三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

故きを温ね、新しきを知る

2011年11月30日 07時02分02秒 | Weblog





きのう、必要があって、
竪穴住居の暖房の必要エネルギーについて計算してもらった。
わたしたちの祖先はこういう計算はせずに
経験的に、エネルギーが得られる範囲で、
ほかの生業の時間を確保することを最優先させながら、
現実に生き延び続けてきたのだから、
生存可能な数値には到達するのだろうけれど、
やってみるとなかなか数値化はむずかしい。
やはり考えさせられたのは、建物の方の性能とのバランスだということ。
現実的でない結果数値は、
それを計算するほうが、おかしいのであって、
条件をいろいろに変更して、解を得なければならないなと。
そういうなかで、そのころの人々の考え方や思いが見えてもくる。

やはり、竪穴ということで、「穴」を掘るのが
決定的な暖房装置の相当部分を構成していると思う。
地熱が得られそうだ、ということのほかに
やはり一度暖房熱源として利用したエネルギーを
「蓄熱」させることで、長く利用しようと考えれば、
土壌の蓄熱生というのが、大変大きいだろうと思う。
まことに「パッシブ」な考え方だと思いますね。
土は、その土地の年平均気温を一定の深さに下がれば
確保している、といわれる。
札幌であれば約8度、東京以南であれば16度。
そうであれば、加温は札幌でも10度くらい上げればいい。
そんなふうに考えていけば、
薪の数量も妥当な数字に落ち着くことと思う。
さて、計算してもらったらどの程度になるか、
楽しみでもあります。

さて、きょうで11月も末。
いろいろと節目の年でありますが、
あとひと月、残りもカウントダウンが近づいてきました。
どんどんと忙しさが募ってくるのは
それだけ経験を積んできて、やらなければならないと思うことが
幾何級数的に増えていくからなのか、
なんとも気ぜわしいこの頃であります。ふ~~。
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ジョブズさん本の読書感想_3

2011年11月29日 06時31分06秒 | Weblog





若い億万長者たち

いま、アメリカでは次代のジョブズを探せ、という
そういったムードが充満しているという。
アップルやマイクロソフトの勃興期、
空前の事態があった。
株式公開という名目で、まだ若い企業家たちが巨万の富を得たのだ。
実態の売上金額とはかけ離れた巨額のマネーが
このIT業界になだれ込んできた。
このIT革命以降、拡大した「金融」が、新たな投資先を求めて
結局はサブプライムローンにどんどん向かい、
それが破綻することから、現代資本主義の出口なしが始まったのだと思う。
しかし、この時点の金融の働き方は、
日本ではあり得ないダイナミックさであって、
こういう活力を生み出す金融の力自体は、すごい機能を果たしていたと思う。
日本で起業しようとすると、「あなたは実績がないから」と
銀行から断られ、そうでなくとも
ほぼ全生命を担保に取られるというのが大方の実態。
金融というもののありようが、日本とアメリカではまったく違うと思う。

このアップルの創業期での企業活動のダイナミズムを見ていると
なぜ、日本ではこうした技術革新が起こらないか、
そして、キャッチアップにばかり社会資本が向かうのはなぜかを
再認識させられる。
生命保険まで担保に入れさせる日本と、
挑戦する若者に積極的に投資する社会との違いが明瞭だ。
その後、日本でもこういった形体の資本の展開があったけれど、
それはまさにアメリカのキャッチアップにしか過ぎなかったと思う。
まぁ、資本の投資スタイルについては、まだ明確な白黒は付けられないだろうけれど。
しかし、こうした資本のダイナミックな展開で
IT産業が勃興したこと自体は間違いがない。
ジョブズさんは、まさにアメリカンドリームそのままに、
あっという間に数百億円という資産を手に入れることになる。


<まだ、続きそうです>
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ジョブズさん本の読書感想_2

2011年11月28日 05時14分54秒 | Weblog




若い日の精神の彷徨。

きのうの続編であります。
ジョブズさんはわたしとも同年代なので、
かれの若い頃の雰囲気はリアルタイムであり、
あぁ、やっぱり同じような空気感に満たされていたのだな、と思えます。
ドラッグまみれになっていた精神の時代を公言して憚らなかったそうですね。
このあたり、州の法律はどうなっているのか、
時効でもあろうし知るよしもありませんが、そういった雰囲気の時代であって
多感な時期をそのように過ごしたということ自体は、よくある精神史。
ただし、かれの場合には、出生にまつわる精神の不安定感が
常に顔を覗かせていたといえるでしょう。
そういう彷徨の中から、
インドに行って、修行に似たようなこともしていたのだとか。
私生児としてこの世に生を受けたということからの
精神の解放を求めて、いわゆる欧米的なキリスト教的な救済は
かれの生には似合わなかったのでしょうね。
キリスト教的価値観では非正規な出生であり、厳格には離婚も認めないわけですから
そういった世界観では、十全なこころの安寧は得られるわけもない。
そういったことから、むしろ東洋的な哲学に救いを求めるまでは
ある意味で、自然な流れのように思われます。
かれの結婚式は、仏教的なスタイルで祝福され、
食べ物の嗜好的にもすし、とくにあなごが数回記述されていましたが(笑)、
そういった料理を好んだというあたり、禅などの思索傾向に傾いていたのでしょうね。
かれの製品への立ち向かい方には
こうした感覚が非常に先鋭に表れていると思います。
そもそも、コンピュータのデスクトップの考え方には
こういう端的な精神性が反映されてもいると思います。

ただ、わたしたち日本人からすると、
かれの心の中の禅的なものは、非常に動的であって、
しかも非常に排他的な、純粋性を希求するという感じが強い。
やはり、そのあたりは多民族社会のアメリカというベースがそのような雰囲気を
育んでいるということが出来るでしょうね。
わたしたちの禅的な世界には、あのような攻撃性は
見ることができないと思います。
しかし、こういった側面は思索研究のテーマとしては、
今後、もう少し深めて論議されていって欲しいと思いますね。



<たぶん、もう少し続きます(笑)>
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ジョブズさん本の読書感想_1

2011年11月27日 07時57分52秒 | Weblog




誕生について

わたしはアップルの創業者であるスティーブジョブズさんの
来歴とかは、ほとんど知りませんでした。
断片的には、現代のIT産業興亡史、三国志にも比せられるような
激動の動きのニュースなどを通じて知識はあったけれど
かれの個人的なことについては、まったく知りませんでした。
今回の「伝記」を読んで初めて知った次第です。
そのなかでも、出生についての数奇さには驚かされた次第。
現代アメリカというのは、このような
家族とか、結婚といった価値観の動乱状況の中にあって
そういうなかから、奇跡的な人材が生まれてくるのだと驚嘆しました。

かれは、私生児として生まれて、
生まれる前からすでに養子に出されたのだということ。
母親は、アメリカ東部の厳格な家庭環境に生まれて
結婚を父親に拒否された相手との間に出来た命を、
宗教的な理由から中絶することも出来ず
その点について比較的寛容な、西海岸・カリフォルニアで出産する道を選んだ。
そして中産階級の子どもが出来なかった夫婦に引き取られるのだが、
このような私生児を、養子として育てることにも
すでに法律的・社会的ルールが存在していたということにも驚く。
しかし、ルールはあっても、
それを受容する人間の心は、まったく準備されていない。
かれの特殊な人間性、性格を分析するとすれば、
この体験というか、事実が、人間形成に大きな影響を与えたことは疑いがない。
あまりにも過酷な試練、母親にも父親にも
生まれる前から、あらかじめ拒否されつつ、
なお、生命を得なければならなかった人間の内面性はどうなるか、
そういった極限的なテーマが生まれる前にすでに決定されていたのだ。
まさに、想像を絶する。
かれの作りだしてきた製品群に繰り返し出てくるテーマ
テクノロジーと、人間の感受性の「交差点」っていう概念に照らせば、
かれ自身も、人間の感受性と、人間の社会システムとの
現代的なきわどい接点、極限点から出生してきた、ということになる。

このことが、自分自身は「特殊であり、特別なのだ」
という強い自己認識を生んだであろうことは、その後のかれの
人格形成を見てみれば明瞭だ。
そしてかれには、ほぼ同様のDNAを受けた妹が存在するそうだ。
彼女は、ジョブズを捨てた両親が、その後、正式に結婚して生まれた。
後に、両親は離婚することになるけれど、
それでも彼女には、出生に責任を負った両親がちゃんと存在する。
一方は、そういう存在を持たない。
ほぼ同様のDNAを受け継いだ兄妹が、どのように違っていくのか、
社会的にも、興味は持たざるを得ない部分だと思う。

このような人間性というのが、まず、読むものに
大きな想像力の試練をもたらす。
こうした「喪失感」とともに生きていくっていうことはどういうことか、よくわからないし、
そういう人間をどのように理解すべきなのかも、わからない。
そしてもっとわからないのは、
そういうような人間の尊厳性という部分までの極限的な状況が
現代アメリカでは、現実のものになっているということ。
人類はおおむね、「家族」という繭で包み込まれながら育つ感受性が基本である、
という相互理解でコミュニケーションをやってきたし、社会を作ってきた。
しかし、そうしたことに、あらかじめ拒絶されて育った人間も
一定の範囲で、その数が拡大し続けている。
そういうことを認識させられた。
どう考えていけばいいのか、正直、なかなかレベル調節がむずかしいと思わざるを得なかった。


<明日以降へつづく>
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やっと読み終わったジョブズ本、ふ~。

2011年11月26日 09時19分11秒 | Weblog





長かった・・・。
上下刊のハードカバー本で900ページ近くですから、
読み終わるのに、覚悟はある程度したけれど、
それにしても1カ月近く掛かって、
その間、ついに他の本もつまみ読みをはじめたり、
それよりなにより、時間が全くなくなって、
ベッドで読もうと思っても、
2行か3行で、まったく目が開けていられなくなって・・・。
そういった経過をたどっておりましたが、
なんとか、最後のページまでたどりつき、
本日朝、ようやくこのひとの人生記録と離れることが出来ました(笑)。
たいへん清々しい達成感に満ちております(笑)。

ハッキリ言って、
前巻のほうは、あまりにも個人的な記録部分が多いので
人の名前も覚えるのがたいへんでした。
翻訳も超特急だったはずなので、
やや「???」っていう箇所もなくはないですね。
しかし後巻のほうは、なじみのあるPC関係の名詞が飛び交うようになるので
おおむねスムーズに読み進むことが出来たし、
ビジネスのヒントも盛りだくさんだったと思います。
逆に、こっちの方を前段に持ってきて
展開を考えたほうが良かったかも知れません。
興味を深く持ってから、これはどうして?
っていう感じで、その人格的ルーツを探る、っていうほうが
アプローチとして、わかりやすかったかも知れません。
さて、読後感想文ですが、
ゆっくり考えて、明日のブログに書こうと思います。
<すいません、本日も片付け仕事がいろいろあって・・・>
ということで、またあした。
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北海道の古民家

2011年11月25日 14時45分28秒 | Weblog





北海道でも、開拓から140年以上経って
ようやく古民家というものへの理解と郷愁に似たものが芽生えて来つつある。
Replan誌面でもお馴染みの武部建設さんは、
こうした面で主導的な役割を果たされているが、
その慧眼にはうなずけます。
開拓初期に入植して生活が安定してきた農家は、
与えられた耕地面積も大きく、
また、開拓したての農地は地味も豊かだっただろうから、
大きな農業収入が可能だった。
最初の住宅はそれこそ竪穴と大して変わらない仮小屋だっただろうけれど、
やがて、しっかりとした木造建築を建てたいと館上げはじめる。
そこで、その出身地の建築様式に似せた住宅を建てた。
当然だけれど、建築材料はその開拓地周辺の森から自ら切り出してきた。
そういった建築材料は見事な大径木材であり、
いま古材となって出回って、あらためてその立派さに驚くという。
そういう住宅が、しかし、その価値をわからないまま、
寒いから、古いからと言って簡単に解体している。
まことにもったいない。
また、そういう現実の進行に、この地での生活文化の積層が間に合わず、
購入してその「古び」を愛でようという文化が十分には育っていなかった。

しかし、最近、他の出版社ではあるけれど、
「HO」という首都圏で言えば「東京人」のコンセプトに近い雑誌が
北海道でも出てきて
密かに、静かに若い世代から、古くて寒い家を購入して
手を加えて、その味わいを店舗などのベースにして生かそうという
考え方が出てきている。
そういう店舗に行くのはなかなかに楽しい。
まぁ、やっと出てきてくれたか、というところ。
これからそういう文化が出てくると、
わたしのような化石的生活文化愛好者にも日の目があたるかも?
そんな妄想を、ときどき楽しんでおります。
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東北の住まい再生2 もうすぐ出版

2011年11月24日 16時29分04秒 | Weblog






きょうは、朝起きてからずっと作業し続けていて
ブログを書く時間がありませんでした。
ようやく、すこし一段落なのですが、
朝4時くらいから作業や、なにやかややっているので
アタマの整理がつきません。
まぁ、もともと整理はついていない(笑)。

でもここまで休みなしのブログですので
もったいないので、きょうも若干書きます。
もうすぐ、来週28日には表題のように
「東北の住まい再生2」を発行いたします。
これは、Replan東北を出版している住宅雑誌出版元として
今回の大震災になにかの行動をしたいと考えた活動です。
具体的には、被災した3県と山形県の4県庁から「後援」いただいて
被災して住まいにダメージを負ったみなさん向けに
無料配布の住宅情報誌をお送りしようという企画。
第1号を6月初旬に発行し、好評をいただいたので
ふたたび11月末と言うことで2号を発行する次第です。

配布については、各県の窓口からの配布になりますが、
今回は各県が確保しているコンビニ店頭の「情報配布ラック」に差し込まれる予定。
ぜひ多くのみなさんに見ていただきたいと思います。
特集は、木造での応急仮設住宅の東北全域での動きについて。
多くの仮設住宅が、国の「随意契約」によって
「プレハブ建築協会」傘下の大手住宅企業に独占されてきた流れが、
今回の震災では、地域の工務店が協同して木造での仮設住宅を実現させています。
これは、寒冷地である東北全域での
「鉄骨住宅」の寒さに対して、有効な建築方法であると思います。
鉄骨住宅がほぼ北海道では歴史的に見限られてきた経緯があり、
それが大量に、5万戸以上、仮設とはいえ建てられていることは、
大きな「寒さ」問題を引き起こすと推定されます。
そういった切り口から、今後の復興住宅への住宅のあり方を
考えていく、参考にしていただければと考えています。
ぜひ、ご覧ください。
なお、いろんなところで講演すると、みなさん、「見たい、読みたい」
といわれるので、一般への配布手段も検討中であります。
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日本人のマンガコミュニケーション

2011年11月23日 09時01分32秒 | Weblog





わたしは絵巻物という日本の文化ジャンルが大好きです。
絵師、という職業は、一般的にあったのかどうかと思うのですが、
たぶん、日本人のコミュニケーション活動の中で
書かれた文章は読めない人が多くいた状況のなかで、
ものを伝えていくということについての具体的手段として、
きわめて重要な存在だったのではないかと思えてなりません。
現代で言えば、カメラマンに存在自体は近く、
しかし、職業的鍛錬は絵画の描き方に多くの情熱が注がれたことと想像します。
それは、「どうしたら、わかりやすく描けるか」ということを
突き詰めて研究開発してきた結果だったのではないか。
そういった研鑽の結果、たとえば寺院などの縁起ものの制作というような
大きな、後世に残っていくような仕事のチャンスがあって
そういった仕事でかれらの消息をわれわれは感受することになる。
そういうのが「絵巻物」としてわれわれが見ているものなのですね。

で、現代のマンガに繋がってくるような
コミュニケーションツールとして、日本人には
こういった絵画表現の優れた文化が伝わっていると思うのです。
万言を費やすよりも、瞬時にさまざまなことを伝えきってしまう。
絵師たちの残したそういった痕跡を観賞するのが楽しい。
ただし、こういった絵師たちにはほとんど名前を残したようなひとがいない。
職人の一種として、
名もなく、市井に埋没して、文化の底辺を支えてきた。
まぁ、そういったところも好ましく思える部分ではあるのですが・・・。
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縄文の高床建築

2011年11月22日 07時12分01秒 | Weblog





この夏に見た三内丸山遺跡の写真です。
縄文時代というと、住宅はおおむね竪穴住居という先入観念があったのですが、
最近の発掘で、こういった高床式建物もその存在が確認されてきている。
推定年代は、いまから4500年前。
屋根は切妻。材料は三内らしくクリの木。広さは8.4m×4.2m、高さは6m。
高床式建物というのは、
木と木を組み合わせる接合部の強度を確保するためには
技術的な一定のレベルが必要だと思うし、
接合部をくりぬいたり、組み合わせたりするには施工レベルも必要になってくる。
今の時代のように、「鉄器」がないだろう時代に、
鋭利な石器が想定される道具を使って、まことに見事に作り上げたものだと思う。
そうした技術の高度化は、必要性という「母」が存在して成立したものだろう。
その母性とは何か。

考えられるのは2つ。
ひとつは、食料保存のための「倉庫」が必要不可欠になったこと。
三内丸山は「縄文の都」といわれるほどの都市構造を持っていたので、
そうした社会的な要請として、食料中央保管施設が必要になったという考え方。
そしてもうひとつは、
最近、温暖地の建築研究者から聞かされたのですが、
竪穴住居は冬には、寒さから人を守ってくれるけれど、
夏になれば、湿気が多く、またそのなかで煮炊きをすると耐えられないほどに暑くなった、
というように、夏の気候にはアジャストしていなかったので、
「夏の家」という居住性を求める必要があった、という考え方。
この辺になると、どちらとも
まだ、結論が出ていないようですが、
しかし、高床式の必要性はおおむねこの2点には絞られるでしょう。
その両方の考え方だったのかも知れません。
また、この時期の青森県地域はいまよりも温暖で、
現在の関東地域くらいの気候条件であったといわれています。

しかし、それにしても、
技術的には、その後の日本の歴史に登場する
出雲大社を始祖とするような、大型木造建築のルーツが、
ここではまごうことなく存在していたといえる。
縄文という世界は、まさに豊穣な日本文化のゆりかごを形成していた
そういうように大きな母性を感じる。
これはなんだろうと考えながら、
その醸し出すおおらかな優しさ、たくましさに
深く癒されていく自分自身というものを感じ続けていました。
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ブータンという国

2011年11月21日 07時24分46秒 | Weblog






なんか、日本人とまったく外見が変わらず、
民族衣装も、日本の着物を連想させるいでたちという
たいへん、親近感を抱かせる国から、国王夫妻が来てくれました。
人口が70万人弱と言うから
日本の1県にも満たないような小国家だけれど、
東日本大震災と原発事故に心を痛められていて
福島県相馬市に立ち寄ってくれて、
「必ずここにもう一度帰ってきたい」とまで発言してくれた。
また、こどもたちに講演をしていたなかでの
「みなさんひとりひとりに、人格という龍がついています。それを磨いて
大きく成長させてください」という趣旨の発言が心温まった。
さすが、現代世界で仏教国の国王として生存してきた知恵というか、
そういう言葉に力を感じさせるひとだと思いました。

で、新婚の奥さんとの結婚のエピソードもすばらしい。
まだ7才だった奥さんから10年経ったらお嫁さんにしてくださいといわれて
10年経ってもその気持ちが変わらなかったら、といって、
実際に彼女が17才になったときにプロポーズしたのだという。
その奥さんも京都で和服姿を披露して、
その美貌ですっかりブータンファンを増やすことに成功していた。
わたしもすっかり、このお二人に参ったクチですね。
そんなことで、調べてみたら、なかなか面白い国ですね。

前国王が提唱した国民総生産にかわる国民総幸福量 (GNH) という概念、さまざまな環境政策、伝統文化保持のための国民に対する民族衣装着用の強制などが近年のスローライフなどのキーワードと組み合わされて語られる場合も多い。

っていうようなことなのだそうです。
立憲君主制という、現代世界ではきわめて特殊な政体で、
国王もそういう意味で政治的に訓練されている印象を持ちました。
金融の肥大による現代国家の経済危機を毎日見続けているわれわれからすると、
ちょっとお伽噺のようでもあり、
興味をそそられる部分が多い国。
いま、世界は非常にわかりにくくなっているけれど、
こういった小国家から、学ぶべき点も多いと気付かされました。
将来は、この国で老後を過ごそうかなぁ・・・。
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