そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

二大政党制に合わない選挙制度

2010-07-12 23:22:16 | Politcs
参院選の結果をみて感じたこと。
今の選挙制度を続けるのはやっぱり無理があるんじゃないかと。

2人区は、すべて民主・自民で議席を分け合うという何とも面白みのない結果。
1人区は、その時の時流によって極端に一方が大勝ちする(前回は民主、今回は自民)。
そのわりに比例区では民主も自民もあんまり票が取れてなかったりして。

衆議院が小選挙区制になって、二大政党制が進んだ分、参院選の選挙区が今の制度のままだと毎回同じ結果を招くような気がします。

一票の格差も今回5倍を超えたというし、現状の都道府県域での選挙区制を維持するのは無理がある。
県域を越えた道州程度に選挙区をまとめるか、あるいは参議院は選挙区を廃止して地方ごとの比例代表のみにするとかしたほうがいいのでは。
衆議院が小選挙区で一気の政権交代が起きやすい分、参議院はあんまり極端な結果が出ないような制度にした方が「ねじれ」が発生しにくくなっていいような気がします。
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影の番長、ファン・ボメル

2010-07-10 10:15:52 | Sports

さて、ワールドカップも明日ついに決勝を迎えます。
内弁慶の欧州勢から初めて、欧州大陸以外で開催の大会での優勝国が出るということで話題となっていますが、それがかつて大航海時代の海洋国家・貿易国家オランダとスペインという顔ぶれで争われるというのも少々興味深いところ。
やはりアウトサイドでも力を発揮できる国民性みたいなものもあったりするのか、とか…こじつけですが。

オランダはかなり堅実な試合運びで勝ち進んできた印象ですが、スナイデルやロッベンなど強力な攻撃陣が注目を浴びる一方、ディフェンス陣、とりわけセンターバックは不安定。
攻守の要としてチームを支えているのは、ファン・ボメルとデ・ヨングの中盤の下がり目二人、とりわけファン・ボメルの奮闘ぶりは素人目にも目立つよなあと感じていました。

すると、今朝の日経新聞スポーツ面で、武智幸徳記者がそのファン・ボメルを取り上げたコラムを書いているではありませんか。
題して「オレンジ軍団”影の番長”」

中盤の汚れ仕事を相棒デ・ヨングに引き受けさせて目立たないながらも時に相当なラフプレーをやらかす。
ブラジル戦では、両チーム熱くなりもめごとの輪ができれば選手と審判(西村主審)の間に入って仲介の労を取る。
引く時は引きながらピッチ上に溜まるガス抜きをはかる調整弁の役回りを果たす。
フェリペ・メロの暴発で自壊した王国ブラジルのマインド面のコントロール役不在とは対照的である、と。

特に、オランダチームを学校のクラスに擬えた最後の部分は秀逸だったので、以下引用させてもらいます。

 今回のオランダは手堅さゆえにダイナミズムに欠けるうらみはあるが、いつになくチームとしてのまとまりを感じる。
 主将ファンブロンクホルストが学級委員長ならスナイダーはスポーツ万能の人気者、ロッベンはすご腕なのにお笑い担当(準決勝の試合後パンツを脱がされ、仲間にお尻までさらされた)、カイトは努力家、ファンペルシーはいつか大きなことをやりそうなタイプ。そして表の暴れん坊はデヨングだが、実際にクラスを仕切っているのは”影の番長”ファンボメルなのである。

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「やすらい花」 古井由吉

2010-07-03 15:43:17 | Books
人生の最晩年に達した男の回想形式による短編小説6篇。
語り手となる人物は、1937年生まれの古井由吉と同世代に設定されていると思われ、私小説的な一面もあるのかもしれません。

老境に達した人間がどのような心境になるのか、もちろん自分には想像することも難しいのですが、この短編小説集に触れることで、それを疑似体験できたような気がします。
「達観」や「郷愁」といったイメージとはずいぶん違って、案外惑っており、情念的でもあるな、という印象。

回想といっても、時制は単純ではなく、青年時代の出来事を思い出している中年時代の自分を、今、回想しているといった多重階層形式になっていたりします。
言葉づかいは高尚、かつ、思索的で難解な部分も多く、けっして読み易い小説ではありませんが、なかなか味わい深い。

6篇の中では、若き同棲時代、宅の離れを自分たちに貸してくれていた老人との交流を描いた「生垣の女たち」が、ドラマチックで印象深かったです。

やすらい花
古井 由吉
新潮社
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「「感情」の地政学」 ドミニク・モイジ

2010-07-01 23:28:59 | Books
グローバル化の進展する現在の国際関係を「感情」という切り口で読み解こうとする論稿。

ここで世界は3つの感情に大きく色分けされます。

 「希望」の世界…中国、インドなどのアジア新興国
 「屈辱」の世界…アラブ/イスラム世界
 「恐れ」の世界…ヨーロッパと米国

この色分け自体は、極めて理解がしやすいものです。
それゆえに、あまり新たな知見を得られたという感じはしなかったのですが…

むしろ秀逸だなと思ったのは、何ゆえ感情が国際社会の重要ファクターとなってきたのか、についての考察。
以下、終章より引用します。

 無知と不寛容は表裏一体だ。平和と和解は、互いのことを理解し、受け入れる人たちの間にしかあり得ない。情報化時代とはいうが、われわれは他者のことを昔よりよく知っているわけではない。むしろその逆だ。われわれは世界のありようを明らかにするというよりは、むしろ曇らせるイメージやデータに押し潰されそうになっている。世界は今後ますます複雑さを増し、文化、国家、個人はますます自らのアイデンティティに執着するだろう。この執着のせいで、国際政治における感情の重要性は高まる一方だ。

 だがわれわれの暮らす、この相互依存的で一体化した世界を把握し理解するのは至難の業だ。それは量の問題であるとともに、質の問題でもある。人類はかつてこれほど数が多く、これほど多様だったことはない。生活様式、価値観、境遇において。これほど変化に富んでいたことはないのだ。このような複雑さを、初めからないものと考えることで免れたくなる気持ちになるのも無理はない。原理主義的宗教や過激なイデオロギーの魅力は、ここにある。この複雑な世界を、単純なスローガンやキャッチフレーズ、絶対的な命令に還元してしまうのだから。


著者は、アウシュビッツを生き抜いた父親の子供として生まれたフランス人国際政治学者で、ハーヴァード大学に学び、現在も同大学の政治学部客員教授という立場にある人物。
その経歴もあり、ヨーロッパ人の感情にかかわる記述には、日本人である自分にはなかなか計り知れないところがあり、なかなか興味深かった。

例えばトルコに対する感情。
トルコはEUへの正式加盟を目指しているが、ヨーロッパ市民の大多数はそれに対してはっきりと反対の立場をとっているという。
その反対姿勢は、理性だけで理解できるものではない。
中東とヨーロッパの架け橋たりうるトルコをむざむざとアジア・イスラム・中東へと押しやることは戦略的には正しくない態度とも言える。
が、ヨーロッパ市民にとって、絶対的他者であるイスラム教徒に対する恐れは絶大で、「トルコを入れる」ことは、多くの意味で直観に反する、強い意志と政治的知見の行為であると認めざるを得ない、と言います。

また、イラク戦争以降その威信を凋落させたアメリカに対するヨーロッパの複雑な感情についても興味深く言い当てています。
冷戦終結後のプロセスの中で、「共通の敵」を失い分裂していくアメリカとヨーロッパ。
アメリカはますますヨーロッパを見下すようになり、ヨーロッパは以前ほどアメリカを必要としていないことに気付いた。
そして、ヨーロッパは、アメリカが弱体化し、世界におけるアメリカのイメージが凋落していることを明らかに喜んでいる。
しかし、その姿勢は意味をなさない。
ヨーロッパには、国際社会で大きな役割を担い、その大きな負担を分担する覚悟はないからだ、と説かれています。

一方で、アジアに関する記述は通り一遍な印象でした。
特に東アジアについてはあまり深い知見を持ち合わせていないような。
日本については、「希望」に支配されたアジアの「例外」として取り上げられているのですが、そのこと自体はその通りだとしても、いまいちピントが外れているように思いました。
朝鮮半島についてもほとんど関心が無いようです。

「感情」の地政学――恐怖・屈辱・希望はいかにして世界を創り変えるか
ドミニク・モイジ、櫻井 祐子
早川書房
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