性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

家族の起源~人類社会の相互安全保障

2015年08月31日 07時22分40秒 | 歴史探訪
きのうの続きであります。
「人類史のなかの定住革命」に教えられたことです。
まさか、人類史の学術的な本を読んでいて、
こういった根源的な問いかけへの回答があろうとは思いもよらず
こうしたアプローチが論旨としてはじめられたあたりでは、
まさに知的興奮が最高潮に達しました。
著者である前筑波大学教授である西田正規氏も、この章を書き出すに当たって
きちんとこれは推論であり、証明しうる科学的根拠の提示は難しいこと、
この推論よりも合理的な論証があれば、撤回するに躊躇しないことなどと
科学者としての良心をかけて述べられています。
しかし、人類史の専門研究者として、こうした推論を持たずに
断片としての事実痕跡だけを調査研究するのであれば、
それはおよそ、人類史研究とは言えないとも語られている。
まことに清々しい態度だと思いました。

で、きのうの「火を扱って武装した」上で、樹上生活から地上生活に降り立った
およそ300万年とも500万年ともいわれる以前のわたしたちの祖先は、
楽園である森を、より樹上生活に適合した種であるオナガザルの群に追われ、
手に棒や、相手に対して致命的打撃を加える石を持つことになった結果、
それらが、獲物の動物だけに向けられず、
自分たちの「社会」構成員同士でも、こうした攻撃がありえる危機に直面した。
つねに危険な武器を持っていることが、自分たち社会をも脅かした。
そのときの主要な「社会危機」の内実は、性と食の問題。
とくにほかの霊長類と違って、発情期がほぼ常態的になった人類では
性の問題こそが、いちばんの安全保障上の大問題になった。
それが解決される手段として、性を特定の男女間で制約するというタブーを
社会が共有するということだったとされています。
夫婦という概念の誕生。
近縁種であるチンパンジーなどの社会では、抜けがたく乱婚的であったのに対し
人類は、この選択を初めにしたのだという推論です。
これが、武器を持っていた人類個体間での社会的安全保障体制を構築した。
そしてこのワンペアの男女関係を基軸にして
血縁関係という、DNAレベルでの共感をベースにした
「家族」という組織が人類社会の基本構成因子として成立した。
さらに西田氏は、この安全保障体制のもう一つのモノとして
「言語」の発生を推論されています。
社会成員相互の間で頻繁に起こりうる緊張関係をやわらげる機能装置として
融和的な雰囲気を形成するのに、言葉が必要になったと。

そうであるとすると、
家族の愛情とは、まさに「育てる」ものであるのは、自明ですね。
住宅も、こうした「家族」のかたちを入れるイレモノだと。
しかし、現代の知の世界というのはすばらしい。




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火を扱い武装したサル~人類進化の瞬間

2015年08月30日 07時38分26秒 | 歴史探訪
さて先般来、読み進めていた「人類史のなかの定住革命」読了しました。
っていうか、1週間前くらいに読了していましたので、
読書期間は断続的に、おおむね10日間程度だったようです。
人類史という概観もそのなかに包摂されているので
まことに巨視的な視点を与えられまして、
今後の自分自身の基本スタンスについて、大きな視点が得られました。
気づきは実に広範囲にわたったわけですが、
そのなかでも、脊椎動物における手型動物と口型動物の進化の違い、
そして手型動物の進化の最前線に立って、ついには道具を手にして
樹上から地上に降りたわれわれの遠い先祖のイメージが鮮明に得られました。
これからさらに、定住のベースになる住宅について
深く掘り起こしていきたいと考えていますが、
一方で、人類史そのものにも深く魅了されました。
で、いまはわたしたちの精神世界の探求として「神話」についての
著述を読み進めております。
やはりKndleなどの電子デバイスでの読書は、ある種の革命ですね。
わたしの場合はひたすら「ロングテール」型の、
歴史とか、人間のやってきたこと、考えてきたことの軌跡を探求するのが
なによりの興味分野であると言うことを、知らされます。
そこからひるがえって、現在の仕事領域にもフィードバックできるものがある。
日々の気づきにつながり、それが巨視的なことにどんどん向かいます。
まことに楽しい読書探求の世界を教えられています。
仕事をもし離れても、興味分野の深化という最大の娯楽が持てました。
まことに電子革命はすばらしい。

横道に逸れましたが、
手型、口型という生物の「生存戦略」による分化であります。
外界との対応において、視覚という外界認識機能たる脳よりも前にある
器官として、口を発展させるか、手を発展させるかという違いがある。
手を発展させるという生存戦略はいろいろな動物が選択してきたけれど
人類学的には、われわれは、手型動物進化の最先端にあるのだという。
そして樹上生活により適合したであろうオナガザル類との生存競争の果てに
樹上生活から、地上生活に移行せざるを得なくなったとき、
地上生活で、より適者として君臨していた口型の大型狩猟動物との
生存競争に臨むに際して、手型動物最先端の種として、
その手には、武器としての棒と、石が握られていたということなのです。
まずは自衛として始まったとは思えませんね。
やはり食糧確保のための「戦略」として、武装して戦う手段だったのでしょう。
まことにわかりやすいイメージであります。
なぜ、人類社会に普遍的に「原罪」的な刷り込みがあるのか、
こうしたイメージは、明確な回答を与えてくれるように思います。
口型生存戦略進化の最高峰に位置していた大型猛獣類と、
互角以上に戦い得たのは、手にした武器であった。
進化を重ねてきた「手型」生存戦略の延長線に、
比較的容易に入手できる武器・道具として、木の棒や石が握られた。
さらにそこから夜に森に帰ることなく、キャンプで野宿していくことになるとき、
火は、絶対に必要になったと推定できる。
夜行性の口型動物による襲撃から自衛するためには
火を燃やし続けるのは、理の当然ではないか。
どの時点でか、地上生活と平行して、
エネルギーを自分でコントロールすることに慣れていったに違いない。

小さいときから、歴史というものに不思議に惹かれ続けてきて
ある邂逅に似た思いが深く迫ってくるようです。
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高齢化時代の住宅デザイン

2015年08月29日 07時01分53秒 | 住宅取材&ウラ話
きのう、なにやら見覚えのある筆跡の郵便物が届いた。
知人の建築家・藤島喬さんから、ご自分の事跡を表現した冊子だった。
あんまり詳しく年齢は憶えていなかったけれど、
あらためて見ていたら、1946年生まれということだから、
もうすぐ70歳になるのだと、驚かされた。
人間必ず歳を取っていく。当たり前だけれど、
こういうふうに「気付かされる」ことが最近、多くなってきたように思う。
建築家のひとたちは、大体、加齢してくるとこういう「仕事集」を
発刊したくなるようなのです。まぁ一種の自然現象のようなモノで、
ほほえましくもあり、一抹の感慨もあったりする。

わたしは、ユーザー志向の強い住宅雑誌を発行し続けてきています。
でも、大学は文化系であり、マスコミ志望だったので、
メディアの事業を始めた結果として、住宅建築の世界に入ってきた人間です。
本来、テーマは住宅でなくても良かったのかも知れません。
しかし、選択したその事業領域を深化させていくプロセスで
読者のみなさんといっしょに、建築への興味を深めていったように思います。
ビジネス的に、建築家のみなさんとの接点はあまりないのが実際なのに
住宅の取材をしていくなかで、建築家の家づくりに
深い興味を覚え、その仕事が果たすべき役割、
現代人の人間性の深い把握、それを通した建築デザイン、
さらにプロダクトとしての性能の進化の志向性などに共感を持った次第です。
広告や出版などのビジネスとしてだけ考えれば、
このような志向は、あんまり有用的ではないと思いましたが、
しかし、北海道というフロンティア志向の強い地域環境が
知らず知らず、自分自身にも影響を及ぼしているのかも知れません。
こういった建築家たちの仕事を、デザインの面でも性能志向の実践としても
寒冷地という条件の中で、最前線で戦っている現実の姿を
多くのユーザーに、住宅メディアとして伝えていくことを
できる可能性のある人間は、していくべきだと思った次第です。



そんな意味で、ある種、同時代人としての近縁性を
共有している実感を持ち続けております。
そういったみなさんから、このような冊子が届くようになり、
思わず、立ち止まるような思いに囚われる次第であります。
しかし、冊子の中でも
「これで引退か?と思われるかも知れない」
と書かれていたけれど、それに続けて書かれていた通りだと思います。
「まだそこまでには至っていない。建築を作りたい。
創作への憧れであり、創作意欲はまだあると思っている。
・・・タイトルを建築への憧憬とした所以である」。
高齢化時代とは、今後も社会が追究すべき大きなテーマ。
歳を取っても、いや歳を取っているからこそ気づけるデザインがある。
いまのわたしの大きな興味である縄文に即して言えば、
縄文はそれまでの社会から、定住という契機からの必然の変化として
一気に高齢化が進展し、そこで高齢者の「知恵」が、社会発展に
大きく寄与したとされているのが最先端の考えなのです。
いま、わたしたちの社会でも、そうした変化が
否応なく押し寄せてきているのだと、そんな風に思えてなりません。
そんなエールを送らせていただきたいと思います。
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現代人は、住む場所をどう選ぶ?

2015年08月28日 05時53分32秒 | 住宅取材&ウラ話
住宅は、集合としての住宅地に建つ場合が多い。
道路や公共エネルギーなど、集合的住宅地には利便性が高い。
歴史的には、住宅はその場所に住む理由がハッキリしていて
建てられるケースが多かった。けれど、
現代では、その条件が大きく変わってきているのかも知れない。
これまでの条件に強い決定力が薄れてきていて、
あらたな価値感の再構築の過程が進行しているのかも。
自由な選択肢が広がってきていて
その可能性も大きく拡大してきている。
そうであるので、選択に当たっての主体性が不可欠になって来た。
写真は新潟県長岡市のある住宅地の様子。
高田建築さんという設計事務所が基盤の地域ビルダーさんが
大きな敷地を住宅地として造成し、住みやすい「街」を考えていました。
道路もゆったりとカーブさせて、必然的にクルマの速度を制御し
地下水利用の共同の融雪のための放水装置まで装置している。
いわば、「地域としてのやすらぎ」に挑戦している。
まことに興味深い「住む場所」へのイマジネーションだと思いました。
下は、その会社のオフィスの様子。なんとも未来的。



どこに住むか、ということは、
そのまま、「どんなふうに生きていくのか」と同じ意味合いがあります。
歴史的には、住宅はその場所に住む理由がハッキリしていて
建てられるケースが多かった。
日本列島で定住が始まったとされる縄文では
豊かな海産物と、ブナの森のナッツ類など、
食の条件が最大の決定因子で決まっていた。
よりビッグスパンで考えると
弥生時代以降も基本的には食の生産と密接にからんだ条件で
ひとの「住み処」は基本的に決定されてきた。
一方で、世代更新というレベルで考えても、
弥生以降1世代20歳で見て、500世代くらいとなるけれど
そうした決定因子で「どこに住むか」ということは決まってきていた。

けれど、現代では、その条件が大きく変わってきている。
利便性という尺度が、クルマなどの移動手段の高度化などで
大きく変動してきているし、
所得を得る手段である職場自体も、その環境・立地が変化もしてきている。
さらに子どもの教育という要素からも、決定因子は大きく変化しうる。
追い打ちをかけるように「地域」という絆も希薄化が進んでもいる。
自由に住む場所を選択できるというのは、結構、現代的な選択肢。
家を求め、家族のシアワセを考えて
「どこに住むか」と考え、主体的に決めていくことが必要になってくる。
Replan本誌9月末発売の次号では、家づくりと住む場所について、
さまざまな事例を発掘して、考えてみる素材を探してみました。
あなたは、どこで、どんな暮らしをしたいですか?
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住まいの瑕疵事故、94%は雨漏り

2015年08月27日 06時42分31秒 | 住宅取材&ウラ話
さてきのうも引き続き、アース21の例会参加。
2日間の日程で1日目は会員企業その他による住宅見学が中心で
翌日は、テーマを大きく決めての研修が恒例です。
で、今回のテーマはタイトル通り。
国交省の指定する住宅瑕疵担保責任法人 日本住宅保証検査機構
通称JIOさんから講師を招いて、事例について学びました。

で、講演を聞いた後、
今度は、会員同士による活発な事例紹介、意見交換会。
JIOさんの事例はどうしても全国規模での事例紹介で、
外壁がモルタルで通気層もなく、
下地もきちんと施工されていない物件であるなど、
北海道の進化した家づくりの実際とは、相当に違いもあって
やや縁遠い内容であったのに対して、
会員同士の事例紹介では、ちょっと1枚の写真が出てきた途端に
「これは・・・」と即座に多数から発言が飛び出してくる。
活発と言うよりも、百家争鳴とでもいえるようなカオス状況(笑)。
とくに開口部周辺の防水対策については
たいへん活発なやり取り、実際的な発言が相次ぎました。



窓回りの通気層の確保の仕方、水処理は、
対応すべき建材の種類によっても千変万化していく実際が明瞭になって来ます。
軒の出が確保されなくなってきている状況の中で、
窓回りの防水は、施工にあたる事業者にとって、最大の問題。
とくに樹脂サッシ自体の劣化が原因と推定される事態も発表されていました。
その会社の手がけた建物ではなく、
築後20年以上の鉄骨造の住宅での雨漏り原因を調査してきて
考えられる可能性を丹念に潰してきた結果、
どう考えても、鉄骨駆体に接合されている樹脂サッシ隅角部の
劣化破断しか考えられないという状況が報告されていたもの。
さらに北海道で多い、ガルバリウム鋼板外壁と、
建て主さんのたっての希望で取り付けたサンルームとの取り合いで
事故が発生した原因調査も発表がありました。
この場合も、原因特定までに時間がかかり、
ようやく、外壁下端の排水穴とサンルーム接合部の処理という
結論に至るまで、大きな苦労があったそうです。
その論議の過程では、なぜデザイン的にも劣化せざるを得ない
サンルームを希望されるユーザーがいるのか、
その原因推定まで論議が及んで、その対策までが話し合われていました。
北国では雪かき作業が隣人同士のコミュニケーションの機会にもなっていて
その「ちょっとした会話の場所」として、
こうした空間装置が欲しくなる動機が解明共有され
それでは、もう少しデザイン的にも優れた装置化が対応として
工夫されても然るべきではという意見も出ていました。

まことに実際的、現場的な意見交換で
ふたたび三度、大いに勉強になった次第であります。
住まいと水のコントロール、永遠のテーマでありますね。




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2×4先進地・十勝で「かわいい」在来木造

2015年08月26日 05時47分51秒 | 住宅取材&ウラ話


きのうから北海道十勝にて、北海道の工務店グループ
「アース21」の十勝例会に出席しております。
おおむね、2カ月に一回のペースで道内各地に集まり
地域の家づくりを見学しあい、お互いの情報交流、地力アップを
図っていく趣旨で継続してきています。
全国規模でも、さまざまなこうした工務店による研鑽組織はありますが、
やはりレベルにおいて、大きく隔絶した活動を行っています。
現場力を持った工務店から、生々しい声を聞ける意味で
わたしの諸活動においても、中核的な情報交流の場になっております。
地域の工務店さんばかりでなく、
さまざまな職方の専門家のみなさん、またメーカーさんなど、
幅広く情報を交換できるのは、まことに稀有。

北海道十勝は、2×4工法が圧倒的に強い土地柄。
地元に根ざした工務店と設計事務所のみなさんが、切磋琢磨してきた
メインカレントの動きがあります。
日本の2×4工法は、最初の段階で「市場占有」的な大メーカーが
初動段階で、技術的な十分な深まりのない中で一気に大量に
市場投入された。
ところが、それらが技術的な困難に直面し、
性能的な欠陥をさらけ出したりしていた。
そういうなかで、北海道十勝では地道に、年に2棟3棟といった
少数のフロンティア的な住宅が建てられ、
それを地域の工務店・設計事務所が徹底的に検証し、
欠点について大いに忌憚のない論議を繰り広げてきていた。
そういった市場導入段階での、技術的試行錯誤が、
建築技術のベースを構築し、揺るぎない工法の確立につながり、
いまや、地域の木造建築で圧倒的な主流になっている。
このことは、地域のものづくりのひとつのプライドと言えるでしょう。



しかしまた同時に、こうした2×4工法の進化拡大と歩を合わせて
在来工法の技術革新も、少数のみなさんによって追求されてきた。
写真の住宅は、十勝で活躍する水野建設さんの最新住宅。
床面積の小さな住宅ですが、
熱損失計数は、Q値で1を切っている建物。
しかも木材は無垢であったり、集成であったりするけれど、
ほぼ地元十勝産の「カラマツ」が使われている。
構造も、野太い5寸の大黒柱が2本、力強く立ち上がり、
屋根にも登り梁ががっしりとした質感を見せている。
2×4工法とはまた、ひと味違う空間の美しさを感じさせてくれます。
シンプルで3色トーンで「かわいらしく」デザインされた外観。
破風端部がシャープにカットされていて、
軽快感がいっそう際だっている。
また、玄関周りの小屋根と雨樋もまことにバランスがいい。
薪ストーブの煙突もアクセントとして秀逸。
十勝で、在来工法も頑張っているなと、楽しい気分になりました。


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縄文の移動交通手段・丸木舟制作

2015年08月25日 06時51分24秒 | Weblog
きのうもご紹介した、新潟県立博物館ジオラマであります。
さまざまな「縄文時代」の生活シーンのジオラマにたいへん力を入れられているようで
その旨、帰り際に館員の方に申し上げたら、ニッコリされていました。
縄文時代は、まさにわたしたちの生活文化のマザーのような
まるで揺りかごを感じさせてくれる時代だと思います。
まだ、言語は解明されていないし、もちろん表記された文字は発見されていない。
たぶんなかったのでしょうが、しかし、火炎土器のデザインや
土偶の表現力、加工力をみれば、その文化レベルの高さは
同時代の世界の新石器時代文化の中でも、特筆できるものでしょう。
わたし的には、あの火炎土器のデザインには、
なにかのメッセージ性、同時代人ならば感受しうる伝達性が
あったのではないのだろうかと、妄想を抱いたりもします。
そうした時代観に、このジオラマはまことにふさわしいリアリティを与えてくれる。
わたしなど、ほとんど夢中になった次第であります。
こういったジオラマは、学芸員さんたちの研究成果と、その到達点を
きわめてわかりやすく、わたしたちに伝えてくれる。

この列島社会において、
いろいろな交流が起こっていたことは当然でしょうが、
その移動交通手段の発展の仕方について
わたしは強い興味・関心を持っています。
人類はそのごく初期から、「交易」ということを社会に組み込んでいた。
世界史の分類で言えば、新石器時代であるこの時代に、
日本各地で、北海道が主要原産地である鋭利な「黒曜石」石器が発見される。
以下、Wikipediaより抜粋。

網走支庁遠軽町(旧白滝村)白滝遺跡群
北海道の旧石器遺跡を語る上で、何といっても一番目に
取り上げなければならないのが旧白滝村の黒曜石採石場跡である。
町内、赤石山(1172m)の山頂付近(800m)から無尽蔵(推定60億トンともいわれる)
ともいえる黒曜石を採取し、山の上から、粗砕き(700m)を行い、
分業で、簡易加工(500m)して各地に運ばれている。
採石場の活用は6千年間に及ぶといわれている。
白滝の黒曜石は、北海道内はもとよりサハリンやシベリア、
縄文時代の青森県三内丸山遺跡にまで及んでいる。

といった事実があるのです。
石を加工した道具を使って、移動交通手段を作り、
より利便性の高い物産を交易していた。
このジオラマから、縄文の人たちの抱いたであろう時空間を超える夢が
なんとなく立ち上ってくるような、妄想を持ちました。
こんな手作りで作る丸木舟を、より精巧につくることで、
より遠くの人々と、よりよい出会いを可能にしたいというかれら先人の願いが、
残照のように、聞こえてくるように思われるのです。
あるいは、隣の集落に交易に行って、
その地の娘さんになにか、プレゼントでもして、
「あら、ステキな丸木舟ね、今度いっしょにどこかへ行きましょう」(笑)
なんていうようなロマンスが、若者の脳裏に浮かんでいたかも知れない。
人類進歩のカギとしての非日常性が、
こうした交易要素には、仕組まれているように思う。
先人を想起する、まことにすばらしい機縁を提供してくれていますね。

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ニッポン人の基底文化、非農耕定住・縄文

2015年08月24日 06時28分32秒 | Weblog
歴史というのを、文字に書かれた記録からだけ見るのは
やはりかなりヘンなことなのだと最近、強く思ってきます。
文字記録はたしかに、人類の大きな革命ではあったけれど、
それはどうやら「農耕」とワンセットの文明装置にしか過ぎなくて、
これまでの「歴史」では、その記録以前には、
そもそも「知性」が存在しなかったかのようになっている。
ほとんど半裸のひとびとが、ひたすら野山を駆けまわっているイメージ。
でも、こういう考え方、仕分け方では、
人類進化は、農耕社会化からしか始まっていないようなとらえ方になる。
考えるまでもなく、その段階までに成し遂げられていた生活革命が
文字記録によって書き留められるようになったということでしょう。

日本列島を現生人類の「グレートジャーニー」が通ったのは、
たぶん、3万年かくらいの以前なのでしょうが、
その段階では、基本的に陸上動物の狩猟が食糧確保の基本戦略。
その土地での陸上動物の個体数と人類の個体数バランスで
食糧確保の定量が定まり、それを飽和する数の人々が
さらに北方を目指して、アリューシャン列島からベーリング海に向かった。
基本的には列島内部で、狩猟採集生活を営む人類がいただろうけれど、
そうしたかれらのなかから、生活革命がはじめられたに違いない。
1万3千年前くらいから、海生動物を主要な食糧源とする定住が始まった。
それまでの狩猟生活が主に陸上生物資源の捕獲だったのが、
魚類を主要食源に変えたというのは、たいへんな「生活革命」。
そこから、大陸で始まったコメ農耕技術、社会がこの列島にもたらされる、
直近の2000~2500年前からの弥生まで、
この縄文社会が、1万年程度継続して、くらしが営まれていた。
たしかに農耕とワンセットである文字記録は、文化としてそれを持たず、
「歴史」ははじめられなかったかも知れないけれど、
この列島でのくらしようの「基底」的な文化伝統は形成された。
読書スピードが遅くて、このブログでご紹介した
「人類史のなかの定住革命」はまだ読み終えていないのですが、
先日の新潟出張でチェックした長岡市の新潟県立歴史博物館で
写真のような克明なジオラマを見ることができました。



まさにいま、読み進めている「非農耕の定住」世界が、
非常に鮮明なビジュアルで迫ってきておりました。
この縄文の暮らしの中で、発展してきたさまざまな「知恵」が、
わたしたちの血肉の中に、たくさん息づいているに違いないと確信します。
文字記録はそれらを前提にして、それを記録はしただろうけれど、
暮らし方それ自体の創造は、縄文1万年の積層のなかで行われた、と。
この写真で言えば、魚類の種類に合わせた調理・処理の仕方の文化、
その季節的循環を「旬」として認識する生活感受性。
漁撈生活を支える道具の考案とその生産システムの案出。
こういった一例のような「生活文化」が、積層されたのだと思うのです。
そして、そういったなかから、
わたしの基本興味分野である、定住の基本としての
「住宅づくり」も開始された・・・。
まことにくらしようを創意工夫する文化の揺りかごとしての
縄文文化は、いまもわたしたちの生活の基底的部分で息づいていると。
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アート表現の社会性と存在意義

2015年08月23日 08時12分59秒 | Weblog
さて越後妻有トリエンナーレで大量の野外芸術に触れてきたわけですが
アートによる「地域おこし」の成功事例として
繰り返し語られてきているのだそうです。
芸術というのは、いわば顕教的な約束事が支配している
覚醒している真昼の世界の論理で考えても仕方がないところがあって、
正しいでもないし、間違っているということでもない。
そこで表現されるものには、一般解はない世界だと思います。
しかし、こういう芸術表現物が、現実世界のなかで共存することで、
人間の創造行為一般の姿の方が、おぼろげに見えてくる。
わたしには、芸術の無用性を見続けることで、
むしろ、人間社会の「有用性」営為の巨大さのほうが浮き立って見えてきた。
アートの旅が終わったとき、ボランティアでガイドをしていただいた方に、
そんな率直な感想を申し上げたら、
「そうなんです、総合ディレクターの北川フラムさんも同じ事を言っていました」
というお答えが返って来ました。
人間の止むにやまれぬ営為、食料生産であったり、
生きていくためのものづくりの営為の巨大さの方にこそ、圧倒的に打たれる。
千年も続いてきた棚田の自然改造努力には、
まことに、人間営為の崇高さが込められていると思いました。
そういう営為の中で無用性が点在することの意味って、
やはりそういうものではないかと思ったのです。
その無用性にも、しかし、作品としてのレベルというものは存在する。



で、きのうはある映画の上映会に。
「ありがとう農法」というのを実践している方のドキュメンタリー映画。
農薬を一切使わず、雑草まで元気いっぱいに伸ばしている農地で
個性豊かな野菜を作ってきているということ。
子どもさんを不慮に失い、そこから生命の力強さに打たれ、
こうした自然農法にチャレンジをはじめたということ。
そのことは理解出来るし、まことに人としての共感も持ちました。
ただ、それを映画作品としての「表現」としてみたとき、
誰でも感じるであろう、「なぜおいしいのか」「どうして可能なのか」
ということについての当然の「疑問」に対して、
作家・監督に、そういった部分の探求姿勢が、驚くほどに感じられなかった。
ただただ、生産者の談話をつなぎ合わせて作品構成している。
「氷室」を使って出荷管理しているそうだけれど、
その「氷室」の構造についてすら、まったく触れられていない。
お伽噺・ファンタジーとしてはいいかもしれないけれど、
それがひとびとの口に入る食品である以上、
最低限の科学的態度は、欠かせないのではないか、
そこを飛ばして自然のままが素晴らしい、と論理解析を抜きにしてしまっては、
せっかくの農法開発努力に対しても、誤解を与えてしまうのではないか。
作品制作者は、ひとにものごとを伝える立場である以上、
そのような配慮、興味を基本に持っているべきではないか、
そんなちょっと残念感にとらわれておりました。

<写真は現代芸術家・川俣正さんの作品と、新潟空港の硝子絵>


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中国経済リスクと世界平和

2015年08月22日 06時58分14秒 | Weblog
経済の動向は、引き続いて政治にも連動する。
すべては経済がどうであるかによって、基底が決まる。
2度にわたる世界大戦は、結局は世界経済の行き詰まりのなかで、勃発した。
とにかく経済をなんとかコントロールするのが、
平和を維持する最大の力になることだと思います。
安倍政権の支持率が、
誰がやっても不人気な安保政策をやっても
それでもなお、過半数近い支持があるのは、
なんといっても、経済立て直しの努力姿勢が明瞭に伝わってくるから。
その経済の世界で、非常にセンシティブな動揺が見られてきた。
中国の経済状況悪化が、どうやら現中国指導部のコントロールを超えて
誰の目にも明らかになってきたことです。

資本主義を、1党独裁の共産党政権がコントロールするという
およそ、誰も考えられなかった未知のことが、現代中国で行われて、
比較的に単純な「開発独裁」段階から次の
「民主化」による自立的な「市場」経済環境形成という段階に至って、
独裁政権にはそもそも「無理筋」。
結果、さまざまな危機の噴出が避けられなくなってきた。
さて未知の領域では、どんなことが起こるのだろうと注視していました。
開発独裁の結果、過剰流動性はどんどんと肥大化する。
経済をコントロールするのが独裁政権ということなので
共産党指導部体制では、汚職腐敗は避けられない。
指導部周辺や成金たちによる金遣いは荒っぽいものになる。
「理財商品」という金融商品が幅を利かせていたそうだけれど、
比較的に市場性のある資産形成市場である住宅不動産も
金融商品という側面だけで発展した結果、
市場の相場を無視したバブル価格になって不動産市場が低迷。
そもそも育ててこなかった中間層ですら、
本来まったく買えるハズのない価格がまかり通っていた。
そこで、バブルの崩壊が顕著になってきて、
行き場を失っていた中国国内マネーが
今年前半、政府の後押しもあって上海市場になだれ込んだ。
しかしその上海市場の株の大暴落、政府による管理、
というような状況に立ち至って、元の切り下げにも手を出すなど
苦境からどうやって脱出しようかと、中国指導部が混乱を見せてきている。
天津では化学製品のコントロールが破綻し、大爆発事故が惹起したが、
どうも中国共産党指導部は、統治方針が見えなくなっているようだ。
共産党独裁という政治形態では、情報が操作され、
もっとも不可欠な情報の「透明性」という経済の生命線が確保できない。
いまの中国の首相・李克強さんが自国発表の経済統計を信用せず
まったく違う尺度で経済をチェックしているという報道があったけれど、
いまたぶん、中国では目を覆うような経済の現実になっているのだと思う。
右肩上がりの時には、「開発独裁」政治はかえってうまく機能するけれど、
その権力の存在自体が、次の段階ではいちばんの障害になる。
民主化され、情報がオープンにされて、はじめて
「経済の処方箋」が明確になってくるのが、人類社会の普遍的経験値。
そして経済的な混乱から自国民の目をそらさせるのに手っ取り早いのが
対外的緊張、排外主義であることも、人類社会の普遍的経験値。
平和はこうして乱されるということを肝に銘じていなければならない。
アメリカからは、元の切り下げを主要な対象として
「輸出主導ではなく、内需主導型に経済運営を切り替えろ」というメッセージが
中国に対して発せられている。
共産主義と資本主義という両性世界を生きてきた
中国共産党指導部は、はたして平和的に混乱を収束させられるのか、
また、中国社会は平和でいられるのか、
非常にセンシティブな領域に
足を踏み入れつつあるように感じられてなりません。


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