性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【継ぎ手・込み栓 伝統的木造工法の世界】

2019年03月31日 08時17分31秒 | Weblog


先日、久しぶりに伝統的工法の住宅を見学する機会。
宮城県の地元の「山元」企業で、広大に所有する管理林から
計画的に出荷して、住宅企業としても提供している。
そういうことなので、木の質感を最大限に活かす家を建てている。
「追掛け大栓継ぎ」で架材を接続させて、それを緊結させるのに
「込み栓」を使っている。
木は生きているので、季節によって水分含有量が変化する。
そのため、架材が膨張したり収縮したりする。
それを「調節」して家を長期に使い続ける工夫を日本人は古来から
ずっとしてきた。
そういう「手を掛ける」という生活文化はこうした構造材にまで及んでいたが、
身近なところでは、「畳の表替え」という習慣も行ってきた。
いずれも現代生活から考えれば、家への洞察とか
気遣いが絶対に必要なことなので、生活カレンダー習慣とは
どうしても異質なサイクルに人間が合わせなければならない。
「きょうは家の畳の表替えの日なので会社、休ませてください」
というような申し出が可能になるような暮らし方を
わたしたち社会は、許容幅として持ってはいないと思う。
「なにを言っているんだ」の一喝で無視されてしまうことでしょうね。
しかし、現代以前にはそういう休暇は社会で当然,担保されていたと思う。
仕事というものが、職方的な範疇でとらえられていて、
まずはそうした個人、というか、家のくらしがアプリオリに存在し、
それを尊重しながら、「お互い様」として許容し合ってきたのだろう。
「旦那。きょうは畳の表替えなので・・・」
「おお、そうか、ウチもそろそろやんなきゃなぁ・・・」みたいな。

で、そういう現代生活のなかでも
こういう「手の掛かりそうな」家に強い興味を持つユーザーがいる、
ということに一服の清涼感をもつ。
室内でも外観的にも、いかにも木質素材そのままがあらわれていて、
「現に呼吸している」感がハンパなく迫ってくる。
人間もこういう素材たちと基本的には同種類のイキモノである、
そういう協同する心理というものが無意識にはたらいてくる。
木が季節に応じていろいろな表情と反応を見せてくれるというのは、
考えてみれば、ずいぶんと心豊かなくらしをもたらせてくれる。
現代の先に、こういうエコロジカルな世界が見えてくることを願いたい。
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【奥州雫石・寺院「唐破風」の彫刻意匠】

2019年03月30日 08時19分12秒 | Weblog


唐破風というのは語感からすると
中国からやってきた建築デザイン様式だと思ってしまうのですが、
そうではなく、日本独自の建築デザインだそうです。
明治以前の日本社会では、都市を作るといえば同時に
神社仏閣をその中心施設として作るということが同義的だった。
聖徳太子が大阪に四天王寺を建てて以降、
日本の権力というのは、かならず神社仏閣を「勧請」し続けてきた。
写真は盛岡市近郊・雫石町内の仏閣・廣養寺の唐破風です。
こういった地方のまちづくりに当たっても、
こうした宗教施設が建築され、人々の参集の場として機能し続けた。

奈良の都以来、こうした宗教施設は
街の中心建築として「にぎわい」の役割を担う建築だったのでしょう。
そういう動機から、建築デザインとしても
「人目をひく」あの手この手を考え続けてきたものでしょうか?
「唐破風」という名前自体すら、海外からの意匠であるかのように呼んで
人目を驚かす、ということに集中してきた。
このような地方中心施設でも過剰なまでの意匠性です。
ここでは、最初は黒っぽく経年劣化していたので気付かなかったほどでしたが、
Photoshopで明度を上げていったら、
ごらんのように「彫刻」が浮かび上がってきた。
手前側には天上の世界で吹奏楽器を奏でている人物像が確認できるし、
奥側にはどうも龍雲のようなデザインにみえるものがあります。
この雫石の寺院は縁起を調べると
〜織田信長の天下統一の頃(1573~1591)、盛岡の報恩寺 五世
鳳庵存竜和尚が勧請開山し、当山二世広鷟和尚により浄居山廣養寺が開かれた。
酒造業高嶋屋及び同米沢半兵衛家の信仰篤く、3200余坪の境内地に
堂宇、諸設備が整備され、当町随一の荘厳さを誇る。〜
というような記述にWEBで出会いました。
おおむね400年前くらいまで遡る縁起のようですが、
特段、火災炎上の記録には当たりませんでしたので、
ひょっとするとこの見ている唐破風、彫刻はそれくらいの古格なのかも。
酒造業高嶋屋とあるので、酒で財を成したとすればこの地の水が良かったのか、
コメが良かったのか、と考えるとやはり雫石という地名から水が良かったのかも。
そういう「有徳人」によって勧請された経緯があったのかも知れません。
酒で儲けたお金でさらに人を集める仏閣を建築して儲けようと考えたか、
いや、単に篤い宗教心が発露したものか。経緯にも面白みを感じる。
また「鳳庵存竜」という法号が見えるので、彫刻にある龍雲は、
そういった経緯に根ざしているのかも知れない。
・・・といったような、妄想を刺激される(笑)。
やはり時間蓄積している建築空間には、時空を超える情報が
さまざまに眠っているように思われる次第です。
古寺巡礼、こういうナゾの発掘解明がオモシロい!
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【人間の視覚的比率感覚〜能舞台】

2019年03月29日 07時37分22秒 | Weblog
写真は先日に早朝、仙台から盛岡に移動の途中、
高速を下りて立ち寄った「中尊寺」の能楽堂であります。
能楽堂というのは好きな建築であります。
人間がある劇的なるものを求めて参集するときの
「歴史的」な経験蓄積の末に出来上がった場所としても興味をそそられる。
20世紀になって人類は映画を開発し、
もっと日常的なメディアとしてテレビも開発した。
この人類史的衝撃というのは、すごいものがあったと思いますが、
まだこのことは対象化されるまでには、時間がかかるでしょう。
いまを生きているわれわれとしては、そのメディアに先行して存在し
そういう視覚装置にインスピレーションを与えただろう空間性の方を
考えるべきなのではないかと思っています。

よくテレビのアスペクト比というのが論じられた。
いまでもパソコンやスマホの視覚比率について、論じられる。
そんな興味について、能舞台のアスペクト比を見てみた次第。
画像は多少は「画像修正」しているのですが、
タテ横の水平垂直をおおむね合わせてみて、
その上で能舞台の主要な画面構成比率を計算したら、
2576対1279という結果が得られた。
おおむね、2:1という比率になっている。
現存のこの能舞台の建築は1853年とされていますが、
それは「再建」であり、歴史的にはそれこそ中尊寺の創建から
能が歴史的な芸能として成立することと並行して
相当古くから存在してきたに相違ないと思われます。
歴史年代で活躍した、それもその時代を代表するような建築人が
その知識のすべてを注ぎ込んで建築したことは明らか。
能というのは人間の挙措動作が極限的に「表現」化したものであり、
その「鑑賞」に最適の「画像解像比率」を考えなかった方がおかしい。

まぁこうした分析自体は専門家ではありませんので
不明ではありますが、この画像比率はなんとも自然ではあるように感じられる。
建築としてはこの主要画像提供部位のほかに、
袖廊下的な付帯建築があり、その接続角度というのも面白い。
また、屋根の掛け方、軒の出の寸法やバランス比率も興味深い。
そのうえで能はふつう夜にやるので
照明としての「薪」の配置場所などにも興味が深まる。
さらに音響装置として、能では舞台の下に音を拡散させる「壷」が配置されたりする。
いわば、「メディア」の組成過程、その不可欠要素をさまざまに教えてくれる。
常時一般公開されている中尊寺・白山神社能舞台、好きな建築です。
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【東日本的農家文化「まゆ玉・餅花」インテリア】

2019年03月27日 07時02分01秒 | Weblog
写真はきのう書いた蕎麦屋さんの室内デコレーション。
わたし自身はこういった室内装飾の文化伝統を持たない
瀬戸内海地域出自の家系の住宅文化様式で育ってきたので
ネイティブな感受性とは距離感はあるのですが、
「養蚕」農家生活文化様式の強い、関東以北農家では
小正月期間などでこういうデコレーション文化が根強いようです。
母親の実家に冬に行くと、こういうデコレーションに出会った記憶がある。
まことに久しぶりにこういうのを見たので
新鮮に感じられ、また雰囲気的にも「いかにも」感があった。
こういったデコレーションは畳と和の欄間、柱梁空間が似合っている。
現代の住宅からは徐々に失われつつある「背景」装置群に似合うデコ。
そういえば、とふと気付いてこういうのを現代住宅空間に活かす試み、
あんまり目にしないなぁと。
たぶん、生活背景としての「養蚕農業」が存続基盤を失って
必然的に生活文化としても忘れ去られつつある、ということなのでしょうね。
しかし、わたしのような人間でも「そう悪くない」と思える。
こういうデコレーション空間からインスピレーションされるような空間美を
だれか志向しないだろうかと、期待させられた。



きのう書いた蕎麦屋の開放型石油ストーブ記事について
スタッフから「そば屋さんをディスっている(笑)」と言われてしまった。
う〜む、であります。
たしかに「ディスっている」というように受け取られるか。
しかし蕎麦それ自体にはリスペクトしているつもり。
食文化として、日本人にはきわめてかけがえのない文化資産。
それを楽しむときに、伝統的ないろりとか、
背景的に隠れているような暖房方法であれば納得はできるけれど
五感のウチでもっともセンシティブな「臭覚」的に残念。
「味覚」をもってなりわいとしている店舗には
その雰囲気を愛するが故に、感じることは書きたいと考えた次第。
では、あのような低断熱低気密がむしろ内装的には「ウリ」の店舗では
どのように「暖」を提供すべきか、ということになる。
まぁ、そのときにイマドキは暖房設備も進化しているので選択の幅は広いはず。
それもある程度、長期的に「空間演出が磨き込まれてきた店舗」であります。
たぶん、店側としては、囲炉裏という採暖形式を最上としたのだろうけれど
それが機能的にはむずかしいということになった。
で、それの単純な「機能代替」として、簡便に置き換えられる、
ということで壁際設置が一般的なFF式ではなく、安直に
このような室内中央配置型の「開放型石油ストーブ」を選択したのでしょう。
しかしできればその選択の時に、味覚と臭覚についての心配りが欲しい。
むしろ蕎麦のために強くそう考えた次第であります。
どうでしょうか、やっぱり「ディスっている」かなぁ?
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【山形蕎麦店の石油ポッドストーブ】

2019年03月26日 06時16分21秒 | Weblog


先日山形市内の山形蕎麦名店で食べた蕎麦が忘れられず、
もう一度訪ねたら、月曜日定休という残念な事態。
しかたなくインターネットで調べて「板そば」を。

というところまではよかったのですが、
ふと目に止まってしまったのが、店内に鎮座する開放型灯油ストーブ。
店内のインテリア自体は、いかにも「田舎ふう」で悪くはないけれど、
食材を提供している場所で、こういう開放型灯油ストーブは
どうにも全体の環境・雰囲気を破壊しているように思う。
石油ストーブは燃焼させると臭気が発生する。
独特の石油燃焼臭が立ち上がってくることは避けられない。
開放型灯油ストーブの場合、燃焼に必要な空気を室内から得て
同時に排気ガス臭気も室内に放出する。
この室内空気利用の問題から結露問題まで、開放型は問題が多すぎる。
北海道では常識として吸気も排気も外気を利用するFF式が主流。
ほぼ常識の世界から開放型は駆逐されていると言っていい。
食べ物というのは、繊細にいろいろなことを「味わって」食べたい。
とくに蕎麦のような食品の場合、その微妙な味わいがキモ。
たしかに「そばの匂い、かおり」というものまでは
感受力が及ぶかどうか、それは定かではないけれど、
すくなくとも玄妙な味の世界に浸っていたいとは思う。
そのときに、室内空気がある特定のバイアス下にあると
「味わいの世界」が大きく制約を受ける。
味覚の世界が大きく毀損されることは明らかではないだろうか。
そばがおいしければ、他のことは関係ないということなのか。
そういう鈍感さをもって客に接しているように思われてしまう。残念。

きのうは日中気温は12-3度まで上昇していたけれど、
田舎風であるが故に、店内には陽光導入はごく限られている。
ひんやりとした室内で過ごしていて
そばを待つ間、このストーブのことが気になっていた。
あの石油臭気が感覚にトラウマ的に想起されてくる。
そうなると、玄妙さを味わう味覚の準備もおぼつかなくなった。
つゆも冷やしすぎで、口中での温度緩和可能レベルを超えていた。
いきおい、ゆっくり味わうことができなくなる。
立派な板そばの姿だったけれど、そそくさ胃袋に流し込むしかなかった。
残念ながら、開放型灯油ストーブを起点とした
イメージの悪循環から逃れられない時間を過ごしてしまっていた。
ちょっと敏感すぎでしょうか?・・・。

※なお、筆者の勘違いで「開放型灯油ストーブ」を
「ポッド式石油ストーブ」と一時的に表記されていました。
可能な限り文面は修正していますが,一部、修正不能箇所がありました。
あしからず、よろしくお願いします。
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【春先 なごり雪の散歩路】

2019年03月24日 06時35分25秒 | Weblog
ことしは暖冬でと書き続けていたら
ぶり返してきた寒波が襲ってきたようです。
わたしはいまは岩手県におりますが、札幌では8cmの積雪とか。
盛岡でもいま現在、降雪がきています。
やはり冬将軍、そうはカンタンには撤退してくれない。

写真は先週半ばの雪融けの進んだ状態での散歩路。
アスファルトの道を歩くだけではなく、
イキモノたちと出会うべく、雪道をあるいて向かったりもします。
この細い道もカモやオシドリたちが生息している池への道。
冬の間中、散歩する人たちも多いので
必然的にそうした道は踏み固められて
その足跡がたどれるし、とくにこの時期だと
その細い筋のような道を歩いた方が、足下はかえって安定する。
まさに人が歩けば道になる,という次第なのですが、
オモシロいのはその筋道が踏み固められている分、
固い雪になって、残っていること。
それ以外の箇所の方が土もあらわれていたりするのです。
ひとが冬の間中、活動的に動き回った痕跡が
むしろ、冬の名残を深く留めるものなのだと気付かされる。
ためしにこの踏み固められた雪道を外れると、
とたんに軟弱な地面でドロが靴の底面に付着してくる。
やっぱり冬道の名残の方が安定した路面を提供してくれる。
季節感は行きつ戻りつ、いろいろな表情を見せてくれるのだと
思い至らされる。
おっとっと、と足下に細心の注意を払いながら、
踏みしめながら、雪道をグリップしながらの散歩であります。
こういう散歩もそれはそれで、歩く楽しさがいろいろあるものですね。



さてそんなブログを書き終わったら、
盛岡市内中心部のホテル駐車場、まっしろ路面に変身。
これは冬タイヤのままにしていてよかった(笑)。
まだまだ桜の開花どころではない北国の状況であります。


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【記憶の奥底深くDNAが反応するここちよさ】

2019年03月23日 05時30分54秒 | Weblog


人間は炎以上に癒されるものはあるのだろうか。
記憶の奥底深くDNAが反応するのだと思います。
同時に外の清涼な寒冷気候がコントラストとして
肌感覚に作用することも重要。
北国に暮らす最大の楽しみといえるでしょうね。

特集 ‒ 薪ストーブのある暮らし2019.3.21
薪ストーブと掘りごたつがある、北海道の木の住まい

「くつろげる家をつくること」。
それは、家づくりの大きなテーマです。
大学時代には林学を専攻し、自然に関わる仕事をしていたKさんも、
家族のくつろぎの場として「家を建てるなら自然豊かな土地で、
自然素材を使った家を建てたい」と考えていました。・・・

ReplanWEBマガジンへ
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【春の息吹 in 北海道神宮】

2019年03月22日 06時59分29秒 | Weblog



今週からようやく札幌でも散歩を再開。
北海道神宮境内を歩いてきております。
旧知の知人たちとも交流できてきた。
・・・っていうのは、実は人間ではありません(笑)。
そう、写真のエゾリスさんたちや野鳥さんたちであります。
本日登場願ったのは丸々と冬毛、皮下脂肪を溜め込んだ
その姿のままのエゾリスさんであります。
まったく自然のままの姿ではなく、
大体が人間が与えるエサを含めた「環境」に依存して生活している。
人間の側で本来はこういう餌やりは制御しなければならないのですが、
しかし人類はほぼ地上を制圧しているのも事実なので
「かわいい姿をみたい」欲求を抑えられず、エサやりしてしまう。
わたしなどもそういう様子に便乗して写真を撮ったりする・・・。
野生生物たちというのは、環境適応しなければならない。
鳥類でも最近はカラスが生態系で優勢なのではないかと思うのですが、
それは人間の居住領域からの食品ゴミという「地球環境」に
生存環境適合してきた結果なのではないかと思います。
こういうエゾリスたちも、
たぶん純粋な自然環境から生命維持の食品を獲得するのと
こうした人間からの「提供エサ」との比率はたぶん年々後者の方が増える。
最近、見ているとカラスにまでエサを与える人も見掛ける。
こういう点、どう考えたらいいのかなぁとは思い続けています。
自然環境原理主義みたいな考え方も理解はできる。
しかし一方で、人類は地上からたくさんの生物種を消滅もさせてきた。
マンモスハンターの「生きる戦い」が生物種の消滅に繋がった。
適者生存原則からすればやむを得ないとも言える。
そういう結果として現在の生態系があるのであって、
人類の「ふつうに考える」コトの結果が反映されることは仕方がない。
「かわいい存在」との交流を楽しみたい、というのはやめられない。
そういう罪業を感じながらも、かわいい様子には抗えない人類の一員。

春の陽射しが日増しに強まってきて
こういう「半自然」「境界」の世界も活動的になってきていますね。
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【北国的「冬送り」通過儀礼?=雪割り】

2019年03月21日 06時49分05秒 | Weblog


北国札幌では年間積雪は6mを通常年では超える。
そういう積雪が道路上でクルマなどに踏み固められて、
春先まで「岩盤状」の氷塊となって残留いたします。
まぁ放って置いてもそのうちには春の気温上昇とともに消える。
のですが、そこは生活者として座して待つ気持ちにはなりにくい。
「春よ来い、早く来い」という内奥から突き上げてくるDNAがこだまする。
北国的男子、と書くと性別によるなんとかと言われるかも知れませんが
やはりツルハシなりの道具を引っ張り出して
この氷塊の破砕作業に無性に駆られるのであります。
肉体的にはメンドイのではありますが、
あの「パカッ」と氷塊が割れて路面の地肌があらわれる瞬間は、
なんともいえず、深奥からの快感を刺激される(笑)。

ただしやはり肉体的には肩や腰、その他筋肉痛の原因になりやすいので、
数日間いやそれ以上の期間をかけて、徐々に作業を進める。
ことしは暖冬で推移して終わりそうな冬なのですが、
それでもそこは慎重にムリをせず、途中何回かの
出張を挟みながら、2週間以上かけてやっておりました。
で、昨日ついに一気に延べ10坪程度の氷塊を破砕させた次第です。
写真上のように、ツルハシは棒状のものでして、
これは昔のサムライの武具で言えば長槍くらいの感じ。
たぶん長槍よりも先端部の金属部分が重量感のある鉄塊。
垂直に振り下ろすと、みごとに氷塊が断片化していく。
これは路面の温度上昇によって氷塊との間に水分が入ることで、
割れやすくなってくれるのですね。
こうして破砕された氷塊の断片をより細かく砕いて、
クルマで「押しつぶす」のであります。
そうすると、温度上昇もあってほどなく湿った雪になっていって、
やがて水に戻ってくれるという輪廻をたどることになる。
クルマのタイヤで押しつぶすときに「ボスボスッ」という
独特の音が発生するのですが、これがまた北国人のDNAにここちいい。
札幌は転勤族の町でもあるので、本州から来る人には
こういう氷塊が路上にあることに抵抗を感じる人もいるかもしれないので、
自分のクルマでおおむねの押し潰しをするようにしています。
しかし北国人としてはどこかでこういう氷塊に遭遇すると
「おお、やった」という心理が沸き起こって「ボスボスッ」音を
心から楽しんでいるところがあります(笑)。



ということで、本日からふたたび出張ですが
なんとかそれまでにご覧のような「雪のない」建物に復元。
北国的男子としては、春を迎える通過儀礼を
ことしも果たせた、という安堵感を味わっております(笑)。
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【Replan北海道最新号 「守る家」3.28発売】

2019年03月20日 05時35分38秒 | Weblog
今回のReplanは「守る家」というテーマでの特集。
阪神大震災、東日本大震災と大きな地震・津波災害がうち続き、
さらに比較的に安定していたと思われた北海道中部でも
昨年9月とことしの2月と、大きな揺れに見舞われました。
そして昨年9月地震時には北海道全域停電が発生しました。
災害はこの列島で暮らす以上、無縁ではいられない。
東日本大震災時には、地域で発行する住宅雑誌として
「東北の住まい再生」という住宅情報のボランティア的な発行もしました。
宮城・岩手・福島各県の協賛もいただいて
被災地の仮設住宅などに各県のルートで直送させていただいた経験もあります。
今回の北海道地震にあたって、自分たちも体験したその経験から
この「守る家」というテーマ企画を選び取った次第です。

寒冷地の住宅では「寒さから守る」ことはあたり前のこと。
断熱性能の向上や自然素材の使い方で健康な暮らしを守る家、
土地や配置を読み解く設計でプライバシーを守る家、
多雪地域での除雪の負担を軽減して日々の快適さを守る家。
住まいはさまざまな意味で、人々の暮らしを守ります。
今回訪れた、技術とデザインで「守る」工夫が凝らされた家には、
家族の穏やかな時間が流れていました。
Case.01 災害に強い家づくりで 心安らかな仕事環境を実現
Case.02 雪や目線を気にせず のびやかに暮らす和モダン平屋的住宅
Case.03 優しい眼差しが行き渡る 2世代同居のバリアフリー住宅
●巻頭特集連動企画/備えて安心。守る家[実例集]
●[WEB連動企画]春、モデルハウスへ行こう!
●リノベーションで暮らし、広がる。
●連載 Q1.0住宅デザイン論 〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
●連載 いごこちの科学 NEXTハウス17 〈東京大学准教授・前 真之〉
●新築ルポー住まいのカタチー
●北の建築家
 「HOUSE_S」 米田 英美
 「擁壁上の住処」 武田 幸司
 「北のちいさないえ」 井上 貴詞

Replan北海道VOL.1242019年3月28日発売・2019年春夏号・A4版本体価格463円(税込:500円)お求めはこちらから。



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