から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

クワイエット・プレイス 【感想】

2018-10-03 08:00:00 | 映画


聞きしに勝る面白さ。
「音出しNG」のアイデア勝負に終わらず、練りに練られた脚本と演出に引き込まれる。音を効果的に操るホラー映画の原始系でありながら、音そのものを恐怖にしてしまう進化系。静寂の劇場はもう1つの「クワイエット・プレイス」であり、スクリーンの世界と境界がなくなる。圧倒的な臨場感だ。クリーチャーの特性、聴覚障害者を加えた設定、サバイバルアイテムと生き抜く知恵、物語の展開を生み出すあらゆる要素が綺麗に配置され、ゲーム映画としてもかなりの完成度。かつ、ここまで本作に没入できるのは、血の通った家族のドラマがベースに描かれてこそ。子どもたちを守ろうとする父性と母性に感情移入してしまう。散見される理解できない発想をツッコむよりも、賞賛に値する映画だ。

地球に衝突した隕石から、エイリアンなクリーチャーが地球に侵入。音を発する人間たちを襲うようになった世界で、生き抜く1つの家族を描く。

物語の背景は、劇中、映し出される過去の新聞記事や、人間たちが書き残したメモ書きのみで、説明描写は極力省かれる。声を潜める家族の現在進行形の姿と、思わぬ冒頭の悲劇で、コトの状況が静かに、そして雄弁に語られる。冒頭段階で傑作の予感。

クリーチャーが人間を襲う動機も、容易に察することができる。「盲目」「音に反応」「硬い外皮」という3つの特性があり、特に尋常ならざる聴覚の鋭さが強調され、その描写から彼らには音の存在が「不快」と捉えられるようだ。「捕食」ではなく「消す」ために音を発した生物を襲うようだ。蚊を見つけたら、迷わず叩きつぶす人間の行為と似ている。

その音を消すために、遠路はるばる人間を襲いに来るのだが、このあたり動機はまったく重要ではない。襲われる人間には悪気はないが、この不条理さがホラーの原理だったりするので。

「硬い外皮」によって反撃が敵わない相手だ。とりあえず見つからぬよう、音を出さないことしかできない。そんななか、音を発するあらゆる要素を排除する術を、主人公ら家族たちは心得ている。当たり前に生活している日常がいかに音で溢れているかを再認識すると共に、彼らの創意工夫に「なるほど~」と関心が止まらない。パンフ情報によると、私生活のパートナーでもある主演の2人が、日常生活のなかでシミュレーションをして見つけたアイデアが盛り込まれているらしい。また、家族は声を発してコミュニケーションをとれないため、手話でコミュニケーションをとる。元々、家族には耳が聞こえない長女がいて、手話を使うことには慣れている様子。この聴覚障害を持つ長女が展開の大きな鍵を握る。

音を認識できないのは、致命的な弱点だ。音を発したのち、恐怖が忍び寄る音も察知することができない。ところが、この弱点が幸にも不幸にも振れるのが面白い。父親が長女に対して、何かと目を向けるのも当然だが、一方の長女は父親のケアを煩わしく思ったりしている。長女には些細な優しさから悲劇を引き起こした過去の自責の念もあり、父親がかける愛情を素直に受けられない。

ありもしない絶望的な設定だが、描かれるのは普遍的な家族のドラマだ。夫と妻の変わらぬ夫婦愛、強固な親と子の絆、子どもたちの成長。命の危機に晒される状況下で、家族の力が試される局面が大きなスリルと共に押し寄せる。父親演じるジョン・クラシンスキーのカッコよさよ。一家の大黒柱として、常に賢明な判断を下しながら、危機に陥れば身を呈して家族を守ろうとする。娘とのわだかまりが解消されないなか、子どもたちを守るために下した決断に胸を打たれた。そして、娘への愛情の象徴だったアイテムの使い方に唸った。

劇中、違和感を感じる点はいくつかある。母親の妊娠問題は最たるもので、家族を守る親として無責任だなと。出産がスリルの源泉になることは確かなので、この事態が始まる前から妊娠の兆候があったなど、設定に補強が欲しかったところ。また「とうもろこし」のクダリなど過剰な演出も目立つ場面もある(そんな埋まらないから)。確かにツッコミどころはあれど、それ以上に映画の面白さが勝ってしまう。モノ言わぬキャラクターに代わり、ホラーを代弁する音楽の使い方も秀逸。

劇場鑑賞の特異性を活かした映画でもある。「ゼロ・グラビティ」が「闇」で劇場を宇宙にしたのに対して、本作は「静寂」で劇場と一体化した。「まだこんな手があったのか」と、今思い返しても感心する。

脚本家兼監督として才能を開花させたジョン・クラシンスキーの今後の活躍にも注目だ。

【75点】

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