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ブレードランナー 2049 【感想!】

2017-11-15 08:00:00 | 映画


SF映画の傑作が、続編によって生み出された奇跡をみる。

鑑賞2回目。1回目は衝撃を受けて圧倒されるばかりだったが、2回目でようやく全体像をのみこめた。オリジナルの世界観は洗練されていて、密度を保ちながらスケールアップ。オリジナルのテーマは掘り下げられ、より鮮明になっている。伝説的なオリジナルに対し、最大限の敬意を払いながらも、全く新しい映画として誕生させようとする熱量を隅々まで感じる。広大なスケールと、スタイリッシュでまばゆいビジュアル、架空にして実在感のある舞台、独創的なSF設定の数々、そして、1人のレプリカントを通して描かれる人間の生き様に震えた。感動は1回目よりも2回目のほうが大きかった。

1回目は2D、2回目はIMAX3Dで見ようと目論んでいたが、公開2週目にして早くもその座を「マイティソー~」に奪われてしまった。しかし、あとから考えると本作は2Dで見てこそ、その映像力を堪能できると思えた。それぞれのシーンの画が背景に至るまで緻密であり、3Dの奥行きによってボヤけてしまうのはもったいないからだ。

オリジナルの主人公はブレードランナーだった。しかし、描かれていたのは、人間によって生み出されたレプリカントだ。ブレードランナーは抵抗なきレプリカントを駆逐する汚れ仕事といえる。その後、30年後の本作によって、「ブレードランナー」の仕事を同類であるレプリカントに課している設定に、人間の業が透け、強い必然性を感じる。また、主人公をレプリカントに据えたことでオリジナルの持つテーマがストレートに打ち出される。

レプリカントは「人間もどき」であり、一見、一般の人間との区別がつかない。彼らは人間によって利用される運命のもと「生」を受けている。「魂」はないとされ、感情を持つことも許されない。感情の起伏は、過去に人類が経験した反乱へとつながりかねないからだ。旧型のレプリカントを処分する主人公の「K」も同様である。人間側の警察として働くが、レプリカントであることが変わりなく、常に監視の対象になっている。そして外に出れば人々の視線は常に冷たく、差別的な言葉を吐きかけられる

オリジナルでも描かれていたレプリカントの記憶。成人の形で生まれる彼らが予め脳内に埋め込まれているデータであるが、これが本作の大きな鍵となる。記憶は職人の手によって製造されていて(設定がユニークで面白い)、「レプリカントの未来は過酷、せめて安らげる過去を与えたい」というのが、職人のモチベーションだ。Kが処理した事件をきっかけに蘇るのが、彼の中の記憶であり、それも偽者の記憶のはずだった。

本作で明らかになるのが、前作でデッカードとレイチェルの逃避行の末に起こっていた知られざる真実だ。それは、人間とレプリカントの境界を揺るがすもの。その真実の在り処をめぐり、事件を捜査するブレードランナー(「K」)、その真実を利用して新たな支配を目指すレプリカントの製造会社、その真実によってレプリカントの解放を目指すレジスタント、3つの勢力が絡み合っていく。。。SF映画ながらミステリーとしての要素も強い。あのシンプルなオリジナルから、よくぞここまで壮大な物語を生み出せたものだ。続編映画としてこれほど完成度の高い映画を知らない。

レプリカントの宿命と、彼らのアイデンティティの探求が描かれる。それは偽者である彼らが、本物である人間に近づく過程にも重なる。「大義のための死は、何よりも人間らしい」と、新たに登場するレプリカントが主人公のKに説く。1回目の鑑賞時、ここでの大義をレプリカントにとっての大義と感じたため、本作のラストに尻切れ感をもった。しかし、2回目は違った。Kにとっての大義は別のものだったと感じた。孤独な人生に唯一安らぎの与えたAI「ジョイ」とのロマンスによって、愛というリアルな感情を知ったことは確かで、それはデッカードが真実を隠し続けた動機と繋がるものだった。自身にとっては儚い夢であったとしても、彼にとっては果たすべき大義と思えた。主人公Kのパーソナルな生き様に収束させたラストは完璧と思えるし、2回目にして熱いものがこみ上げてきた。美しい雪のラストシーンが瞼に焼きつく。

第2次のゴズリングイヤーが本作で有終の美を飾った。本作の主人公はハリソン・フォードではなく紛れもなく、ライアン・ゴズリングだった。2011年~2012年にかけて「ブルーバレンタイン」「ラブ・アゲイン」「ドライヴ」と、すっかり彼の大ファンになったが、5年の月日を経て、それと同じムーブメンドが再び訪れるとは。。。「ラ・ラ・ランド」「ナイスガイズ」そして本作「ブレードランナー 2049」と、役柄の振れ幅もさることながら、彼のパフォーマンスに魅了され続けた。やっぱりゴズリングは最高だ。

また、恋するAI「ジョイ」を演じたアナ・デ・アルマスや、恐怖のターミネーター「ラブ」を演じたシルヴィア・フークスという2人の女優の個性も本作の大きな引力になっていた。名の知れたハリウッド女優を起用するのではなく、映画の世界観を優先し(たぶん)、色がついていない2人を起用したキャスティングも成功要因だったと感じる。監督のドゥニ・ヴィルヌーヴは映画によって個人的に好き嫌いがあるが、本作に関してはぐうの音も出ないほど、素晴らしい映画を生み出してくれた。見終わって感動よりも感謝の思いが先立った。

文句なしの傑作。本作もまた後世に語り継がれるに違いない。ブレードランナーという無二の世界観を開拓した前作に対し、そこで築かれた地点から飛翔し、映像、音楽、脚本、演技と総合芸術の域に到達した本作。前作を超える映画といっても過言じゃないほど素晴らしかった。

【95点】

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