性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

アイヌ食文化を体験

2010年11月30日 06時24分42秒 | Weblog





日曜日に、面白い公開講座が開かれる情報をキャッチ。
北海道駒澤大学で、表題のようなセミナーが開かれていたのです。
場所も不案内だったので、やや早めに到着したら、
なんと、試食会もあって、
写真のような昼食が振る舞われていました。
どういったものを食べていたのか、
っていうのは、その文化を知るもっとも根源的な部分だと思うのですが、
そういうようなアプローチはなかなかみられない。
写真左側が、メインの食事で、オハウというもの。
この日は、シャケの大ぶりな切り身が主役で、それにジャガイモ、
大根、ニンジン、ネギなどの「汁もの」です。
右上は、丸いのが芋モチのようなペネコショイモ。
その右側の和え物のような食べ物が、
コウシラタシケプ。(シとプは小文字)
これは、ブルーベリーのような木の実を澱粉質の食材で和えたもの。
甘みがあっておいしいのですが、
その木の実のなかにタネがあって、それを噛みつぶすと苦みが広がる。
右下は、クッキーでして、
シケレペという木の実が中に入っていました。
こういった試食メニューだったのですが、
このほかに、穀類をおかゆ状にして食べる「サヨ」というものも
大きなウェートを占めるのだそうです。
主食の汁物は、どう見ても、食べても「三平汁」。
食味もまったく同じように思いました。
この主食は、中のメイン具材が他の魚になったり、
動物の肉になったりという変化があるけれど、
基本食のようです。
和え物も、まず欠かせない食物ということ。
ペネコショイモというのは保存食として食べ続けられてきたようです。
農耕が行われていなかった、というのは誤解で
コメは、寒冷な気候もあって栽培されなかったけれど、
野菜は畑で生産していたようだし、採集の野草類、木の実などは
どこの場所に行けば入手できるということを
暮らしの知恵として保持してきていた。
コメは日本社会との交易の結果で入手していたし、
それ以外の、寒さに強い穀類、ヒエやアワは畑で作っていた。
脱穀のための水車利用の臼も、二風谷では見ることもできます。
調味料は、塩と、魚のタラから採取するタラ油が基本。
タラ油というのは、魚醤というような意味合いなのかと思いました。
食味としては、淡い甘み付けにもなるということ。
疑問として、食材はほぼ自給が想像できるけれど、
塩はどのように生産したのか、あるいは交易で入手したのか、
そのあたりが、セミナー後、質問もしたのですが、
大坂の国立民族学博物館の佐々木先生も、明確にはわからない、
というお答えでした。
人間には塩分は基本的に必要なものであり、
それがどのようなネットワークで入手されていたのか、
また大きなテーマが浮かび上がってきました。
世界的には、岩塩というのが主流のようですが、
日本列島ではそうでなく、
海水から鹹水をつくり、それから製塩するというのが伝統的。
しかし、そのためには高温条件が必要ではないかと思われ、
北海道島で、そうした営為が行われていたという記録はない。
であれば、貴重な交易入手品であった可能性が高いけれど、
そういう交易記録もほぼないのだそうです。
想像すると、コンブとか海草類を乾燥させて食材に利用するけれど、
それに付着した塩分が、かれらのいのちを支えてきたのか、
それとも、海水を甕に入れて天日乾燥で濃縮されたものをソースのように
利用して調理していたものか、
なかなか、明快な結論には至らない。
文字記録のない社会の分析って、大変ですね。実感する次第です。
あ、全部、むちゃくちゃおいしかったです!
企画に深く感謝申し上げます。
作ってくれた先生と学生のみなさん、ごちそうさまでした(笑)。
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一番早く、いちばん遅く…

2010年11月29日 07時32分38秒 | Weblog




札幌の街、一晩でまっしろ世界であります。
雪が降り積もると、
ふしぎに朝、静かさが漂う。
で、底が白くなる。
その雪明かりが、家の中になんとなく反映して
寝ていて目覚めて見る天井にほのかな明るさを感じる。
そして、静寂感につつまれている・・・。
「あ、・・・」
と気付いて、起き上がり窓の外を見る。
けっして歓迎しているわけではないけれど、
やっぱりきたのか、っていうような
諦めなのか、
それとも、すごく親しいけれど、
すっかりご無沙汰していた古くからの友人に出会ったような
そんな、ないまぜの感情とともに
この状況を受け入れる。

そんな思いが、北国人には
みんなあると思います。
まぁ、仕方ないのですね。
やるしかないし、生きていくしかない(笑)。
季節が一番早くやってくるし、
反対に、季節が一番遅れてやってくる。
その間、この風景と仲良くし続けていくしかない。
たぶん、この雪が根雪になるかどうかは
ちょっと疑問ではありますが、
でもけっこうな降りようであります。
3時間くらいは降り続けているので、
その前の降雪を考えても、けっこうな量のようであります。
場合によっては、今シーズン初の雪かきもありえる?

きのうは、往復で180kmくらいの遠出もしたので、
やや、カラダがあちこち、痛め。
どうも情けない体調なのですが、
やらなきゃならないかも知れませんね。
なんとか、もうちょっと先延ばしできれば、
と、こい希う次第ではありますが、
冬将軍様、ご機嫌はいかがなのでしょうか?
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米韓軍事演習

2010年11月28日 07時06分41秒 | Weblog





さて、本日から12月1日までの日程で
米韓軍事演習が黄海で行われる予定。
先週の韓国軍による北朝鮮近海での演習と、北朝鮮による砲撃、
それによる韓国領土での民間人の死傷者発生。
こういった緊迫した情勢の中で
人員6000人を載せたアメリカの原子力空母ジョージ・ワシントンを
主軸に、実戦さながらの演習になると思われる。
この演習期間中、日本の閣僚は関東圏内での禁足令が出され、
情勢変化に随時対応する予定だと言うこと。
中国から韓国に、アジア問題の最高責任者が急遽訪問して
外務大臣と会談するなど、緊迫したやりとりが見られる。

アメリカの真意は、さてどこにあるのか?
軍事的な意志は、当然、深く秘されるものだろうから、
どうしようと考えているのかは、闇の中。
場合によっては、交戦状態に突入することを
狙っているのかも知れない。
軍指令者にそのことを許可している可能性がある。
経済的危機、先の中間選挙での与党の敗北などの
きわどい状況に置かれ「激怒」したと伝えられている
アメリカ最高司令官は、どういった決断を下すのか
危機を突破する手段として、
戦争というのは、きわめて持ち込みやすい論理だ。
どうも、きなくさい匂いが漂う気がする。
北朝鮮に対する国際的な世論誘導も、即座に出てきている。
3代続けての世襲による権力委譲に対して、
軍内部で不満が極限まで高まっている、という真意定かならぬ情報の流布。
沖縄米軍基地問題での日本政府のジグザグ。
さらに、そういう日米関係を見越しての、
最近の中国・ロシアの領土問題での日本への露骨な干渉。
そういう情勢へのアメリカとしての意思表示はどうあるのか。
アメリカの軍事的世界戦略として、
ここで、単なる示威行為として穏当にことを納めるか、それとも。
米中のやりとりでも、
アメリカの威信を傷つけるような発言が中国側からあった、と
伝えられている。
「アメリカが北朝鮮と対話しないからこんなことが起こった」
と、中国側アジア問題責任者からの発言があったといわれている。
このような状況を総合すると、
どうも、なにが起こるかわからない一歩手前。
北朝鮮側にしてみると、
目の前で敵主力が軍事演習を行ってきているわけで、
国内的な問題を抱え続けてきて、自制的に行動できるのかどうか、
権力の基盤の強弱も含めて、不明点が多すぎる。

どうもこの週末は、このことから
目が離せないと思われてなりません。
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師走直前

2010年11月27日 09時27分40秒 | Weblog






札幌の大通公園では、12月にはいると
「ホワイトイルミネーション」という電飾飾り付けが行われます。
公園の植栽に電球を取り付けるので
自然の形状と電気の明かりがコントラストを見せる。
住んでいる人間からすると、
ようやく、季節感に結びつきはじめたかなぁ、というところ。
この間新年が始まったと思うまもなく
師走の到来であります。
雑誌という業態が大きな曲がり角に立っている中、
年々、きびしい状況にさらされていると感じます。
インターネットというものや、パソコンというもの、
それと90年代以降の世界のフラット化の進展が同時進行して、
これまでの社会を大きく地殻変動させているのでしょうね。
避けることのできない大きな変化の中で、
先の見えにくい状況が深まっていると感じます。
メディアというのは、いろいろな役割があると思いますが、
こんな状況の中でも、
あらたな出版にチャレンジはしてきています。
どっちかといえば、メディアの役割の中で、
わたしどものような住宅雑誌の役割って、
切り口や、テーマ性で、コミュニケーションを発見し、
それを拡大させると言うことが、一番大きいのではないかと
そのように思っています。
いまは北海道版の追い込み作業の真っ盛りで、
同時に、まだまだ企画が目白押しで
年末から新年に掛けて、それこそ団子状態。
なかなか、年を越せるかどうか、ですね(笑)。

それにしても、
いまの社会の変化ぶりはすごい。
人間が変わるというよりも
世界が変わってきている、ということでしょうか。
先日も「ファスト風土」という言葉を聞きまして、
てっきり、マクドナルドや吉野家のことだろうと思っていたら、
ちょっとニュアンスが違う。
確認したら、上記のような書き方だそうで、
そういわれてみて、その表現力の秀逸さに驚いたり。
変化もすごいけれど、
一方で、こういった時代に対して人間の抵抗値も
かなりのアジャストをみせていると感じました。
テクノロジーの進化スピードが巨大で
コンピュータというものが、人間生活に深く入り込んで
人間自身の側でもきわめて深く自己分析が進んでいるようです。
ちょっと前まで、草食系とかいう言葉がはやりましたが、その先を行くように、初音ミクなる、バーチャルキャラへの思いを通して、
恋愛の変化をも語っている若い年代の知性も
出てきているように思います。
まことに、オヤジさんたちには、理解を超えそうな領域に
人間の感覚は立ち至っていると思います。
でも読んでいると、まだ理解できそうな部分はあるし、
そこにギリギリの領域で人間的な葛藤も見えている。
さて、この先、息子たちの年代はどのような航路を刻んでいくのか?
興味もあり、ハラハラでもありますね。
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道産家~どさんこ~2×4推進協議会

2010年11月26日 06時39分13秒 | Weblog





一昨日は、帯広出張から帰ってきて
そのまま、札幌市内で行われていた道産家~どさんこ~2×4推進協議会
設立の催事に出席、その後、いったん会社に戻って
ふたたびUターンして、また、懇親会に出席しておりました。
会場で、仕掛け人で旧知の高倉さんに声を掛けられて
懇親会まで出させていただきました。

高倉さんは、やむを得ない事情で
起こされていた事業の継続を断念されたのですが、
日本のツーバイフォーの産みの親みたいな方です。
寒冷地北海道の住宅性能としては、
北米の気密性・防火性にすぐれたツーバイフォーが似合うと確信され、
この工法の国からの認定に東奔西走されたのです。
当時、ツーバイフォーは一般工法というよりは
そのころハウスメーカーとして、特定の会社が独占する工法として
許可されそうな状況になったのですが、
高倉さんたち、北海道の工務店ががんばって、
北米では誰でもが建てられるオープン工法であると力説して、
日本でも、在来工法に次ぐ一般的な工法として
当時の建設省に働きかけて、今日のようなオープン工法としての地位を
確立させたのです。
その高倉さんが、ふたたび情熱を傾けて取り組んでいるのが
この道産家~どさんこ~2×4です。
単純には、北米からの輸入一辺倒のツーバイフォー材を
北海道地域の木材で生産していこうという取り組み。
現状では、海外に工業製品を輸出しての産業育成を国策としてきた
戦後日本の産業政策が反映した「円高」によって、
日本の国内産木材は、価格が高いという問題に直面しています。
しかし、より長期的に見れば、
日本は、世界有数の「森林大国」になれる気候条件に恵まれています。
インド大陸がユーラシア大陸に衝突することで生成された
ヒマラヤ山脈が存在することで
日本には長期安定的な降雨条件があり、
それを反映して豊かな樹種の森林が存在し、旺盛な世代更新が行われています。
中国はあれほど広大な国土を有しながら、
木材が常に不足する。
そういうなかで、日本はきちんと取り組めば、
人類にとって最大の「資源」である、木材の供給大国になれる可能性が高い。
そのうえ、木を生かす文化は世界のお手本になれるだけのものを持っている。
このように考えていけば、
国家戦略として、木材を戦略的に生かしていく必要がある。
現状の内外価格差が、流通段階では約2倍だとしても、
なんとか、知恵と工夫でその差を乗り越えて、
大きな産業育成に繋げていくべきだ。
そのうえ、木が増えていくことで、
地球規模でのCO2削減に大きく貢献できる。

具体的な歩みは困難に満ちているだろうと思いますが、
このような志向性は、大いに共感できる動きだと思います。
今後の活動に大いに注目し、盛り上がってほしいと祈念しています。
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十勝について

2010年11月25日 06時24分51秒 | Weblog





きのう、十勝から帰還いたしました。
1泊2日での移動ですが、
行くたびに、ほかの地域と十勝との違いを痛感いたします。
先住民族としてアイヌの方たちもいるわけですが、
北海道は、主に本州地域からの移民によって構成されています。
で、その移民ですが、
いくつかの流れがあると思います。
函館を中心にする道南地域は、江戸期からすでに
多くの自主的な移民が多かったのに対して
それ以外の地域では、基本的に明治以降に植民が進んだ。
で、札幌や旭川を中心として地域では、
開墾を、囚人労働力で行った地域も多く、
そのあと、あらかたの伐採作業が終わった地域を
本州地域から、農業経験の豊富なひとびとを優先的に入植させた。
比較的に、「管理された」開拓が行われたと思います。
それに対して、道東地域・十勝では
依田勉三さんという民間人が、晩成社という開拓団を組織して
独自に開拓を行ってきた歴史がある。
不思議なもので、北海道開拓の基本構想はケプロンさんの建白書ですが、
そこでは米作は不向きなので畑作中心に行え、
とされていたのに、管理された開拓地域ではそれが実践されず、
米作を中心にしていくようになる。
たぶん、米作農家の入植が多く、かれらは日本人として
米作への希求を捨てきれなかったのでしょうね。
一方で、十勝地方では、管理もされていなかったのに、
畑作中心の、ケプロンさんの建白書どおりの開拓が行われ、
いまや、農家所得が他地域と比べて格段に高い、農業王国が実現した。
そして、こういった地域体験が、
独特の「十勝モンロー主義」とでも言えるような
気概や、人間性を生み出していると感じます。

住宅建築でも、
それ以外の地域が、日本的住宅デザインへの郷愁を色濃く持っているのに対して
十勝では、北米的2×4住宅デザインが
多くの人々から自然に受け入れられている。
日本的感受性を超えて、むしろ合理精神が鍛えられていると思います。
このあたり、まだ、意識的にそのような分析なりアプローチはない。
十勝に、建築系の大学がないせいか、
そういった北海道内での地域的デザインの違いについて
研究しようという動きは育っていないと思います。
しかし、確実に、このような変化は十勝で起こっている。

まぁ、しかし、十勝は広い。
写真は、帰り道、芽室の「円山」という場所から一望したもの。
西側は日高山脈、北側は東大雪の山並みに大きく区切られた
台地状地形に、広大な十勝平野が広がっている。
平野を潤す河川も太く長い。
帯広を中心にして、おおむね人口規模は36万人。
独立的な文化を育むのにもほぼ適したサイズなのではないかと思います。
ただ、いま政府が進めている農業自由化、国際競争の激化、
という方針への転換によって、
この地域がどのような変化を遂げていくのか、
不透明な状況になっていくのでしょうか?
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ガラスの建築

2010年11月24日 06時04分52秒 | Weblog






写真はきのう、講演を依頼されて行った
帯広の「とかちプラザ」です。
ちょうど、駅南口側は、再開発されていまして、
とはいっても主に、長崎屋の商業施設と、
市の図書館、ホテル、信金の社屋、この建物などで構成されている街区。
たっぷりとした敷地が確保されて、
これから帯広の街の雰囲気を代表する景観になっていくのでしょうか。
信金社屋と図書館は、ガラスとレンガでイメージが統一されていて、
そのようなデザイン要素に帯広を染め上げる意図が感じられる。
悪くはないけれど、さて受け入れられるのかどうか。

で、この建物は、イメージはほぼガラスと鉄骨。
なんですが、外観の印象とは別に、
このガラスと鉄骨は大きな吹き抜け空間を構成するのが主用途。
内部にはいると、がらんとした大空間が展開しています。
むしろ、アトリウムですね。
建築空間は奥の方に一般的RC建築が立ち上がっています。
こういったコンセプトの建物は、
たぶん、全国で建てられているのでしょうね。
わたしの知りうる範囲でも、仙台メディアテーク、
盛岡駅前のアイーナなど、東京ではそれこそ、こういうのは多い。
日本の建築文化のなかで、ガラスを多用した建築は
いま、ずいぶんたくさん建てられている。
ひとつのプロトタイプがあって、
それを繰り返し採用することで、面としての文化になる。
たぶん、公共的建築の設計採用基準というもの、
だれかの主導的意見で、現代の美が統合される方向に動いていく。
十勝は冬場の日照が飛び抜けていいので、
寒さへの防御性よりも
光の取り入れの方に大きなメリットがある、ということなのでしょうか。
そういったことを、このデザインは表しているのか。
それとも「公共建築」というイメージから、
「透明性」ということが設計表現上、大きなテーマになるものなのか。
まぁいろいろに考えられるところですが、
さて、冬場の暖房用光熱費はどれほどになっているのか、
すこし、興味を持たざるを得ないところ。
日射取得することきはたぶん、少なくて済むと推測できますが、
曇天時から、雪の時など、
どれほど掛かっているものか。
それと、そういったことを含めて設計コンペの
判断基準ってどんなものだったのか、
知りたい欲求に駆られます。
まぁ、こういうアトリウム空間は北国の生活者としては
憧れの気持ちを持つものであり、
建築体験としてはすばらしい。
よく東京にある、壁面全部がガラスというような建築で
日射時は、ことごとくブラインドで遮蔽しているのが多い。
っていうか、日射時が強烈すぎるので、
常時、ブラインド遮蔽している。
それで、エアコンで強制的に温度を下げている。
街中、ガラス面からの反射で、どんどん高温化する、
っていうような光景が展開しているので、
このようなデザインの建物って、
いったい、どうなっていくものか、不安でもあるのです。
みなさん、どう思われるのでしょうか?
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北方から見る日本の歴史

2010年11月23日 06時12分59秒 | Weblog






仕事で、いろいろな住宅を巡り歩くウチに
当たり前ですが、
そこにはそれぞれの生き方があって、人間が暮らしている、
っていうことが、みえてくるようになるものです。
そして、個性的に生きたいというような住宅を見ていて、
より「人間」的な部分を、住まいから想像するようになります。
そうすると、時間を超えて、
古民家などに、「取材」的な態度で接するようになってくる。
よく見ていくと、こういうことは、
細部に明瞭に現れたりしてくるようになる。
そういった発見が、面白くなってきて、
古い人間痕跡に、興味が募っていくようになる。
まぁ、そんなことから、写真のような復元住居も好きになっていったのですね。
これは、天塩にあった檫文時代(日本の平安期にほぼ相当)の
竪穴式住居です。
周辺は、日本最北の大河・天塩川河口であり、
漁業的資源には事欠かなかった場所。
そして、カヌーのような丸木船や、外洋航行も可能な船も操っていた
かれらにしてみると、生活の拠点としては
まことに好立地なのですね。
この時代には、すごい大きな集落が営まれていたのではないかと、
想定されています。
ちょうどいまの時代にわれわれがクルマを操るように
かれらは、自由自在に船を操っていた。
そして「交易活動」は、狩猟採集と並んでかれらの基本的営為だった。
日本史の記述でも、
秋田地方や、宮城県地方などに、
この時代の北海道人が来襲したとする記述が見られる。
交易活動には、トラブルも付きものだろうし、
そういった利害関係を清算する意味合いの戦いも多かったと思われる。
かれらは文字を持たず、歴史を記述する意志を持たなかった。
アジアの歴史の中では、中国に発祥した文字記録の世界・社会が
北方「蛮族」と対峙しつづけて来たのが基本的な流れだったと思われるけれど、
日本史においても、その要素はあったと思う。
ただ、元や清のように中華に王朝を樹立するような動きではなかった。
そういうものは、かろうじて、
平泉藤原氏が、そうなる可能性を持っていたけれど、
日本においては、そのようなダイナミックな動きはなかった。
けれども、北方との関係は常に日本史の中で、
ある一定のレベルの影響をもたらしてもいた。
そういう部分が、これまでの日本歴史記述の中に十分に反映されているとは言えない。
そんな思いで、
ひたすら、北方の世界の発掘にこころが向かっている次第です。

さて、本日は帯広で講演を頼まれまして、
これから、クルマを駆って出掛けます。
きのうは、季節外れの雷、雨という天気でしたが、
まだ、北海道、ことしは雪の訪れが遅いようです。
でもまぁ、慎重運転で行ってきたいと思います。
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ノートパソコン落下(汗)

2010年11月22日 07時03分07秒 | Weblog




金曜日、朝、直行だったのですが、
いつものようにパソコンを肩掛けのバッグに入れて
わが家の階段を下りたところで、
なんと、肩掛けのひもの接続プラスチック部分がはずれて、
あややという間に約1m落下して、階段踏み板に衝突いたしました。
その瞬間の衝撃部位としては、パソコンの短辺部分の目視結果。
時間が迫っている、けれど、これはまずい。
ということで、時間をやや遅らせても、
チェックしなければと思いまして、
事務所にいったん向かって、そこでパソコンを取り出して
起動させてみました。
ラッチを開けるのに、ひっかりがあって、
焦っていたので、そのときは気付かなかったのですが、
どうも、その部分は物理的変形がわずかにあったようです。
遅い、どうも起動に時間が掛かり気味であります。
普段の3倍くらい掛かっている。
そのうえ、一瞬ですが、起動画面に恐怖の画面が・・・。
白黒で、なにやら、表組みのような模様が現れました。
が、ほんの一瞬で、その後、
なんとか、デスクトップが表示され、
通常通り、立ち上がりました。
ブラウザーとメールと、若干ソフトを立ち上げてみましたが、
特段の問題はなさそう。
ということを確認してから、何度か、再起動・PRAMクリアなどを
施して、おおむねの無事を確認いたしました。
で、所用先に向かい、帰ってきてから、再度起動させても問題が出ない。

そういうことで、夜、自宅に戻って再度チェック。
こんどは、落ち着いていたので、
まず、ラッチ部分に物理的変形圧力が加わって
開閉に問題が発生していることを確認。
それはなんとか開けることが出来て、
その後、OSのDVDから起動させて、HDのチェックを掛けてみました。
その結果は、問題がないというご託宣。
HDには問題がなければ、データはすべて問題はない。
ほっとひと安心であります。
起動も、何回か行っているウチに通常的な時間に復帰している。
衝撃はあったけれど、機能不全になるようなものではなく、
一時的なショック症状と、見られる。
まぁ、長期的に見れば、死期はいくらか早まったのは
間違いがないだろうけれど、短期的には影響は少ない。
っていうように結論づけることが出来ました。
であれば、あとは、物理的変形の問題であります。
向かって、左手前角付近にわずかな、2~3mmの浮きが発見できました。
それが、開閉部分の金具に微妙に影響を与えて
開閉不良の原因になっている、という推定ができました。
いま現在も、このパソコンで作業しているわけですが、
まったく問題はありません。
ただし、これからラッチを閉じて、バッグに入れて移動して
っていうようにするときには、開閉時の問題が発生する。
また、変形部分のわずかな浮き場所から、
パソコン内部にゴミとかの侵入は避けられない。
土日に掛かったので、パソコンレスキュー屋さんは休み。
本日連絡してみて、可能であれば、物理的な修復を試みたいのですが、
まぁ、仕事の進行もあり、
日程の調整が可能かどうか、影響はありますね。
いまや、パソコンはあらゆる仕事のベースなので、
不都合があると、大変ですね。
バッグは、これを機会に替えて、より安全な保護機能のものに
変更したいと思います。
まぁしかし、大事に至らなくて本当に良かった、でした。
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雑誌をつくる編集作業

2010年11月21日 07時02分10秒 | Weblog






アース21という地域工務店のグループでは、
年に1回、独自の雑誌を作成して発刊しています。
その編集作業に、参加しております。
まぁ、出版自体は当社が代行・サポートしているわけですが、
あくまでも、編集作業はアース21メンバーの責任作業であります。
長い期間、関わらざるを得ないので、メンバーのみなさんの労力は大変です。

編集の作業って言うのは、
企画のアイデア出しから、進行管理、連絡、
取材の交渉、スタッフ構成、段取り仕事、
写真・テキストの進行管理、レイアウトデザイン、
印刷工程管理、全体予算管理などなどがあります。
このほかにきわめて重要な仕事として、広告予算監理がありますが、
まぁ、こっちは「広告」セクションの領域。
これだけでも、ゆりかごから墓場まで、さまざまな作業が出てくるモノなので、
一回関わると、家を建てるのと同様の作業手間に
みなさん、びっくりされるものと思います。
で、そういったプロセスを経て
出版にいたるものなので、
そのぶん達成感があり、独特の高揚感を得られるものです。
やはり、「ものづくり」という部分なのですね。
ことしの雑誌では、はじめて参議院の国会議員さんたちとの
「懇談会」まで仕掛けて、その模様も収録しました。
参加する、ということもかなりの労力になっていたわけで、
そういう意味では、みなさん、
「やったなぁ」という表情がさわやかであります(笑)。
人に見ていただくと言うことで、
自社の建てた住宅についての写真表現も、
ずいぶん、気を使われるようになって、
格段に、ビジュアル的な部分も向上していくものです。
やはり、いいものををつくっているのなら
その表現にも、大いに気を使って、
それを美しく伝えていく努力も大切だと思います。
それがものづくりの大切な、「コミュニケーション」の部分。
だんだんと、表現のディテールにまで気遣いが見られるようになってきて、
面白みも感じてこられている様子です。
まぁ、そういった総体が、世の中に対するアピールなのであり、
出版と言うことの意味なんだと思います。
生まれ出るのが楽しみだ、という気持ちが持てるのはすばらしい。
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