三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【感受性共有文化のデジタル時代危機】

2018年03月08日 10時37分27秒 | Weblog


先般の石巻、石ノ森章太郎「萬画館」訪問続報です。
わたしがマンガ少年期、具体的には中学生時代が相当するのですが、
その時代は思春期前期にあたるので、刷り込まれる感受性の部分で
思いっきり「影響を受けている」のだなぁと。
ほぼ忘却していたこういった画面を、まざまざと見せつけられて
自分という人間の基底の部分を正視させられるような気分がします(笑)。
まさに「オタク」の元祖年代のようである自分が露わになる。

日本文化というものの流れの中で、
こういったカリカチュアライズ・マンガ的表現はその基底にある。
土偶などの表現力にはそういった「伝わってくる」ものがあるし、
風神雷神図などは、日本民族しか表現しないものかもと思う。
言ってみれば、抽象力がきわめて豊かに発達したというか、
直接的に伝わってくる豊穣さがあるというか。
この萬画の女性たちには、目力〜めぢから〜がハンパない。
左側の女性からは刺してくるような力があり、
右側の女性からは、感性のうるおいのような力が見て取れる。
どちらも日本女性のパワーが圧倒的に迫ってくる。
異性への興味の部分で石森章太郎的エロスが伝わった。
で、こういった表現があの時代の空気感を明瞭に伝えてくる。
たぶん、わたしのような1960年代を思春期として持った
そういう年代が共有する刷り込みがそこにはある。
建築としての住居、木造賃貸住宅・トキワ荘というのも
「地方から上京した若者たち」の汗と涙を受け止めていた。
北海道に住んでいる中学生としては、このアパート、
このままで北海道にあるとすれば、
とても住めそうにないな、とのちに繋がるような感想を持ったりした(笑)。
いずれにせよ、ある時代の空気感丸ごとが、
マンガという表現には圧倒的に込められている。

そうしたニッポン・マンガ文化がいま、
違法スレスレのインターネット無料ダウンロードで存続の危機にあるという。
マンガ作家が血と汗で書き上げた作品が誌面に載せられて
発売されて数時間でそれが全ページスキャンされてアップされ
違法意識の薄いユーザーから「無料ダウンロード」されたりするのだという。
その作品を無料ダウンロードして作品に感激した「読者」から
作家に「感動しました」という純真なレスポンスがあるという・・・。
なんとも言いようがない不条理が現実になっているのだということ。
仮想通貨とか、こういう違法スレスレ無料ダウンロードとかは、
デジタルの進化によって、アナログ世界が共有してきた文化概念が
危殆に瀕するようにもなり得ることを表していると思う。
だからといって、ただただ罰則強化するという対応では、
結局、未来的な発展は見込めないのだろうと思います。
どうも人間の知恵が試されるような局面だなぁと感じる。
この時代を生きている人間として、どうすべきか、
考えていかなければならない問題だと思いますね。
コメント
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