三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

高齢者夜間ドライブのストレス

2015年09月15日 06時17分29秒 | こちら発行人です
きのうは青森に出張でした。
月曜日のアポなので、ゆったりと日曜日にクルマで函館まで行って
若干周遊・宿泊してから、きのう月曜日に汽車で青森まで往復し、
要件を片付けてから、ふたたびクルマで札幌まで、という行程を組みました。
やはり移動コストと時間のバランスが、なかなか難しい。
地方間の移動では飛行機は割高になるので、最初にパス。
そうなると、JR利用か、クルマをからめてのものとするかの選択になる。
函館は大好きなので、あちこち移動して楽しめるクルマで行きたくなる。
日曜日が絡んでの日程としては、それはそれで良かったのですが、
帰りの札幌までの帰還が、夜に差し掛かってしまい、
約320kmのドライブは、やや堪え気味でありました。

わたしはクルマの運転は大好きで、
だから、東北での仕事の開拓期には、盛んに長距離移動を
こなしていたのですが、どうも最近は疲労感が出てきた。
どうも端的にカラダの右側、右腰と背中の右側に疲労感が集中する。
わたしの場合には、どうもエコノミー症候群的に症状が出る。
きのうは函館を出発できたのが、午後5時半過ぎ。
なので一般道走行ではなく全線高速を利用しました。
で、函館市内を抜けて、都市高速に乗って峠下~大沼から高速。
八雲あたりで日が完全に落ちて、
そこからは夜間ドライブであります。
どうもこの夜間の走行というのが、非常に疲れを呼ぶようですね。
徐々に肩から背中にかけてコリが集中して出てくる。
八雲から室蘭までの間というのが、
1車線道路で、どうしても緊張するというのも関係する。
あんまりゆっくり走らせてくれないのですね、後続車への遠慮で。
休憩は、何回か取っていたのですが、短時間では疲れは取れにくい。
室蘭を抜けてからは2車線になるので、
気分的にはずいぶんラクになるのですが、
今度は「蓄積疲労感」が襲ってくる。
なんとかだましだまし運転して、最終休憩を苫小牧西の手前の
樽前山パーキングで取った後は、
ふだんから千歳空港までで、よく利用している区間になる。
そうすると不思議に心理的に回復してきて、
苫小牧東からは、まったく順調に走行しておりました。
やはり年齢的なこともあって、注意力への疲労集積が目立つようです。
確かに肉体的な疲労蓄積も半分はあると思うのですが、
それ以上に、精神的な緊張感が大きいようです。

これからは、日程をよく考えて長距離走行は
明るいウチにとしたいと思いました。
ふ~~やれやれであります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨、ときどきヘンな景色

2015年09月08日 05時12分45秒 | こちら発行人です


どうやら今年の夏は、そろそろ手じまいの感じですね。
北海道にしてみたら、まぁこんなものだろう、という夏でしたが、
本州地区では、ちょっと短い夏だったかも知れませんね。
わたしは、本日から新住協の全国総会が明日から行われる名古屋へ
出張移動するのですが、
あちらは、今日からの3日間とも雨模様という予報。
日程が決まった当初は、あのクソ暑い名古屋の残暑を覚悟していましたが、
どうやら、雨と言うことで、暑さも一服感が強そうであります。
怖いもの見たさが、なんだ、そうでもないな、みたいな
こころなしか、残念感も持っての移動になりそうであります。

雨と言うことでは、北海道も今夏はけっこうな降りようでした。
写真は、わが家が北面して立地している中学校のグラウンドの様子。
ある雨上がりの朝に、ブラインドを開けたら、なにやら、
熱帯の島のマングローブ林のような見慣れない景色が目に飛び込んできた。
いや、金閣のようなきれいな水面からの反射で
緑が2倍になって目に飛び込んできたワケなのです。
なにやら、目の保養をさせてもらっているような、儲けた気分(笑)。
やがて、この光景は、中学校のグランドの「地中排水管」の
許容排水量を超えた「集中的豪雨」で、ため池ができていると
アタマのなかで、了解事項が成立してくる。
数日前の朝のことで、前日は確かに大変な豪雨で、
わが家の排水ドレンパイプも屋上で泥などが詰まっていたので、
屋上がプール状態になっていて、
あわてて夜中にパイプの入り口付近を掃除して排水したりしていた。
どうも最近は天候がゲリラ化しているようですね。

まぁそういう日常の中の非日常が、
こんなみかけないような景色を垣間見せてくる。
水盤という景観装置って、日本人には水田耕作開始以来、
約2000年以上の長きにわたって感受性にきわめて馴染んでいる景色。
きっと、はるかなノスタルジーがこういう景色を見たときに
とっさに、なにかの情念のようなものを沸き立たせるのではないか、
そんな楽しい妄想を、ムクムクとかき立てられておりました。
ということで、本日はごく日常的なブログでした。
さて、それでは、本日から名古屋に向かいたいと思います。
全国の新住協会員のみなさんに、お会いできることを楽しみにしております。
たぶん、明後日以降のブログでご報告致します。
ではでは。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HONDAリコール発表と企業・国家の安全保障

2015年09月07日 06時40分59秒 | こちら発行人です


さて、きのうは2日目の講演でしたが、
一昨日の講演とは打って変わって、無事にプレゼンのデータを
全部、お話しすることができました。
120枚以上のパワーポイント画像を、88枚まで絞り込んで
MCさんとの掛け合いも、人が代わっていたのですが、
経験も生きて、ポイントのところで活発に掛け合いもできました。
なによりお客様の反応がすばらしく、進行に合わせて、
さまざまに喜怒哀楽感を受け止めていただけて、
その表情が、徐々に打ち解けて納得感も持っていただけたようで、
時間がない中でしたが、会場からの質問もいただきました。
無事にミッション完了であります。
多くのブログ読者のみなさんから、励ましの声も聞かせていただき、
たいへん心強く感じさせていただきました。
本当にありがたいことだと、内心で手を合わせておりました。

で、帰って来たら、
今度は写真のようなアナウンスがHONDAから来ておりました。
わたしのクルマが、先般陥った事態については
このブログでお知らせしていましたが、
メーカーの方で、わたしの遭遇した「エンジン停止事故」なども
しっかりと受け止めてくれたようだと、
やや安心にも似た気持ちを持ちました。
先週、事前に営業の担当者の方からも電話連絡が入っていましたが、
再度、完全な形でリコールしたい旨の通知であります。
どんな大メーカーでも、完璧な商品というのはなかなか難しい。
むしろ、問題が発生したときの対応こそが
生存戦略から考えても、そのメーカーの最重要なことだと思います。
また、国レベルで考えても、天津やうち続いた各地での大爆発事故に、
情報を統制し、まるで戒厳令対応を見せている中国の事例を見るに付け、
どうも危機は徐々に進行しつつある、と思わざるを得ません。
発表されている事態推移と、真実の間には大きな乖離がありそうです。
上海の株式市場への対応とも合わせて
もっと大きな危機が、大きく歯車を回しはじめているのではないかと、
胸騒ぎする部分があります。世界の株価はそれを暗示しているのでは・・・。
第2次世界大戦は、ニューヨークの株価大暴落から始まった事実。
場合によっては、周辺国が巻き込まれていく事態に発展しはしないか、
共産党1党支配体制の13億の国家で、どんどん加速する矛盾・危機。
折しもEUでは、富める国ドイツへの難民認定希望が殺到している。
EUという壮大な実験が、ドイツの経済的ひとり勝ちという事態に
結果しつつあり、そのことが危機を生み出しつつあると思います。
結局ユーロは、ドイツの輸出競争力と経済的成功だけに働いている、
域内各国の今回の事態への対応を見ていると、
危機の根は相当に深いと思わざるを得ないと直感します。

本当の危機を発生させないためには、知性的な対応が不可欠。
いま、そういう知恵のある対応が、企業でも国家でも安全保障に於いて
本当に不可欠になって来ていると思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人口減少社会

2008年06月09日 06時17分32秒 | こちら発行人です

歴史人口学という領域の本を読んでおりました。
鬼頭宏さんという方の書いた本で、上智大学経済学部教授ということです。
最近の少子高齢化社会を考える意味で、
歴史的に人口問題を考察する、というスタンスが着目されてきているわけですね。
歴史はいろいろなアプローチで研究が進んでいて
これまで資料が残っていない、という壁を克服するような
研究成果が上がってきています。
たぶん、この先生の研究領域のようなものが、
日本の未来研究・予測に多いに活用されて、
政策的にも、参考にされているのだろうなぁ、と推察されます。

4つの文明システムを経過してきて現代がある、とされます。
1 縄文システムから始まって
2 水稲農業化システム
3 経済社会化システム
4 工業化システム、というふうに進歩してきた。
その各段階の節目で大きな人口増があり、
またその末期に、人口停滞が発生してきた、ということ。
で、家族という概念も変化してきた。
現代の血縁直系家族による家族概念というものも、
3の段階での生産性向上の必然的結果として確立したそうです。
意識として、こうした家族概念は大きく人間の発想を規定しますが、
歴史的には相対的なものであるという考えなんですね。
貨幣経済が農業生産プロセスに変化を及ぼして
生産力の向上を志向させ、その結果、骨身を惜しまず労働する基本単位として
「直系家族」の結びつきの強さが、「自立的小作農」に至ったという。

現代は、そうした家族観が人間の主体的想念に残像として残り続け、
多くのひとが、そうした家族関係実現を、
都市のなかで「家を持つ」というかたちで「夢」見た。
逆に言えば、多くの農家の次男・三男層に都市に住む「工業勤労労働者」の道を目指させてきた。
そのために動員されたのが、持ち家住宅政策だった。
日本では驚異的な「新設住宅着工数」が長年、継続されてきた。
住宅金融公庫システムで、多くの一般国民が家を持つことが可能になった。
それを突き動かしてきたのは、「家を持ちたい、家族を持ちたい」という
前時代から続いてきた「歴史的」人間欲求だった・・・。
というように理解することができると思います。
まぁ、住宅に関係してわたしが解釈したと言うことで、
先生の書かれた内容はもっと幅広いものなのですが。

さて趨勢としては、人口減少は大きな流れではあるのですが、
2100年段階で、日本人口6700万人という将来予測通りになるとすると、
人類史上の大変化ということになります。
本当にそのようになるものかどうか、
みなさん、どうお考えでしょうか?

写真は鳥海山。人口予測グラフに似ていたもので(笑)・・・。

北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中学生は忙しい

2008年06月07日 06時21分03秒 | こちら発行人です

あこがれの(?)目の前の中学校生活が始まったわが息子。
校門まで歩いて1分という環境で、
毎日、元気に通っております。
中学校に入って、いちばん変わってきたのは、やはり「忙しい」こと。
小学校時代は特段、体育系のことはしていなかったし、
習い事のたぐい、塾などにも興味を示していなかったのです。
それが、中学校に行ってからは、自分から塾を希望し、
体育系クラブも活動しはじめています。
体育系は、ほんとうはマンガの影響でアメリカンフットボールをやりたい、
という無謀な希望を持って、同級生たちとひそかに
語らっていたようなのですが(笑)、
さすがに中学校の現実はきびしく、やむなくほかのクラブを選択しています。
っていうか、中学校の運動クラブですから、
「指導する」先生がいないとクラブは認められない。
なので、アメフトはちょっと無理でしょうね。
そういう事情があるものだから、第2志望のバスケットボールも
指導する先生がいなくなって、今年度の新入生募集はナシ。
っていうことで、第3志望にまで落として現在はテニスをやっております。
そうした流れだったので、あんまり身を入れずにやっているのかなと思ったら、
それはそれで、まぁ、がんばっているようです。
早朝からの「朝練」もあるし、夕方遅くまでの練習もある。
親にしてみると、その競技の腕前どうこうよりも、
その基礎体力養成のための基礎的な体力向上運動が喜ばしい。
一生懸命走ったりして、ヘトヘトになるまで体を鍛えている様がうれしいもの。
競技種目なんて、別になんでもいいんですよね。
要は、すこしは興味が持てて、続けられることが一番大切。
まだ、3ヶ月目ですが、見る見るからだががっしりしてきているのを感じます。
本人はどう思っているのか、
姉にバスケットの先生役ボランティア捜しを手伝ってもらったり、
運動系クラブにけっこうハマって、いろいろ考えてもいるようです。

で、そのほかに塾とかも複数行っている。
なので、まぁ、ごらんのような疲労ぶりの毎日です(笑)。
昨晩、ソファにいたら坊主が膝の上にのっかてきて、じゃれていたのですが、
いやはや、「ちょっと重いんだけど(汗)・・・」っていう次第。
骨格もがっしり、みっちり感がたっぷりで、
これは早晩、わたしを追い越すくらいに体格しっかりしてきそうです。
先日はわたしの高校生時代の写真をたまたま発見しまして
親子で「そっくりだなぁ(笑)・・・」と感嘆しておりましたが、
いかにも青春真っ盛りに突入する時期になってきて、
毎日、ハラハラドキドキ、波瀾万丈ストーリーですね。
さてさて、親の心臓は耐えきれるか(笑)、
いよいよ、耐久レース、こっちも始まりそうです。がんばらねば。

北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国と日本

2008年05月28日 06時44分45秒 | こちら発行人です

札幌に22年間在住されている、札幌大学・張偉雄先生のお話を聞いてきました。
中小企業家同友会の「中国ビジネス研究会」の会合です。
わたしはこれまですれ違いが多くて、中国関係のお付き合いがなかったのですが、
今回はじめて参加させてもらった次第です。

「比較文化論」的な立場から、両国の文化の違いを教えていただきました。
ひとつ印象に残ったのが、
「日本では、無防備にすべてさらけ出すのがウケるけれど、
中国では、あくまで論理的に説明しなければ、無責任と取られる」という部分でしょうか。
無防備にさらけ出す、というのがどういう具体的なことを指すのか、
言及はなかったのですが、
まぁ、何となく理解できました。
(こういうあいまいな理解が、日本人的ということでしたけれど(笑)・・・)
また、ちょっと気付きにくいポイントでしたが、
老人問題のことで、
日本ではすぐに福祉政策のことになっていくけれど、
中国では、「公園の整備」というアプローチが現実的に機能している、という部分。
張さんのおかあさんは広東でひとりで暮らされているそうですが、
心配して電話したら、
「なんも、公園に行けばいろいろなひととお話しもできるし、
生きていくのに役立つ具体的な情報も得られるから、不自由もしないよ(笑)」
ということなんだとか。
おや、というような発見でした。
確かに、老人問題には色々な側面があり
健康や医療の問題、その費用というような部分にばかり目が行きますが、
ひとつの解決手法として、
豊かな老人間のコミュニケーション社会を形成する、というアプローチ。
自助的に、お互いに情報交換することで、解決していこうというのですね。
そのために公共的空間、公園を活用させようという考え。
たとえば老人の、体調が悪いというテーマに対しても、
「それなら、こういう体操がいい」とか毎朝の太極拳や気功で解決する
というようなアプローチが、自然的に行われていると言うこと。
まぁ、気持ちよく過ごせる公園という社会的なコミュニケーションの場を整備して
そういう社会資産を上手に使うという考えだと思うのです。
確かにそのように言われると、日本では公園について、
そのような積極的な役割について論議されることは少ないし、
ひたすら、公共的な手助けが必要だ、
介護保険制度が必要だ、というようなアプローチばかりになってしまう。
このあたり非常に示唆的なお話しだったと思います。

オフ会では、中国から来られて開業しているという
中国料理店でたいへんごちそうになってしまいました。
って、まぁ、会費制なのですが、
紹興酒は飲み放題だし、食べ物は次々と出てきて、
とても会費の枠を超えていることは明白。
お腹いっぱいになりまして、帰りは転げるように帰った次第。
ごちそうさまでした。お礼に、今度また行きます(笑)。

<写真、ケータイだったのでピンぼけでした・・・>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙台遊歩道デザイン

2008年05月18日 07時29分08秒 | こちら発行人です

仙台の街って、歴史的な景観というものが
米軍による爆撃で焼失しきったことで、あまり残っていない街。
旧日本軍の構想では、東京が占領された場合、
仙台を防御ライン中心地と考えていたそうです。
なので、逆に言えば米軍の爆撃目標として大きなターゲットになったのでしょう。
そういう経緯が、戦後の街づくりでは逆手に取られて
大きな街路が東西方向に3本、広瀬通・青葉通・定禅寺通りなど
作られることにつながったということ。
いろいろな歴史がそこに投影されているということが出来ますね。

で、いま現在の仙台を全国にメッセージするのに
こういった通りがたいへん重要なファクターになっているのはご存知の通り。
仙台の通称に「杜の都」というのがありますが、
あれは定禅寺通りの景観を抜きにしては考えられないほど。
仙台城が焼失してなくなっていて、
歴史的な街並みも失われた仙台としては、
もう「通り」文化を目指すしかないのではないのではないでしょうか。
そんなことから、写真のような新興の通り、駅東口側の「榴ヶ岡通り」でも
いろいろな工夫を考えているようです。
名前から言えば、ツツジを大群生させるというようなのもいいかと思うのですが、
このようなちょっとした親水公園風の仕掛けを試みています。
周囲の樹木の種類は、知らないのですけれど、
やっぱりケヤキなのでしょうか、
時間を掛けて、どんな景観に育っていくものかどうか、
また、周辺のみなさんの思いが注がれはじめるものかどうか、
興味を持ちながら、時々散歩させていただいている次第です。

駅のこちら側は、楽天イーグルスの本拠地球場まで、
まっすぐな道になっているので、
楽天の頑張り次第で、地域のシンボル通りに育っていくような部分が
生まれ育っていくかも知れません。
ただ、そういう意味からはまだ、この親水公園のオブジェなど
建築的な要素は、ちょっと力不足のような気もします。
まぁ、都市計画ということになっていく話題なんですけど、
見つめ続けていきたいなと考えています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花盛りの散歩道

2008年05月11日 08時10分36秒 | こちら発行人です

いま、札幌では、
っていうか、散歩道ではなぜか八重桜の満開です。
だいたい、早朝1時間ちょっと歩くのですが、
コースの折り返し点近くにはこの桜並木。
八重桜はいちばん肉厚な花びらで豪華さが引きつける。
四月は異常な暖かさが続きましたが、
五月になって、やや季節感が落ち着いてきた感じでしょうか。
ここのところ、寒さがぶり返してきていて、
けさはクラブ活動で出かけた坊主も
カイロをしのばせて出かけていきましたです。
日射しは柔らかいけれど、
空気は冷たい、北国らしい五月の陽気と言えましょうか。

きょうはこれから、
友人の結婚を祝う会をする予定です。
って、まぁ、再婚なので、気の置けない友人たちで
ささやかに再出発を祝ってあげようという会。
その会に先立って、オホーツクの早春の味、
毛ガニを食そう、というのも、いっしょにやる予定。
まぁ、どっちがメインなのか、よくわからない会なんですが(笑)、
女性は単身生活でも生き生きとしていられるけれど、
男性はなかなか難しい。
そういう意味では、再度の縁があって本当に良かったね、ということです。
というようなことで、本日は内容のないブログで申し訳ありません。
ではでは。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

官僚志望の少年

2008年05月07日 06時32分32秒 | こちら発行人です

連休は息子が付き合ってくれたので、
1泊で十勝へ行ってきました。
なぜか、馬を見てみたい、ということを言い出してくれたのです。
察するにたぶん、テレビCMがたまたま流れていて
頭にこびりついていたのでしょう(笑)。
馬と言えば、ばんえい競馬にでも行けば確実に見られるだろう、
という実に安易な選択で、十勝方面、ということになった次第。
まぁ、どこでもいいんですね。
家族一緒に歩ければ、いろいろ話もできて一番楽しい。

坊主はずっと、保育園から学童保育というように
子ども同士のふれあい志向で育ててきました。
そうすると親同士も似たような考えを持つ人たちが集まってくる。
で、そういう仲間のなかから、ことし受験中学にみごと合格した子どもがでました。
6年生になるまで、それほど勉強が好きではなさそうな子だったのですが、
突然「おれ、官僚になる」と言い出して、
そのためには有名大学に行って官僚試験に合格しなければ、となったそうなんです。
話を聞いてみるとどうも、親たちが学童保育で苦労している話を聞いて、
「官僚機構」というのが、こどもにとって良い環境を作るのに
阻害要因になっている、というように理解していたようなんですね。
あるいは、結局は官僚たちが社会の決まりをすべて決定している、
というように社会を見切ったと言うことなのか。
いずれにせよ、その直感力に脱帽してしまった次第です。
で、自分自身が官僚になることで、
良い社会に作り替えたい、と少年らしい志望を抱いたというのでしょう。
まことにすごい考えを持った子供だなぁと感心してしまいました。

なんですが、官僚になりたいって、
ちょっと、ややさみしいかなぁ、とも思えて複雑ではありました。
もちろん、職業選択の自由は尊重するし、
考え方の根本もすばらしいと思うのですが、
そういう素晴らしい少年が、官僚になりたいと思う社会って
どうも、どうなんだろうか、という思い。
「社会に役立つ」ということの一番の有効な道が官僚っていうのも
なんとも情けない社会なのではないかと思われてならないのですね。
わたしたちの子どもの頃には、役人さんというのは「公僕」であって
「志望する」という人生の目標とは
少し違う概念の存在だと思っていた記憶がある。

というような印象を持つのですが、
やはり時代が違うのかなぁ、と思える気持ちもあります。
日本は自由主義で資本主義というように表向きはなっているけれど、
本質的には中国とそう変わらない社会主義だという説もある。
たしかに明治以来、社会発展の自然なプロセスを経て強国となった
欧米列強国家に対して、それに追いつき追い越すために、
官僚機構が国家主導的な国づくりを進めてきた国。
戦争での敗戦はあったけれど、そこから以降も結局、官僚主導的に経済大国を志向してきた。
戦前の「富国強兵」が「経済大国」に変わっただけとも言えるでしょう。
で、そういう流れがいまだに強く残り続けている。
そういうなかで、少年は正しく直感しているのではないかと思われるのです。
さて、こういうの、どうなんでしょうか?

<写真は十勝・中札内美術村にて>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

起業意欲の減退

2008年05月03日 07時16分42秒 | こちら発行人です

ちょっと前に新聞に出ていたニュース。
過去15年間で、20%近く中小企業数が減少していると言うこと。
正確な数は書いていないのだけれど、540万社程度から420万社まで、
15年間で加速度的に企業数が減ってきているという状況。
独立して開業しようというような意欲って、
今の時代では、本当に流行らない考え方なのでしょうか?
わたしは、30歳を前にして「よし、やってみよう」という気持ちになって、
まぁ、確かに無謀ではあったけれど、
自分を試してみるというような思いを架けてやってみて、
いまもずっと緊張感は持続してきているけれど、
まぁ、ごく普通のことだと思うのです。
人間生きていくのに、起業するからひとより大変だ、
っていうようなことは、それほど言われるほどにはないと思う。
かえって、人間関係の中での調和を第1に考えなければならないという部分では、
サラリーマンのみなさんは大変だなぁと思ってしまう。
仕事という意味では、結局同じようなことを考えてやっていかなければならないのだし、
そんなに違いがあるとも思えないのですね。

しかし、すごい状況だなぁと思ってしまいます。
日本の企業家心理って、ここまで落ち込んでしまっているのだろうか。
確かに日本国内市場は、確実に規模が小さくなってきていて、
そのなかでの競争で勝ち抜いたとしても
なかなか収益を上げていくというのは難しくなってきている。
市場が大きく減少していけば、そのなかでのシェア獲得競争が熾烈さを増し
獲得できたとしても、収益は相当落ち込むというのは理の当然。
このデータは、この間の「失われた10年」というものを
その日本人の企業心理をまざまざと映し出しているデータだと思われますね。
政府の側からはおもに大企業の企業収益を指標にして、
「景気はよくなっている」というアナウンスが繰り返されてきていましたが、
そういうプロパガンダの一方で、ひしひしとして感じていたものが
こういうデータに表現されている。

こういう状況なのに、税金だけは、いわば収入を度外視して
歳出を増やしてきたのが現代の日本。
それは官の無駄遣いを生み出して、いわば官のバブルを作り出したのではないか。
足下では、ここまで企業心理が冷え込んでしまっているのですね。
気がついたら、自分はごく変わった生き方をしている。
なんか、そんな浦島太郎のような気分になってしまいました。
こういう現実、どうなっていくのでしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする