三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

吉野ヶ里再見_4

2005年12月31日 05時56分46秒 | Weblog
さて昨日もちょっとふれましたが、吉野ヶ里の大型建造物。
写真の左側なんですが、これは・・・城ですね。
下側が、木柵で隠れていますが、高床式で3階建てになっています。
最盛期の人口が、5000人を超えていたという吉野ヶ里。
こうした集団を統御する権力の象徴、示威だったのでしょうか?
文字がやがて輸入され、歴史として遺されている時代の
日本の権力のあり方と、ほとんど変わらないといえますね。
たとえば戦国期の一地方権力のありようと比較しても、明確な類似性がある。
右側は2階の広間の様子。展示は会議?の様子を再現した人形群。
この写真中央にいるのが実質的な権力者なのでしょうね。
さらにこの上階、3階には、ほぼ卑弥呼とおぼしき
神懸かりする女性による、占いか、祈祷のシーンが展示されています。
このあたり、日本的な権力の有り様を、かなり意識しての想像なのか、
それともかなり研究が進んで、ほぼ史実とおぼしき演出なのか
いずれにせよ、かなりリアリティが感じられます。
たぶん、このように日本の権力は構成され、民衆を圧伏してきたのでしょう。
天皇制に繋がってくる権力システムの素型があります。
また、この区画に至る順路は、複雑に道が曲がっています。
これも、日本の城郭の作り方の基本を押さえてもいます。
防御のため、敵の進入路を複雑にしているのですね。

ちょっとうがった見方をすれば、
この吉野ヶ里はいちはやく国立公園的に整備されましたが
一方で、青森三内丸山の「縄文の都」はいまだそこまで保護はされていません。
今に繋がる日本型権力として、吉野ヶ里に強いシンパシーを感じているのかも知れません。
って、まぁ、単に遺跡研究が進んでいるかどうか、の違いだけなのでしょうが。
ここが邪馬台国だった、という決定的な証拠は出ないまでも
どう考えても、邪馬台国論争にたいへん大きなインパクトを与えた遺跡です。
これからも、何度も訪れて、ふたたびいろいろな体験をくれそうな
吉野ヶ里の再訪問でした。 息子よ、付き合ってくれてありがとう、な(笑)。

さて、きょうで2005年もお仕舞い。
あんまり意味はありませんが(笑)、無休でブログ書き続けてきています。
こうなったら、ブログのギネス記録に挑戦と言うことで
<そんなの、まだ、ねーだろーが!>
新年からも、頑張って書き続けますので、どうぞよろしくお願いします。
みなさん、よいお年をお迎え下さい。 ではでは。
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吉野ヶ里再見_3

2005年12月30日 06時36分26秒 | Weblog

どうしても家のことが気になるのが性でして(笑)
昔の家って、どういう開口部のディテールなんだろうって気になります。
今、展示されている竪穴住居や、大型の窓付き建造物の開口部写真がこれ。
いまでも当時とそれほど変わらない住宅技術水準のアジア南方地域とか
参考にしています、ということでした。
そうした発掘や研究成果を総合してこうした開口部を展示していると思われます。

どちらも、開口部材・ドアとか窓板を上下させて開閉させていました。
右側の窓は、大型建築物に使われているものです。
この建物、一目見て、これが本当なら、完全にここは「邪馬台国」だべさ、って感じ。
それはさておき、柱には、たぶん鉄器の「ちょんな」による仕上げも施されています。
これはなるべく面として平滑に見せるために、表面を仕上げるもの。
説明を聞いても「ちょんな」による仕上げは遺物から確認されるんだそうです。
こうした技術が使用されているとなれば、ということで
こんな開口部が実現できても、異論はないということなのでしょう。
真ん中につっかい棒があって、窓枠の下部分に穴が開けられ止まっています。
屋根の軒があるので、これで十分、雨とかにも問題はなかったでしょうね。

ふーむ、という感じで見ておりました。
こういう仕様で、たしかに問題なく機能できただろうな、と。
いや、九州地区で、北側に高い山地を持っているという土地・気候条件。
そうしたポイントを併せて考えると、無断熱住宅は、いまでも多く建っているのですから(笑)、
現代でもまぁ、使えるんじゃないでしょうかね。
いやむしろ、茅葺き屋根の温湿度調節機能も考え合わせると
現代建っている住宅より、いい性能である部分もあるのでは、と思われました。

ことしも、日めくりでも、カレンダーがついにあと一枚。
このブログも、8月開始以来、なんとか休むことなく続けてこられました。
あんまり、コメントやトラックバックって、返ってこないブログです。
たまにコメントいただいても、ほとんど返信もできませんでした。
でも、見ていただける方がいると言うことで続けてこられました。
感謝します。それで、これからも書き続けていきたいので
ROM専門でけっこう(笑)ですから、ご愛読をお願いします、ね。
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吉野ヶ里再見_2

2005年12月29日 05時58分43秒 | Weblog

行った日は、公園スタッフ・弥生人
(って、自己紹介していた~笑)のみなさん総出で大掃除中。
環濠のゴミとかを掬いだしては、きれいにしておりました。
で、残っていた人から弥生のお茶、麦茶らしきモノを振る舞ってもらった。
これの加熱、ごらんのように弥生式土器で、石の置き方なども吉野ヶ里式。
ごちそうになると、ほとんど無味だけれど、ほのかな滋味のかおる味わい。
吉野ヶ里では、左の写真のような居住室内部では、暖をとる以外の
煮炊きのための囲炉裏はなかったそうです。
食事の支度はもっぱら外、もしくは専用の煮炊きの建物でしていた。
飲料水は、わき水が豊富に出る場所がたくさん発見されているそうです。
食べ物は主食のコメはもちろんですが、
そのほかにも、周辺で採取可能な多様な動植物を食べていたようで
なかなか豊かな食生活なんだとか。

住むための居住区域は明確に分けられていたけれど、
内部の様子は、調度のたぐいに多少の貧富の差が見られる程度で
そう、大差はない。居住用の建物は、寄せ棟や入母屋型で茅葺きの屋根。
玄関は、板戸が使われていたようですね。
ほとんどが半地下タイプで、居住性は案外高そうです。
床はよく突き固めた土間。寝る場所は一段高くなっていてベッド状。
キッチンやトイレは外にあるわけで、
この家は現代で言えば、居間と寝室だけの空間ですから
そう考えると、広さもほどよく、快適な暮らしともいえるかも知れませんね。
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吉野ヶ里再見_1

2005年12月28日 06時17分01秒 | Weblog

今回の旅の目的は、やっぱりもう一回吉野ヶ里に行きたかった、
ということ、のようです。わたしのなかで。
息子の歴史教育の役に立てば、という淡い期待は持っていたのですが
まぁ、まだ無理みたいだった、というかあまり興味はなかったようで
「体験工房」での勾玉つくりに精を出していました。
ま、これも面白かったんですけどね。

初めて吉野ヶ里に行ってから、6~7年経っていまして、
その間、多くの研究や遺跡の国立公園化整備が進んだようで、なにより
わかりやすい建築群がたくさん建築されていまして、興味津々。
まずは、写真左「大人~たいじん」と呼ばれる環濠内部の支配層の家。
吉野ヶ里は想像以上に階級分化が明確な社会組織だったようです。
というか、日本のコメ作りとクニ社会の成立って
やはり表裏一体の関係だったんだな、と思い知らされます。
多分、大陸から社会全体が移住してきたという感じのようなのですね。
コメ作りは、全プロセスで労働の集中的な動員が必要ですが、
その意味で、命令する権力と、農奴的に支配される被支配者との関係が明確。
右側の写真は、環濠の外側の被支配者居住区と農業生産用の建物群。

左右の写真の間には、柵と城塞が存在し、階級分化をあらわしています。
吉野ヶ里の入り口近くには防御装置である「逆茂木~さかもぎ」もありますが、
こうしたクニ同士が争い合うのが、日常茶飯的だったようなのです。
まさに、コメ作りとともに、戦争もこの国にもたらされた・・・。
だから、環濠が巡らされ、柵で防御し、農業生産性の向上のために
権力が管理する形で「製鉄」が行われ、スキ・クワづくりとともに
殺し合いのための武器も生産されていた。
農業生産と同時に、
他のクニと血みどろの戦争によって領地争奪が繰り広げられていった。
日本という国は、その初源的なかたちから、
どうもこうした社会だった・・・ようです。

それ以前の、狩猟採集型の縄文社会が
この弥生的なシステムに置き換わっていくわけですが、
生産性の向上が図られる一方で、殺し合いも進化していった、
というのが、日本歴史の実態のようですね。
これを悲しいととるか、自然ととるか、見方は分かれるところです。
しかし、多くの研究の成果で、こうした社会実態の解明まで
吉野ヶ里は実に多くのことを教えてくれますね。
年末年始のこの時期、ちょっと、このシリーズ続けたいと思います。
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神頼み教育

2005年12月27日 06時06分22秒 | Weblog

さて、自慢じゃまったくありませんが、
勉強の方は、親を鏡に、すくすくと、のびのびと育つ子。
自分のことを思い出させてくれるかわいいわが子を
心底から案ずるのが親の常。
って、いったい何を書いているのか、さっぱり不明ですね。
要するに、もうとりあえずは神頼みしかない、ということです。

そういうことならここ、と相場が決まっているのが
全国にその名が知られた学問の神様・菅原道真公を奉った太宰府天満宮。
早朝、坊主をたたき起こして、車を走らせて向かいました。
すこしでも御利益があるように、とつい奮発して
御祓い・ご祈祷もお願いして、おごそかに、神妙にお参りしてきました。
はてさて、寒い早朝、こごえながらのお参りの験、いかがなものでしょうか?
でも、こういう便利な(失礼)神様がいてくれるというのは
ホントにありがたい話だと思います。
とりあえずの、「太宰府天満宮にお参りもしたんだから」という安堵感だけは
万人が得ることができるという、素晴らしい神様ですね。
それだけじゃだめなのは、まぁ、はっきりしているとは思いますが(笑)。

しかし太宰府天満宮には、電車の駅がすぐそこにあり
さすが、の集客パワーを持っていることが明らかですね。
参道脇の出店も多く、朝飯抜きで出かけてきていたので、モチを食べました。
これが名物だそうで、展示即売していまして、
食い入るように見ていた息子は、
「父ちゃん、あれの作り方、わかったわ」と、機械の仕組みを理解した様子。
なかの餡と、焼きを入れた風合いが格別で
なつかしくもおいしい、日本人の「参拝観光」の伝統を味わえた次第です。
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南阿蘇の秘湯

2005年12月26日 06時09分15秒 | Weblog

北海道から九州にわざわざ来て
どうしても阿蘇が見たくて来てみたら、雪景色。
これじゃ北海道とおんなじ、ってね(笑)。
山頂付近は下界の晴れとは違って天気が変わりやすそうなので
夏タイヤが気になって、そうそうに退散しました。
しかし、やっぱすごい雄大なところで、大感激。
雄渾な白煙が天に昇っていて、ものすごく男性的な火山ですね。

で、上る途中も気になっていた、いくつかの温泉宿。
帰る途中に、立ち寄ってみました。
ごらんの写真は、そのなかでもわたし好みの古民家の建物の
栃木原温泉・いろは館。
古民家はいいけれど、室内廊下など、夜はたぶん決死ですね、寒くて。
しかも数日前に降った雪が屋根から解けていて
古い建物らしく、脱衣所はそこかしこに雨漏り。
っていうなんともいえない野趣あふれるところが、いい。

風呂が、いい。
源泉の温度が41度と書いてあったけど、ほぼそのまんまなんでしょうね。
久しぶりに、あ、温泉の湯だ、って体が反応しました。
火山の元気がそのまんま、湯になっている感じ。
香りや、体に伝わってくる湯の質が柔らかい印象。
だから、多少熱くても、つらく感じることはありません。
加温していないのでしょう、
露天風呂は外気で冷やされているので、ごくぬるい。
で、なかなか出られなくなる・・・。
決心して、裸で外気に触れて、実に気持ちいい大自然を感じます。
いいお湯、ごちそうさまでした。

風呂上がりには、いろり端で食事も楽しめます。
いろりのまわりが、食卓になっていて、いごこちがいい。
ごろっとしたくなる、ここちいい雰囲気でした。
食事はほかで済ませたので、ゆっくりできなかったのが
ちょっと残念だった、阿蘇の秘湯でした。
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門司のレトロ街

2005年12月25日 06時28分15秒 | Weblog

旅行記、2日目です。
なんか1日目はたんに食事していただけの感じでしたね。
何回かに分けてアップしますから、食べるだけではない面も(笑)、
アップしていこうかと思います。
きのうは、寒波もやや和らいで、日射しも感じられる陽気に。
前から行きたかった門司のレトロ街に行って参りました。
周辺には面白い建築群が、保存されています。
昭和初期まで九州の玄関口として栄えた門司を偲ばせる
建物や雰囲気が残されていまして、興味深い。
なかでも圧巻は、今でも使用されているJR門司港駅舎。
以下は、案内文。

JR門司港駅は、大正3年(西暦1914年)に建てられた
九州で最も古い木造の駅舎で、駅としては全国で唯一国の重要文化財に指定されています。
外観のデザインは、ネオ・ルネッサンス様式といい、
左右の造りが対称的なのが特徴です。
噴水のあるレトロ広場とともに美しい景観を創りだしています。
今も現役で活躍する駅舎は、地域の人々の誇りともなり大切に利用されています。

ほかにも多くの建築群があって、目が飽きません。が、
ただし小4の息子とのふたり旅。こちらの都合は優先させてくれません。
早速めざとく見つけた遊覧船に飛び乗って
関門海峡をひとまわりさせられました。元気いっぱいに
運転手さんの横で、冬の風の中、頑張っておりました。
このあと、午後にはスペースワールドという遊園地(ですね、完全に)に
付き合わされまして。まぁ、それなりには楽しい・・・けど、
冬なのに体が水浸しになるアトラクション続きで、
面白いけど、疲れは一気に来まして、・・・さすが、ちょっと寒かった。
5時過ぎには温泉にドポーンと入って、ひとごこちがついたところです。
ふ~っ。
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昨日よりお休みー九州です

2005年12月24日 06時35分45秒 | Weblog

さて、閑話休題。きのうから冬休みの坊主と九州です。
実はマイレージが、たまりまくっていたのです。
なんと1年間で42,000マイルとか溜まっていたのですね。
いったい何回飛行機乗っていたのか、よくわかんない。
それで、好きな国内空路往復で2人、旅行ができます、というわけ。
こういうのにどうしても弱い。
タダだよ、おい。
とかいうことなんですよ。 こりゃあ、ということですぐ乗っちゃいまして。
って、なんにも考えていない旅なので、じゃ、一番遠くまで行ける、
ということで九州ということになったのです。安易だなぁ。

1日目は、ほぼ移動で終わりました。
朝10時半に家を出て、車→飛行機→レンタカー→ホテルで
着いたのが17時半。やっぱ時間がかかる。
毎度、一番手間取るのが、レンタカーの申し込み。今回も1時間弱。
時間のない旅先で、あれはいただけないと思うのですがね、いつも。
まぁ、でも特段、目的はない旅、坊主と和気あいあい、
っていっても、最後はテレビアニメの時間に間に合わないとか
運転をいそがされまして、ややヒヤヒヤ。
で、結果、いまはなぜか北九州市・八幡におります。
目の前には「スペースワールド」とかいうテーマパークがあります。

きょうは、とにかく食事だけ。
選べると言うことなので、中華をリクエスト。
ごらんのような食事を、楽しめました次第。まぁ、見ての通りですね。
真ん中のエビは、玄界灘でとれたやつ。エビマヨ風と、エビチリ風の味付け。
真ん中下はデザート。ごまあんが中に入っている団子。けっこうな甘みスープ入り。
最後なぜか、ポテトスナック。飛行機の中に持ち込んだらごらんのようにパンパン。
爆発前に気づいて、サクサクといただきました。
先の案じられる、中身のない旅で終わるか(笑)、どうなんでしょうね。
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外壁の質感

2005年12月23日 06時43分16秒 | Weblog

いつころから外壁といえば、サイディングという風になったのか?
材料のバリエーションが乏しい時代には、木が当たり前に使われていましたね。
世界中、最も多いのが木質の外壁仕上げ。で、それが主に
「防火」の問題から、使うのが難しくなりました。
その後、モルタルが全盛だった時期があって、
それなりにいい陰影感があったと思うのですが、
たぶん、「通気層」工法が標準採用されるようになった時期に
通気層を確保するためには、モルタル壁よりも簡便ということで
サイディングが一気にシェアを伸ばしたのかも知れない。
また、モルタル壁にはつねにひび割れなどの美感上の
問題点もあったと思います。
こんにちでは、モルタル仕上げで通気層を持つことも問題はありませんし、
ひび割れの問題もほぼ克服されつつあります。
一方で、サイディングは、つなぎの部分でコーキング処理に
頼らざるを得ず、その部分の経年劣化が避けられません。
寒冷地住宅の外壁材料、いろいろと悩むゆえんですね。

写真の家の外壁は、面白いことを試みています。
1階部分は通常のモルタル仕上げ処理。
で、2階には、防火の関係で木を使うことができないので、
下地に防火OKの無塗装のサイディングを貼り込み。
そのうえに縦に胴縁ふうに木材を一定間隔で張り込みました。
そうしてから、木質材料の仕上げ塗装を塗り込んだのです。
こうすると、全体の雰囲気は木張りの外壁の雰囲気がしますね。
サイディングの外壁仕上げでは絶対に味わえない質感の豊かさが出ました。
結果として生まれた凹凸感が、光を複雑に陰影させ
奥行きの深い外壁の印象をもたらせてくれます。

前に、カナダの話をしましたが、
現地の建材会社のオーナーから、日本のサイディング一辺倒の
外壁事情を揶揄された経験があります。
まぁ、言われなくてもその通りと思っているのですが・・・。
より豊かな雰囲気のある外壁仕上げ、心がけたいものですね。
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リプラン(北海道版)店頭発売

2005年12月22日 06時32分51秒 | Weblog

って、実はもう2~3日前から店頭に並んでいます(笑)。
毎日、いろいろなことに追われていて、つい記事を書いておりませんでした、
でも、ぜひ宣伝はさせてください(笑)。
今回の71号、っていってもぴんと来ないかも知れませんね。
でも年4回発行の季刊誌では通巻表示が一番わかりやすいんです。
言いかえると、06年冬春号なんです。 すいません、脱線ばっかですね。
こちらでは、この正月時期の特集の恒例として
「キッチン+水回り」を特集しています。
やっぱり、家の中心は、癒しの中心は食べること。
その家族の暮らしをもっとも表現している場所でもあります。
家の作りようを考えるのは、住む人のくらしのありかたをデザインすること。
どんななごみの空間に癒しを感じるか、
いろいろな事例の写真を見ているだけでも、感覚で理解できます。
そしてこうした空間デザインも、やっぱり流れがあると感じます。
一時期の、木質素材これでもか、という傾向から
いまは、モダンデザイン方向にかなり向かっているのを感じます。
そのほかにも、ステキな住宅、魅力的な住宅ビルダー情報が満載。
来年の家づくりに、ぜったい欠かせない一冊です。ぜひごらんください!

今回から表紙に全面写真を使用しています。
カメラはコラムページもお願いしている建築写真家の安達治さん。
自然光重視で空気感をとらせたら、ちょっと右に出る人はいません。
今回の表紙も、いくつも押さえてもらった写真から
最終的に選択した1枚。
静かで、ムーディーな生活の一シーンが立ち上ってくるような
印象的な写真だと思っています。
写真右側は、さっぽろ地下鉄額面に掲載されるポスターです。

リプラン最新号、どうぞよろしくお願いいたします。
一冊800円。 書店・コンビニで。
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