性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【もっとクッキリ見たい北海道冬の山々】

2017年01月31日 07時17分36秒 | Weblog


さて、きのう白内障手術、もう片方の右目も手術。
いま、不自由な眼帯つきながら、ガーゼがなくなって視界が開けてきた。
あいにく本日はけっこうな降雪状況なので、窓の外はほとんど視界がない。
それでも、徐々に視界の世界が広がっていくのは前向きでうれしい。

写真は、先日13-14日に出張していた函館往復の車外風景。
北海道の冬は、雪が多いけれど、その合間に
遠くまで見晴らせるような瞬間が襲ってきて、
そのときに広がる眺望は、まことに雄大で感動的であります。
その土地に暮らすということは、普段はあまり認識しないけれど、
ふとしたときに自然環境にたっぷりと抱かれるような時間がやってきて
そのときに、いろんなことを再認識させてくれる。
やっぱりその土地の持っているポテンシャルとしての美に、
圧倒的に気付かされるものですね。



写真は上から羊蹄山、駒ヶ岳、そしてすぐ上は
黒松内方向からニセコの山々を見晴るかした光景です。
これら写真は、函館からの帰り道で撮影したものですが、
行きの時にも、大雪が止んだあとの樹氷群が鮮烈な美を運んできた。
そんなことがあったので、羊蹄はどれほどに見えるだろうと
高速を離れて一般道国道5号線に沿って札幌に向かったのです。
ここらへんまでは、たいへん天気もよくて、
すばらしい眺望が楽しめたのですが、行きはよいよい、帰りは、で、
倶知安から赤井川、毛無峠と抜ける道は吹雪に突入して
一寸先も見えないような冬の荒々しさの状況。
なんとか脱出して、小樽・張碓から高速に乗ったころには、
地獄で仏のような心地がしていました(笑)。
美は、厳しさと隣り合わせであって、
そういうことが、この地で暮らすという実質なんだなぁと、
改めて思わされた次第です。
さて、眼帯もこれから外していただいて、退院、
厳しさもありますが、美しいものをたくさん、
よりクッキリと目にしていきたいと思います。
こういうごく単純なことがなによりもうれしくなるものですね。
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【人類の定住 原初の住宅・環境への想像力】

2017年01月30日 06時11分50秒 | Weblog
きのうのブログでは、衣服の初源について
それがおよそ7万年以前の全地球規模での火山噴火によって
引き起こされた「寒冷化」が引き金になったという説を
紹介しましたが、わたしは住宅のことがほぼ生涯の仕事になったので、
では、住宅の初源はなんだろうと考えざるを得ません。
以前も紹介しましたが、筑波大学の西田正規先生の
「人類史のなかの定住革命」をずっと読み続けています。
どうもわたしは、昔から気に入った本は、繰り返し繰り返し何度も、
それこそ味読に近く読み深めるのが好きでして、
この本は電子書籍として購入したこともあって、iPhoneにも入れて
いつでもどこでも、繰り返し、読み進めています。
現生人類は4万年とも5万年ともいわれる進化・歴史を持っているが、
定住という生き方を選択してからは、まだ1万数千年、
世代で言えば、400-500世代くらいしか経っていない、
という先生の指摘は、繰り返し考えさせられる。
人類は定住することで、その環境も大きく変化させていったとされる。
まずは、定住することでエネルギー問題を抱えることになった。
火の使用はもちろん、現生人類だけではなかっただろうけれど、
定住を行った現生人類は、その生活圏内でのバイオマス資源、
薪にする木材の確保が大問題になったはずなのですね。
その人口規模に似合った燃料エネルギーが常時確保されなければ、
そもそも定住は成立し得ない。
その必要資源量と、人口とは当然ながらバランスしていたに違いない。
初期の自然林をそのように伐採したあと、2次林が生成したけれど、
その樹木種はクリなどの食用に適した樹木が選択され、
さらに初期林伐採によって生じた日当たりのいい平面では
徐々に目的的有用植物「栽培」が行われたに違いないとされる。
そういった初源的な人類集落において、住宅はどのように構想され
建築されていったのだろうかと想像力が大いに刺激される。
定住には住宅建築が自ずと随伴したことは間違いない。
で、このプロセスでは世界史的に見てもきわめて独特な
日本列島での「縄文社会」がその大きな舞台として浮かび上がってくる。
縄文が成立した列島社会の人間居住環境は、相当に魅力的だった。
まずは海浜などでの水生動物、魚類の容易で豊富な捕獲と、
ナッツ類を中心にした照葉樹林からの有用植物が食料を提供した。
多雨の気候条件は豊かな照葉樹林帯をもたらし、
再生産性に優れたバイオマス・生存環境を保障したに違いない。
まさに人類的事件である定住と、縄文エコシステムの成立はほぼ同時。
エネルギー問題のなかでも三内丸山のような大集落も成立していた。
人類史が、いきなり日本列島社会史と重複してくる。
やはり竪穴住居は、人類にとって普遍的な住宅のありようだったと。

どうしたらこの初源の住宅・環境のイメージをもっと膨らませられるか。
温故知新、巨視的に未来の住宅を見通すヒントにもなるのではと、
こうした想念が繰り返されてなりません。
本日は先日左側を施術した、白内障の右目側手術。
もっとクリアにいろいろなものごとが見えるようになりたいです(笑)。
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【住宅もまた「進化」のプロセスにある】

2017年01月29日 07時39分13秒 | Weblog
わたしは住宅の雑誌をやっていますが、
基本的には文系の人間であり、建築の素養は仕事を通して得た。
個人としての興味分野としては、歴史の方がより深いものがある。
むしろ、人類史全般の方がよりビッグスパンなので、
巨視的な視点を得るのに適していると思っています。
高断熱高気密住宅について、自分自身なりの見方、考え方を
鮮明に捉える必要に迫られたときに、一番素直に想定できたのは
北海道島の気候風土・人間居住環境について
歴史作家の司馬遼太郎さんが書いた文章群。
氏の「街道を行く」シリーズでの北方圏に関する著述から想像力を巡らせた。
とくに日本史がはじめて本格的に北海道島にめぐり会った
明治期のことについては、そのまま北海道に移住してきた
わが家家系の体験記憶とも重なって、
血肉化している部分があって、そこを原点として捉える感覚が身についた。
北海道における寒冷地住宅の発展は、
明治日本国家がおかれた歴史的要因ともシンボリックに関わっていた。
民族としての日本人がこの未踏の寒冷地で、
いったいどのような室内環境が切実に必要であるかと、
それこそ民族的な住宅開発体験として刻印されてきたものだと思う。

そんなことをベースにしながら、
北海道は日本には学べずに、結局は北欧、北米の住宅技術開発の
豊かな経験知に学ぶことの方が、自然になって行った。
しかし、工法は在来木造構法が日本社会での基本だったので、
その改良・進化が、もっとも主戦場になったのでしょう。
同様にもっと大きな視点として、人類史的な視点というのも
より広範で一般的な視点として持って行くべきだと思い始めています。
現代に至って、知の世界はインターネットなどで大きく拡大して、
より大きな視点というものが比較的に容易に得やすくなっている、
いまは、そういった局面なのではないかと思う次第。
最近は、衣服の起源ということですら、
人間に寄生するシラミのDNA的進化解析を通じて、
およそ7万年前の火山噴火の結果の地球寒冷化が引き金ともいわれる。
以下、Wikipediaより引用。
・・・インドネシア、スマトラ島にあるトバ火山が大噴火を起こして
気候の寒冷化を引き起こし、その後の人類の進化に
大きな影響を与えたトバ・カタストロフ理論に関連づける者もいる。
すなわち、ヒトに寄生するヒトジラミは2つの亜種、すなわち
主に毛髪に寄宿するアタマジラミと、
主に衣服に寄宿するコロモジラミに分けられるが、
近年の遺伝子の研究からこの2亜種が分化したのは
およそ7万年前であることが分かっている。そこでシラミの研究者らは、
トバ火山の噴火とその後の寒冷化した気候を生き抜くために、
ヒトが衣服を着るようになったのではないかと推定している。・・・

こういった巨視的な知の時代、
わたしたちの住宅というものも、より大きな視点で
その「進化」という見方が必要なのではないかと思う次第です。
気候や風土条件の解析が格段に進展し、
また住宅断熱の技術も格段に進歩してきて、
より根源的な人類的住環境進化という視点も必要になってきた。
そんな思いを持ってきています。
<図は東京大学・前真之先生の講演でのもの>
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【キレイに流れない簡素「表現」 西方里見自邸-2 】

2017年01月28日 06時31分13秒 | Weblog
きのう、西方さんの設計手法についてまとめてみた次第ですが、
こういったいわば批評のようなことって、
メディア人としては一種の禁じ手ではあると思っています。
しかし、西方さんとは付き合いも長いし、どんなことを書いても、
人間関係があるからと、フランクに書いてみた次第。
当の西方さんからも否定的反応はなかったので、
ほっとひと安心で、きょうも引き続き自邸のことにふれます。

「西方さんのデザイン」論については、
いろいろなコトバをもらっていて、わたしも考え続けてきて、
今回のいわばピュアな自邸という表現を見ていて、
言ってみれば、基本的な建築の要素に還元して簡素に
シンプルを追い求めている表現というように言えるかと思い至った。
これまで「見えにくかった」熱環境というものを、人間居住性という観点から
根源的に見つめて、その最適解をシンプルに求めることを
一種の建築デザイン、表現の方法論にしたいと考えたのではないか。
「なるべく簡素にしたい」というコトバは、
原理に対してシンプルである「かたち」を作る決意のように聞こえた。
きょうは、自邸でのPV一体型の屋根や、土間エアコンのために
開発した基礎のことを図表表現としてまとめてみました。



こういったものづくりの志向性は、
よくあるような厭世的で禁欲的な原理主義ミニマリズムではなく、
むしろ、人間へのやわらかさに満ちたシンプル主義のように感じる。
このような人間環境デザインの発意には、そういう部分がある。
たっぷりの陽光を得たい、寒さからひとを解放したいという簡素な志向。
一方で、東京発のなんでも極限化する原理主義のようなものについて、
西方さんとは否定的意見をともにすることが多い。
「極限化することで利益を得る不純さのあらわれ」じゃないかみたいな。
今回の再会では、室蘭での学友であった山之内裕一さんも交えて
会話が弾んでいたけれど、聞いたら、
山之内さんと西方さんは、室蘭工業大学で「美術部」だったのだという。
西方さんは青年期に美術に惹かれていたということに
なんともいえない人間的面白みを感じさせられた。
そういえば、岡本太郎・棟方志功的な根源探求的なものが、
この自邸づくりにはたっぷりとうかがえるモノがある。
デザインと言うより、空間をキャンバスにした根源表現という志向に近いかも。
氏の「キレイキレイへの反感」姿勢にはそういうことも感じられる。
そんな新たな発見もあった次第。
ものづくりに限らず、真善美というものは、人間の本然でしょうね。
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【武骨・簡素なパッシブ 西方里見自邸 1】

2017年01月27日 06時14分02秒 | Weblog
一昨日は新住協の札幌例会で秋田の西方設計・西方里見さんの講演。
取り急ぎ、その様子をお伝えしましたが、
その講演pptが資料配付されていて、明瞭にまとめられていたので、
スキャンして、その骨格を見ておりました。
住宅設計での基本的なスタンスで共感できる部分が多かったので、
いくつかのポイントを、ご紹介します。
まずは、窓の考え方が一番最初に出てきていました。
窓というのは、環境との応答という意味ではもっとも基本的な部分。
それこそ環境を考えて家を作るというときに、
その敷地条件を勘案して最適な方向に対して、最適な開口を取る、
もっとも始原的な「考えるべき」ポイントでしょう。
パッシブという自然の法則にもっとも自然に応答する考え方は
すべての源である太陽光に対して、率直であること。
難波和彦さんの「箱の家」シリーズもしかりだと思いますが、
西方さんの流儀には、高断熱高気密の考え方が貫徹されていて、
まことに率直な作られようになっている。
こういったいわば明瞭な北方型パッシブというようなタイプの設計は
北海道の山本亜耕さんなどにも共通する考え方だと思います。
この窓の性能を考えるについて、その熱損失と日射取得のバランスを
その選択ポイントとして最大に考えられていた。
太陽の日射は、その住宅の建てられる土地、敷地によって、
考えるポイントが微妙に変化していく。
まずは外気温条件がどうであるか、太陽光角度などの条件は
それによって大きく変化していく部分でしょう。
さらに季節変化に応じて、日射量を制御する必要性もある。
この自邸では、ドイツ製の外部ブラインドが利用されていた。
比較的に軒の出は少ないけれど、この外部ブラインドで制御すると。
このブラインドはおおむね100万円。
角度調整は、自邸なので毎日の気象条件変化に即して
自分でコントロールするということだそうです。
たしかにそういう自然との基本的な応答関係を想像すると、
それこそパッシブな暮らし方が息づいてくる気がします。



そして既存の流通サッシでは間尺にあわないと判断すると、
ガラスを直輸入し、枠については町場のサッシ屋さんに加工を依頼して
いわばOEM的に「作る」ということにも挑戦している。
アルミ枠をも輸入して、その内部に断熱材も封入させて、
オリジナルの窓も造作しているのだということ。
その建てられる敷地の設計与条件と応答していくのに
その最適解を抽出して、そのために必要な性能値を目指しての
こういった設計プロセス。
不可視だけれども、現実に存在する気象や熱環境に応答した設計作業。
武骨・簡素なパッシブというようにも思わされた次第です。
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【温泉好きが宿泊して入浴をガマンする(泣)】

2017年01月26日 11時32分58秒 | Weblog
きのうは兄弟親戚たちとの札幌近郊での温泉会合。
だいたい、リタイヤしている人間ばかりなので、
ウィークデイでの温泉会合という次第でした。
高齢化が進行していて、話題は病気自慢大会であります。
わたしはいちばん若いので、それこそ聞き耳を立てて、
「そうなんですか」と相づちを打ちながら、健康維持情報を摂取していました。
なんですが、先日の「白内障手術」での医師からの注意で、
1ヶ月間は温泉入浴禁止というお達し。
お酒も入って談論風発の模様でしたが、
なんとか、朝まで入浴をガマンしきった(泣)。

術後1週間で、入浴はOKになったのですが、
温泉にはいろいろな雑菌などがあって、
それが目に入ると、まだ抵抗力が弱い状態なので
最悪の場合、視力がその後、落ちたりするのだそうです。
しかしまぁネコに鰹節なのに、それを忍耐するという
なんともいえない艱難辛苦、苦行の1日でした。
やむなく、お酒を飲みまくって忘れるようにしていましたが、
温泉に行って、ここまでストレスが溜まるというのも
得がたい経験であります、

今週末にはふたたび今度は右側の目の手術。
せっかくの艱難辛苦忍耐体験でしたので、
医師の禁忌をしっかりと守り切って、目のリハビリを完結させたいと
キッパリとした気分を高めております。
本日はそういうことで、ストレスから十分な情報提供が出来ません。
どうも申し訳ありません。明日以降、準備を整えて
書き続けますので、お見捨てなく、よろしく。
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【断熱・お茶の水博士 西方里見氏札幌襲来】

2017年01月25日 06時57分50秒 | Weblog


秋田で生まれて北海道・室蘭工大で建築を学んだ西方里見さん、
高断熱高気密住宅の伝道師然とした「お茶の水博士」として全国で活躍中。
きのうは新住協札幌支部の新年最初の勉強会に
最新作の秋田・能代での自邸の解説講演、
さらに氏の設計になる(株)棟晶さんのモデル住宅の解説のために来札。
氏は東北の新住協の中心的なメンバーであり、
同団体の設計事務所会員がまったくと言っていいほどいない北海道とは違って
本州以南地区での家づくりシーンで、独自の個性を全開させています。
どうして北海道には新住協の設計事務所会員がいないのか、
いつも思うのですが、その双方と深く関係してきた地域住宅メディアとしては、
やや解せない、不思議な風景と感じています。
北海道の設計事務所、建築家が高断熱高気密にそっぽを向いているのではなく、
問題意識は共有し、いろいろに協働はしながらも、
それぞれのスタンスを維持してきたということなのでしょうか。
新住協の技術開発についてはいち早く地域で共有される関係はしっかりあるし
オープンな工法開発団体として北海道の建築家もリスペクトは大きく持っている。
おたがいにあるリスペクトは持ちながらも、独自性を保ってきた、
っていうようなことなのかなと、勝手に思っている次第。
一方、本州地域になると西方さんをはじめ、
設計事務所のみなさんが積極的に新住協会員になっています。

きのうは、氏の自邸のポイントに沿って
氏らしい実証的な姿勢全開で、住宅の設計プロセスに即しての解題。
基礎から屋根、窓、部材選択の基準に至るまで、ていねいに解説いただきました。
そのディテールの選択基準などは、北海道と距離感はない。
しかし部材の既成流通品がなければ自分で作るという姿勢は
設計事務所らしさが表れているなと感じていました。
この住宅のディテールについては、明日以降、触れてみたいと思いますが、
終了後の懇親会では、氏と大学同期の建築家・山之内裕一さんも囲んで
まさに談論風発のたのしい一時を過ごさせていただいていました。
やはり秋田は本州と言うよりも、北海道の飛び地的な感覚があって、
言ってみると北海道のちょっと離れた一地域というような感覚になる。
そこでの工法の取捨選択基準はほぼ同じものになっていく。
また、本州というか「東京的なるもの」との間での家づくりにおける
北海道的なるもの総体が抱えざるをえない「対立的構図」については、
戦略的にそういったものを利用・活用していくという了解で盛り上がった(笑)。
しかし、講演中では写真表現を中心とするわたしども住宅メディアへの
チクリとする部分も語られていて、思わずニヤリとさせられてもいました。
で、氏の設計監修された(株)棟晶さんのモデルハウスは
実は工事が大幅に遅れていて、まだ構造造作の段階で断熱工事もまだこれから。
こちらの方も、地元なのでときどき進行にあわせて
全国のみなさんにその様子をお知らせしていきたいと考えています。
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【くわいを食べる 北の移民DNA的食記憶】

2017年01月24日 07時07分05秒 | Weblog
わたしは広島県から北海道に100年ほど前に渡ってきた移民3代目。
父親は広島県で出生し墓をどうするか悩んだ末、結局北海道に「骨を埋めた」。
そのときに祖父の遺骨の一部を分骨して、いっしょに墓に入った。
なんですが、わたしはなんの迷いもなく、ネイティブ北海道人。
そういった出自の経緯に関するこだわり、残滓はあまりない。
しかし、やはり自分のDNAに対しての「体験記憶」には興味を持つ。
北で生まれた移民の末裔たちは、こんなことに引きずられる。

年末、京都の料理屋さんで食べた「くわい」。
その素朴でほっこりとした食体験を通して、
広島県が主要産地であるというこの食べ物に興味を抱いた。
食べたら、なにか懐かしさの感情が湧いてくる感じがしたのですね。
自分は食べたことははじめてだけれど、
ミッシングリンクを感じたとでも言えるでしょうか。
まぁ自分の趣味・興味もあるので、自然とも言い切れない感覚かなぁ。
でもそんな一種の民族ルーツ的ソウルフード感覚を持った。
その後、京都の錦小路商店街で売られていたのを見たし、
先日北海道長沼の道の駅内の青物店でも遭遇したのです。
芋の一種ではあるのでしょうが、まず北海道では食習慣にはない食べ物。
そういうものがごく当たり前に「おばんさい」として京都では食されている。
そのあたりのタイムスリップ感が面白かったのです。
以下、Wikipediaの項目「クワイ」から抜粋。
アジアをはじめ、ヨーロッパ、アメリカの温帯から熱帯に広く分布する。
野生種は東南アジア原産とされているが、栽培品種は中国で作られた。
日本へは平安初期に中国から伝来したという説、
16世紀に朝鮮半島より伝わったという説がある。
クワイの栽培品種は青藍色の青クワイ、淡青色の白クワイ、
小粒の吹田クワイの3種類があり、いずれも水田で栽培される。
葉は矢尻形をしており原種のオモダカに比べ、塊茎の大きさが大きくなる。
3種類の中では吹田クワイが最も野生種に近い。
日本での主流は青クワイで、ほくほくとした食感が特徴である。
白クワイは中国での主流であり、シャリシャリとした食感が特徴。
クワイはデンプン質が豊富で栄養価が高く、100グラムあたりのカロリーは
126キロカロリーとサツマイモに近い。
日本と中国では塊茎を食用とし日本では「芽が出る」縁起の良い食物とされ、
煮物にしておせち料理で食べられる習慣があるため、
世界でも日本でもっとも普及している。塊茎は皮をむいて水にさらし、
アクを抜いてから調理する。シュウ酸を含むので茹でこぼすのがよい。
ユリ根に似たほろ苦さがあり、煮物ではほっくりとした食感が楽しめる。
広島県福山市が日本の生産量の8割を生産。

っていうことで、最後のあたりの記述で
家系の出自に近い地域が出てきて、さらに父親が農家だったとき、
北海道で「ユリ根」の栽培に取り組んで、大阪の市場に出荷していた
という、わたしにとってはすでに「故事」を思い出した。
食物が想起させてくれる妄想の世界、いっとき浸っておりました。
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【北の雪原 霧氷がつくる冬の花】

2017年01月23日 06時16分06秒 | Weblog


きのうから本格的にまた雪が降り始めて、
千歳空港では150本以上の飛行機がキャンセルされたとか。
この時期、住宅関係では北海道の冬の住宅見学に
本州各地からいろいろな視察などの往来がありますが、
一度は、完全にキャンセルせざるを得ない状況も経験しました。
とくに北海道だけではなく、東北をはじめ本州地区との交流の
つなぎ役を仰せつかることが多いので、
そのたびにハラハラさせられることが続きます。

そういう困った冬の寒さ、厳しさではありますが、
ふと目をやると、写真のような光景も見せてくれる。
この時期、郊外の雪原と化した田園地帯では、
地域を区切る木立のなかに、霧氷が張り付いて、
一見すると白い花が咲いたような状態になっている。
霧氷(むひょう)は着氷現象の一種で、氷点下の環境で樹木に付着して発達する、
白色や半透明で結晶構造が顕著な氷層の総称。
そういうなかでも、このような現象は
樹霜(じゅそう)と呼ばれるようです。
空気中の水蒸気が昇華して樹枝などの地物に付着した樹枝状
ないし針状の結晶。霜と同じ原理だけれど、層状に発達し、
特に樹木などに付着したものをこう呼ぶとされます。
きのう、沖縄からは冬の果実、タンカンをいただいたのですが、
北海道からの返礼としての「冬の花」は、こんなのではどうでしょうか?



本日はわたし、健康診断の予定ですが、
早朝、たっぷりと2時間、家と事務所駐車場の除雪作業(泣)。
家の方はまぁなんとか、し終えましたが、
事務所の方は、そこそこ粗ごなしの雪かき作業で終了。
年明け以降、あんまりドカ雪はなかった札幌地方ですが、
どうも今回の雪は札幌直撃型の石狩湾低気圧滞留によるもの。
まだまだ、延々と除雪作業に追われるのではないかと、
恐れおののいております。う〜〜む。
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【タンカンもらった、うれしい】

2017年01月22日 07時47分43秒 | Weblog


わが家はいま、カミさんが友人たちと沖縄旅行中。
で、わたしひとりでわが家を守っていて、きのうは週に一度の買い物へ。
しかしこの時期、なかなかいい果物がなく、
しかたなくリンゴ数個と、バナナを購入してきた。
この時期は温州ミカンが売り出されているけれど、
ハコで買うと、どうしても余ってしまって腐らせたりする。
なので、ごく控えめに買って来たのですが、
帰ってきたら、宅配便が届いてきて、
沖縄の知人からなんと、タンカンを送っていただいた。
なんと豪勢に段ボール1箱を送っていただいた次第。
ちょうど果物の端境期に当たっているので、たいへんうれしかった。
タンカンは、ミカン科の常緑樹。ポンカンとネーブルオレンジの
自然交配種のタンゴール の一種。
高温を好む亜熱帯性柑橘類で、夏期多湿で年平均気温が
19-22度が良いとされる。花期は4月頃、収穫時期は1月で冬の果物。
果皮の厚さは3〜4ミリ。皮と果肉が離れにくいことが欠点だけれど、
膜が柔らかく、難なく食べることができる。果肉はオレンジ色で
柔らかく多汁、酸味は少なく甘味に富み風味が良い。
2010年の収穫量は5,222トン、内訳は鹿児島県80%、沖縄県18%。

その報告を家族LINEで知らせたら、
カミさんから、沖縄でのサクラ開花の知らせ。
たしか今帰仁では沖縄の地元のサクラが、この時期開花する。
寒緋桜なので、ソメイヨシノや北海道のヤマザクラと比べて
色合いが濃いサクラなんだそうです。
わが家、北海道ではいまは雪の室に全域が閉じ込められたような状態ですが
たいへんうれしい暖かさの便り。
なんですが、さてお返しにはなにをと、ふと悩んでおります(笑)。
北と南、季節感に違いがありすぎて、
とくに冬の間は、こっちは悩ましい(笑)。まさか雪を送られるものでもなし。
甘い食感を楽しみながら、じっくり考えたいところですね。
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