三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【イヌエンジュ・ヤマボウシ・カツラ 元気な初夏の木々】

2017年06月30日 06時03分31秒 | Weblog


十勝の取材時に街路樹の花の白さ、美しさに強く惹かれた。
●イヌエンジュなのだという。十勝の代表的な花だ、という声も聞いた。
〜温帯の広葉樹二次林で普通に見られる落葉樹で林道沿いや伐採跡地など
明るい場所での生育が良好で,暗い林内に群生することはめったに無い。
 高さ10m・太さ30cm以上になる。小枝は平滑で堅い。花は盛夏の頃,当年の枝先に咲く。
複総状花序で,約1cmの黄白色の花を多数つける。果実はさや豆状で長さ4~8cm。
幹や枝を傷つけると臭気を放つ。流通量は少ないが北海道が主産地。〜
っていうヤツだそうですが、こういう時期に見たのはたぶんはじめて。
どうして目に付いたかというと、わが事務所前のヤマボウシ、
ことしはずいぶんと白い花が盛大に見られていて、これとすごく似た風情だったから。

●ヤマボウシ〜高さ5~10メートル。幹は灰褐色。葉は対生し、楕円(だえん)形または
卵円形で長さ4~12センチ、全縁でやや波打つ。花は6~7月に開き、淡黄色で小さく、
多数が球状に集合し、その外側に大形白色の総包片が4枚あり、花弁のように見える。〜
近縁種に「ハナミズキ」があり、立ち姿がごく似ているのですが、
北海道ではあんまりハナミズキを見ない。たまに本州で見るとうれしくなる木です。
なんといっても、名前がいい語感を持っていますね。歌手名でもある。
北海道にいて南の地を思うとき、冬の寒ツバキと並ぶ存在ではないかと。
●ハナミズキ〜アメリカヤマボウシとも。北米原産のミズキ科の落葉小高木。
大正初年に渡来。5〜6月,葉に先だって4枚の大きな総包片の中心部に
黄色を帯びた小さな4弁花を密につける。〜
2枚目の写真はことしの事務所前のヤマボウシの様子。
重たげに白い花が咲いて、枝先がまるでしだれてくるかのようであります。
玄関先で下に見えているツツジのピンクと呼応して、
北海道の短い花の季節を、事務所前で彩ってくれる存在です。




一方こっちは、事務所アプローチの様子。
手前側に2本のカツラが見事すぎる枝振りで、深い陰影感を作ってくれている。
こういう「木陰」感を街行くみなさんに提供しています。
わたしは、3才から15才くらいまで、札幌植物園の緑と相対しながら暮らしていた。
毎日、すこしづつ変化する樹相を見ながら生きていたので、
こういった木々の変化に強い思い入れを感じるのですね。
自宅の方では、メイゲツカエデの1本のシンボルツリーを植えていたのですが、
どうも陽当たり条件などがうまくいかなくて、2回枯らしてしまった。
でも事務所の方は、おかげさまでこんなふうに庭木が元気に育ってくれている。
ことしは雨が十分に降っていて、そういう条件はいいようなので、
こんなふうに緑が盛大にいのちを歌い上げているように思います。
さて、枝落としとか、手入れをしなければなりませんね(笑)。
それぞれの樹木と会話しながら、手を入れていくのもメンドイけど楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ダイニング重視志向の住宅デザイン】

2017年06月29日 05時47分24秒 | Weblog


十勝から帰還してきました。
毎年数回はこの十勝の住宅の現在のありようを見る機会がある。
特定地域の「定点観測」的な住宅視察は、いろいろな気付きを得られる。
きのうご紹介したような施工過程の様子は非常に学べるのですが、
出来上がった住宅もきわめて興味深い。

この住宅は若い年代のデュオによる建築会社・ウッドライフの事例。
ちょうどわたし的には、家族の集う空間としては
リビングよりもダイニングの方がより現代的に重要なのではないかと
そんなふうに思っていたところに見学できた住宅。
たぶん、いま子育てまっ最中の年代は、夫婦共働きが主流。
そうすると家族がともに時間を過ごすのは、
リビングで会話を楽しむ、テレビを囲んで団欒するというよりも、
圧倒的に、食べ物をいっしょに作って、いっしょに楽しむことの意味が
最大化するのではないかと思っているのです。
このことはきっとテレビの大型化をも促した要因でもあるかも知れません。
テレビ画面がより小さかった時代、テレビ視聴には集中する必要があったけれど、
大型化したことで、より遠景としてもよくなった。
そうすると、食事との「ながら」の方がよりリラックスできる。
まぁテレビの大型化については、こういった要因が
世界的に同時に、相互作用的にはたらいた結果なのでしょう。
とくに労働力不足が深刻化してくる日本社会では
女性も働く割合が今後とも進展していくことは間違いがない。
この家のようなダイニング空間の演出が重要になってくるのではないか。

この住宅の場合は、キッチンが凹型にカウンターで囲まれている。
調理スペースは2人で立ってもなんとかなる広さ。
で、カウンターの幅は100cmを超えている。
キッチン調理カウンターの方も面材はダイニングカウンターと同じ面材。
さらに床材の木質と色合いもそろえた天井仕上げまで施されている。
キッチンシンクもこのインテリアとの調和を優先させて
ステンレスではなく鋳物で構成されていて、
居住性重視で全体がまとめられています。
椅子もプラスチック製品ですが、適度なクッション感があって、
主張せず、リラックスできる素材選択。
なかなかいい雰囲気を作っているダイニング空間だと思いました。
惜しむらくは、置かれていた雑誌にReplan誌がなかった(笑)。残念。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【2×4床断熱住宅での室内側気密化施工】

2017年06月28日 09時08分52秒 | Weblog
きのうから2日間の日程でアース21例会in十勝。
いくつかの予定バッティングもあり、また鎌田紀彦先生の連載記事の
参考事例についての諸連絡事項もあるなか、
十勝での住宅見学を主体とした例会参加であります。
だいたい年に1回は十勝地方での住宅見学が組まれますので、
この例会は注目度が高く、また参加者も多い。
きのうは新規加入希望者も含めて、大勢の参加がありました。
やはり実物の住宅を見学するのは、なによりも面白い。

写真は十勝でも中核的なメンバー・岡本建設の事例。
十勝の方では、基礎断熱よりも「床下断熱」を採用している例が多い。
こちらも床下断熱で施工しています。
ただし、十勝の凍結深度は1mとなっているので、
基礎断熱という意味合いというよりも地面凍上影響防止のためだけに
基礎外周には板状断熱材が貼られてはいます。
この写真は、外壁側ではない「内壁」部分で「気密化」施工しているものと、
一方では気密化せずに内壁断熱材充填のみとしている様子を発見。
「これはどういう意味合いですか」と確認しました。
この気密化施工箇所はユニットバスの場所回り。
ユニットバスは基本的には防水が完備されていますが、
経年劣化などの可能性もあり、万が一の場合に備えて「防水」し、
また、万が一の床下断熱からの欠損に備えて、
その両方に備えてこのように「内壁」まで気密化施工を行っているとのこと。
また、手前側の気密化していない壁はトイレの外周。
こちらは「防音」の意味だけで、気密化はしていないということ。
トイレは風呂とは違い、加温や湿度上昇の可能性は少ないのですね。

断熱材の厚みだけが性能基準になってきていますが、
北海道では基本的に気密化がきわめて重要な意味を持っている。
その手順や要領について、北海道以外ではどのようになっているか、
こういった目立ちにくい性能向上努力についても、
大いに注目していくべきだと思いました。
本日はまだ例会勉強会中という時間の制約もあり、短め投稿。
明日以降まとめて書きたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【幕末〜明治の民俗 「横浜写真」をみる】

2017年06月27日 06時18分44秒 | Weblog


先日の東京出張で日本学術会議に向かう途中で
FUJIFILMがやっている「写真歴史博物館」に立ち寄ってみた。
六本木東京ミッドタウンの一角。写真の企業としてメセナ的にやっているようです。
わたしどもも写真表現の一分野としての住宅雑誌であり、
写真の持つ表現力に継続的な興味を持ち続けている。
また個人的に歴史記録はどこらあたりから残されているか、たいへん気になる。
その記録を通してコトバだけで理解していたこととの落差が氷解する。

幕末から明治に掛けて日本各地を撮影した記録は「横浜写真」と通称された。
幕末に来日した英国人、フェリーチェ・ベアトさんは、
日本各地の風景や人物を撮影して、1864年に横浜で営業写真館を開業。
当時来日した外国人向けに解説文付き写真アルバムを販売した。
その写真アルバムの名前が「横浜写真」。
たいへん人気を博したようで、その後、一般名詞になったそうです。
当時は土産用として、文化的価値評価はなかったそうです。
いま見てみれば、当時の「風俗」が明瞭に伝わってきて目を奪われる。
なにやら、当時日本人にはありふれた存在であった浮世絵が
海外でその文化性を高く評価されたことと対になっているようで、
この「横浜写真」という存在はきわめて面白い。
博物館展示内容自体は「幕末〜明治の富士山写真」が中心で、
壁面1面で展示が終わるささやかさだったのですが、
そこでこの「横浜写真」の実物展示があり、そっちに大いに刺激された次第。
ぜひ入手したいとスタッフの方に聞いたのです。
FUJIFILMのベテラン社員とおぼしき方が質問に答えてくれて、
この横浜写真自体は販売できないけれど、図録的印刷物を
わざわざ探してきてくれて、なんと無料でいただけた次第です。
フェリーチェ・ベアトさんは、当時の写真に自然顔料で彩色していたそうで、
一種独特の雰囲気と味わいのある画面が構成されています。
写真としては農家の作業風景ものと、「大原女」を上げてみました。
とくに1枚目の大原女。歴史家・網野善彦さんの本で知識だけだったのが、
こういう具体的記録として目にして驚きました。
洛北・若狭街道沿道の大原の里の農婦たちは、副業として
京都の街を漬け物や薪などを行商して歩いていたとされるのです。
それを「大原女」と称していて、京都のまちの点景になっていた。
いかにも朝鮮系文化風習、アタマの上で荷物を運ぶさま・姿に目が釘付けになる。
ニッポンで庶民がどの生きていたか、真実の一端が見えてきますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【Q1.0住宅デザイン探求。新住協プロトタイプへ】

2017年06月26日 06時05分31秒 | Weblog
北海道の新住協メンバーと鎌田紀彦代表理事との間で
「小さな家」プロジェクトが立ち上がり数回の検討会が開かれてきています。
これは、新住協会員が共通して建築することができる
いわば「プロトタイプ」としての住宅設計プランを作ろうというもの。
こういったプランを持つことで、ユーザーへもブランドとしての認知が進んだり、
大きくはコストダウンにも繋がる可能性があると思います。
できるだけ普遍的な建てられようであることで、
多くの会員工務店から、ユーザーへの具体的なアプローチのきっかけができる。
鎌田紀彦先生はReplan誌面で「Q1.0住宅デザイン論」を執筆中ですが、
その連載企画の発想から発展してきた動きとも言えるでしょう。

土曜日には、その検討会議が札幌で開かれていました。
いくつか会員企業からの提案案件を論じ合いながら、徐々にコンセプトが
絞られていって、基本的な方向性が見えてきています。
鎌田先生は東大での研究生時代、内田祥哉先生の下で
プロトタイプ的な住宅研究に打ち込まれてきた実践経験がある。
またその時代には、東大で内田祥哉先生と池辺陽先生との間で
活発な住宅論の論戦もあった。池辺先生もまた同じように戦後ニッポンの
プロトタイプとなりうる住宅を追究されてきていたのです。
その流れから、池辺陽先生の追求されたコンセプトがいまの難波和彦氏の
「箱の家」シリーズにそのDNAが昇華されてきている。
鎌田先生としては氏本来の木造住宅合理化という最大目標へのステップが
今回のプロトタイプの動きではないかと推測しています。
まさに住宅生産工学の実践論だと思います。
工務店メンバー側は、日々住宅建築の現場でプラン経験を重ねてきている。
敷地の条件絞り込みからユーザーのホンネの住空間志向など、
肌で感じている実感に基づいて、それらがプランに反映されていく。
とくに敷地条件制約想定では、間口条件の絞り込み作業が興味深かった。
日本の住宅地はそれぞれの都市、地域で違いがあると思いますが、
そうした条件の最大公約数を検討し、ある「解」を選定していく作業は
まことに興味をそそられる作業プロセスでした。
図で示したのは、検討プロセスで面白かったプラン。
細長長方形プランで、間口方向によって南北逆転プランにも対応する。
その真ん中部分にややゆとりを持たせていることが特徴のタイプ。
次回8月初旬にはこうした検討を踏まえ、ある結論に至る方向性が確認された。
全国600社を超える住宅研究団体である新住協の、さらに革新的な一歩として
この動きには大いに注目していきたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【尾形光琳「風神雷神図」に耽溺する時間】

2017年06月25日 08時25分21秒 | Weblog
東京への出張は今回は2日間だけでしたが、
都内で動き回るだけでも、あちこち「句読点」は打てる。
東京国立博物館では、表題の重要文化財が展示されておりました。

で、この手の展示としては稀有なことに遭遇。
なんと、この「風神雷神図屏風」については、写真撮影OKということ。
まぁダメ元で係の方に確認したのですが、
思いがけず、OKのお答えをいただいたのです。
ただしフラッシュなどはもちろん展示の妨げにもなるので禁止ですが、
最近のiPhoneはカメラ機能も向上している。
その上、写真への修正ソフトも持っているので、
たのしく撮影させていただき、その後空いた時間でMacに向かって
この愛着のある画像素材を扱いながら、わたしだけの「重要文化財」を
あれこれと、まるで画家と対話するように、
拡大して細部ディテールまで、その筆遣いの様子まで楽しんでいます。
最適の明度であるとか、画像修正することで、
いろいろな「分析的見方」が可能なような気がします。
絵画の鑑賞もまた、大いに「進化」してきているといえるのではないか。
デジタル技術、ツールが進化することで、
絵画鑑賞の「耽溺」領域もまた、大きく拡大してくる。
世界的にはこうした人類的美術資産展示にあたって、
撮影許諾が基本だと思いますが、日本では管理者側の規制がきびしい。
デジタル技術の時代には、その鑑賞の仕方も機能進化・拡張している。
どのような社会ルールがふさわしいものであるか、
一度、論議を起こすべきではないかとも思われますね。

そもそも、この尾形光琳「風神雷神図」は、その先達・俵屋宗達作品への
リスペクトに基づいた「完全コピー」でもある。
現代的な知的所有権思想から考えれば、これ自体が「問題作」。
俵屋宗達さんにしてみれば、顔も知らない第3者である尾形光琳が完全摸作し、
歴史の一時期に於いては、それの方がはるかに名声を獲得していた。
知的所有権侵害で、俵屋さんは訴えてもいいことでもあるのですね。
わたしたち後世の人間は、しかしこの絵に込められた
日本人的なある精神性をそこから感受させられる。
デジタル画像処理作業そのものが、一種の鑑賞行為の変形的発現でもあり、
同時にそれがあらたな気付き、創造意欲の再発見でもある。
そんな思いを感じながら、ゆたかな一時を過ごしております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【低炭素健康社会〜日本学術会議シンポ】

2017年06月24日 08時26分04秒 | Weblog


2日間の東京出張の最後に、表題のシンポジウムに参加しました。
1日目朝1番で東京に到着してから、2日目18時過ぎに羽田から帰る。
都合36時間くらいの滞在時間中にあちこち行脚であります。

日本学術会議、という存在は一般的には馴染みはない。
1枚目の図表で簡潔にこの組織の性格を表現してありました。
いわく「行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として
内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う“特別の機関”。」
こういった特別の機関というのが、国の組織においてはよくある。
余談ですが「建築研究所」というのもこういった経緯で発生した組織。
戦前は完全に独立した機関だったのが、戦後、建設省の下部組織に変わったとされる。
国家組織というのは、表のものと水面下のものとが存在する。
まるで、国会で審議される国家予算とウラの「特別会計予算」との関係のよう。



それぞれが完全に独立しているわけではないが、融通無碍に存在する。
この日本学術会議は事実上、政府のシンクタンクとして学と政をブリッジする。
また、天皇への「ご進講」もこの会員がされるとも聞いたことがある。
わたしどもは東北フォーラムで吉野博先生の教えを受けています。
そういったことからこの機関の公開フォーラムのご案内をいただいた次第。
一昨年、はじめて参加させていただいて、「スマートシュリンク」という
人口減少社会での基本的「政策」志向性の提言を聞く機会もありました。今回は、
「低炭素・健康な生活と社会の実現への道筋」というテーマ。
これに対して、3つのセッションにおいて分析されていました。
1 新しいライフスタイルと行動変容の動機付け
2 成熟社会のための低炭素・健康都市のデザイン
3 住宅・建築の低炭素対策と創エネの加速化
という構成要素であります。
で、それぞれについての検討内容、提言についての議論経過などが
こういったかたちで公開されている。
もちろんこのまま、政策として実現されていくものではないにしろ、
今後の政策方針の骨格を形成することは間違いがない。

で、その「骨格的論議」の形成過程を聞くことが出来るワケですね。
内容はまことに重層的・構造的であって、
国家プロジェクトとして範囲が非常に広く総合的。
低炭素化という目標は基本的な人類的課題であり、それへの同意の上で
現実的にどのような課題があり、解決するためになにを論議すべきかを
抽出する学際的な取り組みが見えてきます。
なお、会場からの質問・意見という場面もあったので、
北海道東北の住宅雑誌として、質問も投げかけさせていただきました。
たいへん幅広く興味深いテーマばかりでしたので、
住宅分野でどう考えていくべきか、時間を掛けてしっかり分析していきたい。
このブログで、折に触れて考えていくテーマにしたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ZEHコストの「地域格差」是正を〜ZEH推進協議会】

2017年06月23日 05時59分28秒 | Weblog
きのうから東京出張であります。
この週末に向けては各種の動きがあり、住宅メディアとしては、
今後の情報収集のために出動という次第です。
ただ、やはり北海道東北が基盤のメディアなので、どうしても首都圏での動きは
断片的なカタチにならざるを得ないうらみはあります。
旧知の福岡・熊本のビルダー・エコワークスの小山貴史さんが
代表理事を務められる一般社団法人の設立発表会であります。
ZEHについてはわたしもこのブログなどでときどき発言して、それに対して
小山さんからいろいろな反応を寄せられたりしている経緯もあって、
今回のお知らせも、小山さんからのご案内も受けて伺わせていただきました。
住宅関係の専門的メディアの記者さんたち向けの発表と言うことで、
活発な質問なども聞くことが出来て、いろいろ参考になりました。
また、顧問として、秋元孝之芝浦工大教授、
植田譲東京理科大学教授、田辺新一早稲田大学教授の
お三方も挨拶され、その後面識を得ることもできました。



わたしとしては、地域としての寒冷地・北海道東北のメディアとしての立場から
末尾近くに質問として、若干の問題提起をさせていただきました。
昨年のZEH住宅棟数実績できわめて明瞭になった、寒冷地ー温暖地地域間での
「ZEH達成コスト」の格差解消方法について、
この協議会で大いに論議を盛り上げていただきたいと意見を述べた次第。
地域間で「省エネ基準」に大きな違いがある中で、
温暖地に於いては105mm構造材を使えば当然そこに100mmの
断熱材を充填するのにはそう技術的困難、コストアップ要因は少ない。
しかし寒冷地では現行省エネ基準相当を超えてさらに性能向上させるためには、
当然のように壁充填断熱のさらに外側に付加断熱を倍加させなければならない。
ZEHの施策が温暖地域での断熱向上、それへの作り手の気付きのきっかけに
機能していることには、まことに賛同の思いを持つものですが、
しかし、国の施策として取り組まれている以上、
昨年の実績に於いて明瞭に現れたこの「地域コスト格差」の問題解決は
喫緊の課題ではないかと思われるのです。
税の公平性という観点からもこのことは大きな問題ではないかと思います。
「ZEHには寒冷地の作り手は熱心ではない」というそういう問題ではない。
また、WEBプログラムの設計に則っていけば、
暖房居室を小さくすればするほど、数値的には有利になるという問題点。
寒冷地が気候格差を乗り越えるべくせっかく「全室暖房」を
多年にわたって努力して標準的工法として築き上げてきたのに、
国の制度としてふたたび「部分間歇暖房」の方が「有利」だとする方向に
国の施策が向かったことについても、これを改善・再検討する必要がある。
ことは温熱環境の問題だけでなく、室内の「視線の抜け」というような
日本人の生活デザイン志向性に対しても、逆行する施策になっている気がする。
もちろん、国の施策としてのエネルギー削減努力には大いに賛同しますが、
同時にこうした「不条理」についても、改善の論議を起こすべきだと思います。
幸いにして、こうしたことについて、
小山さんは思いを同じくされていると思いますし、
発表会後、今後の論議の主体になられる顧問の先生たちとの意見交換でも
基本方向については理解していただけたように思います。
現実を前に進める活動になることを大いに期待したいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【instagram花鳥風月・カモ母子 in 札幌円山】

2017年06月22日 05時13分24秒 | Weblog


Instagramへの投稿が増えてきています。
ブログは日常的な住宅に関係したことが多くなりますが、
一方このInstagramの方は、ちょっと違うメディア特性を持っていますね。
わたしの直感では、短文文化的な特性を持ったニッポン向きメディアではと。
まぁ住宅について、写真だけで表現できるような場合には
それも積極的に投稿したいと考えていますが、それとは別なアプローチも
と思って、いまは夏場で散歩が楽しい季節ですので、
その途中でふれる自然の様子を「定点観測」したいと始めています。
自然な目線による「花鳥風月」人間情報交流といったところでしょうか?
人間の最大の能力は「共感する力」ともいわれますよね。

札幌でのわたしの散歩路はほぼ定番コースで、
西区山の手自宅から、北海道神宮横の駐車場まで5−6分クルマで移動。
で、そこから北海道神宮に毎朝、所願をお祈り参拝した後、
境内敷地を通過して、隣接の円山公園を歩く。
この公園は、札幌の都市計画立案の明治初期、お抱え技師であった、
アメリカの建築技術者、都市計画技術者たちが
北米の自然公園スタイルで計画したものです。
またこの公園に隣接して、自然保護された円山自然林が広がっている。
この周辺を、主に森の中の動植物の様子を観察しながら、散歩しています。
途中には小さな池があって、そこでは一定数のカモたちのコロニーがある。
ちょうど雌が子育て真っ最中で、5−6羽のヒナの様子が見られる。
写真は、その動画からのキャプチャーの様子であります。
森の中では、さまざまな鳥たちのさえずりが豊かに聞かれます。
散歩路の道端には多種多様な植物群が目を楽しませてくれる。
そのなかでも毎年たのしい思いをするのが
アイヌのソウルフードである、オオウバユリの植生の様子。
夏の時期に、やや湿気を含んだ森の中でたたずんでいる様は、
大好きなマグリットの絵のようでして
一種、桃源郷のような雰囲気を垣間見せてくれます。
そしてこの森の中ではエゾリスやシマリスなどの小動物たちも
活発な活動を見せてくれている。
ただリスはきわめて警戒心の強い動物なので、なかなか動画撮影は難しい。
根気強く、そうしたチャンスを狙いたいと思っています。

ということで、ブログとはまた違った切り口の情報発信、
Instagram、mikikeigoアカウントもぜひよろしくお願いします。
さて本日から2日間の日程で東京出張であります。
記者発表やら、日本学術会議の「取材」など、追ってご報告いたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【小樽の残照を伝える「能舞台」を持つ建築】

2017年06月21日 10時14分32秒 | Weblog
きのうは夜、小樽にて頼まれた講演が無事終了。
講演で話すとアドレナリンが上昇して、そのあとお酒が美味しく感じられてしまう(笑)。
っていうことでしたが、会場は小樽市民会館でした。
で、その会場前に写真のようなすばらしいデザインの和の建築が。
こういった唐破風の瓦屋根というのは、
冬期の雪害、氷柱、雪の滑落などの条件から、北海道ではほとんど目にしない。
本能的に反応してしまって、思わずシャッターを切っていました。
そもそも北海道では「能舞台」をもった建築はほとんどない。
「the能ドットコム」というサイトを見ても、秋田以南に存在が限定され、
北海道はまったくの真空地帯になっている。
そういうなかで、さすが北海道開拓期の経済の中心地であった小樽には
その栄華を偲ぶよすがとして、「旧岡崎家能舞台」が残されているとのこと。
Wikipedeaを見ると,以下のような紹介があった。

旧岡崎家能舞台
小樽市能楽堂(旧岡崎家能舞台)は、1926年に北海道小樽市に創建された
能楽用の劇場。江戸時代に定められた能舞台の最高基準の格調を備える点では
国立能楽堂をも凌ぎ、歴史的・文化的価値の高い建造物である。
小樽の豪商・岡崎謙自邸敷地内に創建され、多くの賓客(高松宮妃、貴族院議長)や
宗家、野口兼資らを迎え催事が行われたが、氏の没後、遺志により
小樽市に寄贈され、市の歴史的建造物に指定、現在では同家現当主から
寄贈された大量の能装束等の一部とともに一般公開されている。
岡崎謙は佐渡出身の小樽の実業家で、東京英和学校(現・青山学院大学)および
東京高等商学校(現・一橋大学)に学び、宝生流の波吉門下にて能をたしなんだ。
その後、小樽市の私邸敷地内に広さ64㎡(橋掛り含む)、建設費16,873円43銭
(現在の約1億7千万円)をかけて創建したものである。
岡崎は1924年に能舞台の建設を思い立つと、
東京の現靖国神社能舞台(旧芝能楽堂)に調査に出向き、棟梁たちにも見学させた。
同年に佐渡産の直径2.4mの神代杉・九州産の檜・道産の松などの特選材を選定。
神代杉の運搬には船1隻を借り切り、木挽きも佐渡から呼び寄せた。
1925年7月には建築工事に着手、1926年1月26日に舞台開きを迎え、
1927年11月には狩野派第17代の狩野秉信(かのうもちのぶ)が
延べ2か月滞在して描いた鏡板の絵が完成した。

〜という記述です。う〜む、すごい建築的情熱の営為を感じさせてくれます。
ちょうど見掛けた時間は午後6時過ぎで、
会食も終わったのは午後10時過ぎだったので、内部見学はしておりません。
夏期には一般公開されているということなので、今度見学に行きたいと考えています。
やはり建築はパトロンの存在によってその粋が受け継がれていくもの。
お金持ちのお金の使い方は、このようであれかしと願いますね。
なお、この舞台を利用しての能や狂言などの予定はまだないようです。
建築として謹んで「取材」してきたいと思います。乞うご期待。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする