性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【リフォーム工事 施主さんの大変さを体感中】

2018年02月28日 07時22分22秒 | Weblog
2月もきょうでお仕舞いであります。
時間の経過というのは加齢と共に本当にどんどんと早まっていくもの。
ことしはとくに、わが身に関係した建物の改修工事があって、
その工事についてあれこれ考えなければならない。
リフォーム工事って、施主さんが住み続けるかどうかで大きく「工程」が変わる。
もちろん工事の規模によっても大きく変わりますが、
今回わが家は早々に移転を決断しています。
そうすると「引っ越し」を2回しなければならないのですね。
もちろんその前までに工事内容と見積もりその他の打合せが前提。
これが正確に定まらないと、移転する期間自体も定まらない。
これがなかなか一筋縄ではいかない・・・。
けれどその間でも通常の出張日程などこなしていくので、
打合せ時間もタイトな日程になる。
そういう基本的な部分がなかなか決定できない間にも、
待ったなしで、移転の準備作業は施主側として進めていかなければならない。
これが、自分自身ではたいした荷物はないと思っていても、
数十年の月日はそれ相応のモノの蓄積を生んでいる(泣)。
種々雑多な「モノへの取捨選択作業」が延々と続くのであります。
何回か触れていた「断捨離」の作業であります。
ある年齢になってくると、
「どうせあの世には持って行けない」
というような心理と、
「当面、不可欠な暮らしの維持発展」
という両面の心理が起こって、
断捨離判断がそれぞれに発生してくるものなのだと実感させられる。
そういう意味で、身内の娘というのはたいへんありがたい存在。
そういう判断について、彼女からされることについては、
親として、受け入れやすい部分がある。
いわば自分自身の管理について、丸投げできる稀有な存在。

日程的には旬日を切ってきた日程をにらみながら、
こうした各種判断事項が、毎日押し寄せてきている日々であります(笑)。
まぁ施主さんは大変だ、ということを再再度、身をもって知らされる。
今後の住情報発信についての貴重な肉体的経験を
それこそ疾風怒濤のように経験しています。
きっと多くのみなさんに役立つ経験知を得ていけると思います。
乞うご期待、ではありますが、さてやれやれ・・・。
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【そだねーが訛っていると気づかなかった(笑)】

2018年02月27日 06時47分19秒 | Weblog
「そだねー」というコトバは、やや身内的関係において
同意的心情を表現するものだと思いますが、
まぁ、北海道では一般的に使われていると言っていいでしょう。
おおむね女子が多く使うけれど、男性も親しい関係ではよく使う。

〜「そだねー」指摘に、藤沢五月「なまっているんだ」
カーリング女子のLS北見は銅メダルの快挙とともに、
競技以外も話題を集めた。
 本橋は、休憩中にイチゴなどを食べることについて聞かれ
「カーリングに興味を持ってもらえれば。『もぐもぐタイム』をきっかけに、
戦術なども練りに練っているので、注目してください」とにっこり。
北海道弁の「そだねー」について藤沢は
「みんな北海道出身なので(そだねーが)なまっているんだ、
と気づかなかった」と話した。〜日刊スポーツWEBから。
さわやかな印象で連日長時間、お茶の間のみなさんに真剣な戦いが
放送されたことで、インターバルの時間に流れる会話が
いかにも「癒される」と話題になったということですが、
地元人としては、北海道女子の魅力が発信されてまことにウレシイ。

北海道「弁」というのは、日本各地からの移民が素地なので、
さてどれが方言なのか、自分たちもよくわからない。
インターナショナルっていうか、日本民族混合の象徴というか、
どれもが日本各地のルーツを持った原・方言があって、
その上で北海道的アレンジが加わっているのではないかと思います。
この「北海道的アレンジ」だけが北海道方言に相当するといえば、
「いいっしょ」「なんもさ」とかの同意的感覚表現が多いように思います。
きっと、日本各地からやってきた人たち同士が親密になるのに、
まずは同じ心情を共有する言語機能が発達するというのは、
人類学の西田正規先生の著作でも学説が述べられていた。
他者同士がコミュニケーションするのにまずは「安全保障」が最優先で
「友好的雰囲気」づくりが言語の最初の目的だった,とする考え方です。
今回「物議」を醸したカーリング日本代表選手たちの会話は
まことに楽しい話題を提供してくれたと思います。
また、競技の結果に対して率直によろこび、
競争者への配慮や、ネクストへの挑戦心などコメントもさわやかだった。
郷土を同じくするものとしてまことに誇らしい気持ちです。
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【陸中国一の宮「駒形神社」って?】

2018年02月26日 07時05分20秒 | Weblog


わたしの全国神社スポットめぐりはひとつのライフワークなのですが、
東北中部についてはながく空白だった。
そんななか奥州市水沢区にこの神社があり、陸中国一の宮と記述があった。
おお、ということで先日足を向けてみた次第。
〜令制国としての一宮ではないが、駒形神社(奥州市)が全国一の宮会により
「陸中国新一の宮」として認定されている。〜
という由来がWikipediaに記載されている。
ただし、由来については諸説があるようです。
HPなどの情報発信もできていないようなので、わかりにくい。
いただいてきた「パンフレット」の年表では西暦456年に
上毛野(のちの上野国、現・群馬県)を根拠とする上毛野氏一族が
当地に来住するにあたり、地元の駒ヶ岳を上毛野氏氏神の赤城山に擬して
奉斎した、とされている説を採っている。
上毛野氏というのは群馬県には数多くの古墳が築かれ、
古代日本において有数の勢力であったと考えられている。
日本書紀では上毛野氏の蝦夷征伐・朝鮮交渉従事の伝承があり、
対外関係に携わった氏族であることも示唆される。
壬申の乱時にも、天武天皇に味方した東国勢力の中心だったと思われる。
あるいは、そういう古代の戦乱時の「恩賞」として
比較的に米作文化が早くから導入・成功した「奥六郡」といわれた
東北中央部に勢力を拡大した可能性が高い。
坂上田村麻呂の奥州侵攻に際しても、かれから尊崇を受けて
奥州で最高位の社格を獲得したりしている。
その後の源氏の頼義・義家の「陸奧守」時代でも尊崇を集め、
引き続いた平泉・藤原氏時代にも、かれらの本拠地・束稲山に分社されている。
藤原氏滅亡後、頼朝与党として奥州支配した「留守氏」の痕跡もみえる。
古代から中世にかけて、こういった動きがこの神社にはありそうです。
ただし、ながく山岳信仰によって山頂に本社があって
里はその所在が点々としているように思われます。
水沢の現在社(水沢本社)は明治36年(1903年)の新設とのことで、
痕跡がイマイチ定かではないといえますね。
だから、わたしとしても見過ごし続けてきていたといえる。

とくに東北中部・奥六郡をめぐっては、地域勢力と中央貴族たち、
関東を制した源氏の武権などが複雑で数奇な権力闘争を繰り広げたことで、
この「神さま」について双方都合が良いように利用してきたように思われます。
そういう意味では、歴史探究としてはいろいろに興味深いものがある。
楽しくテーマとして暖めていきたいと思っています。
さて今週からわたし自身、社屋兼用住宅のリフォーム工事に絡んで動きがあります。
一時転居などでいろいろ混乱要因がありそう。う〜〜む。
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【低俗といわれたマンガが主導する日本文化】

2018年02月25日 07時15分29秒 | Weblog


日本の文化をいろいろに感受し続けてきて、
だんだんと自分自身のことについて、いわば回帰的に見つめるようになる。
1960年代からのニッポン文化の潮流はリアルタイムで体験した。
その当時の基調を構成していたのは、
いまふり返って見ると、やはり圧倒的に「マンガ」だったと思う。
それ以前の日本人には活字文化がなにより支配的だった。
そういう「既成概念」から、低俗極まると酷評されていたのがマンガだった。
しかし戦後以降、テレビメディアの映像が洪水のように流れ込んでくるなか、
情報のスピード感は、文字文章の読書から、
画像映像による即物的把握に情報世界の主流が移ろっていった。
ビジュアル情報革命があの時代の特徴だった。
まずは少年マンガの情報摂取感が子どもたちに先験的に刷り込まれ、
そのあとから文字情報摂取が後追いしてきたのが、
わたしたち年代の精神生活の基調を作っている。

そういう意味では団塊に属する兄から
「おまえは、元祖オタクみたいなヤツだ(笑)」と揶揄されてきたけれど、
あとに続く後輩たちのいちばん最初の年代ともいえるのかもしれない。
情報摂取の仕方の変化は、その感受力をも変えるのだろう。
まずは直感的把握がはじめにくる世代。
わたしたちより前の世代は、豊かなリアル世界での経験知が、
少年期などにたっぷりと刷り込まれているのに対して
わたしたちは、まずはビジュアルによる「仮想現実」のほうが存在した。
バーチャル経験が、現実の経験と同時平行して存在した。
この石ノ森章太郎さんの「萬画館」という「文化」施設が生誕地に
ほど近いとはいえ、このように存在し得るようになった社会の変化は
しかし、かなりの衝撃・インパクトだとは言える。
文化は社会の中の人間の生き様を強く反映して変容していく。
低俗だとか、くだらないとか言われるけれども圧倒的に受容されるもの、
そういうものの影響力が、社会を変えていくのだと思う。
俵屋宗達の「風神雷神図」は、彼の生きた江戸初期には、
あのようにマンガっぽい表現だけれど、はたしてどう思われていたか、
「あぶな絵」というような言い方で出現当時、蔑まれたものが、
文化へと昇華していった日本での流れなどを見れば、
ひとびとの生き方の変化が大きく文化発展を促進するモノであることは
疑いようがないのだと思いますね。
わたしというちっぽけな存在が生きたこの数十年でも、
社会変化は確実に生まれるのだと、いろいろ思いが深まった次第です。
だから、面白いのでしょうね(笑)。なにが起こるのか?
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【石巻にて マンガ少年青春前史外科切開】

2018年02月24日 07時27分17秒 | Weblog
なにを隠そう、わたしはマンガ少年でありました(笑)。
小学校高学年から中学校時代にかけて、
友人たちともそういう雰囲気を共有していて、
当時一般商業マンガ雑誌とは別に、マニア向けに出されていた
「ガロ」とか「COM」とかのマンガ雑誌を読み、
そのムーブメントの中心的な作家として手塚治虫とか
その弟子的な存在であった、石ノ森章太郎や藤子不二雄、赤塚不二夫など
「トキワ荘」に連なるマンガ作家たちが醸す空気感のなかにいた。
さらにはやや異端の白土三平、つげ義春などが創造した世界。
そういうなかで、石ノ森章太郎が出版した「マンガ家入門」を
それこそ、惑溺的に読みふけっていた。
いわば、青春前史としてそういった意識の中にどっぷりと浸かっていた。

どうもこういう青春期前史のようなことって、
まことに血肉にかかわってくるような部分であって
容易には近寄りがたい、DNAの深層を見るような、
首から上に出来た腫瘍をまざまざと正視させられるような
名状しがたい生々しさがあって、怖ろしい(笑)。
自分自身はそういったマンガ家志向のようなモノには整理を付けて
まったく別の人生行路に向かっていたと思っていた。が、
東日本大震災で、石巻にあった「石ノ森章太郎漫画館」が被災し、
その様子が建築雑誌などで良く取り上げられていた。
それまでそういった博物館が存在することすら知らずに過ごしていた。
「そうか、石ノ森章太郎はそういえば石巻周辺には縁があったなぁ」
というくらいは漠然と思い出してはいたけれど、
よく仕事で東北に行くとは言え、おおむね拠点は仙台であり、
この地に足が向くというようなことはあまりなかった。
しかし、2−3年前に震災視察バス見学会で周辺に来て、
ちょうど昼飯時だったので、この「漫画館」をふと訪れてみた。
・・・以来、今回訪問で3度目になる。
今回はふと目にした写真のパンフからある記憶が鮮明になってしまったのです。

きっと誰にもこういう類の「前史」的なモノはあるでしょうね。
見学していて、どんな博物館見学ともまったく違う
いわば自分自身の内面と語り合い続けるような時間を過ごしていた。
ニッポンのマンガは、きわめて重要なサブカルチャーだと
思い定めてはいるけれどここまで自分自身の内面に関わっているとまでは
正直、考えてはいなかった。
見終わって、まことに静かな衝撃に打たれ続けている。
この漫画館のスタッフのみなさん、今回の企画展示挑戦にあたって、
ほんとうによく頑張ったと思わされました。
すばらしかったです。ぜひ多くのみなさんにも見ていただきたいです。
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【ローテクな生活文化バックアップ融雪設備】

2018年02月23日 07時57分29秒 | Weblog


写真は一昨日の札幌での住宅見学会から。
イゼッチハウスさんのモデルハウスの様子です。
きのうも触れた積雪地での「ロードヒーティング」熱源について、
ここでは暖房熱源としてのヒートポンプ加温空気の余剰熱を
約50㎡ほどの駐車スペース用の融雪にも利用している。
あくまでも「余剰分」なので、本格的に雪を融かすことを主目的にはしていない。
なんとなくダラダラと、気がついたら雪がなくなっていた、
みたいな融雪装置になっている。

これからの高齢化時代を北海道の戸建て住宅で考えると
雪への対策はなかなかに悩ましい問題。
・・・っていうのは、わたし自身にとっても考えさせられること。
いまのところは元気だし、健康に留意して自己管理をしていく上で
雪かき運動は冬場の健康管理的にはすばらしい機会だと思います。
40代早々で建てた家では当初はロードヒーティングまで装置したのですが、
熱源として灯油を使うので、ランニングコストがやはりキビシイ。
どうしても本格的に使うと4-5万円程度は飛んでしまう。
逆に、健康維持のためには定期的な降雪は
神さまの贈り物のようにも思われてくるようになるのです。
北国育ちの人間は、雪が降ってくるとスイッチが入って
カラダが反応するように出来ているモノなのでしょうか?
わたしの息子も高校時代まで、大して言ってはいないのですが、
自発的に雪が降っていると父といっしょに雪かきをするようになっていた。
これって大切な雪国の生活文化だと思えるようになるのですね。
口ではあーだこーだと愚痴りあったりするのだけれど、
どうもその語る口もとからは、微笑も感じられる。
雪かきって、やっているとまったく無心に「雪を整理して片付ける」
みたいな達成感がハンパないのですね。
そのうえ、適度な運動量というのがオマケで付いてくる。

しかし、今後の高齢化を考えると装置の側での準備はしておきたい。
ことし、事務所では久しぶりに、というか10数年ぶりに
灯油熱源のロードヒーティングを稼働させてみましたが、
これはまったく問題なく動作した。
機器としてはローテクなものであまり経年劣化要因は考えづらい。
そういう現実を見て、やはりバックアップ用として
こういう設備を考えておくことはムダではないと思えました。
よりローテクで交換容易な装置、ライフスタイルとの見合いで
大いに研究開発努力をウォッチして行きたいですね。
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【中央と寒冷地のZEH施策対話 in 仙台】

2018年02月22日 05時34分41秒 | Weblog
きのうは仙台に移動して、東北フォーラム主催の公開シンポジウムに参加。
主題は「ZEH」であります。
ZEHという国の施策に深く関与されている早稲田大学の田辺新一教授の
基調講演を受けて、いわば民の側というか、
寒冷地で住宅を作る立場からのナマの声を具申するような役割として
わたしにお鉢が回ってきて、参加させていただいた次第。
わたしは、なにやらZEH反対派の急先鋒のように擬せられているのでしょうか。
東大・前真之先生から「トランプ三木」と挑発もされていますが(笑)。
まぁ論議の活性化にとって、スパイスも必要ということでしょう。
寒冷地・北海道東北は、削減可能な家庭内エネルギーという意味では
暖房エネルギーが主要になる。
しかし、それは本然的に寒冷地では欠かしにくい必須要件でもある。
ここを削減するためには基本的に断熱強化しかありえない。
その上で設備設計をより深く検討していくことになる。
ZEHのために現実に起こっていることでは、設計上「非暖房室」を拡大させる
そういう不可解な対応をせざるを得ない。
全室暖房は、住宅のいごこちと耐久性を高めるために
寒冷地住宅が基本課題としてきたことだけれど、
ZEHの制度としては局所間歇暖房を選択する方が合目的的。
寒冷地側からすればまずは最初のボタンから、どうも勝手が違う。
しかし、国際的な目標としてのゼロエネルギー化はまったく同意できる。
理念についてはまったく同意できることを、
困難を乗り越えてどう対応していくのか、というスタンスでしょう。
寒冷地はどういう方向感覚を持ってZEHに対処すべきなのか、
しかしまだ、明確な方向性は指し示されていないと思います。

施策推進側の経産・国交・環境という中央3省の側でも
こうしたZEH受容困難地域に対しての施策は工夫されてきている。
ニアリーZEHなどの柔軟な対応がそれにあたりますが、
来年度での施策を見ると、日照確保の困難な
大都市密集地域への対応も考えられてきている。
こういった「変化」は寒冷地側が真摯に意見具申した結果でもある。
否定するのではなく、よりよい国策に育っていくように家を作る側と
制度設計側の両者がユーザー利益ファーストで協同していくべきでしょう。
どうしても田辺先生との対論的なスタンスにはなったのですが、
そのような結論には同意できた次第です。
セミナー後もお忙しい田辺先生から「飲みながらもう一回戦(笑)」みたいに
ホットに意見交換できてまことに有意義な対話だったと思います。
セミナー最後にあたって、こういった設備設計についても、
ユーザーが長期的にその家に愛着を持てる、
作り手も理念として誇りを持てるアプローチが必要ではと意見しました。
結局家づくりはユーザーと作り手の人間同士の共同作業。
ある通底する共感の部分がそこになければ長続きしないのではと思います。
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【札幌住宅見学 画期的ロードヒーティング?】

2018年02月21日 05時04分30秒 | Weblog
きのうはPVソーラーハウス協会20周年の特別総会in札幌。
全国から90名以上の参加での住宅見学会+セミナー。
写真はそのなかの住宅見学会のワンシーンであります。
札幌は年間積雪が6mという豪雪地帯。
そういう地域環境のなかで生活基盤としての「除排雪」は欠かせない地域。
札幌市の平成28年度決算では、この支出項目で226億円弱。
年度予算・決算総額は9,796億円なので、2%以上を占めている。
将来とも、自動車の交通確保は欠かせない「都市インフラ」でしょうから、
その負担は覚悟し続けていかなければならない。
そうした公共道路へのアクセスまでの自分自身の土地のなかでの
除排雪は、個人負担として努力し続けなければならない。
そして高齢化社会はどんどんと進展していく。
社会的にはこうした多雪地域では、戸建てとマンションとのトレードの
現実的要因になっていくことも避けられない。
「年取ったら、雪かき、面倒だから」ということになるのですね。

この問題について、一時期は石油や電気など熱源を消費しての
「ロードヒーティング」が一般家庭にまで普及した。
しかし、それは格安な石油価格に支えられた一過性の社会現象だった。
やはり社会全体のコストとして家庭内敷地の雪対策は
寒冷地の将来の大きな課題であることは避けられない。
そういったニーズ対応として、この作戦には希望を持った。
これは玄関から車庫スペースまでの間の通路部分に施されたもの。
他のスペースとはまったく違って雪がきれいに除去されている。
「これ、どうやっているの?」と聞いたら、
表面を覆っているシートは除草用の皮膜シートで、
その下には砂利が敷き詰められているということでした。
砂利は石であり、雪を融かす「蓄熱性」があるけれどそのままでは、
雪が空隙部分に入り込んでそれが凍結して、太陽熱が融かすよりも
優位になってしまって、融雪機能はあまり期待できない。
けれどこのように「黒い」皮膜を張ると、蓄熱・融雪性が期待できる。
この除草皮膜は黒いので太陽光の蓄熱と相性が良いのでしょう。
また、雪かき作業の時の地盤面としての平滑性が確保でき、
ママさんダンプやラッセルの作業効率が向上する利点がある。
砂利の凸凹がなくなって、雪塊を軽く滑らせることが出来るのですね。
設置コスト的には、砂利と皮膜敷設だけ。
砂利はどうせ「犬走り」にも敷設するから埋め込み設置は容易。
わたしのような「生活者目線」的にはすばらしい知恵だと思わされました。
欠点としては、ワンシーズン程度でこの皮膜の耐久性が尽きる点。
上下からの物理損傷要因で皮膜が破れるのだそうです。
しかし、この皮膜の値段はごくわずかで済むそうですから、
(この製品価格は聞き漏らした、「安っすい」ということ)
たとえワンシーズンごとに張り替えたとしても、DIYで各自がやれそう。
なかなか良いアイデアだと感心して見ておりました。
今後、もうちょっとこの「装置」を調べていきたいと思っております。
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【歴史好きにも未知だらけの関西ニッポン】

2018年02月20日 06時21分01秒 | Weblog



難波京、という日本史上のエポックがあった、ということ、
この大阪の歴史博物館に来るまでほとんど知識がなかった(泣)。
古代の「都」という概念では、大王が住まうところという意味合いが強く、
その「座所」は点々と移っていったという認識だった。
そういうなかに大阪平野地域でも仁徳などの座所はあったという理解。
ようやく奈良に至って、本格的な中国式の条里制都市が営まれた、
というような理解がわたしが学習した40-50年前の常識だったと思う。
王城と都市が一体となったものが実質的「都」だという認識。
そういう時代からもう半世紀も経っているのだから、
歴史理解常識も大きく変わってきてもいるのでしょう。
もう一回小学校からの「日本史教育」を受け直してみたいと思う日々(笑)。

たしかに大阪地元ということで
やや肩入れしている部分はあるでしょうが、
実際に「大極殿」とか、「朝堂院」とかの比定地が発掘され、
復元もされている。(大阪城ともそう離れていないのは面白い。)
なんといまは高速道路の主要ポイントになっている。
時代は変わっても「要衝地」であることには変わりないということか。
やはりこの40-50年で飛躍的に各地で考古的発掘が進展して
文書主義的な行き詰まりを大きく打開するようになってきたのでしょう。
それが、インターネットという知の共有化も進んでくることで
大きくダイナミックな進展が起こってきているということ。
そういう意味ではわたしのような歴史好きには面白い時代になって来た。
北海道島の歴史考古でも、興味深い説が数多く発表され、
アイヌの歴史、みたいな学究も進んできているように
各地域ごとで多様な探究が爆発的に進んでいる。
そもそも歴史というのは、多様性そのもので進展するものなのでしょう。
たとえば、現代という時代を一個人が一刀両断的に「理解」するのは
気の遠くなるような大事だということはすぐにわかる。
過去においても、複雑な社会が時間の経過とともに推移してきたので
混沌とした「事実」と「痕跡」は積層していくものなのでしょう。
「大極殿」「朝堂院」などが比定されたとしても、
必ずしも「都」といえるのかどうか、権力の質も考えなければならない。
最近の教育では、知識の「詰め込み」には力点を置かず、
自ら「考える力」の涵養に務める方向に変わってきているとされている。
「どうしてこうなるのか」について学ぶ側で討論したり、
仮説を立てて検証していくという「学習」に変化しているようです。
そんな様子を見ていて、やはり再度小学校からやり直したいというのは(笑)
さて、わたしだけの思いでしょうか?
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【札幌の年間積雪量は6立法キロメートル超】

2018年02月19日 08時03分11秒 | Weblog


さてしばらくは北陸などのみなさんには申し訳ないほど、
やや小雪であった札幌ですが、ここにきて大雪です。
本日は目視で約30cmくらいは積雪深度があったようで、
早朝6時前から7時過ぎまで、約1時間半ほどたっぷり除雪作業。
やはりシーズン終盤に向けて、帳尻はしっかり合ってくるようです(泣)。

先日の日本建築学会・地球の声委員会見学の折、
中国南部揚子江よりも南から来ていた留学生の平(ピン)さんという女性。
たまたま、帰りのクルマで同乗できたので、
いろいろ楽しく会話をすることができました。
お国はまさに南国で、雪なんかもちろん見たことがないそうです。
また、中国全国としても積雪の地域はごく限られていて
中国人社会として、積雪への感受性はほとんど持っていないようでした。
そこで出てきた質問です。
「サッポロには1年間でどれくらいの量の雪が降るのですか?」
ということで、積雪量の計量単位を説明して、垂直方向で約6m超であると説明。
これは世界の都市の中でも飛び抜けて巨大であること、
そもそもそういう積雪地域に人類は「都市」を作らなかったけれど、
明治政府以来、日本社会が取り組んだ北海道開拓という超長期国家プロジェクトで、
対ロシアの国防の観点からもそれが推進されてきたことなどを
ときどき英語も交えて説明していた。
しかし、どうもわれわれ日本人と受容する感受性ポイントが違うようだ。
どうも彼女は、積雪するその雪の「総量」単位を明確にして欲しいようなのです。
そこで同乗していた建築家の照井さんがやおら、スマホを扱いだした。
「えっと、札幌の平均降雪量は平年で約6m。それに面積が1,121 km²、
掛けていくと、え〜〜と」
ということで出てきた答えが
「約6.2までは良いんだけど、その単位が立方キロメートル・・・」
という笑顔ながら、驚愕の表情であります。
「え、立方キロメートル? それって、」
「そうです、タテ1km、ヨコ1km、高さ1kmの立方体が6つ以上」
「タテヨコはわかるけれど、高さが想像不能(笑)」
というような結果が出て、ようやく平(ピン)さんからニッコリ了解してもらえた。
東アジアでの国際理解、一歩前進であります(笑)。
帰ってきてから、この「立方キロメートル」という単位をなんとか感覚的に、
いろいろ考えてみるのですが、なかなかいいイメージがない。
換算データでは、お米にすると330億石以上ということ。
江戸時代の全国のお米の生産高は3000万石といわれていた。
1石というのは、おおむね人間が1年間に食べるお米の量とされている。
なので、雪をお米に置き換えると江戸期の人間が1000年以上、
食べ続けられる量に相当する・・・、
う〜〜む、なんかよくわからない。
でも、さすがに白髪三千丈の国の人であります。ポイントが違う(笑)。
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