三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

花より団子の宴のあと

2015年04月30日 06時59分04秒 | Weblog
札幌の花見の名所として、よく円山公園が挙げられるのですが、
札幌にいて、毎日のようにここを散歩している人間からは
この評価が、まったく信じられない思いをしております。
まぁ、写真のようにサクラの木はないことはないのですが、
さりとて、たくさんのサクラの木が群生しているという場所ではなく
わたしなどは、まったく興味を惹かれる場所ではありません。
まことに残念ではありますが・・・。で、




連休の中日、本日は仕事でありますが、
いつものように北海道神宮境内周辺を散歩していて、
異常なほどのカラスの多さと、生ゴミの臭気がただよっておりました。
どうやら、花見の宴の翌朝の光景なのであります。
東京の繁華街の朝の屈強そうなカラス群とは、少し違いますが、
やれやれという状況で、朝の爽やかさは感じられません。



そうなんですね、札幌の円山公園は
「花見」の名所ではあるのですが、サクラの名所とは言いがたい。
ようするに、花見と言っても「花より団子」の宴会名所なんですね。
けたたましく市の清掃車が行き交っておりまして、
また、早朝から花見の場所取りをされている方たちもいる。
看板に書いてある期間、5月6日くらいまでは、
どうやら、こんな状況が続きそうなのであります。
そういえば、全国の花見の名所で野外バーベキュー、
ジンギスカンをやってもいいです、という場所は、
そんなには多くないかも知れませんね。
そういう希少性で札幌の「花見の名所」になっているのでしょうか?
まぁそういった楽しみも結構だとは思うのですが、
こういう臭気が漂っている場所では、散歩はツライものがある(笑)。
サクラの開花が早くて、GWと重なったことで、
こういった状況が目立っているのでしょうか、どうも
例年以上に、カラスの騒擾が大きく聞こえる次第です。


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易姓革命国家と1500年続く日本国家

2015年04月29日 05時22分43秒 | Weblog

さて本日はGWの前哨戦のような休日。
週の真ん中で、なにやら据わりの良くない休日でもあります。
ということで本日のブログは政治ネタ。なんですが、直近のことではなく、
どうして日本は、国家としての継続性がかくも長いのか、
そしてそのことがどんな意味合いを持っているのかについてです。

東アジア世界の緊張感が、中国の台頭とともに高まっているのが現状。
この中国という存在について、どう考えるかということがキーでしょう。
中国が経済的パワーを利用して、覇権的な動きを強めているけれど、
中国共産党一党独裁国家が、はたして世界を主導できるのかが大問題。
中国は、いまは共産党が独裁する中央集権国家。
その前の体制は、いわゆる孫文ー蒋介石が樹立した中華民国。
この政府は、国共内戦の結果、台湾に亡命政権を樹立して
戦後世界ではしばらくの間、中国共産党国家は西側から承認されなかった。
で、そもそも中国共産党国家とは、前政権を全否定して樹立された、
いわゆる中国伝統的な政権交代である「易姓革命」の現在形であって
イデオロギー的な共産主義思想は建前であり、
国家権力実態にはほぼ関係がないと言った方が正しい。
中国史とは、この易姓革命で前政権が全否定されることの繰り返し。
また韓国・朝鮮に至っては、統一国家としての歴史推移というよりも
いくつもの地域権力の相克が繰り返されてきた。
その上、中華国家への事大主義が国是のようになっていて、
統一的な国家意識の継続的存在自体、判然としがたい。
そういうなかにあって、アジアの東の果ての日本国家は
なぜか、天皇を中心とした古代律令体制の中央権力の成立以来、
「日本国家」という「公」が、存続し続けてきている。
よく欧米の日本史研究者から言われるという日本史の不思議、
なぜ、鎌倉幕府は天皇権力を温存したのか、
たぶん、世界標準の歴史ではあの時点で、王朝交代している。
鎌倉幕府の成立によって、剥き出しの武力権力に置き換わっても
また承久の変によって天皇や上皇などが一網打尽になっても、
しかし、象徴的な王権は存続し、国家の統一は維持されてきた。
いくつも違う国家がこの列島には成立したのが実態だけれど、
統一的な「まゆ」としての国家は、存続し続けてきた。

そういうわれわれの国と、易姓革命が歴史の常態である国の価値観には
やはり相当の開きがあると言わなければならない。
で、この「長く続いてきた国家維持」においての歴史的継続性の
日本人の智恵というもの。例えで言えば、
政治的混乱期に「時の氏神」というような存在が出現するような
日本史と日本的政治システムの不思議さが象徴的だと思う。
まるで八百万の神々が出雲で会議をしているような光景。
わたしたち社会は、まだ十分にその意味合いを把握できていないと思う。
われわれ自身すら、この価値観について認識できていないので
もちろん、諸外国に対してそうしたアピールもできていない。
やっぱりこの国は「和」の国であるというのが結論なのだけれど、
もう少し、目的的にこの「違い」を認識し、対外的に価値観発信する必要が
あるように思われてなりません。

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門・塀がもたらすライフデザイン効果

2015年04月28日 05時39分08秒 | Weblog
写真は先日訪れた北海道松前の血脈桜で有名な光善寺の門であります。
松前という街は、津軽海峡に向かって南面している街。
で、城や寺院群は北の山側にへばりつくように立地しているので
境内から見返すと、このように門が海の風景を切り取って
ピクチャーウィンドウ効果をもたらせてくれる。

北海道の住宅建築が、日本の住宅建築から学ばなかった点に
「門」という装置のことがあると思い続けています。
まぁ、一部の高級住宅ではもちろんあるのですが、
基本的に門や塀という装置は
身分制社会が前提となって存在し得たものではないのか
そんな固定観念を持っています。
平民の住居との違いを際だたせるために
社会との「結界」を明示的に示す必要性から
「おまえらとは違うのだからな」と言い放っているかのようなのです。
そのような社会的な主張性があまり意味を持たなくなって以降、
社会が形成されてきた北海道では
そのような意味合いがきわめて薄くしか存在しなかった。
わたし自身の交友関係でも、「塀のある家」の友人はひとりしかいない。
で、そのかれの家系の社会的な存在は、明治以降の社会の中での
経済的成功者ということでしかない。
戦前までの社会では、そういう階層も明治以前までの
住宅様式の規範性を引きずっている部分があったのでしょう。
逆の言い方をすれば、戦後以降、建てられた民家は
それまでの住宅の様式区分で言えば、おおむね「町家」様式だった
というようにも言えるのかも知れませんね。
その上、北海道では雪がたくさん積もるので
除雪のことも考えると、どんどん門塀は意義を喪失した。
平民ばかりになった社会の中で、上流階級的な主張性のためだけに
除雪の手間が増えるような外部装置は意味がなくなったのでしょう。

でも、たまにこうした視覚効果をもたらす門を見ると
なにか、失われた民族的デザイン感覚を思い起こさせてくれる。
屋外の空気にさらされているのに
それでもなお、「内と外」という概念を視覚的に見せてくる、
この結界の感覚というのは、悪くない。
日本的なるあるものが、そこにあるように思うのはわたしだけでしょうか?



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函館・地バーガー「ラッキーピエロ」

2015年04月27日 06時10分14秒 | Weblog


みなさん、ラッキーピエロってご存知ですか?
函館だけにある地元ハンバーガーショップなんです。
前から一度は食べてみたいと思っていたのですが、
なかなか機会がなく、今回ついに食べることができました。
っていっても、かなり偶然でした。
松前からの復路、通りに面して看板があった店に一度は立ち寄ったのですが、
そこでは、「40分かかります」と言われて、断念していたのです。
「はぁ? ハンバーガーショップで40分、なにそれ?」
と、思った次第なのですが、どうやらどこの店でもそういう状態のようなんです。
上磯のお店でそういうことであきらめたあと、
サクラを見に行った五稜郭で、クルマの駐車場を探していて
どこもまったくの大混雑なのに、
たまたま五稜郭前のラッキーピエロの駐車場に1台の空きが出た。
超ラッキーということで、停めさせていただいて、ここでも
「30分以上はかかります」と言われたのを幸いと逆利用して
五稜郭のサクラを満喫してきて、帰って店に行ったら、
席も空いていたので、ゆっくり食べさせていただいた次第なのであります。

ということで、すっかり前置きの長いファストフード(笑)、
さっそくかじりついてしまって、写真を取るのをつい失念。
やむなく、包装紙はくしゃくしゃ、ハンバーガーはひとかじりした状態での
記念写真であります(笑)。
頼むのに、メニューがチョーたくさんでビックリさせられます。
なにやら、丼もののメニューまでたくさんある。
店員さんも、目が回るほどの忙しさの中、
メニューが多すぎて、お客さんと厨房との連絡だけでも大変そう。
もう少しメニューを絞れよ、と外野的にツッコミしたくなります。
店員さん同士で、メニューを伝え合うだけでも間違いが起こっている感じ。
で、平均でも30分くらい待たせるからか、お客さんが行方不明で、
商品を持って店員さんが店内で一生懸命かくれんぼをやっている(笑)。
まぁそういう光景も、にぎやかさを演出しているからか、
お客さんたちは平然とニコニコしている。
どうやら、このハンバーガーショップは、ファストフードではなく
函館的な「スローフード」であるようなのですね。
そういう風に考えると、アメリカ南部的な店舗デザインにも
そこはかとない、アメリカン人情喜劇風な雰囲気を感じさせられる。
頼んだのは、「一番人気」とか書かれている
チャイニーズチキンハンバーガーセットというヤツ。
甘酢っぽい味付けの中華の鶏肉唐揚げ入りのハンバーガーで
食べるのにちょっとコツがいりそうですが、
その辺は社食調理師志望のわたしには、ノープロブレムで、
美味しく食べさせていただきました。
ハンバーガーって、結局はパンの食味具合だと思うのですが、
ほどよくガワに抱擁感が感じられ、
でありながら、食感としてはやわらかい歯応え。
チキンの味付け、ソース類の調和も、函館人の評価を得ているだけはあります。
う~~~む、なかなかオツ、でありますね。
これは、ハセガワのやきとり弁当と並んで、
わたしの評価、花丸の気配が濃厚であります・・・(笑)。

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松前、五稜郭。道南サクラ鑑賞道中

2015年04月26日 05時41分16秒 | Weblog
きのうは、ふだんなかなか行けない、最果ての道南、松前まで
サクラ鑑賞に出かけて参りました。
松前までは札幌からは、最短距離だと380kmくらいだそうですが、
高速道路をなるべく使っていく函館経由で行くと、約400kmになります。
釧路に行くよりもはるかに遠くなる。
でもまぁ、交代で運転していけば、なんとかと思って、
早朝3時に早起きして、出かけてきた次第であります。

松前というのは、江戸時代に幕藩体制最北の藩だった北海道の藩ですが、
なんとも、北海道のいちばん最南端で、
外国であったアイヌの住む蝦夷地との「交易」利益にひたすら寄生した権力。
来てみるとわかりやすいのですが、
北側は急峻な山が囲むようにそびえていて、
南側は海に開いている。
東西は、これも急峻な海岸線が続いている、という防御的な城郭。
北海道を開拓しようという意志のかけらも見いだせない、
ただただ、寄生・寄食するしか考えがない退嬰的な権力だと知れます。
蝦夷地に根ざして開墾農業を基本にした国造りを考えれば
誰が考えても、より東側海岸の函館平野に進出して
天然の錨地・良港として函館の地の利を活用すべきでしょう。
広闊な函館平野を一望すると、ざっと10万石程度は下らないように見える。
コメ生産も、奥羽のことを考えれば、そう極端に困難とまでは言えないようです。
いや、たとえば山形や、八戸などの土地柄と比較すると
たぶん、入植をしっかり進めれば、かなりの人口は養えたでしょうね。
この松前権力が戦国期から江戸期を通じて続いたことで
北海道は、たぶん、400年間くらい開拓が遅れた。
徳川幕府は、この松前藩の退嬰的な姿勢を見て
蝦夷地支配の意志が希薄だと考え、北方の警備の必要からも
自ら直接支配を何度も試みてきていました。
・・・というような残念感が、ここに来るといつも思わされる。
今回は時間もあったので、じっくり寺町からお城まで、散策しましたが、
交易と漁場経営だけしか入金手段がないけれど、
それでも広大な寺院がいくつも勧請されていて、
その藩財政規模の大きさをうかがい知ることができました。
経済的な栄華の様子は、ほかの日本各地の「藩」と、
いや、それらの平均以上に巨大な予算規模だったように思います。
そういった経済規模を活かして、地域の開拓開発を進めていれば、
北海道の姿は、いまとまったく違う者ものだったかも知れない。
城郭とサクラというごく日本的な景観を見るに付け、悔やまれます。



一方こちらは、幕末に幕府が築城した五稜郭の満開のサクラ。
北方の開発が国土の安全保障にとってきわめて重要だという意志を
この城郭建築からは感じることができます。
江戸期に、蝦夷地を幕府が最初から直営していれば、
もうすこし、日本の歴史は違っていたに違いありません。
城とサクラという日本風情を見ながら、そんな思いが去来していました。





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みんな笑顔になるカレー

2015年04月25日 02時32分17秒 | Weblog

きのうは、サクラ開花祝いのランチミーティング。
お知らせしたとおり、15人分のカレーを作りました。
朝一番、6時過ぎから作業を開始。
タマネギ5個、ジャガイモ10数個、ニンジン大3本、
トマト3個、鶏モモ肉500g、挽肉300gほど、などを捌いて
格闘しておりました。
さすがに目分量作業ではなかなか手強い。
それでも頑として計量はせずに、自分のいい加減なさじ加減で
挑戦し続け、おおむねたっぷり2時間で
寸同鍋2個にたっぷりのカレーが出来上がり。
ふだんの自宅用とは、やはり量感が全然違うものであります。
で、お昼前に、2鍋を慎重に自宅から事務所に搬送。
一夜漬けの漬け物をセットにして、会食と相成りました。



でも、すっかりそこまでで疲労困憊で、
いきなり開始あいさつで
「ごちそうさまでした」と言ってしまった(笑)。
あはは、でありますが、
かなりホンネに近い感想であります。
みんなにカレーをよそってあげていると、
それだけで満足感が込み上げてきて、もう自分の食欲などは
どっかに飛んで行ってしまっている。
みんなの笑顔を見せてもらうと、もうお腹いっぱいになるのですね。
で、食べながら、将来の夢をつい口走ってしまった。
「社長を引退したら、みんなのための社食調理人やりたい」
っていう夢想であります。
最近のIT企業なんかで、社食の充実が話題とのことですが、
日本の企業って、こういうのが似合うのではと思っています。
食べる行為には、ひとを親和させる効果が高い。
そういうコミュニケーションって、かなり有益ではないか。
そのためには、ランチはいい機会ではないかと思う次第。で、
「あのおじさんね、前はこの会社の社長だったんだって」と
若いスタッフから指さされるっていうの、
なんか、面白そうだと思っているのであります(笑)。
そんな話をしていたら、みんな大盛り上がり。
「最近の顧客企業の社長さんたち、そば打ちとか凝っているから、
場所を提供して、みんなでおいしい、おいしいと言ってあげる、
そういうサービス(笑)を提供してあげようか」
などと不埒な企画アイデアも飛び出しておりました。
いつか、事務所に本格的な厨房を、
中古品で良いから設えたいねなど、良いアイデアもたくさん。
まぁ、仕事の会議にはなりませんでしたが(笑)
自由な発想が行き交って、楽しいミーティングになりました。
面白かったです。

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ついに札幌でもサクラ開花

2015年04月24日 06時36分31秒 | Weblog

日本列島各地のサクラの便りを北の地から
それこそ「年の離れた妹」の心理で、じっと耐えてきた
北海道札幌の街に、ようやく違う品種ながら、
サクラが開花してくれました。
本州地区の豪華な花弁をほこるソメイヨシノではなく、
エゾ山桜であります。
わたしが、勝手に札幌のサクラ開花基準木として認定している
北海道神宮第2駐車場奥の、この木がきのう開花していたのです。
この木は、周辺地域全体の中でも、いちばん早く開花します。
どうも陽当たり、風の影響を受けないなど、
好条件が重なっているようなのです。
わたしのように勝手に注目している方は多いようで、
きのうも、朝の散歩中、たくさんの方がニッコリしながら、
さかんにシャッターを切っていました。
まことに喜ばしい限りであります。
北海道では、GW前にサクラが楽しめるというのは
まことに珍しい。
この冬の寒さがそうでもなく、春が早かったことを
明瞭に証し立ててくれますね。

さて、本日はこのサクラの開花を祝って、
・・・っていうのは、ウソですが(笑)
わが社では、お昼に恒例の「ランチミーティング」を開催します。
これは、わたしが、スタッフ全員のためにお昼ご飯を手作りして
ふるまいながら、仕事上の課題をみんなで考えるのです。
ということで、今回はカレーを作ることに。
大体15人分くらいのカレーを、昼に向けて用意しなければならない。
なんですが、15人前って、量の目安がなかなか想像できない。
カレーを作るのに、ふだんはそういうこと、考えることはない。
だいたいテキトーなんですが、
しかし足りなくなるわけにも行かないので、
たぶん、相当多めに作ることになるのではないかと不安であります(笑)。
残ったら、これはしんどいことになりそう・・・・。
冷凍して、来る日も来る日もカレーを食べ続けなければならない。
そうならないように、一生懸命取り組みたいと思います。
さ~~~て、やっかぁ!




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かわいい「狛犬」母子発見

2015年04月23日 05時30分35秒 | Weblog
神社仏閣めぐりは、わたしの楽しみのひとつであります。
民俗のありようが、その地その地で表出しているような部分があって
そういったものを発見する度に、新鮮な驚きとおかしさがある。
こういう部分では、圧倒的に北海道以外の方が発見の喜びがあります。
どうしても北海道では、そこで暮らしている
ヤマト民族としての歴史記録性が希薄であるし、アイヌの人たちの
そういった部分というのは、まだ普遍的には解明されていない。
神社というのは、戦前の皇国史観や天皇制の弊害への忌避感から、
戦後社会としては、その面白さが十分に理解されていないと思います。
あ、この「天皇制の弊害」の再確認については末尾に記載します。

で、先日、カミさんと北海道苫小牧の近くの厚真町に
1100年代の奥州平泉政権の進出交易拠点遺跡探訪に行ってきた折、
やや立派な神社、厚真神社というまんまの神社に参詣。
特段の知識もなくふらりと立ち寄った次第であります。
参詣して、地元の方とおぼしき方がいたので、
この神社の来歴をうかがったのですが、
やはり明治以降で、北海道神宮の末社、まぁ支店だということ。
そういう意味では、明治の国家神道がゆかりの新しい神さま。
ということなので、あまり強い関心も憶えず、
それなりに(笑)、うやうやしく参詣したのでありますが、
ふと神さまの脇で番をしている狛犬さんに目が移ろって、唖然。
そうなんです、見ての通り、
この狛犬さん、どうやらメスで、かわいい子どもをなでている(笑)。
その様子がまことにユーモラスで、なんともおかしい。
全体としてマンガのようなキャラクター設定で、
作ったひとの感受性の楽しさが伝わってくるかのようであります。
しかも、母子狛犬という設定も、わたしは見たことがない。
まったく期待していなかった瞬間に、
驚くべき民俗的ツッコミが襲ってきた感がありまして、
まことに不意打ちのような、喜びでありました。
その喜びに、つい、お賽銭の額も一段階アップさせられた次第(笑)。

きのうのブログで、書き足りなかった点、追記です。
孫崎亨さんという元官僚の方の講演に対する感想について。
わたしは、いまのリベラル勢力や朝日新聞のような姿勢には
反対の意見を持っている人間ですが、
しかし同時に、戦前の天皇制の弊害に対して自覚的で
そこに慎重に努力してきた戦後社会を支持しているものです。
戦後70年間、天皇の政治的中立性は保守側も慎重に守ってきた。
そうであるのに、今日の安倍政権を非難したい一点で、
天皇の発言の一部を捉えて自説に我田引水している
本来リベラル側である孫崎亨さんの姿勢について、
そこまで、なんでもありなんですかと
強い違和感を感じ、異議を申し立てたいと考えた次第なのです。
言論人としての、そのあまりな視野狭窄に驚かされます。
まぁ、これが契機で自分の意見を自覚させられたという意味では
孫崎さんには感謝しなければならないかも知れませんが・・・。



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孫崎亨さん、天皇発言利用はいかがでしょう?

2015年04月22日 06時42分24秒 | Weblog

昨日夕刻から、FBの知人から情報を教えられた
評論家・孫崎亨氏の講演会に行って参りました。
氏は、いわゆるリベラルの立場をとられている元外交官であり、
「戦後史の正体」という本を読んだ経験があります。
外交官的な現場臨場感は伝わってくる本だったので、面白く読みました。
いま現在のかれの発言内容については、かなり違和感は持っていましたが、
むしろ意見の異なる方の考え方も、きちんと聴いておきたいと
夕方6時からという微妙な時間でしたが、聴講して参りました。

まぁ、リベラルな立場からの言説なのですが、
そういった主張をされるのはご自由だと思います。
しかしもう少し冷静な分析に基づく言説を期待していたのですが、
分析がきわめて薄弱、不鮮明な「論拠」に基づいて
断片的に「決めつけて」、自説の主張を展開される手法には、
やはり残念ながら、強い違和感を持たざるを得ませんでした。
とくに冒頭から、今上天皇の発言を取り上げて、
かれは80歳の誕生日にこのように発言した、
その意味はこうだと、自説に我田引水的に利用して、
だから現政権は、天皇からも支持されていないと論旨展開する。
天皇も人間であり、ある主張を持たれる、判断を持つというのは
ごく自然なことであると思うけれど、
だからといって、日本は王制国家ではなく主権在民国家です。
主権者は国民であって、天皇ではない。
日本の現憲法では、天皇を政治的に利用することは、
厳しく禁じてきているのが戦後社会ではないか。
それも左派にとってはそれこそ天皇制自体、否定的な存在だと思う。
少なくとも言論人であれば、論理的な主張展開をこそすべきであって
根拠曖昧な天皇発言を利用するのは、それこそ危険だ。
リベラルな立場から主張展開するのに
いきなり天皇発言の利用という切り口はないだろうと思ってしまいました。
民主的な選挙によって選ばれながら、天皇に手紙を渡した
勘違いの議員とまったく同じ思考回路に立ち至っていると思います。
そして310万人の犠牲者を出した第2次世界大戦に触れ、
その当時の指導勢力と、現在の政権を
なんら論理的証明を果たすことなく、無造作に同一視して
まるですぐにでも現政権は戦争を始めるのだと決めつけていく。
これは冷静な社会分析、政治論ではなく
なにも知らないと勝手に決めつけた大衆に対して
論理ではなく感情レベルのプロパガンダを植え付ける行為だと思います。
講演会の末尾に、氏への「質問」を受け付けるアンケートがあったので
「自らの政治的主張への天皇の利用については
主権者たるわれわれとして、いかがなものでしょうか」
とわたしは書いて質問したのですが、40数枚の中から
幸い3番目に取り上げられました。それへの答は
「安倍政権の暴走を食い止めるためには、保守層へも訴求する必要がある。
そのために、保守層が信ずる存在を利用して訴求したかった」
と、答えていました。では、
保守層がもし、あなたのように天皇を利用したら、どうするのでしょうか?
当然にわたしたちが持つこの疑問に
このひとは、いったいどう答えていくのでしょうか?

安藤忠雄さんという上質のおいしいお酒を体験をした直後に
こんなまずい酒を飲まされてしまったという脱力感を抱いた次第です。

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Replan東北最新号 & 安藤・断熱続篇

2015年04月21日 05時56分26秒 | Weblog
さて本日は、お知らせ中心のブログであります。
Replan東北 VOL.48 4月21日発売
2015年春夏号・A4版・定価500円(税込)

【特集】30代 共働き 子育て世代の家づくり
仕事に家事に育児に追われる忙しい毎日。それが「家」で変わるとしたら?
スムーズに動ける家事動線や、デッドスペースまで利用する適材適所の収納、
生活感を出さない仕掛けなど取り入れたいポイントがたくさんあります。
「仕事」も「家事」も「家族との時間」も充実した
ストレスフリーな暮らしを実現しましょう。
○case01 光と風を導き、家事動線にも効率的。
      LDKと子ども部屋にある2つのサンルーム
○case02 動線と視線を巧みに組み合わせた
      家族のデザインセンスが光る空間
○case03 どこか懐かしい趣の広い土間キッチン。
      いつでも自然を感じられる家族が集まる場 
○Extra  新築して10年。
      今もすっきりと素敵に暮らす秘訣とは?

その他の Contents
●続・あこがれの平屋
●連載 いごこちの科学 NEXT ハウス1〈東京大学準教授・前 真之〉
●住まいのカタチ〈住宅実例集〉
●NPO住宅110番
●TOHOKU ARCHITECT
 宮城県「瓦山の家」 佐藤 充
 山形県「みはらしの丘の家」 秋葉 圭史

お求めはこちらからどうぞ。
http://www.replan.ne.jp/content/bookcart/b2tou/t48/index.php">


で、きのうの続篇。安藤建築と断熱についての話題、反応も出てきました。
北海道の建築家の山之内さんからコメントも来ていました。
たいへん貴重なご意見・コメントでしたので、紹介させていただきます。

・私も安藤講演会に魅了された一人です。三木さんの2度のブログ、
分析はさすがに素晴らしく、特にキーワードの抽出は
そのまま私もメモさせていただきました。
安藤建築は、「断熱の概念が当たり前すぎて見えないまたは見せない建築」
なのだと私は思います。建築家は極めて常識人ですから、
北海道につくる時は誰もが当たり前のように断熱の概念に取り組んでいる、
と私は考えています。(地域性を考えると必然的に)
実は30年前。安藤さん40代前半の頃、たぶん北海道で初めての講演会。
その時、技術をずいぶん語っていました。
特にコンクリート技術は、大学の授業並みでした。
北海道でコンクリート打放しをする場合は、断熱材を挟み込み
厚さ500mm程度の壁にする、と。
その後、南12条の渡辺淳一文学館で実践しています。
(現在、一周忌展示開催中。)

ということでした。不勉強で、これまで見てきておりません。
今度、件の建物、見学して来たいと思います。
その体験取材もここで発表していきたいと思います。しかし一方で、
安藤さんの建築と断熱について、やはりきちんと開示してもらって、
みんなで論議した方が良いのかも知れませんね。
芸術性のすばらしさを感受しリスペクトすると同時に、
やはりどんなものにも、限界性が必ずあると思う次第。
ことは北海道での建築だけの問題ではありません。
関東以西においても、無断熱RC空間に住むユーザーの生活ぶりは、
かなり過酷であると報告されているようです。
そのことをユーザーが受忍しているということとは別に
冬場夜間に大量のコンクリートに冷気が「蓄熱・蓄冷」された空間は、
強烈な熱環境とされています。
ただ、この多くの人のリスペクトを集めている「王様」に、
誰が鈴を付けに行くか、という問題なのでしょうか?


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