発見。
あとでインターネットで調べたら、まんま、えびせんべい専門店だそうで
日本人の嗜好は、こういう専門店の成長を可能にするのだとびっくり。
さらにこういう新しいマーケットを切り開こうとする
商魂の元気の良さも学ばせていただいた次第であります。
いやはや、すごいですね。
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北の博愛・温暖地の個人主義

2015年01月28日 06時19分43秒 | Weblog

石川県の高断熱高気密住宅の取材を終えて
いろいろに気付くことが多かったことに驚いています。
とくにユーザーを含めて、高断熱住宅への心理的反応の分析が
だんだんと熟成していくようで、自分でもたいへん興味深い。
このブログの数日前に、「温暖地・高断熱住宅へのねたみ」と書いたら
驚くほど多数の方にお読みいただき「いいね」もいただきました。
わたしのように、北海道のユーザーと日常的に接している人間の目線での
温暖地域ユーザー・作り手の心理把握が
ある意味で、情報となり得るのだという気付きがあった次第です。
で、これまでなんとなく考えていたり感じたりしていたことで
タイトルのような思考の方向性に至った次第。

宋文洲さんという方の書かれたものに接したときに
彼我の考え方の違いのツボを知覚した経験があります。
それはなにかというと、
かれは、自分が経験し獲得した知見は、
そのすべてを、まったくの自分自身のためだけに活かして
それをお金の量に変えていくのが、当然だという考えであります。
これは経営者としては、まったくその方が正しい態度であることは
疑いがない公理なのですが、
そこでハタと気付いたのが、
「でも住宅の環境性能については、少なくとも北海道では、違う」
ということだったのです。
そうなのですね、北海道では開拓のごく初期段階から
「どうやったら、この過酷な自然環境に中で、多くの人が暮らしていけるか」
ということを、地域全体の問題として捉えて、
みんなでその解決策を必死になって模索し、格闘してきた。
第一、一地方公共団体に過ぎない北海道が、
寒冷地住宅について系統的に研究開発努力を積み重ねてきていた。
前身の北海道開拓使の時代から、よき北方住宅について、
調査し,研究してきていた。
ときどきブログでふれる司馬遼太郎さんの記述では、
よき北方型住宅の普及を願って官の側から、
当時数多く建てられていた「出稼ぎ意識」の明瞭な仮住まい小屋を
極端な場合こわしたりして、建築規制してきた経緯もあったそうです。
そのような流れの中で、ある知見が生み出されれば、
それへのリスペクトは持ちながらも、その内容は,あっという間に
共有建築技術資産になっていったのが、現実的な流れだったと思うのです。
北海道の研究機関である北総研の研究成果や、
また、新住協の工法の「オープンな提供」というようなことは、
官学民の一体となった「暖かい家」への共通目標意識がなせることだった。
北海道では、利他的な行為についての感謝を伝えると
「なんもさ」という言葉が返ってくるのが一般的文化。
寒冷地住宅技術についての北の考え方には、
この核心点があると思います。
で、一方、温暖地では、この部分についての共通認識がないか、
もしくは希薄なのではないかと思われるのです。
得られた知見についての利益は、その知的所有権の所有者にという
個人主義・個人尊重の考えが基本にあるのは間違いがない。
多くの場合、高断熱住宅の知見は設備機器メーカーなどの
主導で、フランチャイズ形式で技術提供されるケースが多かった事情を
このことは、反映しているのかも知れません。
さらにもっといえば、
高断熱高気密住宅によって得られる生活上の快適性すらも、
ユーザー段階で、その建てた個人に帰結すべき「利益」であるという
このような考え方があるのではないかと思われてならないのです。
「ねたみ」と書いた人間心理の奥底には、
こういった構造的要因が存在しているのではないでしょうか?
みなさんいかが、お考えでしょうか?

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頼もしい除雪重機、積層堆雪の除去

2015年01月27日 05時41分19秒 | Weblog

日曜日の午前中までは金沢にいて
午後から羽田を経由して夜9時前に新千歳空港に到着。
で、停めておいた駐車場にクルマを取りに来たら、
なんとバッテリーが上がっている(泣)。
車内灯の消灯を確認しないまま、エンジンを切ってしまって、
やや不安ではあったのですが、案の上でありました。
なんとかヘルプを駐車場にお願いして事なきを得て、
運転して高速道路に入った途端に、中央分離帯に乗り上げているクルマ発見!
日曜日の空港周辺天候はまったく良好だったのに
なぜかはまったく不明。
どうやら居眠りによるスピン、ハンドル操作の失敗のようでした。
で、高速上の緊急電話からパトロール管制に通報。
バッテリーで助けられ、高速事故通報でお助けという、
まさに因果応報、禍福はあざなえる縄のごとし、というヤツであります。
その後も高速帰り道では、数件の事故を目撃。
安全運転、十分に注意が必要を実感。
って思っていたら、休日明けのきのう朝一番、
スタッフの車が、会社駐車場で埋まってしまって、動けなくなったという知らせ。
JAFのヘルプをお願いして救出しておりました。
禍福はあの程度では、完全には治まりきらなかったようでありますね(笑)。
どうも暖気が来て、融雪が中途半端に進んでいるので
やはり駐車場の堆雪、踏み固めるだけでは問題が出てくる。ヤバそう。
近々、たくさんの来客・来車もあるということで、
いつもお願いしている除雪業者さんに堆雪除去・除雪を依頼。
で、この冬2度目の重機による堆雪の除去作業開始であります。
だいたい、年に3~4回はお願いしております。
駐車場の除雪については、本当は石油熱源による
ロードヒーティングも敷設しているのですが、
石油価格も上昇するし、なんといっても、地球を暖めているような愚かさを
自分自身に感じるようになって、機能させたくなくなった。
しかしさりとて、50坪以上の9台分以上の駐車場なので、
人力での除雪にはムリがあるのであります。
ということでわが社では、このように年数回の重機除雪を選択している次第。



ということで、除雪完了後の様子であります。
これで雪も終わってくれるといいのですが、
まずそんなことはない、いやむしろこれからが降雪本番のような気が・・・。
北国にとって雪は、寒さからはむしろ守ってくれる役割もあります。
地表面からの放射冷却を防いでくれるのです。
地表面に対して「断熱」しているともいえる。
そういう「メリット」もあるのですが、やはりやっかいものでもある。
まぁ、雪国・北国では、あきらめて付き合っていくほかはありませんね。


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金沢武家、冬の住宅デザイン

2015年01月26日 07時13分15秒 | Weblog


きのうは午前中、金沢の街を散策しました。
なんですが、どうしても住宅関連の場所に目が行きます。
ということで、市内中心部に遺されている「寺島蔵人邸」の見学。
前田藩の中級武家の住宅だそうで、400石取りの家系。
1石というのは、おおむね1人の人間の1年間食べるコメに相当する。
その収入に対して、藩主への御恩と奉公の関係での
忠誠義務が課されながら、江戸期を過ごしてきた家。
まぁ、そういう固定的な経済では当然のこと、
家を存続させることは困難になっていき、
1777年に建てたあと、建物は半分以下に減築したりしていた。
まことに、経済で見ても過酷だっただろうと思うのですが、
それ以上に、きのうの金沢、日中気温10度くらいで温暖でしたが
そういうなかでも「開放的」な家の中は、ただひたすらに寒く、
開放型ストーブにかじりつかれながらの
解説ボランティアの方の説明を聞いていました。
この家の見どころとして庭木が見事だという説明ですが、
冬真っ盛りの状況の中では、繊細な枝振りを保護する「雪吊り」が見えるだけで、
まさに夏のことしか眼中になかった生活文化のようすが
淡々と、やや誇らしげに説明されていました。
で、帰り際にしげしげと見入ってしまったのがこの玄関。
この、あくまでも夏の気候に最適化された、
通風だけを目的としたタテ格子の引き戸建具の視線の先に
ごらんのような「雪吊り」が見えている。
どうも、見る側の意識として不可解さに戸惑わざるを得ない。
家を飾るデザインとしての庭木を冬の装置で保護しながら
当然ながら、人間の素朴な温熱的感覚は、まったく無視されている。
夏のデザイン空間のままに冬をまるで、ないことのように過ごす。
まことに徹底しているというか、なんというか。
「見える」機能と夏場の通風しか考えずに、こうした建具を当然としている。
このように過ごす「温暖地」という地域での冬というものの
過酷な室内環境について、呆然とせざるを得ませんでした。

江戸期末期、北海道にロシアやアメリカ船が出没して
日本各地の藩が、防衛のために藩士を北海道に派遣したが、
その派遣兵士たちの多くは、一戦も交えずして死んだ。
それは、各藩が建築した「越冬」家屋が、まったくの開放型住宅で
冬の間の人間の健康保護を無視していた結果、寒さから健康を害し、
多い藩では過半数の藩士が帰ってこられなかったという。
こういう温暖地の「住宅思想」の過酷さの一端を、
まさに「垣間見させられた」気が、いたしました。
いったい、こういう「断熱思想・暖房思想」のない冬のなかで、
どのようにして、ひとびとは生き延びてきたのか、
そしてそれは現在に至って、本質的に解決されているのかどうか、
深く思いを致してしまった次第であります。

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日本史の主舞台・近江への憧憬

2015年01月25日 05時41分01秒 | Weblog

本日は、休日に付き大好きな歴史ネタであります、ご容赦を(笑)。
さて、北海道から北陸に来ると
越前~福井~琵琶湖という日本史のメーンストリートを
なんとしてもたどってみたくなる。
歴史大好きなのに、その舞台からやや縁遠い北海道にいて
足掻くような渇望感を持ってしまうのであります(笑)。
たぶん、琵琶湖周辺に住んでいるみなさんには
理解出来ない心情かも知れません。

そんな強い思いをようやくきのう、果たすことが出来ました。
温暖な京周辺、琵琶湖周辺で活発に政治勢力を糾合し続けていた
ライバルの秀吉に、人生の最末期、たまりかねて
大雪を掻き分けて乾坤一擲の軍を催した柴田勝家の気分のように
北陸道を南下して、琵琶湖周辺を目指した次第です。
途中そこかしこ、賤ヶ岳とか姉川とか、長浜とか、
日本史の重要舞台の地名がバンバン出現してくる。
まさに歴史好きには、否が応でもテンションが高まってしまう。
そうか、こういった地形・背景において
あの故事は生起したのかと、いちいちの想念がハイスピードで迫ってくる。
戦国期が一般的にいちばんポピュラーでしょうが、
それ以前の歴史過程でも、阿倍比羅夫の北征による北海道へのヤマトの進軍。
「会津」の地名が起こった、2手に分かれたヤマト軍の東北征服戦争故事。
さらに越前出自の継体王朝という明白な王統交代。
そして天智から天武へのこれも王統交代である壬辰の乱などなど、
畿内から見て「北国」にあたる北陸からは、大陸や北方世界の刺激が
いわば日本列島社会へ流れ込んだ文明文化として、この琵琶湖が
主要な「交通路」として、歴史を通じて主舞台になって来た。
わずかではあれ、その地相・地形を、肌で感受して見ることができました。
主要な交易路がここであったことで、
「近江商人」というビジネスネットワークが列島各地に拡散し、
ながく日本の経済もこの地域が主導してきたのだと思います。
そして、写真の長浜の地に、秀吉は最初の領地を得て、
やがて国家権力を握っていく橋頭堡を開いていった。
琵琶湖周辺のあちこちを巡り歩いたあと、
最後にこの長浜から、琵琶湖の風景をピンナップさせていただいた。
丸1日が、まったくの一瞬のように、
日本史のあれこれのことが目とカラダまるごとで感受され
たっぷりと飛び込んできてくれたような、至福の1日でありました。
北海道に戻って、カラダで受け止めたことを
じっくりと丹念に反芻させて、リアリティにまで高めていきたいと思います。

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金沢21世紀美術館で「建築展」取材

2015年01月24日 06時19分06秒 | Weblog

さて北陸の取材です。
きのうはもうひとつ興味を持っていた取材先として
金沢21世紀美術館で開催中の「ジャパンアーキテクツ1945-2010」と
「3.11以降の建築」のふたつのイベントの取材。
事前に美術館の広報の方に「取材依頼」を出していたので、
親切にご案内までいただけました。
取材の模様については、このブログでは詳述は出来ないのですが、
展示会の概要は、抜粋以下の通りであります。

「ジャパン・アーキテクツ1945–2010」は
ポンピドゥー・センター パリ国立近代美術館副館長のフレデリック・ミゲルー氏を
監修・キュレーターにお迎えして、戦後日本において
大きな役割を果たしてきた日本の建築家たちによる
150を超えるプロジェクトを考察し、戦後日本建築史を紹介する展覧会です。
戦後に焦土化した国土を復興し始めた1945年から2010年までの65年間を、
ミゲルー氏は6つのセクションに分け、各セクションのコンセプトに対応する
カラー・コードを用いて、戦後日本建築を独自の視点で
刺激的に読み解いています。
本展は、日本建築の資料を多数所蔵するパリ・ポンピドゥー・センターからの
出品を含め、建築家たちの思考の過程を示す
貴重なオリジナル作品約300点によって、
日本における建築家たちの業績を展観します。
<ここまで美術館HPより抜粋>

この美術館では、昨年も中村好文さんの「小屋」の展覧会なども
見学させてもらいましたが、
積極的に「建築」の企画展示を行ってきています。
たぶん美術館自体の設計がSANAAであり、そうした話題性もあって、
力点が置かれてきているのかも知れません。
現代の「美術」というもののひとつの方向性として
建築という、必ずしもキュレーションが定まり切れていない領域が
大きなテーマになって来ているということを
これは表しているのかも知れません。
建築家というひとたちは、以前から自分たちのワークが
必ずしもアートとしてくくりきられていない現状に対しての
異議申し立ての心情を持っていると思うのですが、
このような展示会の開催自体が、ひとつのエポックになっていくのかも知れません。
いろいろな博物館・美術館の最近の傾向として
純粋な「美術領域」から一歩でも踏み出したいという意欲は感じてもいます。
展示の内容以前に、そのような意味合いで、メディアとしての興味を
強く感じた次第であります。
わたしども住宅雑誌としてはたいへん興味深い企画展であったわけですが、
取材にあたっての発表留意条件などもありますので、
今後、取材内容についてどのように扱っていくか、
検討の上で、誌面などで発表していきたいと思います。


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温暖地・高断熱住宅への「ねたみ」

2015年01月23日 06時08分08秒 | Weblog


きのうから石川県小松市に来ています。
北陸地域は昨年5月に引き続いての再訪ですが、
今回は、Replan誌での掲載記事についての取材活動であります。
北海道東北がメインの取材範囲ではありますが、
設備関係の機器については、場合によってはどこにでも行く。
きのうは小松市の高断熱住宅ビルダーさんの取材。
北海道東北にいると、家の暖かさ、ということに対して
ふつうに体感的に反応するユーザー・マーケットが存在しますが
この地に来ると、やはり相当に違和感を感じます。
家は寒いのが当たり前で、
外気温の変化に連動して家の中の気温は低下するのが当然で
朝方3時、4時には耐えられないほどの寒さが襲ってくるのだそうです。
たぶん、断熱も気密もまったく理解していないのが一般的。
その上、性能をしっかり作った家に対して、
「過剰だ」みたいに反応するケースが
むしろ圧倒的に多く、にわかには信じられないエピソードを聞く。
わたしどもの常識が非常識のように感じてしまいます。
こうした高断熱住宅に対して、一般に
自分の建てた家とのあまりの違いに驚いて、くやしいとまで思い、
むしろ「ねたみ」にも似たねじ曲がった葛藤的心理も多いそうです。
また、高断熱住宅を建てたユーザー自体、
こんな反応に接するせいか、
そのことを積極的に周囲にアナウンスすることを回避して
むしろ、わが家だけでこの快適感を持っていたい、
秘密の優越感に浸っていたい、みたいな心理を持つケースまであるのだとか。
地域で発行されている住宅雑誌を見ても
断熱の「だ」の字も見えてこない・・・。
ただただ、すごい現実があるようです。

こんなことを見聞きすると、
寒冷地との彼我の違いに、愕然とさせられます。
北海道は、開拓のはじめから、寒冷気候に立ち向かう
いわば人権的な部分で寒さを、みんなで克服してきた歴史なのですが、
そういった部分、獲得した普遍性を
今度は、本州地域・温暖地域の過酷な冬期の室内環境改善のために
フィードバックしていかなければならないのだと思わされます。
エネルギーコストの上昇から、暖房を削減して
21世紀の現代で、ひたすら冬の寒さを「堪え忍んで」家にいる、
という理不尽さに、まことに絶句する次第であります。
せっかくの機会ですので、この他にも
いろいろと取材活動をして行きたいと思います。



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人口・個人主義・住宅~2

2015年01月22日 04時50分47秒 | Weblog


きのうの続きであります。
西欧発祥の「個人主義・資本主義」が世界の
それまでの伝統的な価値観に対して、
まったく違う価値観をもたらし、
日本では、対米戦争の敗戦という結果、戦後以降、
猛烈な勢いで、雪崩のようにこの価値観が社会を席巻した。
そしていま、まだそのプロセスにあるのか、
あるいは文化の受容先であるアメリカ・西欧をすら超えて
まったく人類未到のような「家・家族」意識、価値観領域に
ひょっとして、わたしたち日本社会は
突入しているのかも知れないと思ったりもしています。
日本という社会は、過去何回も海外の価値観を受け入れてきたのでしょう。
しかし、戦後のこの異文化の導入は、こうした変動をもはるかに上回り、
まさに圧倒的なスケールと質で
わたしたちの社会を揺さぶったのだと思います。
だから、伝統的な「家族・家」という、もっともセンシティブであるべき
生活文化の根幹部分でも、この大変革が巻き起こったのだと思います。
でもそのこと自体は、世界中で巻き起こったことでもあって、
ひとり日本社会だけが経験していることでもない。

個人主義が徹底して貫徹された結果、
「家族」というよりも、「個人」という存在に断片化されていった
そのように振れた住環境の基本単位に対して、
今後どのようなアタッチが必要であるのか、変革の方向が問われている。
この変化はちょうどわたしが、ひとり暮らしをしていた40年以上前の
学生時代のことをも想起させてくれる。
当時は「家族」の暮らしが社会の基本であって、単身者は暮らしにくかった。
基本的な生活維持基盤はスーパーや商店街だった。
ひるがえって現代、そこには生活維持基盤としてコンビニの存在がある。
問題は、こういう変化の結果の現状に対して、
どのような良き未来形があり得るのか、だと思います。
そういった地道な実践と、問題点を解決する方法を
探っていく努力がきっと必要だと言うことです。
そのときに、方向探索の基本指針は、
たぶん現実には、より合理的な経済妥当性の方向が重要で
そのように変化していくのが自明であるでしょう。

しかしなにより、ひとは結局どのように暮らすのが幸せであるのか、
ということであってほしいとも願う次第です。
伝統的な「家・家族」というマユから、
もうちょっと違う「マユ」は、ないのだろうか?
わが家は、いま、巣立ちつつあるふたりの子どもたちの単身世帯と、
わたしたち夫婦の世帯の3つに分かれています。
そういう家族の絆に、LINEが面白いインフラを提供してくれています。
スーパーからコンビニに置き換わった変化の先には、
なにか、そういう変化が生まれ出てくるのかも知れないなどと、
最近、心理コミュニケーションのためのスタンプのあれこれを探しながら、
ふと妄想したりもしています(笑)。
みなさん、いかがお考えでしょうか?

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