性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

ブロック住宅デザイン 螺旋階段、空中廊下

2016年01月31日 08時12分00秒 | Weblog
先日、わが家の新築当時の様子公開には大きな反響でした。
なんでなのか、よくわかりません。
「コンクリートブロック外断熱」っていうイメージが
本州以南地域のみなさんにとって、新鮮なものとして感じられたのかも。
たしかにこの当時、本州地域では安藤忠雄さんが
コンクリート打ち放しの住宅を発表され、もてはやされていた。
ちょうどそれに対置するように北海道では
多くの建築家たちが、このコンクリートブロック外断熱に取り組んでいた。
それは日本の一地方での特異な動きであったのかも知れないけれど、
安藤建築が取り上げられるほどには全国的には注目されなかった。
まぁ無理もないでしょう(笑)。
市場サイズが違いすぎて、取り上げる意味が感じられなかった。
多少は全国メディアも取り上げてはいたけれど、
まぁほとんど、日本全体には伝わっていかなかった。

それはそうなんですが、
しかし、いま思い返してみても、
同じ日本で、ここまで特異な地方的発展を遂げた「建築工法」は
ほかにはないのではないかと再認識させられる。
地域に豊富な資源である火山灰を利用したブロックで
家を建てると言うことは、戦後の早い時期に
北海道の田中敏文知事時代に提起され、地域の独自な建築運動として
やがて高気密高断熱工法を生み出す母体になった。
官の側がむしろ先導するようにして住宅を革新しようともがいていた。
それを大きく支持する民衆的な熱意・盛り上がりがあった。
たぶん、こういった集団的経験が住宅建築に於いて起こったというのは
民族史的にみても稀有な事態だったのだろうと思います。
そういったことのプライド、意味合いが十分に評価継承されていない。
こうした熱気がわたしが住宅建築を考えた25年前当時にはまだしもあり、
建築家グループは、このブロック住宅を外側から断熱する、
ほぼ世界標準的な考え方にたどりついて、
盛んにこういった家を建てていたのですね。
いま、再認識することとしては、その「蓄熱性」評価ということもある。
断熱の先に「蓄熱」という大きな発展テーマは目指されているけれど、
しかし北海道ではすでにこうした建築は実現されている。
さらに、鈍重になりやすいデザインにおいても、
どうやったら、モダンでシャープな印象を持たせられるか、
写真のようなデザインも果敢に追求されていた。<写真は安達治さん>
若い設計者・高村正夫さんの楽しいワンダーランド提案に
ちょっとやんちゃだけど(笑)、チョーワクワクさせられていたのです。


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手巻き寿司・恒例ランチミーティング

2016年01月30日 05時50分32秒 | Weblog
きのうは会社の仕事の合間を縫っての
恒例のランチミーティングであります。
これは、食事をしながら楽しい雰囲気で仕事の円滑化を
という趣旨ではじめたもの。
ウチは自宅兼用でやっていた時期が長く、
わたしの手作りの食事をふるまったりする機会が多かったので、
自然に、「今度はあれが食べたいなぁ」という声が盛り上がるのです(笑)。
どうしても〆切間際など、大変な時期も多いので
こういった息抜き的なイベントも作るようにしているワケ。

今回は前回3カ月前と同様メニューで、手巻き寿司であります。
寿司ネタのおさかなは、そういう専門のお店を発見しているので、
今回もお願いしておりました。
でも季節によって、魚種は微妙に変化して、そういうのも面白い。
やっぱり北海道地元のサカナは、あまく、味わいが深い。
で、海苔には、仙台でお世話になっているカメラマンさんからの
「お歳暮」でいただいた三陸地域からの海苔を。
復興に向けた思いの感じられるおいしい海苔でした。
さらにデザートとして、いつもオフィスコーヒーを購入している専門店の
特性チーズケーキと、チョコケーキ。
そのうえ、前日に届いた宮城県産のイチゴも、という豪華版。
肝心のお米は北海道産の「ふっくりんこ」と宮城県産の「ひとめぼれ」。
これをわたしの自宅で3升、炊きあげました。
参加人数は全部で17人でしたが、前回はちょっと少なめに感じたので
ひとりあたり2合程度という目算になったのであります。
最初は、ひとりあたり1合ちょっとで、合計2升と考えていたのですが、
直前になって、「やっぱり3升炊こう」となったのです。
こうなると、5合炊きの炊飯器では6回炊かなければならない。
これはいかにもツライということで、炊飯器を1台追加して2台で3回。
それでも1回1升のお米をといで、コンブを載っけて
水加減して、少しは「うるかし」てから炊きあげるので時間がかかる。
研ぐ時間だけでも、計算すると1時間はかかっておりました。
総トータルの炊飯時間は4時間くらいはかかっていた。
それに酢をかけての酢飯造り。
寿司桶はわが家に7合の大きさのヤツで2つに各1升を入れ、
スタッフから借りた、もうひとつを加えて3つ、各1升ずつ。
炊きたてのお米をふ~ふ~言いながら、切るようにつくりました。
(でもさすがに3升は多すぎでした、2升で全員チョー満腹)
一方で、汁物は定番の「具だくさん味噌汁」。
このお米炊きと同時並行で、大型寸同鍋2コで調理致しました。
具には、切り入れたものから順番に
ゴボウ1本、タマネギ6個、ニンジン2本、大根半本、シイタケ、コンニャク、
白菜、レンコン、タケノコ、フキ、薩摩揚げ、コメの付け合わせコンブ順次投入、
鶏肉モモ肉、油揚げ、ニラ、下仁田ネギなどなど、(その他一部不明)
野菜はたぶん、2~3日摂取分くらいを一挙投入であります。

それらをお昼時間に合わせて順次、事務所の方に運搬。
寸同鍋満杯が2つなので、どうしてもクルマの床には多少は漏れる。
なかなか大変なのであります。
ということで、ようやくにして準備万端整ったときには、
わたし料理人は疲労困憊で、もうすでにすべて終わっている(笑)。
あとはニコニコとしているだけ、という次第でした。
で、ランチミーティングの話し合いテーマは
「次回のメニューはなににしようか?」
というのが毎回の定番テーマであります。おいおい・・・・。

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煉瓦外壁のわが家

2016年01月29日 06時10分20秒 | Weblog
写真は、1991年竣工当時のわが家であります。
ちょうど今から25年前ということになります。
25年という築年数になると、たしかJIAの方でそういった賞があるそうです。
年月が経てその建物がホンモノであるかどうか、といった意味合い。
わが家もようやくそういった年数に到達したわけです。
新築当時のわが家は、こぢんまりとした人数での出版社の職住兼用住宅。
基本は夫婦で働けるように、夜も昼もなく働けるように
そんなイメージで建てたのです。
働いてもらうスタッフも、まぁ5人程度と思って、
1階のオフィスゾーン25坪で十分以上と考えていた・・・。
ところが、そういう部分ってなかなか測りがたいものがある。
竣工から数年してスタッフは7~8人までになった。
あっという間にスペースが足りなくなってしまったのです(泣)。
で、「増築リフォーム」のやむなきに至り、なおそれでも手狭になって
やがて近隣地に事務所を新築せざるを得なくなった。

新築の時のこのプロポーションが大好きでした。
設計の高村正夫さんにとっても自宅以外でのはじめての住宅建築。
わたしより10歳くらい若いかれと、いろいろなことを語り合ったことが、
いろいろに思い出されます。
そういう、相談とも夢想の開示とも言えないような時間。
そのとき、「北海道らしい家」というイメージがあって、
「煉瓦の外壁の家にできるだろうか」と夢を語った。
それは、基本構造がコンクリートブロックであり、外断熱にするので、
外壁はむしろ「断熱材の保護」というような位置付けになる。
なので、その素材はむしろ自由に選択可能だという条件になったからです。
そんな与条件を受けて、わたしとしては煉瓦の外壁を希望したのです。
やはり北海道庁旧本庁舎建築、通称赤レンガ庁舎の、
百年の風雪に耐え、いまでも「白化」現象を見せるほどに生きている素材感。
そういった姿が、北海道のなにかを訴えかけてくれていると思っていた。
自宅の建築に当たって叶うモノならば、そういう建築でありたい。
そんな夢を語ったら、なんとかやってみようということになった。
ブロックと煉瓦積みの工程は、まことに心躍る光景だった。
その工事部分を担当してくれた、「畠山煉瓦」の社長さんが、
積み上がっていくブロックや,外壁煉瓦の様子を見てくれながら、
「いい家になってきたね」とニッコリしながら工事してくれた。
外壁の煉瓦は、「本煉瓦一丁積み」という積み方で、
煉瓦をまっすぐに積み上げていく、施工の側の緊張感を伴う施工法。
「いまどき、こんな工事頼まれること、滅多にない」
というかれの言葉が、こっちの背筋を少しピンッとさせてくれていた。
煉瓦外壁ばかりだとイメージ的にも工事費用的にも重すぎるので、
右側1/3ほどの外壁面積の仕上げとすることにした。
それでも、通りに面する側だけでなく、まったく見えない裏側も
しっかりと煉瓦で積み上げることにしてくれた。
もう片方の外壁の軽快なガルバリウム角波鉄板も楽しかった。

まことに恥の多い人生を歩いている次第ですが、
しかし自宅新築では、こうしたみなさんのおかげで
いまもなお、愛着を持って暮らせるわが家だと思っています。
いろいろな出会いに深く感謝している次第です。
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コンクリートブロック外断熱の家

2016年01月28日 06時12分24秒 | Weblog
写真はわが家の様子であります。
最近は北海道でもすっかり木造住宅ばかりになってきたのですが、
北海道では、地域で採取される火山灰を固めたブロックで
家を建てるという地域オリジナルの建築工法があります。
本州では安藤忠雄さんがコンクリートの打ち放しで住宅を建てていた頃に、
北海道ではコンクリートブロックでの家づくりが盛んだった。
地域にふさわしい住宅を考えていく中で、
北海道庁も推奨する工法として、一時期は三角屋根のブロック住宅が
たくさん建てられていた時期があるのです。
寒冷条件をなんとかクリアして頑丈な家というものだったのです。
北海道の公営住宅ではこの建て方が標準的な建て方として
住宅金融公庫での借入も、これが推奨されていた。
しかし、この三角屋根ブロック住宅は、断熱を内側でしていたので、
室内の生活湿度が結露被害を生んで、やがて減少していった。
その改良工法として、ブロックの外側で断熱する、外断熱工法が開発され
そのブロックの「蓄熱性」も活かせる理想的な家として
建築家グループを中心にして、活発に建てられた。
北海道での住宅断熱の技術基盤を探求された荒谷先生や、鎌田紀彦先生なども
自邸としてブロック外断熱の家を建てられていた。
ある意味で、北海道での家づくりでの標準を目指した動きであったのです。

わたしも、1991年に建築家に依頼して
いま住んでいるわが家をこの工法で建築したのです。
冬暖かく、夏は涼しい環境が得られていて、
またデザインとしても、荒々しい素材が素地表しで正直な表情を見せていて
色合いの自然さと相まって、いい空間を作っている。
しかし一般のみなさんには、やはり個性的すぎる建て方と思われたのか、
その後現在では建築はあまりされていないように思われます。
残念だなぁと思っているのですが、
構造はそれこそがっしりとしているので、
現代的に断熱レベルを上げようと思えば、外側から断熱強化が可能。
地域が創り出したオリジナリティに富んだ建築であり、
本州地域に対して、北海道がそのデザイン面も含めて
地域のプライドとしても訴求できる建築スタイルだといえるでしょう。
個人的にはぜひ「世界遺産」的な住宅建築工法として、
大いに永く市場に受け入れられて欲しいものだと思っています。


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窓の取り付け、見え方・見せ方

2016年01月27日 05時59分28秒 | Weblog
わが家の玄関に取り付けた木製サッシです。
15年以上前のリフォームの時に、ちょっとした遊び心でやってみた。
外観的には正面に当たるので、「なんか違う」感を出したいと
こんなことをやってみた次第であります。
この窓はフィックスではなく、右側下の辺に開口取っ手がありまして、
滑り出し窓として機能しますが、
まぁ、ふだんは開閉することはほとんどない。
たまに開閉させるときがあるのですが、
まぁ短時間だけのこと。
というような機能用途を勘案して、であれば「見せる」ことに集中した。
一種のイタズラこころなのですが、
それなりに馴染んでしまっております。
角地の正面に位置するので、
それなりのランドマークになっているのですが、
まぁ「円窓」というような窓もあるワケで、
こういう付け方も、慣れてしまえば違和感は薄れていくものだと。
で、一方の「外部の切り取り方」としての窓デザインでは
それなりに楽しめてもいる。
ちょっとした試みだったのですが、それなりに成功したかと思っています。

2020年の省エネ基準義務化を控えて
ここのところ、日本の窓メーカーさん各社とも性能に着目したサッシを
相次いで市場投入しはじめて来ている。
なんと5枚ガラス入りというのまで登場してきたということなのですが、
それじゃぁ、どうしてこれまで北海道地域が要望していたのに
大メーカーは高性能の窓を発表してこなかったのだろうと
ちょっと不思議にも感じる次第。
また、ドイツなどでも窓のスペック進化はめまぐるしいとされています。
こういう傾向はまことに同慶の至りであります。
30年も前から3重ガラス入り木製サッシが少数とは言え
一定の市場性を持っていた北海道住宅シーンからすると
現在の市場活性化は、まことに隔世の感があります。
ゼロエネハウスというようなことも叫ばれはじめ、
大手ハウスメーカーでは温暖地域で2020年段階では半数程度の
住宅でZEH化するというような発表もされている。
こういう流れの中で、北海道住宅は今後、どのような方向に向かっていくのか。
これまでの「先導役」のような役割からは解放されて、
一地方性の枠内で、暖房エネルギーが多い遅れた地域というような
そういった「地方性」のなかで生きていくことになるのか。
一方で性能が向上してきたあとの「デザイン進化」というような部分に
スポットが当たっていくようになるべきなのか。
日々の住宅建築の現場でどんな志向が進展していくのか、
注目していかなければならないと考えております。

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寒波襲来、気をつけて

2016年01月26日 05時49分51秒 | Weblog
先週末からふだんまったく雪の降らない西日本で
降雪があったり、鹿児島で零下10度まで気温低下するなど、
まことにたいへんな状況になっているようで、
みなさんのご苦労をお察し申し上げます。
そういうなか、比較的に普段通りなのが北海道の方でして
なにか、申し訳ないような気がしております。
きのう朝、札幌を出て仙台に移動しておりますが、
仙台平野は一面の雪景色。
まぁそれでも積雪は数センチ程度だし、そこそこ年に数回は積雪する地域。
仙台のスタッフも、慣れているのでまぁ、安心しております。

そういうニュースの中でも、
ちょっとした坂道で100台ほどのクルマが立ち往生したニュースには
まことに深く同情しました。
わたしも、10年前くらいに郡山市内で年末寒波に遭遇し、
ほんのちょっとの坂道を上がれないクルマの影響で
大渋滞に巻き込まれた記憶があります。
こっちは確か北海道からフェリーでクルマを持ってきていたので、
雪道はまったく問題なかったのですが、
他のクルマが動けなくなると、玉突きでこっちも動けなくなる。
ようやく高速道路に乗れたと思ったら、
今度は高速が事故の発生で通行止めになる。
そこから大渋滞の国道4号線に降ろされて、
郡山ー仙台間を、十時間ほどかかったという次第。
北海道の常識では考えられない事態が起こるので、
こういったストレスには、本当にビックリさせられます。
まぁ北海道の「ホワイトアウト」も恐怖ではありますが、
それでも自然とのストレスだけなので、
比較的に単純なストレスなのではないかと思っています。
それに対して本州地域でのクルマの難渋ストレスは、
ちょっと出口なしの重苦しさを感じてしまいます。

ことしの冬の厳しさ、これがほぼピークなのではないかと思いますが、
みなさん、本当に気を付けてください。


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タイムトラベルさせる街と建物

2016年01月25日 05時49分46秒 | Weblog
一昨日のブログでもご紹介した、わたしの原風景的な街並み。
札幌市中央区に点在して残っている建物であります。
この地域は、戸建て住宅というよりは賃貸住宅が多かったと思う。
この写真の手前側、北5条通りには市電が走っていて、
その停留所が2丁間隔であったので、市の中心部へのアクセスが良く、
賑わいのある街並みが形成されていた。
こちらは、右の建物があきらかに不同沈下していて、右側が傾いている。
植物園に近い札幌の地区はもともとアイヌ語でメムと言われる湿地っぽい土地柄。
けっして地盤がいいとは言えませんが、
それにしても、こんなふうな傾斜を見せている建物も珍しい。
しかしこのモルタルの風雪感は、なにか痛切に訴えてくるものがある。

ある時代に、こういった建物があり続けて
そこで生きてきた人間たちの営為の背景になっていた。
たしか、この建物の奥、いま白い壁を見せている建物の位置に
友人の家があって、その屋根裏部屋のような部屋で
語らっていた記憶がある。
窓というモノ自体が寒さの象徴のようなイメージを持っていた中で
なるべく開口の少ない閉鎖的な建物が多かったように思う。
必然的に室内は暗くて、昼間でも裸電球が点けられていた。
そういった空間は、なにか「陰謀」のイメージがあって、
ソ連やロシアの工作員でもそこに住んでいるようなイメージを持っていた。
事実、帝政ロシア時代からこの近くに住んで、
ソ連の革命以降、日本に帰化した家の子どもが小学校の同級生にいた。
小学校に入学して後ろの席にそのロシア人の子がいて、
普通に日本語で話をしていた。やや驚愕させられた。
同級生のお金持ちの家の子からは、
ソ連が北海道に侵攻してきたら、本州内地に逃げるのだと
そんな話をしていて、そういったことが似つかわしい雰囲気を持ってもいた。
こういった建物の陰惨な印象の外壁には、
そんなイメージの刷り込みがあって、時代感が迫ってくる。
なつかしいという以上に、生々しくそういった時代の空気感が
そのままピンナップされている、そんな気がしてくる。
こういった原風景から、やがて高度経済成長があり、
革命のソ連が崩壊し、現代につながってくる時代の変動があった。

わが家は、1968年頃、わたしが高校に入学した頃に
この地域から札幌市西区に移転したのだけれど、
もうすでに60年近い以前のことが
こういった建築から記憶として立ち上ってくる。
まぁこういった建物はいずれ消えていく運命なのだろうけれど、
人間と街、建築というものの関係を伝えてくれていると
それこそ、生々しく感じさせられている次第です。
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マック、この手で来たか・・・

2016年01月24日 07時25分13秒 | Weblog
わたしが生きてきたのは、コミュニケーションの領域。
もちろん住宅が基本のシフトゾーンになるわけですが、
その関わり方はあくまでも、コミュニケーションの部分と思っています。
で、社会へのこういった見方・関わり方からすると
いま、いちばん興味が湧いているのは、
ご存知のマクドナルドさんであります。
いっときはずいぶんと寵児のようにもてはやされていたのに、
さっぱり閑古鳥状態になったそうで、
そういった企業が、どうなっていくのかというのは興味が強く湧いてくる。
社会と企業との接点で、いまの立ち位置を深く考えて
どのように企業メッセージを発するかというのは、
まことに面白い領域なのであります。

で、どうやら写真のような作戦で
「巻き返し」を図っていきたいようなのであります。
マクドナルドのPOP広告で、いきなり「北海道」強調の引き。
このPOPデザインからは、見るものには「北海道」がいちばん強く伝わる。
で、次の瞬間、「え、マックで北海道?」という疑問が来る。
「だって、マックってそもそもアメリカの食文化じゃないの?」
っていう疑問が襲ってくるはず。
というのは、しかし、わたしのような年代のおじさん発想かも。
若者たちにとっては、マックって、
いまはそういう食文化性メッセージも持っていないかも知れない。
ま、その辺はきっと周到な調査の結果があるのでしょう。
で、「北海道」ブランドというのは、日本の食文化の中で、
ほとんど基底的な刷り込みに近い定番中の定番。
デパートの催事でも困ったときには北海道ブランドが使われる。
・・・まぁ、北海道以外の地域でのことですが(笑)。
その定番パワーを、この場面・状況で持ってくるのは?
という疑問を持った次第であります。
ここで考えられるマックの戦略としては、
1 苦しさ紛れで、定番パワーにすがった
2 これからは、「地バーガー」路線を進める
というふたつのものが考えられる。
まぁたぶん、2は考えにくいので、1のほうが確率は高そうですが、
ひとつの脱出口としては、2の方向性も魅力的なのではないかと、
函館ラッキーピエロ大ファンとしては、思う次第。
全国一律の、それもなんちゃってアメリカ文化路線は、
食文化市場ではとっくに賞味期限切れであることはあきらか。
であれば、全国をこまかくエリア分けしたマーケティング展開も
面白いのではないかと思うのであります。
どうなんだろうか? と、勝手にマーケティング作戦を妄想した次第。

あ、念のため申し上げますが、
もちろん、わたしとマックにはなんの関係もありません(笑)。
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木造住宅、わたしの原風景

2016年01月23日 07時10分57秒 | Weblog
わたしは1950年代に幼少年期を札幌の街で過ごした人間です。
3歳までいまの岩見沢市栗沢町上幌で過ごしていましたが、
満3歳になるころには、いまの札幌市中央区北3条西11丁目に移転した。
その当時の街割り、住戸の建てられ方は各戸おおむね60坪ほどの敷地に
写真のような三角屋根の木造住宅が建てられていた。
わが家はある住宅デベロッパーの建売住宅だったそうだけれど、
整然と区画された条丁街区の北東側角地だったからか、
ある程度「商家」仕様のものだったらしい。
東側には北大植物園があって、道幅50mほどの石山道路が走っていた。
この石山道路という名前は、札幌開拓期にさかんに切り出された
建築資材・石山軟石を札幌市内に運搬したことが由来とされる。
それには馬車が利用されたようで、その馬たちの馬糞が
風に乗って人々を難渋させたという「馬糞風」という言葉が交わされていた。

周囲には写真のような建物が、ゆったりした建物間隔ではあっても
そこそこ密に建てられていた。
こどもたちは、その建物と建物の間の空隙を走り回って遊んでいた。
条丁間を通る道路幅員は30~50mはあって、
間もなく始まるモータリゼーション前のそこでは、
子どもたちが、各条丁街区ごとに族集団を形成して、
ときたま相互のケンカが発展し、石合戦まで行われる戦場にもなっていた。
ちょうど舗装道路になる前で、道路には砂利石が敷き込まれていたのだ。
今で言えば、おそろしい子ども同士のケンカだ。
石合戦というのは、戦国期の武田軍団の戦法にも見えるから、
日本の新開地である北海道・札幌では、民族的な野生が
この当時まで余韻として残っていたのだと思う。
ともあれ、そういった少年期の背景として、
この写真のような住宅群が、わたしの脳裏には原風景の街並み、
木造住宅というもののノスタルジーとして刻印されています。

いまも、こうした建物が周囲に鉄筋コンクリート多層階のマンション群が
建ち並ぶなかに点在して残されている。
外壁は木の板が「下見板張り」で張られて、
それらが自然な風化作用で表面が黒く炭化する表情を見せている。
この炭化の様子にも、たぶん厳密には風土的特性があるのではないかと
ふと、そんな想像も起こってくる。
それくらいわたしには「風土」というか、似つかわしい原風景として
特異な感覚がそこから立ち上って来る。
ほぼ均一な壁と反対に、屋根は原色的なトタンが葺かれていた。
そして半年にもなる雪の季節には、
白い背景の中にコントラストも鮮やかにシルエットを見せてくれる。
かたちはそれぞれ、いろいろだったけれど、
街の印象は、こうした建物が主旋律を演出していた。
雪という天与の美しい背景の中で、
それなりの「街並み」という美を創り出していたように思う。
こういう原風景を持っていることをシアワセだと思っています。

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木の実をついばむ冬の鳥たち

2016年01月22日 07時07分55秒 | Weblog


北海道は、爆弾低気圧が東海~関東~東北と移動してきて
最後に道東方面で停滞して発達し、
オホーツク沿岸地域などが、マヒ状態になっておりました。
しかし北海道は広く、札幌を中心とする道央地域では
大雪が降ったのは月曜日だけで、その後比較的落ち着いた天候。
こういうときは、なにやら申し訳ないような気分になります。

そんな気分でいるときに、
窓の外を見やると、なにやら喧噪が聞こえてきた。
2階に位置するわたしのデスクの前には、赤い実のなる木があって、
どうもその木にたくさんの鳥さんたちが群集まってきている。
その数は、十数羽ほどの群来。
すぐ目の前で、なにやらかしましく騒いでいるのであります。
しばらくの間、十分ほどでしょうか、
盛んに盛り上がっておりました。
まぁお目当ては冬の間の栄養確保であるようで、
赤い実をかわいらしくついばんでくれている。
しばし、その様子に見とれておりました。
こういうときに、鳥の名前を知っていると楽しいのにと思います・・・。
カラスよりはだいぶ小柄だけれど、スズメの倍近くの大きさ。
ちょっと調べてみたけれど、どうもツグミのようであります。
以下インターネット「北海道札幌の自然」さんからの情報。

冬になると群れで日本全国に渡ってくる野鳥の代表選手といえば
ツグミという野鳥かもしれません。
このツグミという野鳥、秋(10月上旬頃から)になると、
繁殖地であるシベリアから、日本全国に渡ってくるそうですが、
市街地のナナカマド街路樹などのあるところにも来るということ。
で、このツグミは、渡来当初は群れで確認され、
山地の木の実などを食べ、この木の実がなくなって来ると、
次第にバラバラに分散していくのだそうであります。

この小さなカラダで遠くシベリアまで
長躯旅を続けていく連中なのですね。
野生の躍動感をたっぷりと見せつけてくれて、
一服の清涼感をみるものに与えてくれるなぁと。
パソコン画面を見続けて疲れた目をしばし楽しませていただきました。
元気に旅を続けて貰いたいものだと思います。
おお、こっちもそろそろ出張の山がやってくるのだった・・・(笑)。

<その後、コメントがあり、
この鳥さんは、ヒヨドリだということです。訂正致します。>
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