性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

おトク&高性能リフォームのオススメ

2011年02月28日 08時01分07秒 | Weblog



今週は、日曜日に写真のような一般ユーザー向けセミナーが
予定されています。
北海道R住宅と並んで、既存住宅への根本的問題対策が
まとめ上げられたリフォームのシステムです。
新住協の提案の骨子は、断熱と耐震の両方を簡便に満たすというポイント。
ここ20年くらいで建てられた住宅や、
そこそこ性能を考えて建てられた住宅の場合、ある程度は充填されている
グラスウールの性能を活かして、
再生して利用しようとする工法です。
既存住宅でグラスウールが入っているのに寒い家であるのは
壁体内に気流が発生して、室内側の熱を奪っていくから。
その気流を止めて、入っているグラスウールの機能を賦活させるのです。
そして同時に、外壁下部を外して気流止めを施すことから
その作業時に構造用合板を施工して
耐震性能をも向上させるという合理的で、画期的な工法。
かける予算に対して、費用対効果の高い工法といえます。
で、この工法で行われるリフォームに対して
国の「長期優良住宅事業」からの補助金が上限で200万円支給されるという
まさにびっくりするような、おトク情報なんですね。
ローコストに住宅性能を向上させることもできるし、
それにプラスして、一般的な、水回りやキッチン、
生活デザインの向上などの、リフォーム希望も実現できます。
寒い冬を過ごされた既存住宅にお住まいのみなさん、
ぜひこの工法の説明の行われる公開セミナー、奮ってご参加ください。

さてきのうは遅れていた原稿がようやく夕方到着。
っていってもメールです。
さっそく、当方で読みやすく修正して、1時間ほどで返送。
で、深夜12時頃にはそれへの朱入れ原稿が帰ってきました。
スタッフからの締め切り目線が厳しくなってくる時期に
ようやく担当原稿到着で、ほっとひと安心であります(笑)。
その他、スタッフからの仕事の相談メールもあれこれ。
本当に、メールという便利な手段はすばらしい。
自宅で休息を取っていながらも、仕事の段取りを進められます。
ありがたい時代になったモノであります。
その他、きのう書いた個人的な歴史考古探求もあれこれ刺激が加わって、
アタマが爆発寸前であります。
冷静になって、頑張るぞ、と。
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北大にて歴史シンポ参加

2011年02月27日 06時04分16秒 | Weblog






一般向けのセミナーではなかったのですが、
ある情報をキャッチして、
「新しいアイヌ史の構築」第2回シンポジウム
「古代エミシの形成・展開とその実態」というのに参加してきました。
集まっていたのは、30人程度のようで
しかも、どう見ても歴史や考古学の研究者のみなさんばかりという印象。

わたしは、住宅建築の関係の学会とか
その研究者のみなさんというのは親しい関係ですが、
こういう歴史・考古関係のみなさんというのは、ほとんどはじめて。
いやぁ、すごいもので、わたしの知りたかった分野の
いまの日本中でも最先端に近い知見に触れられたと思います。
というか、エイリアンとして
勝手に専門家のみなさんの白熱の論議を聴講していたということですね。
時間は、途中昼食休憩1時間をはさんで、
朝10時から夕方6時過ぎまでという長時間勝負。
自分の学生時代にもこれくらいの情熱があれば、
きっと人生は大きく変わっていたに違いない、と思われます(笑)。
まったく知らない人ばかりで、集まったみなさんたち同士も
普段から知り合いという方は少なかったようで、
そういう意味では、エイリアン参加でもそれほど
自分のまわりの空気だけが極端に薄いとも思われませんでした。

専門家のみなさん同士の研究会なので
最初から最後まで、息もつげない興味深いお話しばかりなんですが、
やはりそこは、さすがに2回ほど、
つい気が遠くなって、数分、深い眠りに落ちましたが、
立ち直りも早く、「しまった、聞き逃した」というのは1箇所のみ。
合計7時間の聴講でしたが、ほぼ満度に聞くことが出来ました。
発表された先生の方は合計で6名。
入りたい大学での授業でもこれだけ集中して
好きな興味分野の情報を得られるというのはまことに稀有。
それが無料で受けられましたので、身に余る幸せであります。

で、肝心の内容ですが、
あまりにも深く、また幅広い分野にまつわる研究なので、
なかなかポイントを絞るのは難しい。
大きくは、文献史学にならざるを得ない「歴史研究」と、
発掘とか、モノの調査分析を基本にする「考古学」とのスタンスの違いが
大きく感じられました。
それはそれで、当然のことなのですが、
そのすれすれの領域では、かなり実態に近い事実の発掘が可能なのではないか
そんな思いを抱くことが出来ました。
たぶんこういう交流研究というのは国の補助金を受けて行われているようで
そういう部分では、「学際」的な研究に注目が集まっている
現状を表しているのでしょう。
知の進化、という意味ではたいへん有意義ですね。
全体として、ふだんの住宅建築関係の先生たちとの接触経験が想起されて
「あぁ、同じような様子なんだなぁ」と思い至る部分が多かった。
ここで得られた知見について
さらにもう少し、深めて行きたいなぁと思っております。
それにしても、勉強って、本当に面白い。
まじめにやっておけばよかったなぁと・・・、まぁ今更遅いですが(笑)。
でも、人間、死ぬまで勉強ですね! 楽しい!

<写真は北大Welcomeプラザ>
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潜熱蓄熱壁の行く末は?

2011年02月26日 08時42分18秒 | Weblog





壁を巡っていろいろな試行が行われてきています。
いわゆる「潜熱蓄熱壁」というものです。
原理としては、たとえばユニクロなどの
「あたたかい衣類」に使われている潜熱蓄熱材料を応用したもの。
融点温度を一定温度に設定した素材をパウダー状にしたものを
塗り壁材料に練り込んで、塗り壁に「蓄熱機能」をもたらせるというもの。
そういう単純な段階のものから、さらに
低温水暖房をパイピングした毛細管現象利用の「暖房放熱器」マットを
下地に埋め込んで、「壁暖房」とするタイプなど
いろいろな試行が行われてきています。
Replan誌面の2号ほど前にも掲載したのですが、
そのあたりから、にわかに注目が集まってきているシステムです。
建築家・宮島豊さんも取り入れていて、
もうすぐ1年の状況データも出てくることになっています。
こういう新システムは、やはり実証データが不可欠。
あれこれの評価はそういうデータを見てから考えるべきでしょう。

きのうは、その実験住宅を見学して参りました。
断熱的にやや物足りない部分があって、
次世代基準すれすれか、もしくはそれ以下っぽいので、
完全に参考になるかどうかは、見えてきませんでしたが、
空気質自体は悪くはない。
それと気になったのが、壁暖房でありながら、
壁の断熱が外張り断熱のみで、
壁の中に空洞部があるという点。
せっかく壁に蓄熱していても、放熱は室内側にも、
また壁内部側にも伝導していくと思われるので、
100mmの発泡系断熱材とはいえ、たとえば北面と南面では
壁内部の空気温度には違いがあると考えられる。
そうすると、熱移動があって空気に対流を生じるのではないか。
いわゆる「静止空気」が断熱の原則だとすれば、
小さい熱源の場合、大きなロスとして
このような問題が出てくるのではないかと思われました。

しかしこのような試行の積み重ねが技術の進化を促すのであり、
北海道のフロンティア性はまだ健在に生き続けている、
そんな力強い思いを抱きました。
写真右側の壁は、箱館奉行所の塗り壁壁面。
こういう美しさの中に、
ゆったりとした蓄熱暖房が仕込まれていく、
そういう近未来的なありようを夢想する次第です。
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Replan関東版3号

2011年02月25日 06時05分02秒 | Weblog






本日は、雑誌発売のお知らせです。

Replan関東vol.3 2011年2月26日 発売
2011年2月26日発売・2011年冬春号 臨時増刊・A4版・定価500円(税込)
関東の書店、Replanホームページにて発売!
【特集】光と暮らす
どこに住むとしても、必ずかかわってくる要素「光」。光によって、その空間はがらりと表情を変えるのではないでしょうか。
取り入れること、抑えること、さまざまな設計手法で光を操作した住まいをご紹介します。

Contents
●巻頭特集/光と暮らす
●特別インタビュー
 倉本聰氏に聞く「建てながら見つけてきたこと」
●快適な暮らしを演出
 ー住まいの性能を考えようー〈工法解説+実例〉
●40年後にも高く売れる家
 だれでもわかる住宅性能のメリットとは?
 特別対談「日本の家、高断熱住宅がめざすもの」
●住宅性能の発展途上国、日本
 ー世界から見た日本の住まいと窓ガラスの進化ー
●COPPA HOUSE PROJECT
 感性が共鳴しあう幸運な出会い
●特集/あこがれの平屋
●NPO住宅110番
 インターネット上に寄せられた新築・リフォームなどの悩みを一挙公開

っていうような記事ラインアップで、
関東全域の有名書店店頭で発売されます。
どうぞよろしくお願いいたします。
なお、Replan通販コーナー
でも、直接販売しておりますので、関東圏以外の方も
ご一読ください。
なお、写真右側は、28日掲載の朝日新聞全国版での
新刊雑誌広告です。朝刊1面に掲載されます。

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アイヌ以前・北海道島の歴史

2011年02月24日 08時00分43秒 | Weblog







アイヌ社会というのは、文字を持たない社会だったので
文献の記録が見あたらず、その「歴史」という視点は
持ちようがなかったと思います。
そのアイヌに先行する社会である「檫文」社会に
興味を持っているわたしにしてみると、
大きな壁であって、なかなか想像力を巡らせない世界。
そう思っていたのですが、
最近、住宅歴史的な必要があって考古的な世界に入っていって
多くの知見と接することが出来るようになってきました。
これもインターネットによる情報世界の拡大が大きいと思います。
これまでは、大マスコミによる大きな情報仕分けが行われていて
人間の興味分野というのが管理されていた、
とまでいえないまでも、ニッチな分野についての情報発信が難しかった。
それが、Google などの検索を駆使することで
興味分野の絞り込みと、特定が非常にやりやすくなってきた。

まぁ、枝道になってしまいましたが、
写真のような本と巡り会うことが出来まして、
この著者の方、瀬川拓朗さんという方は、旭川市博物館学芸員の方で、
考古学が専門の方です。
考古学というと、遺跡とか非文献記録の世界であって
「歴史」というひとの社会のありようまでは想像力が至ることが少ない世界。
そういう固定観念にとらわれていましたが、
この本と巡り会って、目を見開かされるような思いを抱きました。
縄文の社会から、檫文、オホーツク文化、さらにアイヌと
変遷してきた北海道島の人文歴史寸前までの迫力がある。
個人名が記載されていないだけで、
もうすこしで具体的な個人の動向がかいま見えそうなところまで、
肉薄していると思う。
モヨロ貝塚から発掘された人骨の状況から
具体的な「殺人経緯」を活写するあたり、
その想像力の展開は素晴らしい。

で、これまで自然との共生、という
美辞麗句に飾られていたアイヌ社会の発展プロセスを
具体的な発掘資料などへの分析から、
その真実の姿に迫っていると感じました。
サケ漁への執着が、和人社会との交易のための経済活動であったことが
その前時代との比較で明瞭に示されています。
アイヌ社会は自然利用システムであることは変わらなく、
自然破壊型ではないけれど、
さりとて単純に美しくローカルなユートピア社会と夢想する愚を教えてくれる。
久しぶりに興奮を覚えながら、
知の世界に浸りきっておりました。
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ひとのいのち

2011年02月23日 06時18分52秒 | Weblog







きのう、カミさんの叔父が亡くなっての葬儀。
遠方であり、仕事のこともあって、カミさんだけが行きました。
81歳だったということなので、まぁ天寿といえなくもないけれど、
驚いたのは、ついこの間、
1月30日に、義父の月命日があって、元気な顔を見せてくれていて
あれこれ、よもやまの話を元気に交わしていたのです。
声もハリがあったし、話す内容も筋道はしっかりしていた。
まぁ、ときどき黙り込んでしまって
叔母に言わせると、そういう無言が恒常化しているという話。
カミさんと弟の、幼い頃の海での遭難のことを
(っていっても、波にさらわれてちょっと流された程度)
克明に話してくれていたのでした。
無言が出てくると、心がけて話しかけていたりはしたのですが、
それにしても、それから帰ってすぐに入院して
もうすぐに死にそうだとか、
いや、奇跡的に復活しただとか、そういう騒ぎが始まるとは
つゆとも思われないような印象だったのです。
で、ほんの3週間ほどで、帰らぬ人になったのです。

あっけにとられたような気持ちがします。
多くの人を送ってきて、死は身近なものとも感じますが、
それにしても、日常の先に口を開けている、という印象。
こういう死に方というのもあるものなのだと、深く思い至らされますね。
倉本聰さんとのインタビューを行って以来、
死というものを、いろいろに思いめぐらしてきています。
否応なく、どんなひとにも平等に訪れてくる死。
そういうなかに、このような句読点の明確でない、死の形もある。
いま、このときの瞬間の意味合いをよく考えなければなりませんね。
合掌。

<別に叔父はキリスト教徒ではありません。先日見かけた面白い形の教会>
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ウサギ小屋は、不幸わせだったか?

2011年02月22日 05時56分49秒 | Weblog






先日、日本でツーバイフォー工法の導入期に
地域の作り手を主導して動いていた高倉さんの話を聞いていました。
高倉さんは、草創期のツーバイフォーの技術導入に尽力し、
同時に、日本の住宅許認可当局である
当時の建設省などと対話し続けてきた経験を持っています。
放っていたらある特定の企業の
占有的な工法になる可能性が高かったツーバイフォー工法を
なんとか、どんな小さな工務店でも施工できる
「オープン工法」として認可されるように戦った経験をお持ちです。

そんなお話を伺いながら、
日本の住宅当局の考え方と、実際の住宅市場で起こったことの
乖離や、ユーザー動向について考えざるを得ませんでした。
わたし、最近つくづくと感じているのは、
一時期、さかんにキャンペーンで言われていた
「日本人の住まい、ウサギ小屋論」であります。
欧米に比較して、日本人は狭い住宅に住んで
豊かさを感じるゆとりもなく、あくせくと働き回っていて
エコノミックアニマルだ、というように言われ続けていた。
あれって、一体どういうキャンペーンだったのだろうか?
大きい住宅を建てて、日本人は豊かになったのだろうか。
ああいうキャンペーンで、無意識に感化されて大きな住宅を建てて、
いま、その過大さに困っているような人も多いと思う。
で、一方、今の時代はエコエコで、満ちあふれている。
そうすると、究極的には面積を減らすというのが
誰が考えても、そういう結論になる気がする。
ところが、住宅施策の側ではそうではなく、
さかんに「高効率機器」などの導入を勧めるパターンが多い。
とくに官僚の世界からの発信では、そういう傾向が強い。
ユーザーの暮らしというよりは、産業育成のほうに軸足があると思う。
これまでの官主導の施策はそのようになっていた。
で、実際の市場は必ずしも、そういう傾向に流れては行かない。
どうもそういう傾向がくっきりと見えてきているように思われる。
ひるがえって、ヨーロッパ各国の住宅政策は
その軸足が、基本的人権というところにあるように思う。
こういうスタンスは信用できるけれど、
産業育成一本やりの、いわば哲学なき住宅政策では
うまくいくのかどうか、不安な気がします。

写真は、明治初年の函館港の報道画。
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運転免許更新とドナーカード

2011年02月21日 06時56分30秒 | Weblog






きのうは運転免許の更新手続きに行っておりました。
前の更新の折には、めでたく5年のゴールドカードでしたが、
残念ながら、今回はケータイ通話と14kmの速度超過が災いして
3年の青色更新であります。
固く心に誓っていたつもりですが、毎日毎日車に乗って仕事していると
違反をしない、というのは
まぁなかなか難しい面はあると思います。
仕事で大忙ししている最中のケータイには車中で、つい出てしまったし、
まったく無知の出張先都市郊外の抜け道のようなところで、
他の車両の流れに沿って走行中、そこだけ1kmほど、
50km規制が40km規制になった場所で
14kmオーバーで捕まったり、っていうのは、
まぁ、もちろん違反は違反ですが、むむむ、ですね。
っていうことで、深く反省しております。

でまぁ、それはいいのですが、
今回の更新で講習の教官から、裏面記載の「ドナーカード」について
ていねいな説明を聞きました。
脳死状態になったときに、本人意思確認手段として
臓器移植を受認するかどうかの欄を免許証裏面に設けたと言うこと。
昨年からそうした記載欄ができたのだそうです。
で、あとで調べたら、健康保険証でも裏面に同様の欄があることに気付きました。
ということで、
突然、大きな判断を求められることになった。
こういう突然さはどうなんでしょうか?まぁ仕方ないことではあるでしょうね。
教官の方は、こういうことについて判断はしないほうがいいと思いますが、
つい可否について、言及されていました。
で、そこからは免許のことよりも、そのことを考え続けておりまして、
家に帰ってからも、カミさんと坊主、離れて暮らしている娘と
会話やメールを交わしておりました。

考えてみると、運転免許の更新と
こういう意思確認って、まぁ節目としてはいいタイミングではあるでしょう。
運転免許というのは、命にかかわる側面も持ったカードであるわけで、
そういう大きな責任感を再確認するという意味では
意義は深いと思われます。
それと家族で、こういう話が出来たのは
いいことだと思います。
そういうことでどう署名するか、じっくり考えて
家族の意志も考えながら、時間を取って結論を出したいと思っております。
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箱館奉行所・ハレ空間

2011年02月20日 07時29分25秒 | Weblog





先日の「箱館奉行所」の大広間正面です。
ここは幕府の正式な蝦夷地における政庁だったわけであり、
外国船舶の入出国が盛んだったことも考え合わせれば、
古代における「太宰府政庁」とも比肩されるような建物ですね。
その正式外交の場にもなったわけで、
それなりの格式のある建物となる道理です。

違い棚と床の間、さらに右手には書院という構成。
壁は塗り壁ですが、その材質は史実の記録がないので
再現しようがなく、ほかの部位の壁同様の塗り壁仕上げとされています。
きと、銘物の土が重厚に塗り固められた壁面だったのでしょう。
違い棚の板の奥行きも大きく、
1m近いと感じました。
ケヤキが使われていると言うことですが、
塗りは工芸品のような漆が使われていて
まことに外交正式文書でも置かれても格が似合うような雰囲気です。
床の間の柱も記録がないので、まぁ高級そうな材料が使われていますが、
きっと、目を見張るような見事な銘木が使われたに相違ありませんね。
写真の左右幅が一杯だったので、
右手の書院は写っていませんが、
いずれにせよ、江戸期最後の正式の公共事業建築、という雰囲気が薫る。
書院造りというものをわたしたちの文化はこのように認識し続けてきた。
鎖国して、日本という文化の純粋培養生を高めた時期の
そういう価値観とか、文化性をよみがえらせてくれます。

先日も書きましたが、
この建物がなかったら、北海道を代表する建築って
いきなり、西洋風木造洋館である、函館西部地区の建築群や
欧米建築文化の移植であった
道庁赤煉瓦庁舎・時計台という建築のみにならざるを得なかった。
もっとも南に振れているとはいえ
北海道内にいかにも日本文化を代表するような建物が残るのは
わたしたち北海道人にとって、意味が深い。
こういう建物があってはじめてバランスが取れるように思うのです。
赤煉瓦庁舎・時計台という建築にとっても
日本という歴史の中で孤立することを免れるように思います。
一度は見ておいたほうがいいと思いました。
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タイガーマスク便乗作戦

2011年02月19日 09時35分12秒 | Weblog





ちょっと前のこと。
会社から戻って、自宅のデスクに座ったら、
目の前に妙なものが置いてある。
わたしの書斎には、坊主のパソコンも一緒にあるので、
どうも坊主の仕業ではないかと思っていた。
でもまぁ、よけりゃぁいいや、ということで
よく見ないで、片付けておきました。

で、それっきり忘れていたら、
ひょんなことから家族での会話にこの写真のものが話題に。
案の定、坊主のものだったようで、
実は学校で作らされたという「貯金箱」なんだそうです。
「え~~~、あれが貯金箱???」
「そうでしょ、へんだよね」
「むむむ、まぁ、いろいろなセンスがあるからなぁ・・・」
「チョー変だべさ、小学生じゃあるまいし」
「うん、まぁ、そうだな」
っていうことで、工作なんですが、
まぁ組み立て式なので、出来上がりデザインは
最初からこの形を学校側が選定している。
どうも、そのセンスに対して、納得できていないようなんですね。
でもまぁ、いい点数を取るためには、
そういう自分の考えは抑えて、迎合的に、その範囲内で努力しなければならない。
そういうのがどうも苦手のようなんですね。

で、完成後、それを持って帰るのがいやだったようで、
かれは一策を思いついた。
それが側面に書かれた先生への通信。
「先生、いつもありがとうございます。だてなおと」
っていうもの。
まぁ、父としては伊達直人くらい、漢字で書けと思うのですが、
アイデアとしては、そうか、その手を考えたか、と
内心、おかしみがこみ上げてくる。
でも待てよ、そうすると教育を否定することになるかも・・・、
などと不埒な俗世間的損得勘定がアタマを駆けめぐらざるを得ない。
で、坊主はこういう作戦で、
こっそりと先生のデスクにこの工作物を置いたそうです。
そうしたら、即、先生から呼ばれて
「はい、これは返しますね。こういうことをするのは、あなたしかいません(笑)」
っていうことだったそうです。
もうここまで来たら、笑うしかない。
「そうか、ダメだったのか(笑)。あははは、残念だったな」であります。

さて、今に至るも、叱るべきなのか、笑って済ませるべきなのか。
この事態に対しての父親としての対処法がわからずに、
明確な判断を示せておりません(笑)。
みなさんなら、いかがされるでしょうか?
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