三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【中古再販「リノベZEH」のストライクゾーン】

2018年03月21日 06時30分37秒 | Weblog


ようやくZEHという施策に対してわたし的に強いプッシュ要素を見た。
今回の函館取材で地域工務店グループ・eハウジングが
今後取り組んでいきたいとしていたのが「リノベZEH」。
主要メンバーの山野内建設さんが取り組みをはじめていた。
購入層のターゲットは人口減少に苦しむローカル市町村居住者。
こうした地域では高収入の職場自体がごく限られている。
そのなかで現代的居住環境をどうやって地域工務店として担保していくか、
そのために国の住宅施策を徹底的に利用して
まだしも存続している「補助金」なども援用しながら、
取得可能な高性能住宅を提供しようという試みでした。

人口減少地域では「空き家」だけは豊富にある。
そうした空き家を「目利き」して再販リフォーム可能な物件を入手する。
あるケースでは、上物付き土地が500万円だったところ、
現代社会が要求する分別解体処理費用が200万円かかる。
そこで差引き300万円で持ち主から購入した。
こうした物件の持ち主にとっても購入需要が少ないローカルで
不動産を現金化出来るメリットは計り知れないと推測される。
ここでのポイントは住宅建築のプロによる既存物件の目利き。
どこにどう手を加えればもっともコスパよく高性能住宅に改変できるか、
そういう優れた知見を持つ地域工務店ならではの強みが活かせる。
この購入物件に対して断熱改修、耐震補強、資金計画などを
ユーザーにオープンに開示してリノベした。
なんとリノベ前の物件もオープンハウスとして公開したという。
改修の概要は以下の通り。
●間取りは以前と変えず、階段など利用可能な部位は既存を活かす。
●断熱気密性能は徹底的にやり直し。外皮はUa値0.26W。
●延べ床面積33坪。断熱性能は年間暖房負荷5,244kWhの試算結果。
●暖房設備は6畳用エアコンを床下に1台設置して、1階床下と軸間、
天井フトコロを暖気が対流する全室暖房方式。
●外気温マイナス4度の日で1階床開口からの吹き出し温度26度。
室温22度。マイナス13度の日でも室温20度を維持したという。
●太陽電池6kW。エアコン暖房+エコキュートで光熱費ゼロZEHをめざす。
<資料は北海道住宅新聞2018.3.5号から参照>

ポイントは、光熱費ゼロということが地域居住にとっての
直接的な大きな支援策になっているということ。
仕事自体が少なく、しかも高収入は望めない地域にそれでも愛着を持ち
住み続けたいという希望を持ってくれる人々に
高性能住宅の技術を持った地域の作り手がその住宅環境を提供できる。
そのような目的のためであれば面倒なZEHの手続きなどの
経験値を高めておくことも必要で、大きな力になる。
ストーリー全体として大きく同意できると思った。山野内さんは
「ローカルでは高性能で取得費負担が少ない住まいのニーズが
いかに強く存在するか、見学会をやってよくわかった。
しかしこれは企業化はむずかしいかも。既存住宅の目利きと
断熱施工のバランスでどのように折り合いを付けていくか、
おのずと経験知に大きく依存する」と話されていました。
しかしこの企画、住み手と作り手、空き家の売り手の三方よし。
さらになんといっても「地域よし」の要素も加わってくる。
今後動向に注目したいと強く感じた「ローカルZEH」の試みです。
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【プロ建築人の最新木造「体感」取材】

2018年03月20日 05時20分28秒 | Weblog


2017年5月に取材した(株)北洲さんのコンセプト住宅、
プレミアムパッシブハウス(PPH)。
この住宅を2017年12月に購入され住んでから3カ月というご夫婦に、
その居住体験についてインタビューする企画でお話を伺ってきました。
なんとご夫婦は、どちらも建築のプロ中のプロ。
ご主人は大手ゼネコンで建築技術的な枢要な職務に就かれ、
一方の奥さまも設計、それも戸建て住宅を長く経験されている方。
オフレコでも核心的な建築論議ができて楽しい取材となりました。

東京での勤務が長く、都心高層マンションで暮らしていた。
その後、仙台転勤で本格的居住拠点としてPPHを購入。
また直前まで仙台で鉄骨造賃貸住宅暮らしも経験されている。
RC造マンションと鉄骨造住宅、そして最新技術木造住宅と、
都合3つの「居住体験」を、プロらしい知見も交えて伺うことに。
住品質体験も、一般人とはまた違う感じ方があります。
いわば住宅の肌ざわり、センサー感覚も卓越している。
木造戸建て住宅は各地域ごとに優れたつくり手が存在する領域。
RC造建築の均一な合理性追求ではなく、
プランから内部空気感に至るまで、丹念な品質追究がされています。
北洲では、寒冷地・準寒冷地である東北・北関東での住宅技術として、
北米大陸由来である木造2×6工法をベースにしている。
気密化施工が比較的ムラなく施工可能という要因からですが、
木質の醸し出す雰囲気、長く愛着を持って住む器としての
デザイン性と高性能を支える基盤として2×6工法を採用している。
そのベースから、さらに総合的性能、室内環境向上に取り組んできたPPH。
木の家の肌合いの優しさには、RC造や鉄骨造を超える部分がある。

「この家では設定温度20度でエアコンを連続運転しています。
今年の冬は寒さがかなり厳しかったですが、外気温が何度なのか
まったく意識から消えるような感覚でした。」
1階と2階に設置したエアコンの暖房温度について。
2階エアコンは運転ナシで、室温は1階とムラなく均一に20度。
取材時にこちらで確認して分かった事実に驚かれていました。
また室内の空気感について、24時間連続機械換気の有効性、
塗り壁による湿度コントロール具合など
生活者実感としてその心地よさを証言されていました。
室内気候の究極として「皮膚感覚で何も感じないこと」と言われます。
まさにそういう実感を持たれているとのこと。
「細部について、仕事柄どうしても気になるのですが(笑)、
壁仕上げディテールなど木造技術の進化ぶりに正直、驚かされますね」
建築のプロとしての肌の感覚を通した最新木造住宅品質への証言は、
取材していて大変興味深いものでした。
詳細はReplan東北4月21日発売で。乞うご期待!
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【27年間連れ添っている階段収納】

2018年03月19日 05時32分27秒 | Weblog
家具って、現代生活ではどういった位置付けなのか、
いわゆる「一生モノ」という概念がまだ生き続けているのか不明。
花嫁タンスという習慣も薄らいでいることは間違いない。
今回自分自身で住まいと仕事環境の再構築をしてみて
そもそも現代ではモノとの関係性が大きく変化していると実感。
モノの価値感、位置付けがそれまでの社会とは一変している。
いわゆる花嫁タンスというのは、収容物としてよそ行き衣類、
和服セットのようなものが想定されているのでしょう。
しかしウチのカミさんの例で言うと、
礼装的な機会でも基本的に洋装で対応してきたので、
一応持っている和服を着るような機会は生涯ほとんどなかった。
和服のための収納装置を考えたし、利用もしてきたけれど、
ほとんどそれを着ることはなかった。
いわばタンスの肥やし。一生モノと言ってもほとんど使わなかった。
生活合理主義で考えれば、まったくムダだったとなる。
家具類の主要目的である「一生モノ」という概念は大きく揺らいでいる。

一方で注文住宅文化が根付いてきたなかで、
「造作家具」というものは多数作ってきた。
既製品ではない、利用用途に特化してなおオリジナルな
デザイン家具類をいろいろに作ってきた。
この写真の「階段収納」はその代表的存在。
わが家の居間に端座して日用の品々の利用収納に応えてくれた。
こういう「家具」では、その中身の収納物も含めて
たくさん「考えてきた」分だけ、利用頻度も高く、
またデザインへのこだわりもあって、「愛着」感がハンパない。
半分は逸品制作物・芸術品的な嗜好性を感じている。
今回の引っ越し作業でこいつをどうしても宅内移動できなかったので、
逆に建物の方に造作変更をかけて移動可能なようにしたほど。
いくつかデザイン性のいい既成品家具も購入して持っていたけれど、
今回の環境変化でようやく「もっと使わなければ」と思う程度。
今後どれだけの活躍をしてくれるのかまったく未知数。
現代でのモノと人間の「愛着」の関係では
もっと身近なパソコンやスマホ端末などの方がむしろ有力対象でしょうね。
どんな環境になっても、愛機のMacBookはたぶんずっと連れ添っていく、
バーチャルな「使用感」を含め「家具」的愛着を感じていると思う。
この分では家族に棺桶にも入れてと頼むかも(笑)。
世代更新が進んでいって家具概念がどう変容していくか、
見通しの利きにくい時代だと思います。
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【海から見るニッポン 国境管理の現実】

2018年03月18日 09時37分07秒 | Weblog
北海道は世界に対して海で接している。
日本国家とは、津軽海峡という海で隔てられている。
ときどきこの海をクルマをフェリーに乗せて渡って来るけれど、
その瞬間、こんなポスターと遭遇した。
ごく身近に「国境管理」という問題が現実にあるのだと認識させられる。
あやしいフードを頭からかぶって、片目だけの視線から
危険そうな手榴弾とおぼしき物体に手を掛け、
いまにも投げつけてきそうな、プロレス悪役以上のド迫力。
なにやらアジアンな風貌なので、どうもあの国を想定していそう。
実際に昨年は多数の「漂着漁船」発見が見られ、
そのうち1件では日本領の無人島で傍若無人のふるまいをしていた。
そういった危機意識から、こういったポスターが注意喚起で
貼り出され始めたものと推測をたくましくしておりました。

第1管区海上保安本部という組織はこのフレーズ採用から推定すると
北海道を主管理地域とした組織と思われます。
「第一管区海上保安本部とは、主に北海道地方のオホーツク海、
ならびに北海道、北方領土を管轄範囲とする、海上保安庁の
管区海上保安本部の一つである。 略称は一管、
英語表記は1st Regional Coast Guard Headquarters。
本部は北海道小樽市港町5−2」ということ。
今回の旅程では函館ー青森間を往復したりしましたので、
久しぶりにこの間のフェリーに乗船して現実を把握した。
こういうのを見せられると、思わず手回り品などに注意が起こってくる。
日本はいま、太平洋側の方が同盟国アメリカに近く、
名前とは逆に日本海側の方が敵対性国家群に対置されている。
国民レベルでもこういったポスターのような危機意識を
残念ながら持たざるを得ない現実がある。
こういうポスター図案になった背景事実としては、漂着した、とされた
多数の北朝鮮「漁船」なるものが、事実上
軍が関与した「武装船」であることを想起させます。
あのように多数が「漂着」したという現実からは、
そのように偽装し武装した軽軍船がテロ行為をはたらく可能性をも、
担当の「管区海上保安本部」としては想定していなければならない。
もしそういった現実が起こったときに、なにも対応していませんでした、
というようなことでは、いまの日本社会内部での他責的風潮からして
たぶん容赦のないキビシイ非難が寄せられるに違いないでしょう。
担当部局では、こういった危機意識を国民に共有してもらう蓋然性がある。
・・・にしてもこのポスター、コピー写真とも、すばらしい(笑)。
「なまら、いいべや」であります。個人的に広告賞を差し上げたい(笑)。
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【札幌-函館・域内「JR交通費」の異常高】

2018年03月17日 07時08分10秒 | Weblog
昨日は掛け持ち日程。
午前中に社内打合せ、契約対応打合せを済ませたあと、
工事現場で設計の丸田絢子さんと各種決定を済ませ、
午後は北海道建築指導課の住宅施策会議に参加。
3年間論議してきた内容がほぼ一段落して、
来年度30年度以降の展望についての会議でした。
とくに既存住宅についての制度設計については、意見を持っております。
その後、やや早退させていただき函館までの列車移動。
きのうきょうは新住協北海道地区大会in函館であります。

どうも最近、JR北海道の料金値上がりが目立つ。
以前は札幌函館はそんなに高いと感じなかった。
仕事関係で青森までよく往復で利用していたのですが、
だいたい18,000円程度で往復できて、そこそこ使い勝手が良かった。
函館での「途中下車」対応についても融通が利いていたように思う。
多少時間はかかるけれど、その分ピックアップ的な仕事対応も可能だった。
けれど、新幹線が函館に繋がって以来、
どうも「高くなるのは仕方ないでしょ」みたいな経営姿勢が目に余る。
別に新幹線にまで乗りたくない、函館-青森間は在来線でいいよ、
というのが大多数の地域の声だと思うのですが、
これを全部無視して、実質倍くらいの運賃上昇を平気でやっている。
本州首都圏地域でも、別に新幹線ばかり利用はしない。
コスパを考えて経済範囲限度のコストでみんな考えて利用している。
函館-青森間でそんなに高コストを回収できるビジネスが多いとは思われない。
今回、頻繁な移動を計画してみると、この区間の運賃上昇の異常さが
まさに非常事態だとしか思われません。
しかもこの時代にネット購入システムを一度中止してしまったJR北海道。
あまりの惨状にJR東日本が再開の支援をしたようです。
この新幹線余波で札幌-函館も片道で約9,000円に運賃上昇。
たぶん、2割以上の価格上昇ではないでしょうか。
今回はやむなく利用はしましたが、以前に較べ乗車率激減の様子。
以前はほぼ満席だったけれど、きのうは乗車率2割程度か。
札幌-函館だけで往復2万円近いというのは、
関西へのアクセスで往復実質2万円程度などを考えれば呆れる。
ビジネス的見込みがそこまであり得る人しか利用できないか、
観光目的だけしか行けなくなってきたのではないか。
どう考えてもコストパフォーマンスが悪すぎる。
こうしたことが放置され続けていくと、青函地域の経済低迷を招くのでは。
新幹線開通による不景気が危惧される。
どうも本気で心配な状況になっているようです。
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【青森から札幌へ「出張」建築確認(笑)】

2018年03月16日 05時58分26秒 | Weblog


先週土曜日深夜から行動開始して、
クルマで函館まで直行、そこからフェリーで青森に渡って、
日曜日から水曜日まで青森県地域を巡っていましたが、
きのう、青森空港から札幌に一時帰還であります。
で、きのうはさっそく工事進捗のチェックと、
必要な「家具移設」の「詳細指示」必要性を現場棟梁さんから
直接訴えられたので、さっそくシロウトながら、
手書きの寸法図、配置希望図などをまとめてみました。
自分でこういうこと実際にやってみると「指示代名詞」の特定から
カミさんとの間ですらコミュニケーションが取りにくいとわかる。
「あそこにあった、あれさ」
という代名詞では、基本的な工事指示コミュニケーションにならない。
とくに既存「造作家具」については、一般名がなかなか浮かびにくい。
最初は機能特定していたけれど、長い時間で機能性変化が生じる。
最初は本棚想定で作ったけれど、いまは食品庫に利用している、
なんていうケースは日常茶飯事なんですね。
こういう会話、夫婦であればケンカのネタ程度で済む話ですが、
建築の指示特定のことであればそうは言っていられない。
ことはすべてお金の絡むキビシイ現実問題であります。

で、へたくそなりに書いてみるとこれがなかなか楽しい。
「空間」について考えていることを他者に「つたえる」ことは
数字とイメージ把握、さらに構想の伝達など、
まことにリアル世界を構築する、そのものだと知れます。
こういうコミュニケーションの結果、寸法がぴったりと収まる、
使い勝手のいい空間がすこしづつ仕上がっていく実感がある。
建築というのは仕上がれば「モノ」の世界ではありますが、
そのプロセスではまことに人間的感受性の世界だといえる。

さて、きのうのブログで書いた「蓄熱暖房器」のガワの中にあった
煉瓦状の内部部材がきれいに並べられておりました。
どうやら留守中に「解体撤去」が完了したようであります。
まことに感無量、というようなロマンチック気分ではなく、
おお、なかなかきれいに救出できたね、というウレシイ再会気分。
なんかクラッシュ煉瓦にするの、かわいそうにも思えてきた。
みなさんならこの煉瓦、どのように再利用を考えるでしょう?
う〜む、時間がないけどどうするかなぁ?
ということですが、本日は会合2件を片付けて函館へとんぼ返り。
アイデア出しも時間との闘い、これも建築。まぁ時間切れですかね。
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【しずかに撤去を待つ蓄熱暖房器】

2018年03月15日 06時52分41秒 | Weblog
きのうは青森市、弘前市を回っておりました。
住宅会社は水曜定休が多いので、おもにエネルギー企業を中心に。
ということで、一時期のオール電化でわが家でも導入した
蓄熱暖房器であります。
東大・前真之准教授にReplan誌面で連載を書いてもらっていますが、
先生からは繰り返し、わが家のこの蓄熱暖房器への揶揄攻撃が
激しさを増すばかりという状況でした(泣)。
おかげさまでなぜか「トランプ三木」というニックネームをいただいた。
たぶん、世界の常識とはやや違う路線を走っているみたいな
先生的表現だったのかと思われるのですが、
たしかに電気ナマ炊きという批判は合理性がある。
ということで、今回のリフォームで撤去することに致しました。

で、わたしとしてはなんとか「再生利用」を検討していました。
外装している金属の内部には耐火構造のレンガが入れ込まれている。
それに電熱線コイルが貫通しているような構造。
当初は外装材の塗り壁の表面に「レンガ」として貼ろうかと考えたのですが、
高温利用なので美観的な劣化も避けられないだろう、
というような情報も耳に致します。
まだ、撤去の時期は確定していませんが、
いまのところ、建物周囲の「犬走り」にクラッシュして配置する予定。
昨日は東北電力のみなさんと各地で懇談していましたが、
いまは、エアコン暖房がメイン装置として受け入れられてきている。
北海道人としては石炭ストーブから石油ストーブへの転換、
そしてこの蓄熱暖房の一世風靡、さらにその衰微からエアコンへと、
ほんの数十年の変化にも驚きを持つものです。
ただ、負の遺産の側面があるとはいえ、
北海道のある時期を象徴するような装置ではあったので、
地域全体で数十万台ベースで現存しているのではと推測しています。
今後これらが廃棄されていくことを考えると、
その部材の再生利用というのは、道民として思いを持たざるを得ません。
なにか良いアイデアを待ちたいところであります。
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【海外との接触が生む地域文化 札幌&十和田】

2018年03月14日 06時09分40秒 | Weblog
青森県は大きくは3つの地域に仕分けされる。
八戸や三沢・十和田を中心とする県東南部地域、
一般的には「南部地域」というようにも言えるのでしょうか。
それに対して弘前を中心にして青森市も大きなくくりでは入る
「津軽地域」という大きな地域。さらに明治の動乱の結果、
会津の人々が開拓として入植した「むつ」がある。
それらの大きな区分のなかでもそれぞれの相違があって、
非常に多様な成り立ちを感じさせられます。
今回は十和田市を中心にして行動したのですが、
この十和田は、明治以降新規開発された都市であって、
そこに日本各地から人口が流入してきた。
そういう意味では北海道・札幌と成り立ちが似ている部分がある。
八戸は南部藩の故地であり、そういう武家文化がまだ強いけれど、
こちら十和田を中心とする地域は比較的に開放的な文化を持つ。
多様な流入民が主体になっているので、オープンな文化が育ったのか。
この地域を中心的に開拓した新渡戸家からは、
国際的な活躍をされた新渡戸稲造さんが出ていて、
地域としての開明さがそこに端的に表現されていると思います。
明治以降の海外との関係性って、日本の現在の地域性にとって
かなり重要なファクターであるかも知れませんね。
北海道はその開拓思想からして北米の思想が入っており、
マサチューセッツなどからの「開拓技師」たちの痕跡が感じられるし、
函館や横浜、神戸など、そういった時代精神が色濃く残っている。
青森県でもこの地域がもっとも北海道と親和性があるのは、
そうしたスタートの時点での同質性が存在しているのかも知れない。

また、いま十和田市には安藤忠雄、隈研吾、西沢立衛などの建築作家による
建築群が中心地域を構成している。
まちづくり自体でそのように開かれた面が強調されてもいる。
まぁ、熱環境的に開かれすぎている(笑)という側面はあるとしても。
住宅文化的にも、北海道との親和性がきわめて高いと思います。
実際に地域の有力ビルダーさんと接すると、
まったく北海道標準と変わらない発想であり、合理性優先志向。
ほかの日本地域ではやや躊躇が感じられる住宅部位、
たとえば屋根形状などでも北海道スタイルのフラットなカタチに
ほとんど抵抗感がないように思われます。
こういった地域性がどのように発展していくのか、
北海道からの視線を持つわたしとしても、興味深いと思っています。
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【ナマの住宅現場感覚をその土地で聞く】

2018年03月13日 06時33分59秒 | Weblog
さて日曜日から、遠出してきています。
先週金曜日に住宅からの「引っ越し」作業を終えて、
その翌日からは、さっそくリフォーム工事に着手してもらって、
解体などの作業が始められました。
わたし自身はカミさんとともに仮住まい先に休息を半日とった後、
クルマに仕事の荷物や、身の回り品なども積み込んで
函館までロングドライブの後、フェリーで青森県にわたって、
いまは、青森県東部地域をあちこちと歩きまわっております。
わたしが選び取った事業領域・住宅は、どう考えても「地域型」産業。
住宅は「不動産」としての土地の上に建てられるもの。
当然作り手という存在も、その場所からあまりに遠距離では
ものづくり作業を維持発展させていくことができない業種。
だから端的な「地域」産業である由縁。
そういった事業領域で仕事する以上、その建てられる土地の空気と
そこでの事情について想像力を豊かに持つために
情報側で大きな行動範囲スパンが要求されると思います。

われわれのような存在はどんな場所にでも出向いて
その現場感覚を理解し、情報発信する習慣が必要になる。
机にノンビリ座っていて情報が取れるようには絶対にならない。
そのようにヒアリングして歩くのですが、
同時に地域住宅産業の側でも、同時並行的な各地からの情報も
大きな情報価値を持っている。
かれらの生存発展にとって、そういった同じような立場の動向は
得がたい情報価値を持っているといえるのです。
そういうことで、今回の自分自身の拠点環境の変わり目をとらえて、
「住情報の広域的情報摂取・交換機会」として
北海道・東北・関東・関西と列島縦断的に動いてみようと考えている次第。
まぁ住宅専門で生活文化的領域ですが広義としては
一種の文化的な部分でのジャーナリズム活動ではあるといえるのでしょう。
開始して1−2日ですが、いろいろ気付きが多い。
ただ、留守にしているといろいろな案件も発生してくる。
移動中には何度か、札幌まで「出張」的に戻る時間も予定しています。
予定以外にも突発でどんな展開が発生するか予断はできない。
さらに、いまは健康維持・ダイエットも好調に推移しているので、
個人として自己管理しやすいこういう出張環境は活かせそうであります(笑)。
カロリーコントロールも楽しみながら、頑張りたいと思います。
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【子どもの成績が上がる勉強環境とは?】

2018年03月12日 06時40分19秒 | Weblog


一貫して、子供室というものの独立を志向してきたのが、
個人主義思想が極限的に追究された戦後以降の住宅間取りだった。
住宅の間取り思想でいちばん最初だったのは、
居間と食堂の分離であり、その後、ひたすら面積の拡大と個室の増加が
追究されてきたのだと思います。
「ウサギ小屋」とかと自虐する傾向が社会に蔓延し、
子どもの「独立心」を養うよきものとして「子供室」が定着した。
わたしも昭和60年代、親が建てた家では個室が与えられた。
親の期待としては、「ここまでやってやったんだから、当然有名大学に」
というのが一般的な心情だったのだと思う。
日本人には「どうしたら学力が向上するか」という
科学的知見が不足していたというようにも言えるし、
個人としてだけの空間に「籠もれば」思考が深まり
その分「集中力」が向上して学業も進捗する「のではないか」と考えた。
親世代には考えられなかったそうした豊かな「住環境」が実現すれば
競争社会の中で比較優位に立てるという神話が形成された。
たぶん誰がそう言ったというようなことではなく、
集団的信仰として、こういう「個室幻想」は共有されていた。

しかしすでに、社会として結果は明白に出ているのではないか。
最近よく言われているのは、他者からの視線がなければ、
学習する意欲はなかなか自生してはこないという事実。
そう大きなモチベーションがなければ、個室に入ってしまった子どもは
その年代なりの個人のカラに閉じこもってしまい、
それが固定化する、非社会的個人主義に埋没してしまいがちだと言うこと。
子供室文化は日本人の学力の向上よりも、
むしろこのような傾向をより多く生んでしまったように思われます。
ではどうすればいいのか、という住宅文化的解決として
家人の視線を感じられる空間に勉強の場をつくる、という方向性が出てきた。
この写真の事例では、居間とキッチンの2面に開放した
このようなコーナーを造作して、装置的な勉強場所とした。
デスクは居間側に対面し、キッチン側からは横顔が見える。
たしかに勉強では、適度なコミュニケーションが大きな助力になる。
学校では押しなべて「教師が対面する」形式を取っている。
自習よりも効率が高いからそうしていることは明らか。
こうした間取り形式では、集団的テレビ鑑賞は自制されるかも知れない。
子どもに学習を強いている同じ時空間で、親だからと言って
好き勝手な自由時間は謳歌できないだろう。
さてこういった形式が、効果的かどうか、
また、あらたな問題点を生み出しはしないか、
興味深く、ニッポン人の変化を注視していきたいと思います。
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