三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展】

2019年07月31日 04時21分03秒 | Weblog
最近は日本画がブームということなのでしょうか。
西洋絵画をみることがめっきりと減ってきています。
っていうか、あまりにも生活文化背景に違いがありすぎて、
作品への内的な「同意」がなかなかおぼつかなくなっている。
やはり日本人として、感受性の共有に敏感になってくるのでしょうか。
ということで、日本画では「国民作家」といわれる
東山魁夷さんの展覧会が札幌の北海道近代美術館で先週日曜日まで
「唐招提寺御影堂障壁画展」が開かれていましたので、
カミさんから久しぶりのお誘いをいただき、大喜びで参観。

この展覧会は、全国で巡回的に展示会を開催していたようです。
唐招提寺が東山魁夷さんに、その開祖である鑑真和上さんの事跡に即して
御影堂を飾る障壁画を依頼し、10年を超える時間を掛け完成させた大作。
日本画の大きな特徴として、いわゆる「壁画」というものではなく、
建具としての引き戸に描かれることが一般的。
したがって、カンバスは建築的な柱梁架構によって縁取られることになる。
西洋絵画が主にカンバスに描かれ、作品単独性が強いのに対して
日本では建築との一体性がさらに強いように思われます。
本来であれば、やはり年に3日ほどしかないという「ご開帳」時に
奈良の唐招提寺で拝観するしかないのですが、逆に言えば、
建具であることで、このように移動展示することも可能だと言うこと。
日本らしい、ということはそんなことからも感じられる。
鑑真和上さんは世界文化としての仏教を導入した青年国家ニッポンを思い、
仏教の魂を移植するという宗教者としての使命感に殉じた人物。
日本の聖武天皇のころ、奥州で黄金が出土し
東大寺大仏、全国に国分寺・国分尼寺が建設されていった、
鎮護国家思想の最興隆期にあった時代。
日本側から繰り返された「招請懇願」を受け中国仏教界の指導者たる
鑑真和上さんが、何度も困難に遭遇し失明までしながら、
来日し、この地に骨を埋めてくれた故事に由来する。
奈良のこの時代は、日本の経済発展期に相当するそうで、
人口の拡大と奥州での産金によって、空前の国家プロジェクトが推進された時代。

東山魁夷さんは、依頼を受けて都合6つの作品を奉呈している。
写真は購入した「図録」ですが、この表紙に描かれた作品は「濤声」。
展示では最初のコーナーで、実際の唐招提寺での展示と同様な
柱梁による空間が再現され、その障壁を飾った様子が再現されている。
東山さんは、この絵を描くに当たって日本海側の日本の海を何度もスケッチ旅行し、
そのモチーフで鑑真和上さんが乗り越えてきた万里の波濤を表現した。
その端には砂浜が描かれて、この列島への上陸を暗示する構成になっている。
そして御影堂の「上段の間」の床の間から周囲の障壁に描かれた「山雲」。
このふたつを鑑真さんの来日をテーマとした初期奉呈作品とされ、
その後後期の作品として鑑真さんの中国での様子をモチーフに3作品作成。
そして最後のワンピースとして、鑑真さんの座像を収めた厨子絵までも
かれが苦難の末にたどりついた鹿児島上陸の絵で締めくくっている。
個人的にはやはり床の間を飾る大作「山雲」に圧倒されました。
なぜか、みなさん素通りされていたので、たっぷりゆったり拝観できました。
やはり日本画はわかりやすく、親近感を持てて素晴らしい。しっかり堪能。

さて本日は東京出張。建築の「2次インスペクション」というテーマの審議会参加。
北海道では住宅の審議会、参加機会は多いのですが国の審議会は初めて。
どんな状況になっているか、しっかりウォッチしてきたいと思います。
ユーザーの立場ということで、ご報告可能であれば様子もお知らせします。
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【盛夏さっぽろ「ヒグマ2頭」公園侵入事件】

2019年07月30日 05時24分43秒 | Weblog
盛夏を迎えて、札幌でもわたしの散歩はどんどん距離延長。
早朝6時前くらいに出掛けて、だいたい1時間半程度、
歩数にして1万歩を超えるのですが、
おおむね札幌市の西部、山の手から西野を流れる発寒川流域を歩いております。
おおむね人工の手が入った公園緑地を歩くので
自然との対話といっても、ヒグマさんにまで遭遇することはない(笑)。
ただ年によってはこの散歩地域でもヒグマの遭遇ニュースが流れることはある。

そんな北海道札幌の南部地域には国営・滝野公園があります。
国営なので、整備がハンパなく素晴らしくて、わが家もこどもが小さいときには
よく利用させていただいた公園で、クルマで市中心部から30分程度。
この公園でヒグマの目撃情報があって、しばらく閉鎖されていた。
写真は国営滝野公園からの提供写真でWEBで拡散発信されていたもの。
で、発信されたヒグマ情報では、浸入はこの2頭の個体だったそうです。
この2頭は母子のヒグマだそうで、高さ3mの有刺鉄線柵を母親は乗り越えて
子熊は小さな隙間をもぐって公園内部に侵入したとの調査発表。
しかも、さすがに自然公園管理者らしく、
この2頭の「侵入動機」についてまで発表されていたことに驚いた。
この時期は活発な子孫繁殖活動、オスによるメスへの求愛が活発化する。
オスは目をつけたメスを追って、なんとか盲目的な愛を遂げようと執拗に狙う。
オスはそうやってメスをゲットした後、子熊を殺す行動に出るのだそうです。
まぁ、自然界の掟なので人間倫理の及ばぬこと。善悪の論評のしようはない。
そういうオスヒグマの強迫から、このメスは子どもを必死に守るべく逃げ回った。
この止むにやまれぬ動機から、人間に管理された公園に危険を顧みず逃げ込んだ。
これはわたしの想像ですが、親子はまず、境界柵の小さな裂け目を発見し、
そこなら子熊は逃げられると判断し、子熊を先に入れさせた。
人間世界ということで怖がる子熊を叱咤し、お尻を押したのかも知れない。
そのあと、自らは決死の覚悟で3mの高さの柵を「乗り越えた」。
頂部には母熊の毛の残留が確認されていたそうです。
恐怖に満ちた人間界への「脱出」という飛躍を母クマは運命選択した。
きっと痛かっただろうし、軽い裂傷などのケガも負ったには違いないと思われる。
・・・以上のような情報が、発表されていたのであります。
たしかに遭遇すれば危険この上ないヒグマではありますが、
その生態をしっかりと観察して、ドキュメントにまで高められたニュース発信。
自然公園側の、北海道の自然への愛情あふれる理解と情報拡散。
そしてなにより、母子熊たちの命を賭けた行動。
さらに子孫繁殖のためにメスを狙ったオスのヒグマの繁殖行動まで、
まさに「愛」がテーマの記録だなぁと、感慨が深い。
さらに、この2頭の母子ヒグマたちは、無事に公園を退去したことが確実と
その証拠も発表されていた。

以上、真夏の北海道から、ちょっとコワいけど、
なんかカワイイ、ヒグマさんの話題。非常に「人間的」だと思えたので、
住宅テーマがブログ趣旨ではありますが、情報拡散させていただきます。
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【節水型トイレと配管「詰まり」の微妙な関係】

2019年07月29日 05時48分19秒 | Weblog
先週わが社2階のトイレで排水が流れにくくなった問題。
トイレのメーカーメンテでも解決せず、配管業者さんに来てもらった。
それで一件落着かと思ったのですが、
なんと2日後、ふたたび「トイレが詰まっています」という知らせ。
う〜〜む、であります。
で、再度業者さんに来てもらって、トイレを取り外して配管関係を
徹底的に調査してもらうことにしました。
「これでもしダメだったら、トイレを外してチェックする以外ない。」という
業者さんの言葉を聞いていたワケなのです。
幸い、土日に掛かっていたので、会社スタッフは休日。
土曜日朝から、チェックしてもらうことにしました。
トイレの配管自体は75mm寸法のパイプ管で、宅内で複数箇所の曲がりとか、
複数トイレでの合流地点とかがある。
チェックの結果、最初の「合流地点」、件のトイレから約1mほどの箇所から
トイレ直前までの数十センチ間が詰まっていることが把握できた。
詰まっている原因として想定できるのは
トイレを通り抜けてしまった鉛筆とかボールペン状の棒状物質が配管内で
着床してしまって、そこにトイレットペーパーなどが積層してしまった?
もしそうだとすれば、その箇所の詰まりを「破砕」したとしても
また別の箇所に着床して、あらたな箇所で詰まることもあり得る。
しかしとはいえ、まずは詰まり箇所は破砕するしかない。
ということで、専用道具を使って破砕させた。
万が一のことを考えて写真のように外部汚水管マンホール箇所で
網をしかけて、着床物質をキャプチャーする作戦も立てた。
破砕させた結果、配管詰まりは解消され、たくさんのペーパーが流れ落ちていった。
しかし、棒状物質は発見できなかった。
その後、全館のトイレからペーパーなどの排出試験チェックを行ったが、
異常は再現されなかった。

異物混入による配管内着床障害ではないようだ。
とすると、既存配管はこれまでなんの問題もなく機能していたけれど、
最近、なんらかの事情で問題が発現したということになる。
・・・と考えると、リフォーム工事での「節水型トイレ」採用に思いが至る。
これまでの大量に水を流すタイプのトイレでは問題が発生しなかったものが、
節水型トイレでは、曲がりや合流というこれまでの環境に適合しない、
という可能性が浮かび上がってきてしまう。
水量と水圧、利用人数の変化などの原因で、詰まりやすくなるのではないか。
それではトイレの側で、予防的に水量を上げる方法があるのでは?
と聞いたが、そういう操作機能はないと業者さんからは断言された。
節水型トイレは「詰まりやすい」とは言いきれないとは思うけれど、
とくにリフォームの場合には、配管の曲がりなどの既存環境に適合しない場合が
あり得るのかもしれない。
どうも、今後とも要注意ということのようです。
さてユーザー側としては、どういった対応方法があるのかと。
とりあえずは、使用前に一回、流水させて「詰まり」を予防してから使用する、
みたいな対応を考えてはいますが、さてどうなるか?
何か情報をお持ちの方、教えていただけることを期待します。
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【北海道の品種改良努力、味も住まいも】

2019年07月28日 06時25分41秒 | Weblog
完熟であります。
こういう完熟メロン「きょう食べてくださいね」というヤツが
ふつうの大きさで800円程度、大玉でも1,000円くらいで購入できる。
WEBでの通販を見ていると、大玉では3,500円くらいの値段が付いている。
特秀とか、秀品とかいろいろ区分けしているようですが、
ほとんど意味はないように思います。
メロンはどうして北海道がおいしいのか?
よくわかりませんが、わからなくても美味しいモノはおいしい。
すっかり有名になった「夕張」のほかにも富良野産とか、
ITメロンとか、ブランド花盛りで競っております。
品種の改良については日々いろいろな戦いが繰り広げられているのでしょう。
先日、北海道のシンクタンクの方と話していましたが、
食の北海道ブランドを発展させていくための戦いは
日々たゆまぬ研究開発努力がきわめて重要というお話しでした。
そういった努力での品種改良でもひとつの結実が見られるのは
10年がかりということになる。

住宅の高断熱高気密技術も、このような
シンクタンクが大いに関わってきた領域だと思います。
住宅もまた官民挙げて「品種改良」を積み重ねてきたということはできる。
夕張メロンのように、全国に出荷されて製品としてのブランド価値をもてるものとは
また違う意味合いで、地域戦略に大いに関わってくる。
「味」と「住みごこち」という違いが、マーケティング戦略的にどう表現されるのか、
知恵と工夫が大いに試される部分だろうと考えられますね。
しかしどちらも、感受性に大いに訴求するという意味で、同質性は高い。
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【人間生活文化の中心軸と「都市計画」】

2019年07月27日 07時22分05秒 | Weblog
先日、日本の建築をリードしている某研究者と懇談していました。
話題はよもやまになっていったのですが、
普段から非常に気になっていることとして「都市計画」の話題に。
わたしは、雑誌・情報の世界で住宅建築に深く関わって生きてきましたが、
自分自身は建築を学んだ人間ではありません。
あと学問的に建築という領域と接点を持ってきた一般人であります。
そういう意味では一般の人間感覚として建築に関わってきた。
そういうなかでいつも素朴に疑問を持っていたのが、
「都市計画」という領域についての疑問です。
建築研究の世界では、この都市計画は最上位に位置すると聞いています。

たしかに個別の住宅がどんなに進化しようが、
その立地する地域、都市それ自体が衰退し、過疎化すれば、
人間の「住む魅力」というものは大きく減衰してしまう。
都市というモノは、そこに住み続けたいと思えるサスティナビリティが不可欠。
その中心軸として「公共空間という磁場」が大きいと思える。
で、わたしは一般人、それもふつうの文系人間として、
むしろ歴史とかに学ぶ部分の方がはるかに優越している。
そのように考えると現代の「都市計画」よりも、もっと前の時代の都市計画に
むしろ妥当性を強く感じ続けています。
札幌では人口膨張に伴って多くの「ニュータウン」が
都市計画家たちの旗振りで造成されたけれど、いまその存続が不安視されている。
公共交通利便性だけで構想された街は、住み続ける中心軸が不在、もしくは希薄。
写真はGoogleの札幌航空写真マップ。
札幌は自然豊かな北海道と言われる割には緑地面積は少ないと言われる。
その数少ない緑地としては円山自然林・北海道神宮が、特徴的。
札幌は京都のような「碁盤の目」状の街割り計画で、
そういう意味では東アジア的な都市計画が基本であって、
その中心的な「鎮守の森」として北海道神宮境内地・円山山麓地を措定した。
そこに日本的な公共空間の中心を定めたのだと。
それにアメリカ東部からのお雇い外国人たちが、円山全山を自然保護して
日本の都市の成り立ちの中心的「静寂性」の基本をつくったと思える。
航空写真で見ても、この中心緑地はたいへん有益な公共性を堅持している。
神社や仏閣という存在は、「宗教」的とは言えるかも知れないけれど、
もっと平易で自然なこころで見れば、それが果たしている都市計画的な中心性、
日本人的生活サイクル的な「公共性」は十分に担保されていると感じる。

どうも「宗教色が完全に排除された公共」という、無いものねだりが、
近代的・現代的な都市計画の致命的至らなさの根源ではないのか。
無宗教ということにこだわるあまり、地域の成り立ちの根源をよく見ないまま、
人間生活の中心軸を見ずに、いわば宙を彷徨っているように思える。
こういうふうに感じているのはわたしだけでしょうか?
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【Macノート再生でブルースクリーン遭遇】

2019年07月26日 06時34分26秒 | Weblog


全国の事業所、多数を占めるだろう中小企業では
パソコンの管理や社内システムの管理更新といった業務は難しい領域。
DTPというパソコンによる工程管理がいちはやく導入された出版関係。
わが社でもパソコンは必須の作業環境になるので、
その管理についてはいろいろ悩み続けるところであります。
機械なので経営資源ということであり、
それらをしっかりとメンテナンスして、ながく使い続けて
適材適所を考えていくのは、現代の仕事環境では不可欠の基本部分。
今回は現役バリバリの機種で内蔵HDが認識されなくなったヤツと
もう1台は、ほぼ似たような経緯で使わなくなって1年放置していたヤツを
仕事の合間時間を見て同時にメンテナンスに取り組んだ次第。

ノートPC(Macですが)の内蔵HD、SSDって、
その記録装置自体の寿命などが原因で取り替える場合が多かったのですが、
そうではなく、ロジックボードと記録装置をつなぐケーブルが
故障してしまうというケースも多いようです。
1台の方でそうした推定が確定したのでAmazonで1,500円程度の
代替部品を購入したのですが、そのついでに
以前から動かなくなってしまっていたヤツにもやってみようとなったのです。
こっちの方のケーブルは2,800円ほどでした。
きっかけになった方のヤツは若干面倒な手順でしたが推定通りで
交換したらあっという間にフル元気に復活してくれた。
一方でさすがに1年近く放置していたヤツは、カンタンにはいかなかった。
最近は応答速度を速めるのにSSDタイプ、あるいはフュージョンタイプの
記憶媒体が増えてきていて、最初うっかりそういうのを入れてしまっていた。
ケーブル交換でたしかに記憶媒体は認識されるようになったのですが、
最初は認識できなかった。思い直して、古いタイプのHDDに換装させたら、
こちらでは問題なかった。こういう推定は経験知ですね。
しかし、その記憶媒体にシステムをインストールするのに手間取った(泣)。
こういう場合Macでは「移行アシスタント」というソフトが一般的ですが
どうもうまくいかないのです。
そこでWEB経由での「復元」を試みたところ、波瀾万丈の連続(笑)。
こういう作業は通常業務を終えた時間帯に、それも時間が掛かるので
ふつうは寝ている間に、機械が勝手にやってくれる。
ところが今回はさすがにブランク長い機種だったので、
途中でなんども生死の境を彷徨っていた。こっちも寝ぼけ気味だったけど(笑)。
上の写真右上のようにはじめてMacのブルースクリーンまで見てしまった。
Appleの電話でのヘルプも頼んだのですが、その後、
再度試みていたら、なんとか無事に自力で復元完了してくれた。
OSとしては、5年前くらいの段階のものまでは復元させられたのですが、
この機種の最新である2年前くらいまで行くのは、また生死の境目のようです(笑)。
とりあえず、そこそこの仕事はこなせる環境だろうということで、
どうせ予備バックアップ用なので、これでいまはヨシとしました。

PCが一般化してから30年以上。経験知という
老兵は老兵なりの活躍の仕方があり始める、と思わされますね。
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【建具造作がもたらす空間の味わい】

2019年07月25日 05時49分35秒 | Weblog



つくばの「里山住宅博」を見学して来たもので、
ここのところ、そのことをブログ記事で書いていると本州地域のみなさんから
いろいろな書き込み。ツッコミをいただいて楽しく書かせていただいています。
一昨日も玄関窓に嵌め込まれた「格子建具」を題材にしたところ、
新潟のオーガニックスタジオ・相模さんからツッコミ。
「北海道は、ほぼ左官職人と建具職人が絶滅したとお聞きしてます。
なければないでいろいろ考えるのが北海道の家づくりかなと思いました。」
ないことはなく、左官職人さんで建築工事まで手掛ける方もいるし、
わが家では玉砂利洗い出しの仕事をお願いしたこともある。
建具工事でもいろいろ面倒なお仕事をお願いもしてきている。
ただ、全般的には北海道では、絶滅危惧であることは事実。
そういうなかで「里山住宅博」で見学した建築家住宅2例では
それこそ建具工事が主役かと思われるほどにキモになっていた。

写真は堀部安嗣さんの住宅例からですが、
家の真ん中の吹き抜け空間に、きわめて印象的な室内窓があった。
白い塗り壁のなかにどうやら引き違いの窓がある。
こういう引き違いの窓って、
北海道では一般住宅ではほとんど見られなくなってきている。
わたしも本州地域ではときどき見掛けることはあるけれど、
北海道ではそれこそ歴史的建造物、わが家周辺では
150年前ほどの開拓時期に建てられた「屯田兵屋」で、
こうした木製開口建具が造作されている様子を見る程度。
そういう建具が150年も経っているのに、
いまでも現役で元気に引き違いの役割、機能を果たしている様子を実感すると
このようにイマドキの窓が耐久性を持って存続するのだろうかと
ふと不安になったりもすることがある。
それは異種素材、木材と金属が複合して機能を果たしているものが、
ほんとうに長期間にわたって、持続可能なのかどうか、
イマイチ、信じられないという心理が働いてくるのですね。
木製建具の場合には、職人仕事として一工程で済んでいるけれど、
これらの現代装置類は、複数の工程になっているので、
メンテナンスが難しいのではないかという不安がよぎってしまう。
この引き違いの建具を実際に動かしてみたけれど、
過不足なくスムーズに稼動して、あとは木の機能劣化だけが「按分」される、
そういうわかりやすさが伝わってくる。
北海道のようにこうした建具仕事が絶滅危惧に瀕してくると、
こういった建築表現のありがたさ、すばらしさに目を見張る思いがする。
なにより職人さんの手仕事感が住み手にジカに感じられる部分。

さて、相模さんが言うとおり
「なければないでいろいろ考える」ことが本当に地域としてできるのか、
まさに「試される大地」(ちょっと前の北海道の地域キャッチフレーズ)かなぁと、
本州地域からの叱咤に聞こえた次第です。
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【新築後28年で初めて外部汚水管位置を確認(恥)】

2019年07月24日 08時38分09秒 | Weblog
2日前にわが社オフィス部分2階のトイレの詰まりが発生。
これは昨年のリフォーム前からこの位置にあるヤツで、
便器はそのときに最新型のモノに交換しておりました。
隣接して新しく作ったトイレの方は別に詰まったりはしていない。
ということなので、メーカーさんのメンテに連絡して
一昨日、見てもらっておりましたが、
どうも要領を得ないで、「外部の汚水管で詰まっているのでは?」という見立てを
報告していただいていた。
そういうことなので、昨年のリフォームも頼んだ懇意にしている工務店にヘルプを。
で、昨日午後、配管詰まりのプロに来ていただけました。

一昨日にはメンテのチャックをわたしはしていなかったのですが、
そういう経緯なので、付き添ってチェックさせていただいていた。
で、いくつかの外部のマンホールを開けていった。
わが家の前面側には都合5箇所のマンホールがあることは確認していた。
それらをチェックして異常は特段見られない。
そこでわが家建物外周に沿って、バール状の器具を使って「犬走り」を突っつきはじめた。
さすが、なにをするのか、プロの仕事は予測が付きにくい(笑)。
でも、そうやっているウチに2箇所の「隠れていた」マンホールを
みごとに探り当ててくれた。まことにココほれワンワン状態。
写真の箇所は最後に探り当てたもっとも件のトイレに近い場所。
そこでも特段の詰まりは発見できない。
で、実際にトイレから排水させて、各トイレの配管経路特定にとりかかる。
そういう結果問題発生している経路があぶり出された。
どうも、問題発生の経路区間はそう長くはなく、トイレ周辺であることがわかった。
で、再度、問題のトイレに戻って、プロの方が専用器具を使って
トイレ直近の配管部分を清掃してみて、特段の詰まり箇所は発見できない。
「であれば、」ということで、問題のトイレで排水させてみたところ、
みごとにトンネルが開通してくれた!
その後、確認のためにトイレットペーパーを数回、各所から流して
いずれも正常に動作されていることを確認させていただいた。
最近のトイレの方が「節水」機能の強化ということから
一部経路にボトルネックが生じやすくなっていて
そこに「大量の」ペーパーを使ったりすると、詰まり発生確率が高まるとの説明。
いやはや、いろいろ勉強させられます。
2回2日間にわたってのメンテでしたが、トイレ配管だけに「奥が深い」。

そういうことでメデタシということでしたが、
こういう機会があってはじめて外部汚水配管経路が特定されて、
今後のメンテナンスにたいへん大きな知識を得られました。
プロの方からは「冬場になると大変なんですよ」という声を聞いた。
外部マンホール位置については、住まい手も知識を持つべきですね。ふ〜〜。
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【木製建具がもたらす暮らしの陰影】

2019年07月23日 07時45分09秒 | Weblog
家って、結局は外界とは違う環境を作り出す営為。
人間生活には絶対に明るさが必要なので、
それを外部から取り入れたり、照明計画を考えたりする。
外部から光を取り入れるには、窓を必要な箇所に開けることになる。
窓を開口させれば、その先にどんな景色が広がっているかが
ポイントになるでしょう。
その家の立地環境でのいちばんいい眺めを居間には取り込みたい。
人生でいちばん永く過ごす視線環境を自分で選択できるのは醍醐味。
それ以外の場所では、ケースバイケースで
見たくない箇所では明かりだけを取り込んで曇りガラスを入れたりもする。
とくに都会のなかでの周辺環境では制約も大きくて
高い位置に横長の窓を取ったりして、外部視線との了解点を探す。
そういうやり繰りが通用しなくなってくると、
半分視線を遮り半分は採光するような、木製建具を考えたりもすることになる。
写真はつくばの家の伊礼智さんの住宅事例。
ここは「里山の家」なので、たぶん関東の一般的な住宅与条件よりも
視界環境はかなり恵まれているでしょうが、
玄関を入ってすぐ右手の採光窓にこのような建具が付けられていた。
木製建具が入っているので窓はたぶんフィックス窓。
開閉することはなく、この建具はまさにウチとソトの境界を仕切っている。
玄関に入ってすぐということは、心理的にはそういう境界を意識する。
いわゆる「結界」という心理の区切りに位置しているのですね。
そこでこうした陰影という採光装置で「迎えられる」ワケ。
わたしはこの家には2回出入りしたのですが、
その両方で、「あぁ、ここに格子建具がある」と気付いていた。
こういう格子の建具というのは日本人にはなにか、ネイティブな感覚を呼ぶ。
京都町家の格子の連続による街並み景観にも似た
そういった感覚の部分が揺さぶられるのかも知れない。

こういった建具を使った空間デザインというものが、
本州地域ではかなり根強くあり続けていると思う。
北海道では、こういった建具仕事はなるべくキャンセルさせたい右代表でしょう。
というか、建具屋さんという職業領域自体が存続を危惧される。
しかしニッポン的マインドには、こういう建具による「中間領域」、
かなり重要な存在感を示しているのではないだろうか?
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【破風の厚みに見る地域特有のデザイン感覚】

2019年07月22日 06時05分13秒 | Weblog


写真は北海道の伝説的な住宅設計者の倉本龍彦さん(上)と
今回見学して来た里山住宅博つくばの堀部安嗣さん(下)の破風外観。
わたしは当然、北海道の住宅取材の経験が長いのですが、
本州地域の設計者には、この破風を
なるべく軽快にみせたい、薄く仕上げたいというケースが多いと感じます。
北海道の設計者では、そういうこだわりよりも
住宅の安全性重視でより「重厚な」破風をデザインするケースが多い。
北海道の設計者、なかでも倉本龍彦さんは「和風」を意識した作風でありながら、
この写真のように、やや重い雰囲気を作っているケースが圧倒的。
印象としては、ゴチック文字と明朝文字のようなデザイン表現の違いを感じる。
北海道はシャープさというようには容易には志向しないけど、
本州地域では、できればそうしたいみたいな部分を感じる。

北海道の設計者でも、和風という伝統デザインを重視したいひとは多いだろう。
しかしそういう人たちの実作では、あまり破風の厚みを気にせず、
重厚で性能防御的な仕上げに対してこだわりを持っていないのは、
やはりそれだけ、いろいろな気候条件に対しての配慮なのでしょう。
単純に積雪荷重への配慮、断熱厚みの確保からの必然性など、
いくつもの「要因」がそこにはあり、本州ではキャンセルもできるということかと。
しかしこのことは、表面的なデザイン感覚を競うような場合には
マイナス的に働くことは否めないのだろうと思う。
軽快感対彫りの深さ感という違いを同じモノサシで比べているみたいな。
なによりそうしたデザインコンテストの選者自体が、
本州以南的な常識感覚を持っている場合が多いので、
より市場性の広い感覚を中心に選んでしまうケースが多いのだろうと。
で、北海道独自の高断熱高気密、きびしい気候条件対応のなかでの
住宅デザインは、もうちょっと違った価値観であるべきだと感じて
わたしは、北海道スタイル的な住宅デザインの市場的進化を
表現するような動きを積極的に取り上げてきたように思います。
デザインもまた、より大きな地域性を表すのではないかと。

ということでわたし的には、この破風の厚みというのには
それほどデザイン性を強く感じない環境で仕事してきたのですが、
さてこのように比較して、みなさんはどのように思われるのか、
かねがね、知りたいなと思ってきたところです。
いかがでしょうか?
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