性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

現代の茶室~温泉付カプセルホテル

2013年11月30日 05時32分47秒 | Weblog


きのうは、新宿周辺にいて
今朝も早くに用事もあるので、新宿で投宿。ということで、
前から人に聞いていた「温泉付きカプセルホテル」というのを体験しています。
このカプセルホテルって、喰わずきらいではないけれど、はじめて体験するモノ。
やっぱり好奇心というのが、いちばん大切だと思うのですね。
まずは、チェックインのときになにやら、いろいろの説明を受ける。
え、そんなにいろんな知識が必要なの?っていうところですが、
やむなく従順に言われたとおりに。
まず貴重品は、ゴルフ場などと同じようなフロントの目の前のキー連動ボックスへ。
で、そのあと、荷物をロッカーに収納する。
わたしは、LAN接続ケーブル付きのボックスをお願いしたのですが、
その場合でも、どうも「個室」ではないので、
PCワーク作業のときには荷物を持ち込んで作業して、
それが終わったら、ロッカーに収納する必要性がある。
なんとも面倒だけれど、まぁ慣れると、気にはならない。
こういうある必然性に沿った「行動規制」のようなものに対する「耐性」って、
大変面白みがある。
建築を考えるときに、基本になる「寸法」の概念って、
基本的にそういうものなのだろうと思います。
で、なんといってもカプセルホテルのその「狭さ」であります。
江戸時代の北海道西海岸沿岸部には、「にしん番屋」という
日本中から「やん衆」と呼ばれる出稼ぎ労働者が集められてきて
きわめて規格的なタタミ1枚だけの「個室空間」が装置されていたのですが、
やはり基本的には、その寸法感覚と非常に似ている。
人間の大きさはそれほど変わりがないので、当たり前か(笑)。
にしん番屋では、荷物は行李(こおりと読む。昔の竹編み製の旅行バッグ)を、
寝る枕の上の方に収納させていましたが、
それが、現代では別室のロッカーになっている。
入り口を見ていて、タイトルのようなことを想起したのですが、
まさに草庵茶室の「にじり口」そのものであります。
頭を下げて、カラダを2つ折りにして入らねばならない。


で、中に入るとテーブルを置いて座れば、
なんとか、PCデスクワークは可能な空間が確保されている。
まさに身体寸法に叶っている。
で、茶室や番屋とは違って、ここには温泉施設が24時間利用可能。
なぜか、「登別の湯」なんだとか(笑)。
入浴してみると、あ、この匂い、そう言われれば・・・、
そこそこ登別の湯感はある(笑)。
でもいいのは、サウナでしょうね。
アロマの香りの蒸気で汗だしさせるサービスもあった。
しかし、きっとこういう人体寸法の極限に挑むような空間サービスって
そのキモは日本人でしか、文化醸成できないのではないかと思いました。
茶という建築と一体になった文化を持っている民族だから、
こういう寸法極限でのサービスの「売り買い」が可能なのでしょう。
しかもそれを踏まえて激烈な競争が展開していく。
ある意味、日本のサービス産業の力が表現されていると思いました。
でも本当は、ここを出てから、
カラダがどんな答えを出すかが、いちばん重要なポイントなんでしょうね。
さてどういうふうになるモノか、ふむふむ。
あ、そろそろ・・・。


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低炭素社会実現のための「技術」

2013年11月29日 06時43分23秒 | Weblog


きのうは日本学術会議での「未来を担う低炭素コミュニティの構築」という
まことにアカデミックな会議を取材・見学させていただきました。
主催は、「日本学術会議第3部土木工学・建築学委員会」のなかの
「低炭素建築・都市マネジメント分科会」という機構であります。
住宅の分野では省エネということは、きわめて身近な話題であり、
暖房や給湯の設備をどう考えていくのか、というようなエネルギー問題なのですが、
国レベルで見たときに、さまざまな論点が浮かび上がってきます。
そういった知見の現状をトップレベルの研究者のみなさんからの発表で
知ることが出来る、という機会だったわけです。
お誘いいただいたのは、日本建築学会会長でもある吉野博先生。
ということで、はじめて「日本学術会議講堂」という施設建物に行ってみた次第。

やはり最先端の知見の数々に触れるというのは、
たいへん興味を掻き立てられる。
発表は、論点の方向整理をされた吉野先生を含めて7人。
そのどの発表も、まことに深く「現代社会」に肉薄していて、
問題点の所在をあきらかにしてくれるものばかり。
日本は、世界に先駆けて「高齢化社会」に突入していくわけですが、
そのような「人口縮小プロセス」に於いての社会のありようという研究部分も、
世界的に見ても、それは日本が最先端で担っていかなければならない。
そういった意識が、発表者のみなさんに共通の認識として
存在しているということに、やや驚きの念を持ちました。
わたし自身も含めて、経済発展や社会の成長というのは
GNP的なアプローチでしか、基本的には想定してこなかったように思いますが、
現実にはこのような志向性をもって、最先端研究は進んできているのだと。
人口減少という問題と、社会のエネルギー抑制というような問題とが
同時的に解決を迫られているのが現実なのですね。
そしてそのためのアプローチを、さまざまな領域で研究されている。
その様子も具体的に肌で感じることが出来ました。

ひとつひとつの発表が、それぞれに興味津々で
これからじっくり、その録音データとレジュメを解析して、
今後に活かしていきたいと思います。
・・・しかし、なぜか、文系の劣等生であった自分が
いま、こんなふうな「学術会議」みたいなことに首を突っ込んでいるのか、
わが身を省みて、まことに不可思議な思いを禁じ得ません(笑)。
人生というのは、まことに不思議な展開を見せていくものだと思っています。
まぁ、そういうことだから、目が離せないし、面白いのでしょうね(笑)。

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中国の防空識別圏設定の蹉跌

2013年11月28日 08時04分38秒 | Weblog


ちょっときな臭い話題なので、「お好み焼き」画像でイメージを緩和(笑)。

中国がさきに突如として発表し、宣言した東シナ海、尖閣諸島周辺を含む海域への
防空識別圏の設定。
いろいろなタイミングを見計らって、
このタイミングで宣言したのだろうけれど、
どうも中国側に焦りがあるとしか見えない。
というか、習近平という政権、そもそもほんとうに軍のコントロールが出来ているのか、
危機管理能力がどこまであるのか、たいへん疑わしいと思わざるを得ない。
アメリカと日本との、日米軍事同盟に対してのスレスレの接近偵察とでも言える
尖閣周辺への度重なる挑発行為の既成事実化を行ってきた。
これについて、アメリカが明確には反応してこなかったことに味をしめて、
ふたたび大胆にアメリカの許容限度を試してきたのだと思う。
領土としては、日本が実効支配している尖閣だけれど、
そしてそのことについて中国が領有権を主張することは関心を持たないが、
しかし、その論理の先に制空権について
現状を改変しようと企てた今回の中国の思惑は完全に読み間違えたと思う。
アメリカは、考えられるいちばん明確なメッセージを中国に送った。
B52戦略爆撃機のデモンストレーション。
核攻撃能力を持ち、乗せているとも乗せていないとも決して言わない
爆撃機を即座にこの空域に飛ばして見せた。

この事実は、この間の東アジア情勢に大きな意味を持ってくる可能性がある。
アメリカに対してはまったく手出しが出来ないという
中国の姿がハッキリしたということがひとつ。
しかし、いろいろな理由をつけて、
今後、日本に対してはスクランブルを仕掛けてくるかということがひとつ。
そして日本が今回の件を巡って、あくまでも理性的に対応し続けられるかどうか、
ということが大きな問題としてひとつ、浮かんでくる。
たぶん、多くの国民や国家指導層に、してやった、という
そういった気分が醸成されるのではないかという懸念です。
今回は自らの軍事的国益に明確に中国側が触れてしまい、
いわば虎の足を踏んでしまったので、
アメリカは、やる気か、という面を見せたけれど、
やはりアメリカは自らの国益に応じて対応を変えるのだと思う。
この尖閣を含む領空の防空識別圏は、アメリカの日本占領時代に設定されて
それを日本が引き継いで今日に至っているということ。
いわば、日本自身の意志とは関係がない。
アメリカの世界戦略上不可欠な権益を、日本が「管理」だけはしているということ。
東アジアという地域は、こういう厳然としたパワーポリティックスのただ中にある。

さて、今回のことがどのように収斂するのか、
中国側の収拾の動きの中で、
このままメンツ丸つぶれでは国際政治上も困るので
なんらかの「成果」を求めて日本側に迫ってくる可能性もある。
そのときにいわば安心できる後ろ盾をいいことに、
非理性的な対応を日本側がする心配はないのか。
わたしは、潜在的には日本が
やはり東アジア世界ではもっとも危険性が高い、揮発性の高い民意を
もっている国なのではないかと思っているので
その点が不安ではあります。今回のことを経て、
中国と韓国とがどのような反応を見せてくるのか、注視する必要がありますね。
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コンビニの出張オフィス利用

2013年11月27日 05時08分40秒 | Weblog


いやはや、便利になってきたモノですね(笑)。
って言っても、なにもわかりませんね。
きのうは札幌を離れて仙台で事務所にてスタッフの顔を確認して
その後、取引先の会合に出席致しました。
で、夜も遅くなったのですが、一方で気になっていた
現在進行形の編集記事進行がある。
デザインスタッフとの対面での打合せがスケジュールの関係で出来ず
そのまま出張に出てしまっていたのです。
で、ホテルでやや仮眠を取った後、
メールをチェックしたら、その案件の手書き修正がPDFになって送られてきた。
それが午前1時頃。
で、本日は東京への移動、東京でセミナー参加などがある。
なので、チェックして札幌のスタッフに折り返すには
時間が夜にしかない。
ということで、着手することにしました。
まずは、送られてきたPDFを見やすく、プリントアウトしたい。
会社事務所には、やや遠いホテルなので、ちょっと辛い。
ということでホテルにお願いしようとしたら、
いまはプリンターが修理中ということで不可。
そこで終夜営業のFamilyMartに行って、印刷しようとした。
姿はまるで怪人21面相(あぁぁ、古い、あまりに古い・・・)
のような不審人物ぶり(笑)。
しかし、データが.jpgデータだったので、それではコンビニのプリンターは
出力できない。
で、いったんホテルに戻って、そのデータをPDFに変換。
それでようやくプリントアウトできた。
手書きのスタッフの修正が明瞭に確認できた。
そこで、それを整理整頓して、原稿も再度修正を全面的に施した。
著者サイドにその旨を確認するメールとPDFデータを送信後、
今度は、わたしの方で書き入れた修正ポイントの記された
印刷元原稿をスタッフに送ることにする。
ここで白黒ファックスでは、修正ポイントがイマイチ不明になりそう。
で、コンビニのプリンターをいじっていたときに
スキャンデータからPDF生成のメニューがあったことを思い出した。
で、ふたたび怪しいコート男になって
コンビニで作業した。無事、PDFに変換できた。
プリントアウトとPDF作成の両方で、B4相当各6ページ×2×30円で
合計360円の費用で、無事、連絡が完了致しました。

こういう環境での作業がスムーズに出来るようになったのですね。
やってみて、ほんとうにビックリするほどであります。
まぁ、中身の仕事の実質はともかく、ですが(笑)。
考えてみると常に最新型のプリンターやIT機器って
零細企業ではなかなか採用しにくい。
ならば、こんなふうにコンビニ活用するって言うのも手かも知れませんね。
今回の出張で教えられた次第であります。ふむむ、すごい時代ですね。

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茶室の機能って?

2013年11月26日 04時47分16秒 | Weblog


写真は石見銀山遺跡周辺の古民家群のなかの高級住宅の内部。
商家だけれど、成功した人物の邸宅で高級武家たちの応接も多くあって、
その装置としてこういう茶室空間がよく造作されている。
表向きは深遠な趣味生活の表現として
その主人のひととなりを表す建築的な仕掛けというようにも見えるでしょうが、
こんな2畳にも満たないような空間を見ていると、
ごく親密に、
「おお、石見屋、今回の公共事業だがなぁ・・・」
「お代官様、そこはひとつよしなに・・・(揉み手)」
その揉む手が茶毛氈の動作に重なっていって
「粗茶ですが・・・、」
と差し出された茶のヨコに、金百両が・・・。
「おお、これはよい心がけじゃ」
と素早く懐中に納める。
「では、茶をいただこうかのぉ・・・むふふ」
一服、茶を喫して、
「して、石見屋、このことゆめゆめ口外無用ぞ、よいな」
「それはもう、お代官様、わたしども一蓮托生、地獄までごいっしょさせていただきますよ」
「いやいや、わしはもうすこし良きおなごとでも・・・むふふ」
「ほほう、お代官様、なかなか隅に置けませぬなぁ、むほほほ」
「わはははは・・・」

っていうような妄想が沸いて参ります(笑)。
現代こんにちでも、カンボジアで政府高官筋から日本企業にたいして
公然と賄賂の請求があって、それが発覚して社員が処分されたそうですが、
アジア的な現実というのは、儒教体制の元、
このような不公正取引が延々と継続していたのに違いないと想像します。
こういうのは、想像力がたくましすぎるかなぁ(笑)・・・。
でもまぁ、商家にこういった装置があるというのは
まさか、本当にその主人の豊かな知性と趣味生活を表現しているとは思えない。
やはりそういう部分は隠れ蓑であったに違いない。
ただ、そのようなことは、一応はばかられることではあったのではないか。
なので、秘して、ごく内密な空間装置で話し合われたのではないか。
どうにも不純な想像が働いてしまって止まらないのであります。
そういったドロドロの関係があったればこそ、
商家としては、むしろ簡素・質素なワビサビ精神が表面を飾るにふさわしかったみたいな。
そんなふうに想像力を膨らませていると、
それはそれで、人間くさい部分でもあるのかも知れません。
儒教的な社会体制にはどうもそのような停滞とか、
不公正さというものが付き物のような気がします。
アジアの中で、日本は積極的に欧米の本質を摂取して
社会自身も大きく変えてきたけれど、
これまでの王朝国家の「科挙」による官僚組織群に代わって
中国共産党が、その位置に座って、
体制としてはわかりやすい儒教体制が結局継続していると思うと、
どうも日本人はそういったアジア性はきらいでたまらなかったようにも思います。

防空識別県の設定
っていうようなすれすれの状況が頻発してきていますが、
東アジア世界って、平和を維持していくのはなかなか難しそうですね。
どうも軍部の独走が中国で始まっている可能性も感じられますね。
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「蓄熱」へのアプローチ

2013年11月25日 05時54分03秒 | Weblog


断熱が現代の住宅の性能の基本であるのは自明なのですが、
その上で、いま大きく注目されてきているのが、「蓄熱」です。
写真は、北海道で「潜熱蓄熱」に注目して研究開発されてきている
石戸谷裕二先生の講演会の様子です。
PCMという特殊な蓄熱材を塗り壁材に混ぜ、
室内の熱や生活排熱を蓄熱・放熱させることにより、
暖冷房エネルギーの大幅削減を実現するという「i-Wall」システムの紹介。
実験住宅での成果を発表する講演会が土曜日23日に開催されたのです。
PCMというのは、たとえば25℃で凍結・融解を繰り返す潜熱蓄熱材ということ。
仕組みとしては、室内壁にPCM混入の塗り壁材を採用。
冬期の日中に日射熱や生活排熱などで室内がオーバーヒートして
室温が25℃を超えると、塗り壁に混ぜたPCMが蓄熱を開始、
逆に夜間は室温が25℃を下回るとPCMが蓄熱した熱を放熱することで、
室温を25℃に保つようになっているのですね。
コストとしては、普通の広さの住宅の壁面150㎡程度の施工で70-80万円。

石戸谷裕二先生は、北海道職業能力開発大学校の教授。
室蘭工大の鎌田紀彦先生の門下生という研究者です。
実験には、親しくしている建築家の宮島豊さんが協力していて
実際に大きな成果を上げていると思います。
蓄熱については、全国的にも岐阜県の金子建築工業さんも
伝統工法の「塗り壁」で挑戦していて、大きな成果を上げてきている。
高断熱高気密を前提にしたさらなる住宅性能進化の方向性であろうことは
だんだん明確になって来ていると思います。
わが家は22年前にコンクリートブロックで建てた家なんですが、
そのときも「蓄熱性」には着目していました。
通常の木造では、蓄熱容量がネックになると思ったからです。
しかし、塗り壁で、潜熱蓄熱材を塗り込むだけで
そういった機能を持たすことが出来るというのは画期的。
これからの発展が大いに期待できる住宅技術だと思います。
しかし、住宅というのは100年の単位で考えていくモノ。
技術の評価についても、どうしても慎重になる部分があるのはやむを得ない。
経験値と技術改良の蓄積を大いに期待していきたいと思います。

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え、物部神社?

2013年11月24日 10時36分06秒 | Weblog


島根県の神社といえば、出雲大社が当然名前が出てきますが、
それは古代の地名で言えば、出雲のことであり、
それの西隣には、「石見」の国があったことは知っていた。
でも、その石見国の「一宮」に、「物部神社」がある、ということまではまったく知らなかった。
物部氏というのは、蘇我氏との抗争で滅亡した古代氏族というような
ほとんど考古学的な存在だと思っていたのが、
石見銀山を見学しての帰り道で、ふと、道路サインにその名を見掛けて
「なに、物部だぁ? なんじゃそりゃぁ」と
つい、きびすを返して探訪してみた次第であります。
社歴を尋ねると、以下のようであります。

物部神社(もののべじんじゃ)は、島根県大田市にある神社。式内社、石見国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
宮中でも行われる鎮魂祭を行うことで、石上神宮および彌彦神社と共に有名である。
ただし宮中が行う11月22日でなく、11月24日に行われる。
祭神の宇摩志麻遅命が石見国に鶴に乗って降臨したとも伝えることから、
当社の神紋は赤い太陽を背負った鶴の「日負鶴(ひおいづる)」となっている。
また、宇摩志麻遅命は大日本帝国海軍の戦艦石見の守護神とされ、神像が艦内に祀られていた。
この神像は後に当社へ奉納されている。
社伝によれば、饒速日命の御子の宇摩志麻遅命は、神武天皇の大和平定を助けた後、
一族を率いて美濃国・越国を平定した後に石見国で歿したという。
宇摩志麻遅命は現在の社殿の背後にある八百山に葬られ、
継体天皇8年(514年?)、天皇の命によって八百山の南麓に社殿が創建されたと伝えられる。
神階は貞観11年(869年)に正五位下に叙され、同17年(875年)に正五位上に、
元慶元年(879年)に従4位下に[1]、天慶4年(941年)に従四位上に[2]昇叙した。
延喜式神名帳では小社に列し、石見国一宮として歴代領主の崇敬を受けた。
社家については、景行天皇の時代に物部竹子連が石見国造に任ぜられ、
その子孫は川合長田公を名乗り代々祭祀を行っていたというが、
文治4年(1184年)金子家忠が安濃郡の地頭として赴いたときに
子の道美が取って代わって当社の神主となり、以降金子氏が代々の祭祀を行うようになったという。
戦前に金子氏は出雲大社の千家・北島両家や、
日御碕神社社家(島根県出雲市大社町)の「小野家」と並び、
全国14社家の社家華族(男爵)の一つに列する格式を有していた。

建築も社格を感じさせる造りでして
やはり創建の古さは十分に感じられました。
北海道からこういう日本神話がそのまま残るような風土性に触れると
まさに文化の古さを思い異国の感じが立ち上って参りますね。
物部が、いま今日の時代にも生き続けているとは、
まったく意表を突かれるような思いでありました。

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「嫌韓」気運

2013年11月23日 11時26分38秒 | Weblog


わたしのような人間でも、懸念を持って見ていたワケですが
やはり多くの日本人が、この間の韓国政府、大統領のふるまいに対して
苦々しい思いを蓄積してきているようですね。
こういうのが本当はいちばん困るんだけれど、どうも、
韓国側の強硬な態度は、ある分水嶺を超えてしまったように思う。
アジアの中で、いちばんの安全保障上の懸念は、潜在的には日本なのだと思います。
日本人の基本的な心性としては自ら声を上げるということはあまりないけれど、
いったん集団的な声になって表出しはじめると
そういう方向性でのまとまり方は、たぶん目を見張るようなモノがあるのだと思う。
そういう国家主義的な部分は戦後70年、封印し続けてきて
平和国家としての国際関係でのふるまいを見せ続け、
国際社会での認識も、そういった一定の信頼感は持たれてきている。
そうである国民が、どうもこの間の韓国のふるまいには、
やや忍耐の限界点に達しようとしているように思える。
韓国大統領が盛んに反日口撃を続けてきたおかげで、
かの国での反日について、多くの日本人が関心を持つようになり、
いろいろおかしなことに気付きはじめてきている。
世界的にも類がないと思われる、「親日であることの罪」のようなものが成立して
日本による併合の時代に親日的であったひとびとに、
過去にさかのぼって断罪し、その資産を没収するような「法律」が制定されている。
最近では、過去の日本統治時代について悪いばかりではなかった、
という意見を言った老人が、若者によって殺害されて
しかも、その若者が英雄視されているという無道がまかり通っているのだそうだ。
江戸時代にその時代の制度の中で成功した人間に対して
現代になって作った法律で断罪するというような考えられない暴挙を行っている。
まぁ、わたしもこんなことはこれまで考えたことはなかったのだけれど、
多少は調べるようになって来て、驚かされる。
そのような社会の中で大統領が、日本への恨みは千年たっても晴れないと高唱している。
開戦前夜とまでは言わないけれど、
韓国側の反日宣伝が、日本人の「嫌韓」感情をいたく刺激しつづけてきている。

こういった状況について
韓国側はいったいどのような展望を持って進めてきているのだろうかと思ってしまう。
最近のかの国での裁判判決を見れば、
日韓基本条約を無視するかのようなふるまいを犯し続けている。
たとえ、どんなにきらいな国であっても、
安全保障上の懸念もあるはずだろうから、
最低限のあるレベルのようなモノは設定して外交交渉するモノだと思うけれど、
そういう理性的・戦略的な考え方は見えない。
日本人全体に怒りの感情を起こさせる行為しかしない大統領では
まともな外交を考える手立てはない。
こういう綱渡りの末に、韓国側はなにを目的にしているのか。
その目的が理性的なモノだとは、とても思われない。
大変残念だけれど、現状では、日本としては
いちいち過敏な反応は控えて、理性的に日本の立場を伝えるしかないし、
対韓国の外交は、基本的に無視するしかないのではないだろうか。
アメリカによる仲裁のような動きしか、この状況の変化はないだろうけれど、
さりとて、アメリカとしても打つ手はないのかもしれない。
戦後ニッポンとしては、たいへん特異な状況に直面していると思います。

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石見銀山

2013年11月22日 07時16分22秒 | Weblog


ビートたけしが、「がっかし観光地ナンバーワン」と言ったという石見銀山。
行って参りました(笑)。
まぁ行ってみて、かれがそういうのも理解は出来ます。
なんですが、それはちょっと見方が違うよなぁとも思います。
やはり歴史への理解と、その機縁となった産業・経済への
いわば、社会構造を全体として把握する楽しみなんでしょうね。
遺物としての具体的なものは、写真のような「痕跡」しかない。
銀山と言っても、いまそこで銀が採れるワケではないので、
「銀山遺跡」といったほうが正しいのでしょうね。
あとは、銀山の生産活動の結果、生成した山間の集落建築群の
街並みとしての景観保存がすばらしい。
というものなので、目を剥くような驚くようなシンボルには乏しい。
しかし、この銀山が歴史と世界交易のなかで占めた位置の大きさを思うとき、
このような「世界遺産」指定を受けたという意味は深い。

日本は山地が多い国土で平野部が少なく、資源に乏しい。
っていうように、小さいときから社会の教科書や、定型句で
言われ続けて刷り込まれてきているのですが、
しかし、金や銀などの生産や石炭などの炭坑跡など
鉱山資源というのは、日本は本当に恵まれていた国だとおもわされる。
この石見銀山は、戦国時代の日本に
当時の世界最強国家・ポルトガルが注目した最大の契機だったのだそうです。
かれらは世界中を巡って、銀の生産地を利権化することに
徹底的にこだわっていた。
中国との取引において、良質な銀が決済に使われてきたことを知り、
その銀のありかを尋ねて、そこで日本という存在を認識した。
それ以前には、金の生産もあって、「黄金の国・ジパング」という
そういった刷り込みもかれらにはあった。
ジパングを探し回った末に、たまたま難破した船が種子島に流れ着き、
戦国期ニッポンと大航海時代のヨーロッパとが遭遇した。
そこから信長・秀吉・家康という3代の歴史発展期が日本にもたらされた。
そういった時代を可能ならしめたものが、この石見銀山だったのです。
ヨーロッパ文明の注目を集めさせる最大の目玉商品が、
日本の国土から生産されていたのです。
当時の世界の銀の1/3くらいが、この石見で生産されていたそうです。
日本に資源がない、というのは石油資源のことであって、
このような希少金属資源においては、
日本は世界の経済発展において、きわめて大きな存在であった。
昔から「経済大国」であった、ということなのだと思います。
一説では、この銀の生産に欠かせない製錬技術・灰吹き法という技術は
おとなり朝鮮半島からもたらされたと伝えられていて、
いまでは、どうしてそんなことを教えたのか、と
あきれることに、かの国で反日世論の焚き付け材料になっているのだそうです(笑)。
やれやれ。
というようなことなので、ビートたけしさんの俗説に迷わされず(笑)
こういった雄大な世界全体の中での位置を把握して
機会があれば、見ておくべきサイトだと思いました。
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神楽、大好きです。

2013年11月21日 05時57分16秒 | Weblog


今回の広島出張での休日の楽しみ、きのうも書きましたが
やはり血の中で瀬戸内海的な世界にDNA的に反応する部分があります(笑)。
なかでも数年前にはじめて神楽に触れてから
その魅力に圧倒的に逆らえないモノを感じております。
囃子の笛太鼓が醸し出す独特のリズムが、日本人としての心性を揺らしてくれる。
素面と仮面の劇中人物が、劇的に交わりつつ、
そのリズム感の中で舞い踊る。
きらびやかで鮮烈な衣装や、オロチなどの大道具のおどろおどろしさ。
劇としては、非常に単純化されていて、
プロレスのようにわかりやすい勧善懲悪的価値観のここちよさがある。
そうなんです、まるでプロレスだと思うのです。
オロチにしろ、鬼夜叉にしろ、わかりやすい悪役が
正義の味方と、この世ならぬめずらしき劇的世界を生きる。
たまらない民族性、民俗性が立ち上ってきて、抗いがたい。

いま、広島を中心にした中国地方では
この神楽が深くブームとして継続しているのですが、
なかなか全国的な広がりになっていかない。
たぶんテレビでやっても、このおもしろさが伝わりにくいということなのでしょう。
やはり劇場のような空間共有装置が、その空気感が不可欠なんでしょう。
わたしもDVDとか、買ってきたけれど、
これはまったく食指が動かない。
やはり、自分の身の回りの空気も劇を盛り上げているのであって、
この「臨場感」が、日本人的な「祭り」の世界を思い起こさせてくれる。
祭りは、政でもあった長い時間がそこにあって、
いま、神楽が題材としているモノも、
あるいは浄瑠璃とか、能とか、歌舞伎でもそうだけれど、
ある時代においての「劇的事実」として、政治的な現象を題材としたものが多い。
多くの人が知っている、あるいは知りたいと思っているゴシップの世界に
こうした政治現象が題材として適していたのでしょう。
能や浄瑠璃以降には、その政治現象の中での
「義理と人情」の葛藤をメインテーマとする、より「劇的」なモノが多いけれど、
神楽においては、もっと初源的なのだと思います。
面白きこと、珍しきこと、あたらしきこと、が
よりわかりやすく展開されているように感じられます。
こうした地域的な文化として息づいている神楽、
年に数回は東京では公演されているようですが、
北海道では、想像も付かない。
弘前の津軽三味線と並んで、日本の「地域文化」の華なのではないかと
憧憬の思いで、劇的世界に酔いしれております。

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