性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【家族LINEに教わるポケモンGOのこと】

2016年07月31日 13時44分29秒 | Weblog


どうも食あたりのようで、体調がイマイチ、思考が集中できずであります。
本日は、住宅ネタはお休みします。悪しからず。
こんなときには、家族LINEが気が休まってよろしい。
っていうことで、話題は「ポケモンGO」であります。
余談ですが最近、北海道内民放テレビ局の地元番組を見ていたら、
さかんにこの状況を「ポケモン」ブームと呼称していた。
・・・わたしですら、なんか違うのではと思って見ていましたが、
番組の内容自体は、やっぱり「ポケモンGO」のことのようでした(笑)。
インターネット時代、情報や言語の拡散スピードが速くなっている時代、
地方放送局という存在も、なかなか付いていくのは大変だろうと思いますね。

でもまぁ、「ポケモンGO」は親世代のわたしにはサッパリ内容不明。
「世田谷公園にミニリュウが大量に出るらしくて」
「大の大人が昼間っからごった返してる」
「深夜でこんな感じ(上の写真)だから●おかしい」「きもっ」
っていうような状況だそうであります。
で、なぜか、こんな書き込みが・・・。
「父さんやったら強そう」
「めっちゃ歩くし笑」
「たしかにwww
まえに散歩中にリスみつけてたから
ポケモンもたくさん見つけそうだな( ˙-˙ )」 「そう笑」
わたしとしては、なぜわたしが「強そう」なのか、サッパリ不明。で、
「なんで父が強そうなんだ?」と聞いてみた。
「( ˙-˙ )父よ、ポケモンGOはリアルに歩いた距離でレベルが上がったり、
歩き回ってポケモンを探したりするゲームなのだよ」
「( ˙-˙ )たくさん歩く人が、たくさん強くなれるゲームなの!」
・・・「おお〜〜、理解。わたし父、最強」と腑に落ちた。
まさに老いては子に従えであります(笑)。

で、遅れて参加のカミさんから、
「母はまだポケモンしてる人みてない」というツッコミ。
「会社に居ないし、移動は車だし、
今仕事で十勝走ってるけど牛ばっかりで人歩いてないし」
「( ˙-˙ )なるほど…それは見なそう」
というような書き込みで、ほのぼのとした気分ゲットでした。
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【ZEHは工業製品発想的。注文生産住宅との距離感】

2016年07月30日 09時53分49秒 | Weblog
本日はお馴染みのZEH(ゼロエネハウス)情報であります。
どうもわたしのZEH情報発信は、反ZEHアジテーションだという
声なき声(?)が聞こえてきております。
東大・前真之准教授から、トランプ大統領候補のアジ演説と対比した
「トランプ三木」という、わりとお気に入りネームもいただいた(笑)。
が、感謝こそすれ、筆鋒はいささかも影響を受けません。
一昨日も札幌市内である住宅研究団体の会合があって、
講演者の方から会場全体に対して質問が提起され、
「ZEH、好きですか? きらいですか?」という一問一答。
会場の答は、圧倒的に「大っ嫌い」というものでした(笑)。
で、わたしにその後発言の機会を振られたので、お答えしたのですが、
ZEHに対しての違和感を解読すると、
どうも表題のようなことが、突き当たってくるのです。
多くの住宅生産者は、自身のいろいろなマーケティング努力の結果、
ようやくにして個別のユーザーと住宅計画を共同するようになる。
景気が悪くなれば、建て売りのような販売形式にも手を出すけれど、
基本的には建て主さんの思いを汲んだ「注文住宅」受注を目指している。
建て売りは土地の仕込みやら原価の前倒し発生もあって、
ギャンブル性が高く、経営としては注文住宅がいちばん安全率が高い。
基本的には建て主からの注文を極力反映した注文住宅という
「受注生産製造業」なのだと思います。
そこでは自然素材のすばらしさのような志向性が語られあっている。
その会話プロセスで、住宅生産者がZEHについて語らねばならない。
自分自身が本当にそう思えていることしか、相手を「説得」できないのは自明。
どうもZEHへの違和感はそういった場から沸き起こって来ている。

一方で経産省という国の組織は、
「国策」を業界に「指導する」という思惑を持って住宅業界に関わってくる。
エコカー施策推進というかれらの「成功体験」からすると、
製造業に対しての業界全体の方向付けに自信も持っているのだと思います。
ただし自動車メーカーは基本的に工場ラインでの生産管理に基づく製造業。
そこでの生産商品は、事前に入念なマーケティング調査をするとはいえ、
基本的には工業製品として市場に出荷される。
こういう業界と受注生産製造業とでは自ずと生理的構造に違いがある。
このあたりの相違について、経産省側ではどんな作戦を立てているのか、
いまのところは、どうもエコカーでの体験の後追いというイメージが強く、
大手プレハブメーカー寡占化を通しての市場コントロール指向がみえる。
まずは太陽光発電ありき、という基本的方向性では、
家づくりのポリシーの部分で、あまりにもメカ志向が強すぎて
「自然派」の家づくり志向という多くの住宅生産者の方向に寄り添っていない。

ただ「トランプ三木」とは揶揄されてはいますが、
わたし自身はできれば常識的なクリントン派でありたいと思っている(笑)。
こういった違和感をほぐして、本来のエコロジカルな目的に叶う
ZEH推進の方向性をぜひ共有していきたいものと思っています。
大きな流れの中で、よりよいZEHのかたちを考えていきたいですね。

<きのう発信したブログは1日未満で5000人近い人にリーチ。
エアコンという身近な機器が、高断熱住宅に熱源採用されて、
多くの温暖地のみなさんの興味のきっかけになっている実感を持ちました。>
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【床下暖冷房エアコンの設置位置】

2016年07月29日 06時02分39秒 | Weblog
写真は先日取材してきた函館市内での地元ビルダー・渋谷建設さんの
ZEHモデルハウスの床下エアコンの様子。
エアコンは筐体上部から吸気して、熱交換して筐体下部から
「暖冷気」を送出する仕組みになっているので、
この設置方法では、1階の空気を吸気して、今の時期だと冷気を
床下に対して吐き出していく。
そうやって冷やされた空気が床下に貯えられ、
それが送出風をエンジンにして「換気ガラリ」から上階に対して
「送風」されて居室である1階の気温を降下させていく。
冬場であれば「暖気」は上昇気流となって上階に供給されるけれど、
冷房運転の場合は、あくまでも「送風」によって上階は冷房される。
肝心なのは、エアコン筐体を囲うように床面レベルで「ふた」がしてあること。
こうすることで空気の流れに志向性が明瞭に与えられている。
ただし夏場の冷房としては、この位置の他に階段上部などに
もう1台冷房用のエアコンを設置して冷房を行うということ。
冷房の効率としては、そっちの壁面設置のほうが効率は高い。

この写真とは違って、1階床下空間「ピット」内に
完全に筐体すべてが置かれている場合、
吸気も床下空間のそれを吸い込んで、冷気を送風することになる。
この場合には、やがてショートサーキットを起こす可能性が高い。
冬場の「暖房運転」では、それでも上昇気流効果の方が高いだろうから
十分に運転が機能すると思われるけれど、
冷房運転では、完全な「床下ピット設置」は運転効率は高くない。
こういったメカニズムについて一昨日、仙台で鎌田紀彦先生に
くわしくご教授いただき、ストンとようやく納得できました。
本州地区の新住協のビルダーさんたちは、
こうした「エアコン暖冷房」について、実証研究を繰り返してきている。
いまは、さらに進んでダクト式のエアコンでちょうどいい小型機が出てきていて、
それで熱交換された暖冷気を、1階床下と2階床下・1階天井間のピットに
「送風」して暖冷房した空気を、それぞれガラリから
室内にゆったりと流動充満させる方式に進化してきている。
こうした進化したエアコンの使い方について、温度環境測定を
東大の前研究室の協力を受けて、測定してきているということでした。

最近注目が集まってきているエアコン暖冷房の手法開発、
これについては、北海道だけではなく全国的な知見の蓄積に
大いに学んでいく必要があるのだと実感させられました。
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【隈研吾 「森舞台」登米町伝統芸能伝承館】

2016年07月28日 06時28分02秒 | Weblog


2日間、仙台への出張でした。
やはりわたしには通常業務の他に建築や住宅の鑑賞、取材は必須です。
きのうの午前中に用件をあらかた片付け、以前から見学したかった
宮城県北東部の登米の表題の建築見学へ。
この建物、隈研吾さんの日本建築学会賞受賞建築です。
思った以上に遠くて、仙台市内から片道で70〜80km超。
う〜〜む、隈研吾作品なかなか手強い(笑)。
隈さんの作品は、北海道十勝の大樹町の「メムメドゥス」以来、
あちこちと見学させていただいております。
ことしは国立競技場設計で伊藤豊雄さんを押さえてプランが採用された。
外観についての隈さんの説明を以下抜粋。

〜町のほうから能楽堂を見ると、スギの間伐材を使ったルーバーに。
かすかに向こうが透けて見えるという感じをつくっています。
ルーバーは角度とか光の状態によって、完全に透明になったり、
板状のものに見えたりと、見方によって全然達います。
時間によってまったく変わって見える物質性、要するに
写真では伝えきれない物質性というものがルーバーにはあります。
たいへん魅力的で、このあとルーバーが頻繁に出てきます。〜

っていうことだそうです。
いろいろな隈さんの作品でも特徴的に使われている。
今回の国立競技場には、北海道カラマツが大量に使われるとも聞いた。
設計意図として屋外型の能舞台を作りたかったということで、
周辺の山からの森の気配のなかにぽっかりと能舞台が浮かんでいる。
それを際だたせるのに、ふつうは「白州」という白い砂で仕上げるのに、
ここでは「黒い砂」を使った、ということでしたが、
昨日行ったときには、乾燥して白っぽい砂になっていた(笑)。
平面的には、主要な「見所」という屋内鑑賞室が能舞台と正対している。
その左側に「黒い砂」を敷き込んで段々になっていて、
段の縁をステンレスのフラットバーで押さえてスパっと切り、
ちょうど水面が滝のように流れ落ちているようになっている。
まことに緊張感を感じさせる見せ方であります。
能舞台の屋根仕上げは、東京駅にも使われて話題の地元の玄昌石。




「浮かんでいる」ようにしたかったということで、
普通は「幕板」で覆う舞台の下が開放されている。
能舞台というのは、一個の「楽器」だと言われるのですが、
その所以があきらかになっていて、大変面白かった。
ごらんのように、大きな甕がいろいろな方向に向かって口を開いている。
この上の「舞台」を能の役者さんが「踏み鳴らす」ことで、
いわば太鼓の面のようになって、発生した音響が各方向に伝わっていく。
こういった設計仕様が施されているのですね。
いろいろ面白い発見もあった楽しい建築鑑賞でした。

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【ニッポンの未来、魅力ある戸建住宅とは?】

2016年07月27日 05時57分31秒 | Weblog
図表は年少(14歳まで)、生産可能年齢(15-64歳)、高齢者(65歳以上)の
北海道での各区分別の人口動態の年代推移。
高齢者の人口自体は、2015年の155万人から2035年の165万人と
そう大きな増加はないと予測されている。
大きく減少するのは生産可能年齢で、2015年の324万人から
2035年には、240万人と率にすると26%減少する。

こういった人口減少はいまの政府の努力目標の進展推移にもよるけれど、
確実性の高い未来像として、経営的には予測しておかねばならない。
しかし一方で、AI化の進展や産業ロボットの普及、
さらに限度を区切った労働力移民の導入などで、
日本経済市場・社会の労働力不足は底支えされる可能性も高く、
日本のGDP自体は現状維持+若干の成長という蓋然性は十分にある。
さらに今後の社会では「高齢者」という区分けが、
そのまま「非労働力」とは単純に決められないのではないかと想像される。
健康な高齢者からまだまだ働きたいという希望が湧いてきている。
いずれにせよ、高齢化社会を乗り越えようとする日本人の知恵は
希望的に見ることも大いに可能ではと思われます。
なんといっても、戦争のどん底から奇跡の復興を遂げた社会なので
そうした「復元力」は大いにあり得るだろうと思われます。
住宅の側から、このように描かれ得る未来において、
さて、どのような住宅の形が求められるようになるか、
その想像力を磨いておくことは、大いにやる気を引き出すテーマ。
そうでないとすれば、高齢化という人類が向かっている方向は
ただただ滅亡への道であるという、悲観論をしか生まないと思います。

そういう未来に於いての「魅力に満ちた」住宅のイメージとは、
さてどんな形のモノが想像されていくのでしょうか?
間違いなく家族数は決定的に少なくなっていく。
直感的には、これまでの「伝統的住宅価値感」=子育てのためのイレモノから
より「パーソナルな価値感」に寄り添うような住まいの魅力が
求められるようになるのではないか。
また違う見方では、その「価値感」とは現状求められている価値のなかから、
ある要素がより強調されていくことになるのではないだろうか。
たぶん、すでにそういった未来的価値感の萌芽はユーザー心理の
発露の中に、すでに顕れているものなのだろうと思われます。
きっとその要素に気付くか、気付かないかの違いしかないのでしょう。
日々の取材の中で、そういう未来からの「ささやき」を
丹念に「聞き取って」いきたいと思います。
ただ、それはよりエネルギー縮減型になっていくことだけは間違いがない。
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【高齢化時代、人口と世帯数の落差】

2016年07月26日 05時31分58秒 | Weblog
上の図は、北海道での住宅と高齢化社会の推移を表現したもの。
すでに大きな意味での「縮減」は起きていて、
こういった数字を見てさっそく事業領域の縮減、撤退という考え方もある。
実際にここ10年で北海道では建築事業者が35%減っている
というデータも出ています。
しかし一方で、それに「対応」できているかどうかこそが
一番大切なことであることも明確になって来ている。
繰り返し、こういった予測は出てくるのですが、
時間は徐々に進行していくので、対応の仕方によって
生み出されてくる現実には、大きな違いが出てくる。
やはりこういった数字を見て、
生き延びて行くには、どういう志向性を持って対応すべきを考えるのが
なすべき王道であることは間違いない。

そういった考え方でよく見ると、人口減少スピードと世帯数減少には
かなりの落差があると思えます。
人口は1995年前後が上限値で569万人であるのに、
世帯数はその上限値は2010年前後の237万世帯となっている。
2030年を見てみると、
人口は468万人でピークの1995年から約18%の減少率。
一方、世帯数の方は、211万世帯でピークから11%の減少率。
世帯数の方の縮減率がなだらかに推移すると言うことが見て取れる。

住宅というモノの求められる機能として、
こういった変化がどのように働いていくか、
そういった想像力も大いに働かせる必要があるのではないかと思います。
そういえば、住宅は戦後以来、まずは量的な問題であった。
ハウス55計画などによって「大量生産」型に国の施策自体がシフトしていた。
その趨勢が住宅業界の「構造」をも規定してきたのでしょう。
そういう社会的ニーズについて想像を巡らせてみると、
やはり「質への転換」ということは第1に思い浮かんでくる。
このテーマ、いろいろ面白そうなので、継続とします(笑)。

本日は仙台出張であります。
朝イチ便なので、本日はこれにて失礼。
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【年齢とクルマ運転可能距離の相関関係】

2016年07月25日 06時16分28秒 | Weblog
写真は、洞爺湖の風景です。
ご多分に漏れず、中国語ばかりが聞こえる観光地であります(笑)。
今回は金曜日に札幌を出て函館にクルマで出掛けた次第
途中は住宅見学と意見交換会、その後懇親会で久しぶりに2次会まで。
で、土曜日に函館からの復路も長距離ドライブ。
往復おおむね600kmの行程。
その結果はやはり結構、体力的に疲労が来るようになってきた。
昨日は、けだるくて1日ゴロゴロとしておりましたが、
どうも回復力というのが、落ちてくるモノなのでしょうか。
以前、5〜6年前までは1日600kmくらいは平気だったのですが、
クルマで疲れが出てくる距離が、加齢と共に短距離化してくる。

わたしは、モータリゼーション普及と人生が重なっている年代。
小学生くらいの時に父の始めた食品製造業の配送トラックがわが家に来た。
兄などが運転する助手席で同乗するようになり、
助手席に乗っているだけでも、運転カンは養われていたと思います。
そんな環境でクルマを空気のように身近なものに感じていた。
18歳になって運転免許が取得可能になった途端に免許を取って、
学生時代から運転免許を活かしたバイトもしてきた。
札幌市内の道であれば、タクシードライバーも勤まるくらい土地勘がある。
そんなわたしなのですが、さすがに年齢とともに続かなくなってきた。
長時間、長距離、加齢の条件間の因果関係について
どういった科学的解剖学があるのか知りませんが、
自分自身ではやはり相当の因果関係があるように思われる。
昨年末には家族旅行で神戸〜四国〜広島周辺〜出雲〜兵庫県
っていうような長距離移動をしていましたが、
家族旅行のように楽しい同乗者がいて会話しながらというのと、
ひとりで運転するというのは条件も違いがありそう。

なにせ、丸1日、ものうい思いで過ごさざるを得なくて、
このあたりの因果応報感を体感させられていました。
まぁだんだん、無理は利かなくなってくるということでしょうね。
本日はまだ回復途中に付き、住宅ネタお休みでした。失礼。

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【お昼時、そば屋の庭池にて】

2016年07月24日 07時44分09秒 | Weblog
函館からの帰途、途中の伊達市で札幌から汽車で来たカミさんと合流。
久しぶりに、洞爺湖周辺をドライブして帰って来ました。
で、伊達市での昼食時、立ち寄ったお店で
結構なお庭に面した席に座ることが出来ました。

こういう庭池って、京都などの寺社の庭など鑑賞するのは別として、
自分自身で作りたいみたいな興味はそう強くない方なんですが、
さすがにやや疲れがたまってもいたので、
ながめていると、やすらぎが得られる感じがしてきます。
なんでしょうね、水辺というのは生態系の豊かさを保証するみたいな、
回生感が巡ってくるような印象がある。
そこにいのちが宿りやすいという進化の過程に「経験した」
無意識の生命記憶が働くのでしょうか?
で、たのしく食事したあと、
池の周囲に巡らされた縁に座ってまどろんでみた。
そうしたら・・・




たしかに「いのち」の息づかいが聞こえてきたではありませんか(笑)。
こっちをにらんでいるようなガマガエルの置物。
さらに奥の低灌木の木陰には、なんと二宮金次郎の像まである。
で、目をこらしてみるとほかにも、カエルは青蛙や岩場のカエルと種類豊富。
対岸の池の畔には、茅葺き屋根の民家のような置物もある。
どうやら池のまわりに、石の置物の発する生命感が満艦飾なのです。
しばし、その遊び心いっぱいぶりに「回生」する思い。
お店の庭池なので、わかりやすいテーマ、こどもも楽しめるテーマで
お客さんを楽しませたいという気持ちの表れなんだろうと思われました。
全体としては風情の感じられる佇まいながら、
そのディテールでは、ユーモアたっぷりっていう、
こんな庭池つくりの愉しさに触れると、きっかけとしては
わたしなどにも興味が湧いてくるように思いますね。
まぁこういう置物は、たまに店舗などで見る程度でいいですけど(笑)。
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【ある道の駅そばの残念なカメムシハウス】

2016年07月23日 06時05分00秒 | Weblog
きのうは函館にて、東北フォーラムなどの「合同研修会」。
函館e-ハウジンググループによるZEHモデル住宅見学を中心にした
会合への参加でありました。
で、本日もその流れで、函館に宿泊中です。
ただ、早朝からいろいろ所用が発生して、
なかなか時間がありませんので、本日は手短なブログ更新です。
このZEHモデル住宅見学については、明日以降詳報します。

で、64歳オーバーでの札幌から函館へのクルマ移動。
さすがに途中で2−3度の休憩を入れながらの行脚でありました。
約250kmくらいの移動ですので、しっかり休憩を入れないと、
途中で「立ちくらみ」するような不安を覚えるのです。
上の写真は、途中ニセコを抜けて蘭越から黒松内手前の
ある「道の駅」からの周辺の風景。
疲れを癒して体操などをしていて、面白い風景だなぁと
だんだんと、その不思議さに引き込まれていった(笑)。
なんかおかしい。そう雑草がボウボウに伸び放題で
意図してランドスケープしたとすれば、面白いデザインだなぁと。
その視線の先には、これも「似合っている」ログハウス。
なにやら、スコットランドのリンクスゴルフ場のようでもある。
で、持ち前の野次馬根性、好奇心のままにブラブラ散策。




途中では、こんな雑草伸び放題だけれど、
どうも敷地自体は、あるデザイン意図で造成された風。
で、歩き抜けた先には、ご覧のようなステキなログハウス。
う〜〜む、なんなのこれ、っていうところ。
そういう???感を持っていたら、この建物周辺で
関係者風の方が見つかって、いろいろ疑問を聴いてみた次第。
そのお答えによると、この建物と周辺の造成敷地は
町が開発した「観光用施設」で、ログハウスは集会室、
そして造成地はパークゴルフ場として利用されていたそう。
ところが、このログハウスは、なんと残念なことに
お呼びでない周辺からの大量のカメムシさんの格好の居住施設として
大繁盛してしまったのだと言うこと(笑)。
人間にもいかにも郷愁を誘うデザインではありますが、
カメムシさんにも予期せずこういう色合い、隙間感がたまらない魅力。
ということで、人間の方が追い出されてしまった。
ステキなランドスケープ化したパークゴルフ場は
いまはまったく利用もされなくなった、あとの祭り状況だということ。
まことに残念な美しさをたたえている風景を
クルマ移動の多くのひとに印象的な風景として提供している。
思わず、無言絶句という次第でありました・・・。
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【伊礼智・万人にとって美しいデザイン志向】

2016年07月22日 04時59分07秒 | Weblog


写真は、先日のLIXILさんの札幌での講演会、
建築家・伊礼智さんの講演からのツーショットです。
伊礼さんとは6−7年前に直接事務所に訪問させてもらって以来の
各種接触があったのですが、
講演を聴かせていただくのは、今回が初めてでありました。

建築家という存在は、建築デザインがその中心的役割でしょう。
先日も鎌田紀彦先生にお話を伺いましたが、
そもそも発祥とされるヨーロッパ世界では、
建築とは、いかに美しく作るかということが最重要テーマで
そのために「建築学」というのは、芸術の一分野とされてきた。
近代になって、はじめて「どう作るか」という側面がクローズアップされ、
「工学」的なアプローチというのがスポットを浴びるようになって来た
というように教授されました。
しかし「どう美しくつくるか」ということにも、
その志向性はいくつか考えられるのだと思います。
それは、「世界に一つだけの芸術作品」としての美の探求と
それとは方向性が違う、プロトタイプとしての追求、
いわば「ユニバーサルデザイン」の方向性というもの。
どうもこの「万人にとって美しいと思える」という価値感が、
きわめて常識的で、明瞭な世界だと思えるようになって来ました。
Replan誌面上でも鎌田紀彦先生にあえて「Q1.0住宅デザイン論」を
書いていただいている大きな理由でもあります。
高品質な環境性能を満たしながら、同時にシンプルで美しい
そういった住宅建築が求められていると強く感じる次第。
伊礼智さんの講演を聴いていて、そういった志向性が伝わってくる。
下の写真スライドのような志向性に強く共感を覚える次第です。
まさに「設計を標準化し、繰り返し改善していくことで、
性能と意匠の両立が可能になる」という本質的気付きへの共感。
こういった考え方による「いい家」が増えていくように、
ユーザー側の立場としても、念願している次第です。

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