三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

江戸期の平和維持システム

2008年02月29日 06時12分24秒 | こちら発行人です

ライシャワーさんと司馬遼太郎さんの対談、どちらも故人ですが、
それを読んでみたら、ライシャワーさんがさかんに江戸文化に着目しています。
江戸期、たいへんな平和社会を200年以上継続したことで得られた、
集団内部での協力性とか、組織への忠誠心というような
日本と日本人社会が獲得した「組織平和の維持」システムに大きく注目しているんですね。
このようなものの見方は、やはり欧米人であって、
一方で深く日本及び日本人を理解したライシャワーさんの慧眼だと思います。
まぁ、日本人が気づきもしないようなところまで深く日本人を研究したこんなひとが
アメリカ戦争参謀本部みたいなところにいたんですから、
彼我の違いを考えれば、敗戦は必然だったのでしょう、余談ですが。

それはともかく、江戸期の社会のシステムの中に
現代の日本の素型はすべて出来上がっている、
現代が変化したのは、表面的な形だけであるというようなことば、なんです。
確かに現代の企業や官僚システムなどの内部の論理を見ていれば、
その独特の組織維持の強固な安住性というものは際だっていますね。
江戸の末期に、官僚化した幕府組織が非効率そのものになって、
まことにあっけなく瓦解したともいえるのですが、
その原因は、組織の維持ということだけが大目的になってしまって、
本来の目的に対して機能しなくなるような、組織内平和第一のシステムなんですね。

こんにちさまざまに官僚機構において起こっている
末期症状とも言えるようなシステム障害の数々を見せつけられています。
防衛省の機構的とまで言える「システム障害」が引き起こしている海難事件。
官僚システム内部での弛緩ぶりが、もはや、外部にあられもない形で表面化している。
一般社会に対して、整合性のある説明も取れないような破綻ぶり。
艦長さん個人としては、まことに正しいことばを発していましたね。
「国を守るべきものが、国民を死に至らしめてしまった・・・」
こうした認識がまだ残っているウチに、
このシステム上の不具合に対して、直していくことに取りかからなければならない。
インターネットの普及による個人意識の高まりは、
江戸期から続くこれまでの社会が第一の大前提としてきた、
「組織維持がもっとも大切だ」という考えに風穴を開けつつある、
というのが現代の変化の一番大きな部分なのではないでしょうか。
このような見方が出てきたことで、
既存の官僚システムの破綻ぶりが際だってきているということも言える。

もともとが強い個人意識に裏付けられた社会である欧米では
インターネットの出現は、その延長線上でのことになるのでしょうが、
日本型の社会では、未体験の領域を作り出してしまう、
そんな気がしてなりません。
みなさん、いかが感じられているでしょうか?

<写真は江戸期の出版物、旅行カタログから。>
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愛読書

2008年02月28日 05時53分47秒 | 歴史探訪

もう何年間、この本と付き合ってきたか・・・。
司馬遼太郎さんの「関ヶ原」とか、「太閤記」とか。
ちなみに奥付を見たら、昭和51年発行になっているので、
もう30年以上も手元に置いて読み続けている本になるわけです。
定価はカバーに表記しています、と書かれていますが、
とうの昔にカバーはなくなっているので、いくらで購入した本であるか
いまはもうわかりません。
この「上巻」は、一部、綴じも壊れてしまっていますが、
それでも、ずっと読み続けてきた。
どんな読み方をしてきたのか、といえば、はじめはまぁ、2~3回通読した記憶はある。
その後は、適当にページを開いてそこから読み始めて
最後まで読むこともあったし、そのまま、寝込んでしまうこともあった。
長い時期で、数年間目にしないということもあるけれど、
時々思い起こしては、また読んでいる、っていう次第。

そんな読み方をしているので、
内容というか、書いてあることは、ほとんど全部と言っていいほど
記憶の中にインプットされている。
それでも、読み続けてきたのは、やはり、
こっちの年齢があがってくるほどに、「行間の消息」が見えてくるから。
意味としては、全部理解しているけれど、
そうではなく、小説なので人間の心理を描写しているので、
その心理などが、こっちの体験が加わるごとに重みが違ってきて、
書かれた文章の意味合いが、いろいろな色合いに見えてくるのですね。
とくに、死を巡っての否応ないこちらの体験の積み重なりが、
同じ無常観を体験した先人たちの心理を通して、
こちら側に、いつも違うかたちで読めてくるのですね。

司馬遼太郎さんというのは、
稀有な形の「国民文学」という最後の作家になるのかも知れないと思います。
ちょうど日本が高度成長期にさしかかり、
いつも「坂の上の雲」を目指し続けた時代の雰囲気の中で、
幸福な同時代感覚の中で、作家活動を続けることができた人ですね。
もう死んでから12年になるようです。
死ぬ前に書かれた文章では、日本の将来に明るさは残念ながら見られない
と、書かれていたことを覚えています。
産経新聞在職中に、自社の連載小説に応募して『竜馬がゆく』が
審査を通って採用になったのだそうですが、
その当時の社長さんが、社員でもきちんと賞金を払ってくれた(笑)
と書かれていました。でも、家一軒建てられるほどの賞金は、
新聞記者出身者らしく、「取材」のための古書購入費にほとんど充ててしまったそうです。
当時借りていた住宅の床が、それで抜けるのではないかと心配したということ。
そんなことから、歴史小説を書くのに、
かれは、本当に過去の出来事であるのに、
実際にその場所に行ったり、まさに、ニュース取材のような方法でやっていたらしい。
そういう結果として、日本の歴史に対して、
独特の歴史観や、思いが募ってくる部分があったのだろうと推測します。

そういうかれの仕事の中では、
比較的初期の仕事ではあるのですが、
戦国の終結期の、「天下」成立後の複雑な「政治」情勢が、
肉声が聞こえてくるような筆致で書かれているのですね。
ここまで長く付き合ってくると、
これからもきっと、読み続けるのも間違いないでしょう。
こんな読書の仕方もあると思う次第ですが、
出版という業種自体の危機が進行しています。
今後どうなっていくものか、先行きは難しい時代ですね。
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国の機関の政策進行

2008年02月27日 06時01分47秒 | こちら発行人です

きのうは、今年度最後の北海道の仕事での会議出席。
中古住宅流通促進方策検討委員会、という
何回言われても覚えられない名前の会議でした。(笑)
なんですが、この会議、けっこう盛り上がりまして、
こうした自治体の会議としては珍しい(失礼)ほど、多くの成果を生み出し、
また、新業態の開発、産業育成的な部分で驚くほどの結実を得た事業でした。
新築マーケットが縮小に向かうことは確実な趨勢の中で、
既存住宅マーケットをどうしたら活性化できるのか、
今後の「製造業」としての住宅建築の主体である工務店などの生き残りにとって、
必須の産業育成方法を模索した会議だったと思います。
簡単に言えば、新築に代わる魅力的な中古住宅再生という事業分野創成に
必要なインフラや事業環境整備を考えてきた会議だったのです。
とくにこうした取り組みが
もっとも自然条件の厳しい北海道ではじめて取り組まれたというのは、
今後のこのマーケットにとって大きい意味を持つことになるかも知れません。
こうした事業取り組みというのは、
なぜか、3年という期限で行政では取り組まれるのが慣例になっています。
ということで、3年目の最後の年度がこれで終了となった次第なのですが、
こうした取り組みが、まさにいまの国の施政方針と合致していることから、
いわゆる200年住宅への取り組みの一環として、
国の補助事業として、来年度以降もより大きな事業規模で継続される方向になっています。

というようなことなのですが、
こうした流れから、きのうは国土交通省の外郭団体から
オブザーバーの方も参加されていました。
いろいろお話を伺ったワケなんですが、
国の政策にどのように業界の意向が反映されていくものか、
その経緯の一端もかいま見えて、興味深いものがありました。
窓のメーカー団体などから、こうしたプロセスについての話も聞いたことがあるのですが、
やはり、具体的な政策に対して業界ごとの利害が相克し、
なかなか方向性を定められないという部分が見えてきました。
行政の側が立案する基本的な方向性というのは、
そんなに間違っている方向でもないと思うのですが、
その原案が、さまざまな利害調整の中で、否応なく「調整」させられ、
結局は総花的になったり、適当なことでお茶を濁したり、
というようになってしまう現実が出来上がってしまうようです。

そうしたなかで「モデル的」事業として
この北海道の取り組みが国に認められそうだというのは、
かなり面白そうにはなるかも知れません。
官に対する批判というのが大きいのですが、
接してみればみんな、できることから、少しずつ変えていこうという思いは共通です。
絶望せず、地道に取り組んでいくことが必要ですね。
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新聞というメディア

2008年02月26日 06時13分52秒 | こちら発行人です

先日、朝日新聞が2010年にも赤字転落の可能性がある、
という他メディアからのスクープがあったそうだ。
若い年代の「新聞離れ」現象は、実態としては公表されているレベルを遙かに超えているそうで、
深刻な部数減少が新聞メディアの経営基盤を揺さぶっているようです。
日本の新聞って、世界的には宅配というきわめて特異な形態で
深く暮らしに密着して発展してきた。
宅配チラシという面白いメディアも副次的に生産しながら、
このシステムを維持してきたわけだけれど、
そういう発展を支えてきた「部数拡張」という要素が行き詰まってきている。

いろいろな要素が、この事態の背景にはあると思うのだけれど、
ことがらがメディア自身に属することなので、
あまり大きく触れられることがないまま、事態が進展している。
確かに、若い年代の人、とくに20代のひとが新聞を取っているというのは
いまや、ごく少数派であることは論を待たないし、
30代になっても、そうした部分が変化していくという要因は考えにくい。
原因は、大きく言えばやはりインターネットの拡大。
インターネットは月額の接続費がちょうど新聞購読費用と見合う程度。
なので、yahooなどのポータルサイトにはトップコンテンツとして
ニュースが掲載されている。
新聞には一覧性というメリットはあるけれど、
事実の確認や把握、羅列的な配置での順序づけなど、
インターネットでのニュース配信にもメリットはあり、
テレビなども交えたニュースメディア比較の中で、新聞は必ずしも優位性がなくなってきた。
しかも新聞社のHPにアクセスすれば、新聞を見るよりもむしろ便利なくらいに
ニュースに接することもできる。

欧米メディアの場合は、もともとがスタンド販売という形態なので、
ちょっと、違う意味合いの方が強いメディア。
主張性や独自性といった部分と、人間行動に密着しているという要素で
生き延び続けてきている。
しかし、海外でもMetroというフリーペーパーが都市での人間行動に密着する配布形態で
従来の新聞メディアの地盤を奪い始めている。
新聞は結局、通勤や移動といった時間にニュースに接するという
都市型人間行動の隙間で生息してきた文化であるともいえる。
そのあたり、日本と海外では若干、事情に違いはあると思われるけれど、
いずれにせよ、大きな転換点は確実に来ていると言うことは明らか。
紙媒体の行く末は、さてどうなっていくのでしょうか?

写真は朝の散歩道のかわいいカモたち。
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碁盤の目の街並み

2008年02月25日 06時07分21秒 | こちら発行人です

先日の建築家展で見た札幌の航空写真。
わたしが育った札幌は、京都のような計画都市。
わかりやすい計画都市というのは、一般的に碁盤の目状に作られるモノなのでしょうが、
やっぱり上方から見た場合でも、くっきりと明快なプラン。
日本の都市って、分類するとどうなんでしょうか?
東京は豊臣秀吉の着眼で、家康が計画した都市ですが、
経済発展を重視した都市計画とはいえ、やはり城下町の街割り。
道路などの基盤的な整備は、いまも環状線が連続していない場所があるなど、
近代都市としてみたときに、機能性はどうなのか?
慢性的な車の渋滞などを見ていると、その面では破綻しているとも言える。
しかし、公共交通機関の鉄道・地下鉄の発達ぶりは
まさに全体として生き物のような血流的なネットワーク都市。
案外、車の乗り入れをかなり規制して、中心部をバイパスする道路整備などが進めば、
CO2削減の視線から見たら、いい都市環境になるのかも知れません。

札幌はまだまだ、車社会の中では基盤的な道路環境がゆとりがある。
やはり、明治初年の都市計画でアメリカ的な考え方も取り入れただろうことが
現代に生きてきていると思います。
大きな道路では幅が100m、一般的に20m。小路でも8m幅の道路が確保されている。
こんな「公共」スペースが広い都市計画はまさにアメリカ的。
市内に残る古い公園である「円山公園」は
アメリカンスタイルそのまんまの自然公園スタイルを取っていますね。
街のそこかしこに残る、こうした都市計画の残滓が
札幌という街を、日本の中で面白い街としてきた資産なのではないかと思います。

現代では、都市の資産継承、計画的な都市環境の育成発展ということが
たいへん難しくなってきていると思います。
なんとか子孫の代までも、札幌らしさを継承していきたいものです。
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大雪再来

2008年02月24日 09時16分44秒 | 住宅取材&ウラ話

もうすこしで3月というこの時期ですが、
今年の冬はなかなかにやってくれますね。
先週はすっかり春めいた気候が続いていたのですが、
どっこい、すんなりとは春にはなってくれません。
関東では春一番だそうですが、
こちら札幌では、きのうも一日降り続き、今日朝にはすごい状態でした。
季節風も強く吹き付けていたようで、
事務所のエントランスは腰までの積雪状態。
吹きだまりのようなことになっていたのですね。
雪の降り具合、風の向き・強さで、雪の状態はまさに千変万化します。
きのうは、風邪気味の体をいとい、
雪かき作業をさぼっておりましたが、さすがにもう手が付けられなくなるので
朝から、大汗かいての雪かきに追われました。
おかげで、坊主は友人たちとのスキーが荒天のため中止。
まぁ、遭難の危険があるし、第一、スキー場もクローズかも知れません。

っていう、冬真っ盛りの札幌地方ですが、
この季節、いつもお伝えしている「雪庇」が各家庭で順調に成長しています。
無落雪屋根をはみ出して、季節風の風下方向に雪の庇がせり出す現象。
わが家の3階居室から、屋根からの雪庇が見えるようになっておりました。
ちょっと、オブジェとしてみていると面白い。
わたしたちが子どもの頃には氷柱が冬の北海道の風物詩でしたが、
坊主たちの年代には、この雪庇が冬の風物詩になっていくかも知れません。
じっくりと観察してみると、
端っこ部分では微妙な自然の造形が見られてなかなかに楽しい。
見ていても面白いし、窓を開けて破壊するのも楽しそう。

なんですが、やはりこれが急激な暖気などが来たら、
落雪して、危険も伴う。
北海道は、氷柱を克服し、屋根雪崩の危険を克服し、
無落雪屋根というユニークなデザインも生み出して、
敷地の狭小化も克服してきたけれど、
いまは、この雪庇問題が、なかなか難しい問題になってきています。
まぁ、危険の度合いは昔とは比較にならない低レベルではありますが、
とはいえ、対応策は考えねばならない問題ではあります。

でも、けっこう面白くて、きれいでしょう。
ゆとりももって、考えていきたい問題だと思います。
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床蓄熱の効果

2008年02月23日 06時58分30秒 | 住宅性能・設備

昨日紹介したQ1.0レベルの住宅の居間の窓辺、床には
ごらんのような「床蓄熱」が仕組まれています。
この家では暖房はヒートポンプが採用されています。
ヒートポンプは北海道のような寒冷地では、なかなか効率よくは熱回収ができない。
その厳しい条件下で、それに付加するように
太陽光日射熱をこのように取得して利用しようという考えで試みられているのです。
北海道電力管内では、電力メニューが多様化しており、
このように実験的にヒートポンプを使う場合でもメリットがあるのですが、
やはり、基本となる住宅性能が高いことが絶対条件。
そのうえで、いわば、昼間に蓄熱して、夜間に放熱するこういう自然エネルギーも
活用しようという作戦なんですね。

その意味で、窓も床レベルまでの大きな窓で、
冷輻射での熱損失よりも、蓄熱を優先させている考え方で、
全体として、実にうまく調和が取れている事例です。
土間や蓄熱床などへヒートポンプ熱源からの温水循環が供給されていますが
さわってみると、それほどの高温ではありません。
流している温水の温度は30数度というレベル。
それでいて、室内は20度をやや超えるほどの一定感で満たされています。

太陽エネルギー取得量がどれほどであるか、
数値的に把握することは難しいとは思うのですが、
たぶん、相当なレベルで寄与しているものと推測できます。
岐阜県恵那市で、このような蓄熱床を実験的に取り入れている事例もありましたが、
今後、ひとつの有力な暖房エネルギー取得方法として、
研究が進んでいって欲しい分野だと思います。

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東北からの住宅見学

2008年02月22日 06時12分44秒 | 住宅性能・設備

この時期になると、毎年、東北から
北海道への住宅見学ツアーが来られます。
やはり冬真っ盛りの北海道での住宅性能を確かめたいという
そういう見学目的ですね。
北海道の住宅業界人は、いわゆる性能のことでは本州地域に行くことは少ない。
そうした目的の場合には、やはり北米・北欧に見に行く。
逆に言うと、世界の寒冷地技術を北海道がまず消化吸収して
実際に日本人の暮らしにフィットさせてみてから
それから本州で、活かせる部分を取り入れていく、という流れ。
大体がそういう位置関係にあるので、北海道は元気を出さなければならないですね。
寒いからといって縮こまるのではなく、
寒さを産業的に活かす努力が必要なのだと言われている気がします。

そんなお客様を迎えるようなことが多くなってきて、
他の日本からの目で北海道を見てみると、
そういう違いもやっぱり面白いものがあります。
きのうは山形県からのお客様をお迎えしたのですが、
何人かの方たちから、「和室、目にしませんね」というお言葉。
聞いてみると、山形ではまず、2間3間と和室が続く設計プランが
ユーザー側からの要望条件にふつう、入ってくる。
そういうポイントを基本にしながらプランを組み上げていくことになる。
それに対して、北海道では一般的には、
客間の機能を果たす畳の1部屋、という範囲での注文。
それすらなくなって、居間に隣接しての「ゴロッと横になる」スペースとしての和室コーナー。
というようなケースが一般的にも多い。
まったくない、というのもごくふつうにある。
まぁ合理精神の方が強くて、和室という生活様式的部分はあっさり乗り越えちゃう。
そういった意味では、日本の中で一番インターナショナルな暮らしよう。
とはいっても、合理性重視の現代生活ということで、
欧米的なスタイル、というものとも少し違う。
しかし、インターナショナルであることは間違いないので
たぶん、外国から来るとわかりやすいような部分は強く感じるのではないでしょうか?
そんな自己認識を確認させられることも多いと言えますね。

最近はとくに省エネという部分で、
暖房形式についての変化の行方を見定めたいという部分も強くなってきた。
写真は空気熱源のヒートポンプ利用のお宅。
暖房も給湯もこの外部本体でまかなっているのですね。
もちろん、そのためには建物の性能が絶対条件で、
この家は断熱厚みが200mmのグラスウール+ロックウールで、
熱損失係数(Q値)が0.87という高性能レベル。
窓もすべてが3重ガラス入りの木製サッシ。
そうした仕様で、外気温マイナスのなかで実にマイルドな暖かさという
そういった部分を体感していっていただくわけですね。

ということで、わが社のオープンスペースでのムービー上映、
写真のプレゼンなど、いろいろな仕掛けも準備。
慣れてはいるのですが、なにせ、14人という大勢のみなさん。
なかなか、満足にはお迎えできないのですが、
いろいろな体験をしていって欲しいものと思っております。

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新住協、省エネ表彰を受賞

2008年02月21日 06時13分46秒 | 住宅性能・設備

きのう、経済産業省がやっている「省エネルギー月間」という取り組みの
北海道における表彰式があり、
このブログでも取り上げることが多い、新住協が受賞しました。
経済産業省などのHPを見ると、2月は省エネ月間なのだそうで、
まぁ、冬真っ盛りの中で省エネを喚起しようという作戦と見受けられました。
住宅関係としては、新住協が受賞したわけですが、
これまでの20年にわたる取り組みは省エネ最先端の活動そのものだったわけで、
衆目のまさに一致した受賞だったと言えると思います。

こういうお役所の考えることというのは面白いもので、
日本の行政というものの、あるいは権力の喜ぶことというのが見えますね。
というのは、同時に受賞していたこどもたちの省エネポスターの表彰。
かわいい中学生の女の子が2名、受賞していましたが、
こういう表彰を持ってくるというあたり、
人当たりの柔らかさを狙っての作戦。
思わずこちらも引き込まれて、ニッコリさせられるので、
まぁ、わかりやすいお役人センスの勝ちとも言えますね(笑)。
セレモニー自体は、まさに「お上が指し下される」という形式を墨守しています。
権力機構の番人としての官僚の北海道におけるトップが
まさに日本の権力を代表して、庶民を顕彰するというかたち。
こちらも年を取ってきているので、
むやみに反権力的な姿勢を取る必要もないと思うのですが、
もうちょっと、フランクに「よくやったね、がんばった」みたいな
顕彰形式は考えられないのでしょうか。
権力の丸出し、みたいなのではなく、
無色透明性をもっと際だたせるというようにするのはいかがなのでしょう。
っていうような、ちょっと意地悪い感想を抱いてもしまったのですが、
しかし、受賞自体はまさに正鵠を得ているまっとうなものだと思います。
正直に、喜ぶべきことであるのは間違いないと思う次第。

とくに新住協が受賞したというのは、
北海道にとって、確かに意義深いものがあると思います。
積雪寒冷という条件の中で、多くの先人たちが築いてきた苦闘が
この受賞によって、認められたという側面があると思います。
受賞理由は簡潔そのものでしたが、
まさにその通りで、シンプルに北海道での暮らしを向上させ、
省エネにつながる住宅技術開発に地道に取り組んできたことそのものに
単純明快に顕彰が与えられた、ということですね。
環境の世紀の大きなうねりの中に今日の社会はあると思います。
毎日の暮らしの中でエコロジーを考え、省エネを実践し、
CO2削減に大きな関心を持つ、ということのためには
やっぱりその基本に、住宅そのものの性能向上のテーマがあるといえます。
住宅建築に関わるすべてのものに
大きな方向性を与えられた受賞だと、喜びたいと思います。
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札幌ー仙台ー八戸移動手段

2008年02月20日 06時27分43秒 | 出張&旅先にて

東北での仕事で困るのが、この時期の移動手段。
まぁ、この時期だけに限らないのですが、とくにこの時期、
北東北地域の東北自動車道は、安代あたりで、ちょっとした吹雪で通行止めが多い。
いろいろ辛い体験もしているので、避けたい。
で、仙台からであれば、迷うことはそうはないのですが、
札幌からの移動という条件では、毎回迷いまくる。
今回も、仙台に入って、東北全域を移動したあと、最後は青森県八戸周辺で取材。
そこで仕事は終わるのだけれど、
八戸から、札幌へと移動する手段でいつも迷うのです。

普通に考えれば写真のような「乗り換え案内」コースなんですが、
札幌到着まで汽車に缶詰め7時間超。
もうすこしお金がかかる手段だと、三沢か青森から飛行機なんだけど、
これは、すごく経費がかかりすぎ。
それと、時間が制約されていて、なかなか会わないのですね。
そういうことから考えると、
移動距離は大きく増えるけれど、
時間はむしろ節約できて、比較的選ぶこともできる、しかも経費的にも選択肢が多い、
ということから、いったん仙台に移動してから
飛行機を利用した方が、すべてに得策なんですね。
飛行機会社のローカル線の料金の高さ、
それと比較した幹線路線の競争の激しさから来る価格競争、
それと新幹線の利便性を組み合わせて考えると、そうなる。
時間の面でいえば、八戸からこのコースだと、夕方5時前くらいに出て
仙台空港から千歳に来られるのは夜の9時15分。
札幌到着が、10時前なので、トータル5時間なんですね。
差引2時間以上有利で、しかもちょっとした時間のある空港でメールチェックも可能。
それでいて、仙台ー札幌間の有利なチケットも利用可能なので、
トータルの旅費も抑えることができます。

どうしても、幹線優先の考え方でしか運行できない
大量輸送手段の特性から来る矛盾点と言えましょうか。
いつも疑問に思うことなんですけれど、実際こうなんですね。
まぁ、宮崎から沖縄に行くのに、
結局、いったん羽田に行った経験がありますが、
そうしたほうが、時間も経費も節約できる、っていうのと同じなんですね。
でも、度重なってくると、やはり疑問が膨らみます。
これから、新幹線が札幌まで延伸になるかどうか、
ことしが最終的な決定時期のようで、だからサミットが北海道に来たのかな、
とも思うのですけれど、
そうなると、このあたりの事情が変化するものかどうか、
そもそも、北海道と東北地域の移動ニーズが
どこまで安定的に存在するのか、大量輸送企業にとってもむずかしいですよね。
さて、どうなるものでしょうか?
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