性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【禅、朝課、宗教文化を面白く】

2016年10月31日 06時28分00秒 | Weblog
さて、出張で東京に来るのに、余暇時間の過ごし方が
段々と年寄り臭くなってきます(笑)。
まぁ人間、興味分野は変わっていくものであります。
ちょうど東京国立博物館では、禅にスポットを当てた企画展示。
見ようと思って入ったらちょうど、禅トークというのがあるとアナウンス。
禅トークって、要するに「禅問答」と訳せるのじゃないか、
みたいに密かなツッコミ気分を持って聴講させていただいた。
禅の代表的な画と言えば、禅の創始者達磨さんに
弟子入りしたいと思った人が、その腕を切り落として
その修行の覚悟をあらわす件を描いた禅画が代表的とされるのに、
今回展示では、上の写真のようなマンガっぽい「偈」の画が主役に抜擢された。
この絵は、禅をわかりやすく伝教した高僧が描いた禅の本質表現だとか。
相手の心の中を見通すようでありながら、しかしはるかそれ以上に、
明るく楽しい視線であり、またその表情が可笑しい・・・。
そこに今回展示の意義がある、というような、
そういった経緯を「禅トーク」では話されていた。
なんでも有名な絵の方は30億円は下らないが、
この主役の絵の方は、たかだか1,000万円くらいだという、
およそ禅トークとは思えない下世話な話題まで例示されて
でも、禅の本質とは「こころをかたちに」である、その表現だと。
で、その後、展示を見て回りましたが、
こころなしか、この博物館の展示にしては熱気が薄い。
イマイチの反応だったのではないかと、思われました。
禅はたしかに日本文化に深く浸透した文化でしょうが、
やはりその幅広さに、表現が追いつかなかったような印象を持ちました。

今回出張では東京都内のホテルが満杯状態。
で、川崎まで行かなければならなかったので
翌朝はこれ幸いと、川崎大師平間寺に参拝してきました。




こちらでは、朝6:30から護摩を炊いている。
空海さんが、密教思想に日本的な山岳信仰の要素を加えた
その様子がこういう護摩法要には見えますね。
ある結界を作ってそのなかで火を燃やして、印可を唱えるって、
なんとも呪術的で、支配階級層の中でこの真言宗が支持されたのが、
こういう「念力」的な現世利益要素であると見えます。
はるかな現代、わたし的には、大いに楽しく見させていただいている。
態度に於いて不遜なのかとは思いますが、
イベントとしてみていると、相当に面白みがあります。
たぶん、初期こういうパフォーマンスを初めて見たひとは
相当に度肝を抜かされたに違いない、という視線です。
やはり人の心に「刺さっていく」のは、面白きこと、楽しきこと・・・。

ここ数日、ブログでは「日本エコハウス大賞」関連の話題が続きました。
活発な対話が起こっていて、これは有意義ではないかと思っています。
今後とも深まっていくことを期待します。
ということで、本日月曜日は仙台に北上しておりまして、
3日間、仙台事務所で行動して参ります。さてさて。
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【謙虚にシアワセを実現する「エコハウス」】

2016年10月30日 06時47分14秒 | Weblog
わたしの「日本エコハウス大賞と,北海道の住宅」の投稿に対して
全国各地から、たくさんのコメントが寄せられています。
北海道の立場の山本亜耕さんとかわたしに迫られてくる(笑)。
とくに選者でもある西方さんから、
「北海道勢を呼び込みたいのは単に断熱・気密性能が高いだけではなく、
それをものにすることで建築文化や建築生産の在り方が脱日本化したことです。
良くいわれるデザイン、デザインも
ジャポニカ的な感覚的な空間(松村秀一先生が言う所の
自分らしか意味が通じない空間という言葉)のキレイキレイではない、
論理が通った形態と生活の場です。北海道には北欧やフィランドの影響が、
北東北にはオーストリアフォアールベルクの影響が底にあり、
ガラ携ではなく脱ジャポニカしています。
寒流と暖流のぶつかり合いと混合の場をもちたいのです。
そこから何が生まれてくるのを知りたいです。」
というようなコメントが寄せられていました。
また、賞の主催者側の建築知識ビルダーズ・木藤編集長からも
「以前、三木さんにも投げ掛けたことですが、誤解を恐れず
素朴な疑問としてお聞きしたいのが、北海道の方々は
地球環境やエネルギー問題にも、住宅はあまり関与していない
という見解なのでしょうか・・・? または耐久性とか、建築の普遍性といった
エコにもあまり関心がないのでしょうか…? 
高断熱高気密が長年当たり前できた北海道の住宅は、
今、何がテーマになっているのでしょうか・・・?」
という根底的な問いが寄せられています。
どうも、北海道全体に向けられているご意見と思いました。
わたしがそれに答えることがふさわしいのか、疑問ですが、
意見交換の場を作った者として、お答えは考えざるを得ないと思いました。
こういう対話が新しい展開を生むことは間違いないと思います。

そのどちらの問いかけにも、いまの北海道の住宅のありようが
当たり前ですが、そのままの答えなのだろうと思っています。
北海道ではいま、7割までが地域の中小規模の作り手が個別生産的な
戸建て注文住宅を作っている現実がある。
この市場での優位性、「地場力」の強さは全国でも珍しいことのようです。
そしてその地場のなかで厳しい「競争」が起こっている。
そのなかから「地域ブランド」にも似た作り手が育ってきている。
さらにニセコ地区では、世界の感受性に訴求させる住宅づくりでも
そのプレーヤーとしてかれらが参入し成功し評価を得ている。
インターナショナルな評価にも十分に耐えられる多くの作り手が存在する。
また、多くの作り手が全国とくに首都圏からの住宅の受注に成功し、
わざわざ出張して、各地で家を建てている。
東京の著名建築家よりも「仕立てのいい」北海道の作り手を
評価している首都圏以西、以南のユーザーは多いということ。
見てくれでない「デザイン」、着心地ならぬ居ごこちが評価されている。
そういった住宅事例を取材もしています。
東京に出張するたびに、そういう作り手のみなさんと遭遇する機会も多い。
昔、西方さんの言われる「ジャポニカ的な感覚」をありがたがって、
著名建築家に北海道で家を頼むユーザーがいた時代を考えれば隔世の感。
そういった現実自体が、「寒流と暖流のぶつかり合いと混合の場」だと思います。
「東京の設計者にプレゼンで勝つ北海道の作り手」は多い。
あと、木藤さんの疑問にはなんとも答えようがありません。
住宅はあくまでも個人としての営為であり、そのシアワセを追究するのが
作り手の基本的な態度だろうと思います。
エコロジカルであることは、この時代、誰もが思うことであり、
そうありたいと思っているなかで、個人としての家づくりがある。
エネルギー使用それ自体が人類的な罪業であるとまでは思えない。
少量の暖房などへの使用自体は、普遍的なものだろうと思います。
やはり北海道ではことは人権的、生存保障的な側面まで持っている。
いわば謙虚にシアワセを実現したい、というのが基本的態度なのだと思います。
その価値感と、競争的「賞」とはややズレはある。

きょうは、こうした返事のようなことを書いてみました。
きのう夜に返信的にコメント欄で書いてみたのですが、
やや意を尽くしていなかったので、その部分を削除して
お答えになるかどうかではありますが、もう一度、内容を書き直した次第。
ただ、西方さんや木藤さんの提起自体はその通りだと思っています。
大いに北海道の作り手のみなさんは参加を考慮願いたいですね。
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【東京都内でのハンパない移動歩数】

2016年10月29日 07時30分35秒 | Weblog
久しぶりの東京だったので、ジャパンホームショーその他
たくさんの人と会ったりしておりました。
ジャパンホームショーでは2日間でおおゆそ30人くらいの方と
ほぼ「ばったり」、顔を合わせてどこにいるよりもたくさん会話機会を持ちます。
きのう、ホテルに入ってから調べてみたら、
おおむね6割強が本州以南地域の方でしたが、
一方、北海道の方も3割強以上になっていた。
30人の方とほとんどが立ち話とはいえ、1人あたり10分とすれば、
300分ですから、5時間分対話している計算になる。
あのビッグサイトの広い会場でもそれくらい人と会う確率がある。
それだけ、多くの人が情報の摂取に励まれている。
まぁもちろんその間に、セミナーなどでの情報取得もある。
接触機会の意図的な創出と考えると、やはりこういういイベントは
かなり効率がいいと言うことだと思います。

なんですがそういった結果、「歩く運動量」はハンパない。
写真はiPhoneにあるアプリのひとつで計測したわたしのきのうの歩数。
まぁ北海道では通常、4000歩内外で過ごしているわけですから、
東京出張というのはすごい歩数です。
ほぼ3倍から4倍というくらいの総移動歩行数であります。
たぶん東京都内に仕事で普段いる方の2倍くらいは動き回るワケですが、
それを差し引いても、東京でのビジネス的移動環境というのは
いかに健康に適しているかが、わかりやすく伝わってくる。
別に健康維持のために東京出張しているワケではありませんが(笑)、
ホテルに入るとさすがに疲労感はすごいものがある。
首都というのはなによりも情報摂取の場所であると知らされますね。

さて本日は、楽しみにしていた遺跡発掘の発表会。
先般訪問した栃木県市貝町の「寺平遺跡」の調査結果を
発掘に当たられた専門家の方から直接聞くことができる機会。
「古代の豪族居宅の全容が明らかに」というタイトルは
わたしの興味を根深くとらえて放さない(笑)。
現代の住宅論議と、古代の住宅関連論議、
こういう情報摂取の仕方も、たいへん興味の尽きないものであります。
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【日本エコハウス大賞と北海道の住宅】

2016年10月28日 06時23分58秒 | Weblog
きのうは早朝に札幌を出発して、東京ビッグサイトへ。
なんですが、飛行機の滑走路が1本閉鎖と言うことでやや時間遅れ。
10:30開始で「日本エコハウス大賞」の審査が始まっていましたが、
会場に着けたのは、11:10頃という遅刻ぶりです。
まぁ、どうしても「北海道は遠い」。
この「日本エコハウス大賞」を主催されている建築知識ビルダーズ
木藤編集長には、先般の新建築住宅特集「環境住宅」のときにお世話になって
強くお誘いいただいていたこともあり、またジャパンホームショーということで、
取材活動の一環で参加してきました。
賞の趣旨などにはまったく同意するところであり、
また前真之先生はじめ、審査に当たられている建築家のみなさんも、
日頃の活動など、大いに共感を感じている次第です。
大賞選考自体は、わたしどものReplan東北版でもよく取材している
設計島建築事務所さんがみごと大賞をゲットされました。
なんですが、残念ながら時間に間に合わず、設計者の
三浦正博さんのプレゼンテーションは聞いておりません(泣)。
発表されていた住宅については、配布の「抜き刷り」資料に詳細が出ていて
11月27日には「完全版」が建築知識ビルダーズさんから発売されるそうです。
ということで、宣伝協力しましたよ、木藤さん(笑)。

で、きょうの本題は会場で審査に当たった西方里見さんからの
「北海道からの応募参加がたいへん少なくて残念。ぜひ大いに」という発言。
まぁ、耳が痛いというか、木藤編集長からも言われていた件でした。
わたしは出版社ですので、その意味では言われてもしょうがないのですが、
確かにこういう賞の趣旨には賛同していながら、
どうも非協力的な地域であると言われても仕方ないと思えます。
ただ、やはり温度差もあり距離感もあるというのが、
北海道の作り手の実感だろうなと言うのも感じています。
端的に言って、賞のネーミング自体「日本エコハウス大賞」と
銘打たれているけれど、北海道の作り手の実感としては
「エコハウス」と意識して家を作っていないのが正直なところだろうと思います。
確かにエコハウスというコトバの規定要件の大部分は
熱性能的な部分であり、その要素技術についての地域的蓄積で
北海道は他地域とは比較にならないほどの積層を持っている。
さらにそういう「競争条件」の元で長年にわたっての市場熟成も出来ている。
したがって、賞というものが本来果たすべき社会的機能としての
達成されるべき水準への「啓蒙性」において、
その必要段階はすでに遙か以前に過ぎているというのが北海道的実感。
今の北海道の作り手たちが、こうした日本全体の賞を受けようとすると、
その要素技術を探求し格闘してきた多くの先人たちに対しても
臆してしまう、「俺でいいのか」と。
もっと言えば、中央の建築エスタブリッシュメントの側に対して
なぜ高断熱高気密技術に対してそれをまっとうに
評価してこなかったのかという気分が北海道にはどうしてもある。
まぁ、このあたりは「気分」であって、実態的とまでは言えないでしょうが。
ちょうど、選考者の伊礼さんが大賞の趣旨説明で述べていたとおり
「足るを知る」というような気分が、このことについてあるように思えます。

結局、北海道の作り手はいま、
個別の戸建て注文住宅という世界の中で、建て主のシアワセと
向き合って「普通に」丹念に作り続けているように思います。
主観的には「普通の家」であって、エコハウスと力んで作ってはいない。
どうもそういった相違が津軽海峡には横たわっているように思われます。
ただこのテーマ、わたしには深みがあって面白く、追究してみたい部分。
なので、これが結論だとも思ってはいません。
西方さんの提起を受けての「反応」です。
北海道も日本であるのに、ある時期まで「俺たちは所詮は外国なのさ」と
日本に対して無関心でもあったというのは事実なのですが、
でもこれからどうすべきなのか、示唆に富んでいると思いました。
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【どうにも好きな「金太郎」CMキャラ】

2016年10月27日 05時27分43秒 | Weblog
わたしは、東北にいるときは比較的に東北道を走っている。
で、PAにはときどきこのキャラのお店がある。
このCM写真にはどうしても、親和力と企画力を感じさせられる。
このこども、年齢的に言って「赤ん坊」とは言えないけれど、
さりとて「少年」とまでは言い切れない時期の男の子。
この辺の微妙な選別には相当に気を使ったことが伝わってくる。
キャラ的には丸顔、というか、金太郎顔ですね。
日本のお伽噺でも男子最強のキャラは、この金太郎さんでしょうね。
なんといっても、金太郎ですから1番に違いない。
ただでさえ、かわいいのに、その子が
超山盛りのご飯に向かって、喜々として立ち向かって行く表情。
そしてそこに無心さが強く感じられる。
いつも、このキャラの写真を見せられる度に、こころのなかの好感度指数が
最高潮ボルテージを表示するのであります。

たぶん全国展開はしていない東北のチェーン店だと思うのですが、
一部北海道でもどこかで見掛けたことがありますが、
業績がどうなのかは、知る由もありません。
また、わたしの扱っている広告事業的対象業種でもないので、
そういったポジショニングとかを分析するのでもないのですが、
このCMディレクションには、いつも同意させられる。
なにか、胸のすく王道っていうような印象があるのですね。
世の中での自社の立ち位置、その「そうありたい」ポジショニング形成で
このCMの制作者には、非常に親近感を持つ次第であります。

さて、本日から再び関東〜東北へと1週間日程の出張。
頑張ってきたいと思います。またこの金太郎ちゃんとも会えるかも。
ということで、時間がない早朝のブログアップなので、
きょうは一発ネタであります。住宅ネタはまた追って明日以降に。
あ、もちろんこの企業の広告をいただいているわけではありません(笑)。
ではでは。
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【新住協慰労ゴルフ会にブロッケン現象あらわる】

2016年10月26日 06時33分14秒 | Weblog
さてきのうは、ゴルフのお誘いに久しぶりに参加。
20〜30代の頃は、よくゴルフ行っていたのですが、
最近というか、ここ20年以上は年に2〜3回のお付き合いゴルフ。
ことしは新住協の総会が札幌で開かれたのですが、
9月の初め土曜日と言うことで、いいゴルフ場をおさえることができなかった。
その残念な気持ちを晴らすゴルフ会ということで、
鎌田紀彦先生を囲んで総勢10人で楽しいひとときを過ごしました。
会場は札幌の名門コース・小樽カントリー新コース。素晴らしい。
プロの大会も毎年のように開催され、平坦コースながら距離もあり、
池や深いバンカーなどが戦略的に配置されていて、しかもグリーンが難物。
っていうような、挑戦しがいのあるコースであります。
わたしは、以前はよくこのお隣の小樽カントリー「旧コース」に来ていました。
こっちは北海道最古のゴルフコースで9ホールしかないのですが、
いかにもスコットランドリンクスを彷彿とさせるコースで
本当にゴルフを楽しめるコースです。
会場を聞いて、おお、小樽かという引力に引き寄せられた(笑)。
まぁ、スコアは別にして(笑)、大いに楽しくプレーさせていただきました。
ベスグロでようやく●◎●を切るという、懇親目的のゴルフでした(笑)。



なんですが、やや詰まってきて待ち時間が出来たときに
ふと誰ともなく上空を見上げて
「あれ、なんだあれ?」という声を発した。
見上げると、なんと上空いっぱいに大きな光の輪がぐるっと回っている。
とっさに「おお、札幌でもついに地震雲発生か」と色めき立った。
とてもその全景を1枚の写真に収められない大きさ。さらに、


お日様の方向を見てみたら、ごらんのような「巨人の目玉」。
そんなことで、これがなんなのか不明のまま、Facebookで情報拡散。
現在18時間経過後ですが、「いいね」が134個スタンプされていました。
大体想像としては、太陽光線と雲とのシンフォニーで
奏でられた気象を表すサインであろうとは思ったのですが、
つい「超常現象に遭遇」などとスキャンダラスなネーミングに走ってしまった。
お騒がせ男で、申し訳ありませんでした(笑)。
で、みなさんからコメントをいただいて学習させていただきました。
どうもこれは、「ブロッケン現象」というのだそうです。
Wikipediaの記述では
ブロッケン現象とは、太陽などの光が背後からさしこみ、
影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され見る人の影の周りに、
虹と似た光の輪となって現れる大気光学現象。
光輪(グローリー)、ブロッケンの妖怪(または怪物、お化け)などともいう。
ということだそうです。
「びっくりして、スコアどころではなかった」
ゴルフ場で見られて、スコアの悪さをこれのせいにできてよかった(笑)。
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【「古びてなお」 廃屋にも美観はあるか】

2016年10月25日 05時41分37秒 | Weblog
わたしたちはいま、21世紀初頭の時代を生きている。
この時代というのは、これが歴史時間にやがてなっていったとき、
どんな時代だというように規定されるのだろうかと、ときどき考えます。
20世紀は世界戦争の時代を経て、人類規模で経済が
資本主義に席巻されていった時代であり、日本においては、
戦争の惨禍から復興し、高度経済成長を遂げた時代。
そして21世紀は、その成長を支えた人口増大が急速に停止し、
人口減少時代の足音に不安を感じ続けている。
戦後からの建築への旺盛な需要が鈍化しつつあり、
街には「空き家」の存在が大きく目立ってくる時代になった。
街の表情も、かつての「駅前」などの中心市街地が空洞化して
クルマ交通を前提とした新「市街地」に、人々の行動が移っていっている。
住宅建築の世界でも
これまでの大量生産型の価値感が大きく変容し、個別少量生産の方に、
ビジネスチャンスはシフトチェンジしているように思われる。
今起こっている、街の中心ゾーンの移動、変容もまた、
クルマという「個別少量」の移動手段の方が優勢になって
大量輸送型の鉄道が相対的に役割が縮小化してきている表れなのかも。
これからの時代は、すでに見えてきているように
都市化と過疎化、そして中間的なものというように
3つに大きく街のありようが分かれていくのでしょう。
北海道のニセコ地区のように、北東アジアの世界リゾート化というような
そういった需要は今後とも日本ではあり得ると思います。
アジアが経済発展したいま、日本という四季変化が明瞭で
しかも治安と政治的安定性のある地域には、観光需要が起こる。
観光は結局最後はその地域が持つ「文化力」に収斂されていくと思う。
そういう「発展要素」を持った地域と、
人口流出が進行して過疎が深刻化して行く地域に分かれていく。
そして多くは、その2極の間でゆれ動く地域になっていく。
そのような変化の結果、過去の市街地の各所に
写真のような廃屋・廃墟が姿を露わにしてこざるを得ない。

この様子は、十和田の中心市街地のなかの光景。
一見すると、中途半端に建物が解体されて、その鉄骨の骨があらわれ、
なにやら無惨な表情になっていると思うけれど、
しかしその後、屋根付き駐車場としての生き残り機会を得たものか、
それなりの使用痕跡が見えていて「手入れ」されてあるようなたたずまい。
第一、この骨組みの表れたオブジェ感は、それなりの美観も生んでいる。
いま、建築でも「リノベ」ということが深耕されてきている。
これはどうも、「新築そっくり」という方向性では決してないように思う。
そうではなく、古びてなお美しいという方向性の
その発展形であるように思われてならない。
そんなイメージを持ちながら、この「廃屋」が醸し出している空気感に
錆びてはいるけれど、正直な素材感を感じていた次第です。
考えてみれば世界的な観光都市ローマは、廃墟見物をウリにしている。
みなさんは、ただの汚い廃屋とみられるでしょうか?
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【十和田「バラ焼き」の食事作法】

2016年10月24日 05時48分34秒 | Weblog


青森県十和田は、札幌とよく似た計画都市。
八甲田山系の高台高地で、農業には適さなかった地域を
江戸期以来の絶え間ない公共工事で、開拓してきた歴史を持つ。
以下Wikipediaより引用。
もともと十和田市のあたりは三本木原と呼ばれる荒蕪の台地で、
台地周辺に寒村が点在していた。安政2年(1855年)の時に
新渡戸稲造の祖父の新渡戸傳を中心に奥入瀬川から水を引く計画に着手し、
1859年稲生川(いなおいがわ)として引水に成功して開拓の基礎ができた。
明治18年に陸軍が軍馬局出張所を設置したことから、馬産が栄えた。
同市の農事試験場(藤坂試験場)で開発され、昭和24年から
普及段階に移された稲の品種「藤坂5号」は非常に冷害に強く、
やませが吹いて夏が冷涼なこの地域で急速に広まり、穀倉地帯になった。
現在その遺伝子は多くの稲の品種に組み込まれている。〜要旨抜粋。
そういった経緯で集住地域として現在の十和田市が計画的に造成された。
札幌と同様に碁盤の目のような明治初期の計画的な街区が特徴。

ということなのですが、
食べる方では、馬肉などで有名であります。今回出張では街中の屋台で食事。
ビニールでテント張りされていて、野趣あふれるたたずまい。
屋外で寒いけれどこたつの席もあって、楽しい雰囲気。
で、薦められるままに食べたのが「バラ焼き」。
どうやら十和田バラ焼きは、B級グルメグランプリなんだとか。
案内してくれた平野商事・平野さんに食べ方をご教授いただいた。
鉄鍋にタマネギを周囲に展開させて、その上に牛バラ肉をのっける。
っていっても、積層しているバラ肉を写真のように山盛りする。
そうしておいてから、下のタマネギたちを箸で右回りに回していく。
徐々に落ちてくるバラ肉の肉汁でだんだんとタマネギも黄金色に変わる。
それからバラ肉をほぐしていって、タマネギと混ぜ合わせる。
バラ肉には甘辛く味付けされているのでそのまま、舌にアツアツを載っけて食す。

この料理は、バラ肉だからバラ焼きではなく、
どうも、食べていた情景から来ているネーミングなのだそうです。
というのは、戦後近隣の三沢が米軍に接収されて米軍関係者が移住してきて
かれらの好みと十和田の食材が出会って、生まれたのだそうです。
で、当初は「バラック小屋」で食事が供されていた。
バラックは本来は駐屯兵のための細長い宿舎のこと。転じて空地や災害後の
焼け跡などに建設される仮設の建築物のこと。当面の間に合わせであり、
材料も上質なものは用いず、簡易な構造で造られる。
っていう建物で食すのに、このネーミングがぴったりだったと言われる。
わたしのブログは一応、建築に関係しているので、
このバラ焼き紹介も、建築に由来しているというワケなのであります。
あ〜うまかった、という次第、ごちそうさまでした。
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【伝統を排除した現代的無名性の社会復元】

2016年10月23日 08時04分13秒 | Weblog
きのうも少し触れたテーマなのですが、
東日本大震災での「全的被災」の結果、集団移転を選択して
新たな「集落造り」に向かって歩んでいる地域社会の状況を聞くことがある。
どこということではなく、一般的に広く聞くことがら。
そこでは震災以前まで多くは地域の神社などの「まつり」があって、
それが人々の人生歳時記に刻印されてきていた。
生き死にの想い出までが、そのまつりの時空間で積層されてきていた。
そこでは当然、長い先祖からの営為もあったことでしょう。
であるのに、現代社会の無宗教志向、政教分離という
本当に日本人の本質的生き方を凝視していないと思える理念に基づいて
「社会復元」が現にいま、行われつつあって、
人々の伝統的な「地域社会文化」が結果として無惨に破壊されている。
しかし、コミュニティの形成・存続には
人々のこころの繋がりということは、欠かせない部分になる。
そこで、宗教性のない営為というものが代置されることになる。
そういうものも、行政側と住民との対話で進んでいくけれど、
それを企画し、運営していく側の自治機構もアタマが痛い。
敬老会とか、花いっぱい運動とかが代償的に「公的」行事で行われている。
しかし、そこには伝統に根ざした民族的な「知恵」は見失われている。
というか、現代の都合による伝統的生活文化の破壊は
はたして民族的な視点からみて、本当に許されるのだろうか?
という大きな疑問を抱かざるを得なかったのであります。

端的に言って、被災した住民は集団移転させるが、
同じように全的に被災した神社や仏閣は彼の地に放置されている。
人間は救うけれど、神さまは救済されていないのです。
そのことに大きな不条理感を持ってしまったことがあるのです。
たぶん、伝統的な地域の中核的な「まつり」などがある場合、
現代統治機構側は、その伝統性を「尊重」して配慮すればいい。
それは住民の意思に基づいているという、追認でことが終わる。
それに対して、全的被災以降はある特定意志を持ってでなければ
「存続させる」ことに非常な困難がともなってしまう。
行政側としては、そのような危険は極力回避したいだろう。
そんなことが結果として「愛着」を持てる地域復元を困難にしている。
見方によっては、復元される集落は真空的な現代無名性のミニ都市。

時間が経過したあとで、
こうした平成の時代の「決定」が、どんな価値判断になっていくのか、
そういう視点も持っていかなければならないのではないか、
という思いを持っている次第です。いかがお考えでしょうか?

<写真はある歴史展示施設での中世的集落・中心施設ジオラマ>
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【宗教が担った日本的「公共」空間性】

2016年10月22日 11時06分21秒 | Weblog
ピリッとした寒さは残っていますが、
札幌はきのうは穏やかな1日でした。
予測通り、寒気は一過性だったようです。
紅葉の盛りはいつころだろうか、と考える間もない冬将軍さま、
ではありましたが、もう少しは間があると思われます。
写真は、一昨日触れた妙経寺の本堂周辺。
立派な「迎え松」や、こんもりとした立木など、
このお寺は専門の「庭師」さんが手を込めた作庭が行われている様子。
日本の場合、こういった宗教施設は
ある宗教的教授という目的はもちろんそれぞれで持っていたにせよ、
押し並べて、地域の中で「公共的空間」性を歴史的に日本人に感覚させてきた。
神社の場合には、地域社会の「鎮守の森」という言葉まであった。
そこには、醸し出していた「公共性」の方に力点があると思う。
現代では「政教分離」が社会の基盤意識になっていますが、
東日本大震災のあと、集団移転の社会復元段階になって、
それまで宗教施設が担っていたこうした「公共性」を無視する結果、
「社会復元」に大きな困難が立ちはだかっている現実もある。

都市や社会の成り立ちというのは国によって違いがあるでしょうが、
ことし隣国・韓国に行く機会があってかの国には、
宗教的なパブリック空間というものがないと当社の韓国人スタッフに聞きました。
中国でも、いわゆる公園というものはあるけれど、
宗教由来の「公共的空間」というのはあまり、その存在を聞かない。
なぜか、日本社会だけが特異的に東アジア世界の中で、
神道や、仏教などの神社仏閣がかくも盛大・多様に存続してきたのか、
いつもそんな不思議を感じ続けています。
韓国人スタッフと対話する最初に、なんとなく北海道神宮社域を
案内して、日本人的な精神性の基盤に話が及んだことがある。
仏教寺院の場合にも、各種の宗教建築が曼荼羅世界を表現するかのように
整然と伽藍配置される広大な寺域を形成していて、
多くの人間を収容する、公共的な空間を備えている。
西欧社会に普遍的な「広場」にも似た「公共性」をこれらに深く感じる。
たぶんそういった心理体験が積層している部分が日本人にはどうもある。
東アジア世界の中で、先導的に西欧社会の普遍性を受容したことの
大きな「起動力」が、こういった部分にあるのではと夢想しています。

さて、そろそろ年末も控える季節になって来て貴重な休日。
本日から、わが北海道日本ハムファイターズは、最終決戦突入。
ドラフトではまたライバル・ソフトバンクが利を得ましたが、
独自に培った「育成力」の面ではリーグの違いはあれライバルと言っていい
広島東洋カープとの頂上決戦であります。
主戦はご存知大谷クン。投打に存分にその力量を発揮して
みごとな活躍を目に焼き付けて欲しいものだと思います。
頑張れ、北海道日本ハムファイターズ!
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