性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

住んできた家々

2010年03月31日 06時06分36秒 | Weblog




ひとそれぞれ、住んできた家って、
そういう居住体験って、違いがあるものだと思う。
わたし自身の居住体験って、
考えてみれば、たいへん変わった居住体験を過ごしてきていることに
あらためて気付いた次第です。
わたしは、いまは北海道岩見沢市に編入された「栗沢町」の農家住宅から
居住体験がはじまるようです。
3歳になる前に札幌に移転して、市内中心部に住み着いた。
その家で、家業が食品製造を営んだので
毎年のように、いまでいうリフォーム工事が行われていた記憶がある。
商売の関係で建物設備への活発な投資が必要だったのですね。
それこそ、まるで生き物のように建物が改造変化されていく。
でもついに間尺に合わなくなって
満10際になる頃には、全面的な建て替えを行った。
そのときには、仮住まいのために建設会社の土場の2階を借りていた。
それはそれで、面白い体験として強烈に記憶に残っている。
徒歩では通学できなかったので、バス通学も経験して
新鮮な感覚がうれしかった記憶がある。
商売を始めて7~8年くらいで工場設備付き住宅を
全面的に建て替えたのですから、まぁいい時代だったのですね。
その住宅も、毎年のように手を加えていた。
工場の棟はブロックで作ったりしていたのです。
新築の家には、ずいぶん思い入れを感じていたように記憶している。
大工さんの作業を飽きずに眺め続けていた。
一度、大工さんの工具に手を触れたら
それまで優しかった大工さんの表情が一変して
「だめだ!それにさわるな!」とこっぴどく叱られた。
家族が多かったので、その家族の個室を全部は作れなかったのですが
やがて、工夫して個室をくれたりした。
その家も、建てて7~8年で
前面道路の拡幅工事のために敷地が買収されることになったので
わたしが高校に通う頃、15~16の頃には
売却して移転することになった。
それまで60坪ほどの敷地でやっていたけれど、
移転先は300坪ほどの敷地を確保することができた。
・・・、そんなような居住体験を経てきています。
考えてみると、ずっと建築工事と付き合ってきたような
そんな少年時代だった気がします。
13~14年くらいの間に、実に多様な家に住んでいた。
そんな経験が、いまのような仕事のベースの体験として
何らかの影響があるのかも知れないなぁと、
最近になっていろいろと考えてきている次第です。

で、そういう体験って、
生き方とか、暮らし方っていうようなものに
どんな影響をもたらすものなのか、
ちょっと興味を持ち始めているところなのです。さて・・・。






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子どもたちの世代

2010年03月30日 05時57分48秒 | Weblog




きのうは友人の母親の葬儀に参列。
直会(なおらい)まで出てくれということだったので、
葬儀後、いろいろなひととお話しして参りました。
友人のこどもたちとも話ができて楽しかったです。
最近は、そういう年代の人たちと話すことが重なっています。
わが家はまだ下の坊主は中学校2年生なので
まぁ、ようやくすこしはよもやまの話をできるくらいの年頃。
友人たちの子ども年代の多くは社会人になってきているので
考えていることとか、話していて楽しい。
そこそこの就職ができて首都圏で働いているそうですが、
どんな思いを抱いているのか、
聞いていると、わたしたちの若い頃と変わらない思いを持っている。
首都圏での暮らしに違和感は持っている。
経済的には地域での有利不利はわかるのだけれど、
やはり北海道の暮らしへの思いというものはある。
端的に言って、やはり首都圏の暮らしは、満たされないものが多い。
刺激もあり、経済ももっとも活発ではあるけれど、
結局、いごこちが良くない暮らしなんですね。

日本の現状では、地方で経済活動を継続していくというのは
たいへんに厳しい状況に置かれている。
不動産の価格動向が発表されたけれど、
前年と比較可能な全国約2万7千地点のうち、
上昇したのは僅か7地点というような状況で、
ほぼ、土地価格というのは20年近く、
地方では下がり続けているように感じられる。
先日も室蘭に行ってきたけれど
市内中心部にあった地方デパートがシャッター下がったまま。
市内の最大の中心街地域なのに、買い手が付かない。
経済活動の基本である土地価格がこうまで弱含みでは
まぁ、投資意欲はまったく出てこない。
なぜここまで弱気な経済になってしまったのか。
政治が、大きな枠組みでの方向性を打ち出して
それに向かっての政策誘導を行って、
活発な民間の投資を促すしかないけれど、
小沢問題とか、ほとんど意味のない政治への萎縮効果で
民主党の改革への期待感を急速にしぼませてしまった。
現状でいえば、ここまでしぼんでくれば、
民間や地方の経済意欲は盛り上がりようがないレベルではないか。

しかしこういう現状だけれど、
若い人たちは、これからの社会を作っていくことになる。
かれらがのびのびと生きていくことに喜びを感じられるように
わたしたち年代は、知恵と工夫を絞っていかなければならない。
そんな思いで、お話しておりました。
<写真は長谷寺の地蔵さん>






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住まいと祈りの空間

2010年03月29日 06時44分08秒 | Weblog




最近感じていることなんですが、
現代の住宅と、昔の住宅のいちばん大きな違いは
「祈りの空間」が装置されているかいないか、ではないかと。
現代建てられている住宅では、
いろいろ取材に行きますが、極度に採光が重視され、
内省的に、内面に向き合うような空間っていうものが
ほとんど見ることができない気がします。
一方で、歴史的住宅で「祈りの空間」を持っていない住宅は
ほとんど皆無といって良く、
必ず仏間とか、神棚とか、家の中のいい場所にあった。

なぜこういう風になってきたのか、
たぶん考えられるのは、戦前まで存続してきた「家」制度が崩壊したこと。
戦前までは、戸籍でも「家長」という概念があって、
家の存続ということが、個人というものを超えていた。
住宅を建てるということは、抜けがたく
「家の存続」という観念とつながっていた。
昔の武士が、自分の死の恐怖を超えていくのには
家の存続という、引き替えの価値がものすごく高かったからなのでしょう。
戦場で死線を越えていくときに、それを見取って確認してくれるのが
武将であり、家の存続の保証者だったのだと思います。
そのような多くの死があって、家が存続してきた。
そのことへの敬意を確認することが、家の中の「祈りの空間」だった。
まぁ、武士に限らず、そういう観念が大きかったのでしょう。

現代建てられている住宅って、
基本的に、個人主義に基づいて建てられている気がする。
家中心ではなく、建てる個人中心ということ。
長期優良住宅、という概念が語られ始めてから、
どうもこのことが大きく引っかかってきてならない。
長期にわたって住み継がれていく住宅というものは
おのずと、こういう意識についての明確な部分が必要なのではないか。
その家系が存続していくことについての祈りの空間。
どうもこういう論議がなく、
ひたすらに建築技術的なことだけに論議がいっている。
祈りの空間性を持たない住宅が、永く住み継がれていくのだろうか?
このような論議は、不毛なのだろうか?

こういうことは、建築の問題以前に社会の問題でもあるので、
建築的部分だけでは論議しきれない問題ではあるでしょう。
現代ではほとんど、家で人間が死ぬことはないわけで、
ひとの生き死にと住宅の関係が
薄まってきているということを表しているのかも知れない。
いまや「畳の上で死にたい」という概念は死語なのかも知れない。
まぁなかなか論議を起こしにくいことなのですが、
すごく気になっています。
歳を取ってきた、ということなのでしょうか・・・。






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和風料理店前の水路

2010年03月28日 04時57分44秒 | Weblog




川越を散歩していて、
思わず見とれてしまった店前の水路です。
そばとか、和風料理を出すお店だったのですが、
こういうしつらいでお客を迎えておりました。
聞いてみたら、自分の店で井戸から水をポンプで汲み上げ
建物のまわりに水路を造作して作っているということ。
まぁなんとも風情の感じられる造作。
江戸期の都市建設では、
こういう水路が町に通されたりしている例がありますが、
まぁそういう類のものではないということ。
なんですが、こういう水路、火消しのためのきわめて合理的な工夫でもあります。
そういう用を果たしながら、
デザインでは、まことにみごとに建築を引き立てている。
日本は水が豊富な環境に恵まれていますが、
金閣など、水を取り込んだデザインというのは得意の分野。
店の中には、この水路、といっても一またぎにしか過ぎませんが、
わたって中に入っていく仕掛けになっている。
一服の清涼剤、という表現をよく使いますが
まさに言い得て妙、っていうようなき気分にさせられますね。

さて、きのうは室蘭市内で講演をして参りました。
ふと会場外に目をやると
この時期としてはびっくりの猛吹雪。
高速道路も閉鎖されたということであります。
で、地元のみなさんに聞いて
名物ということで、食事の仕上げに「カレーラーメン」を。
なぜか、室蘭って独特のキッチュな味覚が流行る。
焼き鳥も、鳥ではなくて豚なんですが(笑)
このカレーラーメンも、まぁ外道系ながら、引きずり込まれる(笑)。
でも案の定、スープがはねてワイシャツにシミが(泣)。
どうにもやれやれであります。
充分注意はしていたつもりなんですが、
どうしても、スープと麺を「ズルズル」と楽しんでしまう方なので
こういう風になりやすい。
味は、まぁ、なかなかうまい、というように申し上げておきましょう。
本日は登別温泉に寄り道していきたいと思っております。
温泉好き、ラーメン好きという
絵に描いたような庶民的趣味であります(笑)。





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江戸期のからくりシャッター

2010年03月27日 06時20分44秒 | Weblog




きのうの続きの川越の商家・大沢さん家です。
小江戸といわれるだけあって、啖呵のいいご主人でしたが
独特の言い回しの端々に、この家への愛着が感じられました。
で、説明していただいてびっくりしたのが
写真に収めた「からくりシャッター」。
商家建築として大きな開口部を取って、通り正面に対して開かれているので、
防犯や防火の意味からも、今も昔も「シャッター」的な装置は欲しい。
でもシャッターって、薄手の金属加工と巻き上げ機械など、
近代工業品であることは明らかであり、
この手の装置の普及も、日本の近代化以降にあらわれたものと思っていました。
しかし、精巧な木工技術の粋の国ニッポン。
やはりそういう工夫はあったようなのですね。
駆け足での聞き取りで、本格的に取材という形ではなかったため(笑)
写真は、そういう説明としては不十分なのですが、
鎧戸のような木製の頑丈な上下建具を、上に向かって収納させて
昼間は開けておき、閉店時には降ろして使っていたようなのです。
重量物とはいえ、それを保持させておく仕掛けも木製品で工夫されていました。
建築の側では、そういう鎧戸を収納させるために
太い梁で枠を構成させていました。
まぁ、重いので若干は苦労したでしょうが、
江戸期の男性はキン肉マン系の男が多かったということ(笑)なので、
それほど問題にはならなかったのでしょうね。
ちなみに、江戸期にほっそりとしたなよなよしい男性、
歌舞伎の女形のような男性が美男子とされたのは、
ないものねだりの心理だったということだそうです(笑)。
柱の太いケヤキに一部タテの欠き込みがあるのは、
そのスライドレール的な役割だったようです。
江戸らしく、構造は総ケヤキ造りということで、頑丈な蔵建築を支えています。
床面にはこの鎧戸を受けるように石材が敷き込まれています。
伊豆のほうから運ばれてきた石、というお話しだったように記憶しています。
大名庭園などで、全国各地から運ばれてきた石材を
まるで石の博覧会のように見ることができます。
ああいうのって、江戸城の普請工事のような活発な公共事業で
産業が刺激され、こういう町家建築でもさまざまに活用されたようですね。
全国の石材の生産地ごとにその性能などを比較対照するような
そういう類の性能的審美眼を育てたのは
きわめて日本的な現象だったのではないかと推測します。
ひとつの建築から、いろいろな事が見えてきて
大変に勉強になります。






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「下屋」の意味

2010年03月26日 07時19分05秒 | Weblog




写真は、以前に見学した川越の商家内部。
大沢家住宅という建物なんですが、
ちょうどご主人もいたので、いろいろ建物の内部を説明していただいた中で
いわゆる「下屋」の意味について学ばせてもらったのです。

日本では、「町」というものは「通り」の周囲に形成されたもの。
ひとの通りであるとか、
区画同士の結界としての分岐筋というようなものに沿って
賑わいが形成され、おのずと商家が成立し、
「町家」というような建築形式が成立していった。
現代の住宅って、こういう町家建築を基本にして、
農家住宅の諸機能一体性をプラスした住居形式ではないかと思っています。
現代以前の歴史的住宅のなかで、
現代住宅にもっとも近しいのがこういう町家だと思うのです。
で、こういった町家から、いろいろな知恵を学ぶことが
もっと必要なのではないかと考えているのです。

町家は集合的な住宅であり、
コミュニケーション機能、通常は商売の場として
来客との交流を重視した建築様式。
この写真では、主屋と「下屋」のつながり部分を撮影しました。
下屋って、基本的には主屋の長期延命性重視に対して、
むしろそれを守るような、傷みやすい部分を保護し、
より簡易に建て替えられるように配慮しているもの。
ここではこの下屋の軒先部分の距離が2mくらい配置されていました。
写真ではその中間部分に引き戸の建具が装置されています。
このくらいのセットバック距離が計算されていると、
内部の土間、ちょうど石で結界が示されている左側ですが、
そっち側まで、雨が吹き込むということがないのだそうです。
横殴りの年に数回の大雨でも、その被害から建物を守っている。
そのような中間的領域、いわばバッファーゾーンとして
下屋は構想され、デザインされていたということなのです。
この大沢家住宅では、その上、下屋天井の垂木にまで漆喰塗装され、
反射率の高い光の拡散作用を利用しています。
内部は一転して、暗く落ち着いた空間になっていて
商家としての機能性をみごとに空間デザインしています。
その上、下屋に掛けられた屋根庇が長く伸びて
内部に陳列していた呉服などの高額商品を日焼けから保護していた。
まぁ、2mのセットバック距離って、
足下も、おおむね内部土間をドロドロにはさせないでしょうね。
長期優良な家づくりというのは、
ごく当たり前に、こういう工夫を行っているものだと理解されますね。






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リプラン北海道最新号3/29発売

2010年03月25日 05時34分03秒 | Weblog



本日はPRであります(笑)。許してください。
北海道で発刊してから季刊誌としてことしで22年目になります。
日々、新しく、常に「次の号は最高に面白いですよ」という気持ちで
作り続けてきています。

今回特集で取り組んでみたのは、「階段」です。
え、なに、階段? 
っていう反応があるかも知れません。
でも、一般的な住宅だと、敷地条件の厳しい現代では階段は必須要件。
それがどのように意図されているかって、
その家のプランニングでけっこう決定的だったりする。
すくなくとも動線計画の主役ではある。
「家を使っていく」ときには、突然主役的な立場になることなんですね。
実際にわたし自身も家を建てたときに、
階段って、なんて重要なポイントなんだろうって
つくづく思い知らされたものです。
個人的には、小さいとき、冬場など外で遊べない時期には
階段があそび場だった記憶も大きい。

そんな思いを抱きながら、特集で考えてみた次第です。
以下、主な特集内容です。

Replan北海道vol.88 2009年3月29日発売
2010年3月29日発売・2010年春夏号・A4版・定価480円(税込)
【特集】空間を豊かにする 「階段、再発見」
「階段を考えて、家をつくる人はいない。」確かにそうかもしれない。
しかし、そこには空間をより豊かにする何かがあるはず。
スキップフロアでの視線のコントロール。家族をより深くつなぐ、
デザインと機能。そして、あえて設けた床の段差もある意味、階段。
単なる移動手段という役割だけではない、個性豊かな階段を持つ住宅を例に
その秘密を探ってみると、改めて見えてくるものがあるかもしれない。

Contents
●特集/空間を豊かにする 階段、再発見
●家選びの新しい選択肢。リフォームを変える「北海道R住宅」
●Report 地域ビルダーが結集 北方圏住宅サミット
●今、知りたい「住宅版エコポイント制度」
●自然の力を味方につける「パッシブ」デザイン
●建築写真家・安達 治 ZOOM UP 住宅56
 「棲華崖」Team PUH
●北の建築家/「HOUSE K」高木 貴間
       「籠庵」中山 眞琴

っていう次第であります。
わたし的には、サブ特集の「パッシブデザイン」と「北海道R住宅」も
最新の北海道の家づくりを知るためには欠かせない情報だと思っています。
こちらで直接購入もできますので、ぜひどうぞ。480円は安い!

WEB通販コーナー

最近は先日朝日新聞に広告したお陰で、
全国から電話で直接購入の問い合わせが入ってきます。
「高断熱高気密」住宅の実態、デザインと性能のバランスを
実例として、わかりやすく読者にお伝えするメディアって、
なかなかないのかも知れません。
寒冷地では、それが当然であって、ごく普通に建てられている住宅です。
そして、性能要件だけではなく、みんないいデザインの住宅を求めているのです。
「暮らしやすくて、仕立てのいい家」
当たり前の欲求ですよね。






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建長寺・格天井額絵

2010年03月24日 06時49分01秒 | Weblog



私のブログ、いくつかのブログサイトに書き込んでいますが、
その内のひとつでは、毎日のアクセスが出ます。
見ていたら、最近、ページビューが増えています。
ついに4桁台に突入いたしまして、びっくり。
来ていただいた方が、ついでに過去のページもチェックするということ。
たぶん、連休でチェックしなかった方が、
久しぶりに見て、まとめ読みしていただいているのでしょうか?
いずれにせよ、見ていただく方が増えるのはうれしいので、頑張ります(笑)。

毎日、一枚ずつの写真とそこからつながる話題、
っていう構成にしております。
気になったポイントではたくさんの写真を撮るので
必然的にそのテーマが増えざるを得ない。
で、本日も鎌倉建長寺の話題で恐縮です(笑)。
まぁ、大仏さんや鶴ヶ丘八幡、長谷寺など、ほかの所にも行っていますが、
わたし的にはやっぱり建長寺がいちばん見どころがあると思います。
なんというか、寺の格がどうも一段違うように思えるのですね。
王朝国家の奈良、京都の国家建設寺院と同様の格式を感じるのです。
平将門からずっと続いてきて、やっと成立できた「東国国家」として、
そういう自主独立の気概、西国国家に対する気負いのような
部分が、どうにもあふれ出していると感じさせられるのです。

写真は、仏殿の天井の様子であります。
すすけていて、なおかつ照明もなく暗いので
よく見えないのですが、Photoshopで若干の修正を施すと
こんなように見えてきます。
格天井の1枠ごとに、金箔の額絵が飾られております。
壁面にも同様に金箔絵画が飾られているようですが、落剥が激しく
絵柄が判然としません。
しかし天井の方は、明確に鳥の絵が見て取れますね。
たぶん、天上世界を乱舞する「極楽鳥」の様子ではないかとモチーフを想像します。
この仏殿は江戸期の「霊廟建築」の移築ということなので、
描かれている世界は、日光東照宮のようなキッチュな極彩色感覚。
禅の寺としては、どうも似合わないようではありますが、
しかし、建築としては大変面白い意匠性を持っていると思います。
こういう内部意匠なので、すすけているのではもったいない。
極彩色曼荼羅的世界をぜひ、復元して見せてもらいたいと思うのです。
こういう絵画修復、建築復元の記録映像などを
何度も見ていますが、まことに気の遠くなるような作業なので、
大変だとは思うのですが、期待したいなぁと思う次第であります。
そもそもが江戸にあったものをわざわざ移築したという建築なので
そういう国家的財産であるという意識は幕府政権は持っていた。
まぁ、その目的が徳川氏連枝のための霊廟建築、という点で、
多少、割り引かれる部分は出てくると思いますが。
どうなんでしょうか。







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渡来僧・蘭渓道隆

2010年03月23日 06時36分02秒 | Weblog




ふたたび建長寺関連であります。
どうもすっかり気に入ってしまっております(笑)。
いろいろな縁起に関する事を知れば知るほど
面白みが出てくるのですね。
この建長寺では、境内で中国語が話されていたということ。
本格的な禅の導入ということで、
中国からその流儀を直輸入した、ということなのです。
で、その大元になる僧呂も中国から派遣を依頼して
当時32才という気鋭の僧・蘭渓道隆というひとが来たのです。
写真の木は、ビャクシンというヒノキの仲間の針葉樹で
当時、日本にはなかったか、希少であった木だそうで、
かれが本国から持ってきたものだそうです。
禅の流儀や教義を教え込んでいくのに、
こういった植栽など背景文化もまるごと持ち込もうと考えたのでしょう。
この地に植え込んでから800年近く、
近年、痛みが目立ってきているので修復に当たっているようであります。
つい近くの鶴ヶ丘八幡の大銀杏が倒壊したこともありますが、
そろそろ鎌倉という関東の都市文化も、そういう時期に差し掛かってきたのでしょう。
こういう人間ごと、その外来文化を持ってくるというのは、
鑑真などの例でも知れるように、日本の文化導入の基本的なスタイル。
明治の頃の北海道開拓のケプロンやクラーク博士なども含めて
日本の伝統的なやりかたなのでしょうね。

なんですが、かれは運悪く
元による日本侵略の時期にも当たってしまって、
日本側からはスパイのように見なされていた時期があるらしく、
何回か、この建長寺から追われてほかの寺に移ったりしているようです。
禅の教義の純粋性を教えるのに中国語を使っていたことが
日本側に無用な懐疑を起こさせたのかも知れませんね。
かれの来日と同時に、建築技術者も同道してきていたようです。
本格的な禅宗寺院の建築とそのメンテナンス専門技術者たちですね。
木工技術者や、瓦などの技術者も来日した。
まぁ、こういう渡来文化の受容というのが日本の基本を構成している。
その点、ヨーロッパに対するアメリカのような側面が
アジア世界と日本社会には色濃く存在しているように思います。
こうした技術者から、新しい建築様式や技術が日本にもたらされ、
たとえば「唐破風」というようなデザインスタイルが導入されたのでしょうね。

はるかな800年の以前、
このような文化の交流が明確に残されていることに
また、そういう運命に自分自身の未来を託して渡来した
ひとの人生というものに、しばし思いを致してみた次第であります。






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建長寺再訪2・六重塔?

2010年03月22日 07時15分38秒 | Weblog




札幌に戻ったら、きのうの大嵐に続いて
けさは一面の銀世界に戻っておりました。
札幌でも10cmくらいは降っている感じで、お勤めの雪かき。
強風にあおられて、わが家の問題箇所が露呈しまして
急遽、屋根工事屋さんにお願いして、応急処置。
くわしくは稿を改めて、お知らせいたします。

で、建長寺の続きです。
きのうの「仏殿」は、何回かの火災の末に建て替えられた
江戸中期の建物のようです。
見学した時点では、知らなかったので、
格天井や壁面に金箔・極彩色絵画、というド派手な内装になっていてびっくり。
おおむねすすけているので良くはわかりませんが、
よく目をこらしていると、日光と同じような絵画空間が広がっています。
なので、こうした内装になっているようですね。
さすがに禅寺の本尊安置施設としては、ちょっときれいすぎる。
江戸の政権としては、そこそこに尊崇の配慮を
「源氏政権」の先輩に対して見せて、こういう施設を寄贈したのでしょう。
お寺の側も、この時代に生き延びていくために、
本旨とはやや趣を異にする建築を、ありがたく受け入れたのではないでしょうか。

っていうような印象を抱くのですが、
単純に、このすすけて見えなくなっている絵画表現は
ぜひ克明に見えるように修復保存してもらいたいと感じます。
格天井には、1枠ごとに異なった鳥の絵が描かれているようで
それらが本尊の「地蔵菩薩」像とあいまって醸し出す異次元空間を見てみたい。
まぁ、そうなると、建築それ自体の修復作業も発生すると思われますが、
鎌倉は、鶴ヶ丘八幡ばかりではないという主張のためにも
大いに声を上げて、建長寺の修復整備に力を注ぐべきだ、と思います。
写真は、仏殿に飾られていた「六重の塔」模型。
どうも創建当時は、こうした建築もあったようで、
そうすると、多数の伽藍配置が整っている、本格的国家施設寺院の
創建当時の姿が明確になってくるのでしょうね。
じっくり見ていると、こういうのが現存すれば、
鎌倉を代表するような宗教施設として輝きを放つと思われます。
しかし、現状でも修復作業が行われており、
こういった寺院の維持管理には相当の費用がかかってくるものでしょう。
時の権力への庇護の要請などが欠かせないのが実態。
移築には、そういった事情もからんでいるのでしょう。

なにやら、宗教施設の話題ですが
お金や経済敵意所管理の問題になってきて、至極世俗的ですね(笑)。






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