三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

危機一髪 中国自動車道でパンク事故

2015年12月31日 06時10分14秒 | Weblog


やっぱり人生、なにが起こるかわからない(笑)。
長いと思っていた家族旅行もいよいよ本日、帰還という前日。
きのうは、今回の旅の起点になった、神戸に向けて
長距離450kmほどの移動を計画していましたが、
やや予定より早めの午後4時前に中国自動車道の岡山県内最終ICの
「作東」手前2.5km地点で、レンタカー車体から異常発生。
足下から振動音が響き渡ってくる。
とっさの感覚では、路面の凸凹で音を発生させ走行路線ズレを知らせる
「音の出る路面」なのか、という感じでしたが、
久しぶりのこの感触。そうです、すぐにパンクと知覚。
ハンドルをしっかりと固定して、なるべく広めの路肩へクルマを移動。
駐車ランプを付けて停止させました。
なるべくもっと安全な場所まで移動させたいところですが、
しかし、車軸を痛めるのを避けるには、あまり長くは走行させられない。
たまたま、路肩がふくらんだ、バス停への誘導路がある場所から
手前50mほどのところに移動することが出来ました。
こういうときに、家族がいるのは心強い。
さっそくカミさんにレンタカーの車検証書類をわたして、
必要な連絡先への電話連絡を依頼。
一方、助手席の息子はさっそく「発煙筒」を発見した。
「これどうやって使うの?」という質問が飛んできたけれど、
わたしも発煙筒を焚いた経験は無い(笑)。
「その本体に説明書きがあるようだから、読んで点火しなさい」と指示。
「でも、クルマを出るときには十分に注意して路肩側を歩け」と。
ほかの家族には、車内から出ないように指示。
で、発煙筒が燃え始めて緊急事態を他の通行車両に知らせてすぐに、
2台のオートバイの交通警察官さんがやってきてくれた。
地獄で仏、まことに心強いレスキューであります。
で、その頃カミさんの電話連絡先との話し合いの様子が伝わってくる。
どうも要領を得ないやり取りだと思ったら
連絡先は自動車保険の会社につながるようになっているようなのです。
ああいうのは、全国1箇所での受け答えなので、場所連絡ひとつにも
なかなか状況連絡がしにくい欠点があると思います。
連絡が伝言ゲームになるので、レスキューには時間がかかるということ。
で、今度はレンタカー屋さんに連絡をさせることにしました。
その間、交通警察官さんが交通整理をしてくれはじめた。
で、より安全な路肩部分が広い場所までの移動指示があったので
そちらまでクルマを移動させました。
そこで、ある程度安全な作業場所が確保できたので
「タイヤ交換」するようにという指示もいただきました。
交換タイヤはすぐに発見できたのですが、必要工具のうち、
ジャッキだけが見当たらない。
普通はタイヤの位置に工具一式があるはずなのですが、
レンタカーなので勝手がわからない。
そこは交通警察官さんたち、メーカー車種などの情報を持っているのか、
ジャッキを「助手席下」から発見してくれた。
ご丁寧に助手席の息子にも手伝うように指示をしてくれた(笑)。
緊急ながら、親子でタイヤ交換の作業をいっしょにできた次第。
息子ははじめて遭遇する事態だけれど、
ジャッキアップの仕方、タイヤ交換の手順など、
親子で貴重な技術伝達機会になった次第であります。
ということで自力走行可能になったのでレスキューはキャンセル。
しかしこのスペアタイヤでは高速は走られない規則なのだそうで、
先導していただいて最寄りのICで高速を下りた。
で、ようやく連絡の付いたレンタカー会社とやり取り。
こっちとしては緊急事態からのレスキューを頼んでいるのだけれど、
「タイヤについては保険範囲ではなく自己負担して下さい」みたいな話。
むむむ、いまそういう話ですかというところ。
で、一向に「いま、どうするのか」というレスキューの話が出てこない。
で、これも交通警察官さんの助言が得られて
レンタカー会社から代わりのクルマを持ってきてもらうようにとのこと。
こういう対応がふつう、レンタカー会社にはあるべきなのだそうです。
交通警察官さん、本当に親切にしていただけました。
で、事故発生後2時間ほどで、ようやく代車と交換して
きのうの目的地ホテルまでたどりつくことが出来た次第であります。
やれやれ、ふ~~。

で、本日レンタカー会社に返却時、対応に時間が取られそうであります。
さてどんなことになりますか、
親切で常識的な対応を期待したいところであります。
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戦後日本の原点 丹下健三・広島平和記念館

2015年12月30日 05時52分19秒 | Weblog


家族で見学いたしました。
「日本人なら、見ておくべきだと思う」と子どもたちは言っていた。
12月29日という年末の慌ただしさの中ですが、
しかし記念館内部は、世界中から来た人たちで大混雑。
わたしたちは、この兵器が生身の人間たちに投下された
そのあとの世界を生きている。
2度にわたった原爆のこの投下の後、
世界のひとびとの心の抑止力は、今日までカタストロフを阻止している。
日本の、そして世界の原点として、この記念館が果たしてきた役割は
まさに人類的なのだと思います。
日本の不可逆的な出発点は、ここにある。
どんな困難が襲ってこようとも、最後に依って立つべき場所はここだと。

わたしの家系伝承では、江戸期、広島県福山市郊外で
ご先祖様たちは住み暮らしてきたと言うこと。
わたしの叔父は、終生広島訛りが抜けませんでした。
きっと多くの血縁のひとたちも、この惨禍に遭遇しただろうと想像します。
ピカドン、という言葉は、この人類的惨禍の言霊として
誰言うともなく、わかりやすく状況を伝える言葉として使われた。
そういった人間の肉声、語感が果たした役割は巨大だったと思います。
いまふたたび、見学の機会を得て内語を得る思いでした。
75年間は草木も生えないだろうと言われてきた広島の街、
しかし、この惨禍の後、すぐに人類的な人道努力も始まり、
また、自然は驚異的な復元力を発揮して、
翌年すぐに緑が繁茂していったということ。
生起した惨禍はすさまじく恐ろしきことだったけれど、
自然と人間の復元力もまた、素晴らしいものだったのだと思います。
敬虔にこの惨禍を内語として刻印しながら、
不撓不屈のたくましさで、生き延びていかなければならない。

建築としては、丹下健三さんのモニュメンタルな建築。
戦後ニッポンの建築として、この記念館や
東京オリンピックの代々木競技場の建築を残された。
まさに国の転換期に生きた国家アーキテクトだったのだと思います。

さて、さすがに家族旅行も、
3日間、長距離移動が続いたので、きのうは
広島市内・周辺でのゆったりとした日程に。
わたしは運転疲れを癒すのに、昼寝なども取ったりしておりました。
どうしても日本人の「休暇」は、大忙しになりがち(笑)。
自分で書いていてもこの自家撞着は可笑しいですね、
休むのが忙しいというのは、まさに笑える。
やっぱり休暇は、ゆったりと過ごしたいと。
歩いてブラブラするのには、広島の街は市電もあって楽しい街。
午前中には厳島神社にて、シカと戯れたりも。
しばしの中休みを得た1日でありました。

<外観写真は現在工事中につき、以前撮影の資料写真>









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朽ちていく街の美~尾道・猫の細道

2015年12月29日 06時01分44秒 | Weblog


さて年末家族の旅、昨日は倉敷郊外で宿泊し、
目の前の「瀬戸大橋」をわたって四国へ上陸。
わたしは、約40年ぶりの四国上陸であります(笑)。
大学4年の時に、入社を決めた前職場で、当時の社長の四国出張に
「運転手」役を仰せつかって、四国4県をクルマで回った経験があります。
四国でイベント事業を仕掛けていて
それを管理運営する企業として、駆け回った次第。
社長は、なんとわたしの運転席の隣・助手席。
思いっきりあれこれの指示命令が飛んできそうで、やばい(笑)。
それを制するべく
「社長、なにより安全第一で運転しますので、よろしく!」と
スタート前に大声で宣言していました。
「おお、そうだ、頼むぞ」とのお答え。
ちょっと気が重くなるプレッシャーのかかる雰囲気をはじめに一掃した(笑)。
機先を制したことで、その後の運転は気が楽になった。
いまとなっては、ホントに楽しい想い出です。
そんな四国でしたが、まぁ、今回は、高速道路で瀬戸内海沿い西進のみ。
一応、家族全員で和気あいあい、ほとんどが高速道路や
幹線道路なので、カミさんに運転も交代してもらったり。
天気もいいので、たのしいドライブでありました。

で、瀬戸大橋から、今度は「しまなみ海道」を走って
ふたたび中国地方に戻って、尾道での逍遙。
家族のなかでも猫好きな娘のために、
尾道で知り合った園山春二さんの「猫の細道」を歩いた次第。
千光寺のふもと、古い住宅街のなかで、
園山さんが管理を任された旧家数軒を一部改装しながら、
尾道の新スポットをボランティア的に「街づくり」しているのです。
ごらんのような写真の雰囲気なのですが、
きのうは残念ながら、園山さんは不在でした。
氏の作られる「福石猫」を数個、いただいたこともあります。
今回も大喜びしていた娘の土産に、購入させていただいた。
ブログにも以前、書いたことがあります。
こういった旅先の追体験もなかなかに格別ですね。
尾道はわたしの家系伝承でも「福善寺」というはるかな菩提寺がある街。
そんな気持ちが、朽ちゆく街並みへの感情移入を誘ってくる。
朽ちながら、しかし美しくあるということが、本当は意味がある。
そういう尾道の街の奥行きを、てらうことなく創造し実践されている活動に
はるかにリスペクトしております。
広島市での豪雨災害に際してもお寺の境内になだれ込んだ岩に
仏の絵を描いたりされていました。
他人とは思い切れない尾道の街、大好きであります。

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安藤忠雄 「地中美術館」を体感

2015年12月28日 05時50分05秒 | Weblog



名高い安藤忠雄建築の中でも、この地中美術館は有名。
とくにカミさんの強い要望で、今回のツアーのメイン探訪地に選定。
わたしは、事前の情報はほとんど持ち合わせてはおりませんでした。
地中に埋め込んでしまう、という発想はたぶん、多くの建築者は
イメージを持ちやすいものだと思います。
わたしも、2002年の自社事務所建築を考えたときに妄想したことがある。
地球の胎内的な空間性って、ある種のインスピレーションが刺激される。
ただし、そんな建築実現の機会はそうめったにはないでしょう。
この地中美術館という構想も、オーナーがモネの「睡蓮」を購入したことが
きっかけになって実現したプロジェクトとのこと。
こういった世界的な美術品、作家と安藤さんがコラボレートして
いわば、美術作品と建築が一体となって空間性を構築している
そういった特殊な体験空間なのだと思います。
この美術館はクロード・モネ、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの
3人のアーティストの作品のみによって構成されていますが、
もうひとり、いわばバックグラウンドのアーティストとして
いや、演出家として、統合者として安藤さんの名前も入れられている。
むしろ、主役としては安藤さんがメインアーティストなのでしょう。
この美術館が永続していくかどうかはまだわかりませんが、
そうなったときには、たぶん安藤建築が美術として刻印されるのでしょう。

で、やはり建築と言うよりも
一個のアート作品として、この空間は体験させてもらった次第。
安藤さんも、そのように評価されることを望んでいるのだろうと思います。
そういうことで、一期一会の建築との出会いが美術体験であるので
画像や映像が管理されない形で表出するのは
絶対に避けるように意図されるのだろうと思います。
家族旅行の一環で訪れているわが家。
娘は、モネの睡蓮を見る空間で、いたく感激の様子。
わたしはモネの作品「睡蓮」5点のウチ、一番大きな「睡蓮」を被覆している
低反射高透過ガラスが、ちょうど「睡蓮」の絵のキャンバスが分割されている
その中央線に沿って、2つに分かれていることに注意が向いていました。
技術的な極限だったのか、意図的だったのか、
ちょっと興味を持った次第。
また、この空間には床面に床暖房も施されているように感じました。
小さなタイルで被覆された床面がどのようになっているのか、
そっちの方も興味をそそられた。
ジェームズ・タレルさんの「光のアート」では、うっかり、
説明員さんの説明が聞こえなくて、思わず「ここで停止して下さい」という
そのラインよりも前に出てしまって、ブザー音がなってしまった(冷や汗&笑)。
まぁ、建築と美術の融合という意味では、
ウォルター・デ・マリアさんの作品と安藤建築のコラボぶりが際だっていた。

ということで、
たのしい美術空間体験をさせていただきました。

<写真は,直島でのオブジェやベネッセの建物外観など>

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播州英賀神社再訪 民俗探求の旅

2015年12月27日 06時32分00秒 | Weblog


さて、きのうから年末休暇にて
家族が神戸に集合して、瀬戸内・中国四国地方行脚の旅であります。
旅程はある程度は決めているけれど、
まぁ、行き当たりばったりも適当に織り交ぜたいい加減道中。
さてどんなことになるか、楽しみであります。

で、きのうはわたしたちは札幌を出て神戸までフライト。
到着は午後2時過ぎでしたが、
沖縄にいる娘は、それよりちょっと前に神戸空港到着。
レンタカーの手続きその他、用意が調ったのが3時前。
そのころ神戸に一番先に着いていたはずの坊主と合流。
レンタカー屋さんを探して行方不明になっていたと言うこと(笑)、
でありましたが、なんとか無事に家族全員合流。
で、3時過ぎになったので、やむなく岡山倉敷周辺のホテルに向かって、
そっち方面のスポット、2箇所のみに探訪を絞りました。
ひとつは、なんといっても国宝・世界遺産の「姫路城」。



以前一度見学に来たときは「工事中」を知らずに
まことに残念な見学になった次第ですが、
今回も到着時点ですでに4時を過ぎていて
内部を見ることはできませんでした。
でもまぁ、城って内部はどこも似たようなもの。
前回は内部しか見られなかったこともあり、
今回、この勇壮な外観を見ることができまして、感激であります。
白鷺城、という別称ですが、
スケール感がハンパなく、たしかに外観的な美しさには打たれました。

で、その後、わが家系伝承のご先祖様ゆかりの
「英賀神社」にうやうやしく参詣。
この神社、というか、英賀の城跡に比定されている境内なのですが
ここの「拝殿」とされている建物がまことに個性的です。
父としてこどもたちに家系のことも話ながら見せたのですが、
娘の感覚ではちょっと「こわい」感じと言うこと。
また坊主からも、「変わっているなぁ」という感想。
確かにその両方の感じが伝わってくるのは理解出来る。
わたし的には、この拝殿のキッチュな掲額の盛りだくさんぶりが
まことに民衆的支持感を持って迫ってくるものがあるし、
また拝殿の周囲との関係性、配置計画を見ると
はるかな一向一揆の大衆集会会場という既視感が迫っても来る。
浄土真宗の西の一大勢力根拠地であったという、
そういった歴史残照がやはり強く感じられるのであります。
その思い、ふたたびまた強く感じ取った次第。
今後の歴史・民俗探求意欲にいっそう興味が深まってきます。
ふ~~む。さて家族での行脚、どうなっていくことか。




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年末最後のお仕事、北海道住宅基準会議

2015年12月26日 05時45分33秒 | Weblog
きのう25日は、当社のことしの仕事納め。
午後イチからは締めの全社会議でしたが、
わたしは最初に発言してその後、中座して掛け持ちの会議へ。
先日お知らせした、北海道の地域住宅基準「きた住まいる」の会議です。
先日の会議は「親会」というふうに呼ぶのだそうで、
きのうの会議は「ワーキング」といわれる会議。
諮問会議のような場合、行政側の仕分けとしてはこういうのが
一般的に行われるスタイルのようですね。
一般的には「親会」は、大枠を定める大所高所的な意見交換であり、
実際的な論議はこっちの「ワーキング」で交わされる。
これまでは、わたしは「親会」に参加することが多く、
今回初めてワーキングに参加してきた次第であります。
こういう参加者仕分けって、どういった選定基準か不明ですが、
今回は、会議を仕切っている鈴木さんからのご指名もあった次第です。
一通りの趣旨説明の後は、活発で、実際的な論議に突入。
わたしとしては、どっちかというと市民目線、ユーザー目線が
求められているスタンスだと思うので、
なるべく制度の趣旨が、一般市民から見て意味のあるものにと
発言させていただきました。

こういった行政側の方針作成に関わるケースも増えてきたのですが、
いろいろと勉強になることも多いものです。
日本の行政システムでは、大学などの研究機関などが、
その関連行政分野の「シンクタンク」機能を担うことが多い。
行政側の「研究職」と連携して、知恵袋になっていくのですね。
それに業界関係のメンバーも加わっていき、
さらに市民目線の考え方も盛り込んでいくことになる。
こういった展開がうまく機能すると、有機的な仕組み、制度ができる。
とくに北海道は、住宅について官学民の連携の伝統が根付いている。
制度設計に関わったこととしては、「北海道R住宅」制度があります。
諮問会議のようなスタートから、だんだんと実務的になっていって
メンバー間で具体的に担当分担を決めて
無給であるのに、業界への働きかけまで論議していったこともあります。
論議した制度に命を吹き込むようなプロセス。
行政システムというのは、こんなふうに進められるのだという
そんな具体的な経験もしたのですが、
そういうときに、仏を作って魂を入れられるかどうかは、
それを見て使う人のことが、考えられているかどうかが重要でしょう。
これからも年度末に掛けて、この論議がよい方向に向かうように
一生懸命にユーザー側として知恵を絞っていきたいと思っています。
なんといっても住宅は北海道のプライド、大きな資産だと思います。
この資産を次の世代にも引き継いでいく使命が
たまたまであれ、いまその立場にいる人間には大きく課せられている。
謹んで、頑張っていきたいと思う次第であります。

さてきのうでことしのお仕事は終了。
しばしの休暇をいただきたいと思いますが、
大雪のため、帰ってから事務所・自宅と雪かきを盛大にやり終わった後、
これもまた関わっているあるプロジェクトについての電話が・・・。
う~~む、この調子では年末旅行の旅先でも
あれこれの任務が発生していきそうであります(泣)。
写真はことしの当社の刊行雑誌。
本誌別冊含めて,全部で14冊を発行してきました。
総ページ数はA4で、2,452ページ相当。
大体月に200ページ以上制作し刊行してきた計算になります。
まことにスタッフに感謝であります。

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デザインと資産価値 最適解は?

2015年12月25日 06時08分03秒 | Weblog
きのうの投稿について、またいろいろな反応がありました。
建築知識ビルダーズの木藤編集長からシェアしていただいたり、
主に本州地区のみなさんから、ご意見が寄せられました。なかには、
「妹島和世さんはきのう紹介したマンションのコンペに応募し、
選定されたという経緯であり、デザイナーズマンションとして妹島和世ブランドが
当初から販売利用されたそういった側面は大きくなかった。ブログに書くのに
そうい事実を調べずにブログにするかね。不誠実なだけではないか。」
というようなご意見もありました。
しかしやや、論旨がズレているのではないかと思った次第。
わたしとしては、そこにあって目にしたマンションにミスマッチを感じ、
インターネット上で知りうる範囲の事実を調査して、
それに基づいて、このマンションビジネス事業としての側面を
取り上げて考えてみた次第です。
建築としてのこの建物の内部を見学したわけではないので、
設計趣旨だとか、そういったことではないと明記した上で書いた次第。
できればそこから、日本の住宅の資産価値について
どうしたら、日本人の住宅投資が減衰しないものになっていくのか、
そういった資産形成の発展の方向性を探っていきたいというのが本意。

2007年に1億5,600万円で売り出された総戸数14戸の物件で
売れ残った3戸が、8,880万円に価格改定されたこと。
その後も、中古市場で売りにも出されているという事実を書きました。
むしろ、こういった日本の住宅資産価値の姿について
問題を広く拡散する事例として、取り上げることの方が意味があると。
建築デザイナー・妹島和世さんという「ブランド」に寄りかかっての
「価値訴求」というのはいびつなのではと、そんな趣旨を込めたつもりです。



戸建て住宅とは違う共同住宅では、
デザインはユニバーサルこそが実践されるべきではないかと思います。
ユニバーサルであると言うことは、普遍的価値観のような部分でしょう。
そうであればこそ、はじめて資産としての価値が出てくる。
誰が使ったとしてもあるレベルの満足度が達成されているもの。
断熱であるとか、空間のいごこちのようなものは、有意な指標になり得る。
目を驚かす見た目ではなく、いわば「仕立ての良さ」こそが吟味されるべき。
間違っても、事業主や設計者の「感受性」を普遍的、また高位価値だとして、
押しつけるというようなことであってはならないと思います。
上のグラフのように日本では、住宅の資産価値が減衰する現実がある。
他の国ではこういうことは常識的ではない、ということに、
そろそろ、大きく目を開いて立ち向かって行くことが、
住まいに関わっている人間には求められるのではないか、
そういった思いが強くなってきている、ということなのであります。

<上の写真は本文とは無関係の資料画像>





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デザイナーズマンション 「価格減衰」の現実

2015年12月24日 06時43分43秒 | Weblog
わたしは、いわゆるデザイナーズマンションというのには興味がありません。
なので、先日観てきた世田谷の家々のなかで、
通りすがったこの「ガーデンコート成城UNITED CUBES」というのにも
まったく興味を持てませんでした。
ということで、撮影してきた物件の中でひとつだけ残っていた画像。
とはいっても、それこそ通りすがりに外観だけ見ただけなので、
その住宅建築どうこうという判断基準は何も持ってはおりません。
この建物は「世界的な建築家・妹島和世」の作品ということだそうですが、
わたしには、どうにもミスマッチのように感じてしまった。
ということで興味を覚えなかったので、たった1枚残った写真ですが
それでブログを書こうという意味合い・認識を持てなかった次第。
わたしの場合、その時感じた思いが写真として固定され、
その思いが膨らんでいって、なにごとか書きたいというように盛り上がる。
そういう意味では、この物件には格別の思いを持てなかった。
しかし、せっかく見てきたので後学のためにインターネットで調べてみたら、
どうもなかなか日本の建築にとって不都合な現実のようです。
そんなわけで、まったく違う角度で興味が持てた次第。

この物件は、1億5,600万円で2007年新築当時販売され
新築の売れ残り3戸が44%割引の8880万で売られた物件だそうです。
物件概要は以下の通り。
所在地:東京都世田谷区成城5丁目
交通:小田急小田原線「成城学園前」駅から徒歩10分
総戸数:14戸
構造、建物階数:地上3階地下1階
敷地の権利形態:分譲マンション
完成時期:2007年
売主:オリックス不動産
14戸のウチ3戸が「売れ残ったと云うことは
2割以上が売れなかった物件ということになる。
で、いま、このマンション名で不動産中古販売情報を見ると
この8800万円前後で販売されているようです。
拙ブログで何度も触れてきたように、日本の不動産は、
海外の一般的な「資産価値」と比較して価格の激変、急激なダウンは一般的。
売り主や設計者の思惑をはるかに超えて
そういう厳しい現実が、襲いかかってきているのだと思いました。

いまもうすでに始まっている人口減少社会では
不動産の価値というものは、容赦の無い市場原理にさらされていく。
いったいどんな「価値感」がこういった市場原理のなかで、
それでも価値が減衰せずに継続していくのか、
まことにきびしい時代が否応なく到来しているのだと実感します。
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若さの特権

2015年12月23日 06時57分06秒 | Weblog
きのうはようやくにして、会社の忘年会。
日中にことし最後のReplan北海道最新号も納品されてきて
これから流通に回りますので、
出荷側としては、一段落と云ったところ。
このあと、東北版の最終進行があって、年内仕事納め。
年明け早々の「初荷」の手配も片づきました。
ことしは、年明けがカレンダー通りで4日スタート。
ということで、年内は25日までで営業を終了いたします。

本日も最後の祝日ですが、
年末には家族旅行を計画しているので
その準備に勤しみたいと思います。
で、家族は神戸で落ち合うことになっているのですが、
子どものうち、坊主の方はさっぱり到着時間などの連絡が来ない。
ついに出発の3日前になってしまった。
心配になって、飛行機の手配なども必要かと思っていたら、
ようやく深夜バスで神戸三宮まで直通のチケット購入の知らせ。
ホッとひと安心したのですが、今度は帰りのチケット情報が無い。
どうしたんだ、と問い合わせたら、
「おれ、別に帰んなくてもいいんだよね」
「ちょうどいいから、各駅停車の旅もしてみたいなぁ」
という、約1名まったくの調子外れの返信。
あはは、であります。
まったく羨ましい限りの自由気ままな発想。
どうしても人間、だんだんと時間に追われて予定予定と
ギュー詰めの人生になってしまいがちでありますが、
自分のことを顧みても、若いときには束縛もないわけで、
風来坊のように、勝手気ままに生きていたことを忘れている。
芝居にのめり込んで、コートの内ポケットに
ウイスキーボトルを入れて、あちこちと放浪したりしていた(笑)。
そんな若さの特権のような、自由気ままさに触れて
思わず破顔一笑であります(笑)。
旅なんて云うのは、そんなふうでいいものですよね。
あそこもここもと、夫婦で旅程をあくせく考えていて
思わぬ強烈な一撃をもらったようで、
まことに爽快な気分で年末休暇が過ごせそうであります(笑)。


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冬も朝5時の朝課~曹洞宗大本山・總持寺

2015年12月22日 06時22分11秒 | Weblog


先日の東京出張の折、
横浜市鶴見にある総持寺での朝の勤行を
また拝観したいと思い、謹んで行って参りました。
鶴見でのホテル宿泊だと、東京駅からも大体20分くらいの時間距離なので
神奈川県とは言え交通立地はよく、ビジネス拠点としては悪くない。
東京の大学に通う坊主の住んでいる街からも遠くないという理由もあります。
そのうえ、ありがたいことに朝の時間にこの面白い体験も出来る。
そういったことで定宿になりつつある次第。
なんですが、さすがにこの時期の朝は明けるのが遅く、
午前5時過ぎというのは、ほとんど真っ暗です。
まぁ早起きなので、わたしは4時過ぎくらいには起きていたのですが、
さすがに冬場には行ったことがなかったので、
一体何時頃にはじめるのか、夏場は朝5時だったのですが、
さてどうなんだろうと、5時半頃をめがけて拝観に。
暖冬とは言え、さすがに5時はピリッとする寒気がある。
真っ暗な境内を抜けて、朝の勤行が行われている大祖堂に向かうと、
声明が低く聞こえてきて、「おお」と驚かされる。
やっぱり冬でも5時なのであります。すごい。

夏場に来ていたときには、お坊さんの数がたくさんだったのですが、
今回はちょっと少数。でも敬虔な祈りが捧げられておりました。
で、そこから30分ほど、たっぷりと僧侶のみなさんの読経を
やや眠気の残っているアタマに注入させていただける。
もちろん、禅の信者と云うわけではないのですが、
沈思黙考していると、その音感がカラダに染みわたってくるかのようで、
三昧感にも似た感覚が迫ってくる感じがいたします。
とげ抜き地蔵で有名な巣鴨の高岩寺では、ロックのような音感でしたが、
宗派によって、こういった音楽性には違いがある。
天平の昔、はじめて仏教が日本にもたらされた頃には、
このような僧侶たちの勤行の様子は、今の時代のミュージシャンのような
驚きを持って衆生に受け止められたに違いない。
世界性を持った文明というものが、明瞭な形で一気に示される営為。
言われている中身はわからなくとも、宗教的法悦感のなんたるかが
こういったイベントでわかりやすく伝わっただろうと、はるかに思える。
こういう機会を一般にも公開していただけるというのは
ほんとうに面白く、ありがたいものと思います。
宗教的な伝統的行為には、いろいろな歴史性・民俗性が込められている。
芸能というものが、そこから派生した側面もそこにはあるワケで、
そういう「文化」が、お賽銭・心付け程度で鑑賞できる。
各所の仏閣でこうした機会に遭遇しますが、開かれた精神性文化は貴重。
信じる信じないを超えて、ありがたく楽しんでいる次第です。合掌。



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