性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【南国土佐高知・ひろめ市場は楽しいぜよ】

2016年12月31日 05時30分42秒 | Weblog


四国をあちこち見て回る年末の旅後半2日間。
きのうは、南端の高知県までの旅であります。
40数年前にも、四国の道中ではカツオのタタキを食べまくっていた記憶ですが
やはりそこは敬意を表して食べたいなぁと。
高知と言えば、昼間っから地元の大人たちがカツオなどを酒菜に、
酒盛りをしているというこの「ひろめ市場」が面白い。
お城の近く、街のど真ん中で子どもたちもたくさん集まっている場所ですが
きのうも盛大にテーブルを独占して忘年会もどきの宴会グループも。
南国らしいオープンさで、エトランゼとしても愉しさの輪に入りやすい。
テーブルが空いたら、すぐに席を確保して代わる代わる
「カツオのタタキ」「サバの焼き寿司」などと、買い求めてきて食事する。
こういう垣根の低さ、オープンさにはたいへん惹かれます。
北海道でも、釧路など港町の市場では「のっけ丼」を、
市場の真ん中のテーブルで食べるという文化はありますが、
ここまでオープンな食遊空間というのは体験したことがない。
いま、東京暮らしの息子もいたく感激しておりました。
で、カツオのタタキであります。



カツオのタタキといえば、サッと表面に焼きを入れて
肉身は赤々としたお刺身状態という料理ですが、
その「焼き」にこだわっているということの実演を見ていました。
なんと、稲ワラで火を点けて、それで皮表面を焦がすのが、
高知らしいのだそうで、なんとも豪快な煙りっぷり。
店の中なのでガラスで仕切ってはいますが、焼き場での豪快な調理ぶりが
パフォーマンスとしてふるまわれている。
この炎の盛大さが高知の人たちの胃袋を刺激するのでしょうね。
「おお、おおお」であります(笑)。

さて年末もいよいよ押し詰まって参りました。
本日は12月31日、大みそかであります。
ことしも毎日更新、365日ブログを休みなく書き込むことが出来ました。
途中、若干の入院などもありましたが、
それは念のため、用心を期してであり、
大きく健康を損ねることなく、一年を過ごすことができました。
スタッフをはじめ,多くのみなさんのおかげと感謝しております。
来年も、ブログはライフワークとして毎日更新を心がけていきます。
本日、最後の淡路島・伊弉諾〜いざなぎ〜神社参詣訪問を済ませたあと、
北海道に帰還して新年を迎え、さらに書き続けます。
このブログにお付き合いいただき,深く感謝申し上げますとともに、
来年もどうぞよろしくご愛読のほど、お願い申し上げます。
みなさまのご多幸を祈念いたします。
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【鳴門うずしお、激寒風初体感】

2016年12月30日 06時12分00秒 | Weblog


年末の関西圏の旅、ことしは海を渡って四国へ。
北海道の人間には四国というのはまことに縁が遠いのですが、
その分、初体験できることもある。
わたしは、ほぼ全国各地を巡ってきていますが、
そのわたしも四国は、就職が決まった広告会社での予備研修として
社長を横に乗せてレンタカー移動の運転手を経験したのです。
おおむね1週間、社長のお供をさせられた。
まぁクルマの運転は、学生時代に実家での休暇時期の労働体験で
たっぷりと経験していたので、その辺は平常心だったのですが、
勝手のよくは分からない就職先の社長のお供なので、
気苦労をいきなりたくさん体験させられたのであります。
社長にしてみれば、この男、どんなヤツでどう使えるものかと
目踏みする意味もあったに違いありませんね。
一番最初に「社長、絶対安全運転でさせていただきますので、よろしく」と、
宣言してから運転した記憶があります(笑)。
社長のコトバの速射砲に対しての先制攻撃を仕掛けたワケ。
泊まり泊まりで営業接待のようなこともしていました。
広告の仕事は対人的コミュニケーションが骨格だと植え付けられた。

っていうような記憶があるのですが、それ以来、
四国はまったく縁が遠い地域になって、
今回初めて淡路島を通ってのレンタカー移動での四国上陸。
そういえば、この学生時代体験以来、レンタカー移動が
わたしの人生ではたいへん多くなっていったものかも知れません(笑)。
いまはカーナビがあるので、どこへでも移動がラクですね。
で、今回ははじめての「鳴門うずしお」体験であります。
うずしおって、どうやって「見物」するのか、
それすら想像できなかったのですが、高速道路の架橋の下部を利用して
うずしおの真上に来て、上から見下ろすのですね。
それもうずしおが生まれて成長するプロセスもウォッチできる。
ただ、架橋の下側で鉄骨の骨組みには外皮がなく吹きさらし。
そこを吹きすさぶ寒風は、行ってみて強烈さに気付かされます(泣)。
遠目ではのどかな冬の陽光のなかでありますが、
その体感の落差に驚かされました。
ということで、昨年もチョコッと瀬戸内海側をドライブ移動したのですが、
今回は徳島に宿泊して2日間、四国をウォッチしたいと思っています。
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【ニッポンPOPアート炸裂の大阪・道頓堀空間】

2016年12月29日 06時44分06秒 | Weblog
年末の旅路3日目であります。
きのうは今回の大きな目的だった「聴竹居」を取材見学してきました。
これは昭和初期の建築家・藤井厚二が建てた自邸。
よく日本の環境建築の萌芽的事例として紹介されている建築です。
わたしどもとしては、今年いろいろな経緯のあった、
「環境建築」をめぐっての北と南との意見交換の一環として
この建築の取材が欠かせないと判断して、取材してきた次第です。
天皇ご夫妻も訪れられたというこの建築について、
今後、誌面などでテーマ構成していきたいと考えています。
追って、徐々に触れていきたいと思います。

で、その後は大阪に移動しておりました。
2日間は京都文化に触れていたのですが、
一転して、対照的な大阪、それもコテコテのなんば、道頓堀です。
昔、いまから45年前くらいに大阪にいた兄を訪ねて
母親と旅したときがあり、そのときに道頓堀・くいだおれで
食事した経験がある。
そのときのことがいつも去来する、ある原体験のようで、
今回、家族とともにその空間に身を置いてみたくなったのです。
あの当時にも、道頓堀をはさんでグリコの看板はあったのかどうか、
記憶は定かではないのですが、なんでも1935年には装置されていたそうで、
もうすでに80年の歴史的POPアートだといえるでしょう。
今この地を再訪してみると、その圧倒的劇的空間がさらに拡大している。
12月28日という御用納めの夜と言うこともあってか、
たどりついた瞬間から、ニッポンPOPアートの雰囲気が充満している。



道頓堀をはさんで両眼でちょうど、「仮面女子」という
インディーズ女性アイドルとして日本初のオリコン一位、
さいたまスーパーアリーナ単独ライブ15000人動員を達成したという
「最強の地下アイドル」が、路上ライブを行っていた現場に遭遇した。
なんとも異常な劇空間ぶりであります(笑)。
わが家の息子はすっかりグリコのランナーポーズを繰り返すし、
大音量でのライブステージ、それを応援する追っかけのひとたちの歓声など、
まさにニッポンPOPアートの最前線を感じさせてくれる。
街を行き交うひとたちも多国籍空間化していて、
この日本が誇る空間パワーが不思議な魅力で世界に訴求しているさまが
まざまざと体感できました。
というなかでしたが、久しぶりに訪れたので、勝手が分からず、
なんと、この仮面女子さんたちのステージの後ろ、彼女たちの後ろを
場違いな通行人として横断せざるを得なかった。
一瞬のとまどいはありながらも、躊躇なく通り過ぎていましたが、
どうもこの劇的空間性への参加気分が高まっていたものと思えます(笑)。
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【京都龍安寺・龍源院、石庭2題】

2016年12月28日 05時51分31秒 | Weblog


わたしのカミさんは実は石が大好きであります。
家を建てたときに設計者に「できれば石の庭を造って欲しい」
とまで言っていた。
もちろん予算面でそれは荒唐無稽の話だったので
わたしも反対し、彼女も当然と諦めてくれていたのですが、
やっぱり本然として、石は大好きのようであります。
娘が生まれてまだ2〜3歳の頃、よく連れて行っていた公園で
玉砂利を敷き詰めた空間で無心に遊んでいる娘を見て
この母親にしてこの娘ありかと、因果応報を感じていた(笑)。
それでわが家は石を感じるブロック素地表しの住宅を選択した。
わたし自身も、実家が食品製造業でその育成温室建築を
創成期の北海道火山灰ブロックで建てていた経験記憶があって
夫婦とも石を感じるこの建築スタイルが好もしかったのでしょう。

そんなことで、京都での探訪先として龍安寺をまず選択した。
既報のように、カミさんは高校の修学旅行以来の京都。
当然のように彼女のエスコート役の立場であります。
わたしはこの龍安寺は何度も来ていて、好きな場所ですが
カミさんはどうも、イメージと大きく落差があったのか、
「う〜〜〜ん」とガッカリ感が伝わってくる。
まぁきのうは大勢のエトランゼ観光客のみなさんで、
石庭鑑賞の随伴要件とも言える「静寂さ」が欠けてもいたかも。
「これなら、仁和寺の石庭の方がいいっしょ」とまで言う。
あ、この前に仁和寺も訪れていました。
あちらの白砂ぶりの方が彼女のメンタリティにはふさわしかったよう。
で、彼女に石庭のガッカリ感を刷り込ませてもと思い、
大徳寺龍源院の石庭を提案して、そっちに向かった次第。
どっちも禅の表現でしょうが、時期的には違いがあると思われます。
龍源院には石とのコントラスト素材として苔や矮化した木立、
さらに置き石も量感・色彩とも龍安寺よりも印象が濃い。
いわばコントラストが効いているということなのでしょうか、
こっちの方は,彼女の憶え、まことにめでたく、めでたしめでたし。
龍安寺の方は、池庭や苔庭、木々の庭、花々の庭など多様な庭が定置され、
そのなかの石庭なのでよりシンプルな表現なのでしょう。
それに対して龍源院の方は、石庭に多様なコントラスト素材が投入され
また、石の盛り上げ方もより立体的であるように見えました。
こういうあたりが、彼女の感受性に強く働いた結果のようであります。

年末でいろいろ博物館とか、鑑賞施設系が休館が多いのですが、
建築空間鑑賞行脚、たのしく巡っております。
<写真は上が龍源院、下が龍安寺>
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【リノベデザインが秀逸な街・京都を見学】

2016年12月27日 06時52分38秒 | Weblog
さてきのう、朝から神戸に移動しております。
ついに雪かきに悲鳴を上げての関西圏逃避行、ではないのですが、
ひと足早く、年末休暇であります。
例によって、足の向くままに見学行脚したいと思っています。
気兼ねなくカミさん同行、途中から坊主合流の予定。

で、前日まで雪かきだけでなく、諸連絡業務などがあって、
とりあえず京都に来ているのですが、
あんまり事前の予定構築はできなかった。
こっちに着いても夫婦とも仕事連絡がケータイ呼び出しひんぱん。
で、カミさんの友人が和菓子修行しているという下鴨神社境内のお店へ。
営業時間は4:30までだということを、
到着寸前にわかるというドタバタぶり。
なんとか、暗がりの中の店舗を探し出し、ガラス窓をトントン。
「おおお」ということで、無事に再会できました(笑)。
っていうことから、ホテルにとりあえずチェックインして、
そこから京都観光の予定をあれこれと決めはじめる。
夫婦でも普段はこういうノンビリした話題になかなかたどり着けない(笑)。
カミさんは修学旅行以来だということをはじめて聞いて
おさらいのようにあちこち見て回ろうと言うことになりました。
写真は、評判が最近上がっているという街中の町家レストラン。
町家をリノベして、オシャレなレストランにしている。
観光ではありますが、そこは住宅とか建築とかに興味が向く。
このお店は「電氣食堂」というお店ですが、
急な予約でしたが、町家リノベとして面白い店舗。
町家という、素材感に満ちているけれど、
店舗活用としてはいろいろな制約もあるだろう案件を
いろいろなデザイン手法でその魅力を引き出していた。頑張っている。
そういえば、国交省ではプレミアム既存住宅という
検討が進んでいるのだそうです。
いよいよ、リノベを住宅建築の中心的なテーマに据えようという
そんな社会的な流れを感じさせてくれますね。
いろいろヒントを得ていきたいと思っています。
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【ひたすら雪とたわむれた年末3連休】

2016年12月26日 06時14分25秒 | Weblog


さて今週はことしのシメの1週間ですね。
ということで、その準備のために自宅から歩3分の事務所の
除雪作業をお願いしておりました。
当社駐車場スペースはおおむね50坪ほどありまして、
大雪が降ったら、人力ではちょっとツライものがある。
大体、シーズンに2回程度の機械除雪をお願いしますが、
今シーズンは早くもその2回目に到達してしまった(汗)。
その2回ともどっさりの大雪だったので、仕方ないところですが、
これから先は予算オーバーになるしかない。
自然が相手のことですから、人間の都合にはまったく無遠慮です。
わが社は地下鉄駅にも歩10分ほどの立地で、
前面道路・歩道の人通りも多いので、はじめのうちは交通整理役を。
で、駐車場の奥に停めていたカミさんの愛車を雪山から掘り起こす。
まったく「掘り起こす」というそのままの状況でした。
とりあえずエンジンを始動させ、排気口を確保してから救出。
その後は、機械除雪の及ばない玄関の庇上の雪山退治。
高さも1mを超えた感じで、ハネだしの積雪荷重も不安になるレベル。
脚立を立てて、雪山を手前側、自分の方向に持ってくる作業。
当然、全身が雪まみれになって浴び続けるしかない。
底部はチョー湿った雪で、そこだけは岩盤状になっている。
なるべく小割にして作業しましたが、こういう岩盤なので、
やっぱりドッカリとしたヤツを一度は取り出したくもなる(笑)。
なんなんでしょうね、こういう心理。
辛いのに、一部遊びの部分がどうしてもあるのですね,雪かきって。
めでたく岩盤状約1m四方程度、厚さ20cm程度のものも排出できた。
さらに、この移動させ堆雪させた脚立回りの固い雪の除雪に往生。
固い、重いの二重苦でありました。
なんとか、機械除雪できる場所まで移動させたところで、
夫婦とも体力の限界、ウルトラマンのようになにかが鳴っている感じ。
体力的に三木奎吾1.0から、2.0にバージョンアップ必要と認識。



体力の快復後、機械除雪のおかげで
駐車場機能が復元された様子であります。
北海道・札幌地方では、この年末の3連休はおおむねこのように
ほとんどのみなさんが活動されたことと思われます。
みなさん、まことにお疲れ様でした。ふ〜〜〜。
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【北海道ライフが生む時限的「雪かき」アート】

2016年12月25日 07時45分31秒 | Weblog
先日は北海道出身の現代芸術家・川俣正さんの紹介をしました。
氏の「作品」は、特異的に、三笠市の廃校体育館では長期保持されていますが、
本来は一期一会的な時限的に出現するアートということ。
そういった芸術のありようというのも、面白いなと思っている次第ですが、
そんなことを考えて振り返って、毎日立ち向かっている除雪に思いが至った。
そうなんです、雪かきや除雪って、冬場雪国では日常的に行っているけれど
いろいろな雪の態様変化に人間が関わっている。
その営為と、川俣正さんの営為にある共通性を感じたのです。
写真は、わが家の正面の中学校グランド外周の様子です。
こんもりとした雪山ですが、鋭利な機械除雪断面のシャープさが加わって
束の間のいっとき、オブジェっぽい姿、形象を見せてくれている。
この写真の撮影時間は早朝4時頃のモノですが、
街灯がその陰影感を浮き出させてくれて、目を楽しませてくれる。
そんなことを考えて冬の除雪ぶり、みなさんがそれぞれに雪かきした様子は
きのうのような晴天のなかで、面白い街の表情を見せてくれている。
もちろんやっかいであることは勿論なんだけれど、
その北海道・札幌らしい困難に市民みんなが黙々と立ち向かい、
それが結果として、独特の造形感覚を各所で見せてくれる。
市内あちこちで、多種多様な街の表情が見えている。
そういえば、札幌の機械車両によるダイナミックな除雪の様子が
中国などの観光客のみなさんから大受けしているという話題も聞いた。
水は方円に従うというコトバがあるけれど、
この北海道の軽量な雪が、どんどんとその姿を変えていく様は、
ちょっと面白い生活文化といえるのではないかと楽しんでおります。

まぁ、なんとも無駄骨そのものである雪かきに、
なんとか前向きな意味合いを見つけたいという自然な思い。
でもたぶんこういった北海道人の思いが、雪まつりという
一発逆転ゲームに近い発想の独特の文化を日本に生んだのでしょうね。
観光で北海道を訪れられるみなさん、
こんな楽しみ方はいかがでしょうか、というご提案でもあります。
どうも雪かき疲労で、ややヤケ気味とも言えますが(笑)。
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【北海道の合理主義的屋根スタイル】

2016年12月24日 06時22分14秒 | Weblog



札幌の積雪が50年ぶりに95センチを越えるという状況。
きのうは、窓外を見る度に夫婦でため息。
一昨日は会社の忘年会から夫婦で帰ってきて(共働き)
夜11時過ぎに家の前を除雪しておいたのですが、
その分量とほぼ同様程度の積雪がきのう朝までに降り積もり、
朝一番で再度の家のまわりの除雪。
会社駐車場の方は、この2回分の量がそのまま積雪していたので、
4躯が足下が怪しくなるくらいの積雪深をクルマで踏み固め。
とりあえずの足場を確保しましたが、
とても手に負えないので、業者さんに連休中に除雪を依頼。
しかし、降雪は一向にやまず、その後も自宅周辺を断続的に除雪。
「食事前の除雪よりも、食事後の方がダイエットになる」
というカミさんの情報に基づいて、夕食後、シメの雪かき。
こんなステキな休日を過ごしておりました(笑)。
ンまぁ〜〜、よく降ってくれます。
1枚目の写真は近くのDIYショップに長靴を買い求めに行った帰りに
その近隣の住宅の屋根雪が面白い形状を見せていたもの、
三角屋根の頂部から雪割りされて、左右に雪が落ちて行っているけれど、
どうも雪質が粘度を持っていて、
北海道の通常の軽い雪ではただ落ちていくのが、
今回の降雪では比較的高温の気温だったので、
こんなしぶとい雪になっているようです。
2枚目の写真は、現代の北海道の屋根の主流のフラットルーフの当社屋。

北海道の家づくりでは、この雪対策が大きな部分。
建物の設計を考えるときに、絶対的与条件として不可欠です。
1枚目の写真のような状況の場合、
このいまにも滑り落ちそうな雪の「堆雪」場所をこの先に考える必要がある。
札幌の街割りの原型では1戸あたりの面積を500坪と設定していた。
そしてその外周に回した道路も、最低の「小路」で8m、
一般的には20mを設定していたとされるのは、
こういった「堆雪」場所の確保が要因。
それが十分に確保された上でないと、こういった屋根はありえない。
でも都市型密集地域である札幌市街地などでは、
土地の狭小化が進行していくので、それへの対応が建築に求められる。
そこで屋根が陸屋根志向になっていった。
いわゆる無落雪屋根で、当初は断熱の不良もあったので、
屋根面に室内の熱が伝わることを半ば前提にして、
融けた雪をドレンパイプで落とすという「樋」の発想で対応したけれど、
これは凍結などさまざまな問題を引き起こして徐々に廃れていった。
いまは、ほとんどがほぼ断熱された屋根面に雪を乗せたままの
フラットルーフが主体になって来ている。
季節風が雪を吹き飛ばすと同時に、暖気が雪を融かしてくれて、
若干の傾斜角度に沿って融雪水が落ちていくという考え方。
そういう選択の結果、積雪荷重に耐える陸屋根スタイルに落ち着いてきている。
その様子をみて「内地」の建築関係者からは違和感も持たれる。
これはデザインの志向性というよりも、
いわば北海道・札幌の都市生活が生み出した合理性選択での
いわば、地域「スタイル」なんですね。

さて、きょうもまた軽い積雪があったので、雪かきに出動であります。
どうせなら、ルンルン気分で頑張るぞ。
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【現代芸術家・川俣正のずっしりレプリカ作品】

2016年12月23日 07時01分06秒 | Weblog
単純だから、重たいとありがたさが伝わってくる(笑)。
北海道三笠市出身の世界的現代アーティスト・川俣正さん。
かれの高校時代の同級生、武部英治さんとわたしは仕事の関係があり、
誘われるまま川俣正さんの現代アートプロジェクト「会員」になっております。
毎年、武部さんからメールが来て、会費を払うと
「三笠フレンズ」ということになり、出来ていくアートの「支援者」になれる。
そのお礼の作品が毎回、いただけるわけです。
まぁ付き合いだったわけですが、三笠市内の廃校に展示された
アート作品を実際に触れて、そのリアリティを実体験して、
ワケわかんなくも(笑)、「おお」という臨場感は共有させてもらっている。
そんなかれ、川俣さんの故郷に寄せる制作モチーフが、
徐々につたわってくるモノがあります。以下、武部さんからの案内文より。

三笠ふれんず会員の皆様、
今年からプロジェクトは川俣正が高校時代を過ごした岩見沢に
移行することになりました。
「北海道インプログレス」は、川俣正が出身地である北海道で
現代アートの新しいあり方を実践する長期型アートプロジェクト。
今回で第5期を迎えるのですが、今回の会員特典は
はじめての初の「立体もの」。三笠プロジェクトのレプリカ模型。
川俣氏と、菊地拓児氏の共同制作による限定レプリカ。
<これが一番上の写真であります。ずっしり感がある>
まず、岩見沢競馬場跡の駐車場を市から借地し、
彼の奈良のプロジェクトの足場丸太700本を、
とりあえず持ってくることにしました。




岩見沢駅舎でのレクチャーでスケッチは残していったものの、
いつものように荒唐無稽な話、本人はパリのアトリエで、
道新に依頼された原稿を書き(北海道インプログレス絡み)
市役所(市民)にプレゼンテーションすべく模型制作に励んでいるというから、
少し先が見えだしてきたと期待できるかも知れませんね・・・
雪の中での700本の荷下ろしは、遭難しそうになりました。
この市内が見渡せる高台で、岩見沢プロジェクトは
大規模なものになっていきそうです。

ということで、どんなことになっていくのか、
ハラハラドキドキしておりますが、
まずはずっしりとしたレプリカ作品に、すっかり感動しております。
人間、重さにこんなに弱いとは思わなかった(笑)・・・。
このアートプロジェクトに興味を持たれた方は、
三笠フレンズ会員入会
まで、入会されてください。
半信半疑でしょうが、これは面白いアートプロジェクト。
そのプロジェクトとの運命共同体感は、なかなか得がたい体験です。
むかし、芸術家もいいなと思ったこともあるあなた、
すばらしいチャンスですよ、と新興宗教の勧誘みたいですね(笑)。


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【高齢労働力はどう活かせるのか?】

2016年12月22日 06時34分43秒 | Weblog
さてことしも今日を入れても10日ほどになりました。
高齢化の進展とともに、月日の経つのがまことに早い(笑)。
わたしはなんとか、ブログやSNSなどに積極的に関わって
IT化高齢者として悪あがきしてでも若々しくありたいと思っていますが、
たしかに体力的には徐々に衰えが出ては来ているけれど、
経験や人的交流資産はむしろどんどんと増えてきている。
なんとか役に立つうちは、邪魔にならない範囲で(笑)頑張ろうと思っています。
そんなときに目にしていたのが、地域シンクタンク・道総研の作成された図。
全国の労働者数はいまも伸び続けているなかで、
高齢労働力の割合も高まって行っている。
平成25年段階で9%を超えている状況が見て取れます。
世界に冠たる充実した医療制度を持っている国として
こうした「年を取っても働ける層」を、どのように活かせるかは、
今後の世界が否応なく直面していく高齢化社会の先導モデルになれる。
栄養状態の画歴史的な改善と、住環境を中心とした
社会総体としての健康維持環境の出現は、
わたしたちニッポンの大きな可能性なのだろうと思います。

というようなことを考えることが増えてきて、
自分自身もそのなかにいて感じているのは、
やはり先人たちから受け継いできた「知恵」をどうやって社会に
遺していくべきか、ということだろうと思います。
その部分がことし、一番痛感させられたことでもありました。
高齢者は社会の中でいちばん経験知を持っている。
それを社会全体の活用すべき資産として、いかに転移させていくか、
大いに知恵を絞っていくべきだと考えさせられています。
最近でも、住宅建築の若いバリバリの研究者のみなさんと
対話する機会を得たりしましたが、
そういうなかで、少しは伝えられることがあるかも知れない。
高齢者が仕事を通して社会に還元できることはそこが最大でしょう。
まぁもっとも、年齢を重ねてもまだまだ知らないことばかりであり、
日々が勉強であることは当たり前なのですが、
少しは経験があるので、多少の衝撃緩和装置にはなれる。
住宅の情報の世界で、まだまだ挑戦できることはあるのではないかと、
たのしく想像力を膨らませております。
仕事への対し方、領域などをいろいろ考えていきたいと思っています。
この図を見て、いろいろアイデアを浮かべている次第。
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