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永い言い訳 【感想】

2016-10-26 09:00:00 | 映画



期待通りの傑作。「さすが」と唸る西川節。複雑な人間の生き様をありのままに描く誠実さと、人間の嫌みを遠慮なくえぐり出す冷徹さ。演出家であり作家である監督の持ち味が、脚本のそこかしこに発揮されている。主演の本木雅弘が素晴らしく魅力的。西川監督との化学反応はやっぱり間違いなかった。パンフに同封されている特典映像もとても興味深く面白かった。

若い女との不倫中に、バスの事故によって妻を亡くしたタレント作家の男と、同じ事故で妻を亡くしたトラック運転手一家との交流を描く。

公開初日のレイトショー、会社帰りの電車で寝過ごし、上映開始に遅れるという人生初の失態にて2回目の鑑賞。
1回目よりも、あらすじを知っている2回目のほうが面白く感じられた。

「当たり前」と思っていた日常が、ある日突然、消失する悲劇は誰にも起きうることだ。とりわけ家族という最も身近な人間関係においては、「いる」ことが当たり前の風景であり、それだけに喪失したときの衝撃は計り知れない。その感情の多くは悲しみであり、悲しみのあまり泣き崩れることもあるだろう。だけど、不慮の事故により最愛の妻を亡くした本作の主人公「衣笠幸夫」は違った。

冒頭、美容師である妻に主人公は自宅の部屋で髪を切ってもらっている。タレント作家としてクイズ番組に自身が出演しているテレビ放送ごしの出来事だ。そこでの2人の会話がぎこちない。というか、主人公が一方的に妻の発言に突っかかっている。「幸夫君って人前で呼ぶな」と文句を言う幸夫に対して、妻は「私は昔からの呼び名で呼んでいるだけなのに」と答える。主人公に愛情を寄せる妻に対して、冷めた想いを露わにする主人公という関係性に見える。その後、学生時代からの親友との旅行に向けて妻は外出する。いつもと変わらぬ光景であり、主人公は妻を見送ることもしない。それが永遠の別れだと知る由もない。妻の外出と入れ替わりで、自宅に若い女子が訪問する。主人公の愛人だ。妻と寝ているはずのベッドで愛人との情事にふける。翌朝、愛人とイチャイチャしているところ、警察から悲報の電話が入る。

事故があった現地で妻の遺品を確認し、妻の遺体を火葬し遺骨をツボに入れ、休む間もなく葬儀を行う。その間、主人公は一切泣くことはなかった。泣かぬまでも悲しみに浸る様子もない。かつての恋愛感情はなくても、自身の生きる道を照らしてくれた妻を幸夫は愛していたはずだ。おそらくはその喪失の悲しみを受け止めるよりも、自身の負い目が勝ったと思われる。妻が冷たい湖の中で苦しみもがいていた最中に、彼は暖かいベッドの中で快楽に溺れ、妻を裏切っていたという事実があるからだ。妻への冷めていた愛が、その死をもっても再燃することもない。喪中に訪ねてきた愛人に対して「堪んないんだよ」と体を求める幸夫ときたら、何と人間らしいのだろう。喪失を欲望で埋める単純さと複雑さ。これぞ西川美和が描く人間だ。

もちろん、一時の欲望なんかで埋められるものではない。そんな彼の前に現れたのが、妻の親友で一緒に旅行に行き、同じバス事故によって亡くなった女性の家族だ。その女性の夫であるトラック運転手、「大宮陽一」と遺族会で再会する。長らく会っていなかったようだが、若い頃、幸夫と陽一は奥さんを通じて知り合っていたようだ。「ユキオくん!」と、主人公が呼ばれたくない呼び名を大声で叫ぶ陽一は、妻の喪失に人目もはばからず泣き崩れている。大切な人の喪失をストレートに悲んでいるのだ。陽一の仕事はトラックの運転手で、2人の幼い子どもを持つ父親でもある。幸夫とは個性も境遇も正反対なキャラだ。しかし、その後、幸夫は陽一の家族と深く関わるようになっていく。トラックの仕事で家を留守がちになる陽一に変わり、幸夫が子どもたちの面倒をみると申し出るのだ。陽一家族の置かれた状況を不憫に思った善意からであるが、本音は幸夫自身も何か「ヨリどころ」にすがりたかったに違いない。

かくして、幸夫が今まで経験したことのない「家族」生活が始まる。幸夫が面倒をみるのは律儀で頭の良い兄と、予想不能で天真爛漫な幼い妹の2人兄妹だ。子どもへの接し方もわからない幸夫の、懸命な子育てがユーモラスに描かれる。子どもたちのテンポと幸夫のテンポのズレが何度も笑いを生みだす。それと同時に、幸夫自身が子どもを持つことの幸せを知っていく過程が丁寧に描かれる。「子育ては男の免罪符」とは実に鋭い言葉だが、その赦しの言葉が形骸化されるほど、幸夫の子どもたちへの想いは確かなものに変わっていく。幸夫の中で大切な人を無条件に愛する感覚が呼び覚まされる。その変化の心象風景として描かれる、子どもたちと出かけた海水浴場で、亡くなった妻が一緒に戯れるシーンが美しく感動的だ。

しかし、その後、亡き妻の知られざる幸夫への想いが明らかになる。幸夫は自身の不倫のことは棚に上げて、思いっきり怒りを露わにする。何ともイタい姿であるが、妻への愛を再確認した直後での出来事だっただけにその衝撃は大きかったのかもしれない。また、どんなに子どもたちを想っても、所詮は実の親(陽一)を超えることはできないことを知り、1人であることの孤独を感じる。陽一家族の元を離れるきっかけとなる、誕生日会での幸夫の独演が切なく印象的だ。吐き出されるのは自身の弱さ、愚かさ、哀しさ。幸夫の言葉の中から、亡き妻の想いが浮上してくる。彼女は幸夫と結婚して幸せだったのか、不幸せだったのか。彼女はもう戻ってこない。

しばらくの時間を経て訪れる、陽一家族との再会が本作のクライマックスだ。愛しい人が日常から消える危機が再び訪れる。子どもたちを想い、幸夫が必死に駆ける。その道中、兄弟のお兄ちゃんと列車に乗るシーンが胸に迫る。陽一親子の間で起きたわだかまりに対して、親身に思いやる幸夫の言葉が、幸夫自身への言葉であることに気付かされる。「自身を大切に思う人」への幸夫の言葉が深く深く心中に響く。その後、1人で帰路についた、列車の車中にて記した「人生は他社だ」の言葉に本作のテーマが集約される。その言葉を吐き出した瞬間、幸夫はようやく大切な妻を亡くした喪失を受け止めることができた。1回目の鑑賞時では見えなかった幸夫の感情の機微が、2回目の鑑賞で鮮明に見えた気がする。

主演の本木雅弘が自身のチャームを発揮して、ダメ男だけど愛すべき幸夫を好演している。パンフ情報より、幸夫の個性が本木本人に良く似ていることがキャスティングの決め手になったとのこと。パンフについていた特典DVDでその経緯がよくわかる。西川監督が「幸夫と本木は似ているが、本木のほうがずっと複雑」ということで「人間」本木雅弘をあぶり出すために、演じた幸夫を通してインタビューに答えてもらうというもの。西川監督の思惑に乗らない本木との鍔迫り合いが面白く、ついにはその設定を西川本人が壊す展開となるが(笑)、本木雅弘がなぜ幸夫を演じることができたのか、証明される内容だった。優れた役者とは演じること以前に、考えることができる役者なのだと実感した。西川美和と本木雅弘は出会うべくして出会ったと感じられ、2人のファンとして嬉しくなった。「捻れた自意識を救う会~」に爆笑。本木雅弘は人としてカッコイイわ。

本木しかり、劇中で描くキャラクターを、演じる役者の個性に寄せる演出は、西川監督の師匠である是枝監督とよく似ている。とくに陽一を演じた竹原ピストルへの演出が象徴的だ。陽一は強面なんだけどお人良しで直情型の人間。竹原ピストルの演技に演じている感覚があまりなく、彼の演技力というよりは彼が持つ本来の個性を西川監督が引き出したように思う。いかつくて強面なので、真顔で来られると一瞬たじろいでしまう迫力あり。そこからの笑顔のギャップが狙いだったのかも。ワンアップのCMでよく流れる「よー、そこの若いの、俺の言うことを聞いてくれ~♪」の彼の唄が頭の中でリフレインする。
幸夫のマネージャーを演じた池松壮亮も相変わらず良い仕事をしている。多くの才能ある監督と組み、主役を張らず、助演として作品を盛り上げていくキャリア形成に彼の明るい役者人生が見える。本作で初タッグとなった西川監督ともかなり相性が良いとみた。いつか、彼を主演にした西川映画を見てみたい。「ゆれる」みたいな色気と怖さのある映画を希望。
そして、名監督は子どもの演出も巧いという事実は本作でも示される。特に兄妹の妹「あーちゃん」の自然な演技が素晴らしく、子どもらしい兄妹ケンカのシーンとか凄いリアリティだ。自身も同じような家族構成だったので「わかるわ~」の連続だった。

大切な人を失った喪失と再生の過程をリアルな人間の視点で描いた稀有な人間ドラマ。どんな悲劇があろうと残された人の人生は続いていくわけで、時間の経過を描くことは本作の必須条件だったと思う。1年という歳月をかけて本作を撮影した西川監督の狙いは見事に的中した。

【80点】
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