性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【ニッポンのいちばん古い家、箱木千年家(1)】

2016年08月31日 06時01分58秒 | Weblog


住宅の雑誌の仕事をしてきて、
だんだんと住宅への興味が深まっていくほどに、
いったい人間にとって住宅とはどういう意味があるのだろうかと
より本質的な部分に、思いが至る。
住宅を考えるということは、人間の本然を考える部分が大きいのだと
そんなふうに考えるようになってきます。
そうすると、歴史的な住居について自ずと本質的に知りたくなる。
ちょうど先日書いた、歴史作家の司馬遼太郎さんが、
「歴史とはなんでしょうか?」と問われたときに、
「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という
人生がそこにつめこまれている世界なのです」
というように答えることにしている、とその著作、
「二十一世紀に生きる君たちへ」の中で書いていますが、
そういったひとつながりが、わたしの場合には住宅、古民家において色濃く
人間やくらしをはるかに感受する機会として求めているように思います。

日本人は歴史的に5億人程度がこの列島に
1万年以上にわたって生き続けてきたとされている。
歴史人口学的なことです。
現在そのなかの1億3千万ほどが、現代を生きている。
そのおよそ3倍程度のひとびとが、歴史的にどう生きてきたのか、
古民家には、その機縁を感じられる空気感が遺されている。
さらにさかのぼれば、遺跡に残る復元された遺構にも
その残滓をたぐるよすがはあると思っています。
結局、人間の痕跡を見ることでなにごとかの対話を求めている。
もちろん、対象は無言ではあるけれど、
人間としての同じ感受力を働かせていけば、なにかのコトバが成立する。
そんな思いで、住宅というものと向き合っている次第。
現代の住宅を取材するように、こういう古民家を取材している。
「どう暮らしていたのですか?」
「こんな楽しみを感受していたのですね」
そんな質問に、ときに古民家は答えてくれるときがある。
こころの襟を正しながら、やわらかく声に耳を傾ける、傾聴する。

この神戸郊外にある箱木千年家には、2度ほどフラれてきた(笑)。
年末年始の休暇を利用して、はるばる北海道から訪ねたけれど、
はじめは年始休暇にあたっていて、たしか6日から公開と書かれていて、
その日に訪ねたら、「臨時休み」という無情のお知らせ。
やむなく飛行機で帰った記憶があります。
今回「3度目の正直」で、ご尊顔を拝し奉ることができました(笑)。
朝1番に入って約1時間半ほど、来客もほかにはなく、
ほぼ独占取材(笑)することができました。
そんな経緯もあったので、この家の方でもたっぷりと
時間をいただけたのではと、その因果応報を感じておりました。
おっと、肝心の住宅のお話しにたどりつかない(笑)。
あした、きちんと書きたいと思います、失礼しました。
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【木造技術と「文明」参加 古代ニッポン・法隆寺】

2016年08月30日 07時17分04秒 | Weblog



法隆寺というとあまりにも定番すぎるけれど、
最近は「法隆寺」という高速ICまでできているので、
他の目的地の途中で、ついこの名前を見てしまったのです(笑)。
当然高校の修学旅行などで、見ているようにも思うけれど、
それがどんなものであったか、いまは記憶も定かではない。
そう気付いてしまえば、結局住宅や木造建築のことが
人生の大きな領域になってしまった経緯が、高校時代の自分からみて、
なんとも数奇なようでもあり、また自然なようでもある。
また、仏教建築自体は繰り返し各地で見続けてきていて
そういった既視体験も踏まえて、違うように見えてくる部分もある。
今回見ていて、やはり木造の技術について
いろいろなポイントがあるのだなと魅入られておりました。

ヒノキを使って、大量のエンタシス造形や建具などに仕上げる技術と
その他、社会的工程管理などの部分に深く想像力を刺激された次第。
裳階(もこし)と呼ばれる「下屋」部分を見上げると白く彩色されている。
寺の方に聞いてみたら、白土に膠のような展着材を加えて
作られた塗料ではないかと推測されているとのこと。
この白い彩色は、いったいどんな効果を狙ったものなのか。
五重塔や金堂の最下端に加えられたことから考えれば、
白く敷き詰められた玉砂利面からの反射光を跳ね返している。
結果として、五重塔や金堂建築本体の視覚的コントラストを
より一層際だたせるような意匠装置として機能している。
しかし、基本的な機能要素は、建築本体への構造補強と
風雨による劣化対策でもあったこともあきらか。
そういった「用」としての機能性を果たさせながら、
なお、デザインとしても見事なバランス感覚を見せ、
五重塔が、実は六重に見えるまでに美の要素になりおおせている。
そして本来の五重塔のその最下部に付け足されたものなのに
配置感覚には、驚くほどの精妙さを感じる。
さらに開口部の建具(写真撮影不可)は、大木をタテにスライスした
1枚の大きな用材から彫刻されて造形されたものだそう。
法隆寺の造形の一つのパターンを構成しているタテ「垂木」が嵌められた
建具に開けられた連子窓も、
そのように彫刻技術的に造形されたものになっている。
垂木が建具本体の用材から切り込みされたものであることも
さわって確認することができました。
径の巨大な柱やこうした建具用材に掛けられた人知や営為を想起すると、
この「斑鳩」の地は、大和川の河川交通の要衝とされていることと
合わせて考えてみて、古代社会が可能にした
「公共的」建築システムの巨大さに圧倒される。
しかし発願としては聖徳太子の「私寺」としてスタートした
この民族的建築事業への傾斜のすさまじさがはるかに迫ってくる。
かの時代での技術とデザインの建築の才が総動員されたことが明瞭。
東アジア世界を覆っていた律令という国家生成システム、
それを裏付けていた世界宗教としての仏教への導入の国家意志。
そういったいわば「文明への参加」へのこの国の人々の
意志力の大きさもまた、深く迫ってくるものを感じました。

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【司馬遼太郎さん家で「対話」を楽しむ】

2016年08月29日 06時07分29秒 | Weblog


紀州を探訪する旅でありますが、
関西は奈良とか京都以外はこれまで通り過ぎるだけだったので、
夜、ホテルで翌日の旅程を考えていると
「おお、ここも、あそこも」と旅想が沸き立って仕方が無くなります。
やはりご先祖様の「痕跡さがし」は、手掛かりが見えない。
まずは「紀州」という土地の大枠を感受すること。
それから、徐々に手掛かりを丹念に「手掘り」することとした。
で、昨日はあちこちと関西圏を走って知見を重ねていました。

そんななか、どうしても足が向かったのが、
司馬遼太郎記念館であります。
わたしのこのブログを読んでいただいているみなさんには
わたしが司馬遼太郎さんの大ファンであることはご存知でしょう。
かれの全作品を読んでいるというわけでは無いけれど、
おおむね半分くらいを読み、しかし、それを繰り返し繰り返し、
もう何十回と読み続けてきている。
はじめて読んだのが、国盗り物語であったか、
関ヶ原であったか、それ以外であったか、もう忘れたのだけれど、
十代の末ころにはじめて読み始めてから、45-46年以上、
ほぼ毎日に近い感じで司馬遼太郎さんの文章と対話し続けている。
もともと新聞記者出身の司馬さん、本名・福田さんは、
著作に当たって丹念に「取材」されている様子が、文章から伝わってくる。
歴史研究者では無いけれどその調査の奥行きの深さ・広さは、
そもそも人間への興味が基本的な起動力なだけに、
歴史時間への肉薄力を感じさせられ続けてきた。
文章に接するうちに、息づかいまで身近に感覚してきたように思います。
そんな親しい存在の司馬さんの「記念館」、大阪の自宅跡ということもあり、
まさに司馬さん・福田さんの自宅を訪問する感覚。
きっとそういった感覚を共有されるボランティアとおぼしきみなさん。
ちょっとした会話もまた、司馬さんワールドです(笑)。



建築は、安藤忠雄さんの設計。
もちろん、そういう興味ももって拝見してきたのですが、
いっとき、司馬遼太郎さんとの「対話」にこころを遊ばせておりました。・
いい休日を過ごせたと感謝しております。








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【往昔紀州にて仕官たる〜高野山逍遙】

2016年08月28日 06時05分42秒 | Weblog


週末を利用して、わたしはいま紀州を巡っております。
わが家のご先祖様、いまから250年前くらいを生きられた
「寛蔵」さんと言う名前の方が遺された手記がありまして、
その手記のタイトルに「原氏由来の事」と記されているものがある。
「往昔紀州にて仕官たるところ、慶長年中、故ありて浪人と相成る」
と書き記されている。無論わたしの名字は三木なのですが、
この家には夫婦ごと「養子」として、「入家」したとされている。
江戸期のことなので、家というものはなかば法人格であり、
必ずしも血縁関係だけを重視していない時代として、あり得る事態。
まぁたぶん現代の企業取引、M&Aに近いようなことと理解される。
いまから270〜280年前頃のことのようなのです。
で血縁としての家の本来の名字は「原」であると、由来を書いている次第。
そのM&A取引の余韻さめやらぬ時代を生きていた寛蔵さんとしては
それ以前のことについて調べ、書き付けを起こして遺したと。
その「原家」の故地をも探訪された様子も手記に遺している。
「え、わたしは本当は原さんなのでしょうか?」と言うナゾの書き付け。
このあたりは、現代との家意識の違いでもあるのでしょうが、
遺されている末裔たるわたしとしては気になって仕方が無い。
家の存続という意味合いとしては、三木家のことは江戸期以前も
それなりにあきらかにできるスジがあって、そっちはまぁいいのですが、
このご先祖様の書き付け以外にはまったく手掛かりがなく、
さっぱり痕跡の残っていない「原氏」の方は重い宿題として残っている。
まるで「ミッシングリンク」であります(笑)。
ただ、推測していくとすると、いくつかの痕跡はある。
わが家・三木家は法人の方の宗旨としては真宗、門徒スジなのに、
この寛蔵さんのころに真言宗に改宗している。
同時期と目される頃に、家紋も「折敷三の字」から「二つ巴」に変わっている。
というような事実と、「紀州」という記載。
そこでそのか細い手掛かりをもとに、空気感を感じることを目的に
いま、和歌山県を訪ね歩いているという次第なのです。
で、やはり真言宗開祖の空海さんの開いた空中宗教都市・高野山に敬意を。
はじめて訪れてみて、まさに圧倒されました。



敬愛する司馬遼太郎さんの文学碑のようなものが
空海さんが入定されているとされる「奥の院」までの路のはじめにある。
そこからはまるで日本史そのものの有名人の墓名が連続する。
ついには豊臣秀吉や織田信長さんの名前まで出てくる。
わが家のようなか細い記憶痕跡だけしかない庶民とは
まったく別種の「日本の名家・名族」が積層する世界の存在を
まことにこれでもかと知らせていただけます(笑)。
北海道にいると、こういう連綿とした日本史の連続性を意識することは
ほとんど現実性がありませんが、
その時間の積層感にただただ驚くばかりであります。う〜〜む。
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【経済縮小期 勝ち組には「市場」は拡大する】

2016年08月27日 05時57分35秒 | Weblog

きのうは宮城県白石市で住宅工務店向けセミナーの講演。
おおまかに、住宅建設業の置かれている状況把握と、
そのなかでどのような経営戦略、生き残り生存戦略が求められるのか、
というようなテーマでお話しいたしました。
大体この手の講演会は夕方もしくは午後イチくらいのスタートと
相場が決まっているのですが、なんときのうは朝イチスタート。
9時半に始まって、昼食で締めるという時間配分でした。
なので、講演者としては朝9時前には会場に入って
パソコンとプロジェクターの相性をチェックし、
動画再生の音量の確認などの準備作業と、
朝一番から気の抜けないスケジュールであります。
そのうえ、前日から打合せ的に主催の東北電力さんと会食。
普段からあんまりお酒は飲まない方ですが、
そのスケジュールもこなしての丸2日間缶詰め状況でありました。

いろいろなお話しをするのですが、
タイトルのような中心テーマでは、図のようなデータをお見せします。
これは北海道内での住宅建設の「担い手」の状況。
2006年から2015年までの「注文戸建て」の状況を示したもの。
ある業界新聞社の調査であるこのデータによると、
この10年間で建築確認戸数は13,272戸から
10,669戸と、約20%マーケットは縮小している。
一方、その戸建て住宅市場で競争している施工者数は、
2,410事業者から、約35%減少して、1,572事業者になっている。
市場は2割減少し、競争者は35%少なくなっている。
結果として、1社あたりの「戸数」は5.5戸から6.8戸に
事業規模が拡大してきている。
そういうように巨視的な事業環境は推移している。
いわば「右肩下がり」という日本の経営環境を仔細に見れば、
多くの業界でこういった事態が進行しているのだと思われます。
人口減少ということは、このような「競争環境」を産み出す。
未来に向かって、前向きに事業に取り組んでいく
そういったいわば、「勝ち組」企業にとって、
事業環境は必ずしも、縮小するばかりではないのだと。
そんなお話しをいたしました。
早朝からの講演を聞かされているみなさんの目がぐっと冴える瞬間(笑)。
別にマジックや詭弁を弄しているのではなく、
冷静に見たデータからの素直な巨視的解析だと思います。
そういう環境の中で、どう方向性を見定めていくのか。
ポイントは環境に立ち向かう主体性の問題ですね。
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【築25年 手を掛けて長く使う住宅文化を】

2016年08月26日 06時58分24秒 | Weblog



きのうから東北に入っております。
以前から連絡をいただいていた宮城県大和町の熊谷一男さん事務所訪問。
5年ほど前に事業を休止されていたツーベアホームさんです。
最近になって事業再開され、既存の建て主さんの住宅の
メンテナンス・リフォームなどで活動を展開されているとのこと。
で、はじめて自宅兼用の事務所を訪問させていただきました。

このご自宅は建てられてから25年が経過しているとのこと。
ちょうどわが家も同じ年に建てていることもあって、
ごあいさつがてら、いろいろな設備関係や性能面、ディテールなどで
意見交換もさせていただけました。
このお宅も、基本性能としては十分な性能を維持されている。
シンプルな切り妻ボックスのツーバイフォーは
人の暮らしを包み込んできた重厚なたたずまいを見せています。
とはいえ、やはりディテールでは経年劣化は必然。
暖房機器も温水セントラルパネル暖房から、いまはエアコンに変更。
いずれはヒートポンプ温水式に変更予定とのこと。
熱源方式を選ばない温水セントラルパネルのメリットですね。
また、建物本体にまといつくように設置されたデッキなど、
メンテナンス・補修が繰り返されてきた様子も見えます。
そういうなかでも、しっかりと軒でガードされた木製窓は
なんの問題もなさそうでしたが、
やはり風雨にさらされる位置の木製窓の塗装については、
経年劣化が見られています。
わたしもわが家の木製窓を交換した経験があるので、
どうしてもそういった部位に目が行って、
ごらんのような出窓の木製窓をチェックしておりました(笑)。
ほぼ塗装だけでのガードではやはり劣化対策としては難しい。
この木製窓はどうも一度も塗装を重ねなかったという紺屋の白袴状態。
しかしこれはこれで、時間の経過を正直に表していて好もしくもあるし、
ヘンな劣化ではなく「風化」を感じさせてくる光景でもある。
方角的には南側に面していて、太陽光線被爆と
長年の雨水にさらされていて、このように塗装の劣化は明瞭。
しかしまぁ塗り直しすれば木製窓自体には問題はないでしょう。
窓の木部自体には十分な「真物」としての耐久力が見られた。
一方で当時使われていた塗料にもさまざまな限界があったことなど、
ざっくばらんに情報交換しておりました。

建物には時間の経過とともに
メンテナンスがきわめて重要。それがいいものを長く使う文化に繋がる。
日本の木造住宅の寿命は30年などと言われていますが、
そういったヘンな「常識」はそろそろお仕舞いにして欲しいものだと思います。


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【政治はコトバ 蓮舫「つまらない男」発言 】

2016年08月25日 05時39分10秒 | Weblog
本日は政治から見えてくる、コトバの扱い方文化論です。
先般の東京都知事選の首長選びでの、
「ジャーナリスト」鳥越さんの無惨な姿と、一方で政治的経験値の高い
小池さんが圧倒的な大差で勝った様子を見ていて、
政治家というのは、なによりもコトバの扱い方においてのセンスが不可欠だと
そういった共通認識が日本人にはできたように思います。
日頃から、日本の政治家はレベルが低いだのなんだのと、
マスコミに良く出てくるような「ガーガー・しゃべくり屋」さんたち、
その代表者たる「コトバの専門家・ジャーナリスト」としての
鳥越さんの、言葉と中身のあまりの無内容さの露呈ぶりを見て
まだしも日本の保守政治家は、そういったバッシングに耐えて鍛えられている、
打たれ強い政治家がそれなりに育っていると思わされた。
政治家は批判されて育つという意味では、安倍さんは最たるものかも知れない。

で、一方野党側です。
さしたる実績は無いけれど、キャスター出身で言葉自体は
歯切れがよい印象で、その美貌もあってなのか、
蓮舫さんが次期民進党の党首確定状況とのこと。
思い出すのは民主党政権時の予算切り捨て「仕分け」の時の
「(世界で)二番じゃダメなんですか」という発言くらいでしょうか。
そういった注目のなか、これも一種のパターン化してきた
日本外国特派員協会で記者会見、お披露目のようなことがあった。
そこで飛び出したのが、
蓮舫氏「岡田代表は大好きだが、つまらない男」という発言。
わたしも男なので、こういった言われ方をした立場を考え込んでしまった。
これでは岡田さん、二度と立ち上がれないのではないか。
政治的資産としての「見てくれ」という美貌要素では
かなり「女力」がある蓮舫さんから、男としての残酷きわまりない評価が
このように発せられると、かなり「男はつらいよ」と思わざるを得ない。
まぁそれは、岡田さん個人が投げつけられただけなので、
かれに同情すれば良いだけのことだけれど、
この方が「野党党首」になったときに、こういった不用意な疑問発言が
頻発する可能性を予感させてしまったと思う。
別に台湾系中国人という素性について論難するわけでは無いし、
そういう「国際化」は今後不可欠だと思ってはいるけれど、
やはり日本政治にとって大事な「野党党首」には、日本語・コトバに対する
繊細な感受性と、それを使っての政治的攻守力が求められる。
いきなり「つまらない男」と言われてしまっては、
かなり多くの日本人は、そのセンスに引かざるを得ない。
察するに、たぶんこのあたりのコトバの感受性において
微妙な部分で、コトバぢからとして日本語の表現力に不安を感じさせる。
まさか、日本人社会でのこういう言葉の使い方として
それを理解した上で語ったものではないだろうと思う、たぶん。
いわばエトランゼとしての、それもとくに微妙な男女間文化的ズレなんでしょう。
しかしネイティブでないと、同情的翻訳は今後してくれないと思った方が良い。
彼女にこういう発言についての挽回のセンスが果たしてあるかどうか、
やはり政治家には、日本語を正しく扱って語って欲しいと思います。


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【円山競技場にて、カモメのオリンピック】

2016年08月24日 06時31分18秒 | Weblog
ここのところの台風による大雨で、なかなか散歩に出られません。
この写真は、2日前の散歩路、札幌円山競技場グランドの様子。
散歩はこの競技場をほぼ半周するように、まわりを歩くコースなのですが、
どうもよくみかけない光景がグランドに展開していた。
早朝6時過ぎという時間なのに、遠目には人影のように見えていた・・・。
人間だとしたら、いったいこんな時間に何をしているのか、
また、その競技はなにで、どんな「練習」なのか不明。
ツートンカラーなので、一見すると特定競技のユニフォームにも見えた次第。
カラスであれば、黒一色なので一発でわかるけれど・・・
と思って遠目を凝らすと、どうもカモメさんたちのようなのです。
そのカモメたちが群生して、グランドの緑の上に
それも一定の距離感の中に、展開している。
どうにも不可解な生態行動のように感じられた。
少なくとも、わたしはこれまでこういうカモメさんたちの行動を見た記憶が無い。
年は取っても、人間毎日が勉強と思えますね。
カラスであれば、このような原っぱで、土中のイキモノを狙っての
捕食活動は見掛けることがあるけれど、
同じ鳥類ということで、カモメにも同様の習性があるのだろうか・・・?

どうも見ていると、遠目にはそのような捕食行動のよう。
雨が続いたので、なにか、一定の広さのグランドに
特定の微小動物が大量に流入してきて、それがカモメに
このような行動を取らせたものか。
なんとも不思議な生態を観察させていただきました。
まさか、オリンピックで盛り上がる人間社会と同様に
このグランドで、カモメのオリンピックなのか、という
バカげた妄想も頭をよぎっておりました(笑)。
本日は、一発テーマでありました。

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【9:40札幌出発、13:00無事札幌に到着!】

2016年08月23日 06時16分17秒 | Weblog
みなさん、台風首都圏直撃でさぞお疲れのことと思います。
わが家では東京の大学に通う坊主の東京帰還にぶつかって、
早朝から緊張感に満ちた1日を過ごしておりました。
学生なので往復飛行機はもっぱら格安チケット。
羽田よりも格安便の多い成田ー新千歳路線利用。時間は9:40発。
でも、なにがあるかわからないということで、
朝7:00前には家を出て、空港まで電車で出発いたしました。
きのうの羽田線は各社とも早々に欠航が決定していましたが、
成田線は会社によってまばらな対応だったようで、
その時間まで欠航もあったけれど、運良く飛んだ便もあった。
直前の他社のヤツは欠航になったけれど、坊主の乗った便は
時間は30分程度遅れたものの千歳は旅立った。
やはり親としては、台風もあり子どもの様子が気になるので
仕事の合間に刻々とLINEで様子を確認しておりました。
なんとか飛んだと言うことで、ひと安心していましたが、
仕事の来客対応を済ませたあと、ネットで到着を確認しようとしても
なかなか「到着」の知らせがHP上に出てこない。
いつまでも「遅延」というアナウンスが繰り返されているだけ。
15分ほど前の便は無事に「到着」していたので、
大体大丈夫だろうと思っていたのですが、どうも異常に遅い。
到着予定時間を1時間以上過ぎても到着案内がない。
事前に飛行機会社からは「万一の場合は中部国際へ」と案内があり、
これはひょっとして名古屋に行ったかと思われた。
LINEではお姉ちゃんから「なごやwwwww
まあ落ち着いてみそかつでもくえよwwwwww」とかいうレス。
と、ヤキモキしていたら、13:00直前に
「9時40分に札幌出発して現在無事に札幌に到着!」と
坊主から明るく元気なお知らせ。
おおお、とその無事を喜んでおりました。
で、そこから航空会社は16:45に再度運行予定との発表があって
飛行場にてひたすら待機とのこと。
しかし、待ちくたびれた16:00過ぎになってついに欠航決定。
ムダな千歳ー成田往復の徒労感のみが残る結果になりました。

ということで、夕方6時過ぎにわが家に帰り着いて
爆食後、爆睡モードに入っていたようであります。
わたしは夕刻から知人のご家族の葬儀参列で旭川までクルマ往復。
約300kmを飛ばして帰ってみたら、坊主の寝姿。
本日以降のスケジュールはまだ確認していませんが、
台風に振り回された1日でありました。
まぁ、天気にはいかんとも敵いませんね。う〜〜む。
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【台風による大雨集中の北海道から】

2016年08月22日 05時53分13秒 | Weblog
上の写真は北海道神宮内にある「開拓神社」の御神輿。
宮様などと同列で十勝の民間開拓団・依田勉三も含めた
開拓の先人たちが、人選としては比較的公平に祀られています。
ここのところ、雨の合間に暑い陽射しが照りつける毎日。
先週の北海道直撃台風以来、どうもことしは
遅れてたくさん台風がやってくるような年のようです。
本日は予報図を見ていたら3つも日本列島を台風が狙っている。
ひとつはすでに北海道東部・釧路に上陸とか。
さらに、伊豆から東海・関東にかけて上陸の予想も出ている。
そんな日ですが、坊主は東京に帰還する予定になっている・・・。
おいおい、というところですが、
安全を祈るのみといったところであります。




写真は、きのうの散歩路の小川の様子。
北海道神宮境内の外周側、札幌円山公園の中を貫流する流れですが、
高温多湿の空気の中、北海道とも思われない
「蒸暑的な霧」が発生しておりました。
この時期だけ、ほんの一瞬、北海道でも蒸暑の夏が顔を見せる。
北海道に移住してきた日本人たちは、
こういう空気感にずっとある種の思いを抱き続けてきた。
日本文化のいろいろな側面でこの蒸暑感が支配する情感があり、
それを見果てぬ体感として、北の冷涼な空気感のなかで
諦めてもあきらめきれない、民族的な回帰の思いを持ち続けている。
わたしは北海道移住2世代目、最初のネイティブ北海道人ですが、
きっと、蒸暑の気候に対して母国的な感覚を持つ、
最後に近い世代であるような気もしています。
わたしの世代では、こういった蒸暑気候に対して
特別な情感があるけれど、たぶん後の世代は違ってきている。
自分自身はまちがいなく、この冷涼が体感記憶にこびりついているはずなのに、
なぜか、それが民族本来の感覚とは違うという思い込みを持っている。
歴史や人文などを学ぶときに、常に季節感に於いて感じるずれ。
そういった風土性についての思いが、ここのところの空気感に
募ってくるように感じております。
司馬遼太郎さんは、ネイティブ北海道の人たちが
どんな感受性を持ってくるか、それが知りたいと書いていましたが、
きっとわたしのこの感覚に近い興味テーマだっただろうと想像している。
もうちょっと、蒸暑の夏の気分に浸っていたいのですが、
この台風のあとには、やはり一気にあの爽やかさがやってくる(笑)。
そんな風に夏を送る独特の感じ方もまた、北海道的気分かも知れません。
こんな日ですがまずは、みなさんが無事でありますように。



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