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バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 【感想】

2016-04-01 09:00:00 | 映画


DCコミックムービーの逆襲が始まった。マーベル vs DCのことだ。「アベンジャーズ」に対して「ジャスティス・リーグ」。本作でいよいよガチンコ勝負に出るかと思いきや、本作はマーベルによって築かれてきたようなヒーロー映画のセオリーに逆らってみせる。そのセオリーとは観客が求めるものであり、誰が見ても共感できる「論理性」と誰が見ても楽しめる「痛快さ」が肝心だ。本作の製作者がどこまで意図して作ったかは別として、観客のウケは本作を観る限りDCの敗北だろう。奇しくも、ヒーロー同士が喧嘩するプロットがカブった、来月公開の「キャプテン・アメリカ」は興行、評価ともに大成功すると思われる。酷評が吹き荒れている通り、多くの欠点を持った本作を「駄作」とレッテルを張るのは簡単だ。しかし、自分は本作をそこまで嫌いになれない。

前作「マン・オブ・スティール」の続きの話だ。スーパーマンとゾット将軍の戦いによって街はめちゃくちゃに破壊された。地球滅亡の危機を救ったはいいものの、スーパーマンの並外れた力によって被害は拡大したはずだ。「こんなに破壊してしまったら、地上の人たちは巻き添えを食っているだろうに(苦笑)」というツッコミを本作は真に受けていて、前作の戦いによって多くの人命が奪われたという事実を物語の始発点にしている。当時、スーパーマンの存在をリアルタイムで知らなかった一般市民は、上空の光景を見て「2人のエイリアンが街を破壊している!」と思ったに違いなく、その視点の代表者として本作では「バットマン」を登場させている。

これまで異なる製作者、キャストによって映画化されてきた「バットマン」。直近の「ダークナイト」シリーズが最も多くのファンと取り込んでいる思うが、「ダークナイト」はDC映画ではなく、ノーラン映画なので切り離して考えるべきだろう。本作のキャスティングが発表された当時、「なぜクリスチャン・ベールじゃないんだ~」と思っていたが、それはまったくの愚問だった。本作のバットマンは「ジャスティス・リーグ」に繋げるという新たな役割を担っているキャラクターである。これまで描かれてきたバットマン像と区切りをつけるため描き直す必要があり、本作ではご丁寧にバットマンの幼少期まで遡り、彼がバットマンへと目覚めた経緯を駆け足ながら振り返っている。その内容が既知であっても、同じ世界観の中で描くことに意味があったということ。

本作は「マン・オブ・スティール」の続編ではなく「ジャスティス・リーグ」の第一章だった。そして、そこに全ての欠点の温床があるように思えた。「マン・オブ・スティール」から「ジャスティス・リーグ」への移行は、もっと時間をかけるべきだったのではないか。複数に分けるべきボリュームを1本の映画にまとめてしまったがために、本来描かれるべき内容がスルーされ、いくつかの物語が破綻しているように思える。大きいところでいえば、バットマンとスーパーマンが戦わざるを得なくなった状況作りが弱い点か。2大ヒーローの対決については、観るまで「客引きのための話題作り」と斜に構えていたが、実際観てみると「殺さず」の戦いに象徴されるように人間が持つ道徳心を重んじ、限られた生身の能力で戦うことに意義を見出すバットマンに対して、強大なパワーですべてのルールを叩き潰すスーパーマンという構図はなかなかドラマチックであり、相反するものとして対決させる設定は全然ありだと思えた。問題はその描き方だ。2人の動機づけが不十分であり、その発端を作ったレックス・ルーサーが、そもそもどうして強大な力に魅せられたのかもあまり説明されていない。予告編で観た通り、2人は喧嘩を終えたのち、真の敵を打ち倒すべく一緒に共闘する流れになるわけだが、2人の仲直りがあっさりし過ぎていて思わず笑ってしまった。

本作で新たに加わるのが「ワンダーウーマン」である。彼女の登場シーンに「ジャジャーン!」と全く異なるスコアが流れ、演じるガル・ガドットのカッコよさも手伝い本作の中で一番アガる。しかし、ワンダーウーマンのメタヒューマン(超人)という設定が、本作のテーマをさらに膨らませ窮屈にさせる。人知を超え不可能を可能にするスーパーマンはいわば「神」。バットマンは「人間」。その間に「超人」が割って入る。超人の存在を明らかにする描写が、とってつけたかのようなわざとらしさ。本作では「神」vs「人間」に留め、次の2本目で「超人」を本格的に登場させたほうが、論理性を伴う必要な動機・背景を加えることができたのでないかと思う。超人に対する詳しい説明は次回のお楽しみなのかもしれないが、今のところXメンのミュータントとの違いが全くわからないし、本作で登場させた必然性もないので違和感が残った。あと、個人的には前作の「マン・オブ・スティール」が好きだったので、純粋な続編を観たかったという思いも残る。

いろいろ欠点を上げればキリがないけれど、2人の対決を通して見える「神」と「人間」の考察はとても興味深かった。「全能の神は善人ではない」という言葉に表されるとおり、すべての人間に対して平等に恩恵を与える神などは存在しない。いかなる状況のいかなる人間の危機も救うことができるスーパーマンであっても、誰かを救う一方で、間接的にでも誰かを傷つけるに至る。本作ではそれをわかりやすく見せるために「身内にだけ優しい」スーパーマンの盲目っぷりが強調されている。ラストの結末も「神」に対する考察の延長上にあるように思えて深く感じ入った。本作の監督ザック・スナイダーが手掛け、「英雄」像に迫った傑作「ウォッチメン」にも並ぶテーマ力とダークさ。これはマーベル映画では絶対に描けない領域だ。

ザック・スナイダーの代名詞である過剰アクションにも大いに沸いた。やっぱりツボ。アイアンマン化したバットマンは、その説明不足はさておいて、観ていて許容の範囲だった。あんなことでもしないとパワー均衡が取れないし。最大の見どころはバットマンによるスーパーマン母の救出劇のシーン。自分の肉体1つで、バッタバッタと敵をなぎ倒すアクションが痛快。演じるベン・アフレックもかなり肉体をビルドアップさせている模様。ひたすらゴツいアクションが気持ち良い。ワンダーウーマンの剣と楯という一見クラシカルな武装ながら、超人的な力を発揮する攻撃も楽しかった。キャストの演技パフォーマンス面では、レックス・ルーサー演じたジェシー・アイゼンバーグが想定外にハマっていたのが良かった。いつもの早口キャラなのだが、その中にもしっかり狂気が見えていて巧い。前作に続きスーパーマンの恋人を演じたエイミー・アダムスはいささか老けてしまった印象。

「ジャスティス・リーグ」への展開として、「ワンダーウーマン」と「アクアマン」の公開が決まっているらしい。本作で示した方向性を維持していくのか、本作での酷評を反省材料として軌道修正するのか気になるところだ。同じDC映画で、今秋公開の「スーサイド・スクワッド」では新たな基軸を見せてくれそうなので、その勢いのままマーベル映画とは一線を画す我が道を辿ってほしい。

【65点】

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