性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

講演PPTデータ制作没入

2014年08月31日 08時27分16秒 | Weblog


貴重な土日の制作期間で、火曜日の弘前での講演資料と格闘中。
お盆前の7日に急に振られた案件なのですが、
1カ月もない期間で、最近取り組んでいるテーマについてお話ししたら
すぐに反応されてしまった。
で、かんたんなレジュメのようなものを沖縄出張中、というか、
沖縄までの都合5時間ほどの飛行機の中で構想として大筋をまとめたものを
作って送って、了解もいただいた次第。
しかし札幌に帰還後もすぐに十勝に出張で、時間が全くない。
ということで、今週はたいへん楽しい週末なのです(泣)。
いつも雑誌の原稿執筆で、いろいろなみなさんを追い込むのが
「編集長」としての大きな仕事です(笑)。
言ってみれば編集というのはS的な立ち位置ですが、
自分で案を出してまとめていくというのは、まことにM的。
まさに身もだえするような恍惚の世界であります(笑)。
いや~~、やれやれ。

まぁ個性としてのわたしというのは、
どっちかというと、原稿創作者に近いのだと思っています。
編集という作業は、情報にとって、一種の産婆さんのようなもので、
社会との接点で、知的生産物出産工程の管理者。
まぁプロデューサーという便利な言葉がありますが、
そういった存在だと思います。
これはこれで、他力本願な部分が大きいので、
作者へのなだめ、褒め、せき立てなどなど、
あの手この手で、作者を追い詰めていくのにはストレスも伴います。
一方、なにもないところから何かの知的生産物を創出するひとは、
「なにかがどんどんと湧きだしてくる」という
「狂」的な創造的心理状態を、どのように自分に仕掛けていくかというのが
もっとも大きな部分であります。
「なにかがどんどんと湧きだしてくる」状態というのは
あらかじめ追い込み方が決まっているわけではありません。
環境要件と、自我要件の両面から、
自分自身を攻め上げていくような、そういう作業であります。
で、おおまかなあらすじ、総体的な鳥瞰的把握を準備段階として
一定期間の日常生活のリズム感の中で揉み込んで過ごし
たとえば今週の土日、というような「出力期間」を設定して
心静かに淡々と、まとめあげていく、ということになります。
なるべく、心が乱されないように、
日ハムの試合結果とか、朝日新聞のこととか(笑)
なるべく考えないように情報遮断して、取り組むのですね。
ま、ムリなんですけど(笑)。

ということで、
ふ~~、よっしゃ~!と
カラ元気を振り絞ってがんばりたいと思います。ではでは。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金沢21世紀美術館~透明な壁のいごこち

2014年08月30日 07時00分33秒 | Weblog



写真は、さすがに北海道ではお目にかかることがない
SANAA(妹島和世さんと西沢立衛さんによる日本の建築家ユニット)の
「金沢21世紀美術館」であります。
ことし、はじめて見る機会を作って行ってきた次第です。
さすがにこのユニットの建築は、どちらかというと温暖地に建てられていて
寒冷地では実現しないのではないかと思います。
まぁ十和田にはあるのですが・・・。
これは公共建築であり、
地域のひとびとの同意があるのであれば、省エネという観点ばかりが
主要な建築評価基準である必要はないだろうとは思います。
ドイツパッシブハウスでも開放的な開口部が
自然に求められているように、洋の東西を問わず
このようなデザインがある普遍的な欲求を表現していることは間違いがない。
こうしたデザインの成立は、周辺環境にもよるでしょうが、
この金沢の立地の場合には、市の中心地の緑地のなかにあり、
十分な視覚的ここちよさを、訪れるみなさんに提供していると思われます。
わたしには構造のことはあんまりわかりませんが、
RC造でここまで外壁の量が少ない建築が成立する驚きが大きい。
まるで外にいるかのような透明な壁が外界と内側を仕切っているけれど
その仕切のガラスはきれいな湾曲を見せていて、
その厚み仕様はどうであるかは確認していませんが、
ペアガラスでもないことは容易に知れる。
訪れた時期は5月下旬だったのですが、ガラス面の床端部には
巨大であろう空調設備による冷房風がガラス面に吹き上げられていました。
この建築での人間の皮膚感覚的体感の「いごこち」は、
もっぱら設備が担わされることになっている。
地元の建築家からも「いつまで持つか」という議論もあると聞く。

結局、ガラスで壁を作ったことによって増幅される室内側の寒暑条件は、
力づくの冷暖房コストの注入で「解決」させるしかありえない。
わたし自身未確認ながら、この美術館の年間冷暖房光熱費の開示はされていない、
という、ある信頼できる方からの情報もあります。
さらにメーカーの保障も取れない「シール」つまりコーキング接着材を頼りにする
「ガラス接合建築」のメンテナンス費用は今後、大きな問題にもなり得る。
第一、エネルギー危機が進行していって維持コストが巨大になっていったとき
そのコスト負担に将来社会がほんとうに納得するのかどうか?
・・・しかし今のところ、訪れるひとは多く、
口コミ的な評判は概して好意的なものが多いようです。
ある空間概念イメージに挑戦的に取り組むことは
建築の、あるいは人間環境の進歩発展にとって意味は大きいでしょう。
しかし建築はどんどんダウンサイジングされていって、
そういう「挑戦的な建築」であっても、日本中どこにでも建てられていく。
そうだとしたら、こういう建築が
最小限度に近いメンテナンスで延命していけるような具体的な手法を、
そこに建てた人間の「責任」として考え出す必要は
あるのではないだろうか。
美しさを感じながら、同時にそういったあやうさを受け取っていた次第です。
美しければそれでいいのだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝日新聞よ、再生に立て

2014年08月29日 05時35分22秒 | Weblog


きのう朝日新聞による文春の広告掲載拒否のことを書きましたが、
引き続いて、週刊新潮についても、広告掲載拒否があったそうです。
週刊誌という、朝日新聞社からすれば
取るに足らないとでも思っているメディアでしょうが
今回の一件について言えば、どう考えても週刊誌の書いたもの勝ちでしょう。
広告掲載拒否という手法を朝日は使ったわけですが、
これも稚拙な対応と言わなければならない。
誰がどう考えても、報道の自由への干渉を言われても仕方ない。
いまの朝日の経営陣、レベルが下がっている。

わたしは、朝日新聞のことを嫌いではありません。
戦後日本社会の中で大きな役割を果たしてきた存在だったと思っています。
細川政権・羽田政権末期には、わたしは
小沢一郎による強引な権力ゲームについて批判的な意見を書いて
朝日新聞に投稿し、掲載されたこともあります。
ふつうの市井の市民の声がきちんと掲載されるシステムがあり、
それが表現される大きな場所が担保されているということに
ある清々しさを感じた経験を持っています。
それは朝日新聞というメディアが、戦後民主主義にとって
大きな役割を果たしてきたという具体的な体験でした。
数年前に、朝日新聞に自社としての出版物の1ページ広告を掲載したときには
出版に生きるものとしての内心の充足感も持ったりしていました。
そういった朝日新聞へのリスペクトの気持ちは持っている人間です。
そういう人間だからこそ、朝日新聞には報道の自由について
それを大きく担保する姿勢を貫いて欲しい。
それがたとえ、自社にとって不都合な事態であっても、
朝日新聞には、正々堂々とした挙措を期待したいのです。
先日の従軍慰安婦についての誤報の開示は、
苦しかっただろうけれど、真実を正面から受け止めようという
そういった姿勢を感じ、批判しつつも、そこからの立ち直りを期待していました。
しかし、いまの朝日の社会への対応はダメです。
文春も新潮も、たしかに朝日の報道傾向とは違うメディアですが、
日本の論壇、ジャーナリズム社会では重い役割を果たしてきたメディアです。
文春に至っては、田中角栄金脈研究という戦後史に残る
メディアと権力との角逐の主人公になった歴戦の雄。
それに対して、ただただ暴力的な「広告掲載拒否」では
格好の攻撃手段を与えるだけです。
こういうケンカでは、文春や新潮の方がはるかに上手でしょう。
まったくの小児病的な対応であって、
大メディアとしての矜持のない対応だと思います。

まず朝日は、せっかくの「記事取り消し」決断をムダにせず、
そこから巻き起こった事態について、正々堂々と
海外記者クラブにでも編集長や社長が乗り込んで
朝日新聞の立場、考え方を世界にアピールすべきであって
臭いものにふたをする、批判を暴力的に封じ込めるというのは
まったくの下の下の策です。
まさか、朝日新聞のメディアとしての自殺は見たくありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誤報を謝罪しない朝日新聞の危機

2014年08月28日 05時31分24秒 | Weblog


朝日新聞が、週刊文春の広告掲載を拒否したのだそうだ。
わたしはあんまり週刊誌というのは読者ではありませんが、
もと文春編集長だった、花田紀凱さんの産経新聞での記事
「週刊誌ウォッチング」によれば、
『週刊文春』(8月28日号)
「朝日新聞よ、恥を知れ!『慰安婦誤報』木村伊量社長が謝罪を拒んだ夜」
というのが、どうも件の号であるようです。
しかし、花田紀凱さんの記事では他にも
 『週刊新潮』(8月28日秋風月増大号)
「全国民をはずかしめた『朝日新聞』七つの大罪」
 『週刊現代』(8/30)
「日本人を貶めた朝日新聞の大罪」
『週刊ポスト』(8・29)
「朝日新聞『慰安婦虚報』の『本当の罪』を暴く」
 『フラッシュ』(9・2)
「エラいぞ、朝日新聞!(怒)『従軍慰安婦問題』誤報検証を検証する」
というようなことのようで
ごく当たり前の反応が、他のメディアから朝日新聞に
集中砲火のように浴びせられているという状況のようです。
花田さんによると各紙とも内容は大同小異だそうですが、
文春ではこんな記事表現もあったのだそうです。

「唯一『文春』が加藤清隆氏(政治評論家)が最近、
本人から聞いた話として木村社長の肉声を。
ある勉強会で加藤氏が
「朝日はちゃんと謝った方がいいんじゃないか」と言うと、
木村社長、こう繰り返したという。
 「歴史的事実は変えられない。したがって謝罪する必要はない」
・・・歴史的事実を、朝日がねじ曲げたのではなかったか。」

というようなことのようです。
各紙のなかで文春だけを広告掲載拒否したのは
こんな流れがあったからなのか。
大きな国際問題にまで発展してきた自社の誤報について
「記事を取り消します」という一文で済ませた上、
他社も間違えていたとか、間違いは本質には関係がないと書き飛ばして
人類的な問題である戦争時の性の問題一般に問題を拡散し
その問題の最大当事者として、依然として日本を断罪する姿勢を示している。
どうしてこういうプロパガンダ姿勢を正当化するのか、
理解に苦しむ。
新聞事業者では、ことの発端を書き続けてきた産経新聞や読売新聞は
朝日に対して批判的な見解を紙面で表現しているけれど、
その他の新聞は、事実報道のみに徹しているように思われます。
そういった報道機関のなかで比較的に自由な論調の週刊誌がほぼ一斉に
批判の声を上げているのは、正常な国民感覚を表現していると思います。
広告掲載拒否というのは、
メディアとしてはある意味では、他社の表現の自由を制限する行為であり、
批判を封じ込めるものといえる。

朝日新聞は、いま、最大の危機に瀕している。



<追記:広告掲載拒否はきょう28日発売の「週刊文春」(9月4日号)であり「朝日新聞『売国のDNA』」という記事が掲載されていたとのこと。追記訂正いたします。 写真は「青の池」>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高温重空気と、中温軽空気

2014年08月27日 06時41分27秒 | Weblog


日本列島は南北に長い。
シチリア島からストックホルムくらいまで移動しているのでしょう。
宮古島的な住宅が向き合っている問題を聞いたあと、
今度はごく常識的な顕教的断熱重視の世界へ。
北海道の工務店グループ・アース21の定期的な例会出席のため
きのう十勝地方に入りました。
この例会では、いつもたくさんの住宅事例を見学いたします。
8軒の住宅見学した後、
さらにスライド発表での住宅事例も見て、
たっぷり満腹、寒冷地住宅の世界であります。
沖縄では、外気温35度で湿度90%を考えるワケですが、
保湿している水分量がハンパなく、
これは「重たい空気」感の世界と、まさに実感させられます。
一方、北海道十勝は外気温25度以下で、湿度は腫れの場合は40%程度。
ご存知のように、空気中の水分量は気温と密接な関係を持っている。
そして住宅の性能を考えていくときに
室内・壁体内の水分コントロールは南北とも不可欠要件です。
このような様相の十勝の空気は、まさにスーパードライな陽光世界。
汗を掻くというような人間皮膚の蒸散作用はほとんどなく
しかもバス移動では窓を開けて走行すると、
さらに体感気温は低下していく。
札幌から十勝までの移動で途中、もっとも気温が低い占冠周辺では
気温は11℃まで下がっていた。
半袖しか持ってこなかったことを悔やむほどの冷涼感。

この時期のニッポン、
全国的には沖縄でも体感するような蒸暑が一般的。
基本的にはこういった空気感が日本的共通認識では支配的。
しかし十勝でも、蒸暑のかけらのような季節感を惜しむように
「納涼花火」には、20万人もの人出があるのだとか。
なにやら、気候的な冷涼さを大勢が集まることで
人為的に「蒸暑」を感じたいとでも思っているかのようであります(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島の土砂災害

2014年08月26日 06時13分44秒 | Weblog


写真は、昨年11月15日付でアップしたブログの写真とほぼ同じもの。
http://www.replan.ne.jp/blog2/?p=10074

文末に土砂災害などの危険性はどうなのか、
みたいな記述をしていた。
なんとなく不安を感じるような「土地開発」だという直感を持っていた。
ことしは日本各地で大雨のもたらす災害が相次いでいます。
たいへん不幸なことですが、
このような開発行為についての危険性が、明瞭になったのだと思います。

しかし一方で、日本は歴史的にも
土砂災害って言うのは繰り返し経験してきているのだろうと思います。
広島地方の「神楽」では、「オロチ」という魔物が登場するのですが、
あれは有用資源としての山の木を切り尽くして皆伐された山の土砂が
一気に山崩れになる事態に対して、
民間伝承的に経験則を伝えてきていることなのではないかと
そんなふうに思われてなりません。
長く農業土木が盛んに繰り返されてきた雨の多い気候を持つ国土。
テレビなどで山崩れ土砂災害の様子を見るに付け、
そのような印象を強く持たざるを得ません。
北海道でも道北の方では大きな土砂災害被害が出た。
つねにどこでどのように、こうした被害が発生するか
日本列島の中で、安全と言い切れる場所はないと言えるのでしょうね。
まったく予測はむずかしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄から北海道へ

2014年08月25日 06時07分27秒 | Weblog


きのう、11:50発の便で成田経由で沖縄から札幌に帰還しました。
千歳到着は16:55くらいだったので、おおむね5時間ほどのフライト。
これくらいの時間がかかることを考えると、
たとえばヨーロッパでは、イタリアとスウェーデンくらいは違いがある。
そういう地域同士だけれど、言葉は通用してすぐに親しくなれることを考えると
日本は広くて良い国だなぁと思います。

帰って来て夜21:00には完璧熟睡モードで、
起床は午前04:30。7時間半もたっぷり寝たので、疲れはおおむね取れたのですが
やはり娘の家の大掃除での筋肉疲労が・・・(笑)。
まぁ楽しい痛みと言うことですね(笑)。
今回の沖縄は初めての「仕事」ツアーでした。
わたしの仕事の住宅研究視察がメーン、しかも日本建築学会会長吉野博先生の
一行の一員ということでしたので、
たいへん貴重な見学旅程に恵まれ、また有為なみなさんとの交流ができました。
私的なツアーの範囲ではなかなか知り合えないだろうみなさんと
オリオンビール・泡盛を酌み交わしながら、じっくりと交流できて
感謝している次第です。・・・ちょっと飲み過ぎでしたが(笑)。
ってまぁ、沖縄の気候風土は酒飲みには最高なんでしょうね。
わたしのような下戸でも、毎日おいしく飲めてしまう。
きっと高気温と高湿度が人間の蒸散作用を高めて
夜になるとやってくるほのかな気温低下機会のここちよさが、
アルコール摂取を、より快適な体験にさせてくれるのだろうと思います。
やや二日酔いでも、活発な蒸散が復活を早めてくれる(笑)。

これから、お知り合いになったみなさんと本格的に
機会を捉えての情報交流を深めていきたいと思っています。
宮古島や沖縄で、北海道の建築家の名前が出て
お互いの考え方の違いと類似性を確認できたりもします。
北と南でいろいろな違いはありますが、
おたがいの住文化の良い面を交換し合っていくことで
この国に暮らす豊かさを大いに深めていけるのではないでしょうか?
メディアにはこういった役割があるものと思っています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり沖縄そば最高!

2014年08月24日 06時11分28秒 | Weblog


沖縄滞在も5日目であります。
前日で東北フォーラムご一行、吉野博日本建築学会会長視察同行は
無事に終了し、私的な滞在であります。
沖縄で暮らしている娘との1日。
あれやこれやと、買い物や住宅の整理整頓、大掃除などに。
ひとり暮らしではどうしても手が回らなくなっていることもあるので
家事をいろいろとこなしてやっておりました。
親から子どもに伝えていくことって
さまざまなことがあるでしょうが、
口で言えることなどたかが知れている。
やっぱり一緒に家事をこなしていく中で、あ、そうだと思い起こす。
きのうは、普段は出来ないだろう「大掃除」をしてやりました。
Pカーペットの床の汚れが出ていたので、
洗浄も含めた大掃除を行ったり、カーテンの更新など。
照明も、電球をLEDに更新させたりしました。
そのための買い出しを含めて朝から夕方まで楽しく家事です。
で、わたしも東京での暮らしのときに
母親が大掃除してくれたことを思い起こしていました。
そんな話を娘にするのですが、面白いものですね。
子どもにこんなことをしてあげられるのは幸せであります(笑)。



そんな1日の句読点に、
昼は近くの沖縄そばの名店に食べに行ってきました。
「すーまぬめぇ」という名前のお店。
娘の家から歩いて5分ほどなのに
「クルマで行こう」と。
レンタカーを借りていて、ふだん運転はあんまりしていないけれど
車の好きな娘が1日運転してくれましたが、
道が狭く、駐車場も入れづらいので、ここだけはわたしが運転担当。
那覇の住宅街のなかで、伝統的な赤瓦の古民家。
さすがはわが娘で、「こういう店、好きでしょ?」。
確かに雰囲気も良いのですが、
味は、まさに絶品であります。
風情ある古民家で味わえるのは、ソーキや三枚肉と、
店主自慢のてびちが一度に味わえるボリューム満点のスペシャルそば。
かつおベースのスープとコシのある麺とのバランスが絶妙だ。
というのが、ふれこみであります。
店名は変わっていますが、さてどんな意味なのでしょうか?
そういう詮索をするいとまもなく、
スペシャルそば700円を食べました。
うまさは、言葉では、まったく伝えられません。

やっぱり沖縄そば最高!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄のモダンデザイン住宅

2014年08月23日 06時12分17秒 | Weblog


きのうは那覇市周辺の住宅を何軒か、見学しました。
こちらの家は、1軒目に見た住宅。
有限会社門・金城優さんの設計作品です。
建築は独学で学ばれたそうで、就職先として沖縄で設計事務所に入り
その後、イタリアに修行に行って
帰って来てから独立されたという方です。

沖縄の住宅建築の歴史は第2次世界大戦後、
戦争の惨禍からのスタートで、
占領軍であるアメリカ軍の住宅施設建設から始まったそうです。
そこでは米軍のカリフォルニアにおける建築仕様規定が適用されたそうです。
こうした規定はハワイにもあるそうなのですが、
なぜか、カリフォルニアの規定が採用されたと言うこと。
推定ですが、米軍なりに気候風土・材料調達条件などを研究して
より合理性が高いと判断して採用したのだろうと思います。
たぶん、建築材料として木材の入手が難しいと判断し
台風被害への対策が優先されて、
コンクリート住宅が採用されたものと思います。
こうした建築仕様での最初の建築需要を、復興経済として
沖縄の建築業界は生きていくために受注していった。
こうした経緯はある合理性を持っていたようで、今日に至るまで、
9割の住宅がコンクリートで建てられている起因条件になった。
しかも台風への対応が、先験的な与条件なので
その後の住宅「性能」要件においても、ユーザーへのアピールとしても
「より頑丈」という競争が促進された。
その結果、より分厚い、野太い力感優先のデザインが
多くの住宅で採用されていた。

そういうなかで、
基本構造はRCながら、屋根は軽く木造で架ける混構造を採用し
イタリアンデザインらしい、より繊細なコンクリートのディテールを
金城さんは追求されているようです。
写真はリビングへの日射を遮っている長大な庇ですが
これもコンクリートで作っている。
先端部分は、厚みを徐々に低減させていっている。
端部の厚みは25mmということで、
ギリギリの細さで、繊細なデザインを実現させている。
ほかの沖縄のコンクリート住宅が、やや鈍重な印象を与えるのとは対照的。
また、屋根も構造梁端部を鋭角にカットしていて、
どちらもシャープな形態でモダニズムを表現している。
一方で、与条件としての台風対策も
ディテールでさまざまに対応している。

やっぱり、実際に建てられている住宅からは
人間たちの与条件との格闘の軌跡が伝わってきて
まことに面白い。
住宅になぜ、わたしが惹かれているか、
もう一度、再発見もさせられる思いでありました。
で、沖縄の家は、平屋が多い・・・。
いろいろ面白く見学させていただきました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮古島から那覇へ

2014年08月22日 08時39分34秒 | Weblog


きのうは宮古島での市街地型エコハウス宿泊体験を経て
集合住宅などの事例を見学。
主に公営住宅を見学しましたが、たいへん面白く見学。
なんですが、最近、出張時おなかの調子がよくなくなる。
どうも食べる内容に問題がありそうなのですが、
きのうも見学時、かなりきびしい状況に。
やむなく一行から離脱して、現地の案内者の方に聞いて
周辺の海水浴場のトイレに向かいました。
しかしながら、welcome標識と思いきや、
ご覧のような案内看板。
さすがのわたしもクマとサメはだめであります(笑)。
すごい。
沖縄の子どもたち、泳げない子も多いのは、
海が決して安全とは言い切れないからなのだそうです。

見学終了後、美しいリゾート施設で昼食時、
たいへんきれいな青空の景色を見て、トムヤムクンを食べていたら
「那覇への飛行機欠航」の情報がもたらされました。
まさに「青天のへきれき」。
情報によると、なんでも航空会社SKYMARKの使用機材が故障発生ということ。
で、予定していた13:00ころの時間の機材が宮古島に来なくなって
必然的に出発便もキャンセルになった・・・。
振り替えの時間は、そのあとの17:30だという。
おいおいおい、であります。
そのあとの旅程はきっちり予定されているのでしわ寄せはハンパない。
那覇での建築関係者との会合は17:00スタート予定。
どうやっても間に合うわけがない。
本当に、人生はなにがあるかわからない(笑)。
しかし、幸いにして、午後の予定はおおむね移動だったので、
こういう状況にも、甘んじて受け入れようという余裕がある。
というか、どうしようもないものはどうしようもない。
しかし、そこは団体行動の良さで、
幹事進行役の方が八方努力して
別の航空会社の「キャンセル待ち」に申込みをしてくれました。
会長の吉野先生、発言役の2名と徐々に
別航空会社の便で五月雨式に那覇へ移動しました。
残されたわたしたちは、
空いた時間を同行メンバーのみなさんとの情報交換に利用。
まぁこれはこれで大変有意義でしたが、
16:45のJALでわたしともうひとりもようやくギリギリ搭乗。
別便の航空券は割高になるのですが、
SKYMARKとの「差額」は、SKYMARKが負担してくれるのだそうです。
でも、搭乗時間ギリギリだったので、
まだ残っている団体メンバーの方が払い戻しもやってくれた。
たいへんありがたい。

っていうようなトラブルも発生しましたが、
那覇での建築関係のみなさんとの情報交換会は
まことに活発で真摯な内容でした。
北と南で分かれていて、抱える問題は大きく隔たっていますが
しかし本質的にはどちらもひとの暮らしに寄り添う仕事。
その大きな共通認識が徐々に距離を狭めてくれて
ホンネの話が2次会まで延々と活況を呈しておりました。
人生、いろんな面白さがあるものですね(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする