三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

さくらの季節に・・・

2009年04月30日 06時48分57秒 | Weblog


きのう、札幌市内では、あちこちで
さくらが開花しておりました。
まだ4月中というこの時期に開花するというのは珍しい。
北海道に咲くさくらは多くが「エゾ山桜」。
本州のソメイヨシノとは量感が違って、霞のような
軽やかさが特徴でしょうか。
でもやはり日本人であることを、いちばん意識させられる花の季節。
なぜ、日本人はこんなにもさくらに敏感になったのか。
見頃といっても、半月も持たないこういう花に
無常観を見る国民性なのでしょうか。
<写真は知人が大阪で見た「ウコン」の桜写真です>
華やかに、一気に周囲を彩ってやまないけれど、
散るとなれば、これもあっという間に消えていってしまう。
花であれば、こういう生き方もまた潔し、と思えるけれど・・・。


きのうは仕事関係の知人の葬儀。
ちょっと胸が締め付けられるような経緯でした。
まだ若い50代半ば。
娘さんの結婚式に無理をおして遠路出席し、
その地で、病に倒れて逝った、ということ。

いやはや、なんとも申し上げようのない辛い葬儀です。
まぁ、ひとの死の辛さに高低などあるものではありませんが、
聞くに付け、人柄の明るさと家族への愛情、
そんな思いが伝わってきて、これもひとの死の形か、と
ただただ、無常観に襲われざるを得ませんでした。

合掌。



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播磨灘

2009年04月29日 09時43分33秒 | Weblog



きのうの続きです。
わが家の家系で、日本の歴史に登場してくるのは
室町期の播州の守護、赤松氏の経済官僚としてのようなんですね。
だいたい確かといわれているのですが、
学者さんではないので、まぁ、家系伝説という域は出ないのですが・・・。
で、紆余曲折があって、播州の「英賀浦」という中世の港湾都市を
支配していたということが伝えられているのです。
赤松氏は、途中で直系子孫が途絶えたので、
その家を引き継いだかたちになったともいわれています。
家系っていうのは、けっこう途絶えるものなので、
まぁ、ありうることでしょうね。
わが家系にしても、江戸期には夫婦ごと外部から後継者を移植したりしています。
法人的な家を存続することに意味があって、
必ずしも、血がつながっていくことにそれほどのこだわりがない、
っていうようなことのように思います。
戦国期には、播州は織田勢力圏と、毛利勢力圏の角逐が見られた地域ですね。
司馬遼太郎さんの「播磨灘物語」に、黒田官兵衛の戦争の相手方で
この「英賀」の勢力のことが触れられています。
毛利からの援軍と協力して黒田官兵衛と戦うのだけれど
かれの巧緻な作戦に、まんまとしてやられて敗戦しております。
その結果、なのか、その後、家系は広島県福山市近郊に移っていっています。
毛利のために戦ったので、その勢力圏に避難というか、
移転せざるを得なかったものと思われます。
ただ、それも一族のうちの一部、ということのようで、
敗残軍は、散り散りになったということなのでしょう。

そんなことなので、わが家の伯父とか、
よくこれらの地方を行脚していたということです。
北海道に移転してくる、というのは
いろいろな意味でやむを得ざる決断だったのでしょうから、
郷里との関係も、疎遠にせざるを得ない事情があったことでしょう。
そういう「失われた消息」を求めたくなる、子孫の思いの発露ですね。
いろいろな家系伝説の類の調査活動を近親者が行ってくれて、
いま、書いたようなことが、どうも信じられそうな経緯のようです。
歴史といっても、別に戦争に勝った人が「偉かった」というような
山岡壮八さんのような史観はあり得ないと思うのです。
結局は、経済的な基盤的な部分での激烈な競争があり、
その軍事的表現が、歴史上の「戦争」の意味合いであったのだと思います。
一時的な勝利を得ても、家系という意味では存続しなかった
豊臣家というのは、勝利者なのか、敗者なのか、
見方はなかなか難しいと思います。
歴史の中の局面局面で、先人たちがどんな考えを持ち、
どんな行動をしてきたか、それを考え、
その中から学んでいくことが、意味があることなのだと思います。

いまとなっては、まったく縁遠い世界になっている
こういうジオラマの播磨灘。
いまは、阪神と戦う北海道日本ハムファイターズの応援の方が
似合っているわけで
まことに転変多い歴史だなぁと、思わされますね(笑)。
なんか、いかにもブログ的な、個人的なテーマで
大変恐縮です。
つかの間のゴールデンウィークということでお許しください。



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ご先祖の生きた世界

2009年04月28日 07時13分59秒 | Weblog



写真は、瀬戸内海地域のジオラマです。
瀬戸内海地域は、古くから日本が海外と交通する主要幹線海路として
もっとも主要に栄えてきた地域。
畿内地域までアジアや西南日本地域からの外洋船が入っていくのに、
かならずこの地域を通ることになり、
必然的に水や食料などの補給のための港湾が必要だった。
その結果、早くから活発な港湾都市が形成されてきた。
現在、広島県にある草戸千軒遺跡は、実に商業ビジネスが活発だった遺跡として
中世都市の実像をかいま見せてくれているそうです。
絶対見に行きたいと思っているのですが、
まだ果たせていません。
なんでも、手形などの交易痕跡も発見されているという話を聞いたことがあります。
平安期に中国では宋が栄えていましたが、
この国は、商業国家として大変な発展を遂げた国だったそうで、
手形に似たような経済決済が行われていたそうです。
宋との貿易で巨大な経済力を得た平氏が
日本の権力を奪取するわけですが、
かれらが、その権力基盤の神聖聖地として厳島を造営したのは
この地域の経済力を誇らしく表現したものでもあったのでしょうね。

わたしは、今でこそ北海道フロンティアを志していますが、
実はご先祖は、まごうかたなくこういう地域でDNAを育んできた(笑)。
夏とか、海とか、色白なのに胸騒ぎが大きくなるのは、
こんな地域でのご先祖様の体験が、自分の既知体験のように
なにか、遠くから感じられてならないものなのかも知れない、って
なんの根拠もなく夢想することしきりなのであります。
まぁ、間違いなく単なる錯覚ですね(笑)。
ではあるのですが、
わが家は、北海道に移住してきた多くのみなさんと同じように
その家系に対しての探求心が旺盛であります。
幼いころに北海道に移民してきた父や、兄たちが
いろいろに調査活動(笑)を積み重ねてきておりまして、
そんな縁から、一族の歴史研究者の方などとも交流があります。
なので、かなり詳細にわが家の先祖を調べてきております。
先祖の中には、一遍上人もいるのだそうです。
讃岐地方に、律令国家の形成期ころ直接の氏族が見いだせるということ。
そのころから、江戸幕末まで、一貫して
この地図のあたりを、あちこち、転々としてきているのですね。
なにかこう、立ち上ってくるような
おかしさがこみ上げてくる思いがいたします。
さてさて、いったいどんな人生を積み重ねてきていたものか、
でもまぁ、時代によって形は変わっても、
同じ人間、そうは違った感じ方、考え方をするわけがない。
そう思うと、時代の変遷の中で、
どんなように生き延びてきたのか、興味は尽きないのであります(笑)。




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建築家イベント12回目

2009年04月27日 07時10分41秒 | Weblog



おととい、土曜日には建築家イベントを行いました。
バス見学会を含めて、合計12回目の開催であります。
定点的に、当社の2階オープンスペースで開催し続けています。
ユーザーのみなさんに、あそこへ行けば建築家の情報と接することが出来る、
っていうようなイメージを持っていただけるようになるまでには
まだまだ時間がかかっていくと思うのですが、
それでも、おとといには、これまで告知してきたことが
徐々に結果となって表れてきているような印象を受けています。

けっして数は多くはないのですが、
家づくりの具体的な計画をお持ちの方ばかりが集まっていただけて、
少数参加とはいえ、徐々に熱気がこもり話題やテーマが具体的になっていきます。
それだけ、真剣なユーザーが多いということだと思います。
まずは、建築家という存在を気軽に知る機会であり、
いろいろに話し合いの機会を通して
「注文住宅」っていうことの本格的な意味合いが見えてきます。
「どういう家が自分にふさわしいか」という
基本的なことを、じっくりと話に乗ってくれる。
こういう場を、ご提供できることはわたしどものよろこびでもあります。
オープンに、お客様の声を聞いていて、
相談に乗ると、こっちまで「なんとかいい家にしてあげたい」みたいな
ホットな気持ちになってくるものです。
何軒ものお客様が、すでに具体的なプランニングに入っていて、
具体的な見積もりや、建築計画にも進みつつあります。

次回5月9日で、2巡目の建築家相談会が終わりますので、
ふたたび、企画内容をリフレッシュして、
もっとユーザーフレンドリーな企画内容を練っていきたいと考えています。
続けていて、いちばん感じるのは、
当たり前ですが、家を建てるということが
その家族、そのひとにとって、きわめてかけがえのない事柄だということ。
それぞれに特殊な生き方、暮らし方を営んできた人たちが、
もっと豊かさを求めて、家に夢を抱いている、ということ。
そんな思いが、ストレートに伝わってきて、
わたしたちも頑張ろうという気持ちを新たにすることが出来ます。
やはり、お客様が支えてくれるということなんでしょうね。

これからも、いろいろ企画を充実させたいと思いますので、
ぜひ、多くのみなさんに活用していただきたいと思います。



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古代国家の政庁

2009年04月26日 09時59分34秒 | Weblog



写真は、民俗博物館の展示模型から
東北・宮城野の地に築かれた多賀城国府。
京都の御所のように、古代の国家施設は
このように基本的に方形に区画して、築地塀で周囲とを仕切って
神聖空間を内部に作る。
内部には、広大な庭が造作される、というのが法則的。
朝廷、という廷という言葉は、まさに庭を表しているのだそうで、
そこで、権力者の声を聞くというのが
アジア的な権力様式の姿なのだと思います。
この多賀城国府も、「遠のみかど」という位置づけで、
西の太宰府と似たような、朝廷権力の出張施設なのです。
東北各地に残され、現在も発掘が進んでいる国家城郭は
基本的にこのような建築的特徴を共有しているようです。
やはり、果たす機能において、
同じような機能を持っていたものだったからなのでしょうね。

古代世界において、このようなきれいな方形の敷地割りと、
まっすぐな築地塀の連なり、というものが
当時の人々に、どのように受け取られていたものか。
こんにちのわれわれが、田舎の風景として認識する田んぼや畑は
むしろ、繁華の象徴、生き生きとした経済活動そのものであり、
そういう耕作地は、新規獲得した領土ではなかなか見ることができなかったに違いありません。
追体験を想起してみると、
草深く、自然のままの田舎の風景の中に、
忽然と、こういう幾何学的な形態の建築物が出現している、
っていうような驚きだったのでしょう。
それは、東北の地生えの「蝦夷」と蔑称されていたひとびとにとって
初めて認識する「国家権力」そのものの具体的な形だったのでしょう。
こういう「政治」と、
国家施設周辺に整備された宗教施設などの、
「この世ならぬ」ような一連の建築物が、
蝦夷のひとびとの心には、名状しがたい、
理解しがたい存在でもあっただろうと思います。
平安の世が始まって、桓武という武断的な権力者が
「まつろわぬ」蝦夷のひとびとを「討ちて、獲るべし」と侵略していった
その最前線国家意志がこの多賀城だったのでしょう。
国家意志の側から見る見方と、
強制的に隷属させられた側から見る見方、
その両方を見ていかないと、歴史は正確には理解できない。
そして、こういう建築周辺で、
活発なひとびとの「日常」的な経済活動も営まれていた。
当時から、ずんだなども食されていたものかどうか(笑)。
この城下では、手前側に南下する道があり、
それが突き当たって、港や街道に連絡する道路が整備され、
その周辺が、古代都市を形成もしていたそうです。
いろいろな想念を呼び起こされるジオラマです。



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緑と住まい

2009年04月25日 08時23分47秒 | Weblog



写真は川崎市にある「日本民家園」でのもの。
日本の住宅は、都市部の賃貸住宅・長屋は別にして、
けっして短寿命なものではなく、
こんにちの行政機構が目指しているといわれる
「長期優良」なものとして、地方の農家住宅などで長く存続してきて、
多くの場合、数百年間、大切に使用され続けてきたものだといわれます。
それらは、研究すればするほどシンプルに
機能性と、性能を考えてきたものであり、
そういう「先人の知恵」が、DNA的にデザインマインドも支配して来ている。

家って、結局は「癒しの場」であり、
人間が癒される、っていうことにはやはり基本的なものが存在する。
そんな思いが段々強く感じられるようになっています。
写真のような光景、
みなさんも、きっと「どこかでみたことがある」
っていうように感じられないでしょうか?
こういう緑の額縁を通して、その先に日だまりのような空間が広がり
大きな屋根が差し掛かっていて、
ひとを包み込むような安心感を伝えてきている。
旅の中で、巡りあったときにすらこういう感情を抱けるのだから、
ましてや、こういう住まいがわが家であったとき、
その情緒性は、計り知れないくらい痛切なものになる。
こういう住まいに帰り着き、
乾きを癒し、飢えを癒し、ここちよい睡眠を得るときに
人間はこころのすみずみまで、癒されたと感受すると思う。

どうも、この写真の光景、
思わず写真に収めたものだったのですが、
繰り返し、見続けていて、
なんとも飽きずに見ていることができる光景なのですね。
やはり、緑と住まい、というものが決定的なのかも知れませんね。
「家と庭」と書いて、家庭と、よく言われますが、
単純にそういうことで、シンプルに考えればこうなる。
こういう基本要素を、どうやって現代の暮らしの中に
再構成していくべきなのか、
っていうのが、家づくりの目指すべきものなのでしょうね。



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娘の手作りお弁当

2009年04月24日 06時12分15秒 | Weblog



わが家では、わたしが朝食担当で、
毎朝、たのしく料理をしております。
基本的に和食で、休日などはカレーを朝から作って、
2日間にわたって食べ続けるというメニューもありますが、
まぁ、毎朝は焼き魚を中心に一品、野菜もののメニューを考えています。
この時期は、アスパラが露地物が出てきて
大変おいしいので、アスパラ炒めなんかが好評。
っていうようなことなんですが、
写真は、いま、沖縄で大学に行っている娘が送ってきたメール写真。
かわいいお弁当箱を買ってきたので、
弁当を作っているよ~~という便りであります(笑)。
こういうのを見ると、なかなか、しっかり料理を作って食べている様子がうかがえて
なんとも安心感が広がってくる。
グリンピース入りの野菜サラダ?とか、
きんぴらゴボウなんて、目に入ってきて
「お、やっているなぁ(笑)」と、思えるんですね。
ウィンナーも切り込みを入れて、お花のようにあしらっていたり、
ごはんには、しそのふりかけとおぼしきものがまぶされていて、
まぁ、色合いも考えられているので、
そこそこ栄養バランスもいいかもしれない。

結局、人間は食べて生きていくしかないので、
料理して、飢えをしのいでこそ、元気も出てくる。
その食べることへの、こだわりとか、執着心のようなものから、
その人のことが強く感じられもする、と思う。
こんな風に、食べることに楽しみながら作っている様子を知って、
本当に安心することが出来ました。

教育って言ったって、
勉強が好きかどうかはわからないし、こどものやる気しかないと思うけど、
ちゃんとした朝食、食事を毎日作るっていうのも
「食育」っていうことにつながっているのではないかと思っています。
わが家では、母の味、ばかりではなく、父の味(笑)も、
こどもたちに伝わっていって欲しいなぁと、
きょうも朝飯造りにいそしんでいる次第であります。




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レース手芸の奥行き

2009年04月23日 06時19分46秒 | Weblog



先日の仙台市内での住宅撮影の時に
ふと見かけた壁面を飾っていたレースの手芸品。
つい、見とれていましたら、
「これは奥さんの手作りなんですよ」ということ。
って、絶句いたしました。
この作品は全部が白い糸で編み上げて作られているモノ。
たしかに細かいけれど、一部は太い糸とも見られる部分がある。
それと細い糸の部分があって、それだけでも精密。
この太い方は、細い糸をロープ状に巻き上げて作っているのだそうです。
このデザインの場合、細かい円状をひとつひとつ造作し、
それらを全体として、再構成していって作り上げるのだそうです。
大変細かい作業になるので、
大きな作業用のレンズを使ったり、
手元を大きな光量で明るくして、作業性を高める必要もあるのだとか。
いずれにせよ、まことに根気のいる作業のようで、
「えぇ、この作品は1年くらいはかかりました(笑)」
「え・・・・」
っていうような作業時間。
しかし、こういう「人間の手業」だけで作られるモノ、って、
直感的にあきらかに雰囲気が違う、と思わせられるものでもあります。
こういう形状自体は、たとえばビニール製品などで
見ることができますが、その形だけは巧妙にまねは出来ても
この質感とか、たたずまいとか、雰囲気とか、
人間がこころで感受する部分は、どうやっても真似は出来ない。

結局人間は、人間でしか、感動させられない
みたいな、奥行きのあるインテリアの世界があると思います。
ひとを寛がせることの力、のようなもの。
それは最後は、こういう手業の部分に究極的にはたどりつくのではないか。
きわめてシンプルな、素材としての白い木綿糸が
こういう深く広がりのある印象をもたらせてしまうのですね。
やはり本物の持つ力は、凄いものがある。



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既存不適格

2009年04月22日 06時38分16秒 | Weblog



小樽の市内にいまも、こんな建物が残されています。
写真は、たぶん、推定するに店舗建築だった建物。
50年以上は経っているように思いますが、木造で3階建て。
もちろん、現状では「既存不適格」な建物と言うことになるでしょう。
建築当時は、なんとか、決まりをクリアしている建物だったのかも知れませんが、
いまとなっては、まったく規則から逸脱している。
で、「歴史的建造物」とまではならない。
しかし、それが存在するだけで、街の記憶につながっているような建物。
案外、こういう建築って、古い町には多く残っています。

こういう建物って、
デザインって言うことでは、面白い味を出してもいる。
中折れ屋根(マンサード)と、正面外観がなかなか調和しています。
商業店舗としては、まぁ、目立ったのでしょうか。
小樽という街は、いまではすっかり観光都市になっていますが、
札幌が発展する前には、その母体となってくれた街。
本州地域との船による物資の輸送、移民船の受け入れ港などの
北海道開拓期のもっとも重要な都市だったのです。
活発な商業資本の蓄積が見られ、
その後、この街で貯えられた資金がほかの北海道地域の開拓の元手になっていった。
そういう時代を記憶にとどめるような装置群が
運河沿いの石造倉庫たちであり、
「北のウォール街」といわれた目抜き通りの様子なんですね。
そういうなかに、まるで時代の記憶そのままにピンナップしているような建物。

建築の基準というのは、どんどん変わっていきます。
ことしの秋には、瑕疵担保法が施行され、
建築事業者は、保険加入が義務づけられるようになります。
しかし、制度は順調にいくものとは限らない。
とくに近年の国交省の打ち出すさまざまな制度は、
どうも、業界構造を必ずしも良くする方向に行っているとは思えないものも多い。
どんどん、「既存不適格」物件が増えていくだけで、
ほんとうに豊かな住宅建築・街並みが形成されてきているのか、
疑問に感じざるを得ないことも多いようです。



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住宅視察案内

2009年04月21日 17時45分09秒 | Weblog



当社が東北でも事業を展開する中で、
温暖地域のみなさんの北海道住宅視察をアレンジすることが増えています。
きのう・おとといと、今度は新潟県からの来訪。
北海道は住宅性能では日本最先端地域、という認識が広がり、
そういう地域の業界動向が、いわばアンテナ的に未来予測の要素を持っていると
考えられる見方が、多くの住宅関係者に高まってきている。
現実に、「超長期住宅」の実施について、
北海道は100%の実現率だったのに対して
ほかの地域では、予算の未消化が発生してしまったようです。

住宅性能は、それだけの問題ではなく、
当然、デザインというものにも大きな影響を与えていくもの。
きのうも訪れた最後の住宅では、木製サッシと換気の問題にポイントが集中。
機能性と性能の問題が、デザインを
必然的に規定している点をクローズアップした次第。
いずれにせよ、住宅性能を基本的に満たしながら、
ユーザーの生活デザインにどのような提案を行っていけるのか、
北海道は、革新的にこういう領域を探求していると言える。
寒冷地の住宅デザインが、環境問題とか、省エネルギーへの
具体的なライフスタイルの提案というところまで高めて行ければ、
っていうように考えています。

意見交換をいろいろにさせてもらいましたが、
やはり、ビジネスの情報という面では、
本州地域のみなさんの情報力には深く教えられる部分が多い。
さまざまなビジネスの核心的な情報が、ひとの言葉で教えられるというのは
たいへん有意義で、勉強になる部分です。
北海道は、そういう意味では島国であり、
どこかのんびりとした鈍感さを持ってもいると思います。
こういった部分はやはり大きく教えていただきながら、
お互いの地域の住宅がもっと良くなっていくように交流を深めたいところですね。

きのうもおとといも、気持ちのいい晴天が続いて、
屋外の住宅視察でしたので、
帰ってきたら、なんと顔が日焼けしておりました(笑)。
わたし、どっちかというと色白でして、
どうもこの時期、ふと気付くと顔がほてっている、と言うことが多い。
案外、この時期の日射の方がきついんですよね。
まぁ、春がどんどん進んでいる感じで、いいですね~。



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