三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【家への愛着ってなんだろう?】

2018年03月10日 05時29分24秒 | Weblog
さて疾風怒濤のような自宅からの引っ越し作業がようやくきのう終了。
とはいってもいくつか問題点もあり、解決すべき事柄も出来した。
まぁ物事には完璧はないし、解決できるように頑張るしかない。

で、引っ越し屋さんに荷物を持って行ってもらうと、
27年前からのわが家でのことが、フラッシュバックのように復元体験する。
わたしの住宅体験というのは、
1、 3才までの幼少期を過ごした岩見沢市近郊の農家住宅
2、 3才から16才まで過ごした札幌市中央区北3条西11丁目の兼用住宅
3、16才から大学進学で離れて以降、実家となった西区24軒の兼用住宅
などなどから始まって、東京生活での9年間の賃貸住宅数軒
札幌移転後の数軒の賃貸住宅などを経て
いまのこの住宅にまで至った。
本格的な「巣」として、この家での居住期間がもっとも長くなっていた。
それらの住居群は、折節、生々しい体験夢を見ることがある。
その頻度は体験した時間の長さに比例するように思う。
不思議と、そのとき過ごしている家というのは、そういう体験夢からは
除外されているか、あくまでも「背景」としてしか認識されない。
そういうことで、夢に見るのは2の家のことが圧倒的に多い。
ちょうど成長期に相当して、感受性が揺籃されることもあるのだろう。
その札幌の街中の家は、しかし、札幌原生林をそのまま残した
「北大植物園」に隣接していたので、
窓の外にはいつも原始林が見えていて、街中なのに
飼育されていたエゾオオカミが月夜に遠吠えをあげるような
そんな原始北海道的な体験記憶が刷り込まれている。
人間の初源形成でこういう空間性記憶がどのように影響するか、
いろいろなことが想起されるように思うけれど、
ハッキリとした明示的なことは言い切れない。
しかし、繰り返し想起する情念のふるさととして機能するのは明らか。

これから数十日、たぶん1ヶ月ほど、すこし客観的に
この27年間という人生の半分近くを共生した家について、
考えたり、情動を持ったりする、そういう時間を過ごすことになる。
表題のようなことを、すこし考えられるきっかけになるかも知れない。
コメント
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