から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

アウトレイジ 最終章 【感想】

2017-10-20 08:00:00 | 映画


前作のエンタメぶりからは様変わりし、過去の「北野武」作品らしい虚無感が滲む。前作の予習は必須であり、あらすじを覚えている程度では呑み込めず、やや不親切な作り。前作と合わせて「前編/後編」というセット提供が望ましい映画(無理だけど)。前作でキャラを使い切ってしまったのも大きい。前作までの「ワルたちの暴走劇」から、主人公「大友」の任侠劇に結実したのはシリーズファンとしては支持しない。

前作で日本を追われた大友が、再び、日本に戻ってきて過去を清算するという話。

そのきっかけは、韓国に女遊びに来た花菱会のヤクザが起こしたトラブルだ。大友は韓国で風俗ビジネスの元締めをしており、そのトラブル収拾で花菱会と再び対峙することになる。「なめてんのか!」「どう落とし前つけるんだ!」と、のっけから怒号が飛び交う。このアングラな雰囲気がたまらない。昨今ではすっかり見なくなったヤクザ映画だ。義理と暴力で支配される世界の人物描写が本シリーズの醍醐味だ。

前作からの変化はヤクザ家業の経済事情に視点を置いた点だ。「ビジネス」として金儲けをするのに、大手を振って「ヤクザ」を語る時代は終焉を迎えている。娘婿という立場だけで、一般人の男が花菱会のボスにまつりあげられ、古株たちとの間で不協和音が生じる。結果を出すことに拘る組織のトップの姿は、まともな一般企業と変わらない。韓国でトラブルを起こしたヤクザの花田は、組織の稼ぎ頭であり、さながらトップ営業マンという風情で組織から重宝されている。「金をあげるからエンコは勘弁してください」と、花田を演じるピエール瀧が面白い。

過去2作を通じて打ち出された本作の魅力は、善人なきドラマだ。登場人物は一様に利己的であり、好き勝手やって暴力で解決する。裏切り、裏切られ、最後に誰が生き残るかというサバイバルゲームにも似たスリルもある。しかし、本作ではそのダイナミズムが減少している。メインは大友の復讐であり、仁義を重んじる男の生き様が描かれる。悪くはないが、そこは期待していないところ。また、大友の復讐劇と絡んで花菱会の権力闘争も描かれているが、前作までにあった多様性はなく、予想通りの展開に落ち着いて物足りない。

前作と比べて見劣りするのは、キャラ不足も影響している。三浦友和、加瀬亮、小日向文世など、これまで悪役のイメージのなかった人たちをキャスティングし、個性的な役柄を与え、彼らが存分にその期待に応えた。イメージとのギャップも含め、映画を大いに盛り上げてくれた。その反面、本作では前作で消えた彼らを埋めるだけの新たな個性は見当たらない。

シリーズの功績である、西田敏行の悪役ぶりは相変わらず効いている。西田敏行に関するアブノーマルな都市伝説を聞いたことがあるので、彼の演技を初めて見たときは不思議と説得力があった。松村のモノマネでも馴染みである、たけしと西田敏行らの押し問答シーンが大好きで、その部分だけ何度も見返してしまう。本作では西田敏行の顔面力がさらにパワーアップ。齢を重ね、皺が一層深くなり、演じる西野の狡猾さや非情さが不気味に浮かび上がる。彼の弟分を演じた塩見三省は、やせこけてしまい、腹から声が出ていない。体調が悪いのだろうか。

最後はシリーズの幕引きに相応しい結末といえる。過去の北野映画に通じる、虚無感が後味として強く残る。滲むのは忠義に生きた大友の悲哀のようなもの。しかし、娯楽性に振り切った「ビヨンド」ファンとしては、この描き方を望んでいない。本作の見せ場である、派手な銃撃戦も話の筋としてあまり繋がっていないなど、全体的に脚本もイマイチ。シリーズを立て続けに見ないと、人物の相関関係が読み解けないのもいただけなかった。

【60点】
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