写真は先日訪れた東京二子玉川の「静嘉堂文庫美術館」となりの
「民家園」に移築されている古民家の台所。
今日の火力装置も一体になったキッチンとは違って「流し」単体ですね。
現代生活では火力もコンパクトに一体提供されていますが、
ほんの100年もさかのぼれば、台所の機能も分離していた。
この「流し」が主要な調理空間であり、ここで食材が準備されて
煮炊きは専用のかまどや囲炉裏で行われていた。
ごく当たり前の光景ですが、非常に保存状態がよくて
いまにも、誰かがこれを使うのではと思えるほど。
まずは右の「水甕〜カメ〜」が大きな要素であることに気付く。
水道以前の暮らしなど現代人からは概念が消えてしまっているけれど、
まず人間の暮らし営みには水確保が最大の要件であることが一目瞭然。
この甕に毎日毎日、水を満たすことから暮らしが始まった。
江戸期には、玉川上水という「水道施設」は整備されたと言われるけれど、
この古民家は農家であり、庄屋を補佐する立場の家だったそうなので、
そうした上水からの配水ではなく井戸からの汲み上げか、多摩河川水を使ったか、
近隣からどのように水を確保していたのか想像が膨らむ。
そしてそこから水を桶に入れて家のこの水甕まで運び入れなければならなかった。
現代人の水道使用量は1日186リットルということですが、
それは大部分がトイレやお風呂で使われ炊事にはおおむね2割程度。
そうすると36リットルになり、あとは家族人数分ということになる。
3世代同居での大家族を考えれば、8人程度が想定され、288リットルになる。
これはいまの家庭のお風呂浴槽1杯分にほぼ相当するということ。
たとえ自家に井戸があったとしても、それだけの量を絶やさず確保し続けているのは
結構な労作業を必要としていたことでしょうね。
浴槽一杯の水量を、井戸から汲み上げ運搬する家事労働総量は
人的エネルギーとしてどれくらいのカロリーを必要とするのか、
う〜〜む、もう考えたくなくなってきた(笑)。
当然、この貴重な水は一度の利用ではもったいないので、
この「流し」から排水された水は戸外の水甕に再度貯えられて、
打ち水などの再利用が計られていたとされます。
現代生活は人間生活コロニーとして、
実に便利になっていることを、こんなポイントだけでも知ることができる。
現代人は水道の蛇口をひねるエネルギーで事足りているけれど、
ほんの百年をさかのぼれば、こうした水確保には巨大な人的エネルギーが
必要だったのですね。ありがたい世をわれわれは生きている。