性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

Kindle電子本読後感

2014年07月31日 06時37分19秒 | Weblog


再三お伝えしているように、
先日Kindleを購入して、はじめて電子本を購入して
ようやく1冊の本を読み終えました。
いま、話題の「呉善花」さんの韓国論の本でした。
まぁその内容については、またの機会とするとして
電子書籍端末での読書感について使ってから感じたことを書いてみます。
Kindleがわが家にやってきて半月。
数冊の電子本を購入したのが、1週間ほど前。
で、そのなかの1冊を今回、読み終えられた次第であります。

最初は、どう利用するべきか
よくわからなかったので、既存の手持ちの本をスキャンして
PDFとしてKindleで読もうかと考えました。
スキャナーとして優秀な機器があるので、試した次第。
やはり形のある本を裁断してスキャンすると言うことは
抵抗感があってできない。
したがって、厚みのある本ではどうしてもきれいにスキャンできず、
そのデータをKindleに持ってきても
読むという行為に没頭できるような状況にはならない。
とにかく文字を目で追うのに精一杯で
文章を読みながら、いろいろ思考を整理し、書き手と対話しながら
いわば、「考えながら読む」という心理状況に至らない。
案外、読書というのは物理的・人間工学的にもよく考えられた
システムと人間営為なのだと再確認出来た次第。
スキャンには限界があるとすると、
最初から電子本に最適化された情報をゲットするしかない。
ということで、Amazonには、無料で読める電子本がある。
とりあえず、電子本読書になれる意味では悪くない。
ただし、当然のように著作権の切れた古典なので
それなりの楽しみはあるけれど、やはり知的欲求からは物足りない。
そういうことが体験できて、ようやく電子本を購入してみました。
このあたり、人が本を求める心理を追体験するようで勉強にもなる。

つぎに問題になるのが、
興味を持っている分野の本で電子本でも提供されているものが少ないこと。
いまどきは、ほとんど両方が準備されているかと思ったのですが、
それはむしろ少数派。
ある程度、確実に売れるラインが読める本しか電子化されていない。
ここで、知的欲求にそっての読書という基本が叶えられなくなっている。
いま、わたしはこのような現実にいるわけですが、
さらにいえば、大量に保有している本棚との関係性が消える不安。
これが本当はいちばん大きい電子本促進の阻害要因でしょう。
やはり本があるという視覚的安心感は捨てがたい。
「積ん読」という言葉がありますが、あれもある意味では
ユーザーにとっては、大切な知的所有感の発露なのかも。
しかし、読書では電子本はやはりラクだ、というメリットは高い。
こんな現状を前に進めるアイデアを、いま時代は求めているのかも知れません。

<写真は無関係>






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日射制御と通風の伝統デザイン

2014年07月30日 05時21分32秒 | Weblog


先日取材した「蓄熱シンポジウム」での発表で特徴的だった
「断熱・日射制御・蓄熱・通風」という4要素への
住宅性能、外皮性能のまとめが気になってきています。
北海道では、住宅性能の4要素としては
「断熱・気密・暖房・換気」が挙げられるのですが、
気候風土条件を踏まえると、こういった整理整頓がスッキリしている。
写真は、軒の出が確保された日本的な住宅建築での
開口部、というよりも柱間の様子ですが、
障子という紙と、自然素材の葦簀が
「日射制御と通風」に効果的な働きをしている様子が明瞭。
で、北海道の人間の立場からすると
このような住宅建築要素でのデザインが、
「日本的」と言われる生活文化に重要な役割を果たしていたことに
大いにセンシティブにならざるを得ない。
確かにこのような空間性は、
日本各地からの移住者によって構成された北海道開拓初期に
北海道内でも散見されていたけれど、
やがて、こういう住宅デザインは夏場のほんの1~2週間
忽然と出現する季節感に対応しているだけで、
それ以外の時期には、素寒貧住宅の象徴のようだったのです。
それでも、こういった生活文化性には抜けがたいDNA的憧憬があり、
こういった住宅装置がそれとして機能する気候風土での暮らし、
感受性に、強いコンプレックスは持たざるを得なかった。
しかし、北海道はあるときから、こうしたコンプレックス自体
放棄することにしたものかも知れない。
東北の状況は、こういう部分で、捨て切れなさを抱いている。
関東以南ですら、捨てたいと思っている人も増えているかも知れないという、
いまがあるのかも知れません。

しかし、こういった風情が、
気候風土的な室内気候快適化装置でもあると
いわば科学的に見えてくるに及んで、
もう一歩、違う次元的な認識変化が起こってくるようにも思われます。
こういったインテリア空間にさらに科学的な取り組みを加えて
「断熱・蓄熱」という要素技術を加えていく方向もあれば、
「断熱・気密」化された空間に、こういったデザインを導入する方向もある。
たぶん、列島社会の中で、北と南から、
せめぎ合っていくような住宅技術の進化が止揚されていくのかも・・・
そんな妄想が沸き起こってきている次第です。
いいですよね、こんな空間性、大好きです。




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現代世界での家・子育て

2014年07月29日 05時14分46秒 | Weblog


歴史を学ぶということは、深まってくると
今、現在の問題に突き当たってくる。
現生人類という種族のおおまかな歴史すら知見が及ぶようになって来て
そして人口爆発が、実はごく最近になって起こっている、
さらに過去に人類が経験してきた大きな変化の発生する波動が
ごく最近、数十年の間に加速度的に切迫してきている。
というような知見が、次々に明らかになってきているのが現代だと思う。
そういうなかで、加速度的に経済規模が拡大してきて
その維持発展のためには、労働力人口の確保が緊喫の課題になって来た。
解決策としての女性の社会進出、仕事を持つ女性の数が
飛躍的に増えていく中で
一方で、「核家族化」も同時に進んでしまっている。
人口減少と核家族化との間にはたぶん、大きな因果関係がある。

わたしの経験してきた「家」を考えてみると
祖母はわたしが生まれてすぐに亡くなり、夫婦と子ども6人の8人家族になった。
戦前までの「小作」から解放されて、小規模ながら地主としての
農家経営に必死に取り組み、周辺の農業生産物も買い入れて
それを産直商品として、大阪や東京の「市場」に送るという
農業と商業の両方を行っていた。
やがて、そういったスタイルの限界を悟って、
都市での食品製造業への転換を志して、札幌に移転した。
そこから家族一体となって食品製造業に邁進してきた。
その間家族8人、夫婦と子どもたちが力を合わせて戦ってきた。
札幌の人口急成長と、戦後の経済成長という幸福な時代だったといえる。
よく母親はがんばってきたのだと思う。
彼女は、農家労働の中核的な担い手であり、
同時に6人の子の母親として、子どもたちを父とともに育て上げた。
その間、大きな意味では父方、母方の「大家族」に支えられてもいたと思う。
そしてわたしは、ふたりの子どもを同じように夫婦共働きで育てた。
子育てでお世話になったのは、保育園や学童保育という
社会的な子育て支援システムだった。

女性労働力の活用が
いま、先進国では不可欠な成長維持要素と考えられている。
しかし、現代の核家族システムの中では
やはり子育てシステムの工夫改善が欠かせなくなってくる。
ただ、加速度的な人類社会進化速度に、
類的な子育てシステムは、ほんとうに追いついていけるのか
というような疑問は感じざるを得ない。
しかし、人口の都市集中が強固な固定化を見せる中で
江戸や戦前までの地方大家族システムのような段階に
いまさら戻るわけにはいかないだろうし、
この核家族社会のなかで対応策を考えていかなければならない。
次の世代、そしてそのまた次の世代へ、
わたしたちは、どんな社会システムを構築していけるのか、
どんな知恵を出していけるのか、
突きつけられている課題は、根源的だと思う次第です。

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国宝瑞龍寺仏殿

2014年07月28日 06時22分18秒 | Weblog


北陸行脚以来、すっかり「禅宗」についてハマっております。
どうしようかな、わたし真言宗なんですけど(笑)
っていっても、家の宗旨であって、自ら選択したものでもないし、
たまたまお世話になっている、親もその宗旨のお寺で弔ってもらっている
というご縁があるということですが、
まぁ、個人的に興味を持つというのは、お許し願えるものと勝手に解釈。
ただ、宗教と日本人というのは、たいへん長い付き合いであって、
いろいろに生きた、あるいは死後も契約し続けてきたという意味で
日本人の死生観に大きな部分を占めていることがらでしょう。
歳を重ねて、こういうことに興味が深まるのはムリからぬものがあります。
で、そういった宗教において、建築が占める領域も広く深い。
建築の発展に置いて、宗教が関与した部分はきわめて重要だったのでしょうし、
今後とも、そうであることは間違いがなさそうです。

そんな前置きで、この建物であります。
江戸期の大名の中で、特異的な大名として生き延びた
前田家は、一向一揆の大根拠地を支配するのに
いちばん都合が良かったと目される禅宗を積極的に導入し、
民衆支配の武器に使ったことは理解出来る。
一向宗、浄土真宗が、たいへん権力志向的な反抗的な宗教であったのに対して
武家政権、鎌倉幕府開設以来、その教義において内省的な禅は、
武家権力にとって都合の良い宗教だったのだろうと思います。
そして民衆の側でも、それを受け入れてきた歴史があるのだろうと思います。
わたしは学生運動とか経験した世代なので
「加賀は百姓の持ちたる国」というフレーズにしびれていた(笑)。
そして当時、バイブルであった「忍者武芸帳・影丸伝」の
「われらは、遠くより来た。そして遠くまで行くのだ」
というような、政治的反抗者・影丸のことばが胸に生き続けてきた。
そういった人間からすると、北陸はその発祥地という理解があったけれど、
その後、この地を支配した前田家は、
このような戦闘的な民衆を、長い時間を掛けて温和な民に変えた。
少なくとも、今日のこの地方には、
禅の総本山がふたつとも存在し続けた。
総持寺と永平寺(明治以降、総持寺は鶴見に移転したけれど)があり、
そして、前田家の菩提を弔うこの瑞龍寺など、
まさに国を挙げて、禅に帰依しつづけてきたのだと思う。

写真は仏殿の内部であります。
形だけ見ると、これはキリスト教の祭壇に酷似している。
この創建の時代は、まさにキリスト教の布教活動も活発だったので
どうも、そういった影響もあったものかも知れませんね。
ちょっと、内省的精神性重視の禅には不似合いな印象を持った次第です。
そういったことには、インターネット上では触れられていない
解説が多かったのですが、どうなんでしょうか?
永平寺にしろ、総持寺にしろ、こういった祭壇的な宗教建築志向はない。
すこし異質な感じがしませんか?
ちょっと謎めいていて、好きになった建築であります。

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雨読Kindleサンデー

2014年07月27日 18時57分59秒 | Weblog




北海道の夏は短い。
で、今週末は学校の夏休みがスタートした。
ところが、7月いっぱい、雨が少なくてカラカラ天気が続いていたのに
子どもたちの夢を奪うかのような無情の雨。
例年、7月最終週と8月第1週は、
晴天の特異日だと思っていたのですが、
そうはうまくいかなかったようで残念です。
でもまぁ、おかげさまで近くの銀行の気温計を見たら
しばらくぶりに「20度」という過ごしやすい気温。
また、カラカラ天気で困っていた農家のみなさんには
まさに干天の慈雨でしょうね。
できればウィークデーに降って欲しかったところですが、
神さまの配剤には神妙に従うほかはないでしょう。

という雨降りなので
Kindleで電子本を購入しての読書三昧であります。
やっぱり電子書籍端末は、わたしには必需品のようです。
いろいろ読んでみようかなと考えていても
忙しい現代生活では、なかなかゆっくり書店に滞留できない。
書店って、ブラブラしながら、気分にノって
あれこれと知識や情報をゲットしていく場なのだと思います。
そこではさまざまに情報そのものの展示が「編集」されている。
ただ、あるときからか、
その「編集」に違和感を憶えるようになって来て
やはりロングテール型の情報検索には
電子書籍の方が似合っていると思えるようになって来た。
どうしてもリアル書店では「売れ筋」にシフトせざるを得ない。
でもインターネットや情報媒体の多様化で、そういったベストセラー型の情報は
とくに書店のような場所で接する必要がなくなってきた。
で、自分自身の読書傾向は、どんどんロングテール型になってくるので
どうしても、Amazonのほうが便利になってくる。

ただ、こうやってダウンロード購入していくと
リアルな「本棚」が充実していかない。
本棚は、自分自身を映し出す最高の自己表現だと思う部分もある。
それが、Kindleではどうしても見えてこない。
このあたりに、ネクストチェンジのタネがきっとあるのでしょうね。
ふむふむ。
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被災地と「建築賞」

2014年07月26日 09時43分44秒 | Weblog


駆け足でしか歩けなかったので、この写真の建物、
「みんなの家」陸前高田について、きちんと見学することは出来ませんでした。
不勉強で、こういった動きについてあまり情報はなかった。
建築家の伊東豊雄さんが中心になって、
乾久美子(建築家)
藤本壮介(建築家)
平田晃久(建築家)
畠山直哉(写真家)
というチームが、全的被災地である陸前高田で建築した施設なのですね。
この「作品」をもって、めでたく(?)第13回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展
国別参加部門の最優秀賞である、パヴィリオン賞(金獅子賞)を受賞したそうです。

被災地で住宅復興についての取材活動をしていると
いわゆる建築デザインについての考え方は後景になるのを避けられない。
それ以前に、生きていく実質についての問いかけが
不断に迫ってきて、考えが及ばなくなってくる。
ギリギリの与条件のなかで、まず第一に「環境要件」を満たすことが
設計者に求められる基本的な要請だと思えてくる。
きびしく凶暴でもある自然の猛威を体験した人々に
まずは、建築は安全と安心をこそ提供すべきであって、
その則を超えて、被災した立場でもない人間が、その建築を通して
「個性的」であることを主張することは、はばかられる感じがした。
多くの、ボランティア的な動きをしてきた建築関係者の内語として
このことは共有されていたように思う。
菅直人が招集した「復興国民会議」に「有名」だからということで
安藤忠雄さんが選ばれていたけれど、
まさか、震災の象徴としてのモニュメントを安藤忠雄作品として作る
そんな展開になるのでは、と思っていたら、案の定、
そうした内容の「趣意書」が出てきて、息をのんだ記憶がある。
それが実現したという話は聞いていないけれど、
そのときに、菅直人の政治家としての小ささを実感した気がした。
あの過酷災害の時に、いちばんその立場にいるべきではない人間がいたことで
その後の民主党の瓦解が決定づけられたのだと思う。

建築の賞というのは、
一体、どういったことなのだろうか?
けっして肯定的ではない、いろいろな声を聞くにつれて
どうにも持ちきれないものを感じさせられてしまいます。
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断熱・日射制御・蓄熱・通風

2014年07月25日 07時39分57秒 | Weblog


きのうは朝1番で家を出て東京日帰り出張。
本当は2泊する予定だったのですが、本日朝から日程が入ったので
やむなく強行軍日程であります。
炎暑の東京、覚悟して向かったのですが、
確かに日射を外でまともに受ければつらいですが、
きのうはやや曇り空だったこともあって、過ごしやすく、
北海道も暑かったそうなので、思ったほどの厳しさはありませんでした。
ただ、時間ギリギリだった帰り道のモノレールに乗ったら
あちこちでピカピカと雷だらけで、強烈なスコールも。
すぐ近くでも落っこちて、猛烈な雨とともに肝を冷やさせられる。
さすがに日帰りはややきびしい日程で、帰ったらバッタン状態でありました。

さて、きのうの取材先は東大本郷で行われた
「蓄熱シンポジウム」であります。
たくさんの発表が行われたのですが、
いちばん最初に発表された国総研の三浦先生の発表から
表題のような外皮性能についての4つの要素技術がまとめられていました。
まことに簡潔でわかりやすい。
日本の木造住宅では、簡素を持って尊しとしてきた伝統からか、
蓄熱容量はほとんど顧みられなかった。
世界の多くの地域で使われた住宅建築素材は石や土だったのに対して
木では、蓄熱容量は比較にならなかった。
で、蓄熱なのですが、そのふるまいについて、
明示的に効果を特定することが、これまでなかなかできなかった。
とくに潜熱蓄熱について、その研究が進んでこなかった。
シンポジウムでは、海外での効果研究アプローチの事例検証や
建材試験センターの方から、やや専門的な解析結果なども発表されていました。
膨大な発表資料もあったのですが、
そのあたりは研究者のみなさんに解き明かしていただきたいところ。
また実践者として、北海道での潜熱蓄熱材利用、「i-Wall」の石戸谷さん、
京都の左官屋さんの息子という設計者の豊田さんの発表がありました。
こちらは、実例発表ですのでたいへんわかりやすく、
とくにはじめて聞く京都での土壁住宅のお話しは、興味津々。
今後のひとつのテーマとして、取材を続けたいと思います。

で、肝心の主催者・前真之東大准教授がなかなか姿を現さない。
どうも事故で右手を、どうやらきのう骨折されたようで
その手当や、痛み止め注射などで体調不良だったようです。
でもまぁ、なんとか、時間は遅れましたが、
最後には元気に発表されていました。
って、パソコンもなかなか使えない状態みたいです。
げ、原稿はどうなるのか、やや懸念を持った次第。
1日も早く回復していただきたいと思います。



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炎暑の東京へ

2014年07月24日 05時31分39秒 | Weblog


本日は東京に日帰り出張であります。
昨年も行われた「蓄熱研究会」の第2回が行われるので、もろもろ取材。
なんですが、この時期はできれば東京出張は避けたいのがホンネ。
歳とともに、暑さの方にはすっかり弱くなってきている。
北海道に住んでいられる幸せは、夏にこそある。
北海道も暑くなってきたけれど、カラッとした暑さであり、
夜間にはクールダウンする暑さ。
家にいても、空気の温度差を利用しての換気を考えれば、
快適に過ごす工夫が楽しめる。
夜間には、空気の道を考えて窓を開けて楽しんでいます。
朝方、寒いほどに室内がひんやりとすると、
この地らしい工夫の楽しさが感受されます。

子どもの頃とか、好奇心いっぱいだった若いときには
「日本の蒸暑」に深く憧れていた。
北海道に生まれ育った少年には、話に聞く高温多湿の空気感が恋しかった。
ホンの束の間、蒸暑の夏が北海道でも数日、楽しむことが出来て
「こんな空気感が、ずっと継続しているニッポンの夏」に
激しく思い焦がれる部分があったのです。
そしてその思いの中には、日本の夏の持っている生活文化の濃密さがあった。
浴衣に着替えて、ウチワを持って夕涼みする。
川縁で花火を眺めて、家に帰ってスイカを食べる、みたいな。
そういったニッポンの家族が楽しんでいる普通の生活体験が
匂い立つニッポン文化だと、子供心にそう考えていた。
暑いね、と言葉を交わしながら、
表情に「うれしいね」と書いてある会話が、北に生きる日本人の共有精神。
しかしいま、その日本の夏が年とともに凶暴さを見せていると感じる。
自然のクールダウン装置がそれとして機能しなくなってきて
炎暑がコンクリートに「蓄熱」されて
凶暴化した暑さが、襲ってきているように思われるのです。
こういった現代の環境の中で、いかにして室内環境の適性化をはかるか、
「蓄熱研究」には、そういった側面も大いに期待している次第。

さてちょっと、荷物も重たい道中であります。
ふ~~、がんばるぞと。
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ホヤをさばく

2014年07月23日 05時18分08秒 | Weblog


きのう朝に、20日朝に気仙沼の漁港で仕入れたホヤが到着。
漁師さんに教えてもらったホヤの捌きをやってみました。
会社スタッフにその旨、朝会で話したのですが、
ホヤを好きな人、と問いかけても無反応に近かった(笑)。
まぁ、きのう朝に会社にいた11人中、なんとかひとりはいました。
「食べたことある人?」と問いかけたら、
「わたし、食あたりしたことがある」という申し出がひとり。
なんでも、食べて具合が悪くなったということ。
総じて、違和感ムンムンの反応と言えるでしょうか(笑)。
やはり、北海道の人はホヤを食べるという食習慣はあんまりありませんね。
わたし自身も、東北によく行くようになって、
はじめて食べるようになったのが実態。
まぁよくわかりますね。
ということで、東北をよく理解する意味でも、これは避けて通れない(笑)。
昼に、解体ショーを実演することにしました。

で、用意していると、数人が「わたしちょっと・・・」という感じで逃亡。
おいおい、でありますが、強制もできませんね(笑)。
集まったのは、腰の引けていたカミさんを含めて6~7人。
まずは、上の写真のホヤ上部、左右の突起のすぐ下側に横にメスを入れる。


そうすると、プシューッとホヤの体液が飛び出してくる。
おかしい。
で、今度は切り込み部分にタテに包丁を入れる。


そうすると、目に鮮やかなオレンジ色の肉質部分が
ほわん、というか、ほやっと、というか
感覚的にはかわいらしく露出してくる。
たぶん、捌いていて、愛情を感じる瞬間であります。


で、流水で内臓のような部分を除去しながら
肉身だけにしていく。




こうして捌いた肉身を適当に切って
一口大に。
そのまま頬張るのが磯の風味も口中に広がって
いちばんおいしいけれど、
保存も考えて、あらかじめ用意の酢の物に入れました。
スタッフに聞いたら、捌いてすぐのホヤを食べると
ほぼすっかりファンになるようです。
ということで、本日は、編集長お料理シェフ篇でした。




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住田町役場新築庁舎

2014年07月22日 13時03分43秒 | Weblog



久しぶりに、というか、1年半ぶりくらいでの
岩手県住田町訪問でしたが、
びっくりさせられたのが、「新庁舎」が立派に完成寸前だったこと。
旧庁舎はとなりにありましたが、古式ゆかしい
「町役場」という言葉そのままのたたずまいで、
しかし、そういうなかでつつましく地域の生き残りを必死に願っているさまが
訪問する人に伝わってきている建物でした。
何回か、その旧庁舎に伺ったことがある人間からすると
場違いなほどにステキなモダンデザインと美しい木の町にふさわしい外観。
気仙杉と気仙大工の里らしく、豊かな木質感がデザインされていて
こんな背景の中で美しいフォルムを見せている。

住田町は、東日本大震災勃発後すぐに
町内で生産される木材を使って木造での応急仮設住宅づくりに立ち上がった。
隣接する大船渡市・陸前高田市とは「気仙」地域の共同体でもあり、
住田がまず助けなければ、という使命感が
町を突き動かした動機だったのだと思います。
すぐに出来上がった木造応急仮設住宅は、いまでも熟成すら感じさせる
街並み景観をもたらしていて、
プレハブ仮設住宅のみすぼらしさからはまったく異次元。
その後、福島県での木造応急仮設住宅の動きに大きな起動力を与えました。
いま、復興住宅も町内に建設され、
気仙地域らしいたたずまいの街並みが構成されている。
東日本大震災を契機として、露わになった現実の中で
未来に繋がっていく大きな芽も育っているのだと思わされる。
建物としてはおおむね出来上がっているけれど
まだ使用されていないようなのですが、
現代に、気仙大工の心意気が力強く蘇ったような気がします。

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